♪53 15日のホワイトデー
「アキぃ~、ホワイトデーだぞ~」
そう言って目じりを下げた中年2人が訪ねてきたのは6時を少し過ぎた頃であった。
赤いエプロン姿で2人を出迎えた晶は、何事もなかったかのように呆れた顔をしている。
その表情を見て、湖上と長田」はさりげなく視線を交わし、にんまりと笑った。
「とりあえず、お2人ともうがいと手洗いを忘れずに」
そう言って晶がキッチンに戻ると、いつものように『靴揃え要員』として待機していた章灯に湖上が満面の笑みで近付く。
「おい、息子よ」がっしりと肩を組まれ、耳元でささやかれる。
「……息子って何すか」わかっているが、せめてもの抵抗を試みる。
「ウチの娘を頼んだぞ」
そう言うと湖上は章灯の脇腹に拳をぐりぐりとめり込ませた。
「い……ってぇ! それ、地味に結構痛いっす」
「アキはそのうちこれより痛い思いするんだ、耐えろ、この野郎!」
「痛い思いって……、そんな……」
「何だ? 今後しねぇとは言わせねぇぞ?」
そう言って不敵に笑う。
「まぁ章灯、『お前に娘はやらん!』ってぶん殴られるよりは良いんじゃねぇの?」
長田はそう言いながら、空いている肩に腕をずしりと乗せる。
自分よりもでかい男達に寄りかかられ、重さで膝が震えた。
「ちょっ……と、重いんすけど……」
「ああん? 妻子を養うのはもっと重いんだぜ? 覚えとけ」
「オッさん……、俺まだプロポーズもしてませんし、子どもが出来るような行為もしてませんって……」
「なぁーに、すぐすぐ。アキだって子どもじゃねぇんだから」
そりゃ、俺だってしてぇけどさ……。
章灯は双肩にのしかかる物理的かつ精神的な重さに大きくため息をついた。
「皆さん、玄関でじゃれ合ってないで、早く食べに来てください」
リビングのドアが開き、晶がひょっこりと顔を出す。晶は中年2人にのしかかられている章灯を見て一瞬不思議そうな顔をしたが、それだけ言うとすぐにドアを閉めた。
「……本当に変わらねぇな」
「これなら、曲の方も大丈夫なんじゃね……?」
湖上と長田は章灯から離れると顔を見合わせてそう呟きリビングへと向かう。
ぼそぼそと話す中年2人から解放された章灯は、いそいそと脱ぎ散らかされた靴を揃える任務に当たった。
2人からやや遅れてリビングに入ると、ローテーブルとあらかじめ運んでおいた折り畳みテーブルを目いっぱいに使ってご馳走が並べられている。
メニューは晶の好物の『ハンバーグ』と、章灯の好物の『ヒレカツ』である。
晶が昼寝から覚めた後、章灯から「オッさんから夕飯のリクエストが来たんだけど……」と言われ、それが自分と章灯の好物だとわかった時、何となく嫌な予感はした。
「いやー、アキ、俺はほんっとーに安心した!」
それに加えて、『育ての親』のこの発言である。
さすがに鈍感な晶にもわかった。
わかったので、仕方ないことだと思いつつも、目を細めてじっと章灯をにらんでみる。
晶の視線に気付いた章灯は、目をぎゅっと瞑りすまなそうな顔で「ごめん」と言った。
そんな2人のやり取りをニヤニヤと見守って、長田が口を挟む。
「仕方ねぇよ、アキ。お前もこいつもまず俺に相談するんだもんよ」
「そうそう、オッさんに相談したら、だいたいは俺にも伝わるんだって。あきらめろ!」
「……わかってます」
晶は観念したようにそう言い、ハンバーグを口に運んだ。
「まぁまぁ、アキ、機嫌直せって。可愛いお顔が台無しだぜぇ~?」
長田はそう言いながら後ろに置いた紙袋を晶に手渡す。「あいよ、俺らから」
「ありがとうございます」
晶はそれを受け取ると中を確認することもなく脇へ置く。
「何だ、アキ。中身は見ないのか?」
その行動を不思議に思った章灯が尋ねる。
「2人からは毎年同じものなんですよ」
晶は表情を全く変えず、抑揚のない口調でさらりと言った。
「そうなのか。何なんすか、中身?」
晶ではなく湖上と長田に問いかけると、2人はにんまりと笑顔だ。
「まず、鉄分のドリンク剤」
「それと、鉄分のサプリ? あのラムネみてぇなやつ」
「そんで、今年は入浴剤も入ってる」
最後に湖上がそう締めると、晶は驚いた顔をして脇に置いた紙袋の中を覗き込み、小さくつぶやいた。「本当だ……」
「毎年鉄分系なんですね。――で、何で今年は入浴剤もなんすか?」
カツを口に運びつつ、章灯は何気なく問う。
「えー? そりゃ2人で一緒に入る時に使えば良いなーって。ここ来る前に急いで買ったんだぜ?」
長田は胸を張って得意気な顔をしている。
「――ぐぅっ!」章灯は飲み込む途中だったカツが喉に引っ掛かり、派手に咳き込んだ。涙目になりながら慌てて冷めた味噌汁で流し込む。
「……っはぁ~。ゲホッ。おかしなこと言わないでくださいよ。一緒に風呂なんて。――なぁ?」
喉をさすりながら顔をしかめて晶を見ると、袋から取り出した入浴剤を持ったまま、ゆでダコのように顔を真っ赤にしていた。
「ちょ、アキ? 落ち着けって。大丈夫! 入らない! 入らないから!」
背中に嫌な汗をかき、慌ててなだめる。湖上と長田をちらりと見ると、笑顔でハイタッチを決めていた。
「もぉ~、コガさんのせいですよ。アキこんなんなっちゃったじゃないですか!」
章灯が呆れた顔でそう指摘するも、湖上は一向に意に介していない様子だった。
「え~? 良いきっかけかと思ったんだけどなぁ。なぁ、オッさん」
「そうそう。……でもさぁ章灯、俺らに構うよりアキを見てた方が良いと思うけどな、俺」
長田はそう言いながら首を傾げて晶を見ている。その言葉で章灯もちらりと晶の方を見ると……。
「ちょちょちょ! それ、俺の!」
晶は喉が渇いたのだろう、章灯のグラスを一気に呷っていた。ごくごくと喉を鳴らして。ただ、それはお茶ではなく、ウィスキーの水割りだったのだが。
慌てて晶の手からグラスを奪い取ったが、並々と注がれていた水割りは半分ほどなくなってしまっている。もちろん章灯のものだから濃さもそれなりである。
「おい……、大丈夫か?」
湖上が心配そうに晶の顔を覗き込む。晶は依然として赤い顔をしていたが、それが果たして先ほどの入浴剤によるものなのか、この水割りによるものなのかの判断がつかない。
「おーい、アキ~?」
長田は身を乗り出し晶の顔の前で手を振ってみるが、赤い顔でぼぅっとしたまま反応がない。
「こりゃー寝るなぁ。おいおい章灯よ、アキをつぶしてどうするつもりだぁ?」
湖上はニヤニヤと笑いビールを飲む。
「どうもしませんよ! 寝かせて終わりです!」
章灯は拗ねたような口調で水割りを飲む。
「まぁまぁ、コガ、この後のことは『神のみぞ知る』ってやつさな。このヘタレがこんな状態のアキに手を出せるとは思えんが、男女っつーのはよ、どんなミラクルが起こるかわからんからなぁ」
長田はそう言ってコーラのグラスを空ける。「てなわけで、長居するのは野暮ってもんだからなぁ。帰るぞ、コガ」
湖上はその言葉で手に持っていたビールを一気に呷ると、よし、と言って立ち上がった。「そんじゃ、頼むな、章灯」
「えっ……? ちょっと……」
「おいおい、俺らよりアキだろ。何かぐらんぐらんしてるぞ」
「――えっ?」
長田が指差す方を見ると、目を瞑って起き上がり小法師のごとく前後左右に揺れている晶の姿がある。
「おい、アキ、大丈夫か? 寝てんのか、コレ……?」
晶の前にしゃがみ込み、優しく肩を叩いてみるが、ぐらぐらと揺れる他は何の反応もない。
玄関から「また来るなー」というのん気な湖上の声が聞こえ、晶の両肩を支えながら「はーい」とだけ返事をした。
玄関のドアがバタンと閉まる音が聞こえ、ふぅ、と大きくため息をついてから再度晶に声をかけてみる。
「おい、アキ。おーい、アキ。寝てんのか? おーい、って」
やはり何の応答もない。
本当ならこのタイミングでおんぶなんだよな。
そう思いながら晶の手を自分の肩に乗せるが、完全に寝てしまっているためになかなか上手く担ぐことができない。
そうか、いつもはまだ若干起きてるんだな。
「てことは、これはおんぶじゃねぇな」
肩の上に乗せていた晶の腕を右だけはずし、自分の右腕を背中に回して左腕をひざ裏に差し込むと、よいしょ、という掛け声と共に立ち上がった。
「……俺だって出来るじゃん」
そう言いながらも、やはり腕の力だけで持つにはなかなかの重さである。何とか部屋の前まで行き、左手でドアを開ける。リビングの灯りを頼りに障害物を避け、何とか晶をベッドに下ろすと、どっと疲労が襲ってきた。
「なかなか世話の焼けるお姫様だ」
晶のベッドに腰掛け、寝顔を拝んでそう呟く。
こっちの気も知らねぇで、まったく。




