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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
before debut 2007/12/12~2008/4/7
38/318

♪38 無自覚さまざま

「――アキ、ここではあんまり本気で弾くな」

 試奏コーナーでアコースティックギターをかき鳴らすあきら章灯しょうとがストップをかける。晶は一瞬、怪訝そうな顔をしたが、自分の周りに人だかりが出来始めていることに気付き、完全に聞き入っていた店員に礼をしてギターを手渡すと、立ち上がった。

「お前、いつも店内でこうやってんのか?」

 逃げるように楽譜コーナーへ移動し、章灯がそっと耳打ちする。

「いつもは、なじみのお店があって……。そこは知り合いがやってるんで……」

「成る程」

「でも、大きい楽器屋さんは良いですね。そこ、小さいところなんで、カタログからの取り寄せが多いんですよ」

 そう言いながら、壁に飾られたギターを1つ1つ眺める。やはり楽譜よりも楽器を見たいのだろう。

「アキはギター何本くらい持ってるんだ? やっぱりプロの人って何本も持ってるんだろ?」

 章灯が質問すると、晶は宙を見てぶつぶつと数を数えている。

「アコギも入れると……4本ですかね」

「4本……。それは多いのか、少ないのか……」

「少ないと思います。プロって言っても、作曲とサポートがメインでしたし、そんなに人前に出てないので」

「そういうもんなのか……。なぁ、まさかと思うけど、全部、赤じゃないよな……?」

 そういえばいままでに見た晶のギターは、アコギ以外はすべて赤かったことに気付く。

 

 いや、待て。アコギも赤っぽい茶色だと思ってたけど、アレも一応カテゴリー的には赤なんじゃねぇのか……? 


 しかし、さすがに赤以外もあるだろう、と期待を込めつつ……。

「そのまさかです」

「……どんだけ赤好きなんだよお前。よくさぁ、プロの人ってオリジナルギター作ったりするじゃん? アキはそういうのも全部赤にしちゃうわけ?」

「販売はしてませんけど、4本のうち、2本はオリジナルです」

「『その4本のうち』ってことは、ああ、もう赤か。赤で作ったのか。お前、衣装が赤だったらどうするんだよ……」

 呆れた声で言うと、「そこまで考えてませんでした」そう言って真顔で章灯を見つめた。

「まぁ、なるべく赤い衣装は避けようぜ……。もうアキの好きなギターで良いからさ」

「章灯さん、もしかして呆れてますか?」

 恐る恐る問いかけてくる。

「いや、もう逆にすがすがしい、かな」

 章灯は晴れやかな笑顔で言った。


 ギターの弦と手入れ用品を買い、店を出る。店員はまだまだ弾いてほしそうだったが、客寄せのためなのか、それとも純粋に聞きたかったのかはわからない。

 晶は化粧をしている自分に慣れたのか俯くこともなくなった。もしかしたら忘れているだけなのかもしれないが。とにもかくにもその様子を見て安心する。


 待ってろ、コガさん、オッさん。しっかり『女』になったアキを見せてやっからな。


 そう思ってふふふと笑った。

「アキ、他に寄りたいところはないか?」

 晶の手から袋を奪いつつ尋ねる。

「特にありません。……ていうか、それくらい持ちますよ」

 慌てて袋に手を伸ばすが、良いから、と言って章灯はそれを制した。

「んじゃ、コーヒーでも飲んで帰るか。もう遅いから今日の夕飯はピザでも取ろうぜ」

 そう言いながら、通りにあるコーヒーショップを見ると、どうやら満席らしい。まぁ、駅まで歩きながら飲んでも良いしな、そう思い、晶をその場に残して買いに行く。

 

 列に並んでいる間に湖上こがみに電話をかける。

「――おう、章灯、どんな感じだ、そっちは?」

 電話の向こうの湖上は何やら機嫌が良い。大方、もう飲んでいるのだろう。

「上々ですよ。コガさん、ウチで飲んでいきますよね?」

「お? もちろん。お邪魔でなければ、オッさんも残しとくけど」

「ぜひぜひ! いまさら何言ってるんですか! それで、時間も時間ですしアキも疲れてるんで、今夜ピザでも良いっすか?」

「良い、良い! なーんでも良い! 酒も俺らが用意しとくから! そうだ、赤飯、赤飯はいるか?」

「赤飯……ですか……?」

「そりゃ赤飯だろ! いーや、大丈夫。俺が炊いといてやるから!」


 まぁ、元旦も食べたし、きっと新潟の方じゃ赤飯食うのが当たり前なんだろう。


「じゃ、すみませんがお願いします」

「おう! ピザもお前らが着くのに合わせて頼んどくからな!」

「何かコガさん嬉しそうですね」

「いやーもう早くアキに会いたくてなぁ」

「ほんっと、コガさんはアキが好きですねぇ……」

「――え? いや……まぁ好きっつっても『親の愛』だからな、俺のは」

 親という言葉を聞いて、ほんの少し湖上よりも上に立った気がして笑みがこぼれる。これから見せる晶は、その『親』がおそらく見たことのない晶なのだ。

「ふふふ……。コガさんの知らない『女』のアキをお見せしますよ」

「なっ……!」という湖上の短い叫びに、つい我慢出来ずに漏らしてしまったことを後悔した。せっかく秘密にして驚かそうと思ったのに。

「じゃ、そういうことで!」そう言って慌てて電話を切る。気付くと章灯の順番は次に迫っていた。


 ブラックコーヒーと砂糖を多めに入れたカフェオレを持って戻ると、晶は何やら男性と立ち話をしている。その男はヒールを履いた晶よりもやや小さいのだが、背中を丸めたりのけ反らせたりしながら大きな身振りで、いつもと変わらず不愛想な彼女に親しげに話しかけている。知り合いだろうか、そう思い近付く。

「おー、アキ、知り合いかぁ?」

 のん気に声をかけると、晶に話しかけていた男はゆっくりと章灯の方を向き、ギョッとした顔をしてそそくさと立ち去った。

「なぁ、いまのって……知り合いじゃないのか?」カフェオレを渡しながら尋ねる。

「いえ? 初めてお会いした方です。何か、少しお話ししましょうって言われて。でも向こうが一方的に話してただけでしたけど……」

 晶はきょとんとした顔でカフェオレを受け取りながら答えた。

「おっま……! それなぁ! ナンパだろ!?」

 危機感0の晶に脱力し、大きなため息をついてその場にしゃがみ込む。

「ナンパ……でしたか。いまのが……」晶もまた章灯の向かいにしゃがみ込んだ。

「お前なぁ、俺がいんのにナンパなんかされてんじゃねぇよ……」

「章灯さん、いなかったじゃないですか」

「い……なかったけどさぁ~……。連れがいるんでって断るんだよ、そういう時は! それか、完全無視! わかったか?」

「わかりました……」

「普段のアキはこういうことないんだろうけどな、女の恰好してる時は本当に気をつけろ。今回はあんなヘタレだったから俺が声かけただけで逃げてったけどさ」

 しゃがんだまま、ずずずと音を立ててコーヒーを飲み、はぁ、と再びため息をついた。晶もそれに倣ってカフェオレを飲む。ふと顔を上げた章灯は、晶を真正面から見て、危うくコーヒーを吹き出しかけた。

「……お前、立て」

「――え?」

「ああ、俺がしゃがんだからか。立つよ、立つからさ」

 そう言いながら立ち上がり、晶の手をつかんでやや強引に立ち上がらせる。

「……しょ……うとさん……?」

「しっ……下着が……っ! 見えてんだよ! まったく、お前は! スカートの時は、こう……股を閉じてしゃがめ!!」

 顔を赤らめながら身ぶり付きでそう言うと、晶は慌てて股を閉じ、やや乱れたスカートを直した。

「……すみません」

「あ、いや、別に怒ってるわけじゃないからな。ほんとに、気を付けてほしいんだよ。お前はさ、そうやって綺麗な恰好してきちんと化粧したりするとさ……、その……、結構アレなんだよ……」

「アレ……ですか……?」

 晶は不思議そうな顔で首を傾げている。


 伝わらねぇか。伝わるわけねぇか……。


「だから、その……、女として結構魅力的ってことだ! 良いからもう帰るぞ!」

 最後は勢いでまくしたてると、呆気にとられている晶の手を取り、駅へと向かった。恥ずかしさのあまり早足になりかけて、晶の足を思い出し「悪い」と呟いて、速度を緩める。


 コガさんとオッさん、首長くして待ってるだろうな……。

 

 電車を降り、家までゆっくりと歩いた。

 だんだんと速度が落ちる晶を見て、タクシーを拾えば良かったと後悔する。

「大丈夫か?」

「女の人って大変ですね」晶は力なく笑う。

「お前も『女の人』だろ。一応」

「普段は『男の人』ですから」

「『男の人』って……お前なぁ。まぁ、女物でももっと楽なやつあんだろ。かおるさんにでも聞いてみろよ」

 そう言うと晶は露骨に嫌そうな顔をした。「郁は嫌です」

「じゃ、千尋君かなぁ」ニィーと意地悪く笑うと、晶は顔をしかめた。「死んでも嫌です。紗世さんに聞きます」

「まぁ、誰でも良いけど。とりあえず、今日はもう仕方ないからな」

 章灯は立ち止まって晶の手を離し、腰を落とすと「ほれ、おんぶ」と言った。

「――え? そんな……」

 晶は両手を顔の前で振って必死に辞退する。

「このままだとピザ冷めちゃうだろ? それにコガさんもう飲んでるんだから、酔いつぶれて寝ちゃうかもしんないぞ」

「それは……」「じゃ、ほれ。この体勢のままってのも結構辛いんだからな。はーやーく!」

 章灯にせかされ、晶はしぶしぶ背中に乗った。よいしょっと言いながら立ち上がる。身長の割にやはり軽い。

「素面なんだから、寝んなよ」

 笑いながらそう言うと「寝ません」と拗ねたような声が耳元で聞こえた。


「…遅いな」

「やっぱり俺ら邪魔なんじゃないのか……?」

 ローテーブルの上に、たったいま宅配されたばかりのピザと、赤飯を置き、長田おさだはコーラのグラス、湖上はギネスの瓶を持って、向かい合っている。

「しかし、あのヘタレがなぁ……」

「いや、俺もまさかと思ったけどさ。でもアイツ、俺の知らない『女』のアキを見せるって言ったんだぞ?」

「やるじゃん、章灯」

「……ヤッちまったな、とうとう」

「まぁでも、お前も肩の荷が下りたんじゃねぇの?」

「馬鹿野郎。アキなんざ『荷』のうちに入らねぇんだよ」

「でもさ、アキが『女』になって、大丈夫なのか?」

「大丈夫かってなんだよ」

「どうする? あっま甘のバラードばっかり持ってきたら」

「そ……れは、まずいな」

「……まずいな。いま俺も言ってから事の重大さに気付いたわ」

「アキだからなぁ、考えられるよなぁ……」

 しばらく2人は無言で向かい合っていた。


「ただいま戻りました」

 静寂の中に、疲れた晶の声が聞こえる。

 中年2人は急いで腰を上げ、競い合うように玄関へ飛んで行った。

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