♪32 歌う! 応援団!
「くっそぉ! アラーム意味ねぇなぁ!」
元旦だというのにすっかり寝過ごしてしまった湖上は、自分のスマートフォンの画面を恨めしそうに見つめながら叫んだ。
「何で起こしてくれなかったんだよ、章灯!」
怒りの矛先が自分に向けられたことに理不尽だなぁと思いつつも、章灯は仕方なく答える。
「起こしましたよ、何度も。なぁ、アキ」
そう言って赤飯を食べている晶に振る。晶の今日の恰好は長田の好みらしいグレーのマキシ丈パーカーワンピースである。昨日に引き続きワンピースなのは、この2人がスカート好きというだけではなく、股下の長さがわからないという理由もあるらしい。
「何度も起こしましたけど、その度に寝たのはコガさんです。第一、オッさんが起きてるのが良い証拠じゃないですか」
そうそう、と伊達巻がわりのだし巻き玉子を咀嚼しながら長田が頷く。
「こいつらが俺しか起こさないわけねぇだろって」
「そうだけどさぁ~。あぁ、あけおめメールもこんなに……。返信すんのめんどくせぇなぁ……」
口を尖らせぶつぶつと文句を言いながら画面をスライドさせている。
「――お? ……お、おぉ? おう」
テーブルに肘をつき、右手は大皿の上のだし巻き玉子を狙いながら画面を流し読みしていた湖上が、眉をしかめてスマホを凝視する。そして視線を一瞬だけ章灯に向けた。
「……章灯、お前『歌う! 応援団!』って漫画知ってるか?」
脈絡のない突然の質問に虚を衝かれる。
「えっ……? 『週刊少年チャンプ』で連載してるやつですよね。知ってますよ。俺、立ち読みしてるんで」
章灯は赤飯にごましおをふりかけながら答える。
「ざっくりで良いんだけど、どんな話だ?」
「ざっくり言うと……、人数が足りない上に男子部員しかいなくて廃部寸前だった合唱部が、これまたいまいちぱっとしない応援団の助っ人に入ったらこれが大当たりで、それで一躍有名に……みたいな話ですね」
「ふぅん……。面白いのか、それ?」
「結構人気あるみたいですよ。結構長期連載してますし、俺も好きです。ヒロインがまた可愛くて……。あれ、確か4月からアニメ化されるんじゃなかったかなぁ……」
「アニメ化されるってことは面白いんじゃねぇのか?」
長田がアサリの味噌汁を飲みながら加わってくる。
「――にしても、いきなりどうした?」
汁椀からアサリの貝殻を取り出しながら言うと、湖上は3人をゆっくりと見回し、ニヤリと笑った。
「テストぉ~、内容がぁ~、発表ぉ~、されましたぁ~」
ニヤニヤした顔のまま、もったいぶるようにわざと区切って話す。
最初に声を上げたのは晶だった。
「もしかして、タイアップですか?」
「おい、いつまでだ?」それに長田が続く。章灯はいまいち流れに乗れず、発言者を注目することしか出来ない。
「ほい、アキ当たり。んで、いつまでっつーのがなぁ……」
湖上は下を向いてふぅ、とため息をつくと苦笑いしながら「明日テープ持って来いって。んで、3日にテストですと」
「はぁ~~~~っ?」これは3人の声が重なった。
さすがの章灯も、何なのか正確には不明だが、むちゃくちゃなスケジュールであることだけはわかる。
一様に目を見開いたまま固まっている3人を前に湖上はへらへらと笑った。
「まぁでもさ、ちょうど『POWER VOCAL』があんじゃん。いまの聞いた感じ、ぴったりだろ。っつーわけで、飯食ったら練習アーンド録音。いやー、良かったなぁココに地下室あってさ」
「確かに漫画の内容には合ってるな、アレ。やるじゃん、章灯」
「いえ、アレはアキが作った曲がたまたまそんな感じだったんで……」
「アキがすげぇのは当たり前だけど、読み取ったお前もすげぇってこった」
謙遜する章灯の頭に長田がポンと手を乗せた。
「んじゃ、軽く休憩したら2時に地下集合っつーことで!」
最後のだし巻き玉子をひょいとつまみ上げ、湖上がそう締めた。
件名:あけおめ
本文:アニメ『歌う! 応援団!』のオープニングタイアップ争奪オーディションをやるから、明日アップテンポのやつのテープを持って来い。テープで落ちるなんてだせぇ真似はすんなよ。本番は3日。無理やりねじ込んだんで、よろしく!
「――よろしく! じゃねぇよ、あんの野郎! 無理やりねじ込んだっつーことは、もう別のやつらに決まってたんじゃねぇのか!」
湖上のスマホを握りしめながら、地下室で長田が叫ぶ。
「……たぶん、渡したテープ聞いた時に『ちょうど良いアニメあるじゃん!』って思い付いたんだろうなぁ……」
長田の肩に顎を乗せ、呆れた声で湖上が呟く。
「テープ? いまから録るやつの他にも渡してるんですか? そっちじゃダメなんですか?」
「ばっかだなぁ、章灯。アニメのタイアップを勝ち取れるかどうかを左右するんだぞ? より良いやつを提出するに決まってんだろ」
「おうよ。それにな、言ったろ。ここからがテストなんだよ。ORANGE RODが一発屋の企画モノで終わるかどうかの」
……そうだった。
同じ高さで2つ並んだ真剣な表情に、マイクスタンドを持つ手が震える。
「そう……ですよね」
「章灯も理解したところで……、あとはウチの『王子様』に頑張ってもらわないとなぁ」
そう言うと湖上は、スタンドに立て掛けられた赤いギターを見つめる。その主は2、3回練習すると「胸が邪魔です」と言って、さらしを巻きに行ってしまった。
「演奏する時はいっつも巻いてたもんなぁ。良くわかんねぇけど、やっぱ違うもんなのかねぇ」ぽつりと湖上が漏らす。
「んー。トランクスとブリーフの違いみたいなもんなんじゃねえの」
「おぉ、それならわかる。やっぱりライブの時はびしっとブリーフなんだよな。しっかり収まってる感がいいんだよ」
湖上は自分の股間をまさぐりながら笑う。
「お待たせしました」
晶が階段を軽快にとんとんと降りてくる。先ほどまでのワンピースではなく、細身のストレートジーンズに黒とグレーのロングTシャツ姿だ。Tシャツは男物なのだろう、肩がやや余っている。
「ちぇー、スカートじゃねぇのかぁ」
「裾がヒラヒラしてて落ち着かないんです」
残念そうに長田が呟くと、晶はしれっと答えた。
立て掛けてあったギターを担ぎ、軽くチューニングし直すと、「じゃ、やりましょうか」と言った。
長田がドラムセットに向かい、湖上がベースを担ぐ。章灯が軽く咳払いをする。
長田が規則的にドラムスティックを打ち鳴らし、激しいギターサウンドが地下室に鳴り響いた。
女のアキも良いけど、演奏の時はやっぱりコレだよなぁ。
大股を開いて髪を振り乱し、激しくギターをかき鳴らすアキの姿を見て、3人は自然と視線を交わし笑顔を作った。
「――おぅ、悪かったな、急に」
湖上からテープを受け取った渡辺は心にもない謝罪を述べ、手元に用意してあったラジカセにセットする。
「いえ」珍しく控えめな湖上の言葉でニヤリと笑うと再生ボタンを押す。
デスクに肘をつき顔の前で指を組んで、じっと曲を聞いている。時折、ちらりと湖上を見る。
とりあえず、お前1人で来い。そう言われて、この社長室には渡辺と湖上の2人きりだ。
曲が終わり、停止ボタンを押してテープを取り出すと、丁寧にケースにしまう。
「良いな。やっぱイケるな、これ」そう言って口元を緩めた。
「詞は山海が書いたのか?」
テープと一緒に渡した紙を見ながら意外そうな顔をする。
「そうです」
「アイツ、やるじゃん。アニメにも合ってるし、直さなくてもこのままで良いな」
「社長、『本番』というのは……?」
上機嫌の渡辺に、湖上が問いかける。
「――ん? オーディションっつったろ? 制作スタッフの前で演奏してもらうから」
「でも、ORANGE RODはデビューまでシークレットって……」
「だーいじょうぶ。バンド名は伏せとくし、1話はオープニング無しだから、メディアに出るのもデビュー後だ。問題ない」
「でも、スタッフに顔が……!」
デスクに手をつき必死な表情で前のめりになる湖上と対照的に、渡辺は涼しい顔をしている。
「お前は意外と真面目だよなぁ……。それも大丈夫だって。俺が日野との約束を破るわけないだろ」
そう言うと引き出しから書類を取り出し、湖上に渡す。
「これ、明日のスケジュールとアイツらの設定。しっかり読んで叩き込んどけって伝えてくれ」
わかりました、と言って書類の内容に目を通す。
「社長……、これは……」
顔を上げて眉をしかめると、渡辺はニヤリと笑って「よろしく!」と言った。
ははは……と力なく笑い、それでも丁寧に頭を下げ退室しようと回れ右をした時、湖上、と渡辺に呼び止められる。
やれやれ、という気持ちで「何すか」と振り向くと、渡辺が湖上の手にある書類を指差してにんまりと笑う。
「そこに書いてるユニットのやつらなんだがな――……」
笑いをこらえきれない様子で続けられたその内容に、湖上も思わず吹き出す。
「マジっすか、それ……」
「曲の出来は申し分ない。それは俺も認める。ただ……後はわかるな?」
「……もちろんっすよ」
そう言うと湖上はニヤリと笑った。




