♪31 グッバイ2007
「たっだいまぁ~」
玄関にご機嫌な湖上の声が響く。
その声でリビングのドアが開き、予想通り赤いエプロン姿の晶が顔を出した。
「お帰りなさい、皆さん。ご心配、ご迷惑おかけしました」そう言って、ぺこりと頭を下げる。
「良いって、良いって。それより、ちょっとコレ運んでくれ。軽いやつだけで良いから」
長田が多種多様のショップ袋を晶に手渡す。
「随分買ってきたんですね……。何ですか、コレ?」
「ああーっと、中は見るなよ!」
中を覗き込もうとしていた晶を湖上が声で制する。晶は不思議そうな顔をしていたが、大人しくそれに従い、リビングへと持って行った。
2人がリビングへ向かったところでケーキを持った章灯が玄関に入る。当たり前のように脱ぎ散らかされている靴を揃え、遅れてリビングに入った。
室内は暖かい空気に包まれ、何やら美味そうな匂いも漂っている。ケーキはここだとまずいだろう、そう思って冷蔵庫へと向かう。
「章灯、コレも頼むわ」背後から長田の声が聞こえ、どさりと床に買い物袋を置く音がした。
はいはい、と呟きながら、床に置かれている飲み物を回収し、それも冷蔵庫に入れる。
一仕事終えてリビングに戻ると、湖上がショップ袋の隙間から中身を確認し、これと、これ、等と言いながらアキに手渡しているところだった。
「ほい、行ってらっしゃい」そう言って背中を押すと、晶は嫌そうな顔をしながらもしぶしぶ袋を持って部屋に向かう。
「どうしたんすか?」
「――え? せっかくの年末だぜ? なぁ、オッさん。さて、酒も用意しないとなぁ」
「年末です……けど……? あぁ、飲み物は俺準備しますよ」
ローテーブルと章灯の部屋から運んできた折り畳みテーブルの上には晶が準備した料理の大皿が並んでいる。エビチリ、から揚げ、筑前煮、稲荷ずし、太巻きにポテトサラダ。
良くもまぁ、これだけ作ったものだ。相変わらず組み合わせはめちゃくちゃだけど。
そして、そんな御馳走を前に、男性陣はお預け状態である。湖上ですら目を瞑って耐えているのだ。目を瞑っているのはおそらく、見ると我慢が出来なくなるからだろう。
この沈黙に耐え切れず、章灯が口を開く。
「あの……、これって、アキ待ちなんですよね? 俺、呼んで来ましょうか……?」
「いや、待つんだ。女ってやつは準備に時間がかかる生き物なんだよ……」
目を瞑ったまま、湖上が答える。長田も腕を組んでうんうんと頷いている。
にしても、時間かかるなぁ、準備ってアイツ何してんだ……?
章灯と長田の視線がテーブルと晶の部屋のドアを何往復かした後、ゆっくりとそれは開かれた。
「お……おぉ……」
ほぼ同時に発せらせた2人の声に、湖上も目を開ける。
「おぉ……。やるなぁ、アキ」
ざっくりとしたオフタートルの白いニットワンピースに黒タイツ。ワンピースは身体のラインに沿うようにゆるくシェイプされており、膝が少し出るくらいの丈である。胸のふくらみが確認出来るところを見ると、ブラジャーも着けているのだろう。
似たような言葉を発したまま口を開けて固まっている男性陣を晶はやや呆れた顔で見つめ、「あの……座っても良いですか?」と言った。
「どうぞ!」3人同時にそう叫び、晶はその勢いに目を丸くした。
「そんじゃ、全員揃ったところで……」
上機嫌な湖上の声で、ああ乾杯だな、と章灯は目の前の缶ビールに手を伸ばすと、長田が顔を少ししかめて首を振り、それを制する。
充分に間を持たせて、湖上が大きく息を吸った。
「――アキ、誕生日、おめでと~うっ!!」
「――へ?」
湖上の声を合図にパァン! パァン! とクラッカーが鳴る。
「――っ!」
「――うわぁっ!」
晶は突然の発砲に耳を塞いで身体を丸めた。身体がぐらつき、隣に座った章灯に寄りかかる形になり、思わずその肩を抱く。
「おお!」
「おお~!」
2人ののん気な声で顔を上げてみれば、口の空いたクラッカーを構えたままの状態でじっと見つめている中年のにやけた顔があった。体勢を立て直し、大きくため息をつく。
「俺も鳴らす側の人間じゃなかったんですか……」
「いや、ついでにお前も驚かそうと思って、黙ってた」にやけた顔のまま、長田が言う。
「いやぁ~、久しぶりにアキの可愛いところも見れたし、満足満足」湖上はホクホク顔だ。
「もう、良い加減にしてくださいよ……。心臓に悪い……」
晶はこの恰好で登場してからずっと呆れ顔である。
「ていうか、今日ってアキの誕生日だったんですか……? っつーことはアキ、今日で22か」
「いえ、今日で21です」さらりと答える晶は、見た目はいつもとまるで違うのに、中身はやっぱりいつもの晶だ。
「自己紹介の時、お前21だって言ったじゃんか」章灯はふてくされたように言う。
「もう12月も半ばでしたし、良いかなと思いまして」晶はしれっと答えた。
「まぁまぁお2人さんよ。俺ら腹ペコなんで乾杯しちゃわねぇ?」
ずずいと2人の間に缶ビールを割り込ませ、湖上がニヤリと笑った。
それをきっかけに各々が目の前の飲み物を手に取り、特にこれといった音頭もなく、乾杯とだけ言って飲み始める。
「はぁ、相変わらずアキのエビチリは美味いなぁ……」目を細めて湖上がエビにかぶりつく。
「コガさんの方が美味しいですよ……」晶は視線を落としてもぐもぐと稲荷ずしを食べている。
「コガさんって、アキより料理上手いんですか?」
章灯が声を上げると、湖上はエビの尻尾を咥えた状態で口の端をニィっと上げた。
「アキに料理教えたのは俺だぜ?」
「……でもギターと同じで、あっという間に抜かされたんだよな。アキのは思い出補整も入ってると思うぞ。おふくろの味がいちばんって言うしよぉ」
長田が肩に手を乗せながらそう言うと、湖上はがっくりとうなだれた。
「そうなんだよなぁ……。『青は藍より出でて、藍より青し』っつーのを地で行くんだよ、こいつはさ」
下を向いたままぼそぼそと言う。
そういや前にオッさんが言ってたよな。アキに関わったやつは……って。きっとコガさんは何をやらせても自分より上手くなるアキを見て毎回こんな感じだったんだろうな。たしかに何度もこうなるのは目も当てられないだろう。
「で、でも、ベースはいまだに上手く弾けません!」
珍しく晶が必死にフォローする。
「ありがとう、アキ……。でもそのフォローは果たしてどうだろうか」
たしかに、このフォローだと、ギターと料理に関しては自分の方が上手いと肯定しているということになる。
「え……? そうですか……?」
晶は不安そうな顔で長田と章灯の顔を交互に見つめた。
化粧などしていないのだから首から上はいつもの晶なはずなのに、首から下が女っぽいってだけでどうしてドキリとしてしまうのだろうか。
「まぁ、気にすんなよ、アキ。いつものことだ」長田は事も無げにそう言うと、から揚げを口に放り込んだ。
「そうそう。コガさん、ビール、空ですよね? 新しいの持って来ますよ。それとも何か違うのにします?」
「……日本酒」
「へ?」
「『久保田』あったろ。アレ持って来ぉい!」
拳を高く振り上げて湖上は叫んだ。章灯は、はいはい、と笑って席を立つ。
「章灯!」キッチンに向かう章灯を長田が呼び止める。
「ついでにケーキも!」振り向くと、長田は笑顔でピースサインを送っていた。
はいはい。もう一度笑って、冷蔵庫へ向かった。
右手に『久保田』の瓶とグラス、左手にケーキの箱を持って行くと、晶が料理を1つの大皿にまとめ、空いた皿を重ねているところだった。テーブルの空いた部分に酒とケーキを置くと、重ねられた大皿を回収する。それをシンクまで運び、調理台の上に用意しておいたナイフとケーキ皿、そしてフォークを持ってリビングに戻った。
どうやら箱を開けるのは章灯が戻ってきてからと思っていたようで、こちらに向かって来るのをじっと待っている。
「お待たせしました」そう言って手に持っていたものを置くと、長田がうやうやしくケーキの箱を開ける。
中から出てきたのは4号とやや小さめのシンプルなチョコレートケーキだった。ドームのようになっていて、上には『あきちゃん、おたんじょうびおめでとう!』というチョコのプレートが乗っかっている。
「アキ、コレは章灯からだぞ~」
ニヤニヤしながら長田が言うと、晶は目を真ん丸に見開き「章灯さんが……?」と言った。
「そんなに意外か……?」
章灯は苦笑しながら言う。
「ていうか、俺、誕生日だなんて知らなくて、プレゼントも何も無くて……ごめんな」
あそこで申し出て本当に良かった……。せめてケーキくらいはな。
「え? いただきましたよ、章灯さんからは」
「え?」
「シュークリームとエクレア……」
「いや、あれは昨日の分だし……。今年1年お疲れ的なやつで……」
「そうだったんですか。てっきり……」
「はいはーい、お2人さーん。ケーキ切っても良いすかねぇ~」ナイフを左右に振りながら長田が2人を交互に見つめる。
「オッさん、俺の分もな!」日本酒を片手に湖上は上機嫌だ。
「うへぇ、日本酒にケーキかよ」
「うるせぇ! アキのバースデーケーキを食わずに年が越せるか!」
「……ていうか、アキが誕生日ってことは郁さんもですよね。呼ばなくて良かったんですか?」
思い出したように章灯が言うと、湖上は背中をバシバシと叩きながら笑う。
「良いんだよ、郁は彼氏と過ごすんだから!」
「いってぇっ! 郁さん、彼氏いるんですね」
双子でも、ほんとぜんっぜん違うんだなぁ……。
そう思ってちらりと晶を見る。
でも、こうして女の恰好するとほんとにそっくりだな。髪が短いだけで……。
章灯の視線に気付いた晶がため息をついて、ぽつりと言う。
「……千尋ですよ」
「は? 何が?」
「郁の彼氏」
「はぁぁぁ~?」素っ頓狂な声で叫ぶ。
それを見て湖上と長田は声を上げて笑った。「思った通りのリアクション過ぎる!」
「だっ、だって、千尋君ってアキのファンで……、女装してるし……、最初だって『彼女』って言ったり、とか……っ!」
あまりの狼狽ぶりに晶も口元に拳を当て、クックックッと笑う。
「ちょ、何アキまで笑ってんだよ! もぉ~っ!」
「悪い悪い。いや、マジで。あー、章灯ってやっぱりおもしれぇ……。腹痛ぇわ、もう」
「やー、ほんと悪かった。でも、おもしれぇ。はぁー」
「すみません、章灯さん……。千尋はあれで、女装してない時は普通の男なんですよ。女装が好きっていうだけで、中身はちゃんと男なんです」
そう言いながら晶は目の端を指で拭っている。どうやら笑い過ぎて涙が出て来たようだ。
「もぅ、わけわかんねぇよ。いろんなことがありすぎて」
ため息交じりにそう呟くと、まぁまぁと言いながら目の前にケーキが置かれる。
断面図を見ると、スポンジは下に敷かれているだけで、あとはすべてクリームのようになっている。
「あ、チョコレートムースですね。美味しそう……」
嬉しそうな晶の声が聞こえ、ちらりと隣を見ると、チョコのプレートにかじりついている。
章灯の視線に気付くと、顔を少ししかめ「あげませんよ」と言った。「いらねぇよ。子どもか」と苦笑して返す。
「……はぁ、さすがにきついな」
湖上はソファの上で寝転んでいる。長田は2時間前にダウンしている。
「それは腹ですか? それとも眠気ですか?」
章灯が苦笑しながら問いかけると、視線だけをこちらに向けて「両方」と言った。
「あと30分ですよ、頑張ってください。ていうか、寝転がってたら眠いの当たり前ですよ」
晶がそう言って湖上の身体を揺すると、しぶしぶ身体を起こし、そのまま抱き付いた。
「はぁ~、俺、こういう恰好の女って好みなんだよなぁ……」
「……やっぱりコガさんの好みでしたか、コレは」
異性に抱き付かれているという状況でも顔色一つ変わらない。それは相手が『育ての親』だからだろうか。
「服は俺の好みだけどぉ~、下着は章灯の好みだもん~」
「――ちょ、ちょっとコガさぁん?」
章灯は思わず腰を浮かせ、前のめりになる。
「な~んだよぅ。一緒に選んだじゃねぇか……」
湖上は晶から離れると、ニヤニヤと笑いながら言い、再びソファに寝転がる。
「俺は、その場にいただけで、別に選んでなんか……!」
章灯が必死に否定しようとすると、晶は眉間にしわを寄せてじっと見つめてきた。
「章灯さんって……」
「な、何だよ、アキ……」その迫力にたじろぐ。
「……案外地味な色が好きなんですね」
「へ?」
「いま着けてるの、ベージュのやつです。白いニットだったので、念のため」
「いや、それは店員さんが勧めたってだけで、俺は……」
「俺は?」
「俺は……どっちかって言うと、あのピンクのやつが良かったなぁ……って、いや、違う! そう意味じゃなくてっ! なっ何言わせてんだよ!」
「面白いですね、章灯さん」
「おっ、面白くねぇよ! だいたいコガさんが変なこと言うから! ……って、寝てるし!」
怒りの矛先を向けようとソファを見ると、この一瞬で眠ってしまったようで、ふごふごといびきをかいている。
「2人とも朝早かったしなぁ……。毛布持ってくるか……」やり場のない怒りを収め、立ち上がる。
「本当に、皆に迷惑かけてしまって……」
晶は下を向いてすまなそうにしている。
「気にすんな。おかげでこうして皆で誕生日祝えたろ。それに、きっかけはめちゃくちゃだったけど、年が明ける前にお前の秘密も知れたし、俺は良かったよ」
「……『私』が女でも、一緒に……やってくれますか……」
晶は下を向いたまま、小さく震えた声で言った。
章灯は晶の目の前にしゃがみ、顔を覗き込んだ。
「男とか女とか関係ねぇだろ。人前に出る時は男として接するけど、それでも俺は『アキ』として見るから」
そう言うと、声を出さずにこくりと頷いた。ありがとう、と聞こえた気もするが、あまりに小さく、気のせいかもしれなかった。
ラグの上にぽたりと雫が落ちる。章灯は何も言わずに立ち上がると、箱ティッシュをそばに置いて、湖上と長田用の毛布を取りに行った。
テーブルの下では湖上のスマートフォンが『HAPPY NEW YEAR!』という文字を表示させながら、静かに震えていた。




