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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅶ Be A Hero (2013) 
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♪8 晶 VS

 随分時間がかかってしまったと思いながら、あきらは駐車場へと歩いていた。頭の中は家にある食材は何だったかとそればかりである。冷蔵庫にあるもの、常温保存しているもの、それから乾物やら缶詰の類やら。それらを組み合わせて何を作ろうかと考えていた。

「――AKIさん」

 背後から名を呼ばれ振り向く。声の主はどこかで見たことのあるような女性だった。


 誰だっけ。


 人の名前と顔を覚えるのが苦手な彼女はしばらくの間首を傾げていた。しかし、見覚えはある。ファンとかではない、と思う。

「小松沢です」

「あぁ」

 言われてはたと気付く。


 そうだ、そうだった。今朝も雑誌で見たじゃないか。


「あの、少しだけお時間いただいてもよろしいですか?」

「えっと……。どうぞ」

「ありがとうございます。あの、今日山海(やまみ)さんの稽古をつけさせていただいて、なんですけど」

 一体自分に何の用があるのだろうと身構えていたが、成る程、そういうことかと晶は肩の力を抜いた。ミュージカルという未知の分野に挑戦する章灯の悪戦苦闘ぶりも興味深かったし、純粋にプロから見た彼の力というのも知りたいところである。しかし、こんなところで良いのだろうかと思い、辺りを見回すもこの周辺はオフィス街である。少し歩けばカフェくらいはあったはずだが、と思ったが、それを察したのか蒼空は「すぐ終わりますから」と言った。

 彼女がそれで良いのなら自分が気を回す必要もないだろうと、晶は姿勢を正した。そして蒼空が話し始めるのを待つ。彼女は「ちょっと待ってください」と言って鞄の中に手を入れた。縁がスカラップのデザインになっているそのピンクレザーのトートバッグは、若い女性の間で流行しているブランドの新作である。A4サイズの書類も入る大きさのため、OLはもちろん、学生からも根強い人気を誇っている。

 もちろん晶がそのブランド名を知っている訳もなく、また、欲しいと思う訳もないのだろうが、そういえばやけに似たようなバッグを持っている女の人を見るなぁくらいの認識はあるのだった。

 蒼空は鞄の中からUSBメモリを取り出し、晶に差し出した。

「こちらどうぞ。AKIさんに上手く口頭でお伝え出来る自信がないものですから」

「……どうも」

 何やら棘があるなと10人中9人は気付くような、殊更に『出来る』を強調する言い方だった。蒼空の方でもそのつもりだった。けれど、晶は気にする様子もなく、額面通りに受け取った。すなわち――、


 確かに自分は言葉でのコミュニケーションが不得手だから、付き合いがほぼ0のこの人では難しいだろうな。――と。


「事務所経由で返却します」

 丁寧に頭を下げてくるりとUターンをし、すたすたと車へ向かう。用件はもう済んだはずだろう、と思って。

「待ってください!」

 再び聞こえてきた声は、先ほどの探るような弱いものではなかった。背中に向けて思い切り叩きつけるかのような強さと鋭さがあった。

 人の気持ちであるとか機微には疎い晶だが、さすがに声を武器にしている者の一撃は効いたらしく、苦痛に顔を歪めて振り返った。蒼空の方では、今度はきちんと『届いた』と思ったようで満足気である。

「それ! 聞いていただければわかりますけど!」

「……?」

 何を言っているんだ、と晶は思った。これを受け取った時点で自分がこれを聞くことなど確定しているし、これを聞けば今日の稽古の様子がわかるということくらいはわかる。

「山海さんを縛らないでください!」

「は……?」

 そんなこと、一度だってしたことはない。

 苦手なホラー映画を観る時だって強制したりはしない。ましてやソファに縛りつけたりなんてそんなことは。

「山海さんはもっと色々出来るんです! AKIさんがその可能性を潰しちゃってるんです!」

「あぁ、そっちの……」

 そこで晶は『縛る』が物理的な意味ではなかったことに気が付いた。

「そっちの、って! どっちの想像してたんですか! 大体、パートナーだからって同性が一緒に住むのもおかしいですよ!」

「それは……」

「わかります! 事務所の方針だというのは、私にだってわかります!」

 わかる、と言いつつも納得は出来ていないのだろう、蒼空は捲し立てるようにしゃべった。

「だったらせめて音楽くらいは山海さんの好きなようにやらせてあげてくださいよ! 狭い檻に閉じ込めないでください!」

「そんなことは……」

 していない。自分としては閉じ込めている気なんて全く。自分よりも力のある成人男性を拘束することなど、出来る訳がない。大体檻なんて動物や囚人やあるまいし――、とまで考えたところで、彼女はようやくまたしてもそういう意味の『檻』ではないことに気付いた。

 いずれにしても――である。彼は毎朝蒼空の言う『檻』から出て、アナウンサーとしての仕事をこなしているではないか。そうは思うものの、晶は頭の中で浮かんだ言葉をそのまま吐き出せないでいた。

 その様子に勝利を確信したのか蒼空は、ふん、と鼻を鳴らし「とにかく! それ聞いて、よく考えてみてくださいね」と捨て台詞を吐いて来た道を戻っていった。




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