♪22 踏まえた話
さて、自分が女であることを知っている、ということを踏まえた『話』とは一体何なのかと、晶は身構えた。もしかしたら、自分のこの後の返答あるいは反応によって、事態が最悪な方に傾くことだって考えられる。そう思うと、嫌でも肩に力が入る。こんな時、隣に章灯さんがいてくれたら、と思った。いつからか、頼る相手は育ての親である湖上ではなく、公私のパートナーである章灯になった。ごく自然にその名を呼びそうになって慌てて飲みかけのカップに口を付ける。
「この度は、本当にありがとうございました――……」
さんざんに身構えて、指先までガチガチに緊張していたところに浴びせられたのはその言葉だった。虚を衝かれ、人差し指のサインも何も送ることが出来ない。
それでも伝田は構わずに話し続ける。
「AKIさんはだいぶ笑って下さいましたけれども――……、本来、僕らみたいなのは――……お天道様の下を堂々と歩けるような芸人じゃないんですよ――……。ジメジメした日陰をとぼとぼ歩いて――……その滑稽な姿に対して――……後ろ指差されながら笑っていただく――……というか――……」
そんなことはない、と言いたかったが、それを伝えるサインがどれなのかわからず、晶はとりあえず″NO″と答えた。そんなに自分達を卑下するもんじゃない、という意味を込めて。
「ありがとうございます――……。でもね、山海さんが僕らを明るいところに引っ張ってきてくれたんです――……。マネージャーさんも付きまして――……、色々仕事も貰ってきてくれたりもして――……。笑いの質は結局――……、失笑やら嘲笑の類で変わらないんですけど――……、それでも――……日の当たるところでやれるのは――……、良いですねぇ――……」
伝田はそんなことをゆっくりと、そして相変わらずのか細い声でしゃべった。耳の良い晶でなければ、例え向かいの席でも恐らく何度も聞き返していただろう。
『YES/NO』の伝え方を示した割に、答えのいらない内容だった。
これのどこが『踏まえた話』なのだろうか。それとも自分を引き留めるためだけにそう言ったのだろうか。
そんな風に考えていた時だった。
「AKIさん、僕はね――……、あなたみたいな人を探してたんですよ――……」
***
私は混乱している。
何せこういうことは全くの初めてなのだ。
こういうこと、というのはつまり、何て言うか、その。
――落ち着け。
落ち着け落ち着けと、さっきから言い聞かせている。
言い聞かせ続けているということは、即ち、まだ落ち着けていないというわけで、ということは、ああやはり自分はまだ混乱しているのだ。
こういう時はどうすれば良いのか。
もう自分はれっきとした大人のはずなのに、いまだにこの手の判断を一人では下せない。自分一人で全てを決定し、行動に移すとなると、絶対に失敗するだろう。それでも自分一人が損をするだけならば、いくらでもしくじれば良い。だけどそれによって誰かが害を被るだとか、あるいは悲しむだとか、そういうことは、そういうことだけはあってはならない。
だから。
だから私は混乱したまま、かといって誰かに助けを求められず、ただただ流されてしまっている。
『用意は出来ましたか?』
スマートフォンの画面にコミュニケーションアプリ『COnneCT』のメッセージが表示された。声を発さなくても会話のようにやり取りが出来るこういったコミュニケーションツールを使用する度に、現代に生まれて良かったと思う。
『出来ました』と入力、送信してから、やはり一度相談してからの方が良かったのではと後悔する。
けれど、ほんの少し気持ちが高揚しているのも事実だ。
自分史上初ともいえるこの試みを楽しみに思ってしまうことに後ろめたさを感じるのは、やはりこれを章灯さんには内緒で行っているからだろう。
『後悔しませんか』
ここまで来ていまさら何を言うのかと笑い飛ばしてやりたい。
とはいっても、自分は映画やドラマのように笑い飛ばせるタイプでもなく、「アッハッハ」と口先だけでも言えるような演技力もない。かといってスマホの画面に『アッハッハ』と表示させるのも雰囲気を壊してしまうだろうし、さすがに自分のキャラクターから逸脱しすぎている。
だから『大丈夫です』とだけ入力した。そして送信。またしてもそうしてから、本当に後悔はないのか、という思いがよぎる。私は大体浅慮だ。深く考えずに行動して、すぐにこれで良かったのかと不安になる。だったらもう少しよく考えてからにすれば良いのに。コガさんは「思い立ってすぐ行動出来るっつーのも大事だ」なんて言ってくれるけれども。私はいつも甘やかされ、大事にされ過ぎている。
しかし、私の指は『それ』に到達し、物語は始まってしまう。しばしの沈黙が、何かが起こりそうな予感を膨らませた。混乱していた頭はいつの間にか落ち着きを取り戻し、これから起こるであろう事柄に胸が高鳴る。
『楽しみですね。ここから先はAKIさんのペースに任せます。終わるまで無言でも構いません』
彼は文章だと語尾は伸ばさないのだな、などと当たり前のことを思った。
『わかりました』と返し、それから先はもう画面に触れることもなかった。




