♪27 彼女の秘密
「お、章灯から電話だぞ、コガ」
旅館の一室でテレビを見ていた長田は、テーブルの上で振動しているスマートフォンを見て、備え付けの冷蔵庫からビールを出している湖上に声をかけた。
「章灯ぉ? こんな時間に何だぁ? さては俺らが恋しくなったな」
ひっひっと笑いながら『応答』をタッチする。
「あいよぉ、俺の声が聞きたくなったかぁ?」「まぁ、そんなところです……」
湖上がわざとおどけた声で応対すると、電話の向こうから聞こえてくるのは章灯の暗く沈んだ声である。
「おいおい、その台詞の割に暗すぎだろ。何があったんだよ。アキと喧嘩でもしたのか?」
笑いながらそう言うと、「喧嘩の方がいくらかましです……」とさらに暗い声になる。
「ちょっと、おい、どうしたんだよ、章灯!」
いつもと違う章灯の様子に慌てていると、それを見た長田も心配になったようで、スマホに耳を近付けてきた。
「おい、オッさんと2人だからスピーカーにすんぞ?」章灯の返答を待たずにスピーカーに切り替え、テーブルの上に置いた。
腕を組んだ中年2人が見守る中、スピーカーからはぼそぼそと重く沈んだ章灯の声が聞こえてきた。
家に帰ったら、リビングでアキが熱を出して倒れてて、
夜間救急連れて行って、
着替えを手伝おうと思ったら突き飛ばされ、
さっき、汗かいただろうと思ってタオル持って行ったら、
寝ぼけてんだか何なんだか、目の前で脱ぎ始めて、
そしたら、胸にさらし巻いてて、
さらし取ったら、胸が出てきて、
コガさんには裸を見せてるとか言うし……
章灯がぽつりぽつりと話すのを、2人は相槌も打たずに黙って聞いていた。
湖上がちらりと長田を見る。――バレたな。長田はそんな目で見つめ返してくる。
どうやら話し終えたらしく、電話の向こうが静かになると、長田が口を開いた。
「黙ってて、ごめんな章灯」
「……どうして黙ってたんすか」
「事務所の方針ってやつでな」
「それは、《《本当》》ですか……」
「本当って、何だよ」湖上が腰を浮かせて口を挟む。
「寄せ、コガ。本当だ。この際だから言うけどさ、むかーし、男女2人組のユニット作ったことがあるんだよ、ウチの事務所。ギタリストがすっげぇ上手い女性でな。でも、ある日突然まったく売れなくなっちまった」
湖上は無言で座り直すとビールを呷った。
「所謂、圧力ってやつだな。日本じゃ結構この世界も男尊女卑っつーのかね、上手すぎる女のギタリストは受け入れられないんだと。ま、いまはわかんねぇけどさ」
「だから、アキを男ってことにしたんですか」
「メディアで一切しゃべらせないのもそのためだ。高い声の男もいるにはいるけど、用心に越したことはねぇし。衣装を指定するのも、身体のラインとかでバレないようにするためだし」
「……アキはそれで良いんですか」
「――っ、あのなぁ!」耐え切れず、湖上が声を上げる。
「俺らだって、アキが嫌なら無理強いなんてしねぇよ! アキもそれを望んでるんだよ!」
「望んでるって……」
「アイツ、昔っからそうなんだよ。コンプレックスなのか何なのかはわかんねぇけど。女扱いされたくねぇってよ。幸か不幸か、身体も女にしちゃあでけぇ方だし、声も元々低いしな。でも、男になりきるにも顔はしっかり女顔だし、ぶっちゃけどっちにもなりきれてねぇんだよな。アイツはいつも自分の容姿を気持ち悪いって言ってるよ」
「そんな……」
「アイツの店の名前、知ってんだろ。そういうことだ。アキはそういう感情を捨てていままでやって来たんだよ」湖上は吐き捨てるように言った。
『turn off the love』
アキに意味を聞いたことがある。アイツは『愛を消せ』という意味だと言っていた。
スーパーマンすぎると指摘した時に、欠陥だらけだと言っていたアキ。
「俺……、どんな顔してアイツと接したら良いんですかね……」
「お前にバレたこと、アキはまだ気付いてねぇんだろ? だったらいつも通り接すれば良いじゃねぇか」長田の冷静な声が聞こえる。
「無理ですよ……そんな……」
「アキの気持ちも汲んでやれよ。アイツがいままでどんな思いで隠してきたと思ってるんだ。お前の方が大人だろ」
「それは……そうですけど……」
「アキにバレたら、もう開き直れ。アイツも決定的証拠をつかまれたら観念するって言ってたし。まさか自分からバラすとは思わなかったけどな」
「アイツ、熱出すとだいたいわけわかんねぇ行動とるからなぁ……」
能天気な湖上の声でふと思い出す。
「――そ、そうだ! コガさん、アキの裸見たことあるんですか……?」
「え? ああ、だって、俺、アイツの親代わりだし。見るさ、裸くらい」湖上は何てことないようにしれっと言う。
「コガさんいっつもそれ言ってますけど……」
「だーかーらー、そのまんまだって! アイツ、ちっちゃいころに親亡くしてんだよ。んで、ずっと俺が育ててきたんだって」
「――え?」
「ついでに言うと、ギター教えたのも俺な。まさか俺より上手くなるとは思わなかったけど。ははは」
「はははって……」
「いや、最初は俺の真似してベースだったんだけどさ、ツインベースじゃセッション出来ないって話になって、ギターに転向したんだよなぁ。いやぁ正解正解」
「アキの親父さんって、俺らの先輩なんだよ。先輩っつーか、もう、恩人っつーかさ。そんな恩人の娘だぜ? 施設になんて預けられるかって。で、コガが引き取ったんだ」
「じゃ、郁さんも……?」
「当たり前だろ。なんで姉妹離れ離れにしなきゃなんねぇんだ」
「姉妹……。やっぱり郁さんも女なんですね……」
「何だ、アキ。まーた郁のこと兄キって言ったのか」長田がため息交じりに言う。
「ま、一卵性の双子なんだし、アキが男の設定なら郁だって男にしないとつじつまが合わねぇからな」
「俺は一体どれだけ騙されてたんだ……」
章灯はがっくりと肩を落とした。
「まぁ、そう言うなって。俺らはアキのこと『男だ』とも『女じゃねぇ』とも言ってないだろ? だから騙してなんかいねぇよ」湖上の声は完全に開き直りモードだ。
「そうだよ、俺らはいつだって聞かれたことに対しては正直に答えてたじゃねぇか」
「そりゃ、アキは『《《童貞》》』じゃないでしょうし、アキにとっちゃセックスは『《《彼女》》』とするもんでもないでしょうけど!」
「な? 嘘は言ってねぇだろ?」湖上はへへん、と得意気だ。
「はぁ……。こんな気持ちで今年を終えることになるとは……」
「逆に考えろって、コレですっぱり新しい年を迎えられるだろ?」笑い声混じりの長田の声が届く。
「そうかもしれませんけど……。でも、アキにバレるまでは悶々と過ごすことになりそうです、俺は」
「とりあえず、明日俺らもそっち行くからさ。今後のことはまた考えようぜ。明日から休みなんだろ?」
「はい、3日まで休みです」
「アキの看病も手伝ってやるよ」長田からのありがたい申し出にホッとしていると、横から湖上の怒声が飛ぶ。
「良いか章灯! アキが女だとわかったからって、ウチの可愛い娘に手ェ出すんじゃねぇぞ!」
「だっ、出しませんよ! いきなり女になんて見れませんって!」
「何だとぉ! 女に見れねぇたぁどういうことだぁっ!」どうやら湖上は結構な親馬鹿のようである。
「俺にどうしろって言うんですかぁ!」
「そうだぞ、コガ、ちょっと落ち着けよ」電話の向こうで長田が湖上をなだめている。
「俺は章灯だったら嫁に出しても良いと思ってるけどなぁ……」
「ちょっと! オッさん!」
「章灯だったら……うう……俺だってぇ……」湖上の声が小さくなる。
「あ、やべぇ、章灯。コガ酔ってるわ。ちょっとめんどくせぇからもう切るな。明日そっちには早めに行くから。俺ら4日まで休みだし。じゃ」
そう言うと一方的に電話は切られた。章灯は晶の部屋のドアにもたれたまましばらく放心していた。
……まずい。
これは、非常にまずい。
トイレに行こうと起き上がってふらふらとドアに向かうと、何やら章灯の話し声が聞こえ、晶は立ち止まった。どういうわけかドアの外で電話をしているらしい。
こんな時間に彼が電話をかける相手といえば……。
尿意を我慢しながら、息をひそめてドアに耳を当てると、相手の名前こそ出なかったが、内容ですぐに湖上か長田だとわかる。
内容は……、自分のことだ。
どうやら、女だということがバレたらしい。バレた、というか、バラしてしまったというか……。
ショックでか、それとも熱のせいか、身体が震えた。
しかも、口でバラしたのではなく、裸を見せてしまったらしい。この、貧相な身体を。
ドアの向こうが静かになっても、開ける勇気なんて微塵も湧いてこなかった。
まだドアの向こうにいるのだろうか……。
いつまでもここにいたって仕方ねぇな。
これも片付けないといけないし。
そう思って章灯は立ち上がった。床に置きっぱなしになっている洗面器と衣類に視線を落とすと、汗で濡れたさらしが目につく。
アイツ、1日中こんなん巻いてたんだよな……。苦しかったろうに。
言ってくれりゃ良かったのに。
……私、実は女なんです、ってか?
馬鹿か。言うわけねぇよ、アキだぞ?
腰を落として衣類をかき集めて抱え、再び立ち上がった時、ドアの向こうでガタンという音がした。
「――何だ?」
おそるおそるドアを開けると、何かにぶつかって開ききらない。わずかに開いた隙間から中を覗くと、床に手をついてしゃがみこんでいる晶の姿が見えた。
「アキっ?! おっ、おい、大丈夫か!? アキ、おい! とりあえず、そっち行くから、少し避けれるか?」
章灯が声をかけると、晶はずりずりと後退した。充分に離れたことを確認してからゆっくりとドアを開ける。
「どうした? 何かあったら俺を呼べって言ったろ」
室内に入って隣にしゃがみ、背中をさすりながら顔を覗き込む。
「その……トイレに行こうと思って……」
そう言って自力で立ち上がろうとするも、どうやらまだ上手く力が入らないようである。
「無理すんな。連れてってやるから。さすがにトイレの中にまでは入らねぇから安心しろ」
晶の左腕を首にかけ立ち上がらせる。さらしのせいで正直胸はわからない。硬くて、むしろ男のようだ。
そりゃ軽いはずだよなぁ。女だもんな……。
晶が女だと思うと、いま自分の置かれている状況がかなり異質なものに思えてくる。
俺は何平気な顔して女抱えてんだ? ていうか、そもそも一つ屋根の下で一緒に暮らすとか。付き合ってもいねぇのに。
「――章灯さん?」
自分の腕を首にかけ腰をかがめた姿勢で固まっている章灯を、晶は不思議そうな顔で見つめた。
「女だとわかったら、気まずくなっちゃいましたか?」
心の中を見透かされたような声が聞こえてどきりとする。
もしかして、さっきの、聞いてたのか?
何であんなところで電話したんだ! 馬鹿か! 俺は!
「ごめん……」
「謝らないでください。黙っていたのはこっちです。すみませんでした……」
うなだれる晶を立たせると、一度ちらりと顔を見て、すぐに逸らした。
「と……、とりあえず、いまは治すことに集中しようぜ、お互い。俺もまだ混乱してるからさ。明日、コガさんとオッさんも看病しに来てくれるって言うし。……2人がいた方が落ち着くだろ?」
俺よりも、という言葉は何とか飲み込んだが、俺って卑屈なやつだなぁと思った。
「……わかりました」
消え去りそうな声でそう呟いたのを聞いて、章灯は晶をトイレに運んだ。
晶を寝かせてから自分の部屋に戻る。電気を消しベッドにごろりと寝転がってみたが、身体は疲れているはずなのに眠れない。
アキが女だとわかった時、認めたくないけど、ほんの少しだけホッとしたのは事実だ。
共同生活が始まってかれこれ2週間弱。アキが作った料理を食べる度に、こいつが嫁だったらなぁなんて考えたりもしたし、本人に言ったこともある。もちろんそれは、冗談のつもりだったけど。だって、男だと思っていたわけだから。
アキが何気なくギターを弾くだけでも、すげぇカッコ良くて目が離せなかった。所謂、見とれてたってやつだ。クリスマスのライブ中も妖艶なパフォーマンスにどきりとした。
俺は、何度も『もしかしたらそっちの気があるのかもしれない』なんて冷や冷やしてたんだ。
アキが女っつーことは、別に、そういう気持ちを持ったって良いってことなんだよなぁ……。
――いやいや待て。待てって! ついさっきまで男だと思ってたんだぞ? お前は何いきなり切り替えようとしてんだよ!
手に握った携帯をちらりと見る。
「電話……鳴らねぇな」
何かあったら、必ず呼べ。部屋を出る前に何度も釘を刺したが、さすがにもう朝まで起きないだろう。
明日は看病を2人に任せて、俺は掃除に徹するか。
そう思い、章灯は瞼を閉じた。




