♪3 仕返しの針
洗いざらしの柔らかな髪を撫で、晶は、ふぅ、とため息をつく。章灯の方はすっかり落ち着いたようで彼女にされるがままだ。こんなに心静かにいられるのも『一時停止』が保たれていてこそなのだが。
「……頑張りましょうよ、もう少し」
「……やだね」
晶は一摘みした彼の髪をふるふると振る。まるで白旗を振るかのように。
「世の中には……」
「ん? 何だいきなり」
「意外性、という言葉があって……」
「……? おう、あるな」
これくらいの脈絡のなさにはもう慣れっこである。
「ですから、その……、章灯さんにそういうところがあると……」
――成る程。
やっと合点がいったと、章灯は肩を震わせながら首を上げた。太腿に突如伝わって来た微振動に晶は怪訝な顔をして彼の顔を覗き込む。するとさっきまでの恐怖に歪んだ表情はどこにもなく、章灯はいつもの――彼女を茶化す時の少年のようないたずらっぽい笑みを浮かべているのだった。
「わかった」
「……何がですか」
「アキの言いたいことはもう全部わかった」
ひひひ、と意地悪く笑うと、晶はそんな彼の顔が視界に入らないようにと顔を背けてしまう。伝えるつもりで話したというのに、いざ伝わってしまうととてつもなく恥ずかしいのである。
「わかったんなら、それ以上言わないでください」
髪の隙間から見える耳の赤さを確認し、章灯は再びクッションに顔を埋め、クックックと肩を震わせる。さすがに大声で笑うのは失礼だろう。
いつもの彼なら、その言葉を素直に聞いてここで止める。だが――、
「弱いとこ見せて、オンナノコ達の母性本能くすぐっちゃったらどうしようって思ったんだろ?」
仕返しだ、とばかりに突いてみる。いまにも破裂しそうな程真っ赤に腫れ上がったその頬を、それはそれはもう鋭利な針で。ぷすりと、ひと思いに、ちくりとした痛みと共に。
「うっ……」
彼の針は彼女を的確に突いたらしい。ぴんと伸びていた背筋がほんの少し前方に傾ぐ。
「あるもんなぁ、ギャップ萌え……。うんうん、確かにこの部分に関しては俺は何とか隠しきって来たからな。さすがにかなりの高低差だ」
「うぅ……」
章灯が口を開く度、徐々に角度は狭くなる。彼は自身の頭に感じる心地よい重みを愛おしく思った。
「……しったげめんけぇなぁ、おめぇは――よぉっ」
クッションと柔らかな膨らみの間でくるりと回転した章灯は、わざと郷里の言葉を話しながら晶の身体を包むようにして強く抱きしめる。もちろんこれくらいの意味はもう晶だってわかっている。
「俺のしょしぃどこ見したってな、そいで回りが何としゃべったってな、俺は俺だなや。アキどこ好ぎなごとも大事に思ってるごともなーんも変わらねし、アキからの気持ちが無ぐなるども思ってねぇよ」
「――章灯さん? さすがに私、そこまでは」
翻訳をお願いします、と晶は言ったが、章灯は頑なにそれを拒んだ。仕返しにと放った針は、彼女の頬を貫通して、あろうことか自分にまで刺さってしまっている。それでも方言のフィルターをかければどうにかなるんじゃないかと思ったのだ。だが、そんな薄い薄いフィルターなどオブラートよりも頼りなく、張り替え時期を逃した網戸よりも容易く外敵を侵入させてしまう。いつまでも一途に自分を想う愛しい妻の可愛らしさの前には、とにかく無力だった。
「――わかった。絶対に大丈夫だから、俺に任せろ」
毅然とした声でそう言うと、晶は驚いたような顔をして章灯を見た。正確には、自分にしがみつくようにして抱き付いている彼の後頭部を、だったが。
「大丈夫って……?」
「何とかする、絶対に。テレビの前ではこんな情けない姿は絶対に見せねぇ。だから、安心しろって」
「わ……わかりました……。え――……っと、では、再生を……?」
「それはしなくて良いから!」




