♪24 台風的小悪魔
「あ~、晶君出て来たぁ!」
千尋は店のエプロンを着けて箒を持っていた。
「掃除してくれてたのか」
「掃除もしたし、接客もしたよ~。ペアリング、2組様、おっ買い上げぇ~」
千尋は笑顔でピースサインを作る。
「あら、晶さん。お疲れさまでした」
店の前を掃いていたらしい紗世が箒を片手に入ってくる。
「千尋に店番お願いしてたんですよ。この子、愛想《《だけ》》は良いので」
紗世に褒められ、千尋は胸を張って得意気な顔をした。
「……バイト代出すから、一日中働いて行けば」
素っ気なく言うと、千尋は口を尖らせて頬を膨らませる。
「お金なんていらないもんっ! 一緒にクリスマスやろうよぉ~」
「千尋! わがまま言わないの! 晶さんだって予定があるんだから!」
紗世は千尋の箒を回収し、自分が持っていたものとまとめて掃除用具用のロッカーへしまう。
「晶君なんてい――っつも家にこもってるだけじゃん! 今日ぐらい良いでしょぉ~!」
千尋は晶のシャツの裾をつかむとバタバタと振る。
「ちょ、放せ! こら! もう、わかった! わかったから!」
わかった、の一言で千尋はパッとシャツを放して勝ち誇ったようににんまりと笑った。
「いま、わかったって言ったよね? 言ったよねぇ? ぐふぅ」
両手を口元に当てて、ぐふぐふと笑った。「じゃ、デートしよう、デート!」
「……絶対2人きりにはしないからな」
観念したようにつぶやきスマートフォンを取り出すと、着信履歴から長田に電話をかける。
「ちぇっ、オッさん付きか……」
画面に表示された『長田健次郎』の文字を目ざとく見つけ、千尋は並べられているペンダントトップを指で突きながら恨めしそうに言った。
長田が出るのを待ちながら、突かれ続けているトップをつまみ上げると、不思議そうな顔をしている千尋を無視して、それを紗世に手渡す。
晶の行動の意味を理解した紗世は申し訳なさそうな顔をしてレジに金額を打ち込む。晶は携帯を肩で挟んで財布を取り出すと、万札で支払い、小声で「包んでください」と伝えた。
紗世は先に釣りを手渡すと、慣れた手つきで手早くラッピングをし、クリスマス用のリボンをかける。紙袋に入れようとしたのを空いている手で制し、そのまま受け取ると、電話中だからとじっと口をつぐんでいる千尋を無言で手招きした。
千尋が首を傾げてトコトコと向かって来るところで、やっと長田と繋がった。
「オッさん、すみません。お忙しいところ……」
長田と会話しながら、小箱を持った手で千尋の右手を突く。千尋は黙ったまま不思議そうな顔で右手を晶の前に出した。
「急に申し訳ないんですけど、いま空いてますか? 家族サービス中ですか?」
差し出された右手に小箱をちょこんと乗せると、千尋は一瞬何が起こったのかわからないような顔をした。
「いま、千尋が来てて……。はい、もしよろしければ……。わかりました。助かります」
そう言って電話を切ると、待ってましたと言わんばかりに千尋が飛びついてくる。
「んもぉ~! 晶君好き好きぃ~!」
「――はぁ? 何だいきなり」
本気でわけがわからない、といった顔をして困惑している晶を紗世は呆れた顔で見つめる。
この人はこういうことを天然でやっちゃうのよねぇ……。こういうのを天性のプレイボーイっていうのね、きっと。
「ほんとすみません……」
長田が待ち合わせ場所の品川駅に着くと、ぐったりとした晶が出迎えた。その腕にはぴったりと千尋がくっついている。
「車はどうした?」「店に置いて来ました……」
疲れ切っている晶とは対照的に千尋はにこにことご機嫌だ。見ると、反対側の手にはたくさんの紙袋を持っている。『PINK POISON』というそのブランドからしても、それがすべて千尋のもので、さらに《《持たされている》》のは明白だった。
まさか、買わされたということはないだろうが、と思いつつ、「とりあえず、乗れ」と声をかける。
晶が助手席のドアに手をかけると、千尋が腕を引っ張って阻止した。
「ダ~メ~、晶君は千尋の隣に乗るのっ!」
もはや反論する気力もないようで、返事もせず、後部座席に乗り込んだ。
今日はまた一段と大変そうだな……。
2人が乗り込んだのを確認して、長田は車を発進させた。
「千尋、今日はまた随分とご機嫌だな」
ルームミラーでぐったりした晶と、つやつやしている千尋を見比べながら言う。
「えっへへぇ~。晶君にクリスマスプレゼント買って貰っちゃったんですぅ~」
千尋は両手を頬に当ててくねくねと身をよじり、満面の笑みで答える。
「アキが? そりゃ珍しいな。もしかしてさっきの大量の紙袋か? たかりすぎだろ、千尋」
「違うもぉん。ほらぁ~、コレぇ~」
長田がミラーでこちらを見ていることを見越して、首に掛けたチョーカーをアピールする。かなり得意気なその表情が正直鼻につく。
「ほぉ、アキの店のか」
細かいデザインまではさすがに見えないが、晶がわざわざ他店のものを贈るわけがない。おそらく店にいる時に千尋がやって来たとかでプレゼントを余儀なくされたのだろう、と推測する。
「そうなのぉ~。でねでね? もう、渡し方がカッコ良くって! 私が良いな~って見てたら、サッとレジに持って行って、プレゼントしてくれたんですよぉ~。ちょうどオッさんとお話してる時にっ」
「あん時か!」
「そ~なのぉ~! 何て言うかぁ、電話中だったから、こっちに目線くれるわけでもないんだけどぉ、そこがまたクールでスマートでぇ~!」
「……成る程なぁ……」
たぶんアキの中では、うるさいから何か与えとけくらいの対応だったんだろう。
ただ、お前がやると逆効果なんだよ! 良い加減気付け、アキ!
「……オッさん、どこに向かってるんですか?」
シートに身をあずけぐったりとした晶が口を開いた。
「――え? お前ん家」
ミラーで晶の顔を見ながら言う。「だって、お前見るからに限界だろ?」
「えぇ~? 晶君のお家ぃ~? やだぁ、替えの下着持ってくれば良かったぁ~」
そう言うと、千尋は晶の胸にもたれかかった。晶はそれを剥がそうとするが、あまり力が入らないのだろう、やがて観念したように首だけを背けた。
「……章灯さんが帰って来る前に帰れ」
「えぇ~。せっかくだからぁ、章灯さんにご挨拶し~た~いぃ~」
胸にもたれたまますがるような視線を送る。
「ダメだ。お前がいるとややこしくなる」
「だってぇ、ほら、ブラジャーでお世話になったしぃ」
ブラジャーという単語で昨日の章灯の話を思い出す。
「何だ、あのブラジャーって千尋のだったのかよ」
「んもう! 私以外に誰がいるんですかぁっ?!」
そう言うと千尋はぷくぅと頬を膨らませた。
その辺の女の子がやると可愛いんだろうけど、何でこいつがやるとこんなにむかつくんだろう。
あのコガですら無理って言ってたからな……。まぁ、無理もねぇな。
「何か適当にケーキでも買ってくか?」千尋を無視して晶に問いかける。
「クリスマスですし、どこも予約必須なんじゃないですかね。レアチーズで良ければ作りましょうか」
「えっ? 晶君のケーキ? 食べたい食べたい~っ!」
晶の胸にぴたりと頬をくっつけ、千尋が叫ぶ。
「……もうお前黙れ」うんざりした声で晶が呟く。いつもよりもうんと低く、疲れのせいかドスがきいている。
「キャー! そんな晶君もカッコ良い~!」
晶はもう何を言っても無駄だと悟り、目を閉じた。
だから、アキ、そういうのなんだって! お前は!
無自覚ってやつは本当に恐ろしい。
そう思って長田は深いため息をついた。
「え――……っと、コレは、女物のブーツ……だよな……?」
家の前の駐車スペースには長田の車しかなく、その上、玄関を開けて真っ先に目についたのは明らかに女物とわかるブーツだ。当たり前のように長田と湖上の靴が散らばっている中で、そのブーツだけはきちんと直立し、実に行儀良く揃えられている。
いつものように2人の靴を揃えていると、隅には晶の靴も置いてあることに気付いた。
「何だ、いるんじゃないか」きちんと揃えられてはいないものの、この2人に比べれば、たいそう行儀が良い。
「アキ、車はどうしたんだろうな……」
そう呟きながら、リビングのドアを開ける。「ただいま……」
「はぁ、やっと帰ってきたな」
「待ちくたびれたぞ、章灯」
珍しく湖上と長田が疲れた顔でこちらを見ている。その2人の間には、真っ赤なチェックのワンピースを着た可愛らしい女の子がちょこんと座っていた。章灯に向かって満面の笑みでにこやかに手を振っている。仕事柄、可愛い女の子を目にすることは多いのだが、この子もまたかなりレベルが高い部類に入るだろう。
「あ~! お帰りなさぁ~い!」
「え? あ、ああ、どうも……。あの、コガさん、この子は……?」
「ああ、こいつはな……」
うんざりしたような顔で湖上が話し始めると、にこりと笑って、その口を右手でふさいだ。
「小林千尋でぇ~すっ。晶君の『彼女』ですぅ~」
そう言うと千尋は湖上の口から手を離し、両手を頬に当て、首を傾げた。
うわぁ、アキ、こういう子が趣味なのかよ……。意外すぎる……。
俺は無理だな、そう思ったが、相棒の彼女だもんな、と、精一杯の営業スマイルを作り、「よろしく」と言った。
ちらりと湖上と長田を見ると、千尋に気付かれないように顔をしかめて首を横に振っている。
何だ? 違うのか?
「――で、アキは? もう寝たんすか?」
この子が本当に彼女なのか否かは本人に聞けばわかることだ。しかし、当の本人の姿がない。きょろきょろと辺りを見回す。
「アキは……、これ作った後でダウンした」
長田はローテーブルの上のケーキを指差して苦笑した。
「ケーキ……? ケーキまで作れんのかよ! アイツ!」
ネクタイを緩めながらテーブルの上のケーキを覗き込み、声を上げた。
すっげぇ、昨日食べたやつみてぇ……。
「ほら千尋、アキに言われたろ、もう帰れ」湖上はまるで虫でも追っ払うように手を振った。
「いーや! 泊まるぅ!」
「アキに怒られるぞ、千尋。章灯に挨拶したら帰るって約束だったろ」長田もそれに乗っかる。
千尋は上目遣いに章灯を見つめ、助けを求めている。
いや、そんな目で見られても……。何かこの子全体的に仕草がわざとらしいな。
「千尋ちゃんだっけ? アキに何言われたか知らないけど、怒られんの嫌だろ?」
この子が本当にアキの彼女なら別に泊まらせても良いのだが、この2人がここまで必死に帰そうとしているところをみると、何かあるのかもしれない。
「むぅ~」千尋は口をとがらせ、頬を膨らませて腕を組んでいる。
「ほら、オッさん、送ってやれって」そこですかさず湖上が言う。
「仕方ねぇな。ほら、送ってやるから。帰るぞ、千尋!」
長田は千尋の腕をつかんで立ち上がらせた。
――お? この子意外とでかいんだな。アキよりは……ちょっと低いけど。
千尋はしぶしぶ立ち上がり、スカートの裾を直すと、章灯の方をじっと見つめて「昨日は驚かせちゃってすみませんでしたぁ」と言った。
「昨日……?」
意味がわからずきょとんとしていると、千尋は長い睫毛でウィンクしながら「私のブラジャーです」と言い、すたすたとドアに向かって歩き出す。
「じゃ、皆さん、メリークリスマスっ!」
最後にそう叫ぶと、長田に引っ張られ、出て行った。
静寂が訪れたリビングでしばし呆然としている章灯に湖上が「とりあえず、着替えて来い」とため息交じりに声をかけた。




