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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅴ crazy for you (2011)
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♪12 もしかしたらいつか

「先輩、櫻井さんにはお会いしたことあるんですか?」

 ぼぅっと『冬佳景』を見つめたまま動かなくなってしまった章灯しょうとにしびれを切らした明花さやかが、明るい声で問いかける。その声で我に返った章灯は無理矢理笑顔を作って頷いた。「一回だけね」

「えぇー? いいなぁ! どんな方なんですか?」

「うーん。思ったより若い人だったよ。確か……25、6とかそれくらいだったかな」

「そうなんですね。そんなに若いのに個展が開かれるなんて……」

「腕が良いんだよ。構図も素晴らしいし。ほら、これなんかどうやって撮ったんだろって思うだろ?」

 章灯が指差したのは『けあらし』というパネルである。海面から白く立ち上る霧を写した一枚だ。パネル下部には荒れた冬の海がおさめられており、まるで海面に寝そべって撮影したかのような印象を受ける。

「よほど性能の良い望遠レンズを使ったか、あるいはドローンか。これもすごいぞ。垂直に切り立った崖に咲いている花」

 楽しそうに次々とパネルを指差す章灯を見て、明花は安堵の表情を浮かべた。


 ここ最近の先輩は何かおかしい。らしくないミスも多いし、デスクでもぼぅっとしていることが増えた。偶然目に入った引き出しの中も雑然としている。絶対何かあったはずだけど、先輩はもう日の出テレビのアナウンサーだけではない。大きな舞台でたくさんの人を魅了するアーティストなのだ。一介の女子アナなんかには想像も出来ないような辛いことがあるのだろう。

 例えば私だったら、美味しいものお腹いっぱい食べられれば嫌なことなんてすぐに忘れられる。でも先輩はそういうタイプじゃない。それで治るんだったらあきら君のご飯でとっくに回復してる。

 私のことが好きじゃなくても良い。他の人を好きでも良い。先輩には笑っていてほしい。


「先輩、あっちに櫻井さんのインタビューのパネルがありますよ」

 ごく自然に取られた腕を振り解くこともなく、彼女に引っ張られるまま、章灯は奥へと歩いていった。


 すっかり流されちまってるなぁ。


 自覚はしていた。

 けれど、こういうデートはもう数年ぶりで、楽しくないと言えば嘘になる。この個展だって本当なら晶と来たかった。しかし『男同士』で入るにはかなりハードルが高く、かといって女らしい恰好をさせてカップルとして行くのも厳しい。『日のテレアナウンサーの山海(やまみ)章灯』としては恋愛は自由だが、『ORANGE RODのSHOW』としては……。

 絶対に隠さなくてはならないのだ。彼のスキャンダルは彼一人のスキャンダルではないのだから。


___


「昨日は大丈夫だったか?」

 湖上(こがみ)から電話がかかって来たのは正午を少し過ぎた頃のことだった。大方いま起きたのだろう。

「大丈夫です。……たぶん」

「たぶん?」

「朝ちゃんと起きて仕事に行きましたから」

「ほぉ。土曜なのに仕事か。OR関係か?」

「たぶん違うと思います。スーツでしたし」

 そう、スーツで出掛けて行ったのだ。『後は頼んだ』と言われてしまったからというわけではないが、朝食を食べる元気があるかどうかまでは見届けるべきだろうと、気合いを入れて早起きをし、キッチンに張り込んでいたのである。よくよく考えてみれば、何時に起きるとも何時から仕事だとも聞いていないというのに。

「スーツで仕事か。ま、人気アナウンサー様だし、忙しいんだろ」

 嫌みっぽくそう言って、湖上はヒヒヒと笑った。


 人気アナウンサー。それは間違いない。

 すらりとした長身に、決してイケメン過ぎない容姿――と言えば失礼にあたるのだろうが、アナウンサーとしては度が過ぎる美男はあまり好ましくないようだ。ニュースを読み上げる時はきりりと隙無く弁舌も爽やかで、緊急速報にも動じず対応出来る力もある。しかし、バラエティのコーナーでは、なかなかに不器用な面をちらりと出してしまうといった天然ぶりを発揮したりもし、どうやらこのギャップが受けているようだ。それに加えて眼鏡を外せば激しいロックを歌う人気ヴォーカリストである。

 章灯さんはいつも「ウチの女性ファンは皆お前目当てだな」と言うけれども、そんなことはない。自分のファンのようにぐいぐいと前に出ないだけで、彼の声に心酔し、熱い視線を向けてくる女の子達をステージの上からたくさん見てきたのだ。


 ――もしかしたらいつか、こんな偏屈な自分なんかより女らしくて素直で可愛らしい女性が現れて、その人のところへ行ってしまうのではないだろうか。


 そんなことを考えて、晶はぶるりと身震いをした。



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