♪6 わからない
「おいおい大丈夫なのかよ……」
久し振りに顔を出した湖上と長田と向き合って、章灯は晶の作った料理を口に運んでいる。色々なことが起こりすぎて服を着替える余裕も無く、ネクタイを緩めたスーツ姿のまま、温め直した味噌汁に口を付けた。彼にしては珍しく無造作に投げ出された鞄の中から飛び出した『ニンジャ・テイルズ』の台本を目ざとく見つけた湖上の質問攻めにより、絶対に口外しないことを条件にして声優に抜擢されたことを告白したのである。
「章灯、お前演技なんか出来んの?」
例の如く、晶は早々に自室へと引っ込んでしまい、男3人だけとなってしまったリビングは、やはり何だか華やかさにかける。別に普段の晶は特別女らしい恰好をするわけでもないというのに、やはりいるのといないのとでは大違いなのだった。
「出来るか出来ないかで言ったら出来ませんよ、もちろん。でも、やるしかないじゃないですか……」
どっぷりと疲れをにじませたトーンでそう答える。いつもの愛想笑いも無いその様子に湖上と長田は顔を見合わせた。
「おいおい、随分やられちまってるじゃねぇか」
「いつもの営業スマイルはどうしたんだよ、章灯」
「営業スマイルって……。何で自宅で営業しないといけないんですか。さすがに店じまいですよ、俺だって」
それでも一応笑顔は作っているつもりだった。だったのだが、明らかに引き攣っているその表情は誰がどう見ても痛々しいだけである。
「何だよ章灯。今日はお前の1位おめでとう会だってのによぉ」
「そうだったんですか?」
「そらそうよ。ってか、お前今日の献立見ても何とも思わねぇのか」
そう言われてみるとテーブルの上に並んでいるのは彼の好物ばかりである。いつもの自分だったらテンション高く晶に礼と感謝の言葉を述べていたはずなのだが、まるで作業のように、黙々と口へ運んでしまっていたことにいまさら気付く。もしかしたら晶が早々に退室してしまったのは、そんな自分の態度のせいもあったのかもしれない。
何てことをしてしまったのか。
確かにここ最近は、何だかまともに顔を合わせることも出来なくなっていて、会話も挨拶や最低限の業務連絡ぐらいしかしていない。だからといって彼女を嫌いになったわけでもないし、大切に思っていることに変わりはない。今日だってもしかしたら、いまの関係を打開するきっかけになったかもしれないというのに。
「どうしたんだ、お前。いや、お前ら、か」
冷めても味の落ちない唐揚げをひょいとつまみ、呆れたような声で長田が問い掛けて来る。
「いえ、別に」
「おうおう、とうとう章灯も『別に』を使うようになっちまったか。でもなぁ、その裏の意味なんて俺らにはもうバレバレなんだからな?」
湖上もまた長田に続いて唐揚げをつまむ。そして栓を開けたばかりのギネスに口を付けた。
「……わかんないんですよ」
箸を置き、ぽつりと呟く。こんなにも好物ばかりが並ぶ食卓で、こんなにも箸が進まないことは初めてだった。両手で顔を覆い、深いため息をつく。そんな彼の様子を見て、2人は顔を突き合わせた。
『おいおい、重傷じゃねぇか』
『どうなってるんだ』
アイコンタクトでそんなやり取りをしている間にも、章灯のため息はどんどんと量産されていく。このままではこのリビングが彼のため息によって占拠されてしまうだろう。
「どうしたんだよ、章灯。おい、とりあえず飲め! な?」
「待て、コガ。お前はそうやってすぐ酔わせようとする」
「え~? いいじゃねぇか、この方が手っ取り早くてよぉ」
「馬鹿か。こんな状態で飲ませたら悪酔いするに決まってんだろ!」
「そんなこと、下戸のオッさんにわかんのかよ」
「わかるに決まってんだろ! いままでお前をよぉーっく見て来たんだからな!」
突如始まってしまった口論で、章灯はすっかり蚊帳の外である。2人が明後日の方を向いて口角泡を飛ばしまくっているのを尻目に、章灯は恐らく自分のために用意されているのであろう未開封のギネスを手に取った。
ポン! という栓の抜ける小気味良い音で、2人は同時に章灯を見る。「あ」と湖上と長田が同時に声を上げた。彼を止めようと伸ばした長田の手が肩に触れる前に、章灯は瓶に口を付け、そのまま天を仰ぐようにしてアルコールを体内へと送り込んだ。
いつもイベント系をことごとく逃しまくっているので、そこにだけ焦点を当てた話を書きました。タイトルは『果樹園の指と釣具店の声 ~THE DAY~』です。第1話はハロウィンです。本編以上の不定期連載となりますが、この2人がイベントをどのように過ごす(過ごした)のか、御興味のある方はぜひ。
何年の話かは限定しません。「何かしらの事件/出来事と時期的に被ってない?」と疑問に思われても、そこは大人の対応をお願いいたします。ある意味パラレルワールドだと思ってください。




