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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅳ my girl (2011)
217/318

♪24 落ち着け

 落ち着け。

 落ち着くんだ、章灯しょうと

 これは何だ。

 どういう状態なんだ。

 ここから俺はどうすればいいんだ。


 章灯の部屋である。

 さらに言うと、彼のベッドの上である。

 彼の眼前には真剣な――いや、思い詰めたような表情のあきらの顔が迫っている。どれくらいの近さかと問われれば、まぁ、彼女の長い睫毛が上下する度にそのわずかな影をしっかりと確認出来るほどの距離である。しかし、2人仲良く寝転んで――という状況ではない。

 さてそろそろ寝るかという段になり、先に部屋へと入った章灯は遅れてくる晶を待って、ベッドの上に腰掛けていた。そこへ後からやって来た晶は、どういうわけだかその何やら思い詰めた表情のまま、無言でじりじりと彼に迫った。章灯はそのあまりの気迫に少しずつじわじわと後退し、薄い部屋着越しに伝わるひやりと硬い感触に、彼はこれ以上の逃げ場が無いことを悟ったというわけである。


 何なんだよ。


 そう口を開こうとした時、章灯は晶が右手を強く握りしめていることに気付いた。


 え!? 殴られんの、俺!?


 確かに晶の行動はいつも突飛である。彼女の中では整合性があるとしても、とにかく言葉が足りない。『一から十まで説明しないとわからないの?』と昔付き合った彼女にも手厳しく指摘されたことのある章灯ではあるが、これでは多く見積もったところでせいぜい二くらいまでしか説明されていないだろう。


 アキの中で何がどう繋がって俺は殴られることになってるんだ?


 そんなことを考えている間にも、予想通り、彼女の拳は真っすぐ自分の方へと向かって来るのである。章灯は思わず目を瞑った。


 ――が。


 軽い打撃音は聞こえた。それに伴って、微かな壁の震えも伝わって来た。

 しかし、顔はおろか、頭のてっぺんからつま先まで痛いところなど一つも無い。

 そしてゆっくりと目を開けると、先に説明した通りの状況であったというわけである。

 我が身に振り下ろされるとばかり思っていた彼女の拳は、彼の左耳数cmというところに突かれており、どうやらそれを支えにしているようである。

 ――つまり、『壁ドン』の姿勢なのであった。


 ちょっと待て。

 ちょっと待て。

 とりあえず、現在の状況は理解出来た。出来たけれども。これって普通男が女にやるもんだよな? あれ? それとも、いまは男女逆のパターンが流行ってるのか? いやいや、そもそもアキって壁ドン知ってるんだ。意外だなぁ……ってのん気に考えてる場合じゃねぇよなぁ。

 

「アキ……あの……どうした……?」

 勇気を振り絞って問い掛けてみるも、応えは無い。

 いつになく真剣な表情の晶は、何だか苦しそうにも見えた。

 つるりとしたきめ細やかな肌はほんの少し上気し、真っすぐに自分を見つめる瞳は涙の膜でうっすらと潤んでいる。

 ――化粧なんかしなくても。

 ふと、そう思った。化粧なんかしなくても、アキはやっぱり女だ。

 柔らかそうなその頬に触れようと右手を伸ばす。しかし、章灯の指が晶の肌に届く前に、それは彼女の手によって阻止された。「動かないでください」

「は……はい……」

 ぴしゃりと釘を刺されてしまう。


 何なんだ。

 どういうことなんだ。

 その状態でさらに数分。

 さすがにしびれを切らした章灯がわずかに姿勢を立て直し、軽く咳払いをした。

「なぁ、アキ――」

「――今日は!」

「えぇっ?」

 被せ気味に発せられた彼女の声は何だか真っすぐにぴんと張られた糸のようだった。うかつに触れば血が滲んでしまいそうなほどにきつく、しかし、負けじと押さえつければぷつんと切れてしまいそうなほどに脆く。

「今日は……私が……しますから」

「はぁ?」

「ですから! 今日は私が全部しますから!」

「ぜ……全部って、何……を?」

 そう言ってからいまの状況を思い出す。混乱し過ぎて鈍くなっている頭がやっと通常運行に切り替わり、晶が『全部する』ことが何なのかに気付いた章灯は、彼女に握られたままの右手をゆっくり振りほどいた。そしてその手を晶の顔の前にかざす。

「――いっ、いやいやいやいや! ダメダメダメダメ! 嬉しいけど、それはダメ! ちょっと落ち着けってアキ! どうしたんだよ急に!」

 壁に突かれていた手を取って無理やり体勢を立て直させてみると、彼女の身体は思ったよりもガチガチに緊張していたようだった。華奢な肩に手を乗せ、その緊張をほぐすようにゆっくりとさする。

「どうしたんだ。コガさんに何を吹き込まれたんだ、今度は」

 どう考えても原因はあの人しかいない。

 隠し子騒動が落着したかと思ったら、次は何なんだ。

 そんな思いでため息まじりに問い掛ける。


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