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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅳ my girl (2011)
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♪5 お酒を下さい

「アキ、違うんだ。これはな……」

 自分を呼ぶカナの声で浴室からひょっこりと顔を出した湖上こがみは、無表情でこちらを向いているあきらの姿を見て、とりあえず否定の言葉を発してみる。

 しかし一体何が違うと言うのだろう。

 晶がプレゼントしたエプロンを着けているセーラー服姿の少女。

 そして、全裸の自分。

 おまけにその子は自分をこう呼んだのだ。

 パパ、と――。

 ここから一体どんなミラクルが起こればこの窮地を脱出することが出来るだろう。とりあえず、服は着ても良いだろうか。

「ねぇ、パパ、この人どなた? すっごいイケメン~! 紹介してよぉ、ねぇ、パパったらぁ」

 人の気も知らねぇでのん気なもんだ。

 パパと呼ばれる度、晶の顔付きが険しくなっていくのがわかる。晶はほとんど感情を表に出さないタイプだが、そういう人間が『端から見てもわかるほど』に感情を剥き出しにするというのは、大体がもう手遅れである。

「別にコガさんの人生ですから」

 やっとそれだけ言って、晶はくるりとUターンし、一応カナに軽く頭を下げてからツカツカと部屋を出て行った。

「ちょっ、ちょっ、待っ……! アキ……っ!」

 タオルで股間を隠し、湖上は慌てて浴室から飛び出した。そしてそのまま後を追おうとして、カナに止められる。

「放せ! アキが! アキが――――――――――――――――っ!」

「もう、馬鹿ぁっ! 服着ないと、警察呼ばれちゃうぅ~~~~~~~~っ!」



 頑張った。

 我ながらよく頑張った。

 話の内容の80%がどうでもいいことで構成されていることで有名なベテラン構成作家との打ち合わせを、3時間20分という驚異的な速さで終了させた章灯しょうとは満足気な表情でハンドルを握っている。時刻はなんとまだ21時半である。

 この時間ならきっとまだアキも起きてるだろう。

 そう思って何の記念日でもないというのにケーキまで買ってしまったのである。偶然発見した『メリーゴーランド』という名の小さな洋菓子店は、出来たばかりなのかネットにも載っておらず、ちょっとした穴場である。そこの『回れ、姫君』というチョコレートケーキが晶の大のお気に入りであった。ケーキの名前が見た目や味に全く関係がないということと、少々言うのが恥ずかしいのを除けば、本当に美味い店なのである。

「あれ、電気が消えてる……」

 正面から見えるリビングは真っ暗だった。こんなに早い時間なのにもう寝てしまったのかと思ったが、もしかしたら自室にいるのかもしれないし、案外地下室でギターを弾いているのかもしれない。明日は晶もオフのはずだから、まさかもう寝るなんてことはないだろう。

 そう高を括って揚々と玄関を開ける。色んな方向へ脱ぎ捨てられている彼女の靴をきちんと並べ、その隣に自分の靴を置いた。

「アキ~、まだ起きてるか~」

 真っ暗なリビングに入り、電気のスイッチを手探りで探しながら、晶の部屋の方を向いて声をかけた。ヘッドホンさえつけていなければこれくらいの声でも充分に聞こえるはずだ。

「アキの好きなケーキ買ってきたぞ。起きてるなら一緒に――――ぃいっ?」

 探り当てたスイッチを押すと、リビングは昼白色の柔らかな光に包まれた。その中に現れたのは、ソファの上で膝を抱えている晶の姿である。

「あぁぁアキぃっ! 電気も点けねぇで何やってんだ!」

 あまりの衝撃に危うくケーキの箱を落としそうになったが何とか持ちこたえ、章灯は慌てて晶に駆け寄った。

「もしかして、俺の帰りが遅くて拗ねちゃったのか……?」

 そして彼女の隣に座り、優しく背中をさすりながら問い掛ける。

 晶は無言でふるふると首を振った。

「ま、まぁ確かにそこまで遅くはなかったし……なぁ……。――あっ! もしかして、打ち合わせなんて嘘で、実は浮気だと疑ってたり……?」

 その言葉にも晶は同様に首を振った。

「え――――……っと、じゃ、アレか? どっか痛いのか? 病院行くか?」

 その言葉には首がそのままちぎれて飛んで行くのではないかと思うほど勢いよく振った。まぁ、もともと病院嫌いの晶なので、そうなるだろうなとは思ったが。

「困ったなぁ……。とりあえず、ケーキ、食うか? 甘いもん食ったら少し落ち着くんじゃねぇか?」

 そう言ってテーブルの上に箱を置き、ゆっくりと蓋を開ける。たった2つしか入っていないため、中はスカスカだったのだが、緩く丸められた紙がその隙間を埋めるように詰められており、先ほどの衝撃から守ってくれていたようだった。

 ケーキの出現に晶の表情は少し緩んだ。箱の中に入っていたプラスチック製のフォークを手渡すと、ぺこりと頭を下げてそれを受け取り、抱え込んでいた膝を解放する。その姿を見て章灯は「第一段階クリア」と思った。

「何か飲むか? ケーキが甘いからな。お茶のが良いだろ? いま皿も用意するから待ってろ」

 晶の頭の上にポンと手を乗せてから立ち上がる。


「……お酒を下さい」

 

「へぇっ?」

 確かに飲み物のリクエストは聞いた。聞いたが、返事が無かったので冷たいお茶でいいと思っていた。そんなところへ意外すぎるリクエストが届き、章灯は振り向いた。

 晶は怒ったような顔でこちらを睨みつけており、「お酒をお願いします!」と尚も酒を要求する。

 

 何だ何だ?

 やっぱり俺、何かやっちゃったのかよ……。

「わ……わかりました……」


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