♪3 年貢の納め時
「最近コガさん来ねぇなぁ」
晶と2人きりのリビングでぽつりと章灯が呟く。決してこのシチュエーションに不満があるわけではない。テーブルの上には美味そうな手料理が並び、プルタブを開けたばかりの良く冷えたビールもある。そして何より、目の前には愛しい彼女がいるのだ。これ以上を望めば罰が当たるのではないかという状況ではあったのだが、ほとんど毎日のように顔を出していた湖上がもうかれこれ1週間ほど来ていないのである。仕事場で顔を合わせた時に何かやらかしてしまったかと自分の行動を思い返してみたが、心当たりなんて1つもない。
「コガさんもきっと忙しいんですよ」
晶の方では大して気にする素振りも無い。出会ってまだ数年の章灯に対し、こちらはもう十数年の付き合いなのである。恐らくこれまでもこういうことはあったのだろう。
だから聞かなかった「アキは寂しくないのか」とは。だってそれじゃまるで俺が寂しいみたいじゃねぇか。
そうだよ。あの気まぐれで自由人なコガさんのことだ。またひょっこり現れて通いづめるに決まってる。てことは、こうやって2人きりを楽しめるのはいまだけかもしれないじゃないか。
「なぁ、今日はアキも飲まねぇ?」
急にウキウキして来てそう問い掛けてみるが、「明日は朝早いので」とつれない返事が戻って来たのみであった。
「ただいまぁーっと」
左肩にハードケースをかけた湖上が疲れをにじませた声と共にドアを開ける。そしてそんな彼を出迎えるのはセーラー服の上に黄色いエプロンを着けたカナである。あれから一週間、これがいつもの光景となった。
「パパ、お帰りぃ~」
「おう」
「今日はね、イカと大根を炊いてみたの」
「だろうな、匂いでわかった」
「ふっふぅ~、今日のは自信作~。パパのよりも絶対美味しく作れてるから!」
「ぬかせ。俺を超えるのはまだまだはえぇって。ケツの青いガキがよぉ」
「やだ、パパのエッチ! いつの間にあたしのお尻見たのよ!」
「見てねぇよ! 見るかよ、馬鹿! ていうか、お前のケツまだ青いのかよ!」
ガラステーブルの上には2人分の夕餉の仕度。
食材は学校帰りのカナが買ってくる。金を払おうとしたが、カナはそれを頑なに拒んだ。ママからお金をもらってるから、と。
これは一体何なんだろうと思いつつも、湖上はこの状況に流されまくっている。
――郁と2人で暮らしてた頃を思い出すなぁ。
高校を卒業するや否や、既にカナリヤレコードに所属していた晶は、自分の劣等感を刺激する完璧な姉との生活に耐えきれなくなり、家を出た。とは言っても、その当時のアパートからそう遠くない社員寮だったので、湖上はあまり心配していなかったが。
セーラー服を着た髪の長いカナの姿が当時の郁と重なる。まぁ、郁の方もこんなに明るい子ではないんだけれども。
瀬島カナ。
この4月から都内の女子校に通い始めた15歳。
建設会社に勤める母の『キヨコ』と2人で暮らしていたのだが、急に彼女が海外出張に行かなくてはならなくなったのだという。頼る親戚がいないわけではなかったが、一番近くても群馬だったため、カナは以前キヨコから聞いていた『父親』に助けを求めたと、彼女はそう語ったのである。母親の情報なんてこれくらいで充分だと思った。カナから色々聞き出したとしてもどうせ一晩を共にしただけの女なのだ。だったら余計な情報などあっても無くても大差ない。
「よくココがわかったな」
「ふふん。いまどきの女子高生舐めたらダメよん。ママのスマホにココの住所載ってたんだぁ」
「お前、母ちゃんのスマホ勝手に見たのか」
「仕方ないじゃん? ママはほんの2週間なんだから学校は休んで群馬に行きなさいって言ったんだけどぉ、スタートって大事でしょ? この時期逃したらハブられちゃう。女子の世界って大変なんだからね」
「で、母ちゃんに嘘ついて、群馬の親戚も上手いこと丸め込んで、ココに来た、と。大したタマだな、おい」
呆れるというよりはむしろその行動力に感心する。これが母親の立場だったら目を回していただろうが、カナの視点で見れば確かに納得出来るだけの理由があるのだ。いまの子どものいじめはえぐいって言うしな。
ほんの2週間ということであれば、ココに置くのも吝かではない。
その『キヨコ』とかいう女には(心当たりがありすぎて)全く見当もつかないが、パパになる可能性のあることはもう何度もしてきたのだ。いや、きっちり避妊はしていたんだけどな? 穴が開いていたかもしれないし、開けられたかもしれない。現に何度かそうやって結婚を迫ろうとして来た女もいたのだ。幸いなことにそれは未然に防げたのだが。
俺も年貢の納め時なのかもしれねぇな。
少しは食えるような味になった大根を口に入れ、湖上はぽつりと呟いた。




