♪9 特等席でな
「ちょっ、ちょっと! 何で父さんのが関係あるのさ!」
思わず声を上げてしまい、勇人は慌てて口を押さえた。しかし、完全に手遅れである。恐らく「何だよ勇人ぉ、聞いてたのかぁ」と湖上が茶化すはずだ。
はずだったのだが――。
意外にも2人は目を丸くして一様に驚いたような顔をした。そして、湖上がニィと笑う。
「関係大アリに決まってんだろ、勇人。俺らはなぁ、オッさんがいねぇとまともに演奏出来ねぇんだ」
湖上が内緒話を打ち明けるかのようにトーンを抑えてそう言うと、長田の方は、それは言いすぎじゃねぇかと言いながらもまんざら嘘でもないような表情である。
「そ……、そうなの……?」
勇人はゆっくりと湖上の前に正座をした。既に携帯ゲームは彼の手から離れ、ソファの上に置き去りにされている。湖上はそんな勇人の姿を見てニヒヒと笑い、テーブルの上にあったデジタル式の置時計を手に取った。そしてそれを軽く振って見せてからくるりと向きを変え、文字盤が勇人に見えないようにして再び元の位置に置く。
「いいか勇人、ちょっとゲームしようぜ。俺がスタートって言ったら、目ェつぶって心の中で10秒数えろ。そんで、自分が10秒だと思うところで手を上げるんだ。いいな?」
急なゲームの誘いだったが、特に断る理由もなく、勇人は頷いた。そして湖上はポケットからスマホを取り出し、アラームアプリ内にあるストップウォッチを起動させる。
「行くぞ……、ほい、スタート」
その言葉に勇人は慌てて目を閉じた。普段なら一瞬と言っても過言ではないような1秒というごく短い時間であっても、意識をすればするほど長く感じられるものだ。それは知っている。だから、勇人はややゆっくりめに数えた。そして自分の中で10数え終わった時、手を上げたと同時に目を開ける。
すると自分の目の前には湖上のスマートフォンがあった。画面に表示されているのは0:15.03という数字である。
「はっはっはー、勇人はのんびりタイプだなぁ」
茶化すようにそう言って、湖上はいつの間にか用意されていた2本目のビールを開けた。「こんなの難しいよ。勇助君は出来るの?」
「俺ぇ? 俺が出来るわけねぇだろ。――でもな、勇人、もっかいやってみようぜ。これならどうだ?」
湖上は手に持っていたビールを置き、先程向きを変えた置時計を手に取った。
「オッさん、これって秒針の音も出せるんだよな?」
「おぉ。裏にボタンあんだろ」
長田はそう言って立ち上がり、すたすたとトイレのある洗面所の方へ行ってしまった。
「――これか。いやぁ、いまのデジタル時計は進化してんなぁ」
そんなことを言いながら何やら操作すると、時計からピッピッと秒を刻む音が聞こえて来る。
「ホラ、もっかいやんぞ」
「ちょっと待ってよ勇助君。そんなのズルじゃん。これなら誰だって出来るよ」
「だよなぁ。こうやって元になる音が聞こえてれば簡単だよなぁ」
「そうだよ」
「でもよぉ、勇人。これが無いと難しかったろ?」
「そりゃあね」
「お前の父ちゃんの仕事はこれだ」
「え?」
「勇人の父ちゃんが正確にこうやってリズムを取ってくれっから、俺らは頭の中で10数えるなんて難しいことをしなくても演奏出来んだ」
「…………」
「特に俺なんかはな、盛り上がってくるとすーぐ暴走しちまうからな、オッさんのリズムが頼りなんだよ」
「……そうなんだ」
「アキもアキで自分の演奏に集中すると周りが見えなくなっちまうタイプだしよぉ、オッさんがいなかったらどんどん突っ走っちまうんだよなぁ。そんで章灯も章灯よ。あいつは――」
勇人は調子よくペラペラとしゃべっていた湖上を制するかのように無言で立ち上がると、ソファの上のゲーム機を回収し、すたすたとドアの方へ歩いて行った。湖上は話の途中で出て行こうとする勇人を咎めることも無く、満足気な表情でそれを見送る。
「おい、勇人!」
急に呼び止められ、勇人は振り向いた。「明日、特等席で見せてやるからな」
その言葉に勇人は一瞬不思議そうな顔をしたが、聞き返すことも無く複雑そうな表情でこくんと頷いた。
「明日はぜってぇ晴れるからよぉ、鞄の中には必ず飲み物2本は入れとけ。2本くらい、男なんだから、楽勝だよな?」
この時期の少年に『男』という単語はかなり深く突き刺さる。いっぱしの大人ぶりたい年頃なのだ。勇人はやっと笑顔を見せ、「3本だって軽いよ」と言ってみせた。
「お休み、勇助君」
「おう、宿題しろよ」
「もう終わってる」
「しっかりしてんなぁ、勇人」
俺なんか、最終日に――、と学生時代を語ろうをしたところでぱたんとドアは閉まった。




