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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅲ SUMMER FESTIVAL! (2012)
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♪3 勇人の悩み

「反抗期……。勇人はやと君が、ですか?」

 両手で顔を覆った長田おさだは、力なく頷いた。


 ことの発端は宿題の作文だったという。

 身近な人のお仕事について、というテーマで課せられたその宿題に、11歳の勇人は頭を悩ませた。

 『父親』や『母親』などという限られた人物ではなく、また、『家族』という大きな括りのようで案外小さな単位でもなく、『身近な』という濁した表現なのは、複雑な家庭環境の子どもへの配慮のためらしい。だったらいっそこんなテーマにしなけりゃいいのに、と勇人は思う。そう思っているのはきっと彼だけではない。

 母子家庭、父子家庭なんてものはいまどき珍しくも何ともないし、何なら親の離婚時にどちらも引き取りを拒否したため、父方の祖父母と暮らしているという児童もいるのだ。先生方は『身近な』という表現ひとつで公平にしたつもりかもしれないが、それを有り難がるやつなんて本当にいるのだろうか。

 しかし、幸いなことに、というのか、勇人には両親がいる。ちょっと離れてはいるが両親の祖父母も健在だ。ただ、祖父母達は働いていないので、今回のテーマには該当しない。そうなると、父か母、どちらかの仕事で書かなくてはならないのだった。

 去年までは専業主婦だった母が、今年の春から個人クリニックの看護師の仕事に復帰した。そして、父の仕事はというと――、


 ミュージシャン。


 子ども心にもそれがかなり珍しい職業だということはわかる。両親のいずれかが趣味で音楽をやっているという友人は何人かいたが、それを生業にし、生計を立てているのはさすがに勇人の家だけだ。

 しかも、父は表に出るミュージシャンではない。他のアーティストのサポート業が主な仕事で、ましてや勇人の友人達が知っているようなアイドルに関わったりするわけでもない。


 父ちゃん明日からツアーに行くな。お土産は何がいい?

 見ろ、勇人。あの人のアルバムに父ちゃん参加したんだぞ。


 父は度々『ツアー』という訳のわからない仕事で長期間家を空ける。いつもたくさんのお土産を買ってきてくれるが、父の不在による寂しさとそのお土産を天秤にかけたらどちらに傾くのかなんてわかりきっている。

 父が嬉々として指差したテレビの中のソロアーティストにしてもそうだ。こんな人、クラスの皆は誰も知らない。俺だって知らない。


『僕の母は看護師です』


 その一文を書いたきり、勇人のペンは止まった。仕事といえば父、などというのはとっくの昔に廃れており、母の仕事の方を選ぶ者も多い。最もその場合は、父親がサラリーマンという、子どもにとっては仕事内容がイメージしづらく、また説明されてもいまいち理解出来ない職業であり、それに引き換え、母の方が看護師や介護師、または販売員など、やっていることがわかりやすいからという理由が大半である。

 つまりそれは勇人にも当てはまるのだ。

 ドンドンシャンシャンとただドラムを叩いて給料をもらう。勇人にとっては遊んでいるのと何ら変わらないその行為によって、自分達家族を養えるだけの金が入るというのは、正直理解出来ない。

 それに、他の父親達はスーツだったり作業着だったりでいかにも『働いている』感じがするのに、自分の父はいつも普段着だ。髪だって伸ばしている。たまたま父を見かけた友人は「勇人の父ちゃん恰好良いな」と言ってくれたが、一部の女子からは「何かチャラい」と評されているのを知っている。

 決まった時間に通勤するということもなく、昼過ぎまで家にいたり、かと思えば早朝に出掛けたりもする。それもまた何だか『ちゃんとしていない』ように感じられた。


「勇人、宿題は出来たの?」


 夕飯時、母の咲が何気なく話を振る。

「まだ」

 素っ気なくそう返し、肉じゃがに箸を伸ばす。たいていは母と2人きりの食卓に、今日は珍しく健次郎もいた。

「父ちゃん見てやろうか?」

 何の宿題なのかはわからないが、恐らく苦手な算数だろうと予想して健次郎は勇人に言った。国立の短大を卒業している咲の方が学力面では上であったのだが、何故か教えるのは健次郎の方がうまかった。それは恐らく『わからない者』の側に立って考えられるからであろう。だから彼は自分が家にいる時にはよく勇人の宿題を見ていたのだ。

「いい」

 再び素っ気ない返事があり、健次郎と咲は顔を見合わせた。

『一体どうしたんだ、勇人は』

『私にもわからない』

 そんな会話を目だけでし、お互いに首を傾げる。

 結局何もわからないまま重苦しい夕食は終わり、勇人がさっさと自室に引っ込んだところで、「私に任せて」と咲が彼の後を追った。

 そんな彼女の後ろ姿を見て、彼は内心、「女親には話せねぇことなんじゃねぇのかなぁ」などとのん気に構えていた。思春期の男子にありがちな悩みの方だと思ったのである。

 30分ほどして戻って来た咲は何やら複雑な表情で、ちらりと健次郎を見ると、すまなそうに一度頭を下げた。


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