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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅱ the sunny crane (2010)
162/318

♪18 いっそ

 何となくそういう噂は出回っていても、きちんと発売されるまでは、という有難いんだか何だかわからない気遣いにより、局内は妙な雰囲気に包まれていた。――つまり何となくよそよそしい、という状況である。

 章灯しょうとの隣に座るみぎわ明花さやかなどは特にそれが顕著で、昨日までは挨拶代わりに口にしていた「カメラちゃんのシングル、あと〇日ですね」という言葉を明らかに飲み込んだような表情で、こちらを見ている。恐らく、挨拶代わりの言葉を失ったので、どう声をかけたら良いのかわからなくなっているのだろう。だったら、普通に挨拶すればいいじゃないか、と章灯は苦笑した。

「おはよう、汀」

「――あぁ、お、おはよう、ございます!」

 彼女はやっとそんなことで良かったということに気付き、ホッとしたように顔を緩ませた。

 さすがに早朝のこの時間はマスコミも囲む元気が無かったと見えて、案外すんなりと局入りすることが出来たが、問題は『シャキッと!』収録後である。午後は自分達の方の新曲のプロモーションでインストアイベントを行うことになっているのだった。それを考えると気が重い。

「せーんぱいっ」

 やけに明るい弾んだ声に振り向けば、そこにいたのは木崎きざきで、手には小さなチョコレート菓子の小箱がある。「どうぞ。差し入れです」

 どうしてこいつはいつもいつも甘い物を持っているんだと思いつつも、口の開いたその箱から、アーモンドチョコレートを一粒取った。「ありがと」

「先輩、スマイル、スマイルですよ」

 明花よりもずっと女子力の高い対応に思わず吹き出すと、木崎は「そうそう、その調子!」と笑った。

 木崎君、君はまごうことなきイケメンだ……。

 チョコレートの甘さと木崎の対応にスーッと肩の力が抜ける。

 しかしおかしな話だ。

 ただのアナウンサーであれば、熱愛が発覚しようが結婚しようが騒ぎ立てるのは一部のファンのみだというのに、ロックミュージシャンという肩書きが付与されれば、そうもいかない。しかるべき対応ってやつが必要になってくるのだ。

 もし、

 もしここで堂々と、結婚を前提に付き合っている恋人がいます、と公言したらどうなるだろう。結婚を前提にも何も、既にプロポーズだって済ませ、現在は婚約中の身の上だ。

 相手は誰だと突っ込まれるだろうな。

 もちろん、それはアキです、だなんて言えるわけもない。

 頭を抱え、はぁ、と深いため息をつくと、トントンと控えめに肩を叩かれた。「先輩」

 顔を上げると、明花が心配そうに眉を寄せてじっとこちらを見つめていた。

「……あのっ、今夜飲みに行きませんか?」

 思い詰めたようなテンションでそう切り出される。さすがにこのタイミングでホイホイと飲みには出歩けないだろう。しかし、皆が『それ』を知らない振りでいてくれている手前、何を理由に辞退すればよいのかわからない。

「いやっ、えぇーっと……、ちょっと……」

 モゴモゴと言葉を濁していると、考えすぎて混乱してきたらしい明花は、立ち上がり、声を張り上げた。


「もういっそ、私でいいじゃないですかぁっ!」


 早朝の人もまばらな局内は、運の悪いことにしんと静まり返っていて、そして、現役アナウンサーである彼女の声は実によく通った。

「……え? あ、いや、汀……?」

 おい、と声をかけると、やっと我に返った明花は、顔を見る見る上気させ、ひゃあぁとおかしな悲鳴と共に着席した。「まっ、間違えました……。忘れてください……」

 漫画なら間違いなく頭から湯気が上がっているだろうと言えるほど赤くなった顔の前で両手を振る。章灯には「お、おぉ……」としか返すことが出来なかった。通常なら冷やかしに割って入ってくるであろう面々も今日は沈黙を守ったままである。

 おいおい、今日の収録どうなっちまうんだよ……。

 

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