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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅱ the sunny crane (2010)
152/318

♪8 ヘルプ

「もう一回。頭から」

「もう一回。頭から」

「もう一回。頭から」

「もう一回。サビ前から」

 幾度となく繰り返される抑揚のないあきらの指示にやっと変化が現れたところで、カメラは安堵の息を吐いた。もしかしてガラス越しにいる愛しの晶様はCGか等身大のパネルで、用意された台詞も一種類しかないんじゃないかと疑い始めていたところだったのだ。

「カメラちゃん、大丈夫? アキ、10分休憩とろうぜ」

 2人の間の潤滑剤、ないしは晶の通訳として(もちろんカメラの方ではそんなもの必要ない! と息巻いていたのだが)待機していた章灯しょうとはソファから腰を上げた。晶は仕方ないといった面持ちで「じゃ、10分休憩」と言った。

 全く、こいつは。

 相変わらずの仏頂面、いや、ポーカーフェイスを見て、章灯は苦笑する。どうしてこんな愛想がないのにモテるのかねぇ。コントロールルームに入ってきたカメラに水の入ったペットボトルを渡しながらそう思う。視線は晶に固定したまま手を差し出したカメラは、それに口をつけようとして、蓋が開いていないことに気付き、章灯をにらんだ。まるで「学習してないのね」とでも言いたげである。

 冗談じゃない。自分の彼女にだってそんなサービスしたことないんだぜ?

 アピールするかのようにきちんと手入れされた爪の先で蓋をコツコツと叩く。

 しょうがないなぁ、と章灯は手を差し出したが、それを回収したのは晶だった。

「どうぞ」

 ぶっきらぼうにそう言いながら蓋を緩め、カメラに返す。彼女はしばしペットボトルを持ったまま呆然としていたが、ハッと我に返り、顔を赤らめた。その様子を見て晶はほんの少しだけ眉をひそめる。

 もしかして。

 もしかして、晶はこういうアピールをする子が苦手なんじゃないだろうか。まぁ、そもそも晶は女な訳だからカメラに対して恋愛感情を持つなんてことはないわけだが。それでも、女子ってぇのはやたらと同性を誉める生き物じゃないか。『可愛い~!』って。

「もっと楽に歌って。肩に力が入ってる」

「そうだそうだ。もっと楽に。肩に力が入ってる」

 腕を組み、うんうんと大袈裟に頷きながら晶の尻馬に乗ると、カメラは手に持っていたミネラルウォーターを控えめにごくりと飲み、小首を傾げて微笑んだ。しかし、晶にはその微笑みの意味がわからない。いや、さらにいうと、章灯にだってわからなかった。脈絡無さすぎだろ、いまの笑みは。照れ笑い? 照れる要素なんてなかったのに?

「晶さん、今日このあと予定はありますか?」

 彼女の方ではこのレコーディングが本日唯一の仕事だったはずだ。それでも髪はきちんとセットされ、唇のグロスはこまめに塗り直されてぷっくりツヤツヤである。章灯が同じ状況の時は割とラフな恰好で臨むことが多いのに対し、やはり女の子は違うのだなと感心していたのだが、彼女の狙いはもしかしてこれだったのではないだろうか。

「夕飯の仕度」

 明らかに何らかの『お誘い』を含ませたその問いに晶は馬鹿正直に答えた。

 馬鹿だなぁ、お前。そこは嘘でも仕事って言っとけよ。晶の返答に対するカメラのリアクションを予想して章灯は頭を垂れた。

「え~っ? そうなんですかぁ~? 今夜は何を作るんですかぁ?」

 章灯のアドバイスをもとに、『千尋っぽい』恰好を避け、晶の外出着をイメージした黒のライダースジャケットに、それでも『女子』の部分は残したかったようで、ふわりとした白のスカートといった出で立ちにも拘らず、口調と仕草はまんま『千尋』である。

 案の定、千尋っぽさを感じ取ったようで、晶はほんの少し後退りしつつ、助けを求めるような目で章灯を見た。

「SHOWさん、何が……食べたいですか……」

「お、俺ぇっ? えーっとそうだなぁ……か、カレー……とか……?」

 カメラのリアクションについてはある程度予想通りだったのだが、晶の方が予想外だったために虚を衝かれ、パッと思い浮かんだメニューを口にした。


「やったぁ! あたし、カレー大好きです!」


 カメラは満面の笑みで高々と右手を挙げた。その勢いに晶はギョッとした顔をしたがすぐに平静を取り戻し、「そう」とだけ言った。

 いや、アキよ。そういうことじゃないと思うぜ、俺は。

「あたし、カレーが大ッ好きなんですよ、晶さん!」

 口を尖らせ、自分を指差しながら、ずずいと顔を近付ける。

「そうなんだ」

「そうなんです!」

「…………」

「そうなんですよ!」

 もはや相槌がなくなっても、カメラは喜色満面の笑みでこくこくと頷いている。

 ここまでされても彼女の意を汲み取らないというのは、ある意味わざとなんじゃないだろうかと勘ぐってしまう。それでやり過ごせるというのならそれでもいい。彼女を夕食に招待するだなんて罰ゲームにも程がある。

 章灯は、先程の晶からのものとは明らかに毛色の違うカメラからの『助けを求めるような視線』に気付かない振りを決め込んだ。


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