表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅰ Man of Genius (2015)
141/318

♪11 葛藤の結果

「いやぁ~、お疲れさん」

 やけに上機嫌の湖上こがみが、ポンと章灯しょうとの肩を叩く。

「昨今の測定器ってやつぁすげぇんだなぁ、オイ」

 長田おさだは章灯の後ろで感心したように深く頷いた。

 二人の言葉は章灯の耳に入っていないようで、彼は楽屋のソファに浅く腰掛け、がくりと頭を垂れている。

「まぁ……その……何だ」

 肩の上に乗せられたままになっていた湖上の手は、消沈している章灯を決起するべく彼の頭上高くまで振り上げられ、そして――、

「元気出せって、章灯。な?」

 章灯の頭の上に優しく下ろされた。


 やけに気合いの入ったセットの中心に章灯は立っていた。目の前にあるのはレコーディングで使うようなマイクと譜面台、そしてモニターが一つ。譜面台には楽譜が置かれているが、いまだに素早く音符を読むのが苦手な章灯にとっては歌詞カード以上の意味はない。モニターには曲に乗って流れるように動く譜面が写され、マイクが拾ったその歌声が正確か否かが表示されるようになっている。これは最近のカラオケボックスにほぼ標準装備されている採点システムと同じ表示法で、音程やリズムがずれると減点され、逆にビブラートやこぶし等を入れることで加点されるという仕組みだ。

 まさかこんな場所で歌うことになるなんて、とため息の一つでも吐いてやりたいところではあったが、本業であるアナウンサーの顔がひょこひょこと飛び出して来てはそれを阻止する。

 まぁ仮にアナウンサーという肩書きがなかったとしても、そんなことやるかよ。

 社長に頭を下げられたとはいえ、最終的に『出る』と決めたのは自分だ。自分で決めたことにいまさら文句を言ってどうする。これが社会人ってやつなんだよ。ええい、くそ。

 やけっぱちな気持ちで歌い始め、モニターに表示されたミスを意味する赤いバーで気を引き締める。

 正しくキッチリと歌うということは、難しくないようで、これが案外難しい。ライブに慣れれば慣れるほど難易度は上がっていくのだ。

 一音一音確実に歌ったからといって客の心が動くわけではない。

 棒立ちで音程ばかりを気にしていたんではハートは震わせられない。

 リズムだってわざと狂わせる時もあるし、フェイクやシャウトをその場のノリで入れることもある。

 CDと全く同じ歌しか歌えないのなら、ライブを行う意味なんてない。俺達の曲は、その時の生の声を聴きに来てくれたファンと共に作るものなんだ。

 負けたくないから正しく歌わなければ、という気持ちと、その正しさへの反発が頭の中で混ざり合う。


 そして、結果はというと、負けたのだった。


 章灯は忘れていたのだ、自分がそんなに器用な方ではないということを。

 音楽の知識などほぼ0の状態から天性のセンスでここまでやって来たのである。ああだこうだと考えたことが仇となり、どっち付かずの出来に終わってしまったのたった。しかし、腐ってもプロと言うべきか、聞くに耐えないほどではなかったのだが。


 ――ただ、あきらが、いままでに見たこともないような気の毒そうな顔をしただけだ。


 そう、この消沈の理由は『うえま』に負けたことだけではない。晶にそんなひどい歌を聴かせてしまったこと、そして、そんな表情かおをさせてしまったことが大半を占めていた。

「いいじゃねぇか、アキは勝ったんだからよ」

「そうそう。あンの一番生意気な『リンコー』とかいうやつな。さすが天才の質が違う!」

 晶は、内部崩壊しかけている自我を得意の営業スマイルで何とか保っている章灯とのすれ違い様、無言で彼の肩を叩いた。

 それに驚いてちらりと晶を見ると、真っ直ぐに前を向いていた美しい横顔はこくんと小さく頷いた。まるで『任せろ』とでも言うかのように。

 そして、彼女は眉間に深いしわを刻んだまま、一度もモニターを見ずに演奏しきった。そして当然のようにミスなどなかった。

 その後に『リンコー』が演奏し、彼の敗北と晶の勝利が確定した時も、彼女は眉一つ動かさず、ただ黙って頭を下げた。そして無言で出演者席に戻り、隣に座る章灯に軽く頭を下げた。

 その後、自分が番組の中でどんな発言をしたのか、全く記憶がない。恐らく、『アナウンサー・山海やまみ章灯』が出て来て、当たり障りのないコメントをしたはずである。じゃなければ尻ポケットの携帯電話がこんなに静かなわけがない。

 そういえば楽屋に戻ってから晶と一言も会話をしていないことに気付き、章灯は辺りを見回した。

「あれ? アキはどこに行ったんだ?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ