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果樹園の指と釣具店の声  作者: 宇部 松清
Extra chapter Ⅰ Man of Genius (2015)
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♪8 湖上の来訪

「指を見ていたんです」

 家に着くなり、気まずそうな顔であきらはそう白状した。

「はぁ? 何だいきなり」

 そう言ってから思い出す。そういえば喫茶オセロで尋ねたのだ「MoGの何を見ていたのか」と。

「ですから、あの高校生の指を見ていました」

 聞き返されたことで余計に気まずくなったらしく、晶の視線はどんどんと下がっていく。まぁ、ギタリストにしてみれば、当然目が行くものなのかもしれない。何せ彼女はギタリストで、自分はその分野ではド素人もいいところなのである。

「わかった。わかったから顔上げろ」

 章灯が苦笑しながら肩を叩くと、晶は何やら泣きそうな目をしながら、ゆっくり顔を上げた。

「同じギタリストとして気になるのは当然だろ?」

「当然……なのかはわかりません」

「俺だって食レポがうまいやつがいたら、そいつが年下だろうが素人だろうがお構いなしにガン見するしさ」

「そういうもんですか」

「そういうもんだろ」

 晶は何やら意外そうな表情で章灯を見つめ、そして思い出したかのように洗面所へ向かう。「うがいと手洗いです」

 苦笑しながらへいへいと返事をし、連れ立って洗面所へ入った。


 やはり『シャキッと!』の番組公式SpreadDERスプレッダーはど偉いことになったらしいなという話題と共に、久保田の一升瓶を抱えた湖上こがみが訪ねてきたのはその日の夜8時のことである。明日が土曜日ということで飲んだくれるつもりのようだ。

「次は『音楽王』だって? 面倒なやつらに目ェつけられちまったなぁ、全く」

 ひひひと笑いながらグラスに久保田を注ぐ。

「目ェつけられたって……、どういうことですか」

 顔の近くに持ち上げられたグラスに缶ビールを軽くぶつけ乾杯をしてから一口飲む。テーブルの上には晶の作ったつまみが並べられていた。

「何だ、お前ら聞いてねぇのか」

「白石さんは、ただ、今朝のアレを見たプロデューサーがどうしてもって、それだけでしたけど」

 章灯がそう言うと、晶はカウボーイの入ったグラスに口をつけた状態でこくこくと頷いた。

「あんな粗探し番組、天下のORANGE ROD様が出るもんじゃねぇだろうよ」

「いや、別に俺らそこまでは思ってませんけど」

「まぁ聞けって。音楽ってぇのはなぁ、きっちりきっちり正確に弾きゃあいいってもんじゃねぇんだよ。味気ねぇだろ、そんなん」

「それは確かにそうですね」

 晶は素直に同意する。それは確かにその通りだ。

「お前がもし、ただ単に歌がうまいだけのやつだったら、アキはここまで惚れてねぇぞ」

「――……っ!」

 ぴんと伸びた人差し指が差したのは章灯だったが、それに反応して噴き出したのは晶の方である。

「だっ、大丈夫か、アキ? ティッシュ、ティッシュ」

 テーブルの下にあった箱ティッシュを手渡し、晶に手渡す。彼女はすまなそうに頭を下げながらそれを受け取った。

「あいつら、自分達が正確にしか弾けねぇからって駄々こねやがって」

「駄々って。そんなの通る訳ないじゃないですか。いくら天才って言っても素人の高校生ですよね?」

 ハハハと笑い飛ばして枝豆に手を伸ばす。

「……あいつらな、事務所決まってんだぞ」

「はぁ?」

「しかも、超大手」

「えっ、ちょっ、どこですか?」

「超大手ということは、少なくともカナレコではないですね」

 アキの冷静な分析に二人の身体は傾いだ。

「そういうこと言うなよアキ」

「まぁ、それはそうなんだけどな。しかし、聞いて驚くなよ? 何と、LOVER's RECORDだ!」

「さっ、最大手じゃないですか!」

 章灯は声を上げてビールを置いた。

 創業やっと30年のカナリヤレコードに対して、件のLOVER's RECORDは、戦後、浅草の小さなラジオ店から徐々に事業を拡大し、いまでは1103社の子会社、95社の関連会社をもち、その子会社・関連会社を通じて携帯電話端末、映画、ゲーム、金融、フードサービス等に関連した事業を行っているという巨大企業である。

「しかしラバレコも随分と酔狂なこった」

 そう言って、グラスにわずかに残っている久保田をちびりと飲んだ。




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