♪116 楽屋にて
「申し訳ありませんでした！」
楽屋に『MUSIC PLAZA』のアシスタント、広瀬千晴がやって来たのは、生放送も無事に終り、2人が一息ついている時のことである。
千晴は勢いよく腰を90度曲げ、その状態で静止している。
「いや、あの……広瀬さん、頭上げて」
章灯は慌ててソファから立ち上がった。晶もどうしたものかとおろおろしている。
「すみません、私、AKIさんに振っちゃいけないって知らなくて！ 勉強不足で本当に申し訳ありませんでした！」
林田か番組プロデューサーから注意されたのだろうか。千晴は顔を上げたがいまにも泣きそうな表情だ。
「いやいや、広瀬さんくらいならぜんぜん大丈夫だよ。中にはしつこいくらいしゃべらせようとする人もいたし……。アキも気にしてないよな？」
章灯がそう言うと、晶もこくこくと頷いている。
これは本当だ。晶のことを知ってか知らずか、視聴率やら話題性のためにと、何がなんでも晶にしゃべらせようとするMCはいる。ノリで押しきろうとする芸人タイプならまだフォローのしようがあるのだが、明らかにプロデューサーの指示でやらされているような新人アナウンサーだと質が悪い。向こうもそれが仕事だと思ってやっているので、とにかく諦めが悪いのだ。そういう場合は、もうその番組に呼ばれないのを覚悟の上で、本番中でも抗議する。生放送であれば言葉を選ぶが、事前収録の場合はマネージャーの白石麻美子が飛んできて進行を止めることもある。
もともとテレビも出たくて出ているわけではなく、宣伝のためにやむを得ずであったり、番組側からどうしても、と言われて出ているので、出禁になってもそれほどダメージはない。他の局がダメでも日の出テレビには必ず出られるし、むしろ日のテレ的には『ORANGE ROD』を独占出来るので問題はない。
「でも……」
千晴はまだ気がすまないのか、はたまた引くタイミングがわからないのか、ばつの悪そうな表情を浮かべている。
一体何をどうすれば納得してくれるのだろう、と章灯が考えあぐねていると、おもむろに晶が立ち上がり、すたすたと楽屋を出て行ってしまった。
「あの……、AKIさん……？」
「アキ、どこ行くんだ？」
章灯の声に答えることもなく、扉はバタンと閉まり、楽屋内に気まずい空気が流れる。
「あの……、AKIさん、怒って出て行かれたんでしょうか……」
「いや……、そんなことはないと思うよ。そんなことで怒るようなやつじゃないからさ。ほんと、広瀬さんがそんなに気にするほどアキの方は気にしてないって」
まったく、アキの野郎。せめて俺には何か一言言ってから行けっつうの！ まぁ、広瀬さんの前で大っぴらにしゃべるわけもないけど……。
この2人で会話が弾むわけもなく、とりあえず立ちっぱなしも何なので、壁に立てかけてあった簡易椅子を勧めた。自分が座っているソファでも良かったのだが、余計に恐縮するのは目に見えていた。
程なくして、扉が開き、缶ジュースを持った晶が入ってくる。そのまま千晴の前まで歩き、無言で手に持っていた缶ジュースを手渡す。
「気にしてませんから、これ飲んで落ち着いて下さい」
精一杯の低音でそれだけ言うと、ソファに腰掛け、その後は千晴に一瞥をくれることもなく黙々とギターを弾き始めた。
その一連の動きをぼぅっと見つめていた章灯が我に返って千晴を見ると、彼女は頬を赤らめてギターを爪弾く晶をじっと見つめている。
さすがジゴロ……。
お前はこうやって女を落としていくんだな。
なんとか千晴を退室させた後で、章灯は大きくため息をついた。
