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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第五幕 寒乱(さみだれ)の修羅
98/109

#97 佐保姫の泣血(腥風に散る命の灯4)

 慎重な姿勢を保ちつつも、リュザック達はアダムズ城内を素早く駆ける。目指すはトランザムの待機所であり、それはもうすぐそこだ。早く万全の戦闘態勢を整えたいと思う彼らは、逸る気持ちを抑え込みながら駆け進んで行く。

 ただそこでトランザムの誰しもが不審を感じていた。城の中がもぬけの殻なのである。これはどう考えても異常な状態だ。なぜ一人もいないんだ。

 車の無線から聞こえて来た緊急指令。それはリーゼ姫の車がハイジャックされ、全軍でその救出に向かえというものだった。でもだからと言って、本当に軍の全隊士が姫の救援に出動したなんて考えられない。いや、仮に軍の隊士が全員出払っていたとしても、城には常に数百人規模の関係者がいるはずなのだ。人影がまったく見当たらないなんて有り得ない。それともこの城で何か途轍もない異常事態が発生したとでも言うのだろうか。

 トランザムの隊士らの表情に不安が色濃く浮かび上がる。しかし今は装備を整えるのが先決なんだ。彼らはそう自分達の心に言い聞かせながらトランザムの待機所に入室した。

 ただその中でリュザックのみ足を止める。彼は待機所の手前にあるホールで奇妙な違和感を感じたのだ。

「変だきね。何か引っ掛かるでよ。人がおらんのはもちろんじゃけんど、それ以外にも何かがおかしい」

「おいリュザック、何してんだよ。早く待機所に入れよ。時間が無いんだろ」

「お、おう、分かっちょるがよ。でもちょっくら待っててくれだで。すぐ済むけな、お前らは先に用意して構わんぜよ」

 仲間に催促されるも、どうしてかリュザックは違和感が気になりその場に残った。それをヘルツが心配そうに見ていたが、彼は他のトランザム隊士に促され待機所の中に入って行く。ヘルツもトランザムの戦闘装備を借り受けるのだろう。

 一人ホールに残ったリュザックは持ち前の洞察力を働かせ始める。違和感の正体は何だ。何か見落としは無いのか。とても単純で簡単な何かが……。

 リュザックは脳ミソをフル回転させながらも冷静に状況を見極めていく。するとそこで彼は【ある物】の存在に気が付き目を丸くした。

 それは何の変哲もない物体であり、それはいつもそこにあった。誰が何を目的として作ったものなのかは知らない。けれどむしろその存在がホールの中心にあるのはとても自然である。なぜならそれはずっと昔からそこにあったのだから。だがリュザックはその存在を目にして驚きを露わにするしかなかった。

「どういうこっちゃ。こいつはテスラの一撃でバラバラになったんとちゃうんか」

 リュザックはホール中央に展示された【鋼鉄製の巨大な球体】のオブジェを見ながら呟く。これはトーマス王子が提案した余興(ゲーム)で、テスラが振り抜いた蛇之麁正(おろちのあらまさ)によって粉々に破壊されたはずだ。でもそれが何事も無かったかの様に復活している。まったく同じ物がもう一つあり、それを再び展示し直したというのか。

 可能性としては否定出来ない。しかしわざわざこんな意味不明な鉄球を再度展示し直すだろうか。いや、異常だと断言出来るぞ。だって誰しもがこれを邪魔だって思っていたんだし、再び展示するメリットが全然思い浮かばない。やっぱり違和感の正体はコイツだ。

 そう考えたリュザックは鉄球に歩み寄ると、それに触れようと手を伸ばす。でもなんだろう。不安で胸が押し潰されそうになる。怖くて堪らないのだ。そしてその時だった。彼は突然後ろから呼び掛けられギョッとする。

「あんた、ここで何してんだよ?」

 まさか仲間以外の誰かに呼び掛けられるとは思わなかった。予想外の事態にリュザックは動揺を露わにする。だが精鋭隊士であるリュザックの反応は早かった。彼は即座に振り返り、声の主に対して身構える。たたそんな彼の目に映ったのは【科学者らしき小太りの男】の姿であり、その男はむしろリュザックよりも戸惑った様子だった。



 アメリアとリーゼ姫、そしてトーマス王子を救い出したマイヤー達が地上を目指して通路を駆ける。アニェージを信じていないわけではない。しかしいつ豹顔のヤツが後方から襲い掛かって来るか分からないのだ。彼らが極度の緊迫感に追い詰められているのは当然だろう。

 でも何なんだ、この青白い照明が灯る通路は。走っても走っても先が見えない。確かにここはかなり地下深い場所であるし、それに疲労困憊のトーマス王子の足が遅いため進行に支障を来しているのは分かる。けれどそれにしたってそれなりの距離は走っているはずなんだ。こんなに長いなんておかし過ぎるぞ。もしかして豹顔のヤツに騙されたのか。

 くそっ、敵の口車に乗っちまったか。そもそも豹顔のヤツの何が信じられるって言うんだ。例えそれが一本道だったとしても、もっと注意深く慎重に道を選ぶべきだったんじゃないのか。

 ライフルを構えながら走るマイヤーはそう思い苦い表情を浮かべる。軍人の自分はどうなったって構わない。しかしリーゼ姫にトーマス王子、そしてアメリアは絶対に守らなければいけないのだ。だから簡単に死ぬわけにはいかない。そう思うからこそ、マイヤーは忸怩たる思いに苛まれたのである。ただその時、先頭を進んでいたティニが声を張り上げた。

「隊長! 突き当りが見えました。何かありそうです!」

 やっと着いたか。マイヤーは僅かに胸を撫で下ろす。でも豹顔のヤツが言った通りに、地上へ向かう為のリフトは存在するのか? 不安は完全には拭えない。するとその時だった。突如として大きな地震が発生する。立っていられない程の強い振動に、マイヤー達は足を止め体勢を低くし堪えるしかなかった。

「これも獣神達の戦いの影響なのか。このままじゃ、この地下施設全体が崩れちまうぞ」

 よく見れば通路の壁や天井にはいくつもの亀裂が走っている。いつ崩壊してもおかしくない状態だ。一刻も早くここを脱出しなければ、取り返しのつかない事態になってしまうぞ。

 ただ幸いにも地震は長くは続かなかった。揺れが収まったのを確認したマイヤーは、皆を立ち上がらせて出口を目指そうとする。しかしそこで王子が苦しそうに(うめ)(ひざ)を着いた。

「ぐぁっ。あ、頭が」

「大丈夫ですか王子、しっかりして下さい!」

 頭を抱えて(うずくま)る王子をマイヤーが介抱する。だが体調が急激に悪化しているのか、真っ青になったトーマス王子は動けない。こうなれば背負って行くしかないか。

 マイヤーは王子の前に屈み込む。苦しむ王子には悪いが、今は時間が惜しいんだ。無理やり背負ってでも王子を連れて行くしかない。だが事態は最悪な方向に舵を切る。なんとマイヤーと王子の足元が崩落したのだ。

「なっ」

「キャッ!」

 マイヤーとトーマス王子、それにティニまでもが崩落の巻き添えになり、陥没した地面に落下する。そして彼らは数メートル下の床に叩きつけられた。

 背中を強く打ったマイヤーは息が出来ずに表情を(しか)める。それでも彼は持ち前の冷静さで周囲を確認した。

 王子は相変わらず頭を抑えているが、落下による外傷は(かす)り傷程度みたいだ。それにティニの方も大事はないらしい。運が良かったのだろう。上を見上げればアメリア達が心配そうな顔を(のぞ)かせているのが分かる。上に残ったみんなは無事みたいだ。でも何だ、ここは。ここも何かの工場なのか? 徐々に呼吸を落ち着かせながらも、マイヤーは自分達が今いる場所に気を配った。

 使われている痕跡はない。随分と前に放置された施設なんだろう。ホコリを被ったベルトコンベアーを見ながらマイヤーは思う。でもここはジュールとガウスが戦っていた空間と大差ない広さだ。直感でそう感じたマイヤーは、梯子(はしご)の代わりになる物がないか目だけで探す。けっこう広い場所だから、何かしら使える物があるんじゃないのか? だが残念な事にそれらしい物は一つも見当たらなかった。

 アメリア達がいる頭上の階まで少なくとも5メートルはある。ジャンプしただけじゃとても届かないし、体調を悪化させた王子もいるのだ。別のルートから脱出するしかない。そう彼が考えた時、頭上からアメリアの声が降って来た。

「マイヤー君、大丈夫!」

「俺達は大丈夫だ。心配しなくていいぞ。でもここからは登れそうにない。俺達は別の出口を探すから、アメリア達は先に行ってくれ」

「で、でも」

「いつまた床が抜けるか分からない。エイダ! 君が先導してアメリアとリーゼ姫を地上に届けるんだ。それとブロイさん、済まないけど二人を守ってくれ!」

 マイヤーはそう指示を出して行動を促す。立ち止まってはいられない。マイヤーは危機的状況を感じ取ったからこそ、エイダとブロイに二人を託したのだ。そしてそんな彼の想いをエイダは素直に受け入れる。

「行きましょう。私に付いて来て下さい」

 エイダはアメリアに躊躇を許さない目つきで言った。するとその覚悟の強さをアメリアも感じ取ったのだろう。彼女はリーゼ姫の手を取って先に進み始めた。

「よし、俺達も出口を探すか」

「ま、待て、片目の隊士よ。お前のそのライフルで私を撃て! 今直ぐ私を殺すんだ!」

「えっ? な、何をおっしゃっているんですか王子。しっかりして下さい」

「じょ、冗談ではない。あの傷の男にやられたんだ。どうやら私はもう、人間で……いられないらしい。もう……抑えきれない。は、早く」

「嘘だろ。お、王子――」

 それはあまりにも唐突な事態の急変だった。マイヤーの目の前でトーマス王子の体が急激に肥大化して行くのである。そしてその姿はあっという間に【腐った馬】の顔をしたヤツのものに変貌してしまった。

「あ、あいつら、王子にまで手を掛けたのか!」

 マイヤーは馬顔のヤツに向けて即座にライフルを構える。またその隣では、ティニが(ひど)く動揺しながらも戦闘態勢を整えた。


「あった。本当にリフトがあった!」

 通路の突き当りに着いたエイダが叫ぶ。そこは豹顔のヤツが言った通り、地上から資材を運び入れる為の大型リフトが存在していた。それもリフト自体は目の前で停止している。これなら直ぐに地上へ行けそうだ。

 エイダはリフトに飛び乗って斜め上を見上げる。リフトは傾斜45度のレールの上を移動する装置らしく、その方向に地上が見えないか確認してみたのだ。しかし相当距離があるのだろう。視線の先は真っ暗で何も見えない。

「みなさんも乗って下さい。先が暗くて見えませんが、今はこれで進むしかありません」

 そんなエイダの誘導にアメリアとリーゼ姫は素直に従う。そして最後に乗り込んだブロイがリフトの脇にあった操作パネルに手をかざした。――がしかし、操作パネルは反応しない。

「どうなっているんですか、ブロイさん? 早くしないと」

「電気が来ていないみたいだ。どこかに電気の供給源があるはずだけど……うっ!」

 突然地震が発生する。先程と同じくらいの振動だ。堪らずにエイダ達はリフトの手すりに掴まり必死に耐える。ただそんな彼女達の頭上から、パラパラとコンクリート破片が落ちて来た。

「マズイですよブロイさん! 早くリフトを動かさないと!」

「分かってるって! でもどこに電源があるか分からないんだ」

「ちょっと待って! あれじゃないの」

 アメリアが少し離れた壁にあるレバーを見つけて指を差す。間違いない、それはリフトのブレーカーだ。

 そう判断したエイダが素早く駆け出す。彼女はリフトから飛び降りると、そのまま壁まで走り、そのままの勢いでブレーカーを押し上げた。

「ビコン。ギュイィィーン」

 電子音と共に低い機械音が唸り出す。リフトに電力が供給され動力が復活したのだろう。そして同時に操作パネルにも照明が灯る。だがしかし、そのパネルには赤い警報エラーが点滅していた。

「さっきの地震で不具合が起きたのかも知れない。ちょっと調べてみる」

 ブロイは腕から引き出したワイヤーをパネルに繋げる。乗り物ならどんな物でも乗りこなす彼は、リフトまでも動かせるのだろうか。ただ時間的猶予はあまりない。今にも天井が崩れて来そうなほど、コンクリートの破片が降り落ちて来る。

「ブロイさん、お願いだから早くして!」

「機械的なトラブルなら打つ手なしだけど、電気的なトラブルならどうにかなるか――、ヨシ!」

「ポン」

 操作パネルの表示が緑色に変わる。ブロイはリフトのトラブル修復に成功したのだ。

 見た目とは裏腹に頼りになるおじさんだ。ううん、飛行機の腕前も超人的だった。もしかしてこのおじさん、途轍もなく凄い人なんじゃないのか。それもこんな差し迫った状況の中で、それなりに冷静でいてくれている。アニェージさんといいこの人といい、軍人でもないのに頼りになる人っているものなんだな。切迫した状況の中でエイダはブロイを見てそう感心した。

「さぁ動かすよ。どれくらいスピードが出るか分からないから、みんなしっかり掴まっててよね」

 ブロイはそう注意を促してからパネルを操作する。すると足元からモーター音が響き出し、リフトが動き始めた。――がその時である。強い衝撃と共に、大きな黒い物体が上昇を始めたリフトに飛び乗って来た。

「ドンッ」

 リフトに乗っていた全員の顔色が青ざめる。なぜならそこに姿を現したのは【豹顔のヤツ】だったのだ。


 見るに堪えないほどボロボロの体をしている。でもリフトに飛び乗って来た動きからして、その狂暴さは損なっていないはずだ。危機感を最大限に引き上げたエイダがアメリアとリーゼ姫の盾になるよう身構える。そして彼女はマシンガンを構えながら言い放った。

「私が相手だ! 二人には手出しさせないぞ!」

「ハァハァ。まぁそう気張るなよ。ゲームはお前らの勝ちだ。これ以上手出しはしないさ、ハァハァ」

「どういう事? 私達を殺しに来たんじゃないの」

「ムカつくくらい楽しませてもらったからな。俺はもう満足なんだよ。ハァハァ、それに疲れたしな。お前らの相手をしてる暇ねぇのさ」

「私達の勝ちって言うなら、なんであんたが生きてんのよ。彼女は、アニェージさんはどうしたの!」

「あの女か。あの女ならここにいるぜ。ほら、良く見てみろよ」

「ひっ」

 エイダは思わず(ひる)み上がる。ヤツが無造作に差し出した右手。そこに掴まれていたのは切断されたアニェージの首だったのだ。これにはさすがのエイダも愕然とする他ない。アメリアも腰を抜かしているし、リーゼ姫に至っては失神してしまったほどだ。するとそんな彼女らを見たヤツは、それを面白がる様にして嘲笑した。

「この女は強かったぜ。あと半歩で俺を殺せるところまで追いつめたんだからよ。でもまぁ、結局生き残ったのは俺だったけどな。そう言えば『お姫様と女神の巫裔(かんえい)には手を出すな』っていうのがスポンサーからの指示だったけどよ、果たしてそれを反故しちまったらどうなるんだろうな?」

「ふざけるな! お前はここで死ぬんだよ!」

 エイダが気力を振り絞ってマシンガンの引き金を引く。アニェージの死にショックは受けつつも、ここで折れるわけにはいかない。彼女はアメリアとリーゼ姫を守る為に攻撃を仕掛けた。しかしヤツはその弾丸を硬い背中で受け流す。

 満身創痍に見えるが動きは機敏だ。エイダはヤツの動きを見てそう判断する。ただ同時に彼女はヤツ体を貫いた傷らしき場所も見つけた。きっとアニェージさんが刻み入れた傷なんだろう。

 エイダは思い切って踏み込むと、ヤツの体にタックルする。そして彼女はヤツの背中にある傷にマシンガンの銃口を捻じ込んだ。

「ダダダダダッ!」

「ぐわっ」

 ヤツが堪らずに悲鳴を上げる。硬い背中であっても、この傷痕に直接攻撃を叩き込めばダメージを与えられるんだ。そう判断したエイダはマシンガンを撃ち続ける。だがその直後にマシンガンは弾切れになってしまった。

 弾倉を交換している時間はない。エイダがそう思った時、すでにヤツは彼女に向け拳を振り上げていた。マズイ、()られる――。彼女は直感で死を予感するも、腰の刀に手を掛ける。

「グオォォォ!」

 ヤツの咆哮が響く。エイダに拳を叩きつける力を絞り出した現れだ。だがしかし、彼女に向け拳は突き出されない。なんとブロイがヤツの腕にワイヤーを巻き付けていたのだ。

「殺せっ! こいつを殺すんだ!」

 ブロイがエイダに向かって懸命に叫ぶ。そしてその叫びに反応したエイダがヤツを居合で切り裂いた。

「ギャッ!」

 大量の血飛沫が舞う。切り裂かれたヤツの腹から真っ赤な鮮血が飛び散ったのだ。もう一撃。エイダは振り向き様に再度強く踏み込む。そして彼女は強烈な突きをヤツの顔面目掛けて突き出した。

「ズバッ」

 またしても血飛沫が舞う。だが今度の血飛沫は先程に比べて少なかった。ヤツは神掛かった反射神経で、エイダの突きを左手で受け止めたのだ。

 エイダの攻撃は決して遅くはない。いや、むしろ達人の速度であったはずだ。でもやはりヤツは化け物だった。豹顔のヤツはそのままエイダの刀を掴むと、強引に彼女の体ごと投げ飛ばす。するとその体は無情にも高速で移動するリフトから投げ出された。

「危ないっ」

 ブロイが咄嗟にワイヤーを投げる。しかしそれはヤツの右腕を縛り上げていたワイヤーであり、必然的にヤツの拘束を解き放つ行為だった。でもだからと言ってエイダを見殺しには出来ない。ブロイはギリギリのところでエイダの体をワイヤーで繋ぎ止める。だがそんな彼の背後に狂気を剥き出しにしたヤツが立っていた。

「よくも、よくもアニェージを殺してくれたな! 畜生めがっ」

 ブロイは背中越しのヤツに向かって強く叫ぶ。許せない。あの子の人生は何だったんだ。アニェージとは長い付き合いだっただけに、彼はヤツに対して激しい憎しみを燃やしたのだ。

 ブロイにとってアニェージは、扱いに困る妹の様な存在だった。いつも反抗的で、年上であっても平気でこき使う。始末の悪い面倒な相手だったと言えよう。でも共にガルヴァーニの鍛錬に耐え、それから長年に渡りコンビを組んでシュレーディンガーの下で働いて来た。そんな大切な相棒を殺された事に彼の怒りは爆発したのだ。しかし懸命にワイヤーを引き上げている現状では、これが精一杯の反攻だった。

 ヤツが放つ(おぞ)ましい殺気が背中に伝わる。もうダメだ。死は避けられない。でもエイダ(この子)だけは引き上げるんだ。ブロイは目前の命を救おうと全力を尽くす。ただその時、彼とヤツの間にアメリアが立ち塞がった。


「もうこれ以上はやめて。もう誰も殺さないで!」

「あ、危ない。逃げるんだ!」

 ブロイが必死に叫ぶ。だがアメリアは腕を広げて立ち、そこを動こうとはしなかった。

「邪魔だ、女。どいてろっ!」

 ヤツがアメリアに怒声を浴びせる。もう体力は限界であり、ヤツには余裕がないのだ。そしてヤツは腕を振り上げると、まるで怒りを発散させる様にそれをアメリアに向けた。――がしかし、

「ガンッ!」

 ヤツが放った強烈な拳がアメリアの顔の数センチ前で停止する。そこには何と透明なバリアが形成されており、ヤツの拳はそのバリアで完全に受け止められていたのだ。

「!? なんだ、どうなっている」

 ヤツは理解出来ない現象に目を丸くする。オーロラの様なヒラヒラした光のカーテンがアメリアの体を頭から包み込んでいるのだ。ただどうみてもそれは柔らかそうにしか見えないし、そもそも物理的に存在している様にも見えない。一体何なんだ、これは?

 ヤツは戸惑いを隠せないでいる。でもそれはアメリアにしても同じだった。まったく理解出来ない状況に困惑するしかない。でも今はみんなを守る事が先決なんだ。そう思ったアメリアはさらにヤツをきつく睨み付けた。

「もうどっか行ってよ! 私達に手を出さないで!」

 アメリアが強く叫ぶ。すると彼女の頭部にあったカチューシャが凄まじい輝きを放ちバリアを増強させた。

「クソっ、どうなっていやがる!?」

 バリアで拳を押し返されたヤツは尻込みするしかない。こんな貧弱な女から強烈なエネルギーが放たれているのだ。信じられるわけがないだろ。いや、これがスポンサーの言ってた女神の巫裔(かんえい)って奴の力なのか。

 リフトに引き上げられたエイダ、それにブロイもアメリアが放つ驚異的な力の前に唖然としている。この女性は何者なんだ。二人はそう頭を悩ませた。ただそこでリフトの移動速度が急激に減速を始める。

「ガクン」

 地上が近いのだろう。みるみるうちにスピードが遅くなっていく。そしてもうすぐリフトが停止すると判断したのだろう。ヤツはアメリアとの間合いを広げ、一番地上側に近いであろう位置に引き下がった。

 バリアによって守られたアメリアには手が出せない。ヤツはそう考えたのか、地上に着いたと同時に逃げる腹積もりをしている。でもそこでヤツは色気を出した。リーゼ姫一人くらい(さら)って逃げた方が、後々利用価値があるんじゃないかと。なぜなら姫はすぐ足元で気絶しているのである。アニェージの首を見た恐怖感で卒倒してしまったのだ。

「よう、姉ぇちゃん。今回はこれで痛み分けといこうぜ。あんたの希望通り、俺はここからズラ駆るからよ」

 そう言ってヤツは倒れているリーゼ姫を素早く抱きかかえた。しまった、これじゃ攻撃が加えられない。ホルスターから抜いた小銃を構えたエイダが悔しさを滲ませる。そして無情にもそこでリフトが停止した。

 ヤツの背後には地上に出る為のものと思われるシャッターがある。ヤツは姫の体を抱えたままゆっくりと足を滑らせると、そのシャッターを操作するボタンに手を伸ばした。

「ガタン、ガガガガッ」

 シャッターが徐々に上昇していく。またシャッターの隙間から外の明りが流れ込み、リフトの上を明るく染め上げ出した。

 ブロイとエイダは差し込む明るい太陽の光に目を細める。急激な光の変化に視界が付いて行かない。そしてそんな彼らを見たヤツは、不敵に口元を緩めていた。

 痛いし疲れたし面倒だった。でも最終的に得したのは俺だった。ヤツはそう得意げに笑ってみせたのだろう。だがそんなヤツに向かい、アメリアが小さく(つぶや)く。

「行かせない。リーゼを連れてなんて、絶対に行かせない!」

 その瞬間、カチューシャが更に激しく輝き出した。そしてバリアが一瞬で巨大化し、リフトのみならず地上の一部までもを包み込む。するとその衝撃でシャッター共々、ヤツの体が強く吹き飛んだ。

「ドンッ」

 大砲が直撃したのか。そう感じてしまうくらいの衝撃でヤツが吹き飛ぶ。でも不思議な事に、ヤツに抱かれていたはずのリーゼ姫の体は、何事もなかったかの様に地面に横たわっていた。

「グハッ。な、何だ、今のは。意味分かんねぇよ――」

 ヤツは地面を舐めながら激しく悶絶している。まったく状況を理解出来ていない証しだ。だがそんなヤツをアメリアはまだ許しはしない。彼女はヤツに右の手の平を向けると、彼女のものとは思えない【声】で吐き捨てた。

『消えて』

 次の瞬間、バリアのエネルギーがカチューシャに集約される。そしてそのエネルギーは一本の【光の矢】になり、ヤツに向かって発射された。

「バ、バカ野郎。こんなの避けられっこねぇだろ」

 ヤツがそう思ったかどうかは分からない。ただ気が付けば、ヤツがいたその場所は焦土と化していた。

 強烈な熱風が吹き荒れる。まるでミサイルが何十発も撃ち込まれたかの様だ。目の前の広大な範囲が焼野原に成り果てた状況に、エイダとブロイは呆然とするしかない。これをやったのが、たった一人の女性なのか。そう思うと二人の背中には冷たい汗が流れ落ちた。それでも二人はリフトから駆け下り、倒れているリーゼ姫に駆け寄る。

 大丈夫。外傷はまったくない。ただ気を失っているだけだ。エイダとブロイはホッと安心する。だがそこで上空から凄まじい衝撃音が鳴り響いた。

「ドッガガーン! ビギャーン!」

 あまりの轟音に耳を塞ぐも、エイダとブロイは上空に視線を向ける。するとそこでは【銀の鷲】と【紫の竜】が対峙していた。

「ここも安全じゃない。もっと遠くににげないと……え! アメリアさん、どこに行くつもりですか!」

 エイダが強く制止する。しかしその時にはもう、アメリアはリフトの下降ボタンを押していた。

「ジュールが危ないの。私、行かなくちゃ」

「ダメです、戻って下さい!」

 エイダが懸命に駆け寄る。しかしすでにリフトの下降は始まっていた。

「ごめんなさい。でも行かなくちゃいけないの。リーゼ姫の事、お願いね」

「アメリアさん!」

 エイダの必死の呼び掛けも虚しく、アメリアが乗るリフトは再び地下へと行ってしまった。



 太陽の光に反射した機体が金色に輝く。トウェイン将軍が駆る人型ロボット兵器【賽唐猊(さいとうげい)】が、地上すれすれをホバリングしながら高速で黒き獅子に迫っていた。

 途轍もない推進力だ。賽唐猊(さいとうげい)は大型の戦車が10台合体したほどの大きさなのである。相当な質量を有しているのは間違いない。でもそれが猛烈な速度で移動しているのである。黒き獅子が放つ雷攻撃をジグザグと(かわ)しながら。

 アダムズ王国の科学理論が全てつぎ込まれているのだろう。黒き獅子の攻撃は賽唐猊(さいとうげい)にまったく通じない。獣神はまさに防戦一方だ。そしてそんな劣勢の黒き獅子を一気に倒すべく、トウェイン将軍は超ハイパワーなエンジンを目一杯に唸らせた。

 賽唐猊(さいとうげい)が握るのは【方天画戟(ほうてんがげき)】。その矛先には十拳封神剣である【天乃尾刃張(あまのおはばり)】が取り付けられている。天乃尾刃張(あまのおはばり)は切り付けた対象を原子分解させる異次元の武器だ。これが叩き込まれれば、いくら黒き獅子とて大ダメージは免れない。

 そもそも黒き獅子は銀の鷲との戦闘によって満身創痍の状態だった。そこに方天画戟(ほうてんがげき)が撃ち込まれれば、本当に息の根が止まるかも知れない。黒き獅子の表情が厳しさで歪む。だがそんな獣神に対し、背中に装備されたメインスラスタのジェット噴射を最大にした賽唐猊(さいとうげい)が突っ込んだ。

「死ね、王よ!」

「こんな場所で余はまだ死ねん!」

 黒き獅子の瞳が金色に輝く。――とその瞬間、大地が競り上がり土の壁を作った。

「悪足掻きを、そんなものが役に立つか!」

 トウェインは構わずにそのまま突っ込む。そして方天画戟(ほうてんがげき)を打ち込み土の壁ごと黒き獅子を吹き飛ばした。

「ズガガガーンッ!」

 凄まじい爆発音とともに土の壁が粉々に破壊される。これではさすがの黒き獅子も一溜りもないだろう。だがなんと、そこにいるはずの黒き獅子が存在しない。まさか(かわ)したのか!

「ピピピ」

 賽唐猊(さいとうげい)のコンピュータがコックピットの上部モニターに対象を映し出す。黒き獅子は間一髪で上空に飛び退いていたのだ。

「チッ、往生際の悪い神め。さっさと死ねば楽なものを……ん?」

 トウェインは頭上のモニターに映る黒き獅子を見ながら舌打ちする。しかしそこで彼は違和感を覚えた。何だ、機体が動かないぞ。するとそんな彼に向かい、空中で留まったままの黒き獅子が吐き出した。

「甘く見てもらっては困るな、トウェイン。先程の土の壁は【野椎(のづち)】と呼ぶ力だが、それは単に防御としてのものではない。バラバラになった土は粘土と化し、それはお前の様な(おろ)か者を牢として拘束するのだよ」

「だから何だと言うのだ。この程度の力で勝ったつもりか? 片腹が痛いぞ、国王」

「お前のその機体がどれほどの物なのか。余は良く分かっているつもりだ。だから本気で行くぞ、トウェイン!」

 黒き獅子の目が二度ほど光る。すると激しい地震が発生すると同時に、巨大な亀裂が賽唐猊(さいとうげい)の足元に走った。

 亀裂に足を取られ体勢を崩す賽唐猊(さいとうげい)。そしてその姿を見た黒き獅子は、背中の羽根を大きく開いて咆哮した。

「グオォォォ! 大地の怒りをその身で確かめてみよ! 【磐土毘古(いわつちびこ)】、【岩巣比売(いわすひめ)】。二つの力を味わうが良い!」

 賽唐猊(さいとうげい)の足元の亀裂が一気に広がる。当然ながら足場の無くなった賽唐猊(さいとうげい)は為す術なくその亀裂に落下するしかない。そしてそんな賽唐猊(さいとうげい)を押し潰すべく、大地の裂け目は一瞬で閉じ合った。

「ズガンッ!」

 尋常でない振動が大地に伝わる。巨大な地割れが一瞬で閉じてしまったのだ。そしてそこに賽唐猊(さいとうげい)は挟み込まれたのである。数万トン、いや数億トンの圧力が機体に加わっただろう。これではいかに賽唐猊(さいとうげい)が高い防御能力を持っていようとも万事休すだ。だが黒き獅子の攻撃はまだ終わらない。

「ズズズズズ!」

 重い振動が地底深くから伝わって来る。そしてその振動が地表に達した時、大地は大爆発した。

「ドッガアァァァーン!」

 舞い上がった砂埃で辺り一面の視界は遮断される。恐らくこの大爆発で工場跡地の大部分は吹き飛んでしまっただろう。そう容易に考えてしまうくらい、爆発の衝撃は凄まじいものだった。――がしかし、

「ズキューン!」

 遥か後方から発射されたと思わしきビーム砲が黒き獅子の体を貫く。すると当然ながらその攻撃によって、黒き獅子は呻き声を漏らした。

「グハッ。な、ど、何処からの攻撃だ!?」

 黒き獅子は苦しそうな表情を浮かべながら周囲を警戒する。だがそこで獣神が見たのは信じられない姿だった。

 砂埃の中から浮かび上がって来る金色の機体。それは間違いなくトウェインが操る賽唐猊(さいとうげい)であり、それはまったくの無傷であった。そして賽唐猊(さいとうげい)はゆっくりと上昇し獣神に近づいて行く。このロボットは飛行機能まで備わっているのだろう。

 黒き獅子は動揺を隠せない。恐らく先程の攻撃は獣神にとって、かなり自信のあったものなのだ。しかしその対象にダメージは無い。まさかこれ程までとは。

 黒き獅子は苦笑いを浮かべている。するとそんな獣神に向かい、トウェインは意気揚々としながら伝えた。

「どうですか、国王。これがあなたの愛した光子相対力学の結晶ですよ。凄いと思いませんか? せっかくだから出し惜しみなく、全てをお見せしますよ。この機体の真の力をね。そして国王、あなたは死んで下さい!」

 トウェインは嬉しそうに言い放つ。そしてそれと同時に、今度は黒き獅子の頭上から強力なビーム砲が打ち下ろされた。

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