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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第五幕 寒乱(さみだれ)の修羅
90/109

#89 佐保姫の泣血(隠地のプラント)

 かつて鉄道部品の大手サプライヤーとして、絶大な技術力と業界に対する影響力を有していた【フォントネル工業】。しかしその会社は、10年前に発生した大規模火災で全てを灰に変えた。

 首都の中心部にほど近い場所でありながら、工場全体の面積は広大であり、それだけで企業としての規模を知り得る事が出来る。それだけに、当時フォントネル工業がアダムズ王国を代表する企業の一つであったのは、誰の目から見ても明らかだった。

 しかし一夜にしてその会社は全てを失った。ガス爆発が原因とされる大規模火災は、工場や設備等の固有資産だけではなく、会社社長を含む多くの従業員の命までもを奪い去ってしまったのだ。

 貴重な人材の消失は企業に深刻なダメージを刻む。画期的かつ価値のある特許を数多く保有していた会社だったが、やはり中核を成す優れた人材を失った損失は計り知れなかったのだろう。さらにフォントネル工業は大規模火災で首都を混乱させた責任を取る為に、膨大な補償金をねん出する役目を負ってしまった。そしてそれが引き金となり、企業は止むなく倒産する運びとなった。

 一流企業と言えども、たった一度の不祥事で廃業に(おちい)ってしまう。当時のニュース報道を見ていた者達は、漠然とした怖さを感じ取っていただろう。まさかフォントネル工業が潰れるなんて、まったく想像していなかったのだから当然だ。しかし現実として会社は潰れた。特許や開発力といった知的財産と、災害を免れた社員達を散り散りにして。

 世界をリードする卓越した技術力と、それを更に高める開発力がまだ残っていたのだから、会社は立て直せたんじゃないのか。そう考えた者も少なくはなかっただろう。いや、呆気(あっけ)なく会社を倒産させてしまった責任者達に、腑に落ちない疑念を抱いた者だっていたはずだ。

 しかしそんな社員達の不満や不安は急速に解消される。なぜなら彼らのほぼ全てが、複数の同業他社にすんなりと再就職したからだ。それも彼ら自身が驚くほどの高待遇で。

 高度な知識を持った開発者や、熟練の技術を持った職人達がライバル会社に引き抜かれる。また工場で働いていた一般の作業員達までもが、希望すれば簡単に再就職が叶えられた。

 働き場所を失い、将来に失望していた者達の不安が払拭された。表向きにはとても喜ばしい話しである。しかしフォントネル工業の元社員達への支援が恵まれ過ぎていた事から、そこに(わず)かばかりの不審を覚えた者も少なくはない。もしかしてライバル会社がフォントネル工業を陥れて廃業に導いたのではないか。そんな噂が国中に広まったくらいなのだ。

 だがそれは噂話の範中から抜け出すものではなかった。確たる証拠があるわけでもなく、また元社員達も新しい生活に馴染んで行った事で、いつしかフォントネル工業という名前は人々の記憶から忘れ去られていった。そして残ったのは、首都の中心部に似つかわしくない廃工場跡だけだった。


 首都の中心部に近いという最高の立地条件を持っていながらも、なぜかフォントネル工業の工場跡地は10年間手つかずのままである。新しい商業施設でも建設すれば、事業として大きな成功が収められる場所なのに。しかしどういうわけかこの場所に買い手は現れず、廃工場は火災の生々しさを残したまま放置されていた。

 そんな廃工場跡地のゲート前に停まる車の中で、ジュールとテスラは注意深く周囲の状況を(うかが)っていた。彼らは廃工場から感じる只ならぬ危機感に、気持ちを張り詰めさせていたのだ。

 ゲートには立ち入り禁止の表示が掲げられている為、普段から廃工場跡地への人の出入りはほとんどない。いつ崩れるか分からない危険な場所であるから、ほとんど人が寄りつかないのだろう。でも廃工場の周辺にはいくつものビルが建ち並んでいるし、車の往来もかなり多い。それこそ通行人は数えきれない程いておかしくない場所なのだ。

 しかし見たところ人影がまったく見られない。乗り捨てられた車が道路のあちらこちらに停められてはいるが、でもその所有者らしき人の気配はどこにも感じられなかった。

 周囲はしんと静まり返っている。雑然とする首都の賑やかさはどこにも感じられない。たとえ真夜中であったとしても、この場所がこんなに静かになる事なんて有り得ないだろう。ただジュールとテスラはそんな周囲の雰囲気に違和感を覚えつつも、それでも時折窓の車外から吹き込んでくる熱い風を感じて状況を考察していた。

 廃工場付近の上空は、まさに獣神同士が争っていた場所だ。だからこの周辺にいた多くの市民達は、命からがらに逃げ出したのだろう。それに大規模停電で全ての都市機能が停止している。それがこの静けさの原因であるに違いない。二人はそう考えながら、ゆっくりと発進させた車でゲートから廃工場跡地に侵入して行った。

 思えばこの廃工場に向かう途中、対向車の数は膨大だった。それこそ大渋滞が発生し、車を乗り捨て走って逃げだす者の姿も多く見かけた。でもその逆に、廃工場に向かう進行方向はガラガラだった。二人はリーゼ姫とアメリアを追う事を考えるあまり、周囲の状況に関心がもてなかったのだろう。ただここに来て、さすがに彼らも危機感を強めていく。軍人としての直感が、二人にここが極めて危険な場所なのだと分からせたのだ。

 テスラは汗でびしょびしょになったハンドルを握りながら車を進める。そしてジュールは助手席から入念に周囲に気を配った。もう二人の胸の内は戦場と変わらぬほど警戒感を高めている。いや、今まで経験した戦場とは、まったく違った怖さしか感じない。でもその時、ジュールはあの日を思い出しながらテスラに向かって(つぶや)いた。

「ここはファラデー隊長が死んだ、月夜の戦い以来だな。あの時は真夜中で今は昼だから、見え方が少し違う様に感じるけど、でもこれと言って気になる変化は見当たらない。だけど何だろうな。妙な胸騒ぎがして仕方ないよ」

 ジュールはテスラの横顔を見ながら言った。彼は正体不明の違和感をテスラと共感したかったのだ。ただそれに対してテスラは何の返答もしない。運転に集中しているのだろうか。

 車はどんどんと廃工場跡地の中に入って行く。もう少しで中心部に到達するころだ。そしてその場所は、豚顔のヤツことウォラストンと激闘を繰り広げた場所でもある。否が応でも緊張感は高まって行く。するとその緊張感に煽られたのか、ジュールは思わずテスラに聞き尋ねてしまった。

「なぁ、テスラ。どうしてお前はあの夜、躊躇しないでヤツを殺したんだよ?」

「キキッ」

 急ブレーキが踏まれ車が止まる。それほどスピードを出していたわけではないが、それでもジュールはフロントガラスにぶつかりそうになるほど前のめりになった。

「危ねぇだろテスラ。もっと丁寧に運転しろよ!」

 ジュールは反射的に口走る。しかしそれと同時に彼はハッとした。俺はなんて質問してしまったのかと。

 心の片隅にあるテスラへの疑念が不意に口から出てしまった。その事にジュールは酷く気を揉む。今でもテスラを親友だと思う反面、時折見せる彼の冷酷な狂気に、ジュールは腑に落ちない(わだかま)りを感じて仕方なかったのだ。そしてその深層心理が、思い掛けなく口から出てしまった。

 でもその質問に対するテスラの回答も気になる。こうなったら腹を括るしかない。そう思ったジュールはテスラの顔を真っ直ぐに見つめた。だがそんな彼に向けられたのは、テスラの冷たい視線だった。

 (にら)んでいるわけではない。しかしテスラがジュールを見るその瞳には、どこか殺気の様なものが込められている気がする。

 やはりテスラはあの夜、俺を殺そうとしたのか。でもどうして――。ジュールの表情に不安が色濃く浮き出る。だがその時、ジュールから視線を外したテスラが声を上げた。

「あそこだ! 姫の車があったぞ!」

 テスラは指差しながらジュールに告げる。彼の視界にはもう、ジュールは映っていない。テスラの頭はリーゼ姫の事で一杯なのだ。そして彼はアクセルを踏み込み、車を急発進させた。

 少し離れた廃墟の影に黒い車が止まっているのが見える。あれは間違いなく、光世院鳴鳳堂こうせいいんめいほうどうの近くですれ違った車だ。だがそこでジュールはテスラに強く叫び、咄嗟にハンドルを(つか)む。そして彼は横から掴み取ったハンドルを目一杯に回転させた。

「ストップだテスラ! 車を止めろっ!」

「何をするんだジュール!」

「いいから止めるんだ!」

「キキキキーッ!」

 テスラは強くブレーキを踏み付ける。すると車は横向きになって急停止した。しかし何て事をしてくれるんだ。テスラは怒りを込めてジュールに詰め寄ろうとする。だがそんな彼の肩を掴み制止させたジュールは、すぐそこを見て見ろと語尾を強めて言い放った。

 ぐずぐずしてられないのに、ジュールは何を言っているんだ。テスラは憤りを露わにする。だが次の瞬間、彼は驚愕の表情を浮かべた。なんとジュールが指し示す先の地面が大きく穴を開けていたのだ。


 まるで隕石が落ちたかのように陥没する大地。もしあのまま車を前進させていたなら、二人は崖の様に陥没する穴に落ちていただろう。そうなれば無事でいられるはずがない。そう思ったテスラはジュールに向かい、バツが悪そうに謝罪した。

「ご、ごめんジュール。目の前にこんな穴が開いてたなんて、まったく気が付かなかったよ。僕には姫の車しか目に入らなかった。ありがとう」

「いや、そんなの気にするなよ。俺だって気が付くのが少し遅れたんだ。落ちなかったんだからヨシとしようぜ。それより何なんだ、この穴は。前に来た時にはこんな穴なかったぞ」

 ジュールは車から出て陥没した大地を見渡す。直径にしておよそ30メートルと言ったところか。深さは一番深いところで6、7メートルはあるだろう。そしてその地表は熱を持ち、湯気(ゆげ)を上げているのが分かる。まるで大型のミサイルが撃ち込まれ、大爆発したかの様だ。

「ここで何が起きたんだろう。このクレーターみたいな穴は普通じゃないよね。それに大勢の人達が逃げていたんだから、恐ろしい何かが起きたのは間違いないはず。それもつい先頃に。こんな事なら、逃げてる誰かに話しを聞くべきだったかな」

 テスラはそう言いながら身震いしていた。彼はポッカリと開いた正体不明の穴に、只ならぬ嫌悪感を覚えたのだ。そしてその隣でジュールは思う。これはラヴォアジエと黒き獅子の戦闘によって出来たものなんじゃないのかと。

 地表の熱気や周囲に吹き付ける熱風は、恐らくラヴォアジエが発生させた炎が原因なんじゃないのか。それによく見れば、穴の周辺には焼け焦げた跡が無数に存在する。これは黒き獅子が放った雷撃が大地を焦げ付かせたものなんじゃないのか。(わず)かな時間であるが、実際に獣神同士の戦いに身を投じたジュールにとって、それはある意味必然な考えだった。

 しかしジュールはその考えをテスラに告げなかった。なぜ言えなかったのか。その理由はジュール自身にも分からない。ただウォラストンやハイゼンベルクを一刀両断したテスラに、今度はラヴォアジエが殺されるのではないか。彼は心のどこかでそう思ったのだろう。ジュールは拳を強く握りながら、グッと口を噤んでいた。


 再び車に乗り込んだ二人は、穴を迂回して姫の車のある場所を目指す。そして彼らは姫の車に近づくと、その車内をよく確かめた。

 車の中に人影はない。そう判断した二人だったが、念のために車を降りて姫の車をよく調べてみる。しかし車には特に気になる個所は見つけられなかった。

「リーゼ姫とアメリアはここから移動させられたのか。ならやっぱ、この中が怪しいよな」

 ジュールはそう言うと、姫の車が停車したすぐ横にある建造物に視線を向ける。そこは火災の影響でボロボロになったビルであり、今すぐにでも倒壊しそうなほど全体が傾いていた。

 見るからに危険そうな雰囲気が漂う建物である。でもビルの玄関正面に停められた車の状況から考えると、姫達がこの中に連れ込まれた可能性は高い。ジュールとテスラはお互いの目を見て(うなず)くと、ホルスターから小銃を抜いて進み出した。

 ビルの中は薄暗い。それに耳が痛くなるほど静まり返っている。まったくの無音状態と言っていいほどの空間だ。そんな中をジュールとテスラは慎重に歩み進めた。

 ビルの中は(ほこり)まみれで一段と滑りやすい。ただ二人はその厚く積もった(ほこり)に、複数の足跡が残っているのにすぐ気が付く。くっきりと形が残っているため、この足跡がついてからまだ時間は経っていないだろう。そして二人は申し合わせたように、その足跡を辿って行く。するとその足跡は、エレベーターの前で途切れていた。

 このエレベーターに乗って移動したのか。でも何だろう。妙な違和感がする。そう思ったジュールは、周囲に不審なところがないかサッと調べた。ただそんなジュールの肩をテスラが軽く叩く。彼も違和感を覚えたのだろう。そしてその正体に気付いたテスラは、エレベーターの捜査パネルを指差しながら言った。

「パネルが発光してるから、このエレベーターは動くって事だよね。でもそれっておかしくない? だってこんな廃墟に電気が通ってるはずないし、それにもし配線が生きていたとしても、今ルヴェリエは大停電中なんだ。電気が通ってる時点でおかしいんだよ」

 言われてみれば確かにそうだ。ジュールは緊張感を一気に高める。それにこんなボロボロのビルのエレベーターなんて、仮に動いたとしても危険じゃないのか。だが二人にゆっくりと考える時間はなかった。どこからともなく低いモーター音の様なものが聞こえて来る。そしてその音が急速に鳴り止むと、ポンという電子音と共にエレベーターの扉が独りでに開いた。

「こいつに乗れって事か。俺達を誘っているのか」

「でも行くしかないよね。僕達はリーゼ姫を助けなくちゃいけないんだから」

 ジュールとテスラは覚悟を決めてエレベーターに乗り込んだ。すると二人の搭乗を確認したのか、エレベーターの扉が自動で閉まる。もしかしたら監視されているのかも知れない。ジュールとテスラは銃を構えて戦闘態勢を整える。ただ動き出したエレベーターに彼らは驚きを露わにするしかなかった。


「えっ。地下に向かうのか?」

 予想に反し、エレベーターは真下に動き出した。エレベーターの表示板には上階の数字しか記されていなかったため、ジュールとテスラは当然上に向かうものと思ったのだ。しかしこの感覚は間違いなく下に移動している。表示板には記されていない地下空間へ。

 それもかなり深くまで進んでいるみたいだ。かつてプルターク・タワーに遊びに行った経験のあるジュールは、その帰りに乗ったエレベーターの下る感覚に似ていると思った。でもそうなると、このエレベーターは数百メートルも地下に移動している事になる。こんな廃墟でそんなの有り得るのか。

 ただエレベーターは急速に下降スピードを緩めだす。もうすぐ停止するのだろう。ジュールとテスラは強い重力を感じながらも、扉の左右に分かれて身構える。そして不意な攻撃に備えて姿勢を低くした。

 エレベーターがゆっくりと停止する。と同時に扉が静かに開いた。ジュールとテスラは銃口を扉の外側に向けながら周囲の気配を探る。しかし特に怪しい感じはしない。

 ジュールは慎重になりながらエレベーターから降りる。テスラは後方を気に掛けながらそれに続いた。ただそこで二人が目にしたのは突貫工事丸出しのトンネルであり、それは酷く荒れた状態で目の前に長く伸びていた。

 足元はそれなりに通路としてしっかりしているが、壁に関しては全てが土のままであり、掘削しただけの状態である。特にコンクリートによる補強等もされてはいない。ただその天井部分には、一定の間隔で照明が取り付けられていた。

 剥き出しの豆電球がオレンジ色の明りを灯している。心許ない明りのせいでトンネル内は薄暗いが、それでもまったく見えないよりはマシだろう。ただジュールとテスラはトンネルを進みながら思った。トンネルの壁となっている土から、何かの機械みたいなものが顔を覗かせていると。

 壁の所々から金属の部品らしき物体が突き出している。()びついた感じからして、かなり古い物なのだろう。それに折れ曲がった物や、ねじ切れた物も見受けられる。すでに機械としての機能は無くなっているみたいだ。でも何だろう、この奇妙な感じは。

 ジュールは腑に落ちない違和感を覚える。普通に考えれば、これらの機械は何らか目的でここに埋められた物なのだろう。だが見れば見るほど不自然だ。だってこれらの機械は【初めからそこに存在していた】かの様に見えるのだから。それにこの感じ、前に何処かで見た記憶があるぞ――。

 ジュールは壁から突き出た金属の部品を触りながら考える。絶対に俺はこれに似た状況に出会(でくわ)しているはずなんだ。でもどこで俺はそれを見たんだろう。ただその時、彼の肩をテスラが軽く叩いた。

「どうやら突き当りみたいだよ。あそこを見てジュール。扉があるみたいだ」

 ジュールとテスラは慎重に歩みを進める。そして彼らが突き当りに着くと、そこにはテスラが言った通りに頑丈そうな金属製の扉があった。

 土の壁から突き出ていた機械とは異なり、その扉はとても綺麗な状態をしている。(さび)に強いステンレス製だからなのかも知れないが、それでもその扉が比較的新しいものなのではないかと二人は思った。

「なんだかこの扉だけ雰囲気が違うな。それもきな臭くてたまんねぇぜ。でもここまで来たんだ。行こうぜ、テスラ」

「ちょっと待ってジュール。あそこを見て」

 テスラはそう言うと、扉の上の方を指差した。そして誘われるようにしてジュールはそこに視線を向ける。するとそこには【17角形】をした幾何学的な紋章が飾られていた。


「なんだ、この紋章は? 見た事ないな」

「え、君はこれを知らないのかい? これはアカデメイアの紋章だよ」

「これが!」

 ジュールは初めて目にした秘密結社の紋章に胸を衝かれる。これがソーニャの様な純粋なアスリート達を拉致し、非道な人体実験を繰り返す組織のシンボルマークなのかと。それに豹顔のヤツの様な凶悪な存在もいるし、何よりグラム博士が残した論文の強奪まで企んでいる。そんな秘密結社の紋章が扉には掲げられているのだ。

(やっぱり裏組織にアメリアは(さら)われたのか。でもどうして裏組織はアメリアを狙っているんだ。神父のおっさんは何かを知っていたみたいだけど、俺にはさっぱり分かんねぇぞ)

 ジュールは極度の焦燥感に駆られる。神父の口ぶりを思い返せば、奴らの目的はアメリアの方なんだ。リーゼ姫はむしろその巻き添えを喰わされた形だろう。そう思ったジュールは気持ちを苛立(いらだ)たせる。ただそんな彼に向かい、テスラは少し考え込みながら言ったのだった。

「なんだかこの紋章の形は僕が知ってる形と少し違う気がする。扉と違ってあの紋章は古そうだから、今と昔で少し形が違うのかなぁ」

「ん? そう言えばテスラ。なんでお前、アカデメイアの紋章なんか知ってんだよ? 秘密結社に関わりがあるのか」

 ジュールは不審さを露わに問い掛ける。国王直属の近衛部隊コルベットに所属している以上、テスラが秘密結社の存在を知っているのは当然であろう。だがそれでもあえてジュールは聞き尋ねた。彼はテスラの真意を少しでも確かめようとしたのだ。ただそんなジュールに対し、テスラは落ち着いた口調で告げたのだった。

「すいぶん怖い顔してるけど、ジュールは何か勘違いしてないかい。アカデメイアは秘密結社なんて謎めいた呼称で呼ばれているけど、実際は【キュリー首相】の指揮下にある公的な組織なんだよ。僕にしてみれば、軍人でありながらそれを知らなかった君の方がおかしな気がするよ」

 テスラはそう言いうと、少しだけ呆れた表情を浮かべた。事実、アカデメイアは(おおやけ)の機関として周知された存在である。その紋章を知らなかったジュールの無知ぶりに、テスラは疲れを覚えたのだ。

 だがジュールが気に掛けているのはそれではない。表の顔がどうであれ、アカデメイアは裏では非道な行為を続けている。そしてその証拠が、きっとこの扉の先にあるのだ。それにテスラ、お前はそんなアカデメイアと(つな)がっているんじゃないのか。

 ここに来て迷いが生じる。アメリアを救出する目的でテスラと同行して来たが、彼を信頼して本当に大丈夫なのか。――いや、ここまで来たんだ。覚悟を決めろ。大丈夫。テスラは俺の親友なんだ。

 戸惑いを完全に払拭できるはずもなかったが、それでもジュールは扉のノブに手を掛ける。そしてテスラの目を真っ直ぐに見つめながら短く告げた。

「無駄なお喋りはここまでだ。行くぞ」

 ジュールはテスラが(うなず)いたのを確認すると、ステンレス製の扉をグッと押し込んだ。するとその扉は思いのほか軽く開かれる。やはりこの扉は新しいものだったのだ。だが二人は思わず目を(ふさ)ぐ。なんと扉を開けた先は、(まぶ)しい蛍光灯の光で煌々としていたのだった。

「くっ。何だ、ここは!」

 一瞬視界が遠のきはしたが、光に目が慣れるのにさほど時間は掛からなかった。だがそこで彼らは息を飲む。なんとそこで二人が目にしたのは、何かを生産する為の最新の【製造ライン】だったのだ。

 地下空間にしてはだいぶ広い規模だろう。かるく見ても百平方メートルはありそうだ。それに比較的天井も高い。四方の壁は全面真っ白であり、床は濃い緑色をしたゴム製のシートで敷き詰められている。

 でもこれが普通の工場であったなら、それほど疑う必要はないだろう。かなり綺麗であり、かつ最新鋭の製造ラインであるが、これくらいの工場ならいくらでもあるはずなのだ。しかしジュールはそこで【ある物】を見て一驚する。なんと彼の目の前にあるベルトコンベアーには、いくつもの【小型の玉型兵器】が並んでいたのだ。

 小型の玉型兵器は、グラム博士の波導量子力学はどうりょうしりきがくによって作り出された産物である。そしてそれを作れるのは、自分の知る限りヘルムホルツとシュレーディンガーしかいない。でも目の前のベルトコンベアーには、かなり多くの玉型兵器が並んでいる。それも瞬間移動を可能にさせる【銀色の玉】まであるのだ。

 信じられない――。ジュールは唖然とするばかりだった。ただその隣でテスラは落ち着いて周囲を見渡す。

 ベルトコンベアーは動いていない。というよりも、製造ライン自体が稼働してないみたいだ。それに作業員らしき人影もない。もしかして、無人のラインなのか? だがその時だった。搬入口と思しき壁の一部に組み込まれていた電動シャッターが突然動き出す。そしてそのシャッターが開き上がった時、二人の男性が姿を現した。

「思ったよりも早かったな。いや、さすがはアダムズ軍きっての精鋭二人と言うべきか。なぁ、ジュール。それとテスラもな、待っていたぞ」

 不敵な笑みを浮かべながらも、軽く拍手しながらそう告げたのは、アダムズ軍のNo.2である【トウェイン将軍】だった。そしてもう一人。将軍の斜め後ろに控える男性。それはジュールにとって、信頼すべき戦友であるはずの【ガウス】だった。



 一台の救急車が首都中央病院に到着する。そしてそこから運び出されたタンカの上で、リュザックは目を覚ました。

 まるで野戦病院だな。リュザックは怪我人で溢れ返る病院内を見てそう思う。獣神同士の戦闘の余波で負傷した市民達が次々と運び込まれているのだろう。受付の待合室にまで置かれた即席のベッドに、多くの患者が苦しみながら横になっている。このままでは病院はパンクし兼ねない。でもそこでリュザックは、ようやく自分の置かれている状況に気が付いた。

「病院の心配してる場合じゃないきね。早く(みんな)のところへ戻るでよ」

 そう思ったリュザックは、無理やりタンカから降りようとする。しかし体に残るダメージのせいなのか、彼は足がふらつき転倒してしまった。するとそんなリュザックに向かい、病院の医師が駆け寄って来る。

「ダメじゃないか、じっとしていなさい! 今はこんな状況だからすぐには診てあげられないけど、落ち着いて待っているんだ。いいね」

「う、うるさいきね。俺は大丈夫だでよ。ちょっと立ち(くら)みがしただけだが。問題ないき、放してくれだで」

 リュザックは医師を突き放すと、強引に立ち上がった。しかしその足元はどう見ても覚束ない状態である。いや、彼が即席のベッドで寝ている他の負傷者達の誰よりも重傷なのは明らかだ。バトルスーツを着用した状態であったが、交差点に飛び出し車に強く激突されたのだから無理もない。だがそれでもリュザックは歩き出そうとする。

「やめるんだ、君。いくら軍人だからって、無理をしたら取り返しのつかない事になるぞ。それに報告じゃ、君は車に()かれてここに運ばれたみたいじゃないか。そんな状態で無理するなんて、正気じゃないぞ」

「うるさい。大丈夫だって言うちょるき。放っといてくれ!」

 リュザックは医師の制止を無視して歩き出す。こんなところでモタモタしていられない。彼は一刻も早くアニェージ達と合流したかったのだ。だがそんな彼に対し、病院側も黙ってはいない。医師に看護師、それにタンカを運んでいたスタッフまでもがリュザックを取り囲み、その行く手を阻んだ。

退()けって言っちょるき。邪魔すんなでよ!」

 ついに揉み合いが起きた。ただでさえパニックになっている病院がさらに混乱していく。周りにいた怪我人達が騒ぎ始めたため、病院内に余計な不安が広まってしまったのだ。だがそんな雑然と取り散らかした状況の中で、リュザックは聞き覚えのある声で呼び止められる。そしてその【声達】は、リュザックを抑えつけると共に、医師達までもを制止させた。


「おいリュザック、お前こんなところで何暴れてんだよ。みっともねぇぞ」

「お、お前ら。なんでお前らがここにおるきよ?」

 リュザックは思い掛けなく姿を現した面々に驚き一旦動きを止める。なぜならそこに現れたのは他でもない。リュザックやジュールと同じ【トランザム】の隊士達だったのだ。そしてそんなトランザムの隊士の内の一人が言う。その表情は明らかに呆れ果てたものだったが、それでもいつも通りである同僚との再会に、どこか嬉しそうでもあった。

「なぁリュザック。少し会ってない間に、お前ボケたんじゃねぇのか? 俺達は全員、羅城門での戦いの後、この病院に入院したんじゃねぇかよ。ここを通り掛かったのは偶々(たまたま)だけどさ、そんな事も忘れてたのか」

「そ、そうだったきな。完全に忘れとったぜよ」

「それよりどうしたんだよリュザック。体がボロボロじゃねぇか。バトルスーツまで着込んでるし、まさか戦争が始まったってんじゃねぇだろうな?」

 トランザムの隊士は真剣な眼差しで告げる。彼らはリュザックの普通でない姿に気を留めたのだ。それに病院の状況も極めて異常である。とても冗談として片づけるわけにはい。アダムズ軍最強の精鋭部隊である彼らは、敏感にこの異常事態を感じ取ったのだろう。するとリュザックはそんなトランザムの隊士達の内心を読み取り、まだ近くにいる医師達に離れるよう言ったのだった。

「迷惑掛けてスマンきのう、先生。けんど大人しくするき。ちょっとだけコイツらと話させてくれんだでか」

「あんたねぇ、自分の体を何だと思ってるんですか! 車に轢かれて重傷なんですよ!」

「ちょっとだけだきよ。騒がしくもせんから、お願いだで」

 リュザックと医師による押し問答が始まる。――と思われた時、病院内に(せわ)しなく新たなタンカが運ばれて来た。そしてそのタンカを運ぶスタッフが、緊迫した声で医師を呼ぶ。

「先生、お願いします! 出血が(ひど)くて危険な状態です!」

 見たところ、そのタンカには大柄な【神父】が乗っているようだった。ただスタッフが言った様に、その腹部を覆う毛布が赤く染まっている。相当な外傷を負っているのだろう。するとそれを見た医師がリュザックに向かい一言だけ告げた。

「なるべく早く戻るから、あなたは安静にしていなさい。いいですね!」

 医師はそう言うと、リュザックを取り囲んでいた看護師やスタッフを引き連れて、急ぎタンカで運ばれる神父のもとに向かって行った。


 不幸中の幸いか。リュザックは煩わしい医師の干渉から距離を置くことが出来き、ホッと肩を撫で下ろす。ただそんな彼に向かい、トランザムの隊士達は質問を浴びせたのだった。

「それより説明しろリュザック。総司令は死んじまうし、王子は拉致られちまうし。それもその容疑者がジュールだって言うじゃねぇか。もう訳分かんねぇよ。お前、何か知ってんだろ。教えてくれ!」

 隊士達がリュザックに詰め寄る。羅城門で負傷して以来ずっと入院していただけに、彼らにはまったく情報が入って来ていないのだ。だがそんな彼らに対し、リュザックは軽く目配せする。周囲にいる誰かに聞かれたらヤバい。彼はそう思ったのだろう。

 トランザムの隊士達は無言で(うなず)く。さすがは歴戦の隊士達である。リュザックから醸し出される尋常でない気配を感じ取り、それがデリケートな問題であると察したのだ。そしてそんな彼らに向かい、リュザックは小声で告げたのだった。

「俺はジュールとずっと一緒にいたき。ジュールが犯人だなんて、完全なデマカセだがよ。だけんど、この事件はえらく複雑だで。それに途轍もない何かが裏で動いているき。だから俺やジュールはそれが何なのか、必死に(さぐ)っとるところだでよ。もちろん命懸けでな――ん!」

 リュザックはそこまで言ったところで重大な事態に気が付く。なんと彼はやっとの思いで手に入れた【六月の論文】が手元に無いのに気付いたのだ。

「俺は本を持っていたはずだき。どこかそのへんに落ちて無いだきか!」

 リュザックは慌てながら足元を探し出す。またトランザムの隊士達も同様に周囲を捜索した。しかしそれらしき本はどこにも見当たらない。

「くそっ。車に轢かれた時に落としたんか? やっと見つけたっちゅうに」

 足元をふらつかせながらリュザックが歩き出す。彼は自分が事故に遭った現場に戻ろうとしているのだ。ただそんな彼を隊士達が止めに入る。

「おい、そんな体で何処に行こうってんだよ。医者もじっとしてろって言ってただろ」

「時間が無いき。こうしている間にも事態は深刻に――」

 リュザックはガクッと腰を落とす。やはり彼のダメージは重いのだろう。思い通りに動かない体に、リュザックは無念の表情を浮かべ悔しがる。ただそんな彼の体を隊士達は優しく抱え上げると、軽く微笑みながら言ったのだった。

「らしくないなぁ、リュザック。いつもの冷静な判断力はどうしたんだよ。目の前をよく見てみろ。俺達は荒くれ者で喧嘩ばかりしてるけど、それでも一応仲間だろ」

「お、お前ら」

「こんな時だからこそ、仲間を頼れよ。それに面白そうじゃないか、協力するぜ!」

 トランザムの隊士達は一同に微笑んで見せる。仲間の窮地を放っておけない。共に数々の戦場を駆け抜けて来た者同士だからこそ、彼らは理屈抜きで協力を進言したのだ。

 リュザックはそんな隊士達の気持ちが嬉しかった。これ以上頼もしい存在はいない。彼は心からそう思ったのだ。でもだからと言って、ハイお願いしますとは言えない。敵となる相手が異常な存在だからこそ、リュザックは有のままを告げたのだった。

「お前達の申し出は嬉しいき。けんど俺やジュールが首を突っ込んでるこの事件は、本当にヤバいもんだで。それこそボーアの反乱が可愛(かわい)く思えるほどにのう。なんせ相手にすんのは、あの【ヤツ】だからな」

「ゾクッ」

 トランザムの隊士達に激震が走る。彼らはヤツの強さと怖さをその身を持って体験しているのだ。それだけに、身の(すく)む思いがしたのだろう。

 羅城門での戦闘では、まったく手も足も出なかった。そんなヤツをまた相手にしなければいけないのか。戦慄の恐怖が呼び起こされる。しかしそんな絶望的な恐怖を体験しても尚、隊士達は口元を緩めたのだった。

「まったくお前には呆れるよ、リュザック。こりずにヤツとまた戦うなんてさ。でも面白ぇじゃねぇかよ。俺達はアダムズ軍最強部隊のトランザムだ。相手が化けモンだろうと、舐められっぱなしってのは気に喰わねぇ。やってやるぜ!」

「バカかお前ら。俺はマジメに言っちょるきよ!」

「そんなの分かってるさ。それにヤツの強さや怖さだって、実際に戦った俺達なんだ。十分過ぎるほど理解してるよ。もちろん、お前が冗談言ってるんじゃないってのも分かってるさ」

「それなら」

「それでも俺達は王国最強の兵士集団として、一緒に死線を潜ってきた仲間じゃないか。本当に仲間が困ってるなら、力になるのは当たり前だろ。今更水くさい事言うなよ」

「……」

「それに付き合いはまだ短いけど、俺達はジュールがそんなバカやる奴じゃないって事くらい分かっているさ。あいつは本当に真っ直ぐな奴だからな。誰かを裏切ったり、陥れる様なマネはしないだろ。だから尚更放っとけないんだよ。それにまだ意識が戻ってないけど、ドルトン隊長がこの場にいれば、必ず同じ事を言ったはずだろ」

 トランザムの隊士達が柔和に微笑む。やはり彼らは選ばれし精鋭なのだ。たとえそれが極めて困難な任務であろうと、決して弱音を吐きはしない。

 最強軍団のプライドと共に、全員が最後まで諦めない強い意志を胸の内に秘めている。そしてそれはリュザックにとって、無類の頼もしさであった。

 リュザックは思わず目頭(めがしら)を熱くさせてしまう。純粋に仲間達の友情が嬉しかったのだ。ただ彼はぐっと涙を堪えると、皆に向かい最終確認を口にした。

「本当にいいだでな。ヤツを裏で動かしているのは、本物の【神】なんかも知れんがよ。俺と一緒に行くっつう事は、そんな神に歯向かうことになるけ。ハンパな覚悟じゃ、ろくな死に方せんだでよ!」

「望むところだ。もとよりここにいる誰も神なんか信じちゃいない。みんな自分の力だけで()し上がって来た奴らなんだからな。それより時間がないんだろう? 早く詳細を話せ」

「どいつもこいつもバカばっかりだでよ。でも……、これ以上助かる事はないきね」

 リュザックはトランザムの隊士全員の顔を見る。そして彼は溢れ出しそうになる涙を拭うと、気合を入れ直して皆に言った。

「まずは俺の事故った場所に戻るき。誰か車を回してくれだが。話は向かう途中でするき、すぐ出発するだでよ!」

 リュザックを含めたトランザム隊士は総勢八名。その誰もが腕っぷしには絶対の自信を持つ戦場の勇者達だ。だがそんな屈強な肉体を持つ男達は、その見た目に反して静かに動き出す。そして彼らは混乱した病院の状況に紛れ込みながら、そっとその場から姿を消した。

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