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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第四幕 灯巌(ひがん)の修羅
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#85 龍天に昇る位相の扉(四)

 ヘリの座席に腰掛けたヘルムホルツは、暗号が映し出された携帯端末の画面を眺めながら考え込んでいた。


『その時間は、古きに生まれ今に形を変え生きるものが示す』

『その場所は、原始的かつ全てを構築するものの中心である』

『そこで太陽と月を結合させよ。さすれば封印せし彼の地への扉は開く』


 リュザックが観測所のトイレで偶然見つけたマトリックス式の二次元バーコード。そこから新たに出題された暗号の謎にヘルムホルツは(ひど)く頭を悩ませる。いくら考えても暗号の意味がさっぱり分からないのだ。

 そもそも彼は謎解きが得意ではない。もちろん科学者であるから、物理的な考察や証明はそれなりに手慣れてはいる。しかし今回の様な暗号の解読などは経験がないのだ。

 こんな時、小説やテレビドラマに出て来る探偵だったら、どうやって暗号を解読するのだろうか? 難局に直面した彼はそんな事を思ったりもした。だが現実問題として、この暗号を読み解く立場にいるのは自分なのだ。極度の手詰まり感にヘルムホルツは頭を抱える。ただそんな彼に向かい、ヘリの調査を行っていたブロイが、折り畳まれた一枚の紙を差し出して言った。

「驚いたね。このヘリはアダムズ軍のもので間違いないけど、幹部専用機だぞ。なかなかお目に掛かれるモンじゃない。こんな状況だけど、テンション上がっちゃうね。でも不審な点は見つからなかったよ。それなりに詳しく調べたつもりだけど、怪しげなところは何処にも無かった。()いて言うなら、この天体観測所の【電子パンフレット】が機内に落ちていた事くらいかな」

 ブロイはそう言ってヘルムホルツにパンフレットを手渡す。ただそれを受け取ったヘルムホルツは頭を抱えたままだった。こんな物を渡されても、問題の解決に繋がるはずがない。ただのゴミじゃないか。しかしそれを(なげ)いたところで意味もない。ヘルムホルツは頭を掻きむしりながらも、無意識に折り畳まれている電子パンフレットを広げた。


 真っ白だった紙の上に様々な色が浮かび上がる。そしてそれらは天体観測所の構造が一目で分かる写真やイラストになった。電子パンフレットは紙を広げる事で機能をオンさせるのだ。

 そこにはプラネタリュームや売店、それに現在実施されている各種催し物まで詳しく記載されている。このパンフレットがあれば、初めて観測所を訪れる人でも十分にこの場所を楽しめるだろう。でもそれはルヴェリエに向かう途中に、キャッツ号の中で事前に調べたものばかりだ。これと言って気になる部分はない。ただそこでブロイがヘルムホルツに話し掛ける。ブロイにはどこか、ヘリの状態で気掛かりな点があったのだった。

「ねぇ、ヘルムホルツ君。確証は何も無いんだけど、ちょっと聞いてくれるかな。このヘリなんだけど、さっきも言った様に怪しいところは何処にも無いんだよ。僕は初め、それが罠なんじゃないかって思ったんだ。でも違和感が拭えないんだよね」

「どう言う事です?」

「うん、何て言えばいいのかな。このヘリなんだけど、乗り捨てられた感じがするんだよね。むしろコイツに乗ってた連中は、着陸直後に急いでここから離れた。いや、離れなければいけない緊急事態が起きた。そんな気がするんだよ」

 ブロイは眉間にシワを寄せて思い悩んでいる。乗り物に長けた彼が違和感を覚えているのだから、恐らくそれは的外れなものではないのだろう。しかしそれを言われたところでヘルムホルツには答え様がない。彼は仕方なく電子パンフレットに視線を戻した。

 ヘルムホルツは何気なくパンフレットを目で追う。ただそこで彼はあるモノに目が留まった。なぜこんなモノが記されているのか。これに何の意味があるのか。いや、そうじゃない。なぜもっと早くこれに気が付かなかったんだ。

 ブロイから話し掛けられ、一瞬だが意識を他に向けられたのが功を成したのだろうか。しかしそれに気付いたヘルムホルツは、それまでまったく機能していなかった思考をフル回転させ始めた。

 ヘルムホルツが指先を動かしてスクロールさせるパンフレットの一部。そこにはなんと、天体観測所にある【全ての三角形】について、その三辺の寸法が記載されていたのである。観測所の壁や天井に嵌め込まれた三角形の窓ガラスはもちろん、敷地内の広場にあるオブジェやベンチなど、三角形の形をしているもの全てにおいて、寸法が一覧表で記載されているのだ。その数なんと500あまり。これが観測所の特徴なのかも知れないが、しかし不自然なほど気になるのも確かである。そしてその一覧表を見たヘルムホルツは、かつてグラム博士が口癖にしていた言葉を思い出した。


『すべては有限なる無限の三角形にして成立するものなり』


 まだ自分がガキだった頃、会うたびに博士が言っていたこの言葉が思い出される。今でもその意味は全然分からない。でも深く印象に残っているのは確かだ。そしてその言葉から、グラム博士が三角形に何かしらの(こだわ)りを持っていたのは間違いないはず。ならば今回の暗号も、そんな三角形に関係するものなんじゃないのか。ヘルムホルツは膨大に記された三角形の一覧表を流し見ながらそう考えた。

 ただそこで彼は表情を一変させる。一覧表の欄外に記された文字を見てヘルムホルツは唸りを上げたのだ。そして彼は瞳を輝かせて呟いた。

「そうだったのか。俺が不自然に感じていたのは、全ての三角形の寸法が載っていたからじゃなかったのか」

「ん? 何か分かったのかい、ヘルムホルツ君」

「はい。すごく単純な事を見落としていました。このパンフレットに記載されている一覧表なんですけど、寸法の単位が【cm(センチメートル)】だったんですよ。これならグラム博士が残したパスワードも合点がいく」

「ちょ、ちょっと、分かり易く説明してもらえないかい」

「あぁ、そうですね。えっと、ガルヴァーニさんがグラム博士のラボで見つけたパスワードは、r=12.90でしたよね。でも普通r=12.90って言われたら、半径12.9【mm(ミリメートル)】って考えますよ。でもこのパンフレットには一部を除き、単位はcmだって指定されている。だったら全部cm基準で考えればいいんですよ。そもそも12.90っていう表記にも違和感があった。だって普通なら小数点以下の位の0(ゼロ)は省略するでしょ。でもこいつはわざわざ12.90って記してあった。そう、最後の0にも意味があったんですよ!」

 ヘルムホルツは歓喜するよう声を上げる。彼は謎を紐解く何かを掴んだのだ。だがそれでもヘルムホルツの表情は優れない。暗号の核心を突くもう一押しが足りないのだ。いつの間にか彼の額からは大量の汗が流れ落ちている。でももう少し。ヘルムホルツは端末画面を見ながら再び暗号の解読を考え始めた。

「r=12.90っていうパスワードと、それを打ち込む為に必要だった、リュザックさんが見つけたマトリックス式の二次元バーコードの関連性は見つけられた。そして次なる暗号にも、その関連性は生きているはず。暗号で導かれるのは時間と場所。そのどちらにも三角形が関連していると考えるなら、場所の方が探し易いか――」

 そう考えたヘルムホルツは、端末を見ながら場所についての暗号を呟く。

『その場所は、原始的かつ全てを構築するものの中心である』

 ヘルムホルツは幾度も頭の中でその暗号文を繰り返す。すると突然彼の頭の中で、暗号文とグラム博士の口癖がリンクした。

「【原始的かつ全てを構築するもの】と、【すべては有限なる無限の三角形にして成立するもの】っていうのは、ある種同一のモノを示しているんじゃないのか。だったら【全てを構築するもの】は【三角形】に置き換えられる。残るは原始的ってところだけど……、まさか!」

 ヘルムホルツは(はや)る気持ちを必死で抑えながらパンフレットの一覧表をスクロールさせる。そして彼は500ある全ての寸法に目を通して息を吐き出したのだった。

「やっぱりそうか。広場にある三角形の寸法単位は【(メートル)】なんだ。これで場所は分かったぞ。三辺の寸法が【8、15、17】メートルの直角三角形。ここしか考えられない。残るは時間だけだ。絶対に解いてみせる」

 ヘルムホルツは再び端末の画面に視線を移しそれを眺める。そして彼は時間についての暗号を小さく呟いた。

『その時間は、古きに生まれ今に形を変え生きるものが示す』

 場所の暗号と違い、まったく意味が分からない。今も昔も三角形は三角形だ。形が変わるわけがない。でも暗号には形を変え生きるものだと言っている。どういう事なんだ? ヘルムホルツは酷く戸惑いながらも考えを巡らせた。ただその時だった。ヘリの調査を続けていたブロイが何気なく現在の時刻を口にする。するとその言葉にヘルムホルツはハッと息を飲み込んだ。

「もう少しで12時50分か。緊張してるせいか腹は空かないけど、少しは休みたいね」

「ん? ブロイさん、今何て言いました?」

「はぇ? 疲れたから少し休みたいなぁって」

「それじゃない。もうちょっと先ですよ!」

「もうちょっと先って、僕なんか言いましたっけ? 確か腹がへってないとか、今が何時かって言った様な」

「それだ!」

 ヘルムホルツは思わず叫ぶ。そして彼は端末の画面に計算機を表示させて忙しく指先を動かした。

「古きに生まれ、今に形を変え生きるものの正体はこれか。でもこれって……。ブロイさん、今の時刻はっ!」

「えっ、あ、あぁ。12時50分ちょうどを今過ぎたところだよ」

「クソっ。間に合うか!」

 ヘルムホルツは痛めている足に構わずヘリを飛び出す。そして彼は空を見上げながらゴーグルを装着した。

「雲がだいぶ(まだら)になってる。これなら太陽の光も十分差し込むぞ。それにこの移動してる信号はリュザックさんか。あの人はホント運が良いぜ。問題は俺の足で間に合うかどうかだけど、こうなったら諦めるわけにはいかない。太陽と月を【結合】させて【扉】を開くんだ!」

 ヘルムホルツは必死の想いで駆け続ける。そんな彼の右手には、ポケットから取り出した【銀色】の玉型兵器が握られていた。


 天体観測所の正面ゲートを飛び出したリュザックがソーニャを追う。彼女を放っておくわけにはいかない。いや、早く保護しなければマズイ事になってしまう。リュザックはソーニャから感じる只ならぬ危うさに気持ちを粟立てていた。

「おい、ソーニャ! そこから動くなでよ!」

 リュザックは強くソーニャに呼び掛ける。彼女はゲートを抜けた先にある広場にいた為、すぐに発見出来たのだ。リュザックは迷うことなくソーニャに駆け寄る。でもやはり彼女の様子はどこかおかしい。ソーニャは誰かを探し求めるよう、周囲を見回しながらウロウロしていた。

 少女は明らかに動揺している。心ここに(あら)ずといった感じだ。その証拠に近寄るリュザックに彼女は見向きもしない。だがそれはリュザックにとっては好都合だった。いくらアスリートと言えども少女であるのに変わりはない。アダムズ軍の最強部隊であるトランザムの隊士である自分なら、そんな彼女を取り押えるのに苦労はしないだろう。油断したわけではないが、彼はそう考えてソーニャの体を抑えようと抱きついた。――がしかし、

「!」

 リュザックの体が前のめりに転がる。彼はソーニャに抱きつけず、そのまま勢いよく転倒してしまったのだ。

「うわっ。ど、どうなっとんじゃ。しっかと捕まえたはずなんに、なんで俺は転んでるがよ?」

 リュザックは状況が掴めず混乱する。それでも彼は即座に起き上がりソーニャの姿を目で追った。

 彼女は数メートル離れた場所に立っていた。でも見た目には何の変りもない。いや、誰かを探している様子はむしろ必死さを増しているほどだ。ならどうして俺は少女を捕まえられなかったのか? リュザックは懐疑的になりながらも気を引き締め直し、今度は慎重な身のこなしでソーニャを捕まえに行く。だがしかし、またしても彼は少女を捕まえられなかった。そしてリュザックは数メートル先に移動したソーニャを見つめながら唖然とした。

「なんちゅう素早さだで。目で追うのすら難しいきよ。最近の水泳選手ってのは、こんなにもフットワークが軽いんじゃきか?」

 そんなバカな話しはあるまい。リュザックの(つぶや)きを聞いたなら、誰もがそう鼻で笑うだろう。しかし現実にソーニャは有り得ないスピードで移動している。この状況をどう捉えればいいんだ。

 リュザックは苦々しい表情を浮かべながら考える。どう見てもソーニャの動きは普通じゃない。身体能力加速機能を備えたバトルスーツを着ているならまだしも、生身の人間に発揮出来る移動速度じゃないのだ。ならこの神掛かった瞬発力はどこから生み出されるものなのか。

 リュザックの背中に冷たい汗がどっと噴き出す。今すぐにここから逃げ出したい程に嫌な気がするのだ。しかしだからといってソーニャをこのままには出来ない。

「かぁ~。まっこと面倒くさいきね。けんどこうなったらヤルしかないでよな!」

 リュザックは全力でソーニャに飛び掛かる。仮にこれで彼女がケガをしたとしても仕方がない。一番重要なのはソーニャの身柄を確保する事なのだ。リュザックは戦場さながらの覚悟を決めてソーニャに向かった。

 だがそれでもソーニャを捕まえられない。かろうじて指先が彼女の服をかすめるのが精一杯だ。それでもリュザックは諦めず、連続で二度三度とソーニャに飛び掛かった。

「ハァハァハァ。ま、参ったきね。全然捕まえられんがよ。まっさか小娘ごときにこれ程手間取るとは思わんかったで。でもどういうこっちゃ? なしてソーニャはこの場所を離れんだきよ」

 リュザックはまったく捕まえられないソーニャの素早さに舌を巻くも、なぜかこの場所から離れようとしない彼女の行動に首を(かし)げた。

 何か理由があるのか。リュザックが気にする様に、ソーニャは天体観測所の正面広場から離れようとしない。リュザックに捕まりたくないだけなら、彼女の素早さをもってすれば、簡単にこの場から姿を消す事が可能であるはずなのだ。しかし彼女はこの場所に留まっている。そう、誰かを探し求めて。

「ラウラ! 聞こえているなら返事して、ラウラ!」

 ソーニャはありったけの声を絞り出して叫ぶ。間違いない。彼女は共に秘密結社によって拉致されたアスリートである、あの【猪顔のヤツ】になった女性を探しているのだ。

「ラウラお願い。私の前に姿を現して」

「こっちよ、ソーニャ。もっとこっちに来て」

「ラウラ!」

 どこからともなく聞こえた声にソーニャは応える。そして彼女は嬉しそうに微笑みながら駆け始めた。

 明確な位置は分からない。それでも迷いなく進むソーニャの姿からして、その方向に何者かがいるのは間違いないのだろう。そう感じたリュザックはすかさずソーニャを追い駆ける。ただその時、彼の視界を強い太陽の光が遮った。

「チッ、雲が晴れただきか。一気に眩しくなりやがって、まっこと厄介な事ばかり続くだでな!」

 急に周囲が明るくなったせいで視界が真っ白に変化する。装着していたゴーグルが光の調整に支障を来したのかも知れない。瞬時にそう判断したリュザックはゴーグルを投げ捨てた。

 走るソーニャの後姿がはっきりと目視出来る。それに少女の走るスピードはそれほど早くはない。これなら十分追いつけそうだ。リュザックはソーニャの背中を見ながら全力で駆け出した。――が、その時だった。

 彼は足元より発せられた禍々(まがまが)しいまでの殺気を感じて足を止める。すると次の瞬間、鋭い爪を剥き出しにした【猪顔のヤツ】が、地中より猛然と飛び出して来た。


「ザケンなやっ!」

 リュザックは必死に横っ飛びして猪顔のヤツの攻撃を間一髪のところで避ける。数々の死線を乗り越えて来たリュザックの戦士としての経験と直感が、超人的な反射神経を発揮させたのだ。そして彼は素早くマシンガンを構える。接近したこの距離なら絶対に外さない。リュザックは躊躇(ちゅうちょ)なく引き金を目一杯に引いた。

「バンバンバンッ!」

 マシンガンの銃口が連続して強烈な火花を噴き出す。リュザックが装備したマシンガンは、通常の3倍の威力を誇る攻撃力重視型だ。ヤツとの戦闘を予測していた彼は、操作性よりも攻撃力の高さを優先して武器を用意していたのである。このマシンガンの威力ならば、仕留められないまでも動きは確実に止められるはず。リュザックはそう考えながら銃弾を連射した。だがしかし、発射された複数の弾丸は猪顔のヤツに当たらない。

「ちょ、な、なにするきねソーニャ。離すがよ!」

「やめて! ラウラに乱暴するのは止して!」

 リュザックに飛びついたソーニャが叫ぶ。そう、彼女はマシンガンを発射する寸前のリュザックに飛びついていたのだ。そしてソーニャはリュザックがマシンガンを発砲出来ない様、必死にしがみ付いて離れようとしない。彼女は全力でラウラを守ろうとしているのだ。

「こんな時にアホな事すんなや! これじゃこっちがヤラれるき。ヤツは俺達を殺す気だで!」

「ラウラはそんな事しない。話せば絶対に分かってくれるから、だからお願い。彼女を傷付けないで」

 ソーニャは訴え掛ける眼差しでリュザックを強く見つめる。彼女は本気でラウラを救おうとしているのだ。そしてそんな強い眼差しにリュザックは状況判断を鈍らせる。ソーニャの言う通りにすれば、猪顔のヤツは大人しくなってくれるのか。化け物であるヤツを本当に信じていいのか。ほんの一瞬だったが、彼はそう考えて動きを止めてしまった。――とその時、

「グロロロロッ!」

 唸り声を上げた猪顔のヤツが剛腕を振り上げる。そしてリュザックとソーニャに鋭い爪を向けて突進した。

「言わんこっちゃない。やっぱりこいつは化けモンだきね!」

 リュザックはソーニャの体を力一杯に突き飛ばす。そしてマシンガンを即座に構えた彼は、迷いなく引き金を引き絞った。

「ガキンガキンガキン!」

 くるりと反転したヤツは背中で弾丸を弾き飛ばす。鉄の様な硬い筋肉で覆われた背中にマシンガンは通用しない。一発一発がショットガン並みの威力を持っているはずなのに、それすら効かないのか。

 リュザックは奥歯を強く噛みしめる。かつて羅城門で羊顔のヤツと戦った苦い記憶を思い出したのだ。だがそこで猪顔のヤツの方が一歩後退する。いくらマシンガンを防ぐ強靭な体を持っていようとも、元は一般の人間なのだ。マシンガンという殺傷兵器に対して本能的に怖さを感じ取ったのかも知れない。

「殺し合いは素人だきか! だったらこっちにも分があるってモンだがよ」

 リュザックは狙いを定めて右腕一本でマシンガンを発射する。そして同時に取り出した小型の赤玉を左手に握った。

「やめてラウラ! あなたが傷つく必要なんてないのよ!」

 ソーニャが悲痛に叫ぶ。彼女は打ち付けられる弾丸に表情を(ゆが)めるヤツの姿を見ていられないのだ。だが現実はさらに残酷だった。なんと猪顔のヤツはマシンガンの弾を強引に掻い潜ると、今度はソーニャに向かって狂暴な牙を剥き出しにしたのだ。

「チッ。ヤツは自我を失っちゅうきねっ」

 リュザックはヤツに向けてマシンガンを連射する。するとその銃弾を側面からまともに受けたヤツは体勢を崩した。

「ドカッ」

「キャッ」

 銃弾を受けたヤツの巨体が勢いよく倒れる。背中以外の部分では、マシンガンの威力を受け流せないのだ。ただその衝撃に巻き込まれる形でソーニャも転倒してしまった。

「くそっ。こいつはマズイきね」

 リュザックは銃を連射しながらヤツに詰め寄る。ヤツの腕が届く距離にソーニャが横たわっているのだ。この状況ではヤツに致命傷を与える為の赤玉が使えない。

 なんとかヤツを後退させようとリュザックは弾丸を撃ち込み続ける。だがしかし、ヤツはその弾丸を背中で受け流すだけで一歩も動かなかった。


「ガキンガキンガキンガキンッ」

 ヤツは背中でマシンガンの弾丸をガードし続ける。ダメージは無いものの、リュザックからの怒涛の攻撃に身動きが取れないのだ。ただそんなヤツの姿にリュザックは目を細めた。

「こいつ。もしかしてソーニャに流れ弾が当たらんよう、じっと堪えているんだきか」

 リュザックはそう思いながらも攻撃の手を緩めない。彼はマシンガンを撃ち続けながら、ヤツまであと一歩という距離に接近した。

「グウオォォ!」

 ヤツが猛烈な咆哮を上げる。さすがのヤツもこのままではマズイと感じたのだろう。ヤツはマシンガンの被弾を顧みずにぐるりと体を反転させる。そしてヤツは腹に数発の弾丸を撃ち込まれながらも、構わずにリュザックを薙ぎ払った。

「バギャン!」

 ヤツの拳がマシンガンを粉々にして吹き飛ばす。だがしかし、そこにリュザックの姿は無かった。

「こっちだきよ!」

 ヤツは声がした方向に顔を向ける。するとその瞬間、強烈な閃光が視界を包み込んだ。

「グワァ!」

 リュザックは黄玉の閃光弾を使ったのだ。ヤツは目を覆いながらのけ反っている。人の数倍の身体能力を有するヤツが、その視力で強烈な閃光を直視してしまったのだから、その衝撃は凄まじいはずだ。ヤツは完全に悶絶状態となっている。そしてそんなヤツの腹にリュザックは抜身の刀をありったけの力で突き刺した。

「グザッ」

「ギィヤァァ!」

 ヤツの絶叫が響く。だがこの程度の攻撃で倒せるヤツではない。リュザックはヤツの脇腹を蹴り飛ばして刀を引き抜と、素早く橙玉を取り出し、それをヤツの腹の傷口に向かって鋭く投げつけた。

「ビギャーン!」

 強烈な電撃がヤツの体を駆け抜ける。真っ黒な体毛が逆立つほどの激しい衝撃がヤツの全身に伝わった。これには猪顔のヤツも相当なダメージを受けたのだろう。ヤツはがっくりと膝を着き(うずくま)る。

「もう一押しだきね! でもどうする、(とど)めをさすか、それともソーニャを抱えて距離を取るか」

 リュザックは一瞬迷う。ヤツの息の根を止める為には赤玉が絶対条件だ。でもすぐそこにソーニャが倒れている。ここで破壊力の増した改良版の赤玉を使ったら、確実にソーニャも傷つけてしまうだろう。でも赤玉でヤツを倒す絶好のタイミングは今しかない。どうすればいい!

 リュザックはソーニャに駆け寄った。悔しいが、この状況で赤玉は使えない。彼はそう判断したのだ。だが彼がソーニャを抱きかかえようとした時、ヤツが形振り構わず立ち上がった。

「タフにも程があるきね!」

 リュザックはソーニャの体から手を離して振り返る。ただそれと同時にヤツの剛腕が彼に向かって猛烈に振り抜かれた。

「バギーン!」

 リュザックは咄嗟に刀で防御する。しかしヤツの剛腕はその刀を叩き折り、そのままリュザックの体を弾き飛ばした。

「ぐほっ」

 リュザックは口から血を吐き出しながら宙を飛ぶ。そして彼の体は数メートル先にあった三角形の形をしたベンチの中央に叩き落ちた。

「グロロォォ」

 ヤツは唸り声を絞り出す。腹から流れ出る大量の出血が、そのダメージの深刻さを物語っている。ヤツも満身創痍なのだ。だがヤツの暴挙は止まらない。傷ついた体に構うことなく、ヤツはソーニャに向かって進み出した。

 (ひたい)から血を流しながらソーニャが起き上がる。転倒した拍子に切ったのだろう。ただその血を拭いもせずに、彼女は獰猛な牙を剥く猪顔のヤツを見つめていた。


 地中から顔を出す様に設置された大きな三角形のベンチの中央。そこに倒れたリュザックは強い衝撃に顔を歪めた。たった一撃だが、かなりのダメージを負ってしまったのだ。その証拠に(ひざ)が笑って立ち上がれない。それでも彼は必死でベンチの淵を掴み、上半身を引き起こした。だがそんな彼の視界に絶対的な窮地が飛び込んでくる。

「クソッ、間に合わんき!」

 そこにはソーニャに向けて剛腕を振り上げる猪顔のヤツの姿があった。リュザックはどうにかソーニャを救おうと小銃を引き抜こうとする。しかしそれよりも早くヤツはその剛腕を振り降ろした。

「ズドン!」

 万事休す。リュザックはそれを疑わなかった。だがそんな彼が目にしたのは、またしても信じられない光景だった。

 なんとヤツの剛腕はソーニャを避けて大地に突き刺さっていたのだ。もちろんソーニャは無傷である。でもどうしてヤツの攻撃は少女に当たらなかったのか。リュザックは目を丸くしながら戸惑った。

 大地に腕を突き刺したヤツは動こうとしない。もしかしてリュザックから受けたダメージで動けないのか。いや、でもそんなはずはない。ヤツのタフさから考えれば、少女の息の根を止めるなど造作も無い事のはずなのだから。ならばヤツは自ら制止したというのか。

 徐々に足の感覚が戻って来るのを感じたリュザックは、体勢を立て直す為に立ち上がる。ただそんな彼の目に映ったのは、大地に腕を突き刺したヤツに向かい、その顔を優しく撫でるソーニャの姿だった。

「ラウラ。やっと会えたね」

「……ソ、ソーニャ。私は」

 猪顔のヤツがソーニャの呼び掛けに応える。それは酷く弱々しい声であったが、それでもしっかりとした意志は感じられた。ソーニャの想いがヤツに届いたのであろうか。そしてその姿を見たリュザックは、小銃を構えながらも発砲を控えていた。

「あいつ、正気に戻ったんか? ――ん!」

 リュザックの周囲が急激に明るくなる。雲の切れ目から強い太陽の光が振り降ろしたのだ。ほぼ真上にある太陽から降り注ぐ光が不思議な程強く輝いている。そしてそれはまるで、リュザックのいる三角形の中心を意図的に照らしているかの様であった。

「なんじゃて、これは。ベンチの内側がピンク色に光っているでよ」

 目の錯覚かと思いもしたが、確かに三角形のベンチの内側は淡くピンク色に光っている。ただその時、後方よりヘルムホルツの叫ぶ声が聞こえた。

「リュザックさん、こいつを受け取ってくれ!」

 負傷した足に構うことなく駆け付けたヘルムホルツはそう叫ぶと、リュザックに向けて小さな玉を思い切り投げた。ヘルムホルツが投げたその玉は、大きな放物線を描いてリュザックまで飛んで行く。

 いきなりで何事かと思いもしたが、リュザックはどうにかその玉のキャッチに成功した。するとそれを確認したヘルムホルツは、最後の力だとばかりに懸命に叫んだのだった。

「今だっ! そこでその玉を潰すんだ! そこが暗号の示した場所なんだ!」

「ここが!」

 リュザックは目を丸くしながら驚きを露わにする。しかし考えている時間は無い。リュザックは受け取った【銀の玉】を力一杯地面に叩きつけた。

「パッ」

 閃光弾と同等な強烈な光が発生する。ただその時にはもう、リュザックの姿は消え去っていた。

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