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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第四幕 灯巌(ひがん)の修羅
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#83 龍天に昇る位相の扉(二)

 正午を過ぎたばかりだと言うのに、天体観測所に人気(ひとけ)は無い。一般客はもとより、スタッフさえ見当たらない状況だ。どう考えても普通じゃない。いや、むしろ罠だと考える方が自然だろう。

 観測所の正面入り口に到着したアニェージ達は、細心の注意を払いながら周囲を警戒する。敵が待ち伏せているのは間違いない。そう考えた彼女達は、安全装置を解除したマシンガンを構えながら慎重に行動した。

 獣神達が上空で暴れていた弊害で停電しているのだろうか。ガラス越しに覗き込む観測所内に光はない。そんな館内を皆は、アダムズ軍で採用されている特殊なゴーグルを装着して覗き込んだ。

 ゴーグルには動く物体を自動で感知するセンサーが内蔵されている。また暗視機能も内蔵されている優れものだ。もし(わず)かでも視界に動く何かがあれば、瞬時にゴーグルのレンズに信号が映し出され、装着者にそれを知らせるはず。しかしそのゴーグルは今、何の信号も発しない。人影がどこにもいない証拠だ。そしてその状況にティニが少し弱々しく(つぶや)いた。

「誰もいなそうですね。やっぱ中に入らなくちゃダメみたいです」

「ここに来る途中、信号機が点灯しとらんかったき。化けモン同士が喧嘩しちゅうて、この周囲一帯が大規模な停電になっとるんだで。でも用心に越したことはないでよ。監視カメラの死角を進むきね」

 アニェージに代わってリュザックが先頭を進む。一度は気持ちを取り乱した彼だったが、ここに来て落ち着きを取り戻したのだろう。いつもの切れの良い洞察力が冴え渡る。そして彼は正面入り口のすぐ横に併設されている非常用の扉に向かった。

 扉の前まで来たリュザックはそっと聞き耳を立てる。しかし何も聞こえない。まるで深夜の様な静けさだ。時折生温かい風が通り抜けはするが、それは観測所の外にある木の枝を揺らすばかりで、人の声どころか鳥の(さえず)りさえ運んでは来ない。

「まったく、嫌な予感しかしないぜよ。でもここはあえて、誘いに乗ってみるしかないきね」

 リュザックは小さく(つぶや)く。そして彼はチラッとアニェージ達の顔を見てから非常用の扉を軽く押した。

「!」

 目を丸くしたアニェージ達の前で、リュザックが押した扉がゆっくりと開く。そう、扉は施錠されていなかったのだ。

「もしかして、獣神達の戦いに焦ったスタッフが鍵を掛け忘れて逃げちゃったって事はないですかね? それか停電で鍵が開いちゃったとか――」

 ティニが不安そうな顔つきで言う。そんな単純な話しのはずがない。それは彼女自身にも良く分かっている事だ。でもティニは耐え難い不安を紛らわす為に、あえて願望を口走ったのだった。ただそんな彼女にエイダが真顔で(たしな)める。

「冗談は止してティニ。怖いのは分かるけど、軽々しい態度は時として(みんな)を危険に晒すのよ。もっと気持ちを引き締めて」

「わ、分かってるよ。でもこれがあたしのスタイルなんだから仕方ないでしょ!」

 ティニが勝気な表情を浮かべてエイダに楯突く。ただ次の瞬間にティニはマイヤーの腕に抱きついていた。

「おい、やめろティニ。まだフザけるのか」

「そ、そうじゃないです。でもちょっとだけ、こうさせて下さい隊長。すぐに落ち着きますから」

 やはりティニが怖気づいているのは明らかだ。これが彼女にとって初の実戦であるだけに、余計に気持ちが(すく)み上がっているのだろう。ただそんな彼女に向かい、意外にもリュザックは穏やかに言ったのだった。

「ティニ。そのままマイヤーの腕を掴んでていいけんど、少し俺の話しに耳を傾けてくれだが。いいか?」

「は、はい」

 ティニはそう答えると、より一層強くマイヤーの腕を抱きしめた。正式な許可をもらったのだ。甘えないわけにはいかない。彼女は心からそう思い、マイヤーに(すが)ったのだろう。そしてそんな彼女にマイヤーは呆れていた。いや、こんな事で彼女が落ち着きを取り戻せるなら易いものだ。そう考えているリュザックの胸の内を察したからこそ、マイヤーは大きく溜息を漏らしたのだった。

「まぁまぁ、そう肩を落とすなマイヤー。ちっとばかりの辛抱じゃけ。それに(あなが)ち悪い気はせんじゃろ。どんな相手だろうと、好意を持たれるっつうのは嬉しいモンだきね」

「リュザックさん。あまり悪ふざけが過ぎるなら、本気で怒りますよ」

「そう目くじらを立てなさんなや。こっから本題を言うき。よう聞いといてくれだがよ」

 そう言いながらリュザックはニッコリと微笑む。彼は困っているマイヤーの顔が面白くて仕方ないのだ。だがそんな不真面目な態度はそれまでだった。

 意識を戦闘モードに切り替えたのだろう。リュザックは顔つきを緊迫感のあるものに変える。そして皆に対してこれからの行動を指示したのだった。


 ゴーグルの視界に天体観測所の構造が3D映像として映し出される。このゴーグルには、バーチャル映像を立体的に映し出す機能まで備わっているのだ。そしてその映像を見ながら、リュザックが丁寧に説明を開始する。彼は移動中の輸送機で、ヘルムホルツにデータを仕込ませていたのだった。

「まずは天体観測所の情報入手にトライするき。マイヤー達はホールに入ったら三方に散開して待機するがよ。俺とアニェージちゃんはホール中央にある月のオブジェの前に行くで。映像を見て分かると思うが、そこに観測所の案内表示パネルがあるだでな。恐らくそのパネルは観測所内のデータベースと繋がってるき。アニェージちゃんにはそこからデータベースにアクセスしてもらって、館内の情報を抜き取ってもらうぜよ」

「停電なのにアクセス出来るんですか? それにもし何の情報も入手できなかったら」

 ティニがマイヤーの腕に掴まりながら質問する。それに対してリュザックは少しだけ微笑みながら答えた。

「停電でもアクセス自体には問題ないじゃろ。アニェージちゃんが持ってる携帯端末は優れモンじゃき。配線が生きてさえいれば、問題ないはずだでよ。けんどそれでも情報が手に入らんかった場合は、人力(じんりき)に頼るしかないで。そん時になったらまた指示は出すけんど、俺とアニェージちゃんは2階に行くがよ。マイヤー達はそのまま1階の捜索を続けてくれだでな」

 リュザックの指示に(みんな)は黙って頷く。そしてリュザックを先頭にして彼らは慎重に天体観測所の中へ進入した。


 天井近くまでがガラス張りの構造をしている為、外から見たよりも観測所の内部は見通しが利く。これならゴーグルの暗視機能は必要ないだろう。そう判断したリュザックはアニェージと共にホール中央に進み出す。また同時にマイヤー小隊は三方に散らばり、ホールの片隅に隠れながら周囲を警戒した。

 前回リュザック達がここを訪れた時と変わりなく、ホールの中央には大きな月の模型が展示されている。皆既日蝕のイベントがまだ続いているのだろう。

 リュザックはそんな月の模型を前にして、注意深く周囲を探る。センサーの感度をMAXにしたゴーグルで、彼はどこかに不審な場所がないか確認したのだ。そしてそのすぐ隣にアニェージが屈み込む。そして彼女は端末から手際よくコードを伸ばし、それを観測所の案内パネルに繋ぎ込んだ。

「ピピッ」

 アニェージが手にする端末の画面に文字列が写し出される。するとアニェージは手慣れた様子で端末を操作し始めた。

 各自のゴーグルに観測所の平面図が映し出される。そしてその中に緑色に点滅する信号が5つ確認された。これはアニェージ達自身が現在観測所の何処にいるのか表示しているのであり、またマイヤーが映像の表示範囲を拡大させると、観測所の外にも2つの緑色の点滅が確認出来た。これはヘリの捜索をしているヘルムホルツとブロイの信号だ。

 ゴーグル同士に通信機能がある為、お互いの位置を特定したのである。だがやはりそれ以外となると、直接ゴーグルで見つけない限り不審なモノを見つけ出すのは難しい。

「アニェージちゃん、観測所内の監視カメラは使えないかえ? この案内パネルにカメラ映像を出してくれると、もっと助かるんじゃきの」

「今やっている。少し黙っててくれないか」

 アニェージは休むことなく指先を動かし続けている。リュザックに言われるまでもなく、彼女は監視カメラの機能を奪い獲るつもりなのだ。いや、それ以上に観測所の全ての機能を掌握するつもりなのかも知れない。だが思いのほかカメラ機能の奪取に手間取っているのだろう。アニェージは舌打ちしながら作業を続けた。

 そんな彼女を不意な襲撃から守るようリュザックが警戒する。ただそこで彼はホールの片隅に立てられた工事中の看板を見て苦い顔をした。

「まだ工事中なんだきな。ここには良い思い出が無いがよ」

 リュザックが立て看板を見て(つぶや)く。そこは彼が初めに駆け込んだトイレだった。すると端末操作を続けるアニェージが、彼に視線を移す事なく告げる。

「そう言えばお前、腹を壊してずっとあそこに籠ってたんだよな。それも2回」

「う、うるさいきよ。あん時はこがい腹痛かったがね。いくら俺がトランザムでも、生理現象には勝てんきよ」

「体調管理も立派な仕事だろ。王国最強の部隊を名乗るなら、最低限それくらいは怠るなよ」

「分かってるきよ。でもそのお蔭で暗号の解読に一歩近づいたんだし、それにソーニャも助けられたんだで。結果オーライじゃろ」

「モノは言い様だな。ただあのトイレの壊れっぷりは凄いな。ジュールと豹顔のヤツが戦った痕跡なのか?」

 そう思ったアニェージは、少しだけ端末から視線を外して大きく穴の開いた壁を見る。あの時はリュザックの体を抱えて観測所の外に飛び出していた。その為ジュールと豹顔のヤツがどういった戦闘をしたのか分からない。それにあの時はラウラと呼ばれた猪顔のヤツも現れていた。そう言えば、あの猪顔のヤツはあの後どうなったのだろうか――。

 引き続き端末の操作に戻ったアニェージは口を噤んで考え込む。彼女は猪顔のヤツが見せた哀しい瞳を思い出したのだ。ただそんなアニェージの肩をリュザックが軽く叩いて告げた。

「まだ時間かかるかえ? ホールのド真ん中に長居するんはマズイがよ。仕方ないき。おい、聞こえるかマイヤー。済まんがお前達は1階の捜索に移行してくれだが。危険じゃき、3人(そろ)って行動するんじゃぞ」

 リュザックはゴーグルの通信機能を通じてマイヤー達に指示を出す。ぐずぐずしている暇はない。彼の直感がそう思わせるのだ。ただその横でアニェージは黙々と端末操作を続けていた。

 マイヤーのもとにティニとエイダが集まる。そして彼らはホールの外周をゆっくりと回り出した。まずはホールに怪しい場所がないか捜索を始めたのだろう。だが少しすると今度はマイヤーからリュザックに報告が入る。ホールには特に怪しく感じられる場所が見当たらなかったのだ。

「気になる場所は見当たらないですね。赤外線のサーモセンサーも働かせているんですが、そっちにも異常は見られません」

 マイヤーはライフルに取り付けたスコープを覗きながら告げる。するとそれに対してリュザックは冷静に次の行動を示唆した。

「分かったき。なら次は申し合わせていた通りに、1階の別の場所を捜索してくれだが。こっから先、俺達とマイヤー小隊は完全な別行動だき。気を付けるだでよ」

 ただでさえ少ない人数を二手に分けるのは苦渋の決断である。どこで敵が待ち伏せしているか分からない状況なのだ。危険性が増すのは誰の目から見ても明らかであろう。しかし今はそんな弱音を吐いている状況ではない。リュザックはマイヤーに向かって1階のホール以外の場所の捜索を指示した。

「食堂に売店、プラネタリュームや多目的ホールと、怪しい所が目白押しだで。気を付けて捜査するき。もし何かあったらすぐに知らせるがよな。くれぐれも無茶だけは止すだきよ」

「リュザックさん達は2階へ行くんですか?」

「あぁ、そうするき。でもあと少しだけここで粘ってみるぜよ。それでダメなら諦めて、足で探すがよな」

 リュザックは少し離れたマイヤーに向かい親指を立てる。激励のつもなのだろう。その合図にマイヤーは強く頷く。そして覚悟を決めたマイヤー小隊は、1階の奥へと続く通路に向かって行った。


「ヨシ、繋がったぞ!」

 マイヤー達の姿が見えなくなった頃になってアニェージが声を上げる。ようやく監視カメラの制御に成功したのだ。ただその表情は発した声の強さに反し、すっきりとしないものだった。

「どうしたき、カメラが動く様になったんじゃないだきか?」

「そのはずなんだけど、一部のカメラしか動かせない。おかしいな、これで良いと思ったんだけど」

「とりあえず動くカメラだけでもいいから映像を出してくれんがか。こうしてる時間も惜しいきよ」

 リュザックの要望に応える為、アニェージがパネルに映像を表示させる。それは観測所の2階の様子を映し出したものだった。

「そこに映ってる映像は、そっちのパネルでも操作できるはずだから、動かせる範囲でカメラを動かしてみてくれ。私はまだ動かせないカメラの制御をどうにかしてみる」

 そう言うとアニェージは再び端末の操作を始めた。そしてリュザックは彼女の指示通りにパネルを操作してカメラを動かす。だがアニェージが言った様に動かせるカメラの数はまだ少ない。それでもリュザックは順を追ってカメラの映像を注視した。

 まずは2階へ上がるための階段の映像。横幅の広い階段は一つのカメラだけでは到底映し切れていない。しかし1階側と2階側、それに踊り場に設置されたカメラを利用すれば、ほぼ全ての視界をカバー出来る。

 階段には異常が無い。リュザックは迅速にそう判断し、次のカメラ映像に切り替える。そして彼は小さな子供を遊ばせる為の遊具室を表示させた。

 思いの外、そこは整理が行き届いている。しばらく使われていないのだろうか? 子供の遊び場となれば、玩具が散らばっていても不思議ではない。そんなイメージをしたリュザックは僅かに違和感を覚えた。だがカメラの映像を見る限り異常は確認出来ない。あとで直接行って確かめるしかないか。リュザックはそう考えながら次のカメラ映像をパネルに表示させた。

 それは天文学の本ばかりが集められた図書室だった。しんと静まった図書室にもちろん人影は見られない。ただ本棚が陳列する図書室の構造からして、カメラの死角になる部分は比較的多い。やはりここも直接行って確かめる必要がありそうだ。リュザックはそう考え、次のカメラに切り替えた。

 いくつかの休憩エリアとトイレの出入り口の映像を続けて見る。しかしそれらの何処にも異常は見られない。リュザックは肩を落とした。これでカメラの映像は全てだったのだ。

「どうだきアニェージちゃん。他のカメラは動かんだきか?」

「ごめん。やっぱりダメみたいだね。セキュリティでブロックされてる気配はなかったけど、これが限界みたいだよ」

 そう言ってアニェージも溜息を漏らす。コンピュータのハッキングに自信を持っていた彼女だけに、監視カメラ程度の制御が出来なかったと落胆したのだ。ただそんな彼女に向かってリュザックが告げる。落ち込んでいる暇はない。カメラが駄目なら自分の目で確認するだけだ。リュザックはそう考え、アニェージに言ったのだった。

「2階に行ってみるべ、アニェージちゃん。一番気になるのは望遠鏡がある天体観測室だき。まずはそこを目指してみるがよ」

 この施設の最大の目玉であり、王国一の性能を有する望遠鏡が2階にある。超大型の天体望遠鏡は、口径約50メートルの光学赤外線望遠鏡だ。この施設全体が球体の形をしているのは、実はその大部分が望遠鏡の設備になっているからであり、いわば観測所全体が望遠鏡であると呼べた。

 宇宙の果てまでが見えると言っても大袈裟ではあるまい。世界中の天文学者が胸を熱くさせる場所。それがこの国立天文観測所だ。だがリュザックはその心臓部である観測室が怪しいと睨む。カメラが動かなかった事がその理由ではあるが、やはりこの観測所に何かあるとしたら、そこしかないんじゃないのか。リュザックは直感としてそう思っていた。

 リュザックはアニェージを引き連れ階段を一気に登る。この辺りは監視カメラの映像で異常がないのは確認済みだ。そして二人は休憩エリアとトイレの前を通過する。もちろんここにも異常は無い。

 小さな子供を遊ばせる遊具室の前を通り抜ける。すると通路はT字路になっていた。

 リュザックとアニェージは姿勢を低くして壁を背にする。左に曲がれば図書室があり、その先が巨大望遠鏡のある観測室だ。ただ右に曲がれば、そこはスタッフのみ入室可能なエリアになっている。一般客が入れない場所であるだけに、ここも怪しい。

「どうするリュザック。私は関係者以外立ち入り禁止のエリアの方が怪しいと思うけど、二手に分かれて調べてみようか?」

「いやいや、それは危険だきよ。手間は掛かるけんど、二人で順番に捜査するがよな。こういう時は焦らず順番に調べるのが、結局のところ効率良いきね。まずは図書室を覗いて見るで。カメラじゃ死角が多過ぎて、よく分からんかったきの」

 そう言ってリュザックは率先して前を進む。慎重な姿勢は当然だが、それでも彼の行動には迷いが感じられない。腹を(くく)っている現れなのか。ただそんなリュザックの後姿(うしろすがた)にアニェージは不覚にも頼もしさを感じ、苦笑いを浮かべていた。

「な、なんだきよ。後ろでクスクス笑われるのは気分悪いきね。俺の背中に何か付いてるがか?」

「ふふっ。いや、悪い。何でもないよ。ただ感心してただけさ。お前が本物のトランザムなんだなってね」

「なんだそりゃ? やっぱりバカにしちょるき」

「違う違う、感心してるのは本当だよ。こんな状況なのにお前はどんどん前に進んでくれるからな。正直助かってるよ」

 アニェージは本心からそう告げた。強がってはいるが、彼女は内心で耐え難い怖さを感じているのだ。それなりに場数を踏んでいるアニェージであったが、やはり観測所全体から感じる嫌悪感に(さいな)まれているのだろう。ただそんな彼女の目の前をリュザックは当然の如く進んでいく。それにどれだけ気持ちが救われた事か。そしてアニェージはリュザックに対して改めて言ったのだった。

「初めに会った時はアホなおっさんだって思ったけど、やる時はやる男なんだな、リュザック。それに意外と義理も堅い。アイザック総司令に出世をチラつかされたにしても、それにしたって獣神と敵対するのはお前にとってリスクなはず。それなのにお前は命を張って前を進んでくれている。本当に見直したぞ」

「はっ。こんな時に馬鹿な話は言わんといてくれだが。図書室に入るぜよ」

 リュザックはアニェージに背を向けたまま図書室のドアをゆっくりと開く。そして彼は低い体勢を保ちながら図書室に素早く入室した。


 監視カメラで見た通り、ここには多くの本棚が陳列しているため死角が多い。それに本棚の間のスペースも狭く、人がやっとすれ違えるくらいの幅しかない。

 リュザックはゴーグルに図書室の配置図を表示させて考える。すると彼は口早にアニェージに指示を飛ばした。

「俺は窓際の方から進むき。アニェージちゃんはこのまま壁沿いを進んでくれだが。図書室の両サイドから進めば、本棚の間の通路も見落としはせんじゃろ。じゃぁ俺は向こう側に行くき。合図したら奥に向かって進むから、少しここで待っててくれだが」

 そう告げるとリュザックは逃げる様にその場を後にする。そして10メートルほど行った窓際で彼は振り返った。リュザックはアニェージにハンドサインを送り、奥に進み出す合図を送る。アニェージはそれに(うなず)くと、まずは一つ目の本棚の向こう側を確認した。

 マシンガンを構えながらアニェージは本棚の間の通路を確かめる。だがそこには何もない。10メートル先の窓際を進むリュザックの姿が見えるだけだ。

 またしてもリュザックがハンドサインを送る。次の本棚の向こう側を見る合図だ。アニェージは頷くと、マシンガンを構えながら一気に移動する。ただまたしてもそこには何もなく、同じようにマシンガンを構えるリュザックの姿だけが見えた。

 その調子で二人は図書室の奥へと進む。しかし何も見つけられないまま突き当たりに着いてしまった。

 取り越し苦労だったか。アニェージは(わず)かに肩を落とす。ただ彼女は近寄って来るリュザックの表情を見て口元を緩めた。アニェージはこの部屋におけるリュザックの行動理由を理解し、微笑ましさを感じたのだ。

「なぁリュザック。お前、初めから図書室に何もないって分かってたんじゃないのか?」

「ど、どういう意味だきよ」

「だってお前、窓際に移動した直後だけど、顔が真っ赤だったぞ。外の光の影響かとも思ったけど、でもあれは違う。お前、私に見直されたって言われて照れていたんだろ。それを隠す為にワザと私と距離を取ったんだな」

「……」

 どうやら図星のようだ。再びリュザックの表情が赤く染まって行く。せっかく時間を掛けて落ち着きを取り戻したというのに、核心を突かれたことでリュザックの心情は再度気恥ずかしさでいっぱいになってしまった。

「そんなに気に掛ける必要もないだろ。私は本当にお前を見直したって思ったんだ。むしろ堂々と胸を張ってもらって構わないんだよ」

「じょ、冗談はそれくらいにするきよ。次は観測室だで。気合を入れ直すがよな!」

 そう吐き捨てるなり、リュザックは勢いよく図書室から出て行く。よほどアニェージに褒められたのが嬉しくも照れくさいのだろう。だがここから先は監視カメラで確認出来なかったエリアだ。リュザックの背中に緊張が走る。また同じ様に彼の後方に続くアニェージも気を引き締め直した。


 観測室の出入り口の前まで来た二人は深呼吸をする。目に見えないプレッシャーを感じた彼らは、無意識に強張らせていた体を解きほぐそうとしたのだ。そしてリュザックの合図と同時に二人は一気に観測室に入り込んだ。

「チッ」

 アニェージが舌打ちをする。観測室は真っ暗闇だった。停電の影響もあるが、そもそも観測室には窓が無い。その為に外の光が入り込まず、そこは深い闇に包まれていた。

 出入り口の扉を解放したままにしているため、(わず)かばかりの光が観測室の内部に差し込んでいる。だが球体の形をした観測室は、最も広い場所で直径100メートルはあろうかという広さだ。たった一か所の扉を開け広げただけでは光の効果はほとんど無い。

 リュザックとアニェージはゴーグルの暗視機能をオンにして観測室の中を見る。しんと静まるその空間の中央には大砲の様な望遠鏡が不気味に浮かび上がり、またその周囲には大きな機械がいくつも並べられていた。

 望遠鏡を動かす為の機械なのか。それとも観測したデータを解析するための装置なのか。大きな機械を一つ一つ確かめながら二人は進む。だがこれと言って気になるものは見つけられない。時折足元に通されたパイプに(つまず)きそうになりはしたが、それらは機械から伸びる配線を通すものなのだろう。不審な点はまったく見受けられなかった。

「おかしいだきな。ここが怪しいと睨んどったけんど、変わったところは特に無いだで。もうちっと明るけりゃ何か見つかるかも知れんけんど、どうにもならんきね」

「ならどうする。関係者以外立ち入り禁止のエリアに行ってみるか?」

「う~ん、なんか腑に落ちんだきね。でもここで時間を潰しても仕方ないがよな。移動するしかないがか……。うぅ、それにしてもここは冷えるきね。冷房が効いとるんだでか?」

「そうみたいだね。大型のサーバーも動いていたから、それを冷やす目的なんだろう。これだけ大きな望遠鏡なんだ。処理する観測データの量も膨大なんじゃないのかな」

「ん? ちょっと待つきよ。ここは停電しとるんじゃないがか。それなのに冷房が動いてるっちゅうのは変じゃろ。それにサーバーにも電気が供給されちゅう」

「非常用のバックアップ電源が働いているのか――。ちょ、おいリュザック。どうしたんだ!」

 何かを感じたのか。突然リュザックが駆け出す。彼はゴーグルの暗視機能を頼りに全力で駆けたのだ。そして配電盤らしき装置が設置された壁際でリュザックは足を止める。そこは彼らが観測室に入って来た扉とは真逆の場所であった。

「おいおい、急に駆け出してどうしたんだよ。何か見つけたのか?」

 後方から追い駆けて来たアニェージが肩を揺らしながら尋ねる。するとそんな彼女に向かいリュザックは小型のペンライトを手渡して言った。

「ちょっとここを照らしてくれだき。上手く電気が流せれば、天井を開けられるかもしれんぜよ」

 観測室の天井は望遠鏡を空に向けるため開放できる構造になっている。それも球体形状をした天井の3分の1ほどが開くのだ。今はまだ真っ昼間である。少しでも天井が開けば、燦々とした太陽の光が一気に観測室に流れ込んで来るはずだ。リュザックはそう考え、天井を開閉する装置を動かそうとしたのだった。

 簡易テスターを取り出したリュザックは、配電盤のどの部分に電気が流れているか確かめる。またそれと同時に天井の開閉を行う装置の場所も確認した。やっぱりそうか。リュザックは自分の考えが正しいのだと認識する。そして彼は用意していた万能ナイフからドライバーを捻り出した。

 リュザックはアニェージにペンライトで手元を照らさせ、躊躇(ためら)わずに配線の固定を外していく。そしていくつかの配線を外し終えると、彼はそれらを接触させた。

「バチンッ!」

 強烈な火花が飛ぶ。配線に電気が通っている証拠だ。するとリュザックはそれらの配線を束ねて少しだけ移動した。

「こっちの配電盤に電気が来とる配線を繋ぐがよ。上手くすれば天井を開けられるきね」

 リュザックはそう言って笑顔を見せるも、すぐに真剣な表情に戻って配電盤に手を伸ばした。アニェージはそんな彼の手元をライトで照らす。コンピュータの制御ならお手の物だが、配線の接続なんてやった事がない。手際よく配線を繋げていくリュザックの姿に、アニェージはまたも頼り甲斐を感じたのだった。


 比較的短時間で作業が終わる。配線作業とはこんなにも簡単なものなのか。そう錯覚してしまうほどリュザックの作業は素早かった。しかしそれは彼が熟練の電気工事士顔負けのスキルを持ったからであって、決して容易な作業であるはずはない。そう理解したアニェージは、リュザックの予想外なスキルの高さに感心していた。

「お前にはホント驚かされるよ。普段のだらけたお前と今の頼りになるお前。どっちのお前が本当なんだ?」

「けっ。そんなの決まってるきね。どっちも俺だでよ、ほれ!」

 リュザックは掛け声と一緒に配電盤に取り付けられた大きなレバーを引き上げる。すると少し離れた場所にある、いくつかの機械の液晶パネルが一斉に光を(とも)した。さらに天井付近からモーター音らしき唸りも聞こえて来る。

 リュザックとアニェージは点灯した液晶パネルに近づいた。そこには天井の開放を告げる表示が映し出されている。だがその表示を目にして二人は溜息を漏らした。

「クソっ、出力が足りんがか。もっと電流が必要だき。他の配電盤からも配線を持って来んといかんだでな」

 リュザックはそう吐き捨て別の配電盤に向かう。そして彼は先程と同様に、テスターを使いながら電気の有無を確認し始めた。ただそんな彼の姿勢に視線を向けたアニェージはふと思う。意外にも頼りになるリュザックに対し、彼女は場違いだとは思いつつも、つい質問してしまったのだった。

「なぁリュザック。こんな時に聞くのはどうなのかとも思うけど、良かったら教えてくれないか。どうしてお前、軍人になったんだよ? それだけの腕が有れば、電気屋で十分食っていけるだろうに。わざわざ命のやり取りなんかする必要ないんじゃないのか?」

 寒いくらいに冷房の利いた室内でありながらも、作業を続けるリュザックの額からは汗が滲み出ている。大電流が流れる配線を取り扱っているだけに、極度のプレッシャーを感じているのだろう。そしてそんな彼の横顔をアニェージは見つめている。真剣な顔つきで作業を続けるリュザックから彼女は視線を離さなかった。

「ホント参るがよ。こんな時に身の上話してる暇ないだでな。でもまぁ、俺が軍人になった理由はシンプルだきよ。(みんな)を見返してやりたい。そんなとこだで」

「見返す? 子供の頃にイジメにでも遭っていたのか?」

「フン。まぁそんなとこだきよ。俺は正真正銘ルヴェリエ生まれのルヴェリエ育ちじゃけんど、親父(おやじ)と母ちゃんの影響でこがい(なま)った喋り方だが。からかわれるのは普通じゃろ。でも社会人になって実績を上げれば喋り方なんて関係ないきね。それに軍人として頂点に立つっちゅうのは、腕っぷしも認められた事になるで。そうなれば誰も俺を笑わんがよな」

「それでトランザムにまで上り詰めたわけか」

 アニェージは妙に納得した表情を見せる。アイザック総司令から、いずれはそのポストに就くべきだと言われ、喜びを露わにした彼の姿を思い出したのだろう。ただそんな彼女に向かい、リュザックは作業を続けながらも意外な過去を告げたのだった。

「軍に入隊した俺は焦っとったき。早く出世したいがと、実績を残そうとばかり考えとったんだが。でも経験の浅い俺がそう簡単に結果を残せるわけないべ。そんで俺はデカい失敗をしちまったんだがよ」

「デカい失敗?」

「軍人になって五年目の時だき。俺は人質を盾にしたテロリストを制圧する作戦に従事したがよ。けんどそこで俺は功を焦り過ぎてポカやらかしちまった。上官の命令を聞かず、チームワークを乱して暴走しちまったんだが。その結果は酷いモンじゃったぜよ。死亡者だけは出さずに済んだけんど、味方にも人質にも負傷者が大勢出てな。挙句の果てに、テロリストのリーダーまで逃がしちまった。ホント、最悪だったきよ」

「お前にもそんな事があったのか」

「あん時の俺はガキだったんだでよ。俺は戦況の判断に優れとると過信し、天狗になっとったんじゃ。けんどその長っ鼻はガッツリとへし折られたき。軍を辞めようと本気で考えもしたがね。でもな、俺の前で母ちゃんが皆に土下座をしたがよ。まっこと済まんかったと地面に頭を擦り付けたんだで。正直恥ずかしかったがよ。年老いた母ちゃんが出て来る場面じゃないがってな。そんで案の定、周りからはこれ以上ない程にバカにされたがよ。お前のお袋は見っともないなって」

 リュザックの手が止まる。当時を思い出しているのか、その表情は苦々しいものであった。だが直ぐに彼は作業を再開する。そしてリュザックはアニェージに向かって言ったのだった。

「俺は悔しかったきよ。何で自分は失敗しちまったのかって。もっと上手く出来たはずだってな。でも本当に悔しかったのはそこじゃないんじゃ。俺の脳ミソに焼き付いて離れない土下座する母ちゃんの後姿。どうして母ちゃんに恥をかかせちまったのか。プライドなんか殴り捨てて、自分から土下座をするべきだったんじゃないだきか。俺は自分の小ささに怒りを感じたんだきよ」

 リュザックは最後の配線を繋ぎ終える。そして彼は(ひたい)から流れ落ちる汗を拭い、ほっと息を吐き出してから想いを語った。

「悔しくて仕方なかったき。死んでしまいたいと思ったくらいだで。でもそれじゃ母ちゃんが頭を下げた意味がないだきよ。いや、そんなんじゃ母ちゃんだって成仏できんがね。だったらどうすればいいか。答えは明快かつ唯一の方法だったがよ。【成り上がる】しかない。俺はそう決意して、軍人として働いているがよな」

「そっか。お前にも色々あったんだな。でも心を入れ替えた今のお前を見たなら、きっと天に召されたお母さんも喜ぶだろうな」

 アニェージはリュザックを気遣うよう微笑んで見せる。順風満帆な人生を送る者などそうはいない。誰だって何かしらの心の傷を抱えているはずなんだ。彼女はそう素直に思ったからこそ、彼に向かって優しく笑ったのだった。ただそんな彼女にリュザックは口を(とが)らせて言った。

「はぁ? なにを勝手に殺しちゅうき。母ちゃんは今でもピンピン生きてシティライフを楽しんどるでよ。百歳までは軽く生きとるんじゃないだきか」

「くくくっ」

「何がおかしいきよ。いくらアニェージちゃんでも俺の母ちゃんを笑うがは許さんぜよ!」

 リュザックは腹を抱えて笑い出したアニェージをきつく睨む。ただそんな彼の肩をポンと叩いたアニェージは、笑いを必死に堪えながら言ったのだった。

「悪い悪い。お前やお前のお母さんを(けな)すつもりなんて全然ないよ。私はただ本当に、お前の事を見直しただけさ。もし気分を害したっていうなら、お侘びに後で食事でも奢るよ。どうかな」

「やっぱり冷やかしちゅうに。真面目にせんと、本当に怒るでよ」

「いや、私は至って真面目だよ。本気で食事に誘っているんだ。お前さえ良ければだけどね」

 アニェージはそう言うとにっこりと笑ってみせた。意外と家族思いだったリュザックの優しさを知り、彼女は心を柔和な気持ちにさせたのだ。するとそんな彼女の笑顔にリュザックが照れを見せる。正面切ってのアニェージからの誘いに、彼はどういう表情をすればいいか分からなかったのだ。それでも彼は懸命に言葉を絞り出す。

「ア、アニェージちゃんこそ、やっぱり笑ってる顔の方が似合ちゅうがね」

 リュザックにとって、それは決死の思いで絞り出した言葉だったのだろう。そしてその言葉に込められた想いは、アニェージの胸にも十分なくらい伝わっていた。

 リュザックとアニェージは互いに見つめ合う。するとそんな二人の頭上より、太陽の光が降り注いだ。リュザックが配線をつなぎ代えた事で、観測室の天井が稼働したのだ。――が次の瞬間、突然ゴーグルのセンサーが信号を発した。

「ピピピッ」

 二人は条件反射的に信号が示す場所に目を向ける。一体何の異常を感知したというのか。だが二人は観測室の床に横たわるそれを見て(わず)かに体を強張らせる。そう、そこにはなんと、ソーニャが仰向けに寝ていたのだった。

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