#07 余寒の王国(前)
満開の梅の花が人々に春の到来を感じさせる。しかし生憎とこの日は冷たい雨が朝からしとしとと降り続いていた。ただそんな冷え込んだ空気を熱く切り裂くかの様に、激しくぶつかり合う木刀の音が響く。
「ガン! ガキーン!」
ここはアダムズ城内にあるトランザムの待機所であり、ジュールは他の隊士らと共に日課のトレーニングを行っていた。
アダムズ軍総指令直轄戦闘部隊トランザム。それがジュールの所属する組織の名である。トランザムは彼を含む総勢十名の小所帯ではあったが、しかしそれはコルベットと同じく全員がアダムズ軍全体より選抜された選りすぐりの精鋭集団であり、その強さは誰もが認めるところであった。
ただコルベットが貴族や上流階級出身の隊士によって構成された組織であるのに対し、トランザムはその身分は問わず、ただ腕のみが選抜の対象であった。それゆえに気性が荒く、人間性や協調性に問題のある隊士が多数席を置いている。それが全ての理由ではなかったが、曲者揃いのトランザムは軍の中でも浮いた存在になっていた。それでも彼らが持ち得るその凄まじいまでの【強さ】が、その他の問題点を全て補い、存在意義を確固たるものにしていたのであった。
「どうした新入り、女の事でも考えてるのかっ」
「ぺっ、まだまだです。もう一手お願いします!」
口の中に溢れ出た血を吐き捨てながら、ジュールは木刀を持ち直し先輩隊士に向かう。末席のジュールは何かと先輩隊士より嫌がらせの様な訓練を受けていたが、それでも彼は持ち前のタフさと負けん気の強さでそれらの訓練を耐え抜き、日増しに逞しさを増していた。その中で彼は強引に底上げされる強さを自分自身でも感じ取っていく。いや、彼は強くならねば自分の居場所が無くなることを自覚しており、夢中で剣を振ったのだ。ただ強くなりたい。それだけを考えて。そしてそんな日増しに成長を遂げていくジュールを、いつしか他の隊士たちも一目置くようになっていた。
何度叩きのめされても弱音一つ吐かずに立ち向かうジュール。そんな直向きな彼の姿を、少し離れた所から見つめる二人の男がいる。一人は軍の最高司令官であり、テスラの父である【アイザック総司令】。そしてもう一人が烏合の衆であるトランザムを唯一まとめ上げる隊長であり、アダムズ軍最強の男と呼ばれる【英雄ドルトン】であった。
アダムズ軍の中でも異常なまでの強さを誇るドルトン。そんな彼の名は諸国にまで響き渡り、その鬼神のごとき強さは生きながらに伝説になっているほどであった。そのドルトンに向かい、少し目を細めたアイザック総司令が頼もしげに告げる。
「なぁドルトンよ。ジュールの奴、少し見ない間にまた腕を上げたようだな」
「いやいや、まだまだです。この程度であいつを褒めてはいけませんよ総司令。ジュールを見て半年経ちますが、未だあいつの伸び代がどこまであるのか見えませんからね。故にあいつにはもっと上を目指してもらわねば困るんですよ。それにこのまま手を抜く事なく精進し経験を積めば、あいつはいつか俺を超える存在になれるでしょう。だから今はあまり調子の良いことは控えて下さい」
「ほう、英雄ドルトンにそこまで言わせるか。そいつは結構なことだ。それに訓練所時代からジュールに気を留めていた私の目に狂いはなかったとも言えるしね。ハハっ」
「ガキン!」
ジュールは試合っていた先輩隊士の木刀を跳ね上げ、その喉元に切っ先を向ける。するとそんな彼に対して木刀を奪われた先輩隊士は、苦笑いを浮かべながら降参を口にした。
「まっ、参ったぜジュール。今日はこの辺で終いにしようや」
「ハァハァ、ありがとうございました。ハァ……」
肩を激しく上下させながらも、ジュールは着実に強くなっている自分に高揚感を感じる。荒く苦しい呼吸でさえ、なぜか彼には心地よく感じられていた。
その姿を見ていたアイザック総司令は、意気揚々と笑いながらその場を後にして行く。そしてドルトンは、自らの予想以上のスピードで成長するジュールに目を細めながら頼もしさを覚えていた。ただ彼はその胸の滾りをグッと押し留めると、存在感のある低い声でジュールを呼んだ。
「ジュール、顔を洗ったら俺のところに来い。科学部隊のところに行くぞ」
「ハッ、ハイ。すぐに行きます」
ジュールは配属以来ほとんど口を訊いたことの無いドルトンに緊張しながらも、名前を呼ばれた嬉しさに気持ちが高振る。王国の英雄であるドルトンはジュールにとって雲の上の存在であり、目標でもある存在だ。そんな彼に声をかけられた事は、ジュールにとってこの上ない至福であるはずであり、純粋に嬉しかったはず。しかしいざ隊長と二人きりで行動するとなると緊張は否めない。汗ばんだ顔を水で洗う彼の喉は急速に乾き始めていた。
案の定ジュールは科学部隊に向かう途中、緊張を隠せずにいた。ただそんな彼のらしくない姿にドルトンの方も察しが付いているのだろう。彼はかわいい部下の要らぬ緊張を緩和させる為に、温和に語り掛けたのだった。
「お前とこうして話すのは初めてだな。お前を監督する立場として、もっと早く話しをしたかったが忙しくてね。なかなか時間がとれず、済まなかったな」
「そっ、そんな。とんでもありません。俺なんかに気を使わないで下さい」
「ハハハッ。そう緊張するな。隊長が部下と話をするのは当然の事なんだからさ。それにお前の事はファラデーから聞かされていたからね。気を掛けるのは当然だろう」
「ファラデー隊長から……ですか」
「不器用だが根性の座った生きの良いのがいると、前々から推薦されていたのさ。実は俺とあいつは同じスラム街出身でね。ガキの頃は二人でよく無茶をした仲なんだよ。俺の方が少し歳上なんだけど、あいつはいつも俺に負けんと背伸びばかりしていたから、余計に手が追えなくて困ったモンだったけどね」
「ドルトン隊長も【あの街】で育ったのですか」
「お前も同郷らしいな。不思議な事にお前を見ていると、懐かしい感じがするよ。」
「――む、胸クソ悪い感じですか」
「ハハッ、別に変な意味じゃない。お前は昔の俺にそっくりなんだよ。あの腐った街を抜け出し、何の後ろ盾もなくその身一つで駆け上がろうと必死にもがいている。そんな姿が昔の俺と重なって見えるんだろう」
「買い被り過ぎです。俺はとても英雄になれるような器じゃありません」
「英雄になるかどうかはお前が決めることじゃない。歴史と世論が後に決める事だ。それにお前こそ、自分を過少に思い過ぎなんじゃないのか? 変に期待をかけるわけじゃないが、俺とファラデーが気に留めた男だ。もっと自分に自信を持て!」
「そ、そんな……」
根拠はどうあれ、尊敬する二人より認められていた事を知ったジュールは顔を赤らめる。ただその胸の内では湧き上がる嬉しさを噛みしめていた。
科学部隊は軍で使用する武器や防具、また様々な道具を開発改良している部隊である。そしてそのトップには世界最高の天才と呼ばれる【ラジアン博士】が着任しており、科学部隊は軍の組織でありながらも王立協会とも深い関係にあった。
そんな科学部隊の中でもさらに最新鋭の兵器開発を行っている上層部隊を通称【カプリス】と呼ぶ。カプリスはトランザムやコルベットと同様に、軍に所属する科学者の中から最高頭脳を結集させた組織であり、それは次々と強力な武器を世に送り出していった。そして当然の事ながら軍の最強部隊であるトランザムで使用する武具は全てカプリスで開発されたものである。アダムズ城内にある科学部隊の研究所に到着したジュールとドルトンは、迷うことなくカプリスの研究室に足を向けたのだった。
「お前は特注していたバトルスーツを取りに行け。俺は別件でラジアン博士のところに行って来る。用事を済ませたら俺もそっちに行くから、それまでは大人しく待ってるんだぞ」
ドルトンはそう告げると、一人黙々と歩み出して行く。彼はこのカプリスの研究室に幾度となく足を踏み入れているのだ。目的とする場所が何処にあるのか、それはもう知って然るべしものなのであろう。だがそれとは逆にドルトンと別れたジュールは、勝手の分からない研究所をただウロウロするばかりだった。
目の前にいる幾人もの白衣をまとった科学者達は、それぞれが自分の世界に没頭するよう研究に勤しんでいる。そのためジュールは何となく気が引けてしまい、声を掛ける事に躊躇していたのだ。本当にここは軍なのか。ジュールは異次元の世界に足を踏み入れた様な感覚に陥っている。ただそんな彼の肩を不意に誰かがポンポンと叩いた。
少し驚いたものの、ジュールは叩かれた肩の方に振り向く。するとそこにはガウスよりも巨漢で武骨な姿をした、一見とても科学者に見えない大男が立っていた。ただその大男は平素な口ぶりでジュールに向かい一言告げる。
「なにウロウロしてんだよ、お前。スーツ取りに来たんだろ。こっちだ、ついて来い」
「お、おう。【ヘルムホルツ】か、助かったぜ。誰に聞いて良いか分かんなくて困ってたんだよ。それにしてもお前、相変わらず愛想の無い奴だな」
ジュールは黙々と進むヘルムホルツの後を追い駆ける。どうやら彼らの行き先は、この研究室とは別の場所らしい。ただその場所には然程の時間も掛からずに到着する。そしてヘルムホルツに促されたジュールは、開かれた扉の中にへと入室した。武器等の研究開発に使用する備品を保管する場所なのであろうか。ジュールが案内された場所は、だだっ広い空間を催した倉庫の様な施設であった。
「殺風景な場所だな、ここは。それにしても広いな――」
ジュールは訪れた施設の内部を見て呟く。それもそのはず。高さ10メートル。幅と奥行きはそれぞれ50メートルはありそうな空間が目の前に広がっているのだ。それもその空間には何も存在していない。ただそんな目を丸くするジュールを無視しながら、ヘルムホルツは施設内部の隅に設置されたドアに向かう。そしてカードキーを取り出した彼は、それをドアにかざしてロックを解除した。
ヘルムホルツは無言のままドアの中に入って行く。ジュールはそんな彼に遅れまいと、急ぎドアの中に身を滑らせた。
大人5人程度の入室が限度であろう。そんな狭い空間がそこにはあった。ただそこにはパソコンが数台置かれており、また見た事も無いような機材がびっしりと設置されている。そしてもう一つ。一目でトランザムのものと分かる【赤色】をしたバトルスーツが一着だけ壁に掛けられていた。
特に指示されたわけでもないが、ジュールは自然とその壁に掛けられたバトルスーツに足を向ける。するとそんな彼にヘルムホルツが淡白に告げたのだった。
「お前、そのスーツに今すぐ着替えろ。そしたら思い切り施設の中を動いてみるんだ。この施設には色々なセンサーが付いているからね。それでお前の動きを分析して、スーツが最適な状態になっているのか確認するのさ」
「へぇ、凄いもんだな。でも立ち合いはお前一人なのか?」
この場所に連れられた目的を理解したジュールは、素直にヘルムホルツの指図を受け入れる。ただ彼は新しいスーツを手に取りながらも、この広い空間に自分とヘルムホルツの二人しかいない事に気を揉んだ。するとそんなジュールの気掛かりに対し、ヘルムホルツは鼻で笑う様に告げる。
「不満か。お前になんぞ、俺一人で十分だろ。それにそのスーツを作ったのは俺なんだ。だから今回は開発者の俺一人いれば問題ない。そんなところだよ」
「ふぅ~ん、たいしたもんだな。でもまぁ、どれだけの性能か楽しみだよ」
そう笑顔で応えたジュールはスーツを着用しようとする。ただスーツが少しきつめだった為に、なかなか上手く着る事が出来なかった。
「初めはきついが、すぐにお前の体の形に定着するから頑張って着るんだな。それとこのスーツは俺がお前専用に作った完全なプロトタイプになっている。だからこのスーツは現在軍で使用されているバトルスーツの中でも、最新最強の性能を誇るものに仕上がっているんだよ。今回お前にこのスーツを渡すのは、新開発したこのスーツの性能が実戦で通用するか検証するためだ。そして問題がなければ、その後量産へと移行するって話しさ」
「なんだよ、それじゃ良い実験台じゃないか」
「当たり前だろ。そうでもなければ、こんな最新技術を駆使して作った大切なスーツを、お前なんかに渡すわけねーんだからよ」
「正直に言ってくれるぜ。まぁ、お前のそういう何でも馬鹿正直に話すところは嫌いじゃないけどな」
「俺だって鬼じゃない。最初に言ったよな、このスーツは【お前専用】だと。昔から見てきたお前の特徴を生かすよう、このスーツは計算して作ってあるんだ。それって他の隊士から見れば、かなり嫉妬に思われる事なんだぞ。だから感謝こそされても、悪態つかれる筋合いはないってモンさ。それにグラム博士の新技術によって小型化した玉型兵器を無理なく装備でき、使い易さを追求したベルトも同時に作製してみたんだ。すでに玉型兵器は装備済みだから、確認してみろよ」
そう言ったヘルムホルツより手渡されたベルトは、腰に巻くベルトと肩に掛けるホルスターが結合した構造になっており、小型のケースがいくつも取り付けられている。そしてそのケースの中には、コンパクト化された多数の玉型兵器が仕込まれていた。ジュールはそのベルトを装着しながら、率直に感じた感想を呟く。
「これは咄嗟の時にも使い易いな。でもさ、装備されてるこれらの玉もお前が作ったのか?」
「あぁ。俺は本来防具専門なんだけど、でも今回は全て俺一人でやったよ。お前から渡された博士のノートには、丁寧過ぎるほど細かく詳細が書いてあったからね。思いのほか簡単に作れたよ」
「それにしてもこのスーツ、軽いし動きやすいな。でもさ、こんな薄い物で防御力は大丈夫なのか?」
ジュールはスーツの防御能力に不安を覚える。戦場慣れしている彼だからこそ、身に付けたスーツの感触に懸念を抱いたのであろう。ただそんな彼の不安を払拭する様、ヘルムホルツはスーツの構造を説明した。
「バトルスーツは戦闘時において、制服の下に装備するものだ。それゆえあまりゴツくできん。むしろ薄く軽量化が望まれている。ただ今回特筆すべき点として、お前が着ているスーツはカプリスが最近開発した【KSR35】という新素材を使用して作られているんだよ」
ヘルムホルツはジュールの胸を指で小突きながら続ける。
「これは超軽量繊維素材に強硬度物質を組み合わせたもので、一般の隊士が身に着けているスーツに対し、約5倍の防御力を誇っているんだ。小銃程度なら、ほとんどダメージを受けないだろう。しかしKSR35の目を見張る特徴はそんな防御力だけじゃない。むしろ凄いのは付随する【身体能力加速機能】の方なんだ。この機能はアダムズの基本理論である【光子相対力学】の作用を用いて、装着した者の身体能力を高める働きを持っている」
ヘルムホルツは話しを続けながらも、施設に常設されているコンピュータを次々と起動させていく。
「ただし身体能力加速機能は反動も大きく、使用者に相応の肉体的負担が掛かる。だからこの機能の付いたスーツは現在、屈強な肉体を持つ精鋭集団であるコルベットとトランザムにのみ配備されているってわけさ。それでも現状では使用者の負担を考え、約2.5倍程度の能力アップに機能を抑制している状態なんだよ。それはお前も良く知ってるだろ」
「それで、このスーツはどうなんだ?」
「KSR35はその軽さと丈夫さに加え、優れた緩衝機能が備わっているんだよ。だから装備した者への肉体的負担を著しく低下させることが出来るんだ。机上での予測では少なくとも3.5、いや4倍はいけるだろう。ただ実際のところは使ってみなければ分からん」
「そこで俺が実際に使ってみるってわけか。ところで左の手首に付いてるこれは何だ?」
ジュールは左手首の部分に付いている、ダイヤルのような突起物を指さし尋ねた。現在量産化されているスーツとは明らかに異なる特徴であるダイヤル。それを注視したヘルムホルツは、自分の手首を捻るマネをしながらジュールに説明した。
「そのダイヤルをこう回す事で、機能の出力を制御する事が出来るんだよ。初めは3倍の設定になってるけど、あとはお前が耐えられる範囲で出力を上げてみてくれ。最大で8倍まで上げられるが、でもまぁタフなお前でも5倍は無理だろうな」
一通りの説明をヘルムホルツから聞いたジュールは、施設の中を縦横無尽に走り始める。そして左手首のダイヤルを制御し、3.5倍、4倍と出力を上げて行く。とても人の動きとは思えないスピードでジュールは走る。恐らく一般人がそれを見たならば、目で追う事すら困難であろう。それ程までに身体を加速させたジュールは、フットワークも織り交ぜながら施設内部を駆け回っていた。すると突然、センサー越しにジュールの動きを観察していたヘルムホルツが、実弾の装填されたマシンガンを取出し叫ぶ。
「避けてみろ、ジュール!」
そう叫んだヘルムホルツは、躊躇う事なくジュールに向けマシンガンの引き金を引いた。それと同時に数え切れない程の銃弾がジュールに向け発射される。
「!」
自分に向けられた夥しい数の銃弾に対し、ジュールは集中力を一気に高める。そして彼は数発の銃弾を体にかすめさせるも、それら全弾の回避に成功した。だがしかし、ジュールに気の抜く間は訪れない。
「これならどうだ!」
またしてもヘルムホルツが声を大にして叫ぶ。そして彼は小型のビーム砲を構えると、容赦なくジュールに向けその引き金を引いた。
「クソっ!」
ビーム砲を構えたヘルムホルツの姿にジュールの背中は酷く泡立つ。だがその時、彼は目を疑うほどのスピードを発揮しビームを避けたのだ。しかし勢い余ったジュールの体はその制御を失い、施設の壁に激突する。
「ズガン!」
施設の壁が大きく窪み噴煙が上がる。猛スピードで走る小型の自動車が壁に激突した。まさにそんな感じであろう。交通事故と何ら変わりない衝撃をその身に受けたジュールの体は無事なのであろうか。ただそんな心配事を吹き飛ばすかの様に、ヘルムホルツが大きく叫んだ。
「さすがだなジュール! 良くかわせたな!」
めずらしく声を高良げるヘルムホルツ。きっと彼にとってジュールが示した身体能力加速機能は、彼の理論に見合う以上のものだったのであろう。ただそんな意気揚々とするヘルムホルツに対し、埃まみれの姿で現れたジュールが怒鳴り声を上げた。
「馬鹿かお前! 本当に俺を殺すつもりか!」
「スマンスマン。だけど人間は危機的状況にならないと真価を発揮しないからね。度が過ぎるとは思ったけど、ついやっちまったんだよ。悪かったな」
本当に悪いと思っているのか。苦笑いを浮かべながら頭を掻きむしるヘルムホルツにジュールは腹の虫が収まらない。それに彼は全身の筋肉が千切れたかの様な激痛を感じ、身動きする事が出来ないのだ。それでも彼は新型のスーツに秘められた身体能力加速機能の凄まじい性能と、その副作用ともいうべき肉体への反動を身をもって学習したのである。そんなジュールがふと左手首を見ると、出力は6倍を示していたのだった。
ヘルムホルツは施設のセンサーが観測したデータを確認している。常人の動きを逸脱したジュールの反応速度を正確な数値として記録しているのだろう。ただ彼は作業を続けながらも、休息しているジュールに小さな声で言った。
「なぁジュール。お前も気付いてると思うけど、今この施設の中は完全に密室状態なんだよね。それに盗聴される心配もない。だから聞かせてもらいたいんだけど、お前から渡されたグラム博士のノート。俺以外には誰にも見せてないんだよな」
「フン、当然だろ。博士との約束を俺が破るとでも思ってるのか!」
反発する様に強く声を上げるジュール。ただそんな彼に向かってヘルムホルツは、人差し指を自分の口に当て黙るよう促した。
「あの玉型兵器の小型化理論は凄い。だけどしばらくの間、俺はあのノートに書かれた技術を公表しないつもりでいる。その理由をお前に教えたところで理解出来ないだろうから詳細は省くけど、小型化の手法には少し問題があるんだよ。もし王立協会の人間がこの技術を知ったとするなら、ちょっとまずいことになりそうなんだよね」
「どういうことだよ?」
きっとヘルムホルツは嘘がつけない性格なのだろう。だからこそ彼の表情が物語る深刻さをジュールは察したのだ。ただそんなジュールにヘルムホルツは意味深な言葉を告げる。
「さっきも言った様に、あまり詳しいことを説明してもお前じゃ理解出来ないだろう。ただな、博士が行っていた研究は、現在のアダムズ王国の科学を真っ向から否定することにもなり兼ねない技術だって言えるんだよ。それにこの技術は――」
「ドンドン!」
ヘルムホルツの話を遮るように、施設のドアを叩く音がする。するとその音に反応したジュールが重い体を起き上がらせながら言った。
「たぶんドルトン隊長が来たんだろう。用事が済んだらしい」
「やっぱり研究所で話しをするのはリスクが高いな。なぁジュール、お前近いうちに時間作れるか?」
「別に構わないけど、そんなに重要な事なのか……」
ジュールの問い掛けにヘルムホルツは神妙な面持ちで黙って頷く。そして彼は施設のドアを開けに向った。
ドアを開けると、そこにはジュールの予想通りにドルトンが立っており、その背中には身の丈ほどある長刀が背負われていた。そしてドルトンは目だけで軽くヘルムホルツに挨拶を済ませると、ジュールに向かって問い掛けたのだった。
「どうだジュール。新しいスーツの調子は確認出来たか?」
「えっ。ああ、凄いスーツですよ。けど使い熟すには少し時間が掛かりそうですね。体への負担も大きいし……」
ジュールはヘルムホルツの話の続きが気になったが、とりあえずこの場を凌ごうとドルトンの問い掛けに素直に答える。そして一旦この場を離れた方が良いと考えた彼は、続け様にドルトンに向け話しを振った。
「隊長の要件は済んだのですか? それならこっちも終わりましたので、そろそろ待機所に戻りましょう」
まだ完全に痛みの引かない体ではあったが、それでもジュールは急ぎ帰り支度を整え始める。そして彼は作業を進めながらも、合図を送る様にヘルムホルツに言った。
「なぁヘルムホルツ、今晩飲みに行かないか。久しぶりに会ったんだし、たまには昔話でもしようぜ」
「そうだな。今日のデータも渡さなきゃならんし、仕事が終わったらトランザムの待機所に行くよ」
ヘルムホルツの作った最新スーツとベルトを持ったジュールは、体を引きずる様にしながらもドルトンと共にカプリスの研究所を後にする。ただジュールにはこの国の科学を否定するほどという、グラム博士が行っていた研究がどういったものなのか気になって仕方がなかった。
アダムズ軍は大きく分けると二つの組織で構成されている。一つは街の治安維持や城の警護などを行う【警察部隊】。そしてもう一つはジュールやテスラが所属する、他国との戦争やテロリストとの戦闘を受け持つ【軍事部隊】である。
警察部隊はその性質より、地域に密着しながら市民の平和な暮らしを守るのが仕事であり、その拠点とも言うべき警察署は大小をまとめれば国中の至る場所に存在している。それに対し軍事部隊は国の中心である首都ルヴェリエ、そして国の東西南北に位置するそれぞれの主要都市にその拠点を構えるのみであり、中でも軍事部隊の双璧をなすコルベットとトランザムは、国王やそれ以外の王族の多くが暮す、アダムズ城内にその拠点を構えていた。
アダムズ城と一言で言い表しても、この場合は城を含む地域一帯を指し示す。そしてそれは超高層ビルが数え切れない程に建ち並ぶ首都ルヴェリエにありながらも、豊かな緑と澄んだ水に囲まれた広大な敷地面積を有する場所であった。
アダムズ城を囲む外堀一周の距離はおよそ14キロメートル。その中にはもちろん王族が生活する屋敷も多数存在し、また大規模に手入れされたな庭園や主に王族の健康管理に務める病院、それにスポーツ施設などまでもが併設している。そして重要なのはその中に、戦闘部隊であるトランザムの待機施設や科学部隊であるカプリスの研究施設等、軍に関連する様々な機関が置かれているという事であった。
城と言ってもそこには王族以外の一般庶民が数え切れない程に出入りしている。言い方を変えるならば、そこではある種の経済活動が形成されており、人の活動は自由そのままと言えるものであったのだ。そして今日も城の内外は活気のある人の姿で溢れている。そんな忙しくも活発に日々の生活を営んでいく多くの人々を見ながら、ジュールとドルトンは人工知能を搭載したドローンの操作する電気自動車に乗り、トランザムの待機所に戻って行った。
電気自動車を降りた二人は、軍で使用する装甲車やバイクが並ぶ屋内駐車場を徒歩で進む。もうトランザムの待機所は直ぐそこだ。ただ彼らが待機所手前にある少し広めのホールに差し掛かった時、何かに騒ぐ人集りに気付き足を止めた。
「どうかしたのか?」
ドルトンはちょうどその場に居合わせたトランザムの隊士に尋ねる。するとその隊士は困惑した表情で苦言を吐き出したのだった。
「どうもこうもないですよ。またいつもの身内同士の喧嘩です。ホントに勘弁してほしいですよ、まったく……」
トランザムの隊士は溜息を吐きながら肩を落とす。ドルトンはそんな隊士背中を軽く叩くと、その原因を把握するべく騒ぎの中心部へと視線を向けた。ただ彼はその中心にいる二人の男性を見た瞬間に、騒ぎの発端が何であるのか瞬間的に察する。そしてドルトンはやれやれといった感じに頭を掻きむしったのであった。
人集りの中心にいる二人の男性。それは間違いなくこの騒ぎの原因となる者達である。その一人は長身に流行の貴族衣装を身にまとった皇太子殿下である【トーマス王子】。そしてもう一人は50代前半でありながらも鍛え抜かれた肉体をほこる、コルベットの隊長である【トウェイン将軍】であった。
トーマス王子は現国王であるアルベルト王の一人息子である。そしてトウェイン将軍は国王の妻であり、トーマスが幼少の頃に病死した母である王妃の実弟であった。
トウェインは王族でありながらも戦術に秀でた才能を持ち、その能力の高さと実力で軍のNo.2である将軍職に上り詰めた人物である。それだけに彼の人格は、貴族のみならず軍関係者からも高い信頼を寄せられるほどであった。叔父と甥の関係である二人。ただそんな両者はどこか反りが合わず、顔を合わせる度に対立を繰り返していたのだった。
ジュールはドルトンと共に騒ぎの中心人物である二人の姿に目を向ける。でも彼の表情は周りを囲むその他の者達と同様に苦々しいものであった。それもそのはず、この二人の対立の原因はいつだって聞くに足りないものなのだ。そして今回の原因も、どうせロクでもない事なのだろう。王子の売り言葉に将軍の買い言葉。結局のところは時間の無駄にしかなっていないはず。ただそんな辟易するジュールに向かい、聞き知れた声が投げ掛けられた。
「やぁ、ジュール。久ぶりだね」
「お、おう。テスラか」
トウェイン将軍はコルベットの隊長である。ならばもちろん人集りの中にはコルベットの隊士も数人含まれており、そこにたまたまテスラもいたのだろう。そして彼は人混みの中にジュールの姿を見つけると、それを掻き分けて近寄り声を掛けたのだ。そしてそんなテスラに向かい、ジュールは僅かばかりの気まずさを覚えながらも聞き尋ねた。
「なぁテスラ、お前最初からここにいたのか? 俺は今来たばかりだから分からないんだけど、今回は何の騒ぎなんだよ」
ジュールの投げやりな態度にテスラは微笑を浮かべる。きっと彼もこの騒ぎを面倒に感じている一人なのだろう。それでもテスラはジュールの質問に快く答えたのだった。
「騒ぎの原因はね、【リーゼ姫】についてなんだよ。コルベットとトランザム、どっちが姫の警護をするか。それで揉めているみたいなんだよね」
リーゼ姫はアダムズ王国の東側に隣接する【パーシヴァル王国】の王族だ。そしてパーシヴァル王国とは、小国ではあるもののアダムズ王国に劣らない科学技術を要する国である。そんな二つの隣り合う王国は、古くから友好な関係を築き、活発な交易を行う間柄であった。
しかし今から5年ほど前、パーシヴァル王国は軍を統括していた【ボーア将軍】の画策する突然のクーデターによって、王族は皆殺しにされる。その後ボーア将軍は王族で唯一生き残ったリーゼ姫を拉致すると同時に、指揮下の軍勢を引き連れてアダムズとパーシヴァルの国境の山岳地帯にある【プトレマイオス遺跡】に立て籠もったのだった。
プトレマイオス遺跡は神話にて、女神ヒュパティアが神器を祀ったとされる神殿である。しかし現在は廃墟と化し、神話にて語り継がれるような雅さは微塵もない場所であった。
そんな遺跡に立て籠もったボーア将軍率いるボーア軍は、パーシヴァル王国の要請によりリーゼ姫の救出に来たアダムズ軍と激しい交戦を開始する。圧倒的なアダムズ軍の軍事力に対し、著しく戦力の劣るボーア軍は、それでもその攻撃に対して決死の抵抗を行ったのだ。しかしどれだけ戦況が思わしくなかろうとも、将軍はクーデターを引き起こした理由を語ろうとはしなかった。それどころか、拘束した姫の身柄に対しても何の要求も行わなかったのだ。その為なぜ姫を連れ去り、こんな辺境の遺跡に立て籠もるのか、アダムズ軍にはその理由が一切分からなかった。そして理由の分からないこの戦いを、いつしか人々は【ボーアの反乱】と呼ぶ様になっていた。
開戦当初に誰しもが予想したのは、比べようの無い軍事力を誇るアダムズ軍の攻撃によって、ボーア将軍の率いる反乱軍は容易に壊滅するであろうというものであった。しかしその予想は完全に的を外れる形となる。科学者としても名高いボーア将軍は、自ら考案した新型の特殊兵器を使用して戦局に臨んだのだ。そして勇猛果敢な反乱軍の兵士達は、アダムズ軍の最新兵器をものともせずにその勇士を見せた。その結果、絶対的に有利だったはずのアダムズ軍は逆に甚大な損害を被る事態に陥ってしまったのだった。
パーシヴァル王国はアダムズ王国と親密な関係を構築していたものの、古くより独自の文化を構築していた歴史より、科学分野においてもアダムズに無い独特な技術を持っていた。そんなパーシヴァル王国が持つ、独自の科学技術の発展をけん引していたのがまさにボーア将軍なのである。そして将軍はこの反乱で今まで自らが培ってきた全ての知識と技術力を、敵対するアダムズ軍に叩きつけたのだ。
アダムズ軍は反乱軍が展開する見た事もない武器によるゲリラ的な攻撃に苦渋を強いられる。そして当初の予想を裏切り、ボーアの反乱は開始から四年もの歳月を費やしたのだった。そんな行き詰まる戦争にジュールやファラデーもアダムズ軍の一員として従事している。彼らはリーゼ姫奪還の為に、この場所で凄まじい戦闘を繰り広げていた。
終わりの見えない泥沼の戦いが続く。理由の見当たらないこの戦争はいつまで続くのだろうか。誰もがそう諦めに近い感情を胸に抱いた事であろう。だがボーアの反乱は意外な形でその幕を閉じる事になる。
軍事力に大きな差がありながらも、それまで互角の戦闘を繰り広げていた反乱軍。しかしボーア将軍を含むほぼ全ての幹部兵士が、とある満月の夜に突然の自害を血行したのだ。そして翌朝、残りの反乱軍兵士はその全員が無条件で降伏し、人質だったリーゼ姫の身柄もまた、無事に保護されたのだった。
その後、降伏した反乱軍兵士の一部はアダムズ軍の管轄する拘置所に送られる。だが残りの大部分の兵士達はボーア将軍並びに幹部兵士に強要されたこととされ、咎めを受けることなくパーシヴァルへ帰還させられた。ただし、再度同じ様な事態が起こらないよう暫定処置として、アダムズ王国はパーシヴァル王国にアダムズ軍の駐留を決める。また事態の発端となったリーゼ姫の身柄を一時アダムズ王国で保護する決定を下したのだった。
ボーアの反乱が終結してもうすぐ一年が経過するが、その間アダムズとパーシヴァルに目立った出来事はなく、現在まで平穏が保たれている。ただボーア将軍が何を目的としてこの様な事態を引き起こしたのか、それだけは今も謎のままであり、両者にとって流れた血の量は、決してその謎に見合うものではないはずであった。