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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第四幕 灯巌(ひがん)の修羅
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#77 別れ霜の教会(四)

 だいぶ小降りにはなってきたものの、それでも微細な雨粒が空中のそこかしこから押し寄せて来る。そしてその冷たい雨は、走るジュールとアニェージの体力をグングンと奪っていった。そして荒い呼吸に胸を抑えたアニェージは、極度の疲労感に限界を感じたのだろう。彼女は珍しく弱音を漏らすよう、ジュールに向かい強めに聞き尋ねたのだった。

「ハァハァ、お、おいジュール。北の教会って所にはまだ着かないのか? 坂道を出発してから、もう1時間は軽く超えてるぞ!」

 雨で泥濘(ぬか)るんだ山道を進むだけでも困難であるのに、更に二人は先の見え(づら)い暗く陰った森の中を進んでいるのだ。アニェージが苦言を吐き捨てたくなるのも無理はない。ただそれに対するジュールの返答は勢いづいたものだった。

「見えた、あそこだ! やっと着いたぞ!」

 そう言ったジュールは走るスピードを加速させる。雨でびしょ濡れになった体は自身の体重を倍以上にも感じさせたが、それでも彼は目的地が見えたことで息を吹き返して駆けたのだった。

 深い森から飛び出したジュールとアニェージは教会を目指す。だがそこで彼らが目の当たりにしたのは、破損した扉が無残な形で傾く教会の姿だった。

「ハァハァ。ど、どうなってんだよ、この有様は。ハァハァ、一体何が起きたって言うんだ?」

「ハァハァハァ。やっと着いたってのに、チッ。油断するなよジュール。ハァハァ、こいつは只事じゃないぞ」

 アニェージは疲労困憊な状態でありながらも周囲の警戒を怠らない。そしてそんな彼女に目だけで(うなず)いたジュールもまた、十分に注意を払いながら教会の入り口に近づいて行った。

 小さな教会ではあるものの、それでも正面入り口の扉は大きくて頑丈な作りをしている。人里離れた場所なれど、北の教会はルーゼニア教本部直轄の教会であるだけに、しっかりとした建造をされているのだろう。だがそんな重厚で(いか)めしいはずの扉が、今は倒壊する一歩手前という状態になっている。比較的大型の自動車で激しく突っ込みでもしない限り、こんな状態にはならないだろう。

「扉についてる傷は新しいものばかりだ。ほんの少し前に、この場所で何かしらのトラブルがあったんだろう」

「おい、見てみろジュール。傷だけじゃなくて【焼け焦げた】跡まであるぞ。ほら、あそこの外壁も焼け焦げてる。まるで火炎放射器でも使ったみたいだ」

 アニェージは扉についた傷跡を指先で触りながらそう(つぶや)く。ただ彼女はその傷跡に妙な不自然さを感じたのだろう。アニェージは焼け焦げた痕跡を入念に見つめながら、その考えを口にした。

「ここで何かしらの激しい争いがあったのは間違いない。でもちょっと変じゃないか? これ程の争いなら、少なく見ても十数人規模の小隊の戦力が必要になるはず。でも私にはそんなに多くの人数がここに居たとは思えない。いいとこ4、5人ってとこじゃないのか」

「ん? おいアニェージ、誰かいるぞ!」

 ガラスの割れた窓から教会の中を覗いたジュールが声を上げる。そして彼は一目散に礼拝堂を目指し、傾いた扉を潜り抜けた。


 外の状態から比べれば、教会の中はそれほど荒らされた形跡は無い。それでも割れた窓ガラスが散乱する礼拝堂は穏やかと呼べる状況ではなく、例えるならそれは、嵐の過ぎ去った後の(むな)しさに似た空気を感じさせるものだった。

 ただそんな礼拝堂の中で、頭を抱えながら座り込む人の姿が一つあった。それは祭壇前の低い階段に腰を下ろし、力無く(うつむ)いている。そしてジュールは躊躇することなく、その人影に向かい駆け寄った。

「大丈夫ですか? ここで何が起きたんですか?」

 ジュールは座り込んでいる中年の婦人に語り掛ける。その口ぶりからして、彼は彼女の事を知っている様子だ。そしてジュールは膝を着いた体勢で夫人の表情を下から軽く(のぞ)き込みながら続けた。

「神父の奥さんですよね。どこか痛みますか? すぐに医者を呼んだ方が良さそうですね」

 ジュールは夫人を労わりながら告げる。しかしそんな彼の優しさを夫人は丁寧に拒みながら言った。

「私の事は大丈夫。心配はいらないわ。ちょっと眩暈(めまい)がしてるだけなの。少しじっとしてれば治まるはずだから、構わないで」

「いや、でもここは里から離れてるし、不調を感じてから医者を呼んでも間に合わないよ。念の為に連絡しておきましょう」

「ん? ちょっとあなた、もしかしてジュール君じゃない? ねぇ、ジュール君よね!」

 少年時代の面影を感じ取ったのか。神父夫人は狼狽(うろた)えながらもジュールの肩を掴んで(すが)るように言った。それに対してジュールの方は、予想外な夫人の呼び掛けに驚きを見せる。それでも彼は動揺する夫人を落ち着かせようと、微笑みながら答えたのだった。

「俺の事を覚えてくれてたんですね。そうです、俺はハーシェルさんの所で面倒を見てもらってたジュールですよ」

「やっぱりそうね。頼もしそうな青年に成長したけど、でも私が知ってる【悪童】のジュール君の面影はしっかり残ってる。助けに来てくれたんでしょ、ありがとう」

「俺も久しぶりにおばさんに会えて嬉しいですよ。でも今はそれどころじゃないですよね。ここで一体何があったんですか?」

 ジュールは夫人の手に自分の手を添えて聞き尋ねる。すると夫人はその手を強く握り返して唇を噛みしめた。しかし夫人は何も答えようとはしない。いや、どう答えればいいのか分からずに悩んでいる。少なくとも夫人を前にしたジュールにはそう思えた。

 悔しさに身悶え、自責の念に押し潰されそうな夫人の姿。そんな彼女の手からは、微かな震えがジュールに伝わっていた。するとそんな夫人の憔悴した表情にジュールはふと(つぶや)く。彼は直感として抱いた思いを反射的に口走ってしまったのだ。

「もしかして、アメリアがここに居たんじゃないんですか?」

「!」

 ジュールの問い掛けに夫人の体は硬直した。あまりにも的を得た質問に夫人は激しく一驚したのだ。しかしそれも束の間、彼女の体からは逆に力が抜け、床に腰を重く下ろしてしまった。

「答えて下さいおばさん。アメリアはここに居たんですね!」

「……うん。ほんの少し前までアメリアはここに居たの。でも――」

 ジュールはハッと目を見開いてアニェージの顔を見る。すると今度はアニェージが柔らか味のある口調で夫人に聞き尋ねた。

「それで奥さん。彼女は、アメリアさんはどうしたんです? 姿がどこにも見当たりませんが、何処かへ移動したんですか? 私達はアメリアさんを助けに来たんです。どうか落ち着いて、ここで起きた事を全て教えて下さい」

 姿勢を低く屈めたアニェージは、ジュール同様に夫人の目線になって問い掛けた。ただそれに対して夫人は力なく首を横に振るだけだった。

「どうして教えてくれないんです? 私達はアメリアさんの味方なんですよ」

「ご、ごめんなさい。話したくても話せないの。私、ずっと意識を失っていたから。それで目を覚ましたら教会がメチャクチャで、アメリアの姿も消えてた。何がここで起きたのか、私にも分からないのよ」

 夫人が嘘を言っているとは思えない。そう感じたジュールとアニェージは顔を見合わせて溜息を吐く。それでもここにアメリアが居たのは間違いないのだ。そう思い直したジュールは、落ち込んではいられないとばかりに夫人に問い掛けたのだった。

「アメリアがこの教会に来たのはいつの事ですか? それに何かおかしな事は無かったですか? 不審な誰かが訪ねて来たとか」

 ジュールは切実な想いで聞く。何でもいいからアメリアの手掛かりが欲しいのだ。するとそんな彼の想いが伝わったのだろう。夫人はジュールに向かって自身が知り得る全てを話し始めたのだった。


「アメリアが突然教会に現れたのは丸一日前の夜の事よ。私が夕食を食べ終えた時にね、突然礼拝堂で大きな音がして。それでその原因を確かめようと思って礼拝堂に行ったら、彼女が気を失った状態で倒れていたのよ。それからアメリアは丸一日眠っていたの。でも少し前に彼女は目を覚ましてくれてね。すごく元気そうだったわよ」

 寝室で話しをしたアメリアの姿を思い出しているのだろう。夫人は少しだけ明るい表情を見せる。しかしその表情はすぐに曇ったものに変わり、夫人は重く口を開いたのだった。

「彼女、知らない男に追われて森の中を逃げてたって言ってたわ。彼女が着ていた服も泥だらけだったし、それに大量の返り血も付いてたから、それは本当だったんだと思う」

「か、返り血!」

「あ、でもさっきも言ったようにアメリアは元気で、体に傷なんて一つも無かったから、あの血は彼女のものなんじゃないの。それだけは安心して」

「それで、目を覚ましたアメリアはどうしたんです?」

「うん。私もアメリアの現れ方が普通じゃなかったから、彼女にそれを聞いたの。でもアメリアの方も何で自分がこの教会にいるのか分かっていなそうだった。もっと詳しく話しを聞ければ良かったんだけど、その時に【あの男達】が現れて――、ううぅ」

「大丈夫ですか!」

 夫人が突然話し途中に頭を抑え呻き声を上げる。その様子からして、彼女の体調はまだ回復には程遠い状態なのだろう。そしてそんな夫人の姿にジュールは気を揉んだ。夫人にこれ以上無理をさせるわけにもいかない。でもやっとアメリアの消息を掴み掛けているのだ。居た堪れない気持ちのジュールは苦々しい表情を浮かべる。するとそんな彼の胸の内を察したのだろう。夫人は気丈にも話しを続けたのだった。

「順を追って話しをするわね。気を失ったアメリアを保護した後なんだけど、私は彼女の自宅に電話をしたの。家族に連絡するのが普通でしょ。でも彼女の母親のカロラインは、何度電話しても出てくれなくて。だけど今日の夕方に電話を掛けたら、親族だっていう人が出てくれたのよ。そしてその人はすぐにアメリアを迎えに来てくれるって言ってくれてね。たからお願いしたのよ」

「それで」

「ええ。でもこの教会に現れたのはアメリアの親族なんかじゃなかったの。黒いスーツを着た【裏組織】のあいつ達だったのよ。男が二人と女が一人。男の内の一人が顔見知りの関係だったから、あいつらが危険な存在なんだってすぐに分かったの」

「裏組織って、それって【アカデメイア】の事ですか?」

「うん、そうよ。やっぱりアメリアを助けに来たって言うくらいだから、あいつらが何者なのか、あなたは知ってるのね。それも私なんかよりもずっと詳しく」

「ならアメリアはそのアカデメイアの奴らに(さら)われたっていうのかよ!」

 ジュールは忸怩たる思いで唇を噛みしめる。そしてそんな彼に向かい、夫人は申し訳なさそうに言ったのだった。

「私は間を置かずに突き飛ばされて気を失っちゃったから、その後にアメリアがどうなったのかは分からないの。ただあいつらはアメリアが持つ何かを探しているようだった。でもごめんなさい。まさかアメリアがそんな物騒な人達に追われてるなんて知らなかったから、不用意に自宅に連絡しちゃって。私がもっと気を利かせていれば、こんな事にはならなかったのに――」

 神父夫人はそう告げると、ジュールに向かって深々と頭を下げた。彼女は自分の無力さを痛切に悔やんでいるのだ。ただそんな夫人に対し、ジュールは湧き上がる苛立(いらだ)ちをグッと押し留める事しか出来なかった。激しい焦燥感に駆られたジュールにはもう、じっと耐える事しか出来なかったのだ。ただそんな彼に代わり、落ち着いた物言いでアニェージが語り掛ける。彼女はジュールの心の葛藤を素早く察したからこそ、彼に代わって問うたのだった。

「奥さんはアメリアさんを心配して家に電話を掛けたんですよね。それは当然の行為だし、何も知らなかった奥さんに罪はありません。だからあまり気を落とさないで下さい。でも一つだけ(うかが)いたいのですが、どうして奥さんは、そんな裏組織の男の事を知ってるんですか? 奥さんには全然関係ない様に思えるのですが」

 アニェージは柔和な口調でありながらも単刀直入に聞き尋ねる。するとその質問を耳にしたジュールはハッと思い出した。そう言えば昔、あの桜並木でデカルト達と戦った時、奴らはこの教会の事を話していたと。

 人里離れた北の教会と裏組織にどんな関係があるのか。いや、それ以外にも写真の坂道である磁石の丘とルーゼニア教にも、何かしらの関わり合いがあるらしいのだ。だからその真相を問うべく、アニェージは夫人に質問している。そう思ったジュールは、固唾を飲み込みながら成り行きを見守った。


「こんな田舎の教会と裏組織なんて、普通に考えたら結びつくわけがありません。でも奥さんはそれを知っていた。何故なんです? 教えて下さい」

 アニェージは強い眼差しを夫人に向ける。するとそんな彼女の気迫に観念したかのよう、夫人は小さく語り出した。

「――4年に一度、アカデメイアはこの教会に(つか)いを(おもむ)かせて【種】を回収するの。そしてその遣いとして何度かこの教会を訪れている男が、アメリアを追って来た男の一人だったのよ」

「間違いないんですか?」

「ええ、間違えるわけないわ。4年に一度きりしか顔を会わせないけど、薄気味悪くて大っ嫌いだから逆に忘れられないのよ。あの目の周りに濃い隈のある男だけはね」

 そう吐き捨てた婦人の表情は極めて苦々しいものである。その様子からして、裏組織の男の事を相当に毛嫌いしているのだろう。ただそこでアニェージがすかさず詰め寄る。彼女は夫人の口から発せられた【種】という言葉に、どこか引っ掛かるものを感じたのだ。

「済みませんが奥さん。あなたの言うその【種】っていうのは何の事ですか? アカデメイアがわざわざこんな遠い教会に来るくらいだから、重要な物なんですよね」

 アニェージは夫人の目線で問い掛ける。すると夫人は少しだけ躊躇(ちゅうちょ)したものの、小さく(うなず)いてから話し出した。

「この教会からもう少し北に行った森の中に、ちょっと不思議な【桃の木】が1本あるの。その木はね、普段は何の変哲もない桃の木なんだけど、でも4年に一度だけ【金色に輝く実】をつかせるのよ」

「き、金色に輝く実、ですか?」

「うん。俄かに信じられないかも知れないけど、本当の事なのよ。そしてね、その金色の実の中にある【種】を回収するのが、この教会で暮らす私達夫婦の役目なのよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよおばさん。それって【北の滝】にある桃の木の事なんじゃないのか? でもそれって、神父のおっさんは迷信だって前に言ってたぞ」

「これはルーゼニア教の機密事項だから、あえて里のみんなにはお伽噺(とぎばなし)って言ってるのよ。もし金色の実が本当だって知れたら、大騒ぎになってしまうでしょ」

「そ、そりゃそうだけどさ。だけど神父が嘘なんてついていいのかい? バチが当たるよ」

「確かにそうかも知れないわね。だけどね、この教会が建てられた目的は、そもそもその種を採取する事だったのよ。信仰なんて後付の嘘っぱち。だからね、私達が嘘をつくのは仕方がないのよ」

 そう告げた夫人は哀しげに視線を床に落とした。そこにはきっと彼女なりの思いがあったのだろう。そうでなければ嘘なんてつき通せるわけがないのだ。ただそんな彼女の遣る瀬無さを感じつつも、ジュールは質問を続けたのだった。

「おばさん達はルーゼニア教の指示に従ってただけなんだろ? なら嘘をついてた事なんか別に気にしなくていいよ。でもさ、何でその木は4年に一度だけ金色の実をつけるんだい? それにアカデメイアが種を回収に来たって事は、あいつらはルーゼニア教にも繋がってるって事だろ? 意味が分からないよ」

 ジュールは眉間にシワを寄せながら苦言を吐き出す。しかしそれに対して夫人の方も同じく表情を曇らせながら答えたのだった。

「ごめんなさい。それは私にも分からないの。あの木がどうして4年に一度だけ金色の実をつけるのか。どうしてルーゼニア教の命を受けた裏組織なんかが種を回収しに来るのか。ううん、そもそも何を目的として種を回収しているのか、私達夫婦には何一つ分からないのよ」

 夫人はそう言うと大きく溜息を吐く。今まで全うして来た職務の意味を改めて考え直した彼女は、その曖昧さに気持ちを萎えさせたのだ。ただそこでアニェージが鋭く切り込む。彼女は何かしらの思う節があり、それを確かめようと夫人に尋ねたのだった。


「その種の事なんですが、もしかしてそれが獲れるのはこの教会だけじゃなくて、アダムズの他の場所でも獲れるんじゃないのですか?」

「……あなた、それをどこで聞いたの? さっきも言ったけど、これはルーゼニア教の最重要機密事項なの。だからそれを知っているのはルーゼニア教の中でも限られた人達だけなのよ。それなのにあなたの様なお嬢さんが知っているなんて、たとえ噂であっても危険な事よ」

「じゃぁ本当なんですね。私が耳にした限りじゃ、種が獲れるのはアダムズでも5~6ヶ所はあるって話しでした。そしてアカデメイアは種を使って、来年の千年祭で女神を【復活】させようとしている。私はそう聞いています」

「女神を復活させるだって! 何だよそれ、もっと詳しく聞かせろよアニェージ!」

 ジュールは初めて耳にした話に声を荒げる。しかしアニェージは首を横に振るだけだった。

「以前にガルヴァーニのジジイから聞いたんだよ。来年の千年祭に向けて、アカデメイアが何かを企んでるってね。でも女神の復活なんて悪ふざけとしか思えないだろ。だから私はそれ以上の詳しい事は聞かなかったんだよ」

「何だよそりゃ、肝心なところで使えないな」

「仕方ないだろ。私だって忙しいんだ。冗談みたいな話に一々付き合っていられないんだよ。ただヤツの情報を収集する過程で、アカデメイアがアダムズの各所から正体不明の種を集めているっていう噂は掴んでいた。それがまさか本当で、その内の一つがこの教会だったなんて、思い掛けない偶然に驚きが止まらないよ」

 そう告げたアニェージは自分の胸に手を当てて鼓動の早さを確かめる。彼女は身の(すく)むほどの不安を感じたのだ。人知を超えた力を発揮するジュールやヤツの力をアニェージは嫌というほど目の当たりにした。そんな彼女にとって、女神の復活という話は今となっては冗談として受け流す事は出来なかったのだ。するとそんなアニェージの不安を(あお)るかの様に夫人は言う。その表情は極めて苦々しいものであった。

「私も噂レベルだけど、女神の復活の話しは耳にした事がある。でもあなたと同じ様に、私もその時は冗談だとしか受け取れなかった。だけどあの種には不思議な力が宿っているから……。そんな種が数千、いえ数万個も集まっているって考えたら、正直ゾッとするわ。主人がいれば、もっと詳しい話しが聞けたかも知れないのに」

「そう言えばおばさん。神父のおっさんは居ないのかい? 考えてみれば、あの神父が居れば裏組織の2~3人相手にするなんて余裕だろ」

「主人は今、ルヴェリエに行ってるの。ルーゼニア教の急な総会に呼び出されたのよ。でも今日の件といい、ちょっと不自然に感じるわね。いつもなら総会が急に開催されたとしても、この教会には関係なかった。それなのに今回だけは強制力を持った召集が掛けられたのよ。東西南北の【4つの教会の神父】の全員にね」

 夫人はそう言ってから口の中に溢れた生唾を飲み込んだ。彼女は得も言われぬ妙な違和感を感じ不安に駆られたのだ。それでも夫人は覚悟を決めたかの様に続ける。彼女はジュール達に対し、責任を果たそうと話し始めたのだった。

「もし権限の無い者が種の存在を知ってしまったら命の保証はない。もちろん話してしまった方もね。これはずっと昔から決められていたルーゼニア教の(おきて)なの。でもあなた達にとって、きっとこの話は役に立つと思うから私は伝えるわ。だから良く聞いて」

 夫人は真っ直ぐにジュールを見つめながら続ける。

(みの)る金色の桃の数はその年によってマチマチなんだけど、少ない年で10個、多い年で15個ってところね。それでその()から獲れる種。(じつ)はその種にはすごく強い【力】が秘められていてね。これをちょっと見てちょうだい」

 そう言った夫人は首から下げていた質素なペンダントを外す。それは木にとまる(わし)の姿を象った物であり、司祭や神父が首から下げる物としては少し不釣り合いな物に見える。ただ夫人はそのペンダントをパカッと開く。どうやらペンダントは開閉式のロケット構造になっているらしく、夫人はそこから小さな何かを取り出すと、それをジュールに差し出した。


「これがその種よ。手に取ってごらんなさい」

 頷いたジュールはそっとその種を手に取る。すると彼はその手に確かな温もりを感じて(つぶや)いたのだった。

「見た目は干からびた種だけど、あったかいね。これがその【力】ってやつなんですか?」

 そう言ってからジュールはその種をアニェージに渡す。そしてそれを受け取ったアニェージもまた、その不思議な温かさを感じながら夫人を見つめた。

「その種はかなり昔に取れたものだから、だいぶ力は弱まってしまっているの。でも獲れたての時は凄いのよ。とても手なんかじゃ触れない。大袈裟な表現だけど、それこそ金属だって溶かしちゃうくらい熱いんだから」

 夫人はアニェージより種を戻されると、手の平に乗せたそれを眺めながら話しを続けた。

一目(ひとめ)すれば、誰しもそれが普通の種じゃないんだって分かると思うのよ。そして私が知る限り、その種を回収しているのはこの北の教会の他に3つある。一つはアダムズ王国最南端の孤島にある【南の教会】。もう一つは西国との国境に(またが)る砂漠地帯にある【西の教会】。そして最後の一つがパーシヴァル王国にある【東の教会】。4年に一度だけ種が収穫出来るのはどこも同じなんだけど、ただ肝心なのは種が宿す力の【性質】が全て異なるってことなのよね」

 ジュールとアニェージは夫人の手の平に乗った種を注視しながら話しを聞いた。

「この種が熱いのはね、この種の中に【火】の力が宿っているからなのよ。そして私が聞いた話だと、他の教会で獲れる種からも何かしらの性質を感じ取れるらしいの。ただそれらがどんな性質なのかは分からないし、どうしてそんな力が宿っているも分からない。それでも私が知っているのはね、南の教会の種は【海】の力、西の教会の種は【大地】の力、そして東の教会種には【死】の力が宿っているって聞いてるのよ。他の教会の種は見た事がないから、それが本当かどうかは分からない。でも少なくともこの教会で収穫する種に、火の力が宿っているって言うのは理解してもらえるわよね。それでね、ここからは私の推測になるんだけど、もしこの4つの種の性質が本物だとしたら、それって何かに似てると思わない?」

「え、俺には全然分からないけど」

 ジュールは不意な夫人の問い掛けに首を傾げる。だがその横でアニェージが目を見開いて答えたのだった。

「ん? もしかして、それって神話で語られている【天照(あまてらす)の鏡】の性質と同じなんじゃないですか!」

 ハッと思い付いたアニェージは興奮した口調で叫ぶ。するとそれに対して夫人は首を縦に振って答えたのだった。

「その通り。4つの種の性質は、神話で獣神を封印したとされる天照の鏡の性質と合致するのよ。それってただの偶然だと思う? 少なくとも私にはそうは思えないわ。ただでさえ神秘的過ぎる桃の実から採取される種なんだし、それに種自体にも強い力が秘められている。そんな種をルーゼニア教はずっと昔から回収し続けていた。私達が生まれる遥か以前よりね」

 ジュールとアニェージは不安を露わに聞き続けている。

「来年開催されるお祭りが【千年祭】と呼ばれる通り、ルーゼニア教はその信仰を誕生させてから千年になる。そしてこれまで集めた天照の鏡と同じ性質を持つ沢山の種をそこで利用し、何かをしようと画策しているのよ。アカデメイアなんていうきな臭い裏組織まで使ってね。普通に考えたら、それが良い事だなんて到底思えない。ううん、恐ろしい事に決まってるわ。――だけど私に出来るのはここまで。話す以外に私には何の力も無いし、それにこれ以上は何も知らないから……」

 そう言った夫人は溜息を吐きながら背中を屈めた。その表情にはかなりの疲労の色が見える。恐らく相当な覚悟を決めてこの話をジュール達に伝えたのだろう。

 夫人自身が告げた様に、この話はルーゼニア教にとって極めて重要な話であり、命すら危ぶまれる程のものなのである。それでも夫人は覚悟を決めてそれを彼らに伝えた。きっとアメリアを連れ去られた責任を感じ、そのせめてもの罪滅ぼしだと思って夫人は話したのだろう。そしてそんな彼女の丸まった背中を見つめたジュールは、遣り切れない想いで一杯になった。

 ジュールはルーゼニア教の信者ではない。いや、そもそも信仰なんてクソ程の価値もないと考えているくらいだ。ただそんな彼であっても、ルーゼニア教の(おきて)の重要さくらいは理解していた。そしてそんな掟を(やぶ)ってまで話しをしてくれた夫人の覚悟に敬服したのだ。しかし命の危険を顧みず、おばさんはどうしてここまで自分達に全てを話してくれるのか。そう思ったジュールは夫人の肩にそっと手を添えると、複雑な表情を浮かべて聞いたのだった。


「ねぇ、おばさん。ルーゼニア教の裏事情まで教えてくれたのは本当に嬉しいよ。でもさ、こんな事したらおばさんの身が危ないんじゃないのかい? アメリアの事で責任を感じてるのは分かるけど、でもそこまでする義理はおばさんにはないだろ」

 ジュールは夫人を気遣いながら聞き尋ねた。ただそれに対する夫人の回答は、彼が想像していたものとは少し違うものであった。

「いつの頃からかしら、ルーゼニア教は変わってしまった。一般の信者はまだ気付いていないだろうけど、教団は確実に変化しているのよ。それも悪い方に。少なくとも私がこの教会に来たばかりの頃は、もっと人々の暮らしに優しい教団だった。私が信じたルーゼニア教は、人々の心を満たしてくれる輝かしい教えだったのよ。それなのに、あんな裏組織と手を組んでまで何か大きな事を企てようとしている。私には、そんな今の教団が許せないのよ」

 夫人は涙を浮かべていた。その涙にはとても深い想いが込められているのだろう。神父に嫁いだ彼女にとって、ルーゼニア教は生活の大部分を占めていたはずだ。そんな誇るべき信仰が大きく揺らぎ始めている。それを彼女は直感として感じ取っているからこそ、ジュール達に自身が知っている事を全て話したのだ。そして夫人はジュールに伝える。それは覚悟を決めた力強い眼差しと共にジュールの耳に届いたのだった。

「ジュール君はアメリアを助けに来たって言ったけど、それは現状最優先の課題であって、あなたが本当にやろうとしている事はまた別にあるんじゃないの? そしてそれはルーゼニア教やアダムズ王国の根幹に関わる、とても大きな事なんじゃないのかな。その行動によって、もしかしたら世界が大混乱に陥るかもしれない。ううん、それどころか私の生活基盤であるルーゼニア教の信仰自体が消滅してしまうかも知れない。あなたの顔を見ていると、正直そんな気がして怖くなる。でもね、それでもあなたに期待したいのよ。【(とり)()()の滝の試練】を乗り越えたあなたにね」

「お、おばさん」

「あなたはボロボロになりながらも、あの困難な試練から帰って来た。それも傷ついたアメリアを背負いながら。あんなの、とても十代半ばの少年に出来る事じゃない。だから私はあの時に思ったのよ。もしかしたらジュール君には、何か特別な力があるんじゃないのかってね。そしてその力は私達に【祝福】を与えてくれるんじゃないのかって。すごく身勝手な考えなんだけど、私にはそう思えて仕方なかったのよ」

 ジュールに語り掛ける夫人の表情は、いつしかとても優しいものに変わっていた。

「私の事なんか心配しなくていい。だからお願い。あなたは自分の信念を貫き通して。無事にアメリアを助けたら、そのまま真っ直ぐにあなたの目的を果たして。それは簡単な言葉で励ますことの出来ない苦しい道のりなのだろうけど、でもね、ジュール君ならきっと出来るはずよ。だから――」

 夫人は自らが手にしていた種をジュールに握らせる。そしてその手を上からギュッと握りしめて言った。

「これを持って行って。この種にはまだ少しだけど力が残ってる。もしかしたらそれがジュール君に役に立つかも知れない」

「プルルルッ、プルルルッ」

 突然アニェージの端末が着信音を鳴らす。彼女は驚きながらも素早く端末を取り出すと、着信相手を確かめてから立ち上がった。

「ブロイからだ。ちょっと外で話してくるよ」

 そう言ってアニェージは足早に礼拝堂から出て行った。するとそんな彼女の対応に夫人は察したのだろう。ジュールに向かって微笑みながら言ったのだった。

「どうやら仲間の人から連絡が届いたみたいね。良かったわ。ならあなたも行きなさい。これを持って、ね」

「で、でも、これって大切な物なんじゃないんですか?」

「二百年くらい前に獲れた種らしいんだけど、それ以来この教会に務める神父に受け継がれてきた。でも今となってはもう、カイロほどにも温まってないし、私には必要ないものなのよ」

「でも……」

「いいから持って行きなさい。これは神に仕える私の勘なのよ。この種はあなたに必要なんだろうって。女神様からそう言われている気がするのよ。それにね、あなたアメリアと結婚するんでしょ?」

「な、なにを急にそんな」

 ジュールは唐突に切り出された夫人の問い掛けに顔を赤くする。するとそんな彼の仕草に笑いを堪えながら夫人は続けたのだった。

「アメリアから聞いたのよ。あなたと結婚するって。やっぱりあなた達は初めから結ばれる運命だったのね。(とり)()()の滝から帰ったあなた達を見た時に、私はなんとなくそう思えたから本当に嬉しいのよ。だからこれは少し早いけど結婚祝いとしてジュール君にあげるわ。それなら受け取ってくれるでしょ」

「ほ、本当にいいんですか?」

「もちろんよ。もっと良い物をあげたいけど、それは今度二人揃ってこの教会に報告に来てくれた時に渡すわ。だから今はそれを持って行って」

 そう告げた夫人はジュールの手を離す。そしてしっかりと目を見つめながら(うなず)いて見せた。

「分かりました。有り難くこの種は頂いて行きます。それと、いつか絶対にアメリアと二人で挨拶に来ますんで、そん時を楽しみにしといて下さい!」

「うん。期待しているわ」

 微笑みながらジュールと夫人は見つめ合う。だがその約束を果たす為には、アメリアを奪還しなければならない。ジュールは決意を新たに振り返ると、礼拝堂を後にする。そしてそんな彼の後ろ姿を見送った夫人もまた、大きな不安を感じながらも、彼の告げた未来の訪れを心から願ったのであった。


 ジュールが教会を出た時、ちょうどアニェージが端末の通話を切ったところだった。そしてジュールが尋ねるより先に、アニェージが口を開き言った。

「ブロイ達はすぐにここへ来るそうだよ。だからついでに医者を連れて来るよう要請しておいた。奥さんの事はこれで心配しなくて済むだろ」

「そうか、助かるよ。それで、ブロイさんの方は何て言ってたんだ? グリーヴスで問題があったんだろ?」

「あぁ。でもそれ以外にも問題は山積みらしく、合流してから説明するって言ってたよ。ブロイ達と一足先に合流したヘルムホルツにも、何か相当深刻な事態があったらしいしね」

「えっ! 何だよそれ。ヘルムホルツに何かあったのか?」

「だからそれは分からないよ。合流してから直接本人に聞けよ。それより見ろジュール。この足元に広がる痕跡を」

 そう言ってアニェージは自身が立つ足元を指差した。そしてそれに誘導されながらジュールは視線を移す。するとそこで彼が目にしたのは、何かが爆発した様な痕跡だった。

「こ、これってもしかして、森にあったあの爆発痕と同じじゃないのか! ならアメリアはここで瞬間移動したんじゃ!」

「その可能性は極めて高い。雲を掴む想いでこの教会まで来たけど、実際にアメリアさんはここにいた。それを考えれば、アカデメイアに襲われたアメリアさんがここで何かしらの力を使って、再び瞬間移動したと考えるのは至って普通だ。周囲に刻まれた凄まじい燃焼痕は何者かの戦闘行為によるものだろうけど、でもこの爆発痕だけはそれらとは違う。誰かに助けられたのか。他に協力者でもいるのか?」

「でもさアニェージ。瞬間移動したってんならさ、何処に行ったって言うのさ?」

「それはお前が考えろよ。この教会を思い出したのはお前なんだし、この近くで他に彼女が印象強く覚えていそうな場所はないのか?」

 アニェージに言い返されたジュールは表情を曇らせる。そう都合良く思い出深い場所なんてあるはずが……、あそこか!

 ジュールは無言で駆け出す。それも全力で。教会の脇を駆け抜けた彼はそのまま北上すると、獣道の様な細い林道がのびる山道へと踏み出して行った。

「おい、ちょっと」

 アニェージは力無くジュールを呼び止めるも、気持ちを切り替えて彼を追い掛け始めた。疲労のピークはとうに過ぎている。雨の山中を夜通し走り続けているのだ。それでも彼女は懸命にジュールを追い駆けた。その背中をすでに見失っていたとしても。

 それから一時間弱が経過した。早々にジュールを見失ったといっても、山に通じる道は一本道だ。ならば必ずこの先に目指す場所はあるはず。そう信じたアニェージは、(なか)ば意識が朦朧(もうろう)とする中で懸命に走り続けた。

 ただそんな時だ。どこからか水の流れる様な音が聞こえて来る。意識が不鮮明なために錯覚を感じているのか。いや、そんなはずはない。その音はどんどんと大きくなっていくのだ。そう、これは川の流れる音なんかじゃない。滝の水が落ちる音だ!

 そうアニェージが確信した時、周囲が突然開けた。薄暗い森の中に、高さ5メートルほどの滝がその姿を現したのだ。そして彼女はその滝の向こう側より姿を現したジュールを見つけ駆け寄った。

「お、おいジュール。勝手に先走りやがって。いい加減にしろよ!」

「あぁ、悪かったな。でも今回は違ってたよ。アメリアは何処にもいなかった――」

 ジュールはそう言って肩を落とす。全身びしょ濡れの姿からして、川の中まで入念に調べていたのだろう。それでも肝心のアメリアの姿は見つける事が出来なかった。そんな彼の疲れ切った姿に、アニェージはそれ以上の掛ける言葉を見つけられなかった。



 いつの間にか、東の空が薄らと明るくなっていた。雨を降らせていた雲はちりぢりになり、その隙間から淡いオレンジ色の光が漏れ出して来る。そしてそんな朝焼けを遠巻きに眺めながら、疲労困憊のジュールとアニェージは滝の近くで座り込んでいた。

 掴み掛けたアメリアの消息が、また闇に埋もれてしまった。その事実が彼らの気持ちを極度に萎えさせたのだろう。もう指一本動かす事すら出来ない。そんな虚無感に駆られた状態のジュールは、ただ茫然とそこに意識を保つだけだった。ただそれに対して(おもむろ)にアニェージが(つぶや)く。決して何かの思い付きがあったわけではない。彼女も疲れ切っていただけであり、そのせいで素直に疑問を投げかけただけなのだ。

「初めに見て思ったんだけど、滝の向こう側に何かあるのか?」

 それはあまりに他人事の様な質問の仕方だった。しかしそれが逆に憔悴したジュールの気持ちを少しだけ紛らわせたのだろう。彼は苦笑いをうかべつつも、この場所でかつて経験した【思い出】を語り出したのだった。

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