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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第三幕 刻迂(こくう)の修羅
67/109

#66 桜並木の錯覚(五)

「さぁ時間だ。助けたい方を選択しろ」

 冷酷に告げられたデカルトの指示にジュールは口惜しむ。

 クソ、ここまでか――。絶望の淵に突き落とされるというのは、まさに今の様な状況を指し示すのであろう。もう手の打ちようがない。心の底からそう感じたジュールは、これが最後だとばかりに顔を上げる。そして彼は無意識にアメリアの姿を見つめた。

 人生の最後の瞬間に【あいつ(アメリア)】の顔を見れて良かった。彼が心の中でそう思ったかどうかは分からない。だが確実に彼が感じたのは、決して現状を諦めていないアメリアの強硬な姿勢であった。

 まったく、どうしてあいつはあんな目をしているんだ。もう万策尽きたのは分かり切ってるはず。それなのにどうして――!

 ジュールは思わず口元を緩めた。最後まで諦めていないアメリアの態度が不憫にも微笑ましく思えたからなのか。それとも絶体絶命の窮地に観念したからなのか。ただ彼は一度だけ深く息を吐くと、デカルトに対してこう答えたのだった。

「フゥ~。負けたよ。あんたみたいな化け物は初めてだ。少しくらいは戦えると思ったのに、まるで歯が立たなかった。悔しさを通り過ぎて呆れるくらいだよ。それにしても居るモンだね、化け物っつうのはさ」

「おいおい、答えになってないぞ少年。ここで時間稼ぎをしたって無意味な事くらい理解出来ているだろ。さぁ、答えを言え。どっちの少女を助けたいのだ?」

「じゃぁ言わせてもらうよ。俺の答えはこれだっ!」

 ジュールはそう叫ぶなり、首に掛かるデカルトの手に思い切り噛みついた。

「くっ、お、お前――!?」

 予想だにしないジュールの抵抗にデカルトは一瞬怯む。だがそれよりも男が驚いたのは、その僅かな隙にアメリアがナイフを振りかざして向かって来た姿に対してだった。

 アメリアはありったけの力でナイフを振り降ろす。それは綺麗な円弧を描いてデカルトの肩を襲った。だがしかし、その攻撃は簡単に弾き返されてしまう。いかに虚を突いた攻撃とはいえ、相手は化け物じみた身体能力を持つ男なのだ。アメリアの非力な一撃は、まるで羽虫を追い払うかの様に避けられてしまった。

 ただそこでデカルトは思う。この少女、どこでナイフを手に入れたのだろうかと。ナイフの形状より、それが隈の男の武器なのだということは把握出来る。少年が隈の男を一蹴した際、落としたナイフを隠し持っていた。そう考えるのが妥当だろう。でもこの少女は最後に訪れるかどうかすら分からないチャンスを待ち続け、そこに全てを懸けていた。為す術無い絶望的な状況でも尚、諦めずに好機を(うかが)っていたのだ。そんな忍耐強い行為、普通の少女に出来るはずが無い。そう感じたデカルトはつい嬉しくなり微笑む。二人の少女の内、どちらを生かすべきか判断出来たからだ。――がしかし、そこで男は自分の腕に感じる奇妙な違和感に気付きハッとする。そこではなんと、ジュールが手にしたナイフを深々と男の腕に突き刺していたのだ。

「バ、バカな」

 デカルトは思わず驚きの声を漏らす。思いも寄らない少女の行為に意識が外れた下で、少年は弾かれた少女のナイフを拾い上げていた。そして返す手でそれを男の腕に突き刺したのだ。更に少年は身を捻る。彼は一驚した男の腰が浮いた事で、体の自由度が一気に解放されたのを見逃さなかったのだ。ジュールの繰り出した渾身の肘鉄が男の(あご)に命中する。

「ゴンッ!」

 まともに攻撃を受けた男の(ひざ)が崩れる。いくら化け物じみた男とはいえ、不意の一撃で脳を揺らされた衝撃は拭えるものではないのだろう。そしてジュールは畳み掛ける様に男の股間を蹴り上げた。

「リーゼ逃げて!」

 振り返りながらアメリアが叫ぶ。そして駆け出す二人の少女の背中を強く押す様にジュールが声を上げた。

「走れ! 逃げるんだ!」

 

 三人は坂道を駆け上り逃げる。こんなだまし討ちで逃げ切れるわけがない。それでもジュール達には全力で走るしか残されていなかった。もうそれ以外に何も考えられなかったのだ。

 アメリアがリーゼの手を引きながら走る。ジュールはその後方で傷ついた体を引きずる様にして彼女らを追った。だが案の定、そんな彼らの逃亡を男達が黙って見逃すはずがない。ナイフを振りかぶった隈の男が、逃げるジュール達に狙いを定めながらデカルトに言った。

「相変わらず詰めが甘ぇな、デカルト。腕が立つくせに、そんなんだからいつもテメェは舐められんだよ。ガキだろうが何だろうが、邪魔な奴はとっとと始末しちまえばいいんだ」

 そう言い放った隈の男はナイフを投げる。そしてそのナイフは先頭を行くアメリアの後頭部目掛けて飛んだ。

「グサッ!」

 鮮血が飛び散る。ピンク色の桜吹雪を赤い雨が染め上げるかの様に。ただそこで走るのを停止させたのはジュールだけであった。

「ジュール!」

「走れ! 俺に構うなっ!」

 アメリアの叫びにジュールは怒鳴る。そして彼は左腕に突き刺さったナイフを無理やり引き抜いた。そう、彼はアメリアに向かい放たれたナイフを身を犠牲にして受け止めていたのだ。耐え難い激痛にジュールは表情をしかめる。それでも彼は血だらけのナイフを構えて男達の正面を向いた。

「クソ生意気なガキだ。往生際が悪過ぎるんだよ。いい加減死んでくれや!」

 怒りを露わにする隈の男がまたもナイフを投げる。だが今度のナイフはリーゼに向かって飛んだ。

「ガキンッ!」

 目にも止まらぬ速さで飛んだナイフをジュールは手にしたナイフで叩き落とす。彼の動体視力と瞬発力はやはり凄い。いや、この状況で集中力を切らせない精神力が凄いのだ。だがしかし、力一杯ナイフを弾いたジュールは体勢を大きく崩す。彼の体に蓄積したダメージと疲労はもう限界を超えていた。振り絞った気力だけではどうにもならない事態にまで彼は追い詰められていたのだ。(もつ)れる足が言う事を聞かない。そしてそれを見計らった隈の男は、しめたとばかりにナイフを放った。

「守れるモンなら守ってみろよっ!」

 (いや)しい隈の男の声が響く。そんな男の放ったナイフは再度アメリアの背中を襲った。

「ダメだ。届かない!」

 直感としてジュールはそう思う。アメリアとリーゼを交互に狙われた事で大きく体を振られた。その挙句に悲鳴を上げる体がバランスまでもを崩してしまった。これでは到底ナイフに手は届かない。それでもジュールは諦められぬと足を踏ん張る。そしてアメリアに襲い掛かるナイフに自らが手にするナイフを思い切り投げつけた。――がしかし、無情にも彼の投じたナイフは外れてしまった。

「しまった」

 ジュールは反射的に目をつむる。アメリアの背中にナイフが突き刺さる瞬間なんて見たくない。彼はそう恐れてしまったのだ。だがその時、

「バンッ!」

 突然の銃声が響く。それと同時にナイフは粉々に砕け散った。まさにアメリアの背中に突き刺さる寸前のところでだ。

「な、何が起きたんだ!?」

 ジュールは酷く戸惑う。目の前で発生した状況がまったく飲み込めないのだ。それでも彼は気配を察して横を向く。すると彼が視線を向けた森の中から二つの人影が飛び出して来たのだった。


 新たな敵が現れたのか。そう思ったジュールは即座にアメリア達へ駆け寄ろうとする。しかし彼はその場に倒れ込んでしまった。体力の限界なのだろう。彼の足は本人の意思に反して動こうとはしなかった。ただそんな彼の目の前で森から現れた人影の一つが、少女らを背後に(かくま)うよう身構える。そして強固な胸板を有するガッチリとした体格の大男が、隈の男達に向け威圧感のある低い声でこう言い放ったのだった。

「チンピラどもが、随分とふざけた真似しやがって。タダで済むと思うなよ」

 強面(こわもて)の大男が漂わせる威圧感は半端ではない。まるで獰猛な闘牛が凄味を利かせているかの様だ。そしてそんな大男を前にして、隈の男達は動けないでいる。不意な第三者の出現に、男達も困惑しているのだろう。森から現れた二人の男性が只者ではないだけに、それは当然だ。

 森から来たもう一人の男性が倒れ込んでいるジュールに近づく。何をするつもりだ。初めにジュールはそう考えた。しかし彼は近づく男性の瞳を見てその疑いを捨て去る。彼は男性のエメラルドグリーンに光る優しげな瞳に気付き、その男性が間違いなく敵じゃないのだと察したのだ。

 男性は倒れているジュールの前まで来ると、その身を屈めて膝をついた。そして男性は傷ついたジュールの腕をそっと掴む。深く(えぐ)られたその傷からの出血は目を背けたくなるほど痛々しい。それでも男性は手際よく、所持していた布きれで傷口を縛り上げながら応急処置を施した。

「だいぶ酷い傷だけど、命に別状はないはずだ。それにしてもよく持ち堪えてくれたね。ありがとう。心から感謝するよ。君の助けなかったら、取り返しのつかない事態になっていただろうからね」

「あ、あんたがナイフを撃ち落としたのか? 凄い腕だね」

 ジュールは地面に置かれた小銃を見ながら(つぶや)く。それは男性がジュールを手当するために一時的に置かれたものだ。ただその銃口からは微かな白煙が吐き出されている。ナイフを狙撃した銃であるのは間違いない。だがジュールの言葉に男性は軽く微笑むだけで、それに対する明確な答えは避けていた。でもそんな男性の態度にジュールはこれ以上ない安心感を覚える。きっと男性より醸し出される余裕さが、彼に安らぎを与えたのだろう。

「後は我々に任せてくれないか。これ以上君の助けを借りたら、我らは恥ずかしくて国に帰れなくなってしまうからね。だから君はここで安静にしててくれればいい」

 そう言った男性はもう一度笑顔をジュールに見せる。そして男性はスッと立ち上がると、小銃を構えながら隈の男達に告げた。

「ここからは我らがお前達の相手をしよう。それから初めに伝えておくが、我らは貴様らを決して許しはしない」

 男性より激しい気迫が放たれる。先程もう一人の大柄な男性が発した闘牛の様な威圧感も凄まじかったが、こっちの男性の気迫も負けてはいない。いや、どこか落ち着いた口調の男性の方が、むしろ冷徹な怖さを思わせるほどだ。そしてそんな男性の凄味に隈の男らはゾッとする。猛スピードで飛ぶナイフを正確に打ち抜いた手腕は本物であり、隈の男らは男性の只ならぬ強さを感じ取っているのだ。

 隈の男は額より大粒の汗を流している。ただそこで隈の男は思い出した。そして男は苦笑いを浮かべるよう口元を引きつらせながら吐き捨てたのだった。

「お、思い出したぜ。こいつらパーシヴァル軍の将校じゃねぇか。確か名前はハイゼンベルクとディラック。若ぇクセに、腕っぷしの強さと頭の切れは抜群だと聞く。まさかこんな奴らが出て来るとはね。クソッ垂れが。時間をかけ過ぎちまったか」

 正規軍の兵士なのか。ジュールは見上げた男性の姿を見て思う。確かにその体つきは、普通の青年と比べれば逞しいものだ。それもかなりの訓練を重ねて出来た無駄のない体である。ジュールは改めて男性に対して安心感を抱く。そしてそれとは対象的に、隈の男は後退(あとずさ)りした。きっと男には分かっているのだ。目の前に現れた軍の将校が、いかに厄介な相手であるかという事を。だがそこで男はハッと振り返る。二人の将校から感じる威圧感とはまったく異なる感覚に、男の背中は戦慄で泡立ったのだ。

 まるで鬼にでも(にら)まれたかの様な凄まじい殺気が男を襲う。そして当然のことながら、その凄味に男の体は(すく)んでいだ。

 いつからそこにいたのだろうか。坂道の下手に新たな人影が二つ立っている。ただジュールはそれらの影の正体が誰であるのか知っていた。そして焦りの見える隈の男もまた、その正体に気付きそれを口走った。

「チッ。まさかボーア上将自らお出ましになるとは思わなかったぜ。それに【羅刹(らせつ)のハーシェル】までいるなんて、冗談にしては出来過ぎてるってモンだ。こいつはマジでやべぇな……」

 隈の男は(わず)かに震えている。その様子からして男がボーアと呼んだ中年の男性が、想像以上の強者であるのは間違いないのだろう。それにどういうわけか、アメリアの父であるハーシェルにまで恐れをなしている。でも男が慄くのは無理もなかろう。それ程までにハーシェルの表情は鋭い殺気で塗りつぶされているのだ。もちろんそんな怖い表情、ジュールはもとより実の娘であるアメリアですら見た事が無い。裏の世界で場数を踏んだ男らを萎縮させるほどの凄味を発する二人。そんな中年男性の姿にジュールらは気を揉んだ。ただそんな彼らに視線を向ける事なく、ボーアが男達に向け警告を口走った。

「お前達が何処の組織に属した何者なのか。それはとりあえず置き捨てておこう。まずは少女らへの無礼と、少年への残虐な暴行のお返しをしなければならないからな」

 拳を握ったボーアは指を鳴らして威嚇する。彼は決して男達を許したりしまい。殺気立つボーアの威圧感は、それを遠目に見るジュールですら恐れを感じたほどだった。そしてその横では、更に尋常でないほどの凄味を利かせたハーシェルの姿がある。一層の事、死んでしまった方が楽なのではないか。ハーシェルから伝わる圧迫感は、ジュールにそんな錯覚を感じさせる程にまで強まっていた。だがそこでそれまで沈黙を通していたデカルトがスッと立ち上がる。そして男は小さなトゲでも摘み取る様な素振りで、ジュールに突き刺されたナイフを腕から引き抜いた。傷口から赤い血が吹きこぼれる。ただそれほどの重傷にも拘らず、男は平然とした口ぶりで告げたのだった。

「あなたがパーシヴァルのボーア上将ですか。噂に(たが)わぬ凄まじい威圧感ですね。私も久しく感じていない戦慄を覚えていますよ。それに考古学の権威でありながらも、羅刹と通り名が付けられた強者ハーシェル。その(おぞ)ましき殺気もまた、私の肝を芯から震えさせている。ですがどうでしょう。ここは痛み分けと行きませんか? 私達はこのままこの場所を立ち去る。もちろんその後も二度とこの地には踏み入れない。だからあなた達は黙って私達を見送る。それで如何(いかが)でしょう」

「何をとぼけた事を言っているのだ、貴様は。この期に及んで私達が貴様らを見逃すわけはないだろう。そんな事も分からん馬鹿なのか、貴様達は。さっきからはっきり言っている様に、私達は貴様らを絶対に許しは――!?」

 ボーアの話し途中でありながらも、デカルトは徐に自らの上着を(まく)り上げる。そして肌蹴(はだけ)た胸元をボーアに見せるよう姿勢を正した。するとそんな男の胸部にボーアは唸りを上げる。目を大きく見開いたボーアは、驚愕した口調で男に対して強く言い放った。

「き、貴様、その胸のもの。まさか【ZRXエンジン】か!」


 男の胸には小型の機械が埋め込まれていた。そしてその機械は小さな青白い光を規則正しい間隔で点滅させている。まるでその機械が男の心臓であるかの様に。

 そこでジュールは思う。あの男の強さの秘密は心臓にあったのかと。最新の科学で開発された人工心臓は、本物の心臓の機能を遥かに凌駕する。この事実は現在誰もが知る世界の常識なのだ。だからこそジュールは感じていた。あの人工心臓の能力により、男はとても人とは思えない身体能力を発揮したのではないかと。

 ジュールは男の強さの源を納得し要領を得る。でも不思議だ。たとえあの心臓が人の肉体を驚異的に成長させたとしても、戦闘経験豊富な現役の軍人に囲まれたこの状況を打開するには物足りなさ過ぎる。それなのに今度はボーアの方が(おのの)いている様に見えるのだ。するとそんな身を硬直させるボーアに対し、デカルトが落ち着いた口調で続きを語る。そしてジュールはそんな男とボーアの掛け合いを、ただ見つめるだけであった。

「純粋な肉体的戦闘力の差で推し量ったとするならば、当然の事ながら私はあなた方に勝てないでしょう。でもボーア上将、もうあなたにはお分かりですよね。もしあなた達が私達を許さないというのであれば、私は躊躇(ちゅうちょ)する事無くこの胸のZRXエンジンを爆発させます。そうすればどうなるか、科学者としても名高いあなたには無論理解出来ているでしょう」

「ふ、ふざけるな。そんな事をしたら、この丘全体が跡形も無く消滅してしまうぞ」

「ですから私は提案をしているのですよ。もちろんあなた達にしてみても、私の自爆は望む結果ではないはず。それに私とて、こんな場所で死ぬのは御免だ。だからこの提案は、お互いに折り合いをつける良いものだと考えられるのです。如何(いかが)でしょうか?」

「それより貴様、その心臓を何処で手に入れた。いや、誰の手によって移植されたというのだ! それは少しくらい闇の世界に通じる者であったとしても、易々と手に入れられる代物ではないぞ。それにその心臓を取り扱える者は世界でも名の知れた科学者数名しかいないはず。一体誰がそれを貴様のような下衆に与えたというのだ……まさか!」

 ボーアは顔面を硬直させて考え込む。彼には思い当たる何かがあるのだろうか。だがそんなボーアに向かいデカルトは首を横に振る。そして男は安心してくれとばかりに薄らと笑いながら言ったのだった。

「残念ですが、あなたが想像する人物とは異なるでしょう。恐らくあなたはかつて親交のあった鬼才グラム博士、もしくは天才ラジアン博士あたりを思い浮かべているのではないですか? しかしですね上将、世界にはまったくの無名であっても天才なる人物が存在するんですよ。そして私にこのZRXエンジンを移植したのは、そんな地下深くに潜む名も無き天才なのです」

「バカな。いや、仮にそんな天才が存在したとしても、それを構築する為のエネルギーはどうやって入手したと言うのだ。そのエネルギーは【特殊な因子】を必要とするものだぞ」

「申し訳ありませんが、私はこの心臓を与えられただけで、これがどのように作られたかまでは把握していません。それにエネルギーがどうと言われましても、私は科学者ではないし、それに材料を調達するブローカーでもない。なので答え様がありません」

「ならば貴様は何者なのだ!」

「詮索はそのくらいで止してもらいましょう。お互いにこれ以上話しを進めるのは得策じゃないですからね」

 そう告げたデカルトは、未だ気を失ったままのやせ形の男の元に近づく。そしてデカルトは伸びたやせ男を背中に背負った。このままデカルトはこの場を後にするのだろう。そしてそんな男の行動に、忸怩(じくじ)たるもボーア達は黙って見ているしかなかった。


 地面に散らばったナイフを隈の男が広い集める。きっとナイフの形跡より自分達について捜索されるのを嫌っての事だろう。そしてそんな男の行動を、デカルトは周囲を察しながら見守り続けた。恐らくボーア達の誰か一人でも不審な行動を起こした場合には、心臓を爆破させる覚悟なのだ。そして程なくして隈の男はナイフを拾い終わる。するとデカルトはこれが最後だと別れの挨拶を口にした。

「では、私達はこれで失礼するとしましょう。みなさんもどうか、お気を静めてお帰り下さい。それにしてもこんな田舎町に来た甲斐がありました。これ程の御顔を一遍に拝見出来るなんて、奇跡としか言い様がありませんからね。それに見どころのある少年と遊ぶ事も出来た。こんなにも楽しい時間を過ごせたのは本当に久しぶりです。またいつの日か、こんな経験が出来る事を祈りつつ、お別れとしましょう。それではみなさん、さようなら」

 デカルトはそう告げると、苦虫を噛む表情の隈の男を引き連れて坂道を下り出す。そしてそんな男達とすれ違うボーアとハーシェルもまた、口惜しむ心情で溢れ返っていた。

 大切なリーゼにこれ以上ないほどの恐怖を与えた。それだけで男達は万死に値するはず。しかしあの心臓を見せられては手が出せない。ボーアの無念さは一入(ひとしお)なものであっただろう。そしてハーシェルはその気持ちを誰よりも共感しているはず。大事には至らないまでも、唯一無二の存在である愛娘に危害を加えられたのだ。許せるはずがない。だからこそ慙愧に堪えない面持ちを浮かべるハーシェルは、このままでは収まりが付けられないとボーアに尋ねたのだった。

「いいんですかボーアさん。このままあいつらを見逃してしまって。正直な所、僕は我慢していられない。アメリアに手を上げたあいつらを半殺しにしなければ、気が済みませんよ」

「堪えてくれハーシェル。あの男の人工心臓は本物だ。もしあれをここで爆発させられたら、この周囲一帯は地図上から消滅してしまう。あの心臓にはそれほどのエネルギーが内蔵されているのだよ。君の実力があれば、あるいはそれを起動させる事なく男を始末出来るかもしれん。しかしリスクがある事に変わりはない。だから済まぬ、ここは自制してくれ」

 ボーアの制止にハーシェルはグッと奥歯を噛みしめる。彼にしてみれば、これ以上の屈辱はないはずだ。それでもハーシェルはボーアの指示に従った。きっと彼にとってボーアの存在は、それほどに信頼を寄せられる特別な存在なのだろう。ただそんな彼らの目の前で、血相を変えたアメリアがジュールのもとに駆け寄った。

「ジュール、しっかりして!」

 アメリアは涙を浮かべている。もちろんその涙はジュールの体を案じたからに他ない。いや、たとえ彼女でなくても見るに堪えないほど酷く傷ついた彼の体を見れば、本当に無事であるのかを心配するのは当然であろう。ただそんな沈痛な表情を浮かべるアメリアに対し、ジュールは微笑んでみせた。ナイフの傷を押さえ(うずくま)りながらも、彼は逆に彼女を気遣ったのだった。

「良かったな、アメリア。大した事なくて」

「なっ、バ、バカじゃないの。私の心配より自分の心配しなさいよ。こんなにもボロボロになって、ホントにバカなんだから。でも早く病院に行かなくちゃ。お父さん手を貸して!」

「いや、病院は勘弁してくれ。ちょっと痛ぇけど、そんなに大袈裟なケガじゃないから大丈夫だよ。そっちの軍人さんも、問題ないって言ってただろ」

 そう告げたジュールはすぐ隣に立つハイゼンベルクを見上げる。すると緑色の瞳を持ったその兵士は、溜息を吐き出しながらも(うなず)いて見せた。

 本当に大丈夫なのだろうか。アメリアがそう不安がるのは無理もない。ただそれでも彼女は少しだけ落ち着きを取り戻す。いくらジュールが強情だからって、本当に深刻な状況であればこうも強がっていられるはずはないのだ。だから彼女はジュールに向かい、何よりも伝えなければいけない一言を告げた。

「……ありがとう、ジュール。あなたのお蔭で助かったよ。助けに来てくれて、本当にありがとう」

 アメリアは微笑んでみせた。心からの笑顔を彼に差し向けたのだ。そしてそれに応えるよう、ジュールも優しく笑う。お互いに無事だったことを感謝する様に。ただそこでアメリアは彼に問い掛ける。どうして自分達の窮地にジュールが駆け付けたのか。その理由を彼女は聞き尋ねたのだった。

「ねぇ、ジュールはどうして私達を助けに来てくれたの? 偶然通りかかったってわけじゃないんだよね」

「お前の親父(おやじ)さんと、その横にいるおっさんに頼まれたんだよ。アメリアがお客で来たお嬢さんを連れ出してボーデの町に行ったらしいんだけど、帰りが遅いから探してくれないかってね。それでお前らを探してたら、丘の出口で見掛けない車が止まってるのに気付いたんだ。地元の奴らがこの丘を逆に登るなんて有り得ないからね。それでまさかと思って来てみたら、案の定ドンピシャだったってわけさ」

「あ、あの――」

 ジュールとアメリアの話しに割って入るよう声が投げ掛けられる。二人が声の方を振り返ると、そこにはディラックの腕に支えられたリーゼの姿があった。見たところ、彼女は立っているのがやっとといった感じに見える。それでもリーゼは懸命に告げた。少し物怖じしながらも、彼女は皆に伝えようと必死で声を絞り出したのだった。

「助けて頂いて、本当にありがとうございました。それに大怪我までされて、なんてお詫びを申し上げればよいか思い付きません。ですが一つだけ訂正させて下さい。私は決してアメリアに連れ出されたわけじゃありません」

 リーゼは強い意志の込められた言葉でそう言った。するとそんな彼女に歩み寄ったボーアが尋ねる。

「どういう事ですか? ちゃんと説明して下さい」

 厳しい目つきでボーアは問うた。誰よりもリーゼを身を案じている彼だからこそ、その目は強く厳格なものであったのだ。そしてそんな彼の気持ちをリーゼも理解しているのだろう。彼女は正直に有のままを説明した。


「この度の一件の責任は、全て私にあります。私の方からアメリアに一緒に連れてって下さいとお願いしたのです。だから彼女を責めるのだけは止めて下さい」

 嘘はついていない。真っ直ぐに見つめ返すリーゼの視線にボーアはそう判断する。しかし彼は何の断りも無く外出した目的を彼女に求めた。

「ならば聞かせて下さい。どうしてあなたは私に無断で出掛けたのですか? ボーデの町に行きたいと言うのなら、私に一声掛けてくれれば良かったでしょうに。それともあなたは私が町に行く事を無下に認めないとでも思っていたのですか?」

「それはありません。でももしボーアさんにそれを言ったとしたなら、あなたは私に同行を申し出たでしょ」

「当然です。あなたに付き従うのは私の義務なのですから。もちろんそれはあなたとて了承していたはず。それなのにあなたは私を反故にした。その結果が招いた惨状が、この有様なんですよ!」

 何も言い返せないでいるリーゼへのボーアの叱咤は止まらない。

「あなた自身の危険はおろか、周囲の者達にまで深刻な被害を及ぼした。どれだけの者が迷惑を被ったか、あなたにはそれが分からないのですか。この少年に至っては、もう少しで命すら失うところだったのですよ。責任はご自分にあるなどと大層なセリフを言いましたが、もし今回の件で取り返しのつかない事態になっていたら、あなたはどう責任を取ると言うのです。自覚があるのなら、もっとご自身の振舞い全てに責任を持ちなさい」

「ちょっと待って下さい! リーゼだってそんな事くらい分かっているはずです。でもそれに息が詰まりそうだったから、心が痛くて堪らなかったから、ほんの少しだけ自由に憧れたんです。それのどこが悪いって言うんですか。彼女は私と同じでまだ子供なんですよ。リーゼの家にどんな事情があるのかは知らないけど、大人の都合で彼女を縛っているのなら、そっちの方が許せません」

 アメリアは堪らずに反論した。一方的に罵られるリーゼを放っておけなかったのだ。だがそんな彼女を父であるハーシェルがすかさず(いさ)める。

「君は黙っていなさいアメリア。ボーアさんはリーゼさんの為を思って叱っているんだからね」

「で、でも」

「黙りなさい。そもそも二人の間にアメリアが口を挟む資格はないんだ。それに僕からすれば、やっぱりアメリアだって悪いんだよ。リーゼさんは君に責任は無いって言うけど、でももっと早く家に帰ればこんな事にはならなかったかも知れないんだからね。だから僕は怒っているんだ。君にはそれが伝わらないかい」

「……」

 アメリアは萎縮(いしゅく)しながら押し黙る。父を怖いと思ったことなど今までに一度だって有りはしない。しかし今回ばかりは体が勝手に(すく)んでしまい反発することが出来ないのだ。やはり父の威厳とは凄味のある迫力を伴うものなのだろう。そしてそんなやり取りを横目にしていたボーアがリーゼに向けて再度口を開いた。

「アメリアさんにもしもの事があったら、こんな親子喧嘩すら二度と出来なくなっていた。分かりますね。あなたの身勝手さが不測の事態を招く原因と成り得た事を」

 リーゼを見つめるボーアの視線は未だ厳しい。ただそれでも彼の言葉には、彼女の事を心から気遣う優しさが滲み出ていた。

「あなたが今を生きる環境に不満を抱いていることは知っていますし、今回の旅でその想いが強まったというのも薄々は感じていました。そんな歯痒い閉塞感に身悶えするあなたにもっと自由を謳歌してもらいたい。正直に申せば私だって、そうしてあげたいのがやまやまです。アメリアさんが言ったように、あなたはまだ幼げな女の子なのですからね。でもそれが許されないのが、あなたの生まれた家系なのです。普通の暮らしを営む者達とは別け(へだ)てられた特別な場所であなたは生まれたのです。それをあなたは(なげ)いているのでしょう。(うれ)いているのでしょう。そんな鬱憤(うっぷん)を発散させたいと足掻いた結果が今回の一件なのでしょう。心中は痛いほどにお察しします。しかし私はそれを容認出来ませんし、あなたにもそれが望んではいけない願いなのだと理解して頂かなければならない――――。あなたは頭の良いお方だ。ここまで申せばもう、お分かり頂けますよね」

 そう告げたボーアの眼差しはとても穏やかなものだった。きっと彼の本心では、傷ついたリーゼの胸の内を癒してあげたかっただろう。優しい言葉で(なぐさ)めたかっただろう。でもボーアはそれ以上にリーゼに自覚してもらいたかったのだ。

 パーシヴァル王国を統べる王家に生まれ、いつの日かその頂点の座に就かなければいけない運命にある。そんなリーゼにとって、今回の事態を収める為に必要だった言葉が慰めでなく叱責であったのは当然であろう。だからボーアは辛いのが承知で強くリーゼを叱ったのだ。そしてそんな彼の苦しみを十分に察したリーゼは言う。彼女もまた、ボーアがそう叱ってくれる事を強く望んでいたのだった。

「本当に申し訳ありませんでした。私の我がままで皆さんにご迷惑とご心配をお掛けしたことを、今は心より(くや)んでいます。この様な事が二度と起こらないよう気を付けますので、どうか皆さん、お許し下さい」

 そう言ってリーゼは深く頭を下げた。その目からは大粒の涙が溢れ出ている。きっと彼女は最悪な事態を(まぬが)れ、皆が無事だった事に安堵しているのだろう。これまで堪えていた脆弱さが一気に噴き出したかの様に、彼女は涙を流し続けた。するとそんなリーゼの姿を見兼ねたジュールが(つぶや)く。

「悪いけど、俺はこのへんで帰らせてもらうよ。自分が説教されるのには慣れてるけど、人がされてるのを見るのは気分良くないからね」

 ジュールはそう言いながら立ち上がると、坂道を下りはじめた。だがやはり歩き出した彼の姿は痛々しいものだ。するとアメリアがそれを追い駆けようと足を踏み出す。放ってなんかおけやしない。彼女にしてみれば当然の気持ちである。しかしそんな彼女をハーシェルは引き留めた。

「待ちなさいアメリア。君はリーゼさん達と一緒に家に帰りなさい。お母さんも心配しているからね」

「でもジュールが」

「彼の事は僕に任せて。これでも外科的な知識と技術は町医者にも引けを取らないからね。ジュールの体のケアは僕が責任を持って当たるよ。なにせ彼はアメリアの命の恩人なんだからさ」

「でも」

「それにね、今のアメリアが彼の所に行ったって負担になるだけさ。彼は君が思う以上に立派は男なんだからね。今は傷ついたプライドをそっとしてあげる事の方が大切なんだよ。彼は傷ついた体よりも、自分一人で君達を守り切れなかった事を悔やんでいる。それがたとえ太刀打ち出来ない相手であったとしてもね。だから今は一人にしてあげるのが、本当の優しさってものなんだよ。分かってくれるよね、アメリア」

 ハーシェルはそっとアメリアの肩に手を添える。すると彼女は黙って頷いた。アメリアにも理解出来ているのだ。今のジュールに自分が出来る事なんて何もないのだと。そしてそんな彼女の頭をポンとひと撫でしたハーシェルは、ボーアに向き直り言った。

「じゃぁ僕は行きますので、先に家に戻って下さい。さっきの奴らがまた襲って来るとは考え辛いですが、用心は怠らないよう頼みますよ」

「あぁ、了解した。それにしても噂以上だね、グラム博士の息子殿の勇猛果敢ぶりは。ぜひとも我が軍にスカウトしたいものだよ。でも本当に助かった。私の分まで彼に礼を伝えてくれ」

 感心するボーアにハーシェルは笑顔を返す。そして彼は坂道の遥か先を進むジュールを追った。


 家に帰ったアメリアとリーゼは、母の入れてくれたココアを飲みながら暖炉の前で体を温めていた。ただアメリアの様子が少しおかしい。夜になってからの急激な気温の低下に体が冷え切ってしまったのだろうか。彼女はここに来て体の震えが止まらなくなっていた。

「アメリア、大丈夫?」

 リーゼが心配そうに尋ねる。するとアメリアは苦笑いを浮かべながら返したのだった。

「よく分かんないけど、震えが止まらないんだ。どうしてだろう、別に寒いわけじゃないのに。おかしいなぁ」

 膝を抱える様にしながら椅子に座るアメリアは、毛布を肩から掛けて(くる)まっている。自分の体を支配する不快な感覚に戸惑っているのだろう。ただそんな彼女にリーゼは軽く微笑みながら言う。リーゼには分かっているのだ。やはりアメリアは怖かったのだろうと。そしてその恐怖から解放された事で、安心し体が勝手に反応している。その現れが止まない震えとして表面化しているだけなのだ。でもそんな震えを簡単に収める事なんで出来やしない。リーゼはそう思ったからこそ、あえてアメリアにこう告げたのだった。

「私達を助けてくれた彼ですけど、アメリアの恋人なのですか?」

 突拍子の無い問い掛けに、アメリアは思わず口に含んでいたココアを吐き出す。そして真っ赤になった顔をリーゼに向けて反発したのだった。

「ちょっとリーゼ、急に変な事言わないでよ! あいつが彼氏だなんて、冗談だって笑えないんだから!」

 (ほお)をいっぱいに膨らませながらアメリアは憤りを露わにする。ただそんな彼女の姿をリーゼと彼女の母は微笑ましく見つめていた。

「フフフ、ごめんね。でもそんなに怒ることないじゃない。彼、すごくカッコ良かったし、アメリアとはお似合いだと思うけどな」

「もうやめてよリーゼ。それ以上言ったら本気で怒るからね!」

「あら。だけど体の震えは止まったんじゃない? 体の内側から熱くなったから、もう大丈夫でしょ」

 リーゼの粋な(はか)らいにアメリアの母が大笑いをする。ただ母はアメリアにきつく(にら)まれると、逃げる様にしてキッチンに姿を消した。そんな母の態度にアメリアは大きく溜息を吐く。それでもやはり彼女は落ち着きを取り戻したのだろう。アメリアはリーゼに向かい聞き尋ねたのだった。

「ねぇリーゼ。あなたの方は大丈夫なの? あんなに怖い思いしたのに、あなたって見た目に依らず強いのね」

「ううん、そんな事ありませんよ。ずっと逃げ出したい気持ちでいっぱいでしたから。でも不思議なんですよね。今はとても心が和んでいます。もしかしたら、あなたから渡されたブローチのお蔭なのかも知れませんね」

 そう告げながらブローチを握りしめたリーゼは柔和に微笑む。いつになく美しい笑顔だ。そしてその笑顔にアメリアも笑顔で応える。きっと二人の中で芽生えた友情が、気持ちを穏やかなものにしているのだろう。ただその時、玄関のドアが開きハーシェルが帰ってきた。するとアメリアが溜まらず彼に駆け寄る。

「お父さん、ジュールのケガは大丈夫だったの?」

 アメリアは心配そうに父を見つめる。口ではどんな反発を言ったとしても、やはり彼女はジュールが心配で仕方ないのだ。そしてそんな彼女の気持ちを十分に理解するハーシェルは、大事ないとばかりに頷きながら返した。

「しばらくは安静にしなくちゃダメだけど、とりあえず心配はいらないよ。ナイフの刺さった腕の傷痕こそ残ってしまうだろうけど、それ以外はすぐに良くなるはずさ。でも少しの間は日常生活に不便を感じるだろうから、アメリアは彼をちゃんとサポートするんだよ。助けてもらった感謝の意味も踏まえてね」

 父の報告にアメリアはホッと胸を撫で下ろす。するとその後ろからボーアが少し驚いた口調で話し掛けて来た。

「あれ程の傷を負ったというのに、随分と丈夫なものだな。伊達にあのスラムで育ったわけじゃないって事か。精神的にも肉体的にも、相当タフの様だね。グラム博士の息子殿はさ」

「僕も驚いていますよ。磁石の丘で負傷した彼を見た時は、重傷を疑いませんでしたからね。でも実際には骨折一つしていなかった。頑丈過ぎて、逆に僕の方が舌を巻くほどでしたよ。それより、こっちの方は変わりなかったですか?」

「あぁ。その点については問題ないよ。部下達に見張りをさせているし、何かあれば直ぐに動ける準備も整えてあるからね」

「そうですか。なら後はボーアさん達に任せて、アメリアとリーゼさんはお休みなさい。君達は疲れているはずなんだ。ベッドでゆっくりと体と心を休めた方がいい」

 ハーシェルはそう言って二人を寝室に向かわせようとする。だがそれにアメリアが一言反発した。

「私まだ全然眠くないよ。こんなんじゃ横になったって休んだ気にならないよ」

「私も眠くありません。なのでもう少しだけ、ここに居てはいけませんか」

 気持ちが(たかぶ)っているのだろうか。アメリアとリーゼは冴えきった瞳でハーシェルを見つめている。するとそんな二人の態度にやれやれと頭を掻きむしったハーシェルは、仕方がないとばかりに言った。

「まったく、世話の焼けるお嬢さん達だね。なら今晩だけは特別だよ。子守唄代わりに僕の冒険談を話してあげるから、騒がずに聞いて下さいね」

 そう告げて始まったハーシェルの話しが、遥か北にある氷に閉ざされた国の話しであった事だけは覚えている。しかしその結末がどういったものであったのか、それは分からない。なぜならアメリアとリーゼは、いつしか眠りに落ちていたのだ。

 小さな寝息をたてる二人をハーシェルとボーアは優しくベッドに運ぶ。柔らかい毛布がなんとも気持ちいい。そんな心地良さに癒されながら、アメリアは深い夢の中へと旅立って行った――。

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