#63 桜並木の錯覚(二)
駅前ホテルの入り口でリーゼは一人立ち尽くしている。その表情には少しの不安と緊張が垣間見えたが、それ以上に彼女の心はドキドキした高揚感で膨れ上がっていた。
こんな体験は初めての事だ。リーゼは胸を抑えながら湧き上がる歓喜を懸命に押し留めている。ボーアに叱られるのは間違いないだろう。それに自らの置かれた現状に戸惑いを感じているのも確かなはず。しかしその反面、心と体が目に見えない縛りより解放たれたという感覚に、彼女は悦びを覚えずにはいられなかった。
ボーデはアダムズ北部の山間部にある小規模な町である。建ち並ぶ家屋はどれも歴史を感じさせる古いものばかりであり、町のメインストリートですら石畳で敷き詰められた道路で出来ているくらいな場所だ。もちろん超近代的な首都ルヴェリエに比べれば、数百年は過去に戻ってしまったと言えるくらいの田舎町と言えるだろう。ただそれでもこの町には、多くの人々が訪れる環境が整っていた。
ボーデの町には首都ルヴェリエより真北に延びる高速鉄道の終着駅があった。その為にアダムズ北部の物流拠点として、この町はそれなりに賑わっていたのだ。農業や林業が盛んな北部地方特有の産物が集まり、それらが鉄道に乗せられアダムズ全土に送られて行く。この町は正にアダムズ最北部の顔とも呼べる場所なのであった。
そしてもう一つ、ボーデには多くの人々が訪れる理由があった。それはこの町がアダムズ北部にいくつもある観光名所の玄関口として、その案内役を担う場所でもあるからであった。特に北の国境にある1万メートル級の山々が連なった【アレニウス山脈】は、登山愛好家より聖地として親しまれる場所であり、世界各国から腕に自信のあるアルピニスト達がひっきりなしにボーデを訪れて来る。それゆえにこの町は、ただの田舎町とは一線を画す独特の雰囲気を醸し出す場所なのであった。
数人の大柄な体格の男性が大きな荷物を背負って歩いて行く。きっと彼らはこれからアレニウス山脈の登頂に向かうのだろう。茶色いニット帽を深く被ったリーゼは、過ぎ去って行く大男達をそう観察する。そして彼女はボーデ駅より立ち上がる白い煙に視線を移し、嬉しそうに微笑んだのだった。
これが自由っていう感覚なのでしょうか――。まもなく発車するのであろう高速鉄道が吹き上げる蒸気の煙を見つめながらリーゼは小さく呟く。
誰に指示されたわけでもなく、まして求められたわけでもない。今自分がここにいるのは、間違いなく自分自身の意志なのだ。そう思うリーゼの胸は熱く疼いている。もちろんこんな感覚に支配されるなんて彼女自身初めての体験だ。でもだからこそ、彼女はそれを精一杯楽しもうと努めていたのだ。今を逃せば次にいつこんな体験が出来るのか分からない。それを考えたくなかったから、彼女は青い空を見上げて想いを馳せたのだった。
全てが新鮮に見える。ただ一人で立ち尽くしているだけなのに、どうしてこれ程までに世界が輝いて見えるのだろうか。リーゼ自身にもその理由は分からない。そしてその頬に流れた一筋の涙の理由もまた、彼女には分からなかった。するとそんなリーゼの背後より、申し訳なさそうな声でアメリアが話し掛ける。
「お、遅くなってゴメンね。待たせ過ぎだよね、ホントにゴメンね」
手の平を顔の前で合わせながらアメリアは頭を深く下げる。きっと彼女はリーゼの涙顔を見て恐縮する思いなのだろう。なぜならリーゼをホテルの入り口で待たせていたのは他ならぬアメリアなのだから。ただそんな彼女の苦々しい気持ちを感じ取ったリーゼは、少し慌てながらその誤解を解こうとアメリアに告げた。
「わ、私の方こそ済みません。この涙は違うんです。決してアメリアさんに待たされた事を悲しんでいるのではなくて、これはその、何て申せばよろしいのでしょうか――」
リーゼは表情を赤く染め上げて恥ずかしそうに俯いている。何気ない日常に感動しただけ。そんな事、恥ずかしくて説明出来るはずもないし、そもそも理解出来るはずもない。そう思うリーゼはよそよそするばかりで次の言葉を述べる事が出来なかった。すると今度はアメリアの方がリーゼに対して気遣いを見せる。彼女は気になるはずのリーゼの涙をあえてスルーし、話題を変えてその停滞しそうになった雰囲気を振り払おうとしたのだ。
「ボーアさんが言ってたのは本当だったね。特にディラックさんって人、めっちゃ怖そうだったよ。でももう一人のハイゼンベルクさんって人は、話したら凄く良い人だった。リーゼちゃんはあの二人の事、知ってるんだよね?」
「はい、もちろんです。ボーアさんと一緒でお世話になっていますから。二人とも凄く優しい方ですよ。ディラックさんなんて、少し強面に見えますけど人一倍仲間想いの強い頼れる方です。怖いなんて言ったら、ディラックさん傷つきますよ。フフッ」
そう告げたリーゼは口元を抑えて小さく笑う。するとその表情を見たアメリアは、ホッと胸を撫で下ろして安心したのだった。
「良かった、笑顔を見せてくれて。嫌われたかと思ってドキドキしちゃったよ」
「本当にごめんなさい。私世間知らずだから、つい物思いに更けちゃうの。でも安心してください。私がアメリアさんの事を嫌いになるなんて、有り得ませんから」
リーゼはそう言うと満面の笑みをアメリアに向けた。その女神の様な可愛らしい笑顔にアメリアは引き込まれそうになる。ただそんな彼女もまたリーゼに向けて、心からの笑顔を差し向けたのだった。
まだ知り合って半日足らず。それでも二人の少女はお互いに気心が知れたのであろう。オープンカフェに並んだ席でソフトクリームを食べる二人は、他愛のない話しに花を咲かせている。その姿は誰がどう見ても仲の良い友達同士としか映らないはずだ。ただその会話の中で、アメリアは驚きを隠すことが出来ず声を上げた。その声にカフェにいた他の客達は不愉快さを覚えたことだろう。しかし年頃の少女が発した驚きの声にいちいち苛立ちを露わにする者もいない。軽く頭を下げるアメリアに冷たい視線が注がれるも、カフェは直ぐに元の雰囲気に戻っていた。
「あちゃ。またやっちゃった。私っていつもこんな感じなんだよね。大ざっぱっていうのか、反応が大袈裟っていうのか。その点リーゼちゃんは良いよね。お淑やかだし、可愛いし。羨まし過ぎるよ。でも本当に驚いたなぁ、私と同じ歳だったなんて。絶対に年下だと思ってたんだから」
「よく歳のわりに幼く見えるとは言われます。そのせいなのでしょうが、家族や身近な方々はいつまでも私の事を子供扱いしまして、少し困ってるんですよ。だから私にしてみれば、アメリアさんの方が羨ましいです。明るいし、活発だし。アメリアさんみたいな人、憧れます」
決してお世辞などではない。いや、そもそもリーゼは建前など言える性格ではないのだ。そう率直に感じたアメリアは顔を赤くし照れている。ただ彼女はそんな恥じらいを隠すかの様に、必死に強がりながらリーゼに対して提案したのだった。
「同じ歳なんだしさ、変に畏まるのはやめようよ。だから私の事はアメリアって呼んで。私はリーゼって呼ぶから。ね、良いでしょ?」
アメリアは笑顔で問い掛ける。すると今度はリーゼの方が少し照れるよう顔を赤くし答えたのだった。
「ありがとう、アメ……リア。ちょっぴり恥ずかしいですけど、とても嬉しいです」
「うん、良かった。これで私達友達だね、リーゼ!」
アメリアはそう言うと、勢いよく残りのソフトクリームを口に押し込んだ。リーゼと友達になれた事が飛び上がるほどに嬉しかったのだろう。それにそろそろ駅前のバス停に向かわないと家への帰りが遅くなってしまう。そんな気持ちの現れが、ソフトクリームを丸呑みする行動となったのだ。咽返るアメリアの背中を心配そうにリーゼは摩る。アメリアは涙を浮かべながらも大丈夫だと合図を送った。そして二人は声を上げて笑う。そんな少女達の声にまたしてもカフェの客達は冷たい視線を向けたが、その視線から逃げる様にしてアメリアとリーゼは駆け出したのだった。
時刻は夕方6時を過ぎている。アメリアの家がある里のバス停に到着した時、辺りはもうすっかり暗くなっていた。
こんなにも楽しい時間は久しぶりだ。アメリアはそう感じながらリーゼと共に家路を歩む。ただ彼女はここに来て、僅かばかりの不安を覚えたのだった。
アメリアはすっかり忘れていた。ボーアはおろか、ハーシェルの許可なく黙ってリーゼと出掛けたのだという事を。きっと父やボーアは怒っているはずだ。どう言い訳すれば許してもらえるだろうか。自分が責められるだけなら我慢も出来るが、でも雷が落ちるのはリーゼも同罪であろう。そう思うとアメリアの足は極端に重くなる。ただアメリアにはもう一つ、ここに来て疑問を思い浮かべていた。どうしてリーゼはボーデの町に連れてってと、強く私にせがんだのだろうかと。
リーゼの姿や仕草を見れば、彼女が育ちの良いお嬢様なのだということは容易に察する事が出来る。それも自分の想像が及ばないほどの由緒ある高貴な家系の娘なのは確かなはずだ。そんな彼女がどうしてボーデの町に行くことを望んだのか。
北の玄関口として有名なボーデの町ではあるが、しかしあの町自体にはそれほど注目すべき場所は無い。いや、むしろ退屈な場所とも言えよう。アメリアは買い物をする目的で頻繁にボーデを訪れはしたが、それでもあの町は年頃の女の子の気持ちを満たすには程遠い場所なのだ。それなのにリーゼは頑なにも同行を申し出た。
街灯の少ない田舎道はさすがに暗い。それでも夜空に輝く星々の明りは少女らの表情を優しく照らす。そしてそんな淡い光を反射するリーゼの緑色の瞳を見たアメリアは、つい胸の内を呟いたのだった。
「ねぇリーゼ。ボーアさんに黙って家を出てきちゃったけど、本当に大丈夫だったの? きっと心配してると思うよ」
「――はい。絶対に心配してると思うし、アメリアの家に着いたら叱られると思います」
「なら何で黙って出掛けたの? 言ってくれれば私も一緒に出掛ける事をお願いしたのに」
「それはダメなんです。それだとボーアさんはきっと自分も同行するって言うでしょうから」
「別にいいじゃん。ボーアさんが一緒だって。それともボーアさんの事、嫌いなの?」
「そ、そんな事はありません。ボーアさんは凄く優しいし、とても頼りになる方ですから。直接お伝えした事はありませんけど、私はボーアさんの事をお父様と同じくらいに慕っています」
「それなら尚更ボーアさんも誘った方が良かったんじゃないの?」
アメリアは真っ直ぐにリーゼを見つめて質問する。しかしリーゼは首を横に振って小さく応えたのだった。
「ごめんなさい。詳しくは話せませんが、ボーアさんが一緒ではダメなんです。ボーアさんが一緒だと、本当の意味で何気ない日常に身を投じているとは言えないので――。単に私のワガママなのでしょうけど、でも私自身の意志でボーデの町まで行けて、今は本当に良かったと思っています」
「すごく怒られるかも知れないんだよ?」
「構いません。今日の体験は私にとって、多少のお咎めよりも価値があるのは確かなのですから。だってそうでしょ。こうしてあなたと友達になることが出来たのですし、それだけでも嬉しい気持ちで一杯です」
そう告げたリーゼはアメリアに向かいにっこりと微笑んで見せた。淡い夜空の星の光に照らされたその表情は、より一層リーゼの美しさを際立たせる。本物の女神様なんじゃないのだろうか。アメリアがそう感じたのは当然であろう。それほどまでにリーゼが醸し出す優しさは、温かみで溢れていたのだ。ただその笑顔からはどこか寂しさの様な切ない感情も伝わって来る。一体リーゼは何を思い、今日一日を過ごしたというのであろうか。でも次の瞬間、アメリアはリーゼの手を取って強引に歩みを早めた。それも家路とは異なる方向に進路を変えて。
「どうしたのアメリア、どこに行くの?」
アメリアの急な行動に戸惑うリーゼは懸命に歩きつつも問い掛ける。するとそんなリーゼに対し、アメリアは振り向くことなく言った。
「どうせ怒られるんなら、もう少し遠回りして帰ろうよ」
「えっ。で、でも」
「正直になりなよ。まだ帰りたくないんでしょ。いいじゃない、少しくらいみんなに迷惑掛けたって。お行儀良いばかりじゃ、自分の方が息苦しくなっちゃうよ」
何かしらの目的があったわけではない。ただ単にアメリアは思うがまま行動を起こしているのだ。彼女の直感というか、本能のようなものが無意識に働いたのであろう。はっきりものを言わないリーゼが何を考えているのかは分からないし、それをあえて聞こうとも思わない。だけどリーゼより伝わる心の震えは彼女を酷く駆り立てた。このまま真っ直ぐ家に帰るなんて出来なかったのだ。そして彼女は足を進めながらも、リーゼに向かって最後に聞き尋ねた。
「今ならまだ引き返せるよ。どうする?」
リーゼは下を向いていた。でも彼女の気持ちはすでに決まっていたはずなのだ。アメリアはそんなリーゼの背中を少し強く押しただけであり、それを受け入れたからこそ、彼女は一度歩みを止めてアメリアに向き直ったのだった。
「…………まだ、帰りたくない。もう少しだけでいい。あなたと一緒に、何気ない日常の中にいさせて」
その言葉にアメリアは満面の笑みを浮かべた。リーゼも負けじと笑顔で応える。そして二人の少女は手を繋いだまま、山の急な坂道を駆け上がって行ったのだった。
山の中腹にある小高い丘の上には墓地があり、アメリアとリーゼはその中の一つの墓石の前でお祈りをしていた。
頭上には満点の星々。そしてそれらの光が満開の夜桜を幻想的な風景として映し出す。陽が暮れた墓地など、本来であれば薄気味悪いものであろう。しかしこの場所に限っては、そんな不快感は縁がないらしい。
初春の夜風がまだ冷たく感じられはしたが、でも我慢できない寒さではない。いや、むしろ山を駆け上がり火照った体にはちょうど良いくらいだ。祈りを終えたアメリアは、一度だけ大きく息を吐きながら天を仰ぐ。そしてまだ少し呼吸の荒いリーゼに視線を向けた。
見た目の印象通り、リーゼの体力はアメリアのそれとは比較にならないほどか弱いといえる。それでも決してリーゼは弱音を吐く事はなかった。きっと彼女自身、これほどまでに体力をすり減らして走った経験は無かった事だろう。それでもリーゼは懸命にアメリアを追い駆け、この丘を登ったのだ。
つづら折りに曲がった上り坂を駆け上るのは、体力に自信のあるアメリアとて辛かったはずである。そんな彼女に追い縋る様、リーゼも必死に坂道を駆けた。まるでその息苦しさすら、今を生きている証しなのだと喜んでいるかの様に。そして二人の少女はとある墓の前でその足を止めたのだった。
リーゼはまだ目を閉じて祈り続けている。額からは大粒の汗が流れ落ち、また両方の肩は絶え間なく上下運動を繰り返していた。ただ祈り続ける彼女の表情はとても涼やかであり、充実感で満ち溢れている様にも見える。そんなリーゼの姿を見たアメリアは、堪らない嬉しさを覚えて微笑んでいた。
二人が祈りを捧げた墓石。それはアメリアの祖父であり、かつて冒険家でありながらも天文学者として世界に名を馳せた【ハップル】の墓であった。
アメリアがどうしてリーゼをこの場所まで導いたのか、それはアメリア自身にも分かるまい。彼女はただ、足の向くままにこの墓まで来たのだから。しかしアメリアにはこの場所が、決して悪い所ではないのだと理解もしていた。
墓地としての規模は小さいまでも、そこは満開の千本桜に囲まれた美しい場所なのである。こんな環境の墓地など、世界中を見渡しても御目に掛かるのは極めて稀だろう。そして桃色に染まるこの周囲一帯は、見る者の心を穏やかに温めていくのだ。もちろんそれはリーゼとて例外ではない。
静かに目を開いた彼女は、輝くエメラルドグリーンの瞳でその桜の木々を見渡している。すでに息使いも落ち着きを取り戻し、その表情は随分とすっきりした様子だ。そしてリーゼは一度だけ大きく深呼吸をすると、アメリアに向かって徐に聞き尋ねたのだった。
「あなたのお父様とボーアさんが昼間に訪れた場所ですね、ここは。二人だけでお墓参りに行くと申されましたので、失礼ですがもっと寂しい所なのだと思っていました。でも全然違いましたね。とても素敵な場所なので驚いています」
「時期が良かったんだよ。桜が咲く春以外は、他とあんま変わり映えの無いお墓だからね。でも本当に桜の咲いたこの時期だけは、みんなに自慢できるお墓なんだ」
アメリアはそう言って得意げに口元を緩める。そしてリーゼもそれにつられて微笑んでみせた。ただ彼女は一瞬だけ視線を下に向けると、か細い声でアメリアに聞いた。
「ねぇ、どうしてアメリアは私をここに連れて来たの?」
リーゼはアメリアの顔を下から覗き込む様に見つめた。夜桜の淡いピンク色が頬を染めたリーゼの表情は、また一段と美しく見える。そんな彼女に対し、同性でありながらもアメリアは気恥ずかしさを覚え身を硬くした。するとアメリアは一歩だけ退きリーゼとの間合いを開ける。そうでもしなければ、きっと彼女はリーゼの質問に答えられなかったのだろう。
「べ、別にこれと言った理由は無いよ。ただ何となくだけど、リーゼにこの桜の墓地を見せてあげたい。綺麗な桜を見てもらいたい。そう思ったから、ここに足が向いたんだと思う。他に誇れる場所なんて、この田舎にはないからね」
「そう。それなら良いんです――」
リーゼは小さな声で呟いた。しかしその表情はどこか寂しくも見える。先程まではあれだけ充実感で満ち足りた表情をしていたのに、彼女の何が急変したというのであろうか。アメリアはリーゼが醸し出す胸が締め付けられる様な遣る瀬無さを感じて心配になる。ただそんなアメリアの気持ちに自ら甘えるよう、弱音を吐き出したのはリーゼの方だった。
「やっぱりダメですね、私は。今更になって怖くなってきました。あなたの心強い手に引かれ、覚悟を決めてここまで来たというのに、今ではやはりあのまま帰るべきだったのではと後悔しています」
エメラルドグリーンの瞳が潤んでいる。その大きな瞳からは、今にも涙が零れ落ちそうだ。それでも語り出したリーゼの話しは止まらない。彼女の中でそれまで堪えていた何かが壊れたとでもいうのだろうか。こんな話をアメリアに聞かせたところで何の解決にもなりはしない。リーゼ自身にもそれは十分に分かっていたはず。しかし今の彼女には胸の内を曝け出す事しか出来なかった。
「私がボーアさんと旅をしている理由。それはね、パーシヴァル人がこれまで歩んで来た歴史を学ぶためなの。パーシヴァル人という民族がどこで生まれ、現在まで何をしてきたのか。その足跡を実際にこの目で見て、そして体感する事が私に課せられた義務なんです。私の家に古くより定められた重要な因習。男女問わず十代前半の頃にこうして旅に出て、その経験を身の肥しにしながらまだ見ぬ未来にへとパーシヴァルの命を継いでいく。それは私達パーシヴァル人にとって、とても大切な仕来たりなのでしょう。でもね、正直な所、私にはよく分かりません。パーシヴァルの過去を知る事が、どうしてパーシヴァルの未来に繋がるのかなんて……。だって、だっておかしいとは思いませんか? パーシヴァル人は母国であるパーシヴァル王国はおろか、世界中に数千万と存在しているんですよ。そして今を生きるその一人一人のパーシヴァル人に未来は平等に訪れるんですから。それなのに、どうして私だけがこんな旅を続けなければいけないのでしょうか」
硬く握りしめたリーゼの拳は震えている。恐らく彼女は今にも崩れそうな心情を精一杯に堪えているのだろう。そしてアメリアはそんな彼女の話しを黙って聞き続ける事しか出来なかった。
「この旅の最終目的地は、アレニウス山脈を越えた先にある【今はもう存在しない小国】の跡地。千年もの昔になりますが、そこにはかつて十七の部族からなる小国があったそうです。でもその小国は一夜にして滅亡してしまった。何が原因でその小国が滅んでしまったのか、それは未だに解明されてはいません。ただ一つだけ分かっている事があるんです。それは小国を成していた十七の部族のうちの一つこそが、パーシヴァル人の祖先だったという事なんです」
少し強めの風が吹き抜けた。リーゼは乱れそうになる長い髪を咄嗟に抑え込む。しかし彼女のどこか悲痛に満ちた表情は変わらない。そして風が静まったのを確認したリーゼは、淡々とした口調で話しを続けた。
「失われた小国の跡地を発見した方こそ、ここに眠るあなたのおじい様です。【冒険者ハップル】による歴史的な大発見。小国の跡地が見つかった時には、さぞや世界中で話題となった事なのでしょう。でもね、今の私にしてみれば、それはいい迷惑だったとしか思えません。だってあなたのおじい様がそんな場所を見つけさえしなければ、こんな苦痛を感じずに済んだのでしょうから――」
リーゼは奥歯をグッと噛みしめる。苦々しく眉をしかめるその表情は、いつもの美しさとは程遠いものだ。そしてそんな彼女の目からは一筋の涙が流れ落ちていた。
「もうお分かりだとは思いますが、私の生まれた家は普通の家とは大きく異なります。その為に私は世間で言うところの人並みの暮らしというものを知らずに育ちました。でもそれは決して悪い事ではないはずなんです。だって私自身、それを苦痛に感じた事なんて一度もありませんでしたから。きっと普通の暮らしを営む方々から見れば、私の暮しは嫉妬に駆られるほどに恵まれた環境なのでしょう。どんなに願ったとて、どれだけ大金を持っていたとしても叶えられるものではない何の不自由のない暮らし。でもね、そこには一つだけ、誰しもが持てるはずのものが持てないっていう制約があったの」
「制約?」
アメリアは首を傾げながら呟く。そんな彼女にリーゼは小さく頷いた。
「そう。その制約っていうのはね、個人の自由が著しく制限されているって事なの。いつでもどこでも誰かに見張られ、何をするにも許可を取らなければならない。そんな生活、あなたに理解出来ますか? 恐らくは数日で逃げ出したくなるでしょう。でも私は生まれながらにそうした環境の中で育ちましたから、それが普通なんだと疑いませんでした。けれど今回の旅を経験して知ってしまったのです。何気ない日常とは何か、普通の暮らしとはどういったものなのか。世間から乖離していたのが、実は私の方だったっていう事実に気が付いてしまったんです」
夜空を見上げたリーゼは止め処なく涙を流している。哀しく輝く緑色の瞳を赤色で染め上げるかの様にして。
「望むもの全てを容易に手に入れられるはずの私が唯一持っていないもの。それこそが自由なんです。人として生きる者は誰しもがそれを持つ権利がある。もちろんその日を生きる事に精一杯の方ですら、自由を手に入れるなんて簡単な事でしょう。だから私は憧れました。そんな自由っていう心のままで生きる権利というものに。旅の道中で私の目に飛び込んで来た普通の人々の暮らしがとても生き生きと輝いて見えたから。だからこうしてあなたと今日一日、普通の女の子として遊べた事が心から嬉しいんです。――でもその嬉しさは絶望にも似た悦びなのでしょうね。だってもし私が本当に自由を手に入れられたとしたならば、間違いなく生きていけないのでしょうから」
「い、生きていけないなんて、それはちょっと大げさなんじゃ」
心配そうに告げたアメリアにリーゼは首を横に振る。そして彼女はこう続けたのだった。
「今から30年ほど前、あなたのおじい様がアレニウス山脈の麓で発見したのは失われた小国の跡地だけではありませんでした。そこで冒険者ハップルが見つけ出したもう一つのもの。それはパーシヴァル人に古くから関わりのある【古代の鏡】だったのです」
「鏡?」
「はい。遥か昔より私の家に宝として受け継がれていた一つの鏡。でもそれは何者かによってかつて盗まれ、行方不明になっていました。ですがそれを冒険者ハップルは偶然にも発見し、当時まだ存命だった私の祖父に届けたのです」
「おじいちゃんがパーシヴァルに関係した鏡を見つけたなんて一度も聞いたことないけど、それって本当なの?」
「本当です。恐らくあなたのおじい様はあの鏡の存在理由を知っていたのでしょう。だから身内にすら何も告げず、私の祖父のもとまで届けに来たのだと思います」
「そうなんだ。でもその鏡があなたにどう関係があるっていうの?」
唐突な鏡の存在にアメリアは理解に苦しんでいる様子だ。ただそんな彼女の思考回路を更に混乱させるよう、リーゼはとても現実とは考えられない現象を口にしたのだった。
「いつでもどこでも誰かに見張られ、何をするにも許可を取らなければならない。私はそう言いましたね。その【誰か】っていうのが何を示すのか、あなたには分かりますか? もちろん私の両親や、ボーアさんの様な身近な方々もそれに含まれます。でもね、私の全てを監視しているのはその中の誰でもない。私を常に見張っているのは、あの【鏡】なんです!」
リーゼは語尾を強めてそう告げた。もちろん彼女の目は真剣そのものである。しかしアメリアにとってはあまりにも意味不明な言動に聞こえたのだろう。彼女は唖然とした表情でリーゼに尋ねたのだった。
「鏡が常に見張ってる? ゴメン、意味が分かんないよ」
アメリアは完全に戸惑っている。それもそのはず。リーゼがこの状況で冗談など口にするはずがないのだ。でもだからと言って、リーゼの話しを真に受ける事も出来はしない。だって鏡が人を見張るなんて、常識的に考えればバカげているとしか思えないのだから。アメリアは眉間にシワを寄せて困り果てている。だがその時、再び強い風が吹き抜けた。まるで何者かがリーゼとアメリアの間を引き裂くかの様に。またそれにも増して身の毛の弥立つ感覚が周囲を覆う。生温かい風が全身を舐める様に通り過ぎて行ったからなのだろうか。アメリアは無意識にも体を屈めて意味不明な嫌悪感に耐え忍んでいる。するとそんな彼女の不快感を更に上塗りするかのよう、突然リーゼが怒りに満ちた声を上げたのだった。
「あんな鏡、ハップルが見つけさえしなければ私は自由でいられたのよ。そう、きっとそうよ。全部ハップルがいけないんだわ。自らの自由を願うばかりに、まだ物心つく前の私から自由を奪った。絶対に許さない。許せるわけがない。――でもハップルはあの汚らわしい害虫達に蝕まれて死んだ。フフッ、いい気味だわ。やはり天罰は下るものなのね。神の御魂に人が触れるなんて、そもそも許されるはずがないんですもの。人が神に抗うなんて、到底無理なのよ。神に勝とうなんて夢見るだけ無駄なのよ!」
「ちょっとリーゼ、急にどうしたのよ!」
アメリアはリーゼのあまりの急変ぶりに彼女の腕を掴んで叫ぶ。だがその腕を強引に振り払ったリーゼは更に嘆きを吐き出したのだった。
「離してっ、私に触らないで! 自由に愛されてるあなたになんか、気安く触れられたくない。憎たらしいハップルの血を受け継ぐあなたなんかに、もう名前なんて呼んでほしくない。私の気持ちが理解出来ないあなたなんか、顔も見たく無い!」
リーゼはそう強く叫ぶとアメリアに対して背を向けた。だがその小さな背中からは、悲痛にもがく心情がはっきりと伝わって来る。彼女が背負うものとは一体何なのか。アメリアには当然それは分からない。ただリーゼの震える肩を見つめる彼女は、自らも胸が張り裂けそうなほどに息苦しさを感じていた。するとそんなアメリアの目の前でリーゼは背を向けたままガックリと膝を付く。まるで絶望に打ちひしがれる様に。
「悔しい。悔しくて堪らない。こんなにも憎いはずなのに、こんなにも恨んでいるはずなのに、それなのにどうして私は最後の最後でハップルを許してしまうの……」
大粒の涙が地面を濡らす。そしてリーゼはその地面に爪を立て、冷え切った土を握りしめていた。ぶつけ所の無い鬱屈した感情を無理やり押し留めているのかも知れない。それでも彼女は先程までとは少し違った、柔らかみのある声で呟いたのだった。
「確かに初めは自由を手に入れる事が目的だった。でもハップルはそれが錯覚なんだと気付いてしまった。けれどそこで引き返す事は十分に可能だったはず。それなのに、どうしてあの人は諦めなかったのでしょう。どうして縁もゆかりも無いパーシヴァル人の為に、その命を投げ出したのでしょうか――」
少しの時間が過ぎた。そしてその時間の経過がリーゼの高ぶった感情を沈めさせたのだろう。いや、枯れるほどに涙を流し尽くしたからなのかも知れない。彼女は袖口で目元を拭くと、気恥ずかしそうにしながらアメリアに向き直り言った。
「ごめんなんさい、急に取り乱しちゃって。私、どうかしちゃったみたい。ただこれだけは信じて。決して悪気があったわけじゃないの。そもそもあなたには何の責任もないのですからね」
リーゼは心から悔やむ様に告げた。恐らく彼女の中ではアメリアを酷く傷つけてしまったと考えたのだろう。初対面でありながらも不思議と気が合った。もちろんリーゼにとって、こんな経験は初めてだったはず。それ程までにアメリアとの出会いは、彼女にとって喜ばしい巡り会いだったはずなのだ。そして何よりもリーゼはアメリアとの親交を大切にし、より一層深めたかったはず。しかし現実として彼女の口から出た言葉はアメリアを強く混乱させ、また痛烈に悲しませた。せっかく友達になれたはずなのに、誰よりもそんな心を通わせる存在を必要としていたはずなのに、訳も分からぬまま自らそれを投げ捨ててしまった。そう思うリーゼは忸怩たる無念さに憤りを覚えてグッと奥歯を噛みしめる。きっと彼女は自分自身に嫌気を感じるほどに、後悔しているのだろう。なぜ急にあんな言葉を吐き出してしまったのだろうかと。だが以外にも、それに対するアメリアの反応はまったくの逆であった。リーゼから意味も分からないまま強く罵られたにも関わらず、アメリアはなんと自ら頭を下げたのだった。
「ごめんね。おじいちゃんが何をしたのかは知らないけど、でもそれであなたが苦しんでいるのは本当なんでしょ? だったら私、謝るよ。許してもらえるまで、何度でも謝るよ」
アメリアは今にも泣きそうな表情でそう告げた。きっと彼女は本心でリーゼの心情を気遣っているのだろう。もちろんそれは憐みなどではない。リーゼの悲痛なまでの嘆きが彼女の胸に直接伝わったからこそ、アメリアは素直に謝罪を口にしたのだ。
ただそんな彼女の姿を見たリーゼは、逆に少しだけ落ち着きを取り戻す。普通ならこんな話、誰にしたとしても受け入れてくれるはずがない。せいぜい鼻で笑われるのがオチであろう。しかし今、彼女の目の前にいるアメリアはそうではなかった。話の内容など何も分からないはずなのに、アメリアは真剣に自分を心配してくれているのだ。そんな彼女の姿勢を目の当たりにしたリーゼは強張った肩の力を抜く。そして自分の方こそが悪いのだと、頭を下げて告げたのだった。
「私の方こそ済みません。突然変な話しをしてしまって。無関係なあなたを不必要に悲しませてしまいました。本当に申し訳ありません。どうか全て忘れて下さい」
「リーゼ……」
「そんな目で見ないで下さい。悪いのは全部私の方なんですから。それにね、これは私の逆恨みでもあるのです。ハップルさんはパーシヴァルの為を想って、あの鏡を遥々私の祖父に届けてくれた。むしろそうして下さらなければ、現在の私の家系はどうなっていたか分からないんですもの――。本当であれば、感謝の気持ちをお伝えしなければいけないはずなんです。だけどね、しつこい僻みの様で品位がありませんが、あの鏡さえ見つからなければ、私の人生は今とはまったく違っていたのだと思えてならないんですよ……」
そう告げたリーゼはアメリアに向かって少しだけ微笑んで見せた。でもその笑顔はとても切なく哀しいものに他ない。まだ少女の若さであるにも関わらず、まるで全ての未来を諦めたかの様な表情なのだ。そんな居た堪れない失望感の伝わるアメリアは胸が詰まりそうになり言葉を発する事が出来ずにいる。自分の祖父が見つけた鏡とは、一体どんな物であるのだろうか。未だ理解に苦しむ彼女は尻込みするしかない。ただそんなアメリアの心情を痛いほどに理解するリーゼは、むしろ声を強めて誇張する様に話しを続けた。
「もしかしたら、あの鏡に映る【目】は私の作り出した幻なのかも知れません。だってそうですよね。私以外には誰も鏡に目が映っているなんて見えないんですもの。ただね、私はいつでもその目に監視されているんです。いつも身近に感じるんです。もちろん眠っている時間も含めて、それこそ24時間ずっと。そして私が何かをしようとした時には必ずその目は大きく見開かれる。だから私はその目に向かって心の中で許可を申し出るのです。これから食事を取ってもよろしいでしょうか? 散歩に出かけてもよろしいですかっていう風にね。それに対して通常ならば目は何も告げません。でも時折感じるんです。尋常でないほどの絶命感を」
リーゼは落ち着きのある口調で話しを続ける。
「あの目が何をしたいのか、私に何を求めているのか、それは分かりません。ただ時折感じる禍々しいまでの【死】の感覚に、私は怯えるしかありませんでした。そしてそんな感覚に支配されるのは、決まって私が自由を求めた時なんです。だから私は自分自身でも気付かぬうちに、自由を避ける様になってしまったのでしょう。他者にその責任を押し付ける形で」
俯いたリーゼは少しだけ唇を強く噛む。恐らく鏡に映る目の存在を思い出し畏怖しているのだろう。それでも次に彼女がアメリアに向けた表情は、意外にもすっきりしたものであった。そしてリーゼは迷いを振り払う様に告げた。
「不思議な事に、今回の旅でパーシヴァルの国境を越えてアダムズ王国に入ってからというもの、鏡の監視は著しく弱まりました。特にアレニウス山脈に近づいたこの地域では、まったく感じていません。こんな感覚は生まれて初めての事なので、本当に驚いています。でもパーシヴァル王国に戻れば、再び鏡の監視は始まるでしょう。だからね、あの目が感じられない今を楽しみたい。自由を感じたい。私はそう願っていたのです。それなのに――」
リーゼはハップルの墓に視線を向ける。そして震えるほどに拳を握りしめた。ただ彼女はその後に一度だけ大きく深呼吸をする。心の葛藤に何かしらの折り合いでもつけたのであろうか。エメラルドグリーンに輝く瞳は相も変わらずに美しい。そんな横顔を見つめるアメリアに、リーゼは最後の悲嘆を口にしたのだった。
「このお墓には来たくなかった。だって些細ながらも今の私は自由を感じられているんですよ。それなのに、私から自由を奪った元凶である鏡を見つけた人のお墓なんかに、行きたいなんて思うはずがありませんよね。憎くて憎くて堪らない。どれほど恨んだかも分からない。私にとってハップルっていう人は、そんな存在なんですよ。――――でもね。本当は、……本当は、私の方こそ許しを得たかったのかも知れません。だって私はハップルさんに怒りの矛先を向ける事で、それ以外の全てに耐え抜いてこれたのですから」
その言葉とは裏腹に、リーゼは少し微笑んでいた。矛盾した自分自身の心情を迸らせた気恥ずかしさに、苦笑いでも浮かべているのか。ただし彼女が次にアメリアに向き合った時、その表情はしっかりしたものにへと戻っていた。
「例え鏡に映る目が私の作り出した虚像だったとしても、恐らくあれは消え去りはしないでしょう。ううん、あの目に見張られている事で、私は私として生きる存在価値を見出している。だからね、本当の意味で私が自由を手にしたとするならば、生きる為の存在価値を放棄するに等しいんです。むしろ制約を必要としているのは、私自身なんです。これはもう、生まれながらにして私が受け入れてしまった運命とでも言うのでしょうか。ただそれでも悲観はしていませんよ。強がりに聞こえてしまうかも知れませんが、でも私は今を生きれて幸せですからね。だからお願いアメリア。私に謝ったりなんかしないで」
そう告げたリーゼはニッコリと微笑んで見せた。哀愁の漂う表情でありながらも、夜桜をバックにしたその笑顔は美しいと呼ばずにはいられない。それほどまでにリーゼの醸し出す麗しさは艶やかだった。そしてそんな彼女の素敵さにアメリアはハッと息を飲む。ただそれでも彼女はリーゼに対し、自らの感じた素朴な疑問を問い掛けたのだった。
「リーゼの言ってる事、全然分かんないよ。けど、一つだけ聞いても良いかな。それがあなたの望む人生なの? それであなたは本当に幸せになれるの?」
見つめ合う二人。その絡み合う視線に嘘や誤魔化しが付け入る隙なんてあるはずもない。そしてリーゼは静かに呟く。浮かべた微笑を崩さぬまま、彼女は一言だけアメリアに返答した。
「はい。これが私の望む生き方です」
「――そう。それなら私は何も言わないよ。ただこれだけは絶対に忘れないでね。私とあなたはいつまでも友達なんだって。私が力になれる事なんて無いのかも知れないけど、でもやっぱりリーゼには幸せになってほしいから。だから困った事があったら、遠慮せずに頼ってよね」
アメリアはそう言ってリーゼに負けじと笑顔を差し向けた。そしてもう一つ。彼女はアメリアに向け、それまで自分が胸に付けていた小ぶりのブローチを差し出したのだった。