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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第二幕 疼飢(うずき)の修羅
35/109

#34 鳥雲に入る夜空のパラドックス(一)

 アダムズ城の周囲は広大な水堀で囲まれている。かつてまだ世界が戦乱の世にあった頃、平地に築かれた城の防御力強化を目的に、城郭の最重要施設として配置された輪郭式縄張の水堀だ。その幅は最も広い場所で百メートルを有に超え、またその深さは成人の身長を遥かに超えるものであった。

 アダムズの科学の発展と共に世界が平定されると、当初城を守る兵の住む家ばかりだった城下町は急速に発達し活気づく。更には豪族として地方の領地を治めていた貴族達も、次第にアダムズ城のある首都ルヴェリエに移住をはじめ、いつしか首都に暮らすことがある種のステータスになっていた。

 現在城を囲む堀は街路樹の整列した広い歩道などが整備され、多くの人々がジョギングで汗を流すなどしてその周りを利用している。過去にそれが造られた意義など完全に忘れ去られ、今は日常に溶け込むだけの水堀。だがそんな穏やかな満月の光が降り注ぐそんな堀の片隅で、地下道から脱出したジュール達は黒い制服に身を包んだ国王直轄近衛部隊コルベットに包囲されていた。


「お前達、そこで何をしている!」

 コルベットの女性隊士が堀の上からジュール達を見下ろし強い口調で詰問する。月の光に照らされた銀髪がより一層印象を際立てる、軍人にしておくにはもったいない程の美人だ。しかしジュールはそんな女性隊士に応えるどころか、現状が飲み込めず狼狽(うろた)えるばかりだった。

 彼は(いま)だにここが何処なのかも分かっていない。それはジュールのそばで血の気が引いた表情を浮かべるヘルムホルツ達も同様である。ただそんな彼らに向かい女性隊士は更に強く詰め寄った。

「何をしているのかと聞いているのだ、即座に答えろ! 我々はコルベット。不審者は即刻抹殺する権限を国王直々に仰せつかっている身だ。話さぬなら切るまでだぞ!」

 緊張感が一気に張り詰める。だが不思議にもジュールは冷静さを取り戻しつつあった。戦場慣れした軍人としての体質が気持ちを落ち着かせたのだろうか。

 体を静止させたまま、彼は慎重に周囲を見渡す。黒い制服を(まと)ったコルベットの隊士は全部で8人。コルベットは総勢十名の部隊であることから、ほぼ総出の隊士に取り囲まれたことになる。その内の4人が抜刀し、ジュール達のもとに堀の上から滑り降りて来た。

 状況は悪くなるばかりだ。それでもジュールは良く目を凝らし、自分達を取り囲むコルベットの隊士を注視する。どうやら隊長のトウェイン将軍とテスラの姿がないらしい。ジュールは更に周囲を見渡しながら、ここが何処なのか丁寧に観察していく。

 月明かりが(まぶ)しいほどに輝く今夜は、周囲の状況を把握するのにはもってこいの環境だ。ジュールは直ぐに自分達がアダムズ城を取り囲む水堀にいるのに気付く。そしてここが水堀の清掃に使用する、ボートを固定する桟橋(さんばし)であるのも認識した。

 ジュールはそっとヘルムホルツの目を見る。すると彼もまた、ジュールを見返し小さく頷いた。どうやらヘルムホルツも状況を理解したようだ。ただそんな彼らに向かい、抜刀したコルベット隊士の一人が口を開いた。

「ん? お前、トランザムのジュールじゃないか。何でこんな場所にトランザムのお前がいるんだ?」

 ボロボロになった赤い制服をまじまじと見ながら、コルベットの隊士が抜刀した剣を突き出して詰め寄って来る。言わずと知れたコルベットとトランザムの仲だ。ただでさえ不審者扱いされているのに、それが犬猿の相手となれば、奴らにとって格好の餌食となろう。

 チッ。ジュールは口の中だけで舌を鳴らす。やっとの思いで地下道から抜け出したのだ。これ以上の面倒はコリゴリだ。だが素直に下手に出るのも(しゃく)に触る。だからジュールは開き直る様にしてその隊士に告げた。

「月の光があんまりにも綺麗だったんでね。ダチ誘って月光浴を楽しんでたところなんだよ。さすがに泳ぐのは時期が早過ぎたみたいだけどな」

「プッ、ハハハッ」

 ジュールの言葉にアニェージが吹き出す。よほどツボに(はま)ったのか。だが案の定、それを聞いたコルベットの隊士は青筋を立て攻寄(せめよ)った。

「誤魔化すな! どう見たってお前のその姿は普通じゃない。さっさと答えろ、お前達はここで何をしていたのだ!」

 ジュールの首元に抜身の刀が向けられる。切っ先に宿った殺気は本物だ。ただジュールは悪びれもせずに聞き返した。

「あんたらこそ、ここで何してるんだよ? トランザムと同じでコルベットもみんな入院してるって聞いてたけどな」

「黙れ! 誰が質問していいと言った。こっちの問いに答えろ!」

 気が短いのか。隊士の向ける刀は今にもジュールの首に突き刺さりそうだ。だがそんな隊士を制止させる指示が飛ぶ。

「やめろ!」

 そう一言発した銀髪の女性隊士が堀を滑り下る。そして彼女は怒りを露わにする隊士を抑えながらジュールの目の前に立った。少しつり上がった目尻がキツい印象を与えるが、それでも十分美人な女性隊士。そんな彼女はジュールの目を見つめると、軽く笑みを(のぞ)かせて言った。

「こんな時にでも冗談が言えるなんて、新入りでもさすがはトランザムね。しかしね、坊や。口先だけのトランザムと私達コルベットを一緒にしてもらっては困るんだよ。私達は国王様より認められた精鋭なんだ。お前らとは体の鍛え方が違うのさ。ダラダラと病院のベッドで休んではいられないんだよ。それに今はお前の悪ふざけに付き合っている暇はない!」

 女性隊士はそう吐き捨てると、ジュールの股間を強く蹴り飛ばす。

「ぐおっ」

 まるで女性隊士に土下座する様な姿勢でジュールは膝を付き屈み込む。するとそんな彼の姿を面白がるように、他のコルベット隊士達が失笑を漏らした。

 女性隊士は伏せるジュールの髪を鷲掴(わしづか)みにして彼の顔を強引に持ち上げる。そしてジュールの(ひたい)に強烈な頭突きを加えた。ジュールは額を抑え表情を(ゆが)めるしかない。女のくせになんて石頭だ。しかし女性隊士は握ったジュールの髪を離さない。むしろ彼女は力を込め、顔が接触するほどの近距離で(まく)し立てた。

「図に乗るなって教えてあげているんだよ、坊や。トランザムが調子に乗っていられるのは、隊長のドルトンが居る時だけなんだからね。王国最強集団などと(わめ)いているけど、所詮ドルトン以外は口先だけの腰抜けばかりさ。軍の中でそこそこ腕が立つからと言って、私達と対等でいられると思ったら大間違いなんだよ!」

 吐き捨てると同時に、女性隊士はジュールの(あご)に強烈な(ひざ)蹴りを叩き込んだ。衝撃を受けたジュールはそのまま後方に弾け飛び堀の水の中に落ちる。だが女性隊士の責めは終わらない。彼女はもがきながら浮かび上がったジュールの髪を再び掴み、無理やり水から引き上げた。

「ゴホゴホッ」

 咳き込むジュールを見下しながら、女性隊士が冷たく告げる。

「そっちの白い制服の奴は科学部隊カプリスの者であろう。確かお前達二人は昼間庭園にいたな。今朝の事件に関係があるのか? そもそも何なんだ、お前達は。トランザムにカプリス、そして城の警備隊士。そこにいる女は城の関係者ですらない。怪し過ぎて笑えて来るぞ。さぁ、正直に言ってみろ。そして私達を大いに驚かせてくれ」

 月明かりが反射しているのか。女性隊士の大きく開いた両目が不気味に光る。そんな女性隊士の姿に、ジュールは意味不明な違和感を覚えゾッとした。しかし彼はそれ以上に、自分の心に(あふ)れ来る不思議な感覚に支配される。月の光を全身で受ける彼は、まるで愉悦に浸るよう笑みを漏らしながら無自覚に言葉を発した。

『日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日と並んで支配すべき存在とした――』

 ジュールは真っ直ぐに女性隊士を見つめる。その表情は不気味な笑みを浮かべ、さらにその瞳は無限の闇に通じているかのごとく黒々していた。まるで血に飢えた狼が、獲物を見つけ様子を伺うかの様に――。するとそんなジュールの姿に今度は女性隊士の方が寒気を覚える。

「な、何なんだよ、お前は? その意味不明な言葉は何だ? それにしても得体の知れない奇妙なこの威圧感。……お前、本当に人間か?」

 そう告げた女性隊士は無意識に後退する。また他のコルベット隊士達も不気味な雰囲気に飲まれ間合いを広げた。いや、それだけではない。ジュールを見守るヘルムホルツ達までもが底知れぬ不安を覚え始める。本当にこれがジュールなのか――と。

 この世のものとは思えない底知れぬ重圧がジュールより発せられ周囲を圧迫している。息の詰まる状況に、誰一人として身動が取れない。女性隊士の額から一筋の汗が垂れる。だがちょうどその時、堀の上からジュール達に向け言葉が向けられた。

「今夜は随分と城が騒がしいな。先ほど起きた地震といい、今度は軍人同士で揉め事まで起きている。飽きない夜は嫌いではないが、少々確執の度合いが過ぎるようだね」

 気味悪い笑みを浮かべたままのジュールは、その声の主を見上げた。女性隊士やヘルムホルツ達も一斉に視線をそこに向ける。

 月明かりに浮かび上がる男性の影。それを見たジュールはハッと我に返り表情を一変させた。そして(かしこ)まるように膝を付き頭を下げる。

 歳の割に引き締まった体型と、凛々しい姿勢が長きに渡り軍人として生きて来た事を(うかが)わせる。ジュール達の前に現れたのは、アダムズ軍総司令【アイザック】であった。


 王国の平和と世界の秩序を保つため、三十年以上にも渡り幾多の戦場を駆けて来たアイザック。もともと彼は王国南西部の広大な領地を統括する貴族であった。ただ彼が生まれ育った王国南西部は、内乱に明け暮れる砂漠の国と隣接していた余波で、度重なるテロ活動に常々頭を悩ませていた。

 貴族は地方都市を管理管轄する立場として、役人達を指揮しながら行政を(つかさど)るのが仕事だ。とは言うものの、大抵の貴族たちは厄介な仕事は全て役人に押し付け、自分たちは非常に優雅で安穏(あんのん)とした生活を送っている。しかし王国南西部に限ってはそんな静穏は微塵もなく、むしろ貴族が先頭に立ち、軍を率いて凶悪なテロリストや反政府ゲリラ組織と繰り返し泥沼の戦闘を繰り広げていた。

 隣国の内乱によるしわ寄せの影響だとしても、南西部に暮らす民達の安全を守るのが貴族の仕事。まさに中世期の騎士(ナイト)を想像させるがごとく、南西部の貴族の中からは屈強な戦士が数多く生まれ、そして死んでいった。そんな南西部の貴族達の中で、アイザックは早々にその類稀(たぐいまれ)な才能を発揮し台頭する。

 テロの被害に遭い負傷した父に代わり軍を指揮することになったアイザックは、まだ二十歳(はたち)という若さで見事なまでに軍を組織的に操り、テロリスト集団を撲滅させた。その後も数度発生した騒乱を鮮やかに沈めたアイザック。(たちま)ち彼の名は南西部に轟き、彼の行くところ紛争は影を潜めた。

 そんなアイザックの活躍に目を付けたのが現国王アルベルトであった。アイザックを城に呼び寄せた国王は、まだ若輩ともいえる彼に軍の全権を与えると、平和維持活動として政治闘争を発端とし情勢が混乱したとある地域に軍を派兵する。するとアイザックは国王の期待を遥かに超える成果を上げ、その地域の治安を確立し平定した。それからアイザックはアダムズ軍の幹部として数々の戦場に(おもむ)き、かつ目に見える成果を数えきれぬほど残していったのである。そんなアイザックに争いを嫌うアルベルト国王が絶対の信頼を寄せたのは言うまでもなく、またアイザックも平和を願う国王に全力で尽くした。

 アイザックの活躍もあり、現在アダムズ周辺では目立った紛争は起きてはいない。至って平和な時が流れていると言えよう。ただ一つ、ボーアの反乱を除いてだが。

 堀を下ったアイザックがジュール達のもとに近寄る。権威を振りかざす素振りなど皆無であったが、自然と身から湧き出る威厳の大きさにコルベットの隊士達は息を飲んだ。そんな彼らに笑顔を浮かべながらアイザックは口を開く。

「巡回ご苦労だな、コルベットの諸君。この様な美しい月夜に、勤勉にも仕事熱心とは誠に関心なことだ。しかし君達はもう良い。ここにいる四人は私の連れだ。君たちは城の巡回に戻ってくれ」

 アイザックはふとジュールの目を見る。突然現れた総司令にジュールは困惑したが、その優しくも力強い視線に彼は心強い安心感を覚えた。

 総司令は俺達を助けに来てくれたのだ。ジュールやヘルムホルツは顔色を取り戻しアイザックを見つめる。しかしコルベットの隊士達は簡単には引き下がらない。明らかに不審な四人と納得しがたい総司令の申し出に、堪らず女性隊士が食い下がった。

「失礼ですが総司令。いくらあなたの連れとは申せ、この四人の異様な振る舞いに疑いの余地がありません。申し訳ありませんが、黙って見過ごすなど不可能です」

 鋭い眼光の女性隊士に詰め寄られたアイザックは参ったなと頭を掻く。それでも彼は女性隊士を諫める様に柔らかく答えた。

如何(いかが)わしい姿をした四人を前に、君達の言う事はよく理解出来る。しかし彼らは正真正銘私の預かる者達であり、この場所に来るのを指示したのは他ならぬ私なのだ。仮に彼らが何かを企てようとも、その責任は全て私の(にな)うところ。それでも受け入れてはもらえぬか」

「ならば一つだけお聞きしたい。総司令はその四人と、ここで何がしたかったのですか?」

 女性隊士は射る様な視線を放ちながら総司令に詰問する。そんな女性隊士の強い視線から顔を(そむ)けたアイザックは、フッと息を吐き出し夜空の月を見上げた。眩しい月明かりに目を細めながら、(つぶや)くようにアイザックは言葉を漏らす。

「大した事ではないよ。こんな見事な月夜は久しぶりだからね。皆で月光浴でも楽しみながら、日頃のストレスを発散しようと考えただけさ」

「バカな。総司令、おふざけになるのは止めて下さい」

「決して冗談などではないぞ。私は至ってまじめだよ。だがもうこの辺で勘弁してくれないか、負傷者もいるようだしね」

「そうは参りません!」

 強気を崩さず、一歩も譲る気配の無い女性隊士の硬直な姿勢を前に、さすがのアイザックも舌を巻く程に困惑した。――とその時、

「その辺にしておけ【シャトーレ】よ。アイザックが困っておるではないか」

 名前を呼ばれた女性隊士は、声の主を見つけることなく膝間つきひれ伏す。さらに他のコルベット隊士達も同様に膝をつき頭を下げた。

 ジュールは水堀の上に佇む一人の老人の姿を確認する。すると彼の背中には尋常でないほどの悪寒が走った。ジュールは直観的に身構える。人が放出するものとはまったく別次元な威圧感を感じた彼は、怯みそうになる心を抑えるだけで精一杯だ。

 水堀の上から皆を見下ろす一人の老人。それはまさしく【アルベルト国王】その人であった。


「アイザックよ。そちがその様に困った姿を見せるなど、珍しい事もあるものだ。よほどシャトーレめにきつく詰め寄られたのであろう。その娘は強情で引くことを知らぬからな」

 国王は軽く微笑みながらアイザックに告げた。するとそんな国王に対してアイザックは焦りながら必死に返す。

「国王。まさかこんな時間にあなたがこの様な場所へ参られるとは考えもしませんでした。もしやあなた様も美しい月に魅せられたのですか?」

 突然立ち現れた国王の姿に、アイザックは肝を冷やすほどに驚いた。それでも彼は少しの動揺も周囲に悟られぬよう平然と振る舞う。ただそんな総司令に国王は哀愁を含んだ微笑みを浮かべると、ゆっくりとした動きで視線を夜空の月に向けた。

「改めて考えてみると、月というのは不思議な星だ。自ら光を発するわけでもなく、太陽の光を受けなければ『無い』に等しい星。とはいえ、太陽があっても我々の暮らす『この星』がなければ、常にただの丸い『満月』なだけだ。しかし月はこの星の影によって、新月から三日月を経て満月へと変化してゆく。単なる太陽光の投射にしか過ぎないが、まるで生きているようにも感じられる不思議な星。余はな、そんな月が好きになれんのだよ」

 少し寂しそうに語るアルベルト国王は、視線をアイザックに戻すと更に続きを口にする。

「月の自転はこの星の回転の半分しかない。それゆえ月は常に片面、すなわちこの星に対して『表』しか見せていないのは知っているだろう。ただな、この偶然性というか神秘性に、余は少なからず恐怖に近い感覚を覚えてしまうのだ。最近の研究結果で発覚したのだが、どうやら月の表と裏では相当な重力の開きがあるらしい。それが本当で、片面にだけに強大な引力が働いているとするならば、『表』しかこの星に向かないというのは必然だと言えるのではないか。いずれにしても単なる自転の偶然による産物だけで、月に『表』と『裏』が存在しているとは言い切れないのではないか。余はそれを考え出すと、眠れなくなってしまうのだよ」

 そう語る国王の表情は非常に哀しいものに感じられた。まるで愛する家族が自分一人だけを残し、どこか遠くへ行ってしまったかの様に――。そんな切ない雰囲気を(かも)し出す国王を、アイザックやジュール達はただ茫然と見つめていた。

「無限なものは2つある。一つは宇宙。もう一つは人の(おろ)かさだ。神の前で人は等しく賢明であり、神の前で人は等しく愚かである。余が何を言いたいか分かるか、アイザックよ? 人が進もうとしている道が正しいかどうかを、神は前もって教えてはくれないのだ。ゆえに愚かな人々は、浅はかに物事を考え無意味に行動し、そして無駄に死んで行く。アイザック、お前には月の照らす夜道でなく、陽の光の照らす煌々とした昼の道だけを進んでほしい。余の願いはそれだけだ」

「しかし国王、私は」

「もうよい、話は終わりだ。その者達を連れ立ち去るがいい。コルベットの諸君らも仕事に戻れ。余の機嫌が損なわれないうちにな」

 有無を言わさぬ国王の強い言葉にアイザックは唇を噛みしめる。反論したいが言葉が(のど)の奥に詰まり出て来ない。彼の国王を見つめる視線には、悔しさに近い無念さが(にじ)んでいた。するとそんなアイザックに追い打ちを掛ける様、アルベルト国王は一言だけ告げる。

「今回のヤツ討伐における首都被害の甚大さを受け、今後ヤツについてはその対応をコルベットに一任する」

「なっ、お待ちください国王!」

 吃驚するアイザック。しかし国王はそんな彼に有無を言わさない。

「これは決定事項だ。嫌とは言わさんぞアイザック。それと総司令直轄戦闘部隊トランザムは本日をもって解散とする。ほとんどの隊士がヤツとの戦闘で入院中だ。すでに隊としての機能は消失している。問題は何一つ無いだろう。これは命令だ、分かったな」

「――」

 アイザックは何も言えなかった。拳を握りしめただ立ち尽くす彼を横目に、口元を緩めながらシャトーレ達がその場を後にする。

 無念だ――。総司令という軍トップの立場でありながら、国王に対して満足に反論すら出来ない。そんな不甲斐ない自分に腹が立ったアイザックは、遣る瀬無い気持ちで悄然(しょうぜん)と落胆した。しかしそんな失意に(おちい)るアイザックの横から、国王の命令に納得し得ないジュールが思わず声を上げる。

「突然トランザムが解散だなんて、あまりにも酷過(ひどす)ぎます。どうかお考えを改めて下さい!」

 ジュールは無礼にも国王を(にら)む様に見つめた。彼の内心は爆発寸前の状態に達していたのだ。

 トランザムの解散という非情な下知もさることながら、目の前に立つこの国王こそが博士を追い遣った張本人のはず。ジュールの心は煮えたぎるほどに怒りが高まってゆく。しかし今ここで国王に挑んだとしても勝ち目がない事も明白過ぎる現実である。(いど)みたいが引くしかない。彼はぶつけ所の無い感情を噛み殺し、ただ国王を見据えた。そんなジュールの視線を凍るような冷たい眼差しで国王が見返す。その目には少なからず殺気が込められていた。

「やめろジュール! 国王を前に無礼だぞ、控えろ」

「だけど総司令、突然トランザム解散なんて俺は納得出来ない!」

「今は(こら)えるんだジュール。この件はまた後日、私が国王に直接掛け合う。お前は黙って身を引け」

 ジュールを(さげす)む国王の冷酷な視線を感じ取ったアイザックは、無理やりジュールの頭を抑えつけ国王に平伏させた。

「申し訳ございません国王。こいつには私からよく言って聞かせますので、どうかこの場は納めて頂きたい」

「……ほう。その者、名をジュールと申すか。という事は、お前がグラム博士の養子なのか。ふむ、随分と(たくま)しく成長したものだな。まぁ良い。いずれその者とも話す機会もあろう。今日のところは大目に見るゆえ、引くがよい」

 国王は微笑みながらジュールとアイザックを見つめ優しく告げる。グラム博士の子と知ったからなのか。殺気を帯びていたはずのジュールを見る国王の目からは、いつの間にか親類に抱くような近しさに変わっていた。そんな国王の変化に気付いたアイザックは、ジュールに向け間を置かず指示を出す。

「お前達は城の医務室に向かえ。まずは怪我の処置が先だ」

「総司令、でも」

「いいから行くんだ!」

 アイザックはもどかしい表情を浮かべるジュールに強く命じた。ジュールを見つめるその視線には、何か強い意志が込められているように見受けられる。するとそれを感じ取ったジュールは、まだ不満を残しながらも黙って指示に従った。

 麗らかさを感じさせる春の夜長に発生した息苦しいほどの緊迫感。そんな息詰まる有り様を横目にしながらも、月明かりに照らされた水堀は穏やかに水面を輝かせつつ揺らめいてた。



 翌朝、ジュールはアメリアが用意する朝食の(かな)でる音で目が覚める。城の医務室に負傷したガウス達を運んだ彼は、医師が制止するのも聞かず自分一人自宅へと戻っていたのだった。

 月明かりに照らされたジュールの体は、水堀を後にした時にはもう完全に回復していた。そんな特異とも言える自分の体を城の医師に見せたくはないと、彼は逃げる様に城を後にしたのだ。ただそれでも昨夜の影響なのか、体が極度に重く感じる。傷は回復したが、疲労までは取り除けていないのだろう。

 ジュールは(だる)い体を起こしリビングへ向かう。まだまだ眠りが足りない気もする。するとそんな眠い目を擦りながら歩く彼に、アメリアが少し心配しながら声を掛けた。

「おはようジュール。昨日は随分と帰りが遅かったのね。仕事復帰初日から頑張り過ぎると続かないよ。自分の体は頑丈だなんて過信してると、いつか本当に倒れちゃうからね」

 そう言いながら彼女はテーブルにコーヒーとトーストを用意した。

「あぁ、気を付けるよ。それにしても昨日は本当に散々だったよ。次から次へと災難続きで、生きた気がしなかったな」

 ジュールは昨日の事を思い出し、軽く愚痴(ぐち)りながら椅子に腰かける。そして温かいコーヒーを口に含みながら、彼はリモコンでテレビのスイッチを入れた。

 何気ない日常のニュースがテレビから流れる。どうやら六日後に発生する皆既日蝕の話題をしているみたいだ。間近に迫った世紀の天文ショーに興奮しながらアナウンサーが喋っている。そんなテレビ画面を眺めるジュールは、キッチンでトーストを立ちながら食べているアメリアに一つ問い掛けた。

「昨日の夜って、デカい地震あったよな。あれって何時頃だったっけ?」

「地震? 私ぜんぜん気付かなかったよ。テレビでも何も言ってないし、変な夢でも見たんじゃない?」

 そう言って笑顔を見せるアメリアが嘘を言っているとは思えない。ジュールは首を傾げながら、城の地下で起きたあの大きな揺れが何だったのか考えに(ふけ)た。

(間違いなく何かが起きたのは事実のはず。そう言えばプルターク・モールでも大きな地震があったよな。最近は局地的な揺れでも流行ってるのか? へっ、そんなバカげた事ある訳ないか――)

 バターの乗ったトーストにかぶりつきながらジュールは一人思う。するとそんな彼に向けて、今度はアメリアが昨日自分に起きた出来事を話し始めた。

「私の方も昨日は色々と大変だったのよ。不思議な女の子には頼まれ事されるし、変な男には(から)まれるし、本当に散々だったんだから。でもねジュール、すっごくビックリしたことがあったんだ!」

 目を丸くしたアメリアが興奮しながらジュールに話しかける。

「昨日配達で城に行ったんだけど、そこで誰にあったと思う?」

 そう言ってアメリアにんまりと表情を綻ばせる。よほど良い事でもあったのだろうか。ジュールは彼女の笑顔を見ながら答えを考えた。

「う~ん。城にアメリアの知り合いなんて、そんなにいないよな。分からん、誰と会ったんだよ」

「もう、ちゃんと考えたの。フフフ、しょうがないなぁ、凡人の君に教えてあげるよ。実は昨日、城の通用口で【リーゼ姫】にお会いしたんだ!」

 満面の笑みで得意げに一人頷くアメリアは話を続ける。

「通用口で守衛所の人と話してたら、突然真っ白い大きなワンちゃんが現れてね。それがリーゼ姫の愛犬だったのよ。そしたらその後本物のリーゼ姫がお越しになったのよね」

「へぇ~。城の関係者だってなかなか会えないのに、一般人のアメリアが姫に会うなんて超ラッキーじゃないか」

「本当に運が良かったよ。短い時間だったけど、すごく幸せな一時(ひととき)を過ごせたしね。それにね――フフッ」

 アメリアはもったいぶる様にジュールを見つめる。

「何だよ、気持ち悪いな。気取ってないで早く言えよ」

「驚くなよ~。実は私、姫様直々に今度城にお呼ばれする事になったんだ!」

「はぁ? 何だよそれ。どうしてアメリアがリーゼ姫に呼ばれるんだよ?」

 ジュールは本気で驚きながらアメリアに理由を尋ねる。すると彼女は少し顔を赤らめて、照れくさそうに答えた。

「ジュールには言ってなかったけど、実は私達、北の町で姫に会った事があるんだよ。姫はその事を覚えていてくれてね。それで今度ゆっくりと話がしたいって言ってくれたんだよね」

「ほぉ~、そいつは驚きだな。いつごろ会ったんだよ」

「まだ子供の頃の事だよ。でもあの時リーゼ姫は自分の身分を隠してたからね。ずっと後になって、あの時の彼女が姫様だったって知ったのよ」

 アメリアは当時を思い出しながら(なつ)かしそうに語った。ジュールはそんな初耳の話しにビックリするも、幸せそうに微笑むアメリアの表情を見て何だか自分も心地良い気分になった。

「姫様の前で不謹慎な事だけはするなよな。お前は割とそそっかしいからさ。それで、いつ会うんだよ」

「まだ分かんないよ。でも近い内に連絡が来ると思うよ。それにしても鈍感ね。まだ思い出さないの。あの時はジュールもいじゃない。あんなに大変な事があったのに忘れちゃったの? あの【桜並木】でさ、――あっ、そうだ!」

 当時を振り返っていたアメリアは、何かを思い出し大きな声を上げた。突然張り上げた彼女の声にジュールは耳を抑える。ただそんな顔をしかめた彼にアメリアは謝りながらも続きを話した。

「ゴメンね。そう言えば姫と会った後なんだけど、もう一人信じられない人に会ったんだよね」

「誰にだよ?」

「城の駐車場で変な男達に絡まれたんだけどね、その時に私、【グラム博士】にそっくりなお爺さんに助けてもらったんだ」

「博士にそっくりなジイさん?」

 ジュールは(いぶか)しそうに聞き返す。するとそんな彼にアメリアは頷きながら詳細を語った。

「そうなのよ。博士よりも少し肌が色黒だったけど、双子じゃないかっていうくらいそっくりだったんだよね。本当にびっくりしたんだから。博士って、兄弟とかいなかったの?」

「ん~、博士に兄弟がいるなんて聞いた事なかったけどなぁ。もでそれからその博士そっくりなジイさんはどうしたんだよ?」

「うん。何だか場所を探してるみたいだったよ。白くて丸い形をした建物がルヴェリエにないかって聞かれたんだよね。よく分かんないけど、天体観測所が確かそんな形してたから、それを伝えたの。そしたらお礼だけ言ってどこかに行っちゃった」

「天体観測所?」

「さっきもテレビでやってたじゃない。今度の日蝕の騒ぎで観測所は今ちょっとしたブームになってるのよ。毎日テレビに出てるし、変わった形の建物だから何となく覚えてたんだ。それに職場の近くでもあるしね。ちょうど博士似のお爺さんが探してる場所と(かぶ)ったから、教えたんだよ」

 ジュールはふと思い出す。アメリアと共に上ったプルターク・タワーから見えた白くて丸い形をした物体を。あの時はアニェージと接触してよく確認しなかったが、タワーの影が差す先に自分はそれを見たはずだ。ジュールは意味もなく胸が震えるのを感じる。するとその時、テレビ画面を見るアメリアが驚嘆しながら声を上げた。

「嘘でしょ、まさかあの子が!」

 ニュースからは、ここ最近連日で取り上げられているアスリートの失踪事件が報道されていた。そしてその画面には、昨日アメリアが店の裏通りで接触した少女の顔写真が映し出されていた。


「本当にこの子だったのか?」

 少女の顔写真が映るテレビ画面を見つめながらジュールが確かめる。

「間違いないよ。写真よりも少し()せてたけど、絶対にこの子だよ」

 アメリアは言いようのない不安を覚えながら、真剣な眼差しで食い入るように画面を見つめる。

「顔に傷のある気味悪い男がこの子を探しているみたいだった。私がこの子に会った後すぐにその男が私に言ってきたの。少女を見なかったかって。私は知らないって誤魔化したんだけど、あの人普通じゃなかった。そうよ、きっとあの男が失踪事件の犯人なのよ!」

 アメリアはそう言って一人納得するように頷く。その姿はまるでテレビドラマに出て来る刑事の様だ。そんな彼女の姿が少し滑稽に思えたジュールは噴き出しそうになる。ただ彼は直ぐに表情を引き締めると、まじめに現実を推理した。

「仮にその男が犯人だとして、この子は何で警察に保護を求めないんだろう。アメリアの話なら、この子には十分助けを求める時間はあったはずだからね」

「う~ん、確かにそうなのよね。私がお店で休んでって言ったのに、彼女は(かたく)なに断ってどこかに駆けてっちゃったし。それに彼女、自分に会った事を誰にも言わないでって言ったのよ。何か他人に助けを求められない理由があるんじゃないかしら」

 アメリアは首を傾げながら少女に会った時の状況を思い出す。すると彼女は少女から託された物の事を思い出し、それをジュールに伝えた。

「そう言えば私、この子から頼まれ事されたんだった」

「頼まれ事?」

「そう。この子が立ち去る間際にね、私にメモリーカードを渡して言ったの。これを軍のアイザック総司令に渡してほしいって。渡せば分かるからって言ってたのよ」

「総司令に? それで、そのメモリーカードはどうしたんだよ」

「うん。昨日リーゼ姫に会った時にね、ちょうどテスラ君が一緒にいたから彼に頼んだんだ。お父さんに渡してって」

「テスラに渡したのか!」

 ジュールは思わず声を荒げる。理由は分からないが、彼はテスラにメモリーカードを渡してしまった行為が、取り返しのつかない事の様に思えてならなかったのだ。なぜかジュールは愕然(がくぜん)とした気分に襲われる。するとそんな彼の困惑を察したのか、アメリアが浮かない表情で尋ねた。

「私、何かいけない事したかな。実は私もテスラ君にカードを渡した後、なんとなく気分が落ち着かなかったんだよね」

 アメリアは意味の分からない不安を覚え表情を強張らせる。

「いや、アメリアに落ち度はないよ。たぶん俺の思い過ごしだろう。それにカードの事は総司令に直接聞けば分かる事だしね。今後の事で総司令と今日話するつもりだったから、ちょうどいいぜ」

 ジュールは昨夜水堀でアイザックが発した強い意志の込められた視線を思い出す。総司令は俺に何か伝えたい話しがあるはずだ。ヘルムホルツやアニェージが追う案件といい、アルベルト国王によるトランザム解体の命令といい、俺の方も総司令に聞きたい事が山の様にある。この際全て洗いざらい聞き出してやるさ。そう思ったジュールは一気にトーストを口の中に押し込み席を立った。そんな彼にアメリアが思い出したように付け加える。

「そうだ、博士に似たお爺さんの事だけど。あの人、少女を追っていた気味悪い男と知り合いだったみたいだよ。仲は悪そうだったけど――」

「そうか。俺もその博士そっくりなジイさんに会ってみたいな」

 きな臭い事件が立て続けに起きるタイミングで、博士にそっくりな老人が現れる。アメリアの出会ったその老人は、本当に博士と繋がりがあるのかも知れないな。そう感じたジュールはなぜか、博士の笑った顔を思い出す。優しく微笑むグラム博士にジュールは安心感を抱く。それでも彼は今後直面するであろう、まだ見ぬ問題に気を引き締めつつ城に向かう準備を始めた。



 何かが確実に動き始めている。昨夜地下道で得体の知れないヤツと対峙したからなのか。それとも倒すべき対象である国王の姿を目にしたからなのか。理由となる明確な原因は少しも思い付かない。

 それでもジュールはこの世界で何か途轍(とてつ)もない事がすでに始まっているんじゃないかと感じ、密かに胸を震わせていた。

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