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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第二幕 疼飢(うずき)の修羅
30/109

#29 春暁の怪事件(中)

 黒い制服を(まと)った隊士集団が現れると、彼らはリーゼ姫の盾となる様にその小柄な身を取り囲んだ。

 彼らはアダムズ軍の最高部隊【コルベット】。言わずと知れた国王直属の精鋭部隊だ。そしてその中にはもちろんテスラの姿も含まれている。彼らは姫の護衛を請け負う立場として、王子から姫を守ろうとしているのだろう。

 ただ隊長であるトウェイン将軍の姿が見えない。エクレイデス研究所での戦闘のダメージが回復しておらず、(いま)だ入院中なのだろうか。反りが合わない王子と将軍が顔を会わせなかったのは少しの幸運ではある。でもだからと言って安心はしていられないぞ。ジュールはひれ伏した状態で沈黙していたが、一触即発な危うい雰囲気に内心でハラハラしていた。

 辺りはすでに殺気立った雰囲気に包まれている。まるで戦場と見間違えるほどの異様な緊迫感だ。そしてそんな殺伐とした状況の中で、コルベット唯一の女性隊士が口を開く。彼女はトーマス王子に向かい、強い口調で王子に詰め寄った。

「王子! 姫様に何かご用でしょうか? いかに王子とて、姫様への無礼な態度は許しませんぞ!」

 本当に王子を切りつけてしまうんじゃないか。そう思ってしまうくらい女性隊士の凄味は強い。ただそんな女性隊士に向かい、王子は意外にも落ち着いた口ぶりで返答した。

「誤解してもらっては困るぞ。私は偶然通り掛かっただけで、姫とは他愛のない世間話をしていただけだ。それに姫の警護はそなた達に決まった事。今更それについてどうこう言うつもりはないよ」

 王子は(わず)かに呆れた様子を醸し出したが、それでも冷静で大人な対応をしたと言える。殺気立つコルベットと無駄な争いを避ける為の正しい判断だ。

 ただそんな王子の態度にジュールは少なからず驚きを見せる。王子の言動に嘘は無い。でもいつもの王子ならば、例え自分に非があろうとも簡単に場を収めようとはしないはずだ。むしろ陰湿な言葉で相手を挑発し、不愉快な気持ちにさせて楽しむはず。それなのに今日の王子はやけに大人だぞ。姫の前だからなのか? ジュールは予想外な王子の態度に泡を食う。ただ彼はそれとは逆に、少しだけ喜ばしさも感じていた。

「それなら良いのですが。見たところ、姫様が何やら王子に(まく)し立てられている様にも見受けられましたので」

 どうやらコルベットの隊士達も王子のいつもと違う態度に拍子抜けしている様子だ。だがもともと王子とは極力接触を避けたいと感じている彼らである。何もないならそれでいい。コルベットの隊士らは軽く頭を下げると、早々に姫を連れこの場を立ち去ろう歩き出した。――がしかし、

「ちょっと待てお前達。何事も無かったかの様に立ち去るなど無礼であろう。トーマス王子に詫びをして行け! そもそもお前らが間抜けな護衛をして姫を一人にしているから変な誤解を招くのだ。王子に非は一欠片(ひとかけら)もないのだぞ、さぁ謝れ!」

 王子に同伴していた王族の一人が罵声を上げる。いかに軍の最高部隊コルベットとはいえ、一介の兵士に詰め寄られたのだ。王族達の気持ちが穏やかでいられるはずがない。それに王子の取り巻きになる様な者達である。王子のいつもの陰険な口撃(こうげき)が聞きたくて仕方ないのだ。

「ほとんどの者が貴族出身らしいが、だからと言って所詮は軍人。野蛮極まりない者達だ。貴族でありながら、そなたらは人殺しを(あきな)いにしているのだろう。やはり我ら王族とは人種が異なる。リーゼ姫よ、我らと共に参りませんか? コルベットと共にいる方が、むしろ危険かも知れませんぞ」

 王族達は蔑むように薄笑いを浮かべている。王子がどうして大人の対応を取っているのか、王族達の頭にはそんな考えはこれっぽっちも無いのだろう。だから王族達は調子に乗ってコルベットを罵倒したのだ。ただそんな王族らに向かい、集団の一番後ろにいたテスラが口を開く。そして彼は悪態づく王族達に対して言い返した。

「何を根拠にそんな口が利けるんですか! 僕達はこの国の為に全力で命を捧げているんですよ! あなた達が今こうして平和に暮らしていられるのは、一体誰のお蔭だと思っているんですか!」

「なんだと貴様っ! 誰に向かって言っている!」

 王族の一人がテスラの胸ぐらを掴み拳を振り上げる。たかが軍人風情に言い返されたのだ。王族達のプライドが許すはずもない。ただそんないがみ合う二人に制止を促したのはトーマス王子だった。そして王子はまたしても意外な大人の行動を見せ場を収める。

「やめろ! こんな所で言い争って何になる! お前にも分かるだろう、テスラ。姫の前だ、自重しろ」

 ジュールは目を丸くする。一体王子にどんな心境の変化があったと言うのか。リーゼ姫の前だからって、こんなにも大人でいられるものなのか。ジュールの胸の内は信じられない気持ちで一杯になった。ただそれにしても侮辱的な王族の態度には腹が立つ。そのまま行かせれば何の問題もなかったはずなのに、どうしていらぬ事を言うんだ。血の気が多いのは軍人でないお前達の方なんじゃないのか。ジュールは心の底から怒りを感じ憤る。しかし自尊心の高い王族達の腹の虫は簡単に収まらない。彼らは集団でテスラに詰め寄ると、そのまま罵声を浴びせ掛けた。


「お前がアイザック総司令の息子か。子供みたいな顔してるくせに、英雄気取りとは誠に恐れ入る。天才剣士だとか持て(はや)されて偉くなったつもりか? 人を殺して勲章を(もら)う奴が良い気になるな!」

 王族の一人が皮肉を込めて悪態つく。ただそれに対してテスラも黙ってはいない。

「僕に何の勲章を下さるというのですか。それを上着に付けてあなた方王族の前で得意げに見せびらかせばいいと言うのですか? バカバカしい。そもそも天才だ何だと言い出したのはあなた方王族ですぞ! あなた達こそ都合良く僕の体を飾り立てるだけで、自分達が(あたか)も功績を収めたかのような言いっぷり。そもそも今日あなた方王族が不自由なく平和に暮らせているのは、僕を含めた多くの兵士たちが命を賭して国を守って来たことと、アダムズの頭脳である多くの科学者の研究と発明があったからだ。多くの軍人の体と科学者の頭、その産物が下地を与えたというのに王族は何をした! たとえ認められなくても、多くの兵士や科学者がこの国の為に生き、そして死んでいった。あなた達はそれを知ろうともせず、ましてや感謝の気持ちすらくれない。怠慢以外の何ものでもないんですよ。あなた方こそ良い気にならないでくれっ!」

「何だと貴様! ふざけた事を!」

 王族がテスラに掴みかかろうとする。王族達が怒り心頭しているのは明らかだ。テスラの発言が許せないのだろう。しかしテスラの方とてその表情は烈火と化している。このままでは深刻な事態になり兼ねない。ただその時、声を張り上げたのはまたしてもトーマス王子だった。

「お前らいい加減にしろ!」

 トーマス王子は怒りを露わにしてテスラに悪態つく王族に怒鳴った。ジュールを含むその場に居合わせた者達皆がゾッとする。王子の怒った姿など今まで見たことがない。そしてさすがの王族達もそんな王子の迫力に声を失った。

「もう終わりにしろ。こんな所で意味のない言い争いをして何の価値があると言うのだ。見苦しいにも程があるぞ。生産性のない無駄な時間を過ごした。まったくもって不愉快だ」

 王子が吐き出した言葉に皆は神妙な思いで萎縮(いしゅく)する。他人を小馬鹿にするのが得意な王子が見せた初めての怒り。そこに皆はこれまで感じた事のない強烈な怖さを感じ取っていたのだ。そしてそんな王子の厳しい発言に、リーゼ姫もまた身を(すく)めていた。兵士であるジュールやテスラまでもが肝を冷やしているくらいなのだ。姫が憔悴してしまうのは当然だろう。するとそんな姫の姿を気にしたのか、王子は強い眼差しを保ちつつも、口調だけは穏やかに彼女に対し庭園から去るよう述べた。

「リーゼ姫。あなた様の前で声を荒げてしまい、誠に申し訳ありません。いずれ今回のお詫びはさせていただきますので、本日の所は部屋にお戻り下さい」

「い、いえ。私が一人勝手に庭園に参ったのが悪いのです。私のせいで皆様にご迷惑をお掛けしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」

 リーゼ姫の大きな瞳が真っ赤に染まる。それでも彼女は必死に堪えていた。ここで涙を流してしまったら余計に空気が悪くなってしまう。姫はそう考えたのだろう。するとそんな姫の態度から察したのだろうか。銀髪のショートヘアが印象的なコルベットの女性隊士が進み出ると、王子に対して即座に謝罪した。

「事情も知らずに王子を責め立てるような発言をしてしまい、本当に申し訳ございませんでした。以後この様な事が無きよう徹底して参りますので、今回の所はご容赦(ようしゃ)願いますでしょうか」

 女性隊士の態度は堂々としたものに感じられるが、しかしその表情には明らかな怯えが見える。王子の威圧感に彼女は内心で冷や汗を掻いているのだろう。そしてそんな女性隊士の気持ちを良く理解した上で王子は頷きながら言った。

「よい。それよりもお前達の仕事は姫の警護なんだ、しっかり頼むぞ。それとテスラ」

 王子は女性隊士の謝罪を受け入れると、続けざまにテスラを見つめ言った。

「お前を天才だと言い出したのは私だ。その事でお前が気に病んでいたなら、この場で謝罪しよう。しかしこれだけは覚えていてくれ。お前を天才だと言ったのは決して揶揄(やゆ)や冷やかしではない。本心でそう思っているから言ったのだ。私の素直な気持ちとしてな」

「なら何をもって僕を天才だと言うんですか? 僕はただ、人より剣を多く振っていたに過ぎません」

「天才とは目に見える逸脱した成果にて図るものだ。そして成果とはその結果だけで図るものではなく、それに費やした努力と時間の統計で図るもの。お前が日々規格外な鍛錬に励んでいるのは周知の事実。重要なのはその過程において、一瞬の(ひらめ)きが神掛かっているところだ。お前のその異端とも言える独特な発想力が、天才としての片鱗を(うかが)わせる。成果に努力は至要(しよう)たるもの。しかし最初の閃きが良くなければ、いくら努力してもダメだ。ただ努力だけという者は、結果としてエネルギーを無駄にしているに過ぎない。大切なのは初めの閃きと費やした努力の融合。まさに天才とは1%の閃きと99%の努力なんだ、と私は常々見做している。それに当て嵌まるからこそ、私はお前を天才だと言ったのだ」

「お言葉ですが、天才とは99%の努力を無にする1%の閃きを創造する者なんじゃないのですか? 直観は知識や技術を超越する。そうなれば論理や計画的な努力は取るに足らないものになってしまう。僕にはそんなセンスは無いし、そもそも(さと)りを開くために日々剣を振っているのではありません。そう言った意味で、僕は自分自身を天才だなんて認められないし、そう呼ばれる事が不本意でならない」

 テスラは珍しく真っ直ぐな表情で王子の目を見つめた。何故こんなことを口走ってしまったのか。いつもの自分なら決してこんな事は言わないはずなのに――。

 頭ではそう理解しつつも、熱くなった心と体に支配されたテスラは、無抵抗に胸に秘めていた苦しみの叫びを(あらわ)にした。気にしてなどいなかったはず。それでも天才と呼ばれ続けられる現実が、知らぬ間にテスラの心に重圧として()し掛かっていたのだ。ただそんなテスラの真意を聞いた王子は改めて考えたのだろう。そして王子は一言返した。

「テスラよ。お前がどう思っていようが、やはり私がお前を天才だと思う事に変わりはない。しかしそれがお前にとって耐え難い苦痛と感じているならば、今後お前を天才と呼びはしない。どうだ、それでこの場を収めてはくれないか?」

 王子はそう言いながらじっと自分を見つめるテスラを見返した。本心は全て打ち明けた。後はテスラがどう判断するか。王子はそう思っているのだろう。そしてそんな王子に対し、テスラは何も言わなかった。彼はグッと奥歯を噛みしめている。嘘のない王子の想いが伝わって来ただけに、テスラにはこれ以上どうする事も出来なかったのだ。

「もう良い、話は終わりだ。コルベットの諸君らはリーゼ姫を部屋に送り届けろ。以上だ」

 王子の命令で圧迫感に包まれていた周囲の空気が一気に解放される。まるで止まっていた時間が一気に動き出したかの様だ。

 リーゼ姫を連れたコルベットの隊士達が立ち去って行く。その表情はどれもまだ緊張感で引きつったものだったが、僅かな安堵感が滲み出ていた。揉め事が大きくならずにホッとしたのだろう。そしてそんな彼らを見ていたジュールもまた、ホッと胸を撫で下ろしていた。ただ彼は集団の最後尾を(うつむ)きながら歩いて行くテスラから目が離せなかった。

 ジュールの背中に冷や汗が流れる。でもそれは王子が初めて露わにした怒りや厳しさに対して溢れ出したものではない。これはテスラが初めて見せた心の叫びとも言える脆弱(ぜいじゃく)な本心と、そこに波立つ抑え込んだ激情に対してのものだ。

 今日はなんだかおかしいぞ。王子が見せた大人な対応はもちろんだけど、テスラがあんなにも感情を表に出すなんて初めてだ。それにしてもテスラの奴、何をそんなにイラついているんだよ。

 ジュールは率直にそう感じると共に不安を覚える。やはり最近のテスラから感じる妙な違和感は気のせいなんかじゃない。彼はそう思い動揺したのだ。ただそんなジュールが向けた視線にテスラは気付きつつも、彼を一視せずに行き去ってしまった。もしかしたらテスラ自身も自らの気持ちの苛立ちを理解出来ていないのかも知れない。

 まるで台風でも過ぎ去ったかの様な静けさが庭園を覆う。どっと疲れた表情を浮かべたジュールは、無言のまま歩いていくテスラの後姿を見続けていた。――とその時、コルベットの集団の前を一匹の真っ白い大型犬が走り横切った。

「あ!」

 ジュールは思わず声を漏らす。言わずと知れた、それが姫の愛犬であるのは明白であり、すでにリーゼ姫は犬の後を追い駆け出していた。


 愛犬を追いかけるリーゼ姫に遅れをとるまいと、コルベットの隊士達も急いで駆け出す。そしてその姿を見ていたジュールもまた、反射的に彼らの後を追おうとした。ただそんな彼を王子が呼び止め制止させる。

「待てジュール! お前まで行くことはない。後の事はコルベットに任せるのだ。それよりもお前に言っておきたい事がある」

「え、王子から俺に……ですか?」

 今日の王子はどうしたんだと、ジュールはまたしても驚いた。ジュールは今まで王子と直接会話をした経験がない。それどころか名前すら呼ばれた記憶もないのだ。王子にしてみればトランザムの隊士など召使(めしつかい)同然の対象であり、隊長のドルトン以外の者の名前など、まったくもって眼中にないのだから当然だ。それなのに思いも寄らず名前を呼ばれ、また直接話しまであるという。ジュールは驚くと同時に何を言われるのかと、戦々恐々とし手に汗を握った。

「ハハハッ、そう硬くなるな。別にお前を(とが)めるわけじゃない。むしろその逆なんだ。お前には礼が言いたかったんだよ」

「お、俺に、礼? ですか」

 ジュールは冷やかされているのではないかと更に身構える。しかしそんな彼に向けトーマス王子は、微笑みながら穏やかに語り掛けた。

「お前には先日のリーゼ姫の警護を決める件で世話になったな。テスラの殺気走る覇気から、その身を盾にして私を守ってくれた。感謝するぞ、ジュール」

「そ、そんな。理由は何であれ、王子を守るのはトランザムの仕事です。それしきの事で感謝の気持ちを口にするなど、王子らしくありませんよ」

「ハハッ、私らしくないか。まぁそうであろうな。私自身とて、不思議な気がしているよ。お前の言う通り、以前の私ならこれしきの事では決して礼などする気にはならなかっただろう。それどころか気にも留めなかったはずだ。それなのにどうしてかな。あの日以来、私は他者に対して(いだ)く感情の形が変化したように思えるんだよ。それは愛しい姫の前だからではなく、命を盾にしてくれたお前の前だからでもない。ただ目の前にいる者達の価値を無意識のうちに見定(みさだ)めている。そんな感じかな」

「人の価値……ですか?」

「そうだ。人には成功者と失敗者がいる。もちろん成功者に価値があるのは誰にでも分かる。しかしな、誰がこの先成功者と成りえるか、それは未来でも(のぞ)かない限り誰にも分からない。ただ分かる事があるとすれば、人生における失敗者の多くは、諦めた時にどれだけ成功に近づいていたかに気づかなかった者達なんだ。逆に成功者というのは、思い通りに行かないのはある意味当たり前だという前提を持って物事に挑戦している。たとえ失敗したとして、悔やまずにそれを(かて)にして先に進めば良いんだとな。言葉で表すほどそれは容易な事ではないが、私はその重要性を身を持って知れた。あの日、鉄球を破壊するゲームで私は生まれて初めて失敗したんだ。完全な敗北だったな、あれは。凄く悔しかったよ。でもそこから学んだんだ。失敗した要因は何か。どこに問題があったのか。どう対策を打てば今後同じ過ちは犯さないか。失敗や敗北を経験して、私は初めて自分自身を分析出来た。それは私にとって大きな前進だった。私は経済を重んじている。その基本は実用性こそ全てだということ。失敗や敗北を逆恨みし、相手を憎んだところで何の利益も生まれはしない」

 王子の熱弁にジュールは唖然とし、横にいるヘルムホルツの顔を見る。彼は王子の変化について漠然と理解したものの、話が難しく着いて行けないのだろう。するとそんなジュールに王子は苦笑いを浮かべながら続けた。

「フフッ。いや、済まない。少し話しが飛躍し過ぎたかな。自分の世界に入るとつい饒舌になり過ぎてしまう。この悪い癖もまた、改善の余地があるな。まぁ簡単に言ってしまえば、私はこれまで以上に人を見て話すという事だ。それも自分にとって価値があると判断した者とのみ話す。それ以外は時間の無駄というわけだ。分かってもらえたかな?」

「はぁ、なんとなくですが分かった気がします。でもそれって以前よりも、場合によっては性質(たち)が悪いかと思いますが」

「アッハハハ。やっぱりお前は正直な奴だな、ジュール。益々気に入ったぞ。確かに私の本質は何も変わっていないのかも知れないな。でもだからと言って、私は決して失望などしない。それこそ我が人生の本望なのだからね」

 真っ直ぐにジュールを見つめる王子の強い視線。その眼差しからは王子の成長が嫌というほど感じ取れる。ジュールはそんな王子の姿に頼もしさを感じずにはいられなかった。ただそれ以上に今後も振り回されるのではないかと危惧もしていたが。するとそんな彼の胸の内を見透かす様に、王子が声を張り上げる。

「そうだジュール。トランザムは皆入院中だからお前暇だろ。ちょうど良い、一つ仕事を頼むとしようか」

 早速来たか――。ジュールは生唾を飲み込み身構える。面倒な仕事はこりごりだけど、こうなってしまったら断るわけにはいかないのだ。腹を括るしかない。ジュールは落胆を表情に出さぬ様にしながら王子の依頼を待ち受ける。だがしかし、トーマス王子が口にしたのは、良い意味で彼の予想を裏切るものだった。

「私は二日後に他国との貿易協定決議をするため、商業都市【グリーヴス】に向かう。だからお前、私の警護役としてそこに付き合え」

「えっ!」

 ジュールは思わず声を上げた。願わくもなくグリーヴスに行ける。ならばそこにいるシュレーディンガーにも会えるのではないか。短時間にジュールの想像は膨らんでいく。

「嫌か?」

「と、とんでもございません。王子のご命令でしたら、何処まででもご一緒いたします!」

 思い掛けなく舞い込んだチャンスに、ジュールは嬉しさで飛び跳ねたい気持ちになった。それでも彼は湧き上がる感情を無理やり押さえ込んで王子を見つめる。するとそれを確認した王子は頷きながら言った。

「ならば後で詳細は連絡する。それまで体を休めて置けよ。まだ病み上がりなのだろ」

 そう言った王子は満面の笑みを浮かべると、意気揚々としながらその場を後にした。王子に付き従う王族達の突き刺さるような視線がジュールに向けられる。だが彼はそんな些細(ささい)な事には気を留めず、すでに気持ちは先に向けられていた。

「悪いな、ヘルムホルツ。俺の方が少し先にグリーヴスに行けそうだぜ。土産(みやげ)買って来るからよ、楽しみにしていてくれよな」

 勝ち誇るジュールにヘルムホルツは憮然とする。お前が行ったところで何が出来るんだ。科学の事なんかまるで分からないくせに。ヘルムホルツの冷たい視線がジュールに注がれる。でもそれはジュール自身も良く理解している事だ。彼はヘルムホルツの肩を軽く叩きながら言った。

「冗談だって。分かってるよ。お前も同行出来ないか頼んでみるからさ、怒らないでくれよな」

「チッ。俺はそう言う冗談は嫌いなんだよ」

 ヘルムホルツが不機嫌に言い返す。ただその表情は少し嬉しそうにも感じられた。経緯はどうであれ、やはり彼も予想外に目的の地であるグリーヴスに行けそうになった事が嬉しいだろう。ジュールとヘルムホルツは小さくガッツポーズを取って握手を交わす。だがそんな彼らの前に、血相を変えたガウスが急いで駆け戻って来た。


「ハァハァ、ジュールさん。まだ居てくれて良かったぜ。ちょっと見てもらいたいものがあるから顔貸してくれませんか? ハァハァ――」

 息を切らせながら駆け付けたガウスがジュールに協力を求める。

「何があったんだよ、そんなに息切らせて?」

「ジュールさんに確認してもらいたい物を見つけちまったんですよ。まず間違いないと思うけど、あんたに見てもらうのが一番だと感じたから」

 そう言いながらガウスはヘルムホルツを見る。そしてすぐに視線をジュールに戻した。

「他の警備隊士じゃなくて俺に確認させたいって事か? さっぱり分からないけど、まぁ行けば分かるか。悪いな、ヘルムホルツ。急用が出来たから俺は行くよ。さっきの件はまた後で連絡するから待っててくれ」

 ジュールは早口でそう言うと、ガウスと共に駆け出そうとする。しかしヘルムホルツはそんなジュールの肩を掴み取ると、無理やり引き止めながら言った。

「何だよ、二人だけで仲良くってのも寂しいじゃないか。俺も暇だから付き合うぜ」

「ちょ、離せよヘルムホルツ。大事な事なんだ。構わないでくれ!」

 ジュールは身をよじって抵抗するも、ヘルムホルツは掴んだ肩を離さない。見た目通りのバカ力だ。掴まれた肩はどうにも(ほど)けない。困惑した表情でジュールはガウスを見る。すると彼も困った顔をしたが、(あきら)めた様にしてジュールに向かい(うなず)いた。

「仕方ないな、ヘルムホルツ。ついて来るのは良いけど、邪魔だけはするなよ。それとガウスの事は知ってるよな。お互いよろしく頼むぜ」

 ジュールはヘルムホルツの大きな背中を叩く。するとヘルムホルツは咳き込みながら彼の肩を離した。そしてヘルムホルツはガウスに対して軽く頭を下げる。親しい関係ではないが、お互い顔見知りであるだけに余計な挨拶は要らないと判断したのだろう。そんなヘルムホルツに対してガウスは軽く溜息を漏らす。ただ彼は思ったよりも急いでいるのか、返事もろくにせずにこっちだと言って駆け出した。

 距離にして百メートルも離れていない場所に着く。そこは腰の高さ程の生垣(いけがき)に囲まれた花壇だった。

 少し離れた場所に周辺を調査する他の警備隊士の姿が見えるが、ジュール達のすぐ近くには誰もいない。それを確認したガウスは声を出さずに(かが)み込むと、一部が押し倒されたように変形している生垣を()き分けた。そしてガウスはジュール達に視線で告げる。一体何があるんだ? ジュールとヘルムホルツはそう思いつつも、彼が指示した場所をそっと(のぞ)き込んだ。すると、

「!」

 ジュールは思わず漏れそうになった声を無理やり飲み込む。そこに刻まれたものにジュールは驚きを隠せなかったのだ。そしてガウスは吃驚(きっきょう)するジュールの目を見て無言で頷く。ジュールがどうして驚いたのか、彼はそれを正しく察したのだろう。ただそんな二人に対してヘルムホルツは周囲を気に掛けながら小声で問い掛けた。

「何だよこれ。何かの足跡か?」

 ジュールの(ひたい)から溢れ出た汗が流れ落ちる。見間違うはずがない。そう、ガウスの示したそこには、紛れもない【ヤツの足跡】がくっきりと(かたど)っていたのだった。



「なんだか今日のあなた、輝いて見えるわね。何か良い事でもあったの、アメリア?」

 花屋の女性店長が、店先で商品の花に水やりをするアメリアを(まぶ)しそうに見つめて一言声掛ける。ただアメリアはそれを(ほお)を赤くして打ち消していた。

「別に何もないですよ、店長。冷やかしならやめて下さい」

 アメリアは否定の言葉を返すが、その顔は自然な笑顔で満ち溢れている。今日の彼女が一段と綺麗に見えるのは確かなのだ。心の底から誰かを愛し、そして愛される女性とはこういうものなのだろう。すると今度は同僚の女性店員が彼女に向かい冗談交じりに声を掛けた。

「彼と昨晩燃え上がったんでしょ。最近元気ないって彼の事心配してたけど、その感じならもう大丈夫ね」

「な、なに言ってるのよ。別に私はそんな」

「いいじゃない、もうすぐ結婚するんだし。健全な事でしょ。私はただ(うらや)ましいだけよ」

 顔を真っ赤に染め上げ恥じらうアメリア。その姿もまた、幸せ感溢れる(ほが)らかさを周囲に感じさせる。ただそんな彼女に向かい、店長は微笑みながらも少しだけ厳しい口調で告げた。

「あなたなら丈夫な赤ちゃん産めるわよ。あの彼との子なら、ルックスも期待出来そうだしね。でもね、アメリア。ここ何日か急にあなたお店休んだから、人手が足りなくて大変だったのよ」

「ごめんなさい店長。迷惑かけた分、頑張って働きます」

 そう言ってアメリアは深く頭を下げる。本当に申し訳なく感じているのだろう。だがそんな彼女に対し、店長は店の隅に山積みになった段ボールを指さしニッコリと笑みを浮かべた。

「か、かしこまりました」

 納品の花を梱包していた段ボールが山の様に高く積み上がっている。店長はそれを片づけるよう無言で指示したのだ。アメリアは少し悄気(しょげ)ながらも、腕捲(うでまく)りをして段ボールの(たば)(かつ)ぎ始める。迷惑掛けたのは私なんだ。頑張ってやるしかない。

 アメリアは店の正面入り口を出てから脇道を通り、裏手にあるゴミ置き場へと段ボールを運ぶ。女性ばかりの職場であるゆえ、力仕事は最も敬遠される役目だ。ただそれでもアメリアは鼻歌混じりに作業を続けた。いつもなら泣き言の一つでも出てくるところだが、なぜだか今日はそんな辛い仕事すら心地良くて仕方ない。そんな感じなのだろう。

 数回往復し、アメリアはようやく最後の段ボールを運び終える。深く息を吐き出し、(ひたい)に薄らと(にじ)んだ汗を拭う。彼女はちょっとした達成感に(ひた)り、満足げに空を見上げた。

 ここ数日間の気持ちの落ち込みは何だったのだろうか。そう思ってしまうくらい今は気持ちがいい。やっぱりこれもジュールと仲直り出来たからなのかな。自然と笑みが零れて来る。ヤバいヤバい。こんなの誰かに見られたら、またからかわれちゃうよ。アメリアは表情を無理やり引き締め直して店内に戻ろうとする。でもその時だった。隣の店影に何かが動くのが見えた彼女は足を止める。

「野良猫かな?」

 そう呟いたアメリアは何気なく影が動いた場所に足を運ぶ。だがそこで彼女は一瞬立ち(すく)んだ。

「!」

 そこにはなんと、全身がずぶ濡れなった十代後半と思しき少女が震えながら(うずくま)っていた。

 明らかに普通じゃない。アメリアは小さく身を屈める少女の姿に危惧を抱く。しかし放って置くわけにもいかず、彼女はなるべく平素にしながら少女に声を掛けた。

「どうしたの、大丈夫?」

 日蔭った場所だけに少しだけ薄気味悪い。だけど今は真っ昼間。お化けが出るには早過ぎる。それにどう見たって目の前にいる女の子は人間だ。大丈夫、怖くない。アメリアはそう自分に言い聞かせながら、少女にもう一歩だけ近づき声を掛けた。

「びしょ濡れだけど何があったの? 早く着替えないと風邪引いちゃうよ」

 その声にハッとした少女は顔を持ち上げる。それまでアメリアの存在に気付いていなかった様子だ。ただアメリアを見た少女の表情がみるみると青白く変わっていくのが分かる。何かに(おび)えているのは疑い様がない。

 まずは少女を落ち着かせよう。そう思ったアメリアはゆっくり少女に手を差し伸べる。そして彼女は優しく微笑みながら語り掛けた。

「安心して。私はそこの花屋の店員よ。私と一緒にお店に入ろっか。何があったか知らないけど、早く体を温めないと風邪引いちゃうよ。ね、行こ。私はただ、あなたが心配なだけだから」

「こ、来ないで。私に近寄らないで……」

 アメリアの言葉に少女は反発するも、その言葉には力が無い。明らかに疲弊(ひへい)している状態だ。このままじゃ、冗談抜きで深刻な状況にもなり兼ねない。そう考えたアメリアは、少女に向かい少し強めに言った。

「ダメよ。あなたの姿、どう見ても普通じゃない。どこか怪我はないの? 私のお店に来て」

 アメリアは柔和(にゅうわ)な眼差しで少女を見つめ手を差し出す。しかし少女は後退(あとずさ)りしながら首を横に振るばかりだ。まったく聞く耳を持ってくれない。それどころか少女は壁に寄りかかりながら弱々しく立ち上がった。

「無理しちゃダメだよ。私を信じてお店に来て。せめてその濡れた服だけでも乾かして。ね、お願いだから」

「私に関わらないでって言ってるでしょ!」

 そう叫んだ少女は駆け出そうとする。しかし足がもつれて上手く走れない。体力が弱っているのは一目瞭然だ。そしてアメリアはそんな少女の体を反射的に()(かか)えた。


 少女の体は尋常でないほど冷えきっていた。その冷たさにアメリアは酷く動揺する。このままじゃ大変な事になってしまう。そう感じた彼女は少女の体を少しでも温めようと優しく抱きしめた。

 少女は身を(よじ)って抵抗する。しかし体力が底を尽き掛けた少女にはそれが限界だった。次第に少女の抵抗が影を潜めて行く。そしてアメリアの温もりを直接感じ取ったからなのだろうか、少女の体の震えは急速に収まっていった。

 少女はまるで眠ってしまったかの様に、ぐったりと全体重をアメリアに(あず)けて動かなくなる。疲れ切った体が限界を迎えたのだろうか。だが次の瞬間、少女は目を大きく開くと、アメリアの体を突き放して立ち上がった。

「痛った~い」

 アメリアは尻餅を着いた姿勢で嘆く。不意に突き飛ばされ、上手く受け身が取れなかったのだ。だが少女の方はと言うと、そんなアメリアにではなく、自分自身の体を不思議そうに見ていた。ただ少しして少女はアメリアに向き直る。そして少女はアメリアに対し小さな声で(つぶや)いた。

「お姉さん、私に何かした?」

「え、なに?」

「――ううん、なんでもない。それよりごめんなさい。お姉さんは私を心配してくれていたのに、痛い思いをさせちゃった。本当にごめんなさい」

 少女は(うつむ)きながら弱々しく告げる。悪気はもちろんなかったが、それでもアメリアを突き飛ばしてしまった行為を悔んでいるのだろう。ただ何を考えたのか、少女はポケットの中に手を差し込むと、そこから【小さな物体】を取出す。そして少女は何かを決意する様に一人頷くと、まだ尻餅をついているアメリアに近づいてその手を差し出した。

「お願い。これをアダムズ軍の総司令のアイザックっていう人に渡してほしいの。渡せば分かるはずだから」

 そう言った少女はアメリアの手にそれを強引に握らせる。

「え、な、なに? これは何なの? それにアダムズ軍の総司令って」

「初めて会った人に突然こんな事言うのっておかしいと思うけど、お姉さんなら不思議と信頼出来る気がする。ごめんなさい、時間が無いの。お願いだからこれを総司令に渡して」

「ちょ、ちょっと待ってよ。何がなんだか意味分かんないよ」

「お願い! もうお姉さんにしか頼れないの!」

「わ、分かった。分かったよ。どうにか渡せるよう頑張ってみる。だけどアダムズ軍の総司令なんて、そんな偉い人に直接渡せるかどうか分かんないよ?」

 少女の真剣な訴えにアメリアはつい押し切られてしまう。少女が放つ尋常でない焦燥感に煽られてしまったのかも知れない。しかし戸惑うアメリアを差し置いて、少女は落ち着いた口調で言った。

「親切にしてくれたのに、逆に迷惑かけてごめんなさい。それと、私に会ったって事も誰にも言わないで」

 少女はそう早口で言うと、急かされる様にして駆け出す。そして少女は風のように裏路地を駆けて行ってしまった。

 先程まで立つ事すらままならない状態だったはず。それなのに少女はあっという間に見えなくなってしまった。アメリアはうまく飲み込めない状況に(なか)茫然(ぼうぜん)としている。変な夢でも見ていたのか。そう思ってしまうのも無理はない出来事だった。ただ彼女の手には、少女から渡された小さくて細長い四角形の物体が握られている。アメリアはまだ少し動揺していたが、現実に手にするそれを指先で(つま)み直してよく見てみた。

「これって、メモリーカードだよね?」

 釈然としないアメリアだったが、メモリーカードらしきそれを胸のポケットにしまう。そして店に戻るため脇道に向かった。

 面倒な事にならなきゃいいけど。彼女はそう思うも、今は仕事中なんだと気持ちを切り替える。でもその時、脇道の反対側から黒いスーツを着た男が歩いて来た。

 左のこめかみから(ほお)にかけて、ザックリと切り裂いた傷跡が生々しい。そんな黒スーツの男の見た目の印象は恐ろしく悪く、絶対に一般社会の人ではないのだろうと分かる。だからアメリアは足早にその男とすれ違い店に戻ろうとした。だがすれ違う瞬間、男がアメリアに声を掛けた。

「おい、女。ちょっと聞きたいんだが、この辺で十代後半の娘を見なかったか? 小柄だからもう少し幼く見えたかもし知れないが。どうだ?」

 男の態度はあから様に高圧的だ。アメリアは不快感を覚え気持ちが悪くなる。だから彼女は早くその場を立ち去ろうと、軽く受け流しながら簡素に答えた。

「店の裏にいた野良猫しか見てないけど。気になるなら自分で見てみれば」

「本当か?」

「あなたに嘘をつく必要なんか無いでしょ? 仕事中なので、失礼します」

 そう吐き捨てたアメリアを傷顔の男は不敵な笑みを浮かべて見つめる。何なの、この男。気持ち悪いんだけど。アメリアは男の(まと)わり付く様な不快な眼差しに極度の嫌悪感を覚え吐き気を催す。するとそんな彼女の態度が面白かったのか、傷顔の男は軽く微笑しながら店の裏に消えて行った。

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