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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第一幕 夜余威(やよい)の修羅
22/109

#21 雪の果の涙

 ハイゼンベルクの背中が徐々に遠ざかって行く。愛する家族に会おうとする彼の強い想いが、ボロボロの体を動かしているのだろう。切り落とされた腕を抑えながらも、ハイゼンベルクは懸命に足を動かし羅城門の出口へと向かう。――だがその時だった。

「キンッ」

 甲高(かんだか)い鉄の鳴る音が響く。一体何の音だ。爆弾の衝撃で破壊された羅城門のどこかに異常が発生したのだろうか。そう思ったジュールは周囲の状況に気を配った。ただそんな彼の目に映ったのは、(くず)れるように倒れ込むハイゼンベルクの姿だった。

 それはスローモーションの様に感じられた。ハイゼンベルクの体はゆっくりと前のめりに倒れていく。そしてその巨体は(かす)かな振動だけを残して倒れ込み、動かなくなった。

 停電で薄暗(うすぐら)い城内は見通しが利かない。その為ジュールにはハイゼンベルクの身に何が起きたのかまったく分からなかった。だがそれでも彼は尋常でない嫌悪感を感じ背中を粟立たせる。そしてジュールは反射的に死の鏡を左腕で抱きかかえると、右手で十拳封神剣(とつかふうじんけん)である伊都之尾羽張(いつのおはばり)を握りしめた。

 ジュールは必死に目を()らす。何か良くない事が起きたに違いない。彼はそう警戒感を強めて視界に集中した。ただそんな彼の足元に、ゴロゴロと何かが転がって来る。なんだろう? ジュールはそう考えようとするが、しかしそれよりも早く彼の心は凍りついた。

「!」

 ジュールは愕然とした。なんと彼の足元に転がって来たのは、切り落とされた羊顔のハイゼンベルクの頭部だったのだ。

 ジュールが見つめた先で、切断されたその頭部はみるみると人のそれへと|変わっていく。死闘を繰り広げながらも、ようやくお互いの気持ちを分かり合えたはず。それなのにジュールの前で、ハイゼンベルクは無残な肉の塊となっていた。もう緑色の瞳に光は無い。

「そ、そんな……」

 あまりにも唐突な出来事にジュールは呆然とするしかない。だがそれでも彼は暗闇の中に何者かの気配を感じ取る。そして次にジュールはそこに立つ一つの人影を見つけ出した。

「ど、どうしてお前がここに――」

 ジュールが見つけた人影の正体。それは蛇之麁正(おろちのあらまさ)(たずさ)えた【テスラ】であった。

 予想外の人物であるテスラの出現にジュールは(ひど)く戸惑う。それでも彼は切り落とされ絶命したハイゼンベルクの首を見て現実を直視した。

「テ、テスラ! お前、何て事してくれてんだっ!」

 ジュールは怒鳴り声を上げる。羊顔のヤツであるハイゼンベルクは敵じゃない。殺す必要なんてどこにも無いんだ。ジュールはそう思ったからこそ、怒りを噴出させたのだ。ただそんな怒りを剥き出しにする彼に向かい、テスラは落ち着いた口調で言った。

「ジュール、君こそ何をしているんだい。まさか化け物と友達になったなんて言わないよね? 僕はただ、上層階に向かう途中で話し声が聞こえたから、ここに足を運んだだけだよ。でもそこで走り去ろうとするヤツを見つけた。ヤツは人間の敵であり、そのヤツを殺すのが僕の仕事だからね。僕は命令通りに任務を遂行したんだよ。それのどこかに問題があるっていうのかい?」

「ヤツはただ、故郷に残した家族に会いに行こうとしていただけだ。それにヤツには目的があり、その目的を果たす為に行動を起こしていた。その目的を知ろうともしないで、一方的に殺してしまうなんておかしいだろっ! いくら見た目があんな姿だからと言って、元は――」

 そこまで言ってジュールは言葉を止めた。彼はハッとしたのだ。テスラはコルベットの一員である。全てを知っていての行動かも知れないのだと。ジュールは言葉に詰まり何も言えない。するとそんな彼にテスラは冷やかな視線を浴びる。そして臆する事なくこう言い放った。

「たとえ元が【人間】だとしても、ヤツが脅威の存在なのは確かなんだし、事実としてヤツは人の命を奪っている。ヤツが敵であるのに間違いはないんだよ。ねぇジュール。君がヤツに何を言われたか知らないけど、まさかヤツの言うことを信じたわけじゃないよね? 化け物の言う事になんかに、何の根拠(こんきょ)があるって言うのさ。ヤツをかばう余地なんて、どこにも無いはずでしょ。ジュール、君は一体何を考えているんだい? 僕の方こそ、君の考えが分からないよ」

 テスラはそう平然と言い切った。それに対してジュールは言葉を失ったままである。言い返したい事は山の様にあるはずなのに、それが口から出てくれないのだ。するとテスラはそんな言葉に窮するジュールに向かい、追い打ちを掛ける様に続けたのだった。

「まったく呆れたものだね、君は。ヤツのいい加減な妄言なんかを信じてしまうんだからさ。それに君はグラム博士の養子でありながらも、博士の事を何も知らないんだね。ならそんな君に僕から一つ、博士について教えてあげるよ。ジュール。君は今、博士が何処にいるか知っているのかい?」

「なんだと!? じゃぁお前は博士の居所(いどころ)を知ってるのかよ。言いたい事があるなら早く言えテスラ!」

「もちろん知っているよ。ううん、【知っていた】というべきかな」

「何が言いたいんだお前は! もったいぶらずに言ってみろっ!」

「なら教えてあげるよ。博士はもう、この世にはいない。そう、僕たちコルベットの手に掛かって、すでに博士は【死んで】いるんだよ!」

「な、なにをバカな事を言ってんだテスラ! こんな時に冗談はよせ!」

 ジュールは怒りの表情を剥き出しにして激しく捲し立てる。だがそれに対してテスラは平然とした口調で冷たく言い放った。

「こんな時に冗談なんか言うわけないでしょ。それにさっきのヤツに聞かなかったのかい? グラム博士はアルベルト国王暗殺を(くわだ)てた、テロリストの首謀者(しゅぼうしゃ)なんだ。そう、君の養父は人の(かわ)(かぶ)った悪鬼の化身なんだよ!」

「もう一度言ってみろテスラ。博士が何をしたってんだ。あぁ! もう一度言ってみろ!」

 ジュールが(にぎ)伊都之尾羽張(いつのおはばり)から激しい光が放出される。彼の怒りの感情に刀が反応したのだ。だがその輝きを無視してテスラは言った。

「君が聞きたいって言うんなら、何回だって言ってあげるよ。ジュール、君の養父であるグラム博士は死んだんだ! 僕達が殺したんだ! 僕らコルベットは国を守った英雄なんだ!」

「黙れテスラっ!」

 ジュールは抱えていた死の鏡を投げ捨てる。そして凄まじい輝きを放つ伊都之尾羽張(いつのおはばり)を握り締め、テスラに向かい駆け出した。

 だがそんな彼を正面から向かい打つべく、テスラが電磁波を帯びた蛇之麁正(おろちのあらまさ)を正眼に構える。怒りを全面に噴出させるジュールとはまったくの正反対に、テスラの構えは落ち着いたものだ。

 逆上するジュールは重傷の体に構うことなく、人の常識を超えたスピードでテスラに迫る。そしてジュールは渾身の力で伊都之尾羽張をテスラに向け叩き付けた。完全にブチ切れた彼の目にテスラの冷静な構えなど映らない。

 狂暴な一撃がテスラに撃ち込まれる。しかしテスラはその一撃を冷静に見極め、逆に嵐を(まと)った蛇之麁正のカウンターを振り抜いた。

「ビィギィァーーン!」

 二つの十拳封神剣(とつかふうじんけん)がぶつかり合い、猛烈な爆音が響き渡る。封神剣同士のぶつかり合いなど、誰が想像出来たであろうか。そこから生み出された強烈な衝撃波の威力は凄まじく、またそれは羅城門内部に広く波及した。そしてその衝撃に飲み込まれたジュールの体は勢いよく吹き飛び、羅城門(らじょうもん)の側壁に激突した。

「グッ――」

 ジュールの全身にハンパ無い激痛が伝わる。体がバラバラに引き裂かれたと錯覚するほどの痛みだ。それでも彼は奥歯を食いしばり即座(そくざ)に立ち上がった。

 テスラがこの一撃で攻撃を止めるわけがない。ジュールは直感でそう感じた。でもそれ以上に彼は湧き上がる獰猛な怒りを吐き出さずにはいられなかったのだ。

 ジュールは憎悪の感情を最大限にまで高めてテスラを睨み付ける。だがその視線の先にあったのは、嵐を纏う蛇之麁正を居合(いあい)に構えるテスラの姿だった。

 この一撃はヤバい一撃だ。ジュールの勘が危険信号を打ち鳴らす。しかし今の彼には猛然と駆け出した自分の足を止められなかった。沸き立つ怒りと憎しみを吐き出さずにはいられなかったのだ。

 凄まじいスピードでジュールはテスラに詰め寄る。だがそんな彼に向かい、テスラは狙いを定めて(さや)から蛇之麁正を引き抜いた。

「グオォォーン!」

 蛇之麁正から凄まじい(うな)りが上がる。そして同時にその斬撃は、(くう)を切り裂きジュールを捕らえた。

「バギィィーン!」

 ジュールは音速で放たれたテスラの斬撃を咄嗟に伊都之尾羽張でガードし受け止める。数々の死線を掻い潜って来た彼の本能が反射的に働いたのだ。だがテスラが発した斬撃の威力は凄まじく、ジュールの体はまたしても吹き飛ばされた。

「ボガン!」

 ジュールの体は押し戻され、再び羅城門の側壁に激突する。しかし今度の一撃はそれでも収まらず、彼の体ごと壁を突き破った。

「ガキッ」

 ジュールは無理な体勢でありながらも、伊都之尾羽張を羅城門の外壁に突き刺す。ここはビルの5階相当の高さの場所なのだ。転落すれば、さすがの彼でも只では済まない。

 ゾッとしたジュールは幾分落ち着きを取り戻す。冷たい雨に打ち付けられた事で、煮え(たぎ)っていた心と体が少しだけ冷やされたのだろう。ジュールは必死で城内に戻ろうと足掻(あが)く。だがここにきて体が思うように動いてくれない。これまでに蓄積された激闘の疲労が噴出したのだ。

「くそっ」

 ジュールは悔しさを露わに唇を噛みしめる。なんと彼が見上げたそこには、刀を逆手(さかて)に構えたテスラの姿があったのだ。

「血が繋がっていなくても、博士に育てられた君はやっぱり【鬼の子】なんだね。残念だよ、ジュール。君とは友達になれると思っていたのに――」

 そう言ったテスラはジュールに刀を突き刺そうと蛇之麁正を振り上げる。だがそれと同時に落雷の轟音が大きく響いた。

「ズガガーーン!」

 その音にジュールは思わず目をつむった。いや、テスラの一撃に体が竦み上がったのだ。

 間違いなく()られる。ジュールはそう覚悟していた。しかしどういう事だ? 刀を振り上げたはずのテスラから(とど)めの一撃が発せられない。

 ジュールは強張らせた表情のまま目を開ける。するとそこに見えたのは、蛇之麁正を振り上げたままのテスラの姿だった。

 どういう事だ? ジュールは戸惑う。だが次の瞬間、彼は背後に異質な気配を感じて振り返った。


「ズガガガーーン!」

 またも熾烈な落雷が落ちる。ただその稲光によって浮かび上がったのは、全身を炎で包んだ巨大な【銀の鷲】の姿だった。

 傷ついた翼を大きく広げ、銀の鷲は空中に留まっていた。それは飛んでいるというよりも浮かんでいると表現した方が近いであろう。そして銀の鷲はその真っ赤な瞳でテスラを睨み付けていた。

 テスラは振り上げた刀を振り降ろさなかったのではない。振り下ろせなかったのだ。さすがの彼も、本物の獣神を前にして怯んだのだろう。

 銀の鷲にきつく睨まれたテスラは動けない。そしてその足元ではジュールが伊都之尾羽張(いつのおはばり)にしがみ付きながら振り返り、銀の鷲を見上げていた。

「お、お前が、ラヴォアジエ……なのか……」

 ジュールは銀の鷲の姿を見て(つぶや)く。そして彼はラヴォアジエの瞳が放つ強い力に惹き込まれた。

 ラヴォアジエの体は目を背けたくなるほどボロボロだ。激しい戦闘を潜り抜けて来たのだろう。でも燃え上がる翼からは、湧き上がる生命力が感じられる。熱い炎が、まるで魂を(たぎ)らせるかの様だ。そしてそんなラヴォアジエの姿にジュールは呼吸を忘れるほど見入っていた。

 ラヴォアジエは刀を振り上げたままのテスラをじっと睨んでいる。その足元にいるジュールになど目もくれずに。ただその時、しびれを切らせて動いたのはテスラだった。

 テスラは自身に向けられた尋常でない殺気に尻込み、無意識に一歩後方に飛ぶ。だがそんな彼の動きに連動してラヴォアジエは口ばしを大きく開く。そしてそこから矢の様な火の玉をテスラに向け吐き出した。

「ボン!」

 猛烈なスピードで発射された火の玉がテスラに向かって一直線に飛ぶ。だがそこは剣の天才テスラである。彼は蛇之麁正(おろちのあらまさ)でその火の玉を真っ二つに切り捨て身を守った。

「ボガァーン!」

 切り捨てられた火の玉が羅城門の壁に当たり爆音を轟かせる。さすがは天賦の才を持つテスラだ。この様な神業、彼以外では誰一人として出来ないだろう。しかしテスラは表情を(ゆが)めた。彼は痛めていた右手首に尋常でない激痛を感じたのだ。

 テスラの顔色がみるみると青ざめていく。このままではマズイぞ。彼は胸の内でそう思う。だがそんな彼の悪い予想通りにラヴォアジエは口を開いた。

「ボボン!」

 ラヴォアジエが再び火の玉を発射する。それも2発連続でテスラに浴びせ掛けた。

 1発目の火の玉をテスラはまたも神掛かった剣技で切り捨てる。しかし彼の手首はそこで限界を迎えた。もう自由に剣を振るう事は出来ない。

 テスラは2発目の火の玉を蛇之麁正(おろちのあらまさ)でガードする。火の玉が直撃するのを防ぐので精一杯だ。そして案の定、彼の体は火の玉の衝撃に耐えられず吹き飛んだ。

「ケハッ」

 テスラは右手首を抑えながら(うずくま)る。激痛で視界が霞む程だ。それに火の玉の衝撃で脳震盪も起こしているのだろう。足元に力が入らない。

 ただそれでもテスラは手放してしまった蛇之麁正を必死に探す。銀の鷲は容赦などしない。次の瞬間には再度火の玉を発射するだろう。

 刀さえあれば致命傷は避けられる。そう考えたテスラは懸命に蛇之麁正の所在を探った。だがそこで彼は愕然とする。なんと蛇之麁正は無情にも彼のずっと後方にある柱に深く突き刺さっていたのだ。

「そ、そんな――」

 テスラはより一層顔色を青くさせる。ただそこで彼は背後に尋常でない殺気を感じて振り返った。

「!」

 そこには大きく口を広げるラヴォアジエがいた。そしてテスラに向かいラヴォアジエは躊躇(ためら)いなく火の玉を吐き出した。

 テスラは堪らなく目をつぶり身を屈める。もう火の玉の直撃を防ぐ手立てはない。――がその時、火の玉を切り裂く斬撃音が鳴った。

「ズバッツ!」

 真っ二つに切り裂かれた火の玉が消滅(しょうめつ)する。(うずくま)るテスラに激突する寸前、火の玉は切り裂かれて消えたのだ。

「!?」

 テスラは恐る恐る目を開く。理解出来ない状況に彼は動揺を隠せない。ただそんな彼が目にしたのは、紫色に輝く伊都之尾羽張を構えたジュールの後ろ姿だった。

 ジュールがテスラの身を守ったのは疑い様がない。ただテスラにとってはそんなジュールの姿勢が理解出来ず、余計に混乱するばかりだった。

「ジュ、ジュール。どうして――」

「黙れ! 死にたくなければそのまま身を低くしていろ! 来るぞ!」

 ジュールはテスラに背を向けたまま叫ぶ。するとそんな彼の叫びに反応したのか、ラヴォアジエは全身から炎を()き出した。そしてラヴォアジエはジュールとテスラに襲い掛かる様に、羅城門の内部に突っ込んだ。

 業火を巻き上げたラヴォアジエが一気にジュールとの間合いを詰める。だがそんな銀の鷲を向かい打つべく、ジュールは伊都之尾羽張を上段に構えた。

 紫色に輝いた伊都之尾羽張が唸りを上げる。そしてジュールは迫るラヴォアジエに向かってその刀を振り降ろした。――がその瞬間、

『待つのじゃジュール! その刀を彼に向けてはならん!』

 どこからともなくグラム博士の(さけ)びが聞こえた。するとその声に反応し、ジュールは振り降ろした刀を必死で止める。しかしその一瞬の間に、ジュールとテスラはラヴォアジエが噴出させる炎に包まれた。

「うわあぁぁ!」

 テスラの悲鳴だけが響く。だがその声もすぐに聞こえなくなった。ラヴォアジエの炎が羅城門内部を埋め尽くし、全てを燃焼させたのだ。

 ラヴォアジエは一気に羅城門内を飛び抜け、反対側の側壁を突き破り外に飛び出す。そして上空高く舞い上がり、旋回(せんかい)を始めた。

 ラヴォアジエは夜空をゆっくりとしたスピードで飛んでいる。ただそんな銀の鷲に向け、突如として轟音が鳴り響いた。

「ドンドン! ドンドンドンッ!」

 いつの間に配備を整えたのだろうか。羅城門はアダムズ軍の大隊に包囲されていた。そしてそれらはラヴォアジエに向けて迫撃砲(はくげきほう)による一斉射撃を発したのである。

 急な攻撃を受けた事で、さすがのラヴォアジエも驚きを露わにする。だがラヴォアジエは無数に浴びせられた攻撃を全て(かわ)した。

 激しさを弱めた雷雨の中、ラヴォアジエは羅城門の上空を大きく旋回(せんかい)する。そしてラヴォアジエは羅城門に向けて、何とも言えない哀しげな視線を送った。ただそれはほんの一瞬の間であり、ラヴォアジエは【死の鏡】を足で掴み直すと、方向を変えて何処(どこ)へなりと飛び去って行った。



「済まんかったのう、ジュール。お前にはまだ伝えねばならん事が山の様にあると言うのに、ワシはそれら大切な事を何一つ伝えられんかった。許してくれ」

 グラム博士は寂しくも穏やかに語り掛ける。するとジュールはそんな博士に向かい、珍しく弱気に返したのだった。

「何を言ってるんですか博士。言いたい事があるなら、これからいくらでも言えば良いじゃないですか。そんな言い方(いや)ですよ、俺」

 ジュールはひどく弱々しい声で告げる。彼が萎えさせた気持ちを表に出すなど、本当に珍しい姿であろう。ただそんなジュールに向かい、グラム博士は首を横に振った。

「もう行かねばならんのじゃ。そしてお別れじゃジュール。ワシのような出来損(できそこ)ないの父親を心から(した)ってくれて、本当に感謝の気持ちしか浮かばん。ありがとうジュール、達者でな」

 そう言った博士は(さみ)しさを(かも)し出しつつも、ニッコリと微笑んだ。

 どうしてそんな顔するんだよ。ジュールは胸が苦しくなる。そして彼は離れ行く博士に必死で(すが)ろうとした。ここで博士を引き留めなければ、もう一生会う事が出来ない。彼はそう感じたのだ。

「ちょ、ちょっと待って博士! 勝手に何処かに行くなんて許しませんよ。戻って来て下さい! 俺のところに戻って来て下さい!」

 博士の姿が音も無く遠ざかって行く。ジュールはそんな博士を逃がすまいと必死で追い駆けた。だがどうしてなのか、一向に博士には近づけない。それどころかむしろ距離は開いて行くばかりだ。

「何処に行くんですか! 俺も一緒に行っちゃダメなんですか! 博士っ! 俺もまだ博士に話したい事がいっぱいあるんだ。聞いてもらいたい事がたくさんあるんだよ。それなのにどうして行っちゃうんだよ! 博士ーっ!」

 ジュールはハッと意識を取り戻す。そして彼は思った。俺は夢を見ていたのか――と。でもさっきの博士はやけにリアルに感じた。とても夢だったなんて考えられない。

 そう思うジュールの呼吸は大きく乱れ、また(ひたい)からは大量の汗が流れていた。ただそんな彼に向かい、背後から気遣いの言葉が掛けられる。

「おい、無事かジュール」

 声の主はトランザムの先輩隊士であるリュザックだった。上階に身を(ひそ)め状況を見守っていた彼が、ジュールのもとに駆け付け声を掛けたのだ。しかしジュールはそんなリュザックを無視するよう、床に転がる伊都之尾羽張(いつのおはばり)(ひろ)い上げる。そして彼は少し離れた場所で倒れ込んでいるテスラの元に向かった。

 テスラは意識を(たも)ち、目を開いていた。だが彼は全身に伝わる激痛で身動きがとれないらしい。するとジュールはそんな動けないテスラの首元に伊都之尾羽張の切っ先を向ける。そして彼は絞り出す様な声でテスラに詰問したのだった。

「テスラ、もう一度だけ聞く。博士は今どこにいる」

 ジュールの鋭い眼光は本気の現れだ。もしテスラがいい加減な受け答えをしたならば、彼は躊躇なくその首を断ち切るだろう。そしてその決意を感じ取ったテスラもまた、覚悟を決める。彼は少し伏し目がちになりながらも、ジュールに対して正直に答えたのだった。

「――博士がすでに死んでいるのは本当だよ。僕自身、博士の死体をこの目で確認しているからね。ただこれだけははっきり伝えておくよ。博士を拘束(こうそく)したのは(まぎ)れもなく僕達コルベットだけど、実際に手を下したのは僕らじゃない」

「なら、誰が博士を殺したんだ」

「済まないけど、僕の口からはそれは言えない。でも今の君なら、もう分かっているんじゃないのかな」

「フザけるなっ!」

 ジュールは憎しみを露わに伊都之尾羽張を振り上げる。彼にはもう、噴出した怒りを抑えられない。そして彼はリュザックの制止に構うことなく、その長刀を力一杯に振り抜いた。

「やめろジュール!」

「うおぉぉぉぁ!」

「ガンッ!」

「!」

 テスラのすぐ脇にあった柱が粉々に破壊される。ジュールは振り上げた伊都之尾羽張をテスラにではなく柱に叩きつけたのだ。

「ハァハァハァ――」

 ジュールは肩で息をしながら項垂(うなだ)れる。彼の中で収まりがついていない証拠だ。忸怩たる無念さにジュールは耐え難い憤りを感じているのだろう。ただそんな彼に向かい、今度はテスラが尋ねた。

「なぜなの? 何で僕を殺さないの? 僕は君を殺そうとした。なのに君は今もそうだけど、あいつが放った火の玉や、あいつ自身の攻撃から僕を守ってくれた。僕には君の、そんな行動が分からない……」

 テスラは信じ難いジュールの行為に驚きと戸惑いを感じているのだ。だがそんな彼に返したジュールの答えは、さらにテスラを混乱させるものであった。

「俺にだって分からない。ただ体がそう勝手に動いただけだ。――それに剣を向けたのは、お互い様だろ」

 ジュールはそう吐き捨てると、グッと奥歯を噛みしめる。本当に彼自身にも、自分の行動が理解出来ないのだろう。だがその後、ジュールはテスラに背を向けて歩み出す。そして彼は羅城門の出口に向かい始めた。

「お、おいジュール。どこ行くき」

 リュザックが堪らずに呼び止める。しかしジュールは小さく(つぶや)いただけだった。

「後の処理、お願いします……」

 ジュールはガックリと肩を落として戦場から離れていく。そしてその背中を見つめたリュザックは、もうそれ以上に何も言えなかった。

 満身創痍のジュールが、アダムズ軍と警察部隊に包囲された羅城門を出る。その姿は生きているのが不思議なくらいボロボロだ。でもなぜだろうか。彼からは怖いくらいの威圧感が感じられる。それゆえに彼に声を掛ける者は一人もいなかった。

 大勢の隊士達が(あわ)ただしく動き回る中で、誰の命令でもなく一本の道が開く。ジュールの歩みの邪魔にならない様にと、隊士達が無意識に道を開けたのだ。

 隊士達は腫れ物に触りたくなかっただけなのかも知れない。ただそんな開かれた道の中央に、重傷を負いながらも五重塔(ごじゅうのとう)より駆け付けたドルトンと、事態を聞きつけ赴いたヘルムホルツが立っていた。

 二人はジュールのあまりにも傷付いた姿に息を飲む。いや、それ以上に強く感じられる威圧感に困惑したのだ。だがそれでもドルトンとヘルムホルツはジュールに駆け寄り声を掛けた。

「大丈夫なのか、ジュール。すぐに救護班を来させるから、無理はするなよ。――おい、聞いているのかジュール!」

 ドルトンが反応の見えないジュールの肩を揺らす。だがそんな隊長にジュールは無言のまま伊都之尾羽張を手渡した。

「ジュ、ジュール、お前……」

 長刀を受け取ったドルトンは、それ以上ジュールに声を掛ける事が出来なかった。そしてそのやり取りを心配そうに見るヘルムホルツもまた、ジュールに対して何も言う事が出来なかった。




 雨は一時の激しさを弱めたものの、(いま)だに降り続いている。この調子だと恐らく朝までは()まないだろう。そしてその雨の中を、ジュールはボロボロの姿のまま歩いていた。

 どれくらい歩いたのだろうか。いや、そんな事はどうでもいい。すれ違う多くの人々からの視線も鬱陶(うっとう)しいだけだ。

 ジュールは雨の中をただひたすらに歩く。そしていつしか彼は、アダムズ中央駅のロータリーにある女神像の足元に来ていた。

 相変わらず女神像は(せつ)ない表情を浮かべている。ううん、今日の女神の表情は、より一層哀しいものに見えて仕方ない。ジュールはそんな女神像の顔をじっと見上げていた。

 駅前を行き()う大勢の人々は、見るに()えない姿で女神像を見つめるジュールを不思議そうに横目にした。しかしその中の誰一人として声を掛ける者はおらず、人々は足早(あしばや)にその場を過ぎ去っていった。

「どうでもいい。考えるのも面倒だ――」

 そう思うジュールの体を冷たい雨が打ち続ける。ただその雨は彼の体を冷やすだけで、その心に深く沁み渡る悲しみの感情までは流し去ってくれなかった。

 これ程までに現実は残酷なものなのだろうか。ジュールはそう思わずにはいられない。何も考えたくない。何もかもを投げ捨てたい。彼は切実にそう願ったが、しかし心は底なしの絶望を抱え込むばかりであり、報われない現実を憎むばかりだった。

 それからかなりの時間、ジュールは女神像を見続けた。相変わらず冷たい雨が彼の心と体を冷たくしていく。ただ彼に降り注ぐ雨は唐突に()んだ。

「!」

 ジュールは少しだけ驚きの表情を浮かべる。それでも彼は雨が止んだ原因をすぐに察した。差し出された赤い傘に彼の体は(おお)われていたのだ。

 ジュールはゆっくりと振り返る。するとそこには心配そうな表情を浮かべた一人の女性が立っていた。そしてその女性はジュールの身を案じるよう語り掛ける。

「体、傷だらけだけど大丈夫なの? それにこんなに雨に濡れてたら風邪(かぜ)引いちゃうよ」

 彼女はそう言ってジュールを気遣(きづか)う。しかし彼女は雨に濡れたジュールの顔を見て驚いた。

「ねぇ。もしかしてジュール、泣いてるの――」

 雨に(まぎ)れて分かりづらいが、ジュールの目からは一筋の涙が(こぼ)れ落ちていた。

「アメリア……」

 ジュールは彼女の名前を小さく(つぶや)く。そして彼はアメリアの胸を借り、人目も(はばか)らず大声で泣いた。まるで迷子にでもなった幼子の様に。

 幼馴染(おさななじみ)のアメリアは、そんなジュールの姿を見るのが初めてだった。

 アメリアはジュールに掛ける言葉を見つけられない。それでも彼女は優しく彼を包み込み、流れ出る涙を受け止め続けた。



 静かに振り注ぐ雨の中に、ひとひらの雪が舞い降りて来る。夜街の明かりに反射し、ほのかに輝きながら落ちて来るその雪片は、冷たいはずであるにもかかわらず、どこか温かみが感じられた。

 まるで命の欠片(かけら)かのように、美しく輝く雪片がゆっくりと降りて来る。そしてその雪片はジュールの肩に舞い降りると、すっと消えて無くなった――。

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