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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第一幕 夜余威(やよい)の修羅
19/109

#18 凍解の事実(五)

 パーシヴァル王国に(もど)った博士と将軍は、それぞれに()せられた使命を(まっと)うするよう精力的に動き始める。そう、彼らは黒き獅子打倒への覚悟を決めたのだ。

 ファラデーを介してアイザック総司令から獣神に関する様々な情報を入手しつつ、同時にグラム博士は神話や神器について、そしてボーア将軍は死の鏡について懸命な調査を行った。だが間もなくして黒き獅子がアダムズ国王の(めい)とし、パーシヴァルに対して強く要求する。それは死の鏡の譲渡(じょうと)と、博士と将軍が開発した畜光(ちくこう)技術の開示を求めた恫喝だった。

「その後に何が起きたかは、おぬし達が経験した通りの事じゃ。どうじゃ、ワシがやろうとしている事の意味が、少しは分かってもらえたかのう」

 グラム博士はそう言いながらハイゼンベルクとディラックの顔を眺める。ただそんな博士の話しを聞いた二人は、息をするのを忘れるほど戸惑っていた。

 ウォラストンはそっと二人に水の入ったコップを差し出す。彼の特徴が現れた気の利いた配慮だ。するとハイゼンベルクはその水を一気に飲み干してから小さく(つぶや)いたのだった。

「ボーア将軍が我々を引き連れ遺跡に向かった時、そこにいた銀の鷲に対して冷静に対応出来ていた理由がやっと分かった。そして遺跡の地下にあった地底都市を利用することで、長期に渡りアダムズ軍と戦闘を続けられたのも、そんな経緯があったからなんだな。ファラデーが言った将軍の遺志が何なのか、少しだけど分かった気がするよ――」

 元気だった頃のボーア将軍の姿を思い出しているのだろうか。ハイゼンベルクはそう告げながらも、寂しそうな面持ちを浮かべた。そしてその言葉にディラックは黙って(うなず)く。彼の胸の内もまた、ハイゼンベルクとまったく一緒なのだろう。心が締め付けられる悲しさが込み上げてくる。しかし無情にも彼らには過去に想いを馳せる時間は許されなかった。

 どれだけ(つら)くても過去は取り戻せない。だから悲しみを置き去りにして、今は無理やりにでも未来に進まなければならないのだ。そんな強い覚悟を前面に押し出し、グラム博士は言ったのだった。

「では、本題に移ろう。アルベルト国王、いや黒き獅子の抹殺(まっさつ)計画がどういったものなのか。それについて説明させてくれ」

 表情を引き締め直したグラム博士は計画についての全貌(ぜんぼう)を話し出す。ただしその計画の中身は、とても科学者である博士の口から発せられたものとは思えない、非現実的な内容であった。


 ラヴォアジエが残した言葉を(あらた)めて調べた博士は、やはり【天光(てんこう)の矢】を発動する以外、確実に獣神を倒す方法が無いのだと把握する。

 世界最高の鬼才とまで呼ばれたグラム博士が、非科学的な神話の手法に従わざるを得ない状況まで追い詰められている。それがどれだけ悔しいものであったか。

 しかし博士は(すが)る思いで天光の矢について調査した。現時点でこの世界に存在する科学技術では対抗のしようが無い。博士は忸怩たるもそう受け入れたからこそ、無我夢中で天光の矢を調べ上げたのだ。

 ただその甲斐もあって、博士は具体的な天光の矢の発動条件を見つけ出す。それは3つの条件が完全に一致した状態を意味し、その条件とは決められた時間と場所で天照(あまてらす)の鏡を天にかざすというものであった。

 一つ目の条件である時間は【(さく)(とき)】。すなわち新月が誕生する時間を意味しており、これは周期的に(おとず)れる自然現象のため、さほど問題ではなかった。

 二つ目の条件は場所。これはラヴォアジエが残した【(みそぎ)の地】という言葉を調べる事で判明した。

 (みそぎ)の地とは、神話にて女神ヒュパティアが想起神(きそうしん)プレイトンを倒した際、その身に付いた返り血を洗い流した四つの場所である。そして現在におけるその実在する場所とは、アダムズ城の南方に位置する【羅城門(らじょうもん)】、東方に位置するルーゼニア教総本山【金鳳花五重塔きんぽうげごじゅうのとう】、西方に位置するアダムズ王立協会本部【エクレイデス研究所の一号棟付近】、そして北方に位置する今は廃墟と化している【廃工場跡地の一部】であった。

 本当にそこで女神が禊を行ったのか。それは誰も分からないし、むしろ信じる者がいるとも思えない。だが少なくとも神話に記された場所と現在の地図を照らし合わせると、先に述べた四か所と合致するのだ。ならば信じるしかない。

 そう考えた博士はそれらの四か所について入念な調査を行う。そして注意すべきは厳重な警備体制が整っているエクレイデス研究所のみだと判断した。ただそれもしっかりとした対策さえ準備できれば、それほど難しいものではない。そう考えた博士は最後の条件である鏡の奪取に全力を傾ける事とした。

 そして三つ目の条件である【天照(あまてらす)の鏡】。これを用意する事こそが最大の難関であり、博士はひどく頭を悩ませた。

 天照(あまてらす)の鏡は全部で4つ。全ての鏡を集められるのか。いや、そもそもそんな鏡が本当に現存するのか。疑えばきりがない。だが博士は根気強く調査を進め、そしてようやく根拠のある情報を(つか)む事に成功した。

 かつてラヴォアジエら神器捜索隊によって収集された天照(あまてらす)の鏡。それらの鏡が本物であったのかどうか、それは確認のしようがない。ただ少なくとも、ラヴォアジエを獣神である銀の鷲の姿に変化させた【火の鏡】は本物なのだろう。そしてその鏡は現在ラヴォアジエ自身が所持している。

 もう一つは神話に隠れた【死の鏡】。これもまた、ボーア将軍やパーシヴァルの王族の命を吸い取った蒼き(ひる)の存在より、本物であると確信出来る。そしてこの鏡も現状はこちら側にあるので心配はいらない。

 やはり問題となるのは残りの二つ。そしてグラム博士が掴んだ情報によれば、黒き獅子の命の根源である【大地の鏡】はエクレイデス研究所に、また紫の竜の命の根源である【海の鏡】はルーゼニア教が厳重に管理しているという事だった。

 特に厄介なのは大地の鏡だ。黒き獅子であるアルベルト国王がそれを無造作に放っておくわけがない。間違いなく警備体制は抜かりなく準備されているだろう。それにエクレイデス研究所は広大な敷地面積を有する場所である。もちろんそこには数多くの研究施設が建ち並んでおり、そのため大地の鏡がどこに隠されているのか見当もつかない。

 そこでまず博士は王立協会の会員であるウォラストンに指示を出す。そしてウォラストンは怪しまれぬよう細心の注意を払いながら研究所の調査を行った。だが彼の立場は協会内で低い部類である。そんなウォラストンの調査が順調に進むわけもなく、鏡にたどり着く糸口さえ掴めない状態がしばらく続いた。


 一向に進展が見られない歯痒い状態が続く。ただその間に一つだけ意外な収穫があった。それはウォラストンが研究所内を散策(さんさく)する過程で、同期の科学者である【エルステッド】と親交を深めたという事だった。

 エルステッドはウォラストンと共に、王立協会の命令でハイゼンベルクらに尋問(じんもん)を行った科学者である。ただ彼は普段から非常に陰険(いんけん)な性格であり、かつ目下の者に対する傲慢(ごうまん)な振る舞いから周囲より浮く存在だった。

 人の良いウォラストンですら、その人間性を(うたが)ったほどなのである。それがどれだけ()じ曲がった性格だったか、想像するのは容易であろう。ただそんな最悪の性格のエルステッドだが、しかし彼は博士達が(のど)から手が出るほど欲しい【ある特権】を持っていたのである。

 なんとエルステッドはまだ若輩ながらも、ルーゼニア教において非常に高い地位を有していたのだ。

 グラム博士にファラデー、さらにはウォラストンの誰一人としてルーゼニア教の信者ではなかった。そのため海の鏡を管理しているはずのルーゼニア教に対し、それまで何の調査も行っていなかったのだ。

 実のところ、海の鏡の確保こそが最も困難なのではないのか。ルーゼニア教に()()が無かった博士はそう悩んでいた。だがそこに現れたのがルーゼニア教の幹部的地位を有していたエルステッドなのである。

 博士はすかさずウォラストンにエルステッドとの親交を築かせ、彼の教団内での高い地位を利用して海の鏡について調査させようと試みた。ただ博士の考えはそう上手くはいかない。

 エルステッドは口の利き方だけでなく、他者を疑う事しか知らない性格だったのだ。恐らく彼は誰かを信じた経験がないのだろう。だから彼は他者を疑う事しか出来なかったのだ。そして当然ながら、エルステッドは親しみを込めて近寄って来るウォラストンに対し、警戒感を露わにした。

 そんな疑り深いエルステッドとどうやって親密になればいいのか。ウォラストンはひどく気を揉んだ。――が、ところがである。なんとある日を境にしてエルステッドの態度が一変したのだ。

 ウォラストンは一か八か、直球勝負に出る。常に疑心暗鬼なエルステッドに回りくどく接触したとて、それはむしろ警戒感を高めるだけじゃないのか。ならばこの際、意を決してグラム博士と直接面会させ、そこで協力の説得を試みてはどうなのか。ウォラストンはそう考え、それを実行に移したのである。

 言葉にならない緊張感がウォラストンを支配した。全てを話し、それでエルステッドが協力を拒否したならば、その場合はどうなってしまうのか。まさか博士に限って口封じの為に命を奪うようなマネはしないだろう。しかし無事で帰すにはリスクが高過ぎる。自分から博士とエルステッドの面会を提案したというのに、ここに来て彼は不安と迷いで気持ちを萎えさせる。だがしかし、そんな彼の心配は無用のものであった。

 なんとエルステッドはグラム博士を心から尊敬していたのだ。そしてその眼差しは、まるで神を(あが)めるかの様な輝いたものだった。そう、彼はグラム博士をある意味ルーゼニア教の女神以上に崇拝(すうはい)していたのである。

 ウォラストンは思う。博士は世界に名の知れたお尋ね者。そんな博士との接触をエルステッドは拒まなかった。普通であれば受け入れ難い話しに、彼はまったく疑いを見せなかったのだ。いつもならば他人を疑う事しか出来ないはずなのに。

 ただエルステッドがグラム博士を敬っていた理由。それは至ってシンプルなものであった。


 実はエルステッドがまだ幼かった頃、彼の父親が経営する鉄道部品製作会社がひどい経営難(けいえいなん)(おちい)っていた。

 ただそんな時、たまたまグラム博士がその会社に研究に必要な試作部品を発注したのである。そしてその時、工場を訪れた博士のアイデアによって、会社は奇跡的にも経営難から脱する事に成功したのだ。

 博士が考えたアイデアは、それまで限界とされていた蒸気機関のエネルギー効率を飛躍的に引き上げる技術だった。そしてその技術をベースとしつつ、エルステッドの父親は蒸気機関で発生するエネルギーの損失(そんしつ)を、従来よりも(いちじる)しく(おさ)えながら動力として伝える、画期的な機構を開発したのである。

 それによってエルステッドの父親が経営する鉄道部品製作会社は経営難を克服(こくふく)し、またそれまでとは比べものにならないほど大きく発展した。

 父親のプライドを守り、かつ倒産寸前だった会社までもを救ってくれた。それはもちろんエルステッド自身の生活を崩壊の危機から救ってくれたと同義であり、結果として彼が博士を心から尊敬する理由になった。

 エルステッドにしてみれば、グラム博士は命の恩人と呼ぶに相応しい人物なのだろう。たとえそれが全世界に指名手配された悪名高い科学者だったとしても。だから彼はウォラストンから博士への面会を打診された時、驚くよりも喜びを露わにしたのだ。

 何よりエルステッドが科学者になったキッカケもグラム博士の存在によるものだった。彼は父の会社を立て直す発明をした博士を敬い、同じ道に進もうと決意したのだ。それにたった一つの発明で運命が大きく変化する。そんな科学の力に彼は震えるほどの魅力を感じ、勉学に勤しんだのだった。

 ただエルステッドもさすがに博士の(ねら)いがアルベルト国王であると聞き尻込みする。また(にわ)かに信じ難い獣神や鏡の話に戸惑いを見せた。あまりにも現実離れした話に意識がついていかなかったのだ。

 やはり協力は得られないか。グラム博士やウォラストンはそう落胆する。いや、むしろ普通の感覚の持ち主なら、受け入れられない方が当然なのだ。だから簡単に諦めるわけにはいかない。二人は必死に、そして丁寧にエルステッドを説得し続けた。

 するとその甲斐もあってか、ついにエルステッドは協力を引き受ける。尊敬して止まないグラム博士が直々に歎願しているのだ。それを無下にするなんて出来るはずもない。やはり彼の博士を敬う気持ちは本物なのだろう。そしてエルステッドは博士の指示に従い、海の鏡の捜索に尽力し始めた。


 ルーゼニア教の上層部において抜群の存在感を持っていた彼は、着々と鏡の在り処に近づいて行く。

 元々ルーゼニア教の信者だったエルステッドの父は、莫大(ばくだい)な会社の利益の一部を教会に寄付していた。ようはルーゼニア教にとって、エルステッドの父は優良なスポンサーだったのだ。その為教会側のエルステッドの父に対する待遇は極めて丁重な扱いだった。

 ただエルステッドの父は純粋にルーゼニア教を信仰していたに過ぎず、金は出すが口出しまでは一切しなかった。言わば教会の運営や布教活動にはまったく興味がなかったのである。だがそんな彼の態度に関係なく、教会側はいつでも配慮に欠ける事はなかった。そしてそれは彼の息子であるエルステッドに対しても同様だった。

 となればエルステッドの傲慢ぶりが発揮されるのは目に見えて当たり前だろう。いや、幼き頃より自分の言うことをなんでも聞いてくれるルーゼニア教の教団員が身近にいたからこそ、彼はひどく傲慢になってしまった。そう考えた方が正しいのかも知れない。

 日増しにエスカレートしていくエルステッドの横柄な態度に教団員達は舌を巻く。それでもスポンサーの息子である彼のご機嫌を損ねるわけにはいかないと、教団員達は渋々と従っていた。

 教会内での悪評の高さ。それがエルステッドの抜群の存在感の正体であった。そしてそれは現在においても継続されている。誰からも煙たがれる存在に代わりはない。それでも彼がルーゼニア教内で、それなりの力を持っているのも確かなのであった。

 エルステッドは特にルーゼニア教の総本山である金鳳花五重塔きんぽうげごじゅうのとうで捜索を続ける。やはり教会が管理しているのであれば、ここが一番その可能性が高いはずだ。彼はそう考えたのだ。すると案の定、彼は比較的早く海の鏡の存在に辿(たど)り着く。

 これでグラム博士に良い知らせが出来る。彼はそう思い喜んだであろう。しかしいくら彼に教団内での地位があったとはいえ、厳重に管理されている鏡を持ち出すのは不可能だった。

 どうすればいい? エルステッドは頭を抱える。若くして王立協会の科学者となった彼の頭脳が優秀だったのは確かだ。またそれにも増して悪知恵もよく働く。だがしかし、この時ばかりはいくら考えても鏡を持ち出す算段が思い付かなかった。なぜなら彼が想像した以上に鏡の管理が厳重だったのだ。

 手詰まりの状況が続く。ただある日の事、エルステッドはルーゼニア教主催(しゅさい)の展覧会がルヴェリエ美術館にて開かれる事を知る。

 千載一遇のチャンスだ。いや、このチャンスを逃したら二度と鏡は手に入らないだろう。そう判断したエルステッドは迅速に行動を起こす。そして彼は持ち前の傲慢な姿勢で教会関係者にゴリ押しし、海の鏡の展覧会出展に成功したのだった。


 想像以上の成果だ。グラム博士はそう言ってエルステッドを労う。博士は都合良くエルステッドを利用したつもりだったが、まさかここまで使える者だとは思いもしなかったのだ。

 良い意味で出し抜かれたグラム博士は気持ちを奮い立たせる。そして博士は海の鏡の強奪(ごうだつ)計画を企て始めた。エルステッドが気に掛けた様に、このチャンスを逃せば後が無い。そう考えた博士は入念に計画を練る。だがそこで大きな障害が立ち塞がっているのだと博士は知った。

 展覧会の警備体制にコルベットが含まれている。これはエルステッドがルーゼニア教から入手した情報であったが、同時にアイザック総司令からも同様の連絡があり、それが極めて信頼性の高い情報であると判断出来た。その為に鏡の強奪計画は、現在のところ()()まりの状況にならざるを得なかった。

 そこまで告げたグラム博士は一息つく。いささか話し過ぎたため、喉が渇いたのだろう。ただそれでも博士はハイゼンベルクとディラックに向けて、心の底から嘆願したのだった。

「今のワシらにとって最も必要なもの。それは人手じゃ。それも一騎当千の屈強(くっきょう)な戦士がのう。敵は獣神、もしくはその手足となって動く者達。そしてアダムズ軍の最高部隊と呼ばれるコルベットもまた、そんな敵となる相手なのじゃろう。じゃからワシらにはそう言った奴らに臆する事無く挑み、対等に戦える強者が必要なのじゃよ。そう、パーシヴァル指折(ゆびお)りの戦士である、おぬしらの様な強者がな」

 グラム博士はそう言ってハイゼンベルクらの目を見つめる。博士は心から彼らの協力を欲しているのだ。するとそんな博士に対し、ハイゼンベルクはしっかりと博士の目を見つめ返して言ったのだった。

「話の流れは大凡(おおよそ)は飲み込めました。いえ、正直に言えば、まだ信じられない部分も沢山あります。ただ初めにこれだけはお答えしましょう。我には博士の協力を(こば)む理由はありません。博士の計画に、全力を持って協力しましょう」

「ほ、本当か!」

「はい。グラム博士の言葉には嘘はない。我はそう信じましたので、不肖ハイゼンベルク、微力ながら協力は惜しみません。それと――」

 そう告げたハイゼンベルクはディラックの顔を見る。するとディラックは無言のまま首を縦に振った。改めて確認する必要は無かったであろう。しかしこれは命を投げ捨てる計画への参加を表明するものなのだ。気心が知れた仲とはいえ、ディラックの明確な意志が確認したかったハイゼンベルクは、あえて彼自身の判断を仰いだのだった。

 そしてそんなハイゼンベルクにディラックは頼もしく(うなず)いた。口数が少なく、また強面(こわもて)であるディラックの外見からはあまり想像が出来ないだろう。だが彼は人一倍仲間想いの強い男なのだ。絶対の信頼を寄せる上官であり、また無二の親友であるハイゼンベルクが決めた事ならば、自分はそれに従い尽力するのみ。ディラックはそう覚悟を決めたのである。

 そんなディラックを見たハイゼンベルクはホッと胸を撫で下ろす。やはり彼とて不安なのだ。でもだからこそ、ディラックの決意がこれ以上なく心に響き、それがハイゼンベルクの気持ちを後押ししたのだった。

 ただそうなると、いつもの冷静なハイゼンベルクの状況判断が冴えてくる。そして彼はグラム博士に向かい、気掛かりな疑問を投げ掛けたのだった。


「やはり相手にコルベットがいるとなると、いくら戦闘経験豊富な我らとて、そう簡単に事は進められないでしょう。あいつらはアダムズ軍きっての精鋭集団であり、チームワークも抜群だと聞く。それに対してこちらの実行部隊は我とディラック、それとファラデーの三人だけ。討死覚悟でコルベットを全滅させろって命令なら、あるいは達成出来るかも知れませんが、目的は海の鏡の奪取です。正面から挑むにはこのハードルはかなり高いですぞ博士。コルベットの意表を突く様な、何か(から)め手となる策はないんですか?」

 それは正しく状況を分析した冷静な問い掛けだった。ただハイゼンベルクは決して悲観視しているわけではない。やるからには作戦を成功させたいのだ。この作戦で自分の命が絶たれても構わない。でも無駄死にだけは絶対に出来ない。そう思うからこそ、ハイゼンベルクは正直に意見したのだった。するとそんな彼にグラム博士は小さく頷く。博士にはハイゼンベルクの想いが痛いほど伝わっているのだ。そして博士は真剣な眼差しをハイゼンベルクに向けつつ、ポケットから小さな【白い玉】を取り出して言った。

「この玉を見てくれ。これはワシが開発した最新の玉型兵器の一つで【高周波弾(こうしゅうはだん)】と呼ぶものじゃ。この玉は破裂すると、あるミクロの素粒子(そりゅうし)を周囲に拡散させる。その素粒子は電子制御された機器に対し、電磁波障害を発生させ全ての機能を停止させる特徴を持っているんじゃ。そして当然ながら、最新の電子兵器で武装しとるコルベットの武器とて例外ではない。かなり効果は期待出来るはずじゃよ」

「でも博士。コルベットはたとえ電子兵器が使えなくても、個人の能力は突出して高いはずです。それに状況判断にも優れた奴らなら、すぐに剣や旧式の武器に持ち替えて挑んで来る事でしょう。一時的な時間稼ぎや一瞬だけ意識を(あざむ)くには効果的なんだろうけど、やっぱり相手は王国最高の隊士達ですからね。その最新の玉型兵器だけでは心許(こころもと)ないですね」

 さすがはボーアの反乱を生き抜いた凄腕の軍人である。ハイゼンベルクの分析(ぶんせき)は的確に課題を浮き彫りにさせた。ただそんな彼を横目に、今度はディラックがグラム博士に向かって問い掛ける。

「ちょっといいかな。いっその事、さっきみたいにヒューって鏡の所まで瞬間移動しちまえば世話ないんじゃないのか? 手間が省けて楽チンだろ」

 あまり物事を深く考えないディラックらしい発想だ。ただその提案にハイゼンベルクは激しく同意する。この方法なら危険を冒してコルベットと戦闘する事もない。シンプルなナイスアイデアだ。彼はそう思い頷いた。だがしかし、それに対する博士の答えは沈んだものだった。

「済まんが、それは無理なんじゃ。瞬間移動を行うには【入口】と【出口】を事前に設置しとかなければならんからのう。実際おぬし達を拘置所から脱出させられたのは、ウォラストンを何度も拘置所に向かわせ、気付かれぬよう入念な準備を(ほどこ)していたからに他ない。監視体制が整った鏡の周辺に瞬間移動の準備をするのは不可能なんじゃよ」

「ならどうすれば良いのですか! 命を懸けるにしても、このままでは犬死するだけですぞ!」

 ハイゼンベルクは博士の目を(にら)みながらきつく口走る。彼らはもう決意したのだ。命を投げ出す覚悟を。それなのに、鏡奪取の為の計画があまりにも(おろそ)か過ぎるんじゃないのか。ハイゼンベルクはそう思い、つい声を荒げてしまったのだった。

 グラム博士は押し黙る。ハイゼンベルクの気持ちが痛いほど理解出来ているからこそ、博士は何も言えないのだ。ただそんな博士に代わり、ファラデーが口を開く。博士にはハイゼンベルクらに伝えなければいけない【秘策】がある。でもそれを口に出すには勇気が必要なんだ。彼は博士の背中をそっと押す様に、落ち着いた声で言ったのだった。

「実行部隊として作戦に従事するのは私とあなた方二人のみ。(わず)か三人だけでコルベットに(いど)むなんて、あなたが言うように自殺行為と呼んだ方が正しいでしょう。でも一つだけ、三人で作戦を成功させる【手段】があるんです。もちろんハイリスクであるのは言うまでもないのですが……ね、博士」

 そう言ったファラデーは博士に軽く目配(めくば)せした。すると博士の方も気持ちの踏ん切りをつけたのだろう。

「ちょっと待っておれ。すぐに戻る」

 グラム博士は重そうな腰を持ち上げて立ち上がると、隣の部屋に入って行った。


 博士は小ぶりのケースを持参して戻る。そして博士はテーブルの上にケースを置くと、その(ふた)を開けてハイゼンベルクとディラックにその中を見るよう(うなが)した。

 二人は身を乗り出してケースの中をのぞく。するとそこには勾玉(まがたま)の形をした、灰色の小さな石が三つ入っていた。

「何ですか、これは?」

 ハイゼンベルクは素直に尋ねる。変わった形をしているが、でもこんな親指の爪程の大きさの石に何か秘策が隠されているなんて考えられない。ただそんな彼に向かい、博士は思いのほか(きび)しい表情を浮かべて説明を始めたのだった。

「この石はアルベルト国王自身が研究し、そして王立協会の科学者に命じて作らせた人工的な石なんじゃ。それをウォラストンが大地の鏡を捜索する過程で偶然手に入れたんじゃが、ワシにはこれがどうも怪しく思えてのう。国王自身が研究していた事と、勾玉(まがたま)の形状をしている事実から、この石は間違いなく神器に関係した【何か】だとワシは推測(すいそく)したんじゃよ。そして案の定、調査して分かったんじゃ。この石には腰を抜かすほどの秘密が隠されておったんじゃとな」

「秘密?」

 ハイゼンベルクは首を(かし)げる。ただその背中には言い表す事の出来ない只ならぬ嫌悪感が駆け抜けていた。

「実はこの石は神器である【月読(つくよみ)勾玉(まがたま)】をコピーして作られた【クローン】の勾玉なんじゃ。月読の勾玉は神話にて、女神が護貴神(ごきしん)を封印したとされるもの。ただ神話には続きがあってな。それは勾玉と同じ大きさの胎児(たいじ)を腹に宿(やど)した妊婦が、満月の光を浴びて輝く月読の勾玉を見ると、その胎児に封印されし神の力が宿るとされておるのじゃよ。実際のところ、その言い伝えが本当かどうかは分からん。じゃが驚く事にこのクローンの勾玉には、その封印された【神の力】までもがコピーされとるらしいんじゃ」

「!?」

 一体何の話をしているんだ? ハイゼンベルクとディラックは目の前に出された石粒を見ながら戸惑う。ただそんな二人に対し、今度はウォラストンが話しを切り出した。

「あなた方は【ヤツ】と呼ばれる人外の化け物をご存じでしょうか?」

 平素に告げたウォラストンの口調にハイゼンベルクは身を強張らせる。だがそれとは対象的にディラックは苛立(いらだ)ちながら吐き捨てたのだった。

「一般的な教養を積んだ者なら、ヤツの存在くらい知っていて然だ。でも具体的にそれがどういった化け物なのかは知るところではないぞっ!」

 (まと)()ぬ話にディラックは憤りを感じていた。ただそんな彼の威圧的な声に反応する事なく、ウォラストンは冷静に続けたのだった。

「ヤツとはこのアダムズ王国にて、二十年ほど前より度々(たびたび)その姿を現しては、そのおぞましい姿と粗暴(そぼう)さによって人の心を震撼させた化け物です。しかし現在までに確認されたヤツは十体ほどと少なく、また死骸すら残さず全てのヤツが姿を消してしまった。だから謎が多過ぎるんですよ。ヤツが何処から現れたのか。何を目的としていたのか。残虐の限りを尽くしたはずなのに、手掛かりはまったくのゼロ。ヤツが存在した事実ははっきりとしているのに、何も分かっていないんですよね。こんな事って信じられますか? でも私達は手に入れたそのクローンの勾玉を調査して、ヤツに秘められた謎の一部を解き明かしてしまったんです」

「どういう事です?」

 ウォラストンの話しを聞いたハイゼンベルクがグラム博士に視線を移して尋ねる。すると博士は目だけで頷きながら、衝撃の事実を話し始めた。

「ヤツの正体とは、このクローンの勾玉に秘められた【偽りの神の力】によって、生きた人間を強制的に【獣神の姿】へ変異させたものなのじゃ。ヤツは生まれながらの化け物なんかじゃなくて、元々はワシらと同じ人間だったんじゃよ」

「そ、そんなバカな!」

「国王はこの(にせ)勾玉の研究過程において、生きた人間による人体実験を度々実施しおった。そしてその時生まれた検体が、今までに確認されたヤツじゃったんじゃよ。じゃがそれらは全て失敗作じゃったようじゃ。未完成の勾玉の力によって誕生したヤツは、自分自身が制御出来ずに暴れ狂った。その結果が今に伝わる残虐な事件なんじゃよ」

「そ、そんなバカな話しが……。い、いや、でもそれが本当なのだとして、どうしてアルベルト国王はそんな惨い事をしたんですか」

 ハイゼンベルクは悲痛な表情で質問する。まともな話しではない。でも受け入れざるを得ないのか。強い焦燥感に気持ちが煽られる。(いや)な予感しかしないのだ。ただそんなハイゼンベルクに向かい、グラム博士はあえてはっきりと告げたのだった。

「忘れたわけではなかろう。国王はすでに国王に(あら)ずじゃ。獅子にその身を奪われた国王は、軍事技術の究極の姿をめざす様になってしもうた。そして国王は神話に(うた)われる神の力まで武力に変えようと理想を掲げたのじゃ。当然じゃろ、ヤツ一体で百人の武装した兵隊に匹敵するほどの戦力になるのじゃからのう」

「……」

「ただ(さいわ)いな事に、偽勾玉の研究は暗礁(あんしょう)に乗り上げ、現在は凍結しているらしい。まぁ、神の力を人の身に備えるなんて、そもそも不可能なのじゃからのう。人は人、神は神なのじゃ。バイクにジェットエンジン付けてどうするというのじゃ。考えずとも身を(ほろ)ぼすだけなのは明白じゃろ」

 伏し目がちになった博士は少し(かな)しそうに言った。人体実験の道具にされ、化け物の姿になってしまった者達のことを(うれ)いているのだろうか。いや、そうではない。鏡奪取の為の秘策を思い、胸を痛めているのだ。そしてそんな博士の胸の内を直感で察したハイゼンベルクは、彼の方から核心を聞き尋ねたのだった。


「この目の前にある勾玉には、まだ神の力が宿っているんですか?」

 ハイゼンベルクは博士の目をじっと見つめた。そしてそんな彼に向かい、グラム博士は黙ったまま(うなず)いた。

「おいおいおい! 冗談だろ。まさか副将、あなたは鏡を手に入れる為に、その勾玉の力を使うつもりなんですか!」

 ディラックが声を荒げる。彼もまた、博士とハイゼンベルクの考えを察したのだ。しかしそれは容易に受け入れられる話ではない。さすがのディラックもこの時ばかりは声を上げずにはいられなかった。だがそんな彼に向かいハイゼンベルクは小さく(つぶや)く。そこには悲痛なまでの覚悟が(にじ)み出ていた。

「たとえ(いつわ)りであろうと、そんな神の力でも利用しない限り、わずか三人でコルベットから鏡を奪うなんて出来るわけないだろう」

「し、しかし副将――」

 ディラックは拳を強く握り押し黙る。彼はハイゼンベルクが告げた意見に返す言葉を見つけられなかった。恐らくそれが現在考えられる、計画を成功させる為の唯一の手段なのであろう。でも神の力を利用するとは、すなわち身を滅ぼす事を意味するのではないか。

 ハイゼンベルクとディラックは耐え難いほどの戸惑いを感じている。ただそんな彼らに向かい、グラム博士はあえて残酷な未来を語ったのだった。

「このクローンの勾玉に秘められた偽りの神の力を利用すれば、コルベットを相手にしても三人で十分事足りるじゃろ。じゃが本当の問題はそこではない。問題なのはこの石の力を使った者は、確実に【死ぬ】って事なのじゃよ」

「えっ……」

 はやりそうなのか。ハイゼンベルクとディラックは息を飲み黙り込む。死への覚悟は決めたつもりなのに、改めて死を突き付けられると体が震えて仕方ない。でも本当に死への怖さだけで震えているのか。いや、そうではない。勾玉の力を手に入れて神の力を利用すると言う事は、すなわち人間をやめてヤツという化け物になるという事なのだ。いくら戦場のエキスパートである彼らであっても、身を(すく)ませるのは仕方ない。ただそんな尻込みする二人の表情に気づきながらも、ウォラストンは博士の話に補足した。

「ヤツは人の数十倍という身体機能を有しています。瞬発力に持久力、それに跳躍力など、人間のもとのは比べようもありません。ではその力は一体どこから得られているものなのか。はっきり申しましょう。答えは【命】です」

「い、命?」

「はい。石に秘められた力とは、ベースとなった人の命を凝縮(ぎょうしゅく)し、その命を驚異的な身体能力に変える力なんです。言わば人が本来持つ力のリミッターを外し、さらにその力を無理やり嵩上げさせる。その根源となるエネルギーが【命】なんですよ。その証拠に王立協会内に残されていたデータによれば、石の力でヤツに変化した者の命は通常で約3~4ヶ月とされ、屈強な肉体を持つ者であったとしても、長くて半年程度だと報告されています。本来であれば七、八十年あるはずの寿命が、わずか半年にも満たないスピードでその命を消費する。それがこのクローンの勾玉の力であり、ヤツの力の正体なんです」

 ウォラストンは平素に告げた。でも決して彼は冷淡に話したわけではない。押し潰されそうな重圧を感じていたからこそ、あえて素っ気なく言ったのだ。それにハイゼンベルクらの不安と迷いが伝わって来て、気を抜けば彼自身の方が怖さで(うずくま)ってしまい兼ねない。だからウォラストンは精一杯に強がっていた。しかし彼にはここまでしか話せなかった。やはり根が優しいウォラストンには、これが限界なのだろう。するとそんな彼に代わり、グラム博士が最後に告げた。

「ウォラストンの話しに付け加えるとじゃ、ヤツになった時に自我(じが)を保っていられる保証は無い。いや、たとえ意識を(つな)ぎ止めたからとて、一度ヤツの姿に変化した者は死ぬまで元の姿には戻れん。ゆえに(えん)有る者達とはもう二度と、会うことも話す事も出来んじゃろ――」

「……」

 博士の言葉にハイゼンベルクは再び黙り込む。彼はパーシヴァルに残している愛する家族の顔を思い浮かべたのだ。ただそんなハイゼンベルクに対し、グラム博士は更なる残酷な結末を語ったのだった。

「ヤツがこの石の力で誕生したとは言ったが、なら逆に何処へ消えたかは言ってなかったな。ヤツはその短い寿命を全うし力尽きると【元の人の体】に戻るんじゃよ。じゃからヤツの死骸(しがい)は見つからないんじゃ。誰からも()(きら)われる存在となり、誰にも知られる事なく死んで行く。それが【ヤツ】になるという事なんじゃよ」

 グラム博士は悲痛な表情を浮かべつつも、決意の表情を浮かべて二人に言った。全てを打ち上げ、それを二人が受け入れられて初めて計画は実行に移れるのだ。でもそこに強制力はない。最終的な判断は二人次第なのだから。しかしそれを重々承知で博士は言う。それは博士の覚悟そのものだった。

「そんなものに誰がなれと命令できよう。待っているのは悲惨な現実と()(がた)い苦痛のみじゃ。それでもワシはおぬしらに(たの)みたい。ワシの為に死んでくれぬか。そして(いばら)の道を歩んでくれぬか。ワシを恨むなら好きなだけ恨むが良い、殺したいなら殺しても構わん。じゃがワシにはおぬしら以外にもう、頼む(すべ)が無いのじゃ――」

 そう言うなり、博士は(ひたい)を床に押し付け土下座(どげざ)をした。

「博士……」

 ハイゼンベルクとディラックは、小さく背を丸める博士の姿をただ見ている事しか出来なかった

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