#17 凍解の事実(四)
黒き獅子が放った強大な雷撃は、凛とした姿で建ち並んでいたはずのプトレマイオス遺跡を、見るも無残な瓦礫の山に変えた。しかしその反面、甚大な攻撃は遺跡の地下に隠れていた【ある一面】をも露出させた。
遺跡の地下。そこにはなんと、【都市】と呼べるほどの巨大な地底遺跡が隠れ潜んでいたのだ。
かつて女神ヒュパティアが建造したと神話にて謳われているプトレマイオス遺跡。深い山岳地帯ではあるが、ここには数多くの神殿が建ちならび、太古の栄華が感じられる貴重な場所である。
正体不明の電波障害が発生し電子機器の制御が著しく損なわれる為、航空機や車等での移動手段が取れず、遺跡を訪れるには自力による徒歩か馬などの動物の力を借りるしかない。それでもこの場所には参拝を目的として訪れる者は多かった。
しかしこの場所に到着した者達は皆、遺跡の雄大さに目を奪われ歓喜するばかりだった。その為遺跡の地下にこの様な広大な空間が隠れていようとは思いもしなかったのだ。
だが獣神同士による凄まじい戦いの煽りを受けて、地底都市はその姿を露わにした。そしてグラム博士ら三人は、そんな地底都市に突き落とされていた。
目の前に突然現れた絶景に三人は声を失っている。そこにはなんと、アダムズの首都ルヴェリエに【匹敵】するほどの、巨大な古代都市があったのだ。
恐らく彼らは当初、この場所を死んだ者が行く黄泉の国だと思ったのだろう。頭上から巨大な雷撃と、それを受け止めた銀の鷲が尋常でない速度で落ちて来たのだ。まだ生きていると考える方が無理というもの。しかし現実味のある光景に、それがまだ現世だという事を彼らは把握した。
「は、博士。ここは何処ですか? いや、俺達はプトレマイオス遺跡の地下に突き落とされたんですよね。でも何なんですかこれは。こんな場所が地下にあるなんて、信じられません」
ファラデーは目を丸くしながら地底都市を見渡している。そしてそんな彼に向かい、グラム博士も首を傾げながら呟いたのだった。
「ワシにもさっぱり分からん。遺跡の地下にこんな【都】が存在するなど、聞いたこともないしな。ただ地上の神殿が建てられたのは約千年前であると、かつて親交のあった考古学者や地質学者は言っておった。ならばこの都市も同じ時期に造られたということなのじゃろうか……。それにしても地下に隠れていた為か、この都市は地上の神殿に比べて風化が少なく、非常にきれいな状態で保存されとるようじゃのう」
博士が推測する様に、ここはまるで時間が停止してしまったのではと思えるほどに綺麗な姿を留めている。そしてそんな遺跡の姿にボーア将軍は意識を奪われていた。神秘的な古代都市の姿から目が離せなかったのだ。それでも彼は改めて周囲の気配を確認し警戒感を高める。何が起きてもおかしくない状況に、彼は軍人として培われていた経験を働かせたのだった。
しかしボーア将軍のそんな不安は無用のものであった。やはり古代の都とも言うべきこの地底都市は、まったくの無人であったのだ。いや、それどころか獣の気配すら感じない。そしてそんな遺跡を見つめたボーア将軍は、独り言の様に呟いていた。
「まだ【科学】という言葉すら存在しない遥か昔に、このような地底都市が築けるとは。一体どんな文明がここに繁栄していたのだろうか……」
将軍は舌を巻く思いで地底都市を見渡していた。だがその時、
「ビューッ」
突然上空から突風が吹きつけて来た。グラム博士らは反射的に遺跡に掴まり、必死で飛ばされぬよう堪える。するとそんな三人の頭上より、巨大な翼を広げた銀色の鷲が舞い降りて来た。
全身傷だらけの姿で、銀の鷲はゆっくりと三人の前に降り立った。その姿は見るからに満身創痍といった感じだ。ただそんな鷲に向けてボーア将軍は素早く銃を向ける。銀の鷲から敵意の様な感覚は感じない。それでも彼は不測の事態を想定し、鷲に向けて銃の照準を合わせたのだった。
だがそこでファラデーがボーア将軍を制止させる。そしてファラデーは少し慌てながらも、微笑みを浮かべて将軍に言ったのだった。
「ま、待って下さい将軍! 大丈夫、心配は要りませんから」
ボーア将軍は銃を握る腕に力を入れたままグラム博士の顔を見る。彼は博士の判断を仰ごうと思ったのだ。するとそんな将軍の胸の内を理解したのだろう。グラム博士はファラデーの目をじっと見つめた。
グラム博士とファラデーの視線が一直線に繋がる。ただそれは一瞬の事であり、博士はすぐに将軍へ向かって頷いてみせた。
ボーア将軍の腕からスッと力が抜ける。そして彼は攻撃する意志が無い事を示す様に、銃を地面に置いた。
改めて将軍とグラム博士は銀の鷲と正面から向き合う。ただそこで先に口を開いたのは、意外にも銀の鷲の方であった。
「怯える必要はありません。私の名は【ラヴォアジエ】。今は訳あってこの様な姿をしていますが、かつてはあなた達と同じ人の身であり、アルベルト国王直属の配下として仕えていた者です。さぁ、私の背に乗って下さい。話はまず、地上へ戻ってからにしましょう」
将軍と博士は驚きを露わにしながらファラデーの顔を見る。彼らには何となく繋がりが見えたのだ。するとそれを察したかの様に、ファラデーはニッコリと微笑みながら言った。
「私はすでに一度【彼】と会っています。そうです、彼こそがお二人に紹介すると伝えていた【逃亡者】なんです」
美しい夕日が西の空に優しく輝く。一時は暗雲立ち込め、突風と共に落雷が連発したあれは嘘だったのであろうか。そう思えるくらいに地上は静けさを取り戻していた。
しかしラヴォアジエの背に乗り地上に戻ったグラム博士達は、瓦礫の山と化した地上の遺跡を見て意気消沈する思いがしていた。やはり黒き獅子が招いた激しい落雷と突風が現実のものであったのだと、彼らははっきりと認識したのだ。
超大型の台風が直撃したとて、これほどの甚大な被害は起きないだろう。むしろ強大地震の発生か、山崩れが起きたと考えた方が納得できる。まさに大地の怒りが具現化した。博士達はそう思い、身震いしたのだった。
ただそれでも彼らは自らの身を投げ出し、獅子の放った凄まじい電撃から命を守ってくれたラヴォアジエに感謝した。絶対絶命の窮地から救ってくれた銀の鷲に心から礼を述べたのだ。するとそんな博士達に対し、ラヴォアジエは少し苦しそうな呼吸をしながら答えたのだった。
「あ、あなた方を守るのは当然です。なぜならアイザック総司令を伝い、あなた方をこの場に呼んだのは私なのですから。それなのに危険な目に遭わせてしまい、大変申し訳なく思っています。そして先程の獅子との戦いで、さらにもう一つ謝罪理由が増えてしまいました」
「謝る理由じゃと? 地上の遺跡を破壊されたことについてか? 確かに遺跡は歴史的に貴重な財産ではあるが、でもワシらはそんな事、たいして気にしてはおらんぞ。所詮人が作り出した物など、いつかは壊れるモンじゃからのう」
博士は満身創痍のラヴォアジエを気遣いながら言った。するとそれに対し、銀の鷲は優しい目を差し向けながら応えたのだった。
「【火の神】の力を備えたこの体は、どれほど傷付こうとも命さえ取り留めていれば【天照の鏡】の力を使って元通りに復活する事が出来ます。ですがご覧の通り、黒き獅子から受けたダメージは予想以上に大きく、早く鏡のもとに行かねば深刻な事態に陥ってしまうでしょう」
「だったら早く鏡のある所へ行かんか」
「そこが問題なのです。黒き獅子がこの地に向かって来るのを事前に察した私は、戦闘回避は不可能であると判断し、命の根源である天照の鏡の一つ【火の鏡】を遠く離れた安全な場所に隠してしまいました。ですのですぐにでもこの場を離れ、鏡のある場所へ行かなければなりません。ただ鏡を使ってこれだけのダメージを復活させるとなると、その後一定の期間その場を動くことも出来なくなるので、グフッ……」
「だ、大丈夫かえ。早くせんと本当に死んでしまうぞ」
「申し訳ありません。グラム博士とボーア将軍には遥々このような辺境に足を運んで頂いたというのに、お話をする時間がもう残されていないようです。話したい事は山の様にあるのに、それを伝えられず残念で成りません」
赤く輝くラヴォアジエの目からは、無念さと哀しさが滲み出ている。きっとラヴォアジエは博士達と話す機会を待ち侘びていたのだろう。しかし黒き獅子との戦いでその時間を失ってしまった。彼はその忸怩たる悔しさを噛みしめているのだ。ただそんなラヴォアジエの気持ちを察したグラム博士は、彼を労わりながら真実を問うたのだった。
「おぬしに時間が無いのはよく分かった。そして国王の殺害を企てる理由も、国王……いや、黒き獅子と直接話すことで理解出来たつもりじゃ。じゃからおぬしはワシらに対し、どうしても伝えたい事のみを簡潔に伝えてくれんか? そして早くその身を回復させに行くのじゃ。まぁ、正直目の前で起きた事全てが現実味無さ過すぎて、おぬしの話を信じられるかどうかは分からんがのう」
「信じるか信じないかはあなた方に任せます。私は話を聞いてくれるだけで構いません――」
そう言ったラヴォアジエは、少し口早に語り始めた。
かつてラヴォアジエはアルベルト国王直属の配下として、国王の指示のもと神器集めに奮闘していた。
だがそれは困難を極めた日々の連続であり、常に命の危険に身を晒す過酷な旅であった。しかしそれでもラヴォアジエを含んだ【神器捜索隊】は次々と神器を見つけ出し、それを国王のもとへと参じて行った。
神器を運び込むほどに国王は上機嫌になっていく。だがそれ以上に過酷な任務がラヴォアジエら神器捜索隊に課せられたのは、言うまでもない流れであった。
世界に散らばった神器の数は多い。それにそのほとんどが雲を掴む様な情報を頼りにして捜索を進めなければならないのだ。彼らの肉体と精神がボロボロになるのは時間の問題であり、当然の事ながら酷烈な捜索活動の途中で命を落とす隊員も少なくはなかった。
いくら国王の命令とはいえ、どうして自分達はこれほどの激務を遂行し続けなければいけないのか。いつしかラヴォアジエはそんな疑問を抱く様になる。それは彼が神器捜索の過程で、国王の中の【何か】が変化していく様子を肌で感じたからだった。
初めの頃は神器を運び込む度に、国王は温かく彼らを迎え入れてくれていた。しかし神器の回収が進むにつれ、国王の態度は露骨に冷めたものへと変わって行く。命懸けで神器を見つけ出している隊員達に労いの言葉すら与えなくなってしまったのだ。
そしてラヴォアジエは決定的な国王の変化に気付いてしまった。彼は別人の様にスタイルを変えた国王の研究内容に、確信した疑わしさを感じたのだ。
国王が研究熱心であるのは変わらない。でも以前の国王は主に一般の生活に密着した科学技術の発明を推進していたはず。しかし気が付けばそれは軍事的な技術開発に主が置かれる様になっていた。いや、それどころか時には生きた【人体】を使った非人道的な実験にまで及んでいたのだ。
いくら最高権力を有する国王だからとて、こんな卑劣で残忍な振る舞いが許されるはずがない。ラヴォアジエは腑に落ちない違和感を抱き酷く困惑する。しかしだからと言って神器の捜索を断れるわけもない。彼は疑念を抱きながらも、国中を駆け回り神器集めに奔走するしかなかった。
だがある日の事。ついにラヴォアジエは国王の正体を知ってしまう。偶然にも彼は国王が獣神である黒き獅子によって、その身を奪われていると気付いたのだ。
そして更に彼は知ってしまった。黒き獅子の最終的な目的が、全ての神器の力を利用する事で可能になる【時の支配】であるのだと。
時の支配とはすなわち【絶対神ソクラテス】の力であり、究極の力を示すものである。そしてもしそんな絶対的な力を今の国王が手にしたならば、想像を絶する事態になるのは明らかだった。
血眼になって軍事技術の高みを目指すアルベルト国王の姿にラヴォアジエは尋常でない危機感を募らせる。だが国王を裏切るなんて出来るはずもない。国王を敵に回すとは、すなわちアダムズ王国から命を狙われる事になるのだ。そんなの個人がどれだけ抵抗をみせようと回避できるものではない。
しかしラヴォアジエは僅かな隙をつき、国王の下より神器を奪い逃走した。彼は覚悟を決めたのだ。
すると案の定、アルベルト国王はこれ以上ない程に憤慨する。そして烈火の如き怒り狂った国王は、ラヴォアジエの抹殺命令を下知したのだった。
そこで新たに組織されたのが【コルベット】である。彼らは国王直下の専属部隊とし、トウェイン将軍を隊長としてラヴォアジエの追撃を開始した。
コルベットは十人ほどの小隊規模な部隊であったが、それでも彼らはアダムズ軍きっての精鋭隊士の中から選抜された超エキスパート集団である。その強靭的な強さは、一般的な隊士から見ればとても比較にならないレベルのものだ。そしてそんな最高部隊であるコルベットならば、たった一人の逃亡者であるラヴォアジエを捕まえるなんて時間の問題であると誰もが思っていた。
しかし事態は予想を覆す。なんとラヴォアジエは執拗に迫るコルベットの追撃を振り切り続けたのだ。
だがそれはコルベットを指揮するトウェイン将軍からすれば、ある意味当然の結果であると言えた。なぜなら神器回収を目的として結成された神器捜索隊が、秘密結社であるアカデメイアの腕利きを集められて組織された部隊であり、その中でもラヴォアジエは特に秀でた戦闘能力を有した戦士だったからだ。
一対一の対決であれば、恐らくコルベットの隊士でもラヴォアジエに勝つのは至難の業であろう。それほどまでにラヴォアジエの身体能力は高く、また追い込まれた状況を切り抜ける強い精神力を彼は携えていた。
一進一退の攻防は続く。だがはやり多勢に無勢だったのだろう。次第にラヴォアジエは追い詰められていく。そしてついに、ラヴォアジエは絶体絶命の窮地に陥った。
ただその時だった。懸命な逃亡を続ける彼の身に、思いもよらぬ事態が発生したのだ。
それはあまりにも偶然で唐突な出来事だった。ラヴォアジエは所持していた天照の鏡の一つである【火の鏡】の封印を解いてしまったのだ。
目の前に突如として姿を現した伝説の獣神である【銀の鷲】。その姿にラヴォアジエは愕然とした事だろう。だが次の瞬間、銀の鷲はラヴォアジエの体の中に容赦なく入り込んだ。
「ぐわぁぁぁ!」
ラヴォアジエは想像を絶した激痛に悶え苦しむ。全身がバラバラに引き裂かれる様な感覚に襲われ、更には心までもが崩れていく。そんな耐え難い苦痛にラヴォアジエは三日三晩うなされ続けた。
しかし彼は諦めなかった。何度死を覚悟しようと、ラヴォアジエは懸命に意識を保つべく集中したのだ。幾度となく死線を越えて来た彼の精神力の強さがそうさせたのかも知れない。だがそれは結果として、彼の心を留める事に成功したのである。
やっと耐え難い痛みから解放されたラヴォアジエはホッと息を吐く。あの壮絶な苦しみは何だったのか。ただ彼はそう思い悩むも、それとは別にもう一つ感じる事があった。
体がとても軽い。いや、それどころではない。体の底から溢れんばかりの熱い力を感じるのだ。これは一体どういう事なのか?
ラヴォアジエは自分自身に不可思議な疑問を抱く。だが彼はその理由をすぐに知る事になった。そう、彼の体は獣神である【銀の鷲】の姿に変化していたのだ。
ラヴォアジエはゾッと身を強張らせる。国王が黒き獅子にその身を奪われた事を思い出したのだ。ただそこで彼は考える。どうして自分には【心】が残っているのだろうかと。
アルベルト国王は黒き獅子にその身を奪われる事で優しい心を失った。それに対して自分は逆に銀の鷲の体を奪い獲った形になっている。その事に彼は酷く困惑したのだ。
しかし手に入れた神の力は、皮肉にも彼のそれからの逃亡を容易にさせた。どれだけコルベットの追撃が執拗に迫ろうとも、所詮それは人が追い駆けて来るだけのものなのだ。獣神の姿となったラヴォアジエにしてみれば、それは地を這う蟻から逃れるほどに簡単な作業であった。
ただその後すぐに彼は神の力を手に入れた弊害を知る事になる。黒き獅子は自由にその身を国王の姿と獣神の姿に変化させられたのに、銀の鷲となったラヴォアジエは人の姿に戻れなかったのだ。
同じ獣神の力を持っていても、心までもを入れ替えた黒き獅子に対し、人の心が残ってしまったラヴォアジエには、その力に制約の様な働きが発生したのかも知れない。
銀の鷲となったラヴォアジエは酷く落ち込んだ。それでも彼は徐々にその新しい力の使い方を学んでいく。そして手に入れた神の力の全てを理解した彼は、世界を飛んで自らの体や神話について調査した。そして二十年以上もの月日が流れたのであった。
長い年月をかけて、ついにラヴォアジエは獣神抹殺の方法を探し出す。恐らくその時の彼は国王の打倒方法を見つけた達成感に歓喜し、またようやくここまで辿り着いたという安堵感にホッとした事だろう。だがしかし、そこでラヴォアジエは新たな悩みに直面した。
いかに神の力をその身に備えたとはいえ、黒き獅子である国王を倒すのは極めて困難である。やはり信頼出来る協力者が必要だ。彼はそう思い悩んだのだった。
国王がもう国王でなくなっている。それを理解してもらうだけでも難しい作業である。それにもしそれを理解してくれる者が現れようとも、敵となるのは黒き獅子、すなわち【神】なのだ。神を相手とする事に恐れや迷いを感じない者はいないだろう。
それに敵対するのは神だけではなく、コルベットを筆頭にしたアダムズ軍まで相手にしなければならないのだ。普通の人間ならば絶対に聞く耳を貸さないはず。だがそれでもラヴォアジエには協力者を探す必要があった。
命を顧みない勇敢な闘志の持ち主で、かつ最高のスキルを備えた強き戦士の存在。そんな者が5人、いや3人でも見つけることが出来れば、黒き獅子を倒す作戦を実行出来る。ラヴォアジエはそう考え、協力者探しを開始した。
でも都合良く協力者なんて見つかるはずもない。ラヴォアジエは日々頭を抱えながら思い悩んだ。ただそんな折に、彼に幸運が舞い降りる。なんとラヴォアジエは同じく国王の異常な変化に気づいたアダムズ軍の総司令であるアイザックと出会ったのだ。
ラヴォアジエはアイザックに国王の真の姿が黒き獅子であると伝える。もうすでに国王の命は尽き、その身は獣神に奪われていると真実を話したのだ。
するとそれを聞いたアイザックは酷く動揺した。実の父の様に慕っていたアルベルト国王が、神話に登場する獣神によって消されたなどと、とても受け入れられなかったのだ。
しかし最近の国王の変化を見れば、それが嘘であるとは否定出来ない。いや、むしろ目の前にいるラヴォアジエの姿を見れば、彼の言っている事が真実であるのだと認めざるを得ないのではないか。だってそこにいるラヴォアジエも神話で謳われている銀の鷲そのものなのだから。
アイザックは葛藤の末、国王を討つ覚悟を決める。自分にとって今最優先で果たさねばならない責任がなんであるか。彼はそれを自分自身に強く問うたのだ。
そして決意を定めたアイザックはラヴォアジエの考えに同調する。そして彼はアルベルト国王と同等の頭脳を持つ天才的な科学者の協力が必要だと判断し、かつて国王の右腕としてその手腕を振るったグラム博士に協力を求めようとしたのだった。
グラム博士がパーシヴァル王国に潜伏しているという情報は、親交の深かったボーア将軍より聞き及んでいる。しかしアダムズ軍総司令である自らがお尋ね者である博士に会いに行くなんて出来るはずがない。そこでアイザックが目を付けたのが、彼の腹心として密かに活躍していたファラデーの存在だった。
ファラデーはアダムズ軍きっての精鋭隊士であり、幾度もの死線を越えて来た強者である。剣技においても砲術においても軍トップクラスのスキルを持ち、かつ戦況を正確に読み取る洞察力にも優れている。アイザックはそんな彼をかねてより腹心として重宝していたのだ。
大切な遣いを任せるならファラデーしかいない。そしてなにより幸運だったのが、ファラデーとグラム博士が同郷出身の友人であるという事だった。
獣神の抹殺など、普通であれば鼻で笑ってもおかしくない冗談めいた話である。もちろんファラデーとて、そんな話が簡単に信じられるわけがないだろう。ただグラム博士の話しを持ち出せばファラデーは協力するに違いない。アイザックはそう考えた。なぜならファラデーはグラム博士が犯罪者として指名手配されている事に憤りを感じていたからだ。
それにもう一つ。ファラデーは口が堅かった。ある意味それが彼を遣いに選んだ一番重要な条件だったのだろう。
最も恐ろしいのは獣神暗殺に動く自分達の情報が漏れる事。そう考えたからこそ、アイザックは絶対の信頼を寄せるファラデーに密命を下し、パーシヴァル王国に亡命する博士の所に赴かせたのだった。
ラヴォアジエは足早に事の経緯を語った。だがやはり満身創痍の体は限界に近づいているのだろう。苦しそうな呼吸が抵抗となり、次の一言が発せられない。見ている方が辛くなるほどだ。するとそこでボーア将軍が逆に話しを切り出した。彼はこちら側から質問を投げ掛け、それに答えるだけの方が時間の無いラヴォアジエにとって楽であろうと考えたのだ。ただそこでボーア将軍が切り出した質問は極めて核心を突くものであった。
「ラヴォアジエ殿。あなたが告げたこれまでの経緯は大方理解出来たつもりでいる。ただここからは私の質問に答えてほしい。その方があなたにとっても都合が良いでしょうからね。では聞かせて下さい。アルベルト国王を、いや黒き獅子を倒す方法とは、一体どの様な方法なのですか?」
ボーア将軍は真っ直ぐにラヴォアジエの赤い瞳を見て問いかける。するとそんな彼の強い気持ちを受け取ったのだろう。ラヴォアジエは苦しそうな表情を浮かべながらも、首を縦に振って将軍の質問に答えたのだった。
「獣神を抹殺する方法。それは神話で語られている【天光の矢】をもって、獣神を射殺すというものです。天光の矢とは、女神が暴走を始めた燦貴神を鏡に封印するのを目的として、天より降らせた光の矢の事。その矢を再び天より黒き獅子目掛けて打ち降ろすのです」
「どうやって?」
「天光の矢の発動条件は、朔の刻に【禊の地】で天照の鏡を天に向け掲げる事です。朔の刻とは新月が誕生する時間のこと。そして禊の地とは、ルーゼニア教の神話で語られている首都ルヴェリエのとある4か所を示します。それらの場所で現存する【四つ】の天照の鏡を夜空に掲げれば、天光の矢は獣神に向かい発射されるのです」
「ちょ、ちょっと待て。四つの鏡じゃと!? 天照の鏡は全部で三つじゃないのか?」
グラム博士が首を傾げながら問い掛ける。ルーゼニア教やアダムズ王国で広く伝わっている神話では、3つの鏡しか記されていないのだ。博士が戸惑うのも無理はない。ただそんな博士に対し、ラヴォアジエは明確な言葉で丁寧に説明したのだった。
「神話の中で広く謳われている天照の鏡。それは銀の鷲を封印した【火の鏡】と、黒き獅子を封印した【大地の鏡】、そして紫の竜を封印した【海の鏡】の三つです。ただ実際にはその他に、隠されたもう一つの恐るべき鏡が存在するのです。それは神の命すら吸い取るとされる蒼き蛭を封印した【死の鏡】と呼ばれる鏡であり、現在はパーシヴァル王国に国宝として保管されているものです」
「な、死の鏡だと!」
そう反射的に叫んだボーア将軍は息を飲み押し黙る。古くよりパーシヴァル王国には、死の鏡なる骨董の宝物が確かに保管されていた。でもそれがまさか伝説に謳われる天照の鏡の一つだとは思いも寄らなかったのだ。
ただボーア将軍は驚きながらも自身の記憶を探っていた。将軍には何か思い当たる節があるのかも知れない。しかし残念な事に今はゆっくりと考えている時間はないのだ。そう言わんばかりにラヴォアジエは、ボーア将軍に向かってこれから先の要望を伝えたのだった。
「今はまだ、死の鏡がパーシヴァルにあることを黒き獅子は知らないはず。しかし知られるのは時間の問題です。だからボーア将軍はどうか、私の体が回復するまでその鏡を守って頂きたいのです。そしてグラム博士、あなたにはそれ以外の天照の鏡である、大地の鏡と海の鏡を奪取する準備を進めて頂きたいのです」
「準備じゃと!?」
博士と将軍は明らかに困惑している。唐突な話しが上手く飲み込めないのだ。だがそんな彼らに対してラヴォアジエは構わず続けた。
「火の鏡はすでに私の手にあるので心配ないのですが、やはり問題になるのは大地の鏡と海の鏡を手に入れる事です。大地の鏡は当然ですが、国王に扮した黒き獅子が持っているのでしょう。ですので博士はどうにか、大地の鏡の所在を掴んでほしいのです。そして残りの海の鏡。私が入手した情報では、それは現在ルーゼニア教が保管しているらしいのです。ただし、それを警護するのは国王直轄部隊であるコルベット。私は黒き獅子の相手をしなければなりませんので、コルベットまでは面倒みれません。なので博士、あなたにお願いしたいのです。コルベットに立ち向かう為の少数精鋭の屈強な兵士の確保と、アダムズ軍が知らない強力な武器の調達を。どうか博士には、その準備をお願いしたいのです」
「……」
まさに晴天の霹靂とでも言うべきか。予想だにしないラヴォアジエの話に、博士と将軍はただただ言葉を失っていた。するとそんな二人に対し、ラヴォアジエは切ない眼差しを向ける。本当であればもっとゆっくりと時間を掛けて理解してもらいたい。きっとラヴォアジエはそんな忸怩たる悔しさで一杯だったのだろう。ただそれでも彼は博士らに向けてこう締めくくったのだった。
「本来の力を取り戻すには、恐らく数年は掛かってしまうでしょう。ただ私同様に黒き獅子も酷くその身を傷付けています。ゆえに奴とてすぐには動けないはず。少しだけ時間はあります。冷静に私の話した事を考えて下さい。――私はあなた方を信じています。いえ、あなた方以外は信じられない。どうか私に力を貸していただける事を、心より願っています」
ラヴォアジエは傷ついた翼を広げ飛び立とうと姿勢を整える。もう時間は無い。彼の体力は限界寸前まですり減っているのだ。これ以上の長話はラヴォアジエの命を危険水域にまで到達させ兼ねない。だがそれでもグラム博士は最後に聞き尋ねた。博士にはどうしてもラヴォアジエの一連の行動に理解し難いものを感じていたのだ。
「最後に一つだけ聞かせてくれぬか。なぜおぬしはそこまでワシらの事を信頼出来る。それも初対面のワシらに。いくらアイザックがワシらを推薦しようと、それだけで信頼するのはおぬしにとってもリスクがあるんじゃないのか?」
「……」
「おぬしの依頼は命が幾つあっても足りぬ内容じゃ。いかにワシが先の短い老いぼれじゃと言っても、命は惜しいもの。容易には首を縦には振れん。確かに国王が獣神に乗っ取られている状態は非常に危険なことじゃと思う。でもじゃからと言って簡単に自分の命を天秤に掛けられるほど、ワシは人間が出来てはおらんぞ。それでもおぬしはワシらを信用すると言うんかえ?」
博士はそう言って赤く輝くラヴォアジエの瞳をじっと見つめた。二十年にも及ぶラヴォアジエの逃亡生活は、気が遠くなるほどの苦痛に満ちた世界だったはず。そしてそんな環境に身を置き続けていたラヴォアジエならば、他者に対して必要以上に疑心暗鬼になっていて然るべきはずなのだ。それでもラヴォアジエは信頼という言葉を迷いなく告げた。そこにはどんな想いが込められているのか。それが気になったからこそ、博士は限られた時間の中で、ラヴォアジエの心意を少しでも理解しようとしたのだ。するとそんな博士に向かい、ラヴォアジエは軽く翼をはためかせながら優しく告げたのだった。
「私はずっと前からグラム博士を見てきました。だから誰よりもあなたを信頼しているし、なによりも博士には言葉に表せぬほどの感謝の気持ちで一杯なのです」
「どういう事じゃ? おぬしと会うのは今日が初めてのはずじゃろ!?」
釈然としない博士は目を細めて訝しむ。ただそれに対してラヴォアジエは柔和な口調で語り続けた。
「あなたは【月読に愛されし子】を我が子の様に育ててくれた。真っ直ぐに逞しく育った【彼】を見れば、博士がいかに良き父であったかが分かります。ただ痛ましくも彼はいつの日か、月読の胤裔としてその力に目覚めるでしょう。でも彼ならきっと大丈夫です。どれほどの苦境に立塞がれたとしても、博士によって強く育てられた彼なら、過酷な未来を自力で切り開くことが出来るでしょうから――」
そう言うなり、ラヴォアジエは茜色に染まった空に飛び上がる。そして巨大な翼をいっぱいに広げて急速に高度を上げた。
「ま、待つのじゃ! おぬし、何を言っておるのじゃ。ジュールとおぬしに何か関係があると言うのかっ!」
グラム博士は堪らずに声を張り上げる。しかしその叫びに応える事なく、ラヴォアジエは遠くの空に飛んで行ってしまった。
茜色の空をさらに赤く染めるがごとく、ラヴォアジエは傷ついた翼を羽ばたきながら夕日に向かい飛んで行く。そしてそんな彼の姿を廃墟と化したプトレマイオス遺跡に残された三人は、ただじっと見つめるだけだった。