#16 凍解の事実(三)
アルベルト国王は困惑した表情を浮かべる三人に対し、微笑みながら話し掛けた。
「おやおや、古き友人達よ。この様な辺境の地でお目に掛かるとは、世の中は案外狭いものだな」
あまりにも予想外な状況に、グラム博士達は返す言葉を見つけられない。するとそんな博士らを面白がる様に、国王は口元を緩めながら続けた。
「もしや誰かと待ち合わせでもしているのか? それなら奇遇だな。余も【ある者】に会うため、この場に来たのだ」
国王はそう言いながら遺跡の階段に腰を下ろした。長い年月が経過し、その大部分が風化しているにも拘らず、プトレマイオス遺跡は悠然とした姿で佇んでいる。しかし今は国王から発せられる何とも言えぬ威圧感に、遺跡全体が震え上がっている様だった。
そして同様にグラム博士とファラデーも震え出した体を抑えつけるので精一杯だった。もちろん声を発するなんて出来るはずもない。ただ軍人として幾度の窮地を潜り抜けてきたボーア将軍だけは、国王から感じる異様な威圧感をなんとか受け流し状況を窺っていた。
国王は一人であった。そんな状況にボーア将軍は奇妙な違和感を覚える。そして彼は額から流れ出る大量の汗に構うことなく、意を決して王に向かい発言した。
「お久しぶりです、アルベルト国王。お元気そうで何よりですな。しかし、国王様。お付の者も連れず、このような辺境の地にお一人で参られるなんて、お元気にも程がありますぞ」
周囲の気配を探っても、この場に国王以外の者の気配はまったく感じられない。だが常識的に考えれば、そんなのは有り得るはずがないのだ。国の最高権力者であるアルベルト国王の傍には、いつだって護衛が付いているはずなのだから。しかしどこを見渡しても人の気配は無い。ボーア将軍はそんな不穏な状況に酷く気を揉んだのだった。
ただ状況を不安視するボーア将軍とは対照的に、アルベルト国王はニッコリと笑みを浮かべていた。そして国王は世間話でもする様に、将軍達に向けて言ったのだった。
「余の体を気遣ってくれるとは、ありがとうボーア君。昔から君は優しいな。でも心配はいらないよ。諸君が思っているより、余の体はずっと頑丈なのだからね」
国王は上機嫌に話し続ける。
「どうだね、待ち人が来るまでの間、少し科学の話でもしてみないか? 諸君らと話しをするのは数十年ぶりだからね。余は少し興奮しているのだよ。グラム君とボーア君は、余が知り得る限りでは飛び抜けた才能を持つ科学者だ。そんな君達と久しぶりに科学の話しが出来る。こんなにも楽しい時間は滅多にあるものじゃないからな」
「お言葉ですが国王様。我らとあなた様は方向性の違いから決別した者同士。そんな我らと今更何を話そうと言うのですか?」
「フフフ。そんなに気張ることもなかろう、ボーア君。確かに我らは考え方の違いから袂を分けた。しかしね、科学に対する情熱の大きさは、今でも同じだと思っているのだよ」
「遠回しに尋ねるのはやめて下さい。あなたは我らに何を聞きたいのですか!」
ボーア将軍は語尾を強めて詰め寄る。するとそれに対して国王は、少しだけ目つきを鋭くさせて言ったのだった。
「グラム君にボーア君。君達は余の下を離れた今でも、曖昧な理屈をこじ付けた、理解し難い科学理論を追求しているのだろ? 噂で聞いたよ、君達が【畜光】の技術を完成させたと。それはとても素晴らしい技術だし、科学理論としても高い完成度を立証するものだ。だから余は諸君らに、同じ科学者として敬意を表したいのだよ。そしてそれがどんな技術なのか、実際に拝見させて頂きたいと思っているのだよ」
「ど、どこで聞いたのじゃ。ワシらは誰にも言うてはおらんぞ!」
グラム博士が思わず叫ぶ。博士にとって国王の発言は、聞き捨てならぬものだったのだ。だがグラム博士に向けた国王の返答は、驚くほどに平素なものであった。
「余の耳は地獄耳なんだよ。特に科学の事情となれば、どんな噂でも知る事が出来る。しかしな、君達が取り組んでいるミクロの物質観は、どうも納得出来んのだ。それは余の解く考え方に当て嵌まらない事が一番の理由だが、そもそも諸君らの唱える理論は分配律が成り立たっていないのだよ。この世の自然は全て物理学にて導き出せる。だが君達が提唱する【物質は常に曖昧な位置と速度を持つ】などという寝ぼけた仮説を言われたら、それは物理学とは言えなくなってしまうからね」
国王は眉間にシワを寄せて困った表情をしている。それはまるで無邪気な子供が得意げに物語っているかの様だ。ただそんな国王の態度を目にしたグラム博士は、無意識に拳を握りしめながら反論したのだった。
「確かに世間の常識からすれば、ワシらの言っていることは納得出来ん事だらけじゃろうて。じゃがその【常識】がいかんのじゃ。常識とは言わば二値論理に従うことを示す。じゃが物事に【在る】か【無い】かの二択を迫ること自体がそもそもおかしいのじゃ。未来が厳密なルールによって一つに決められておるわけではないように、自然の真の姿とは、サイコロを振って決まるような、言わば【確率的】なものなのじゃよ」
「ハハハッ! さすがは鬼才グラム博士、見事な見解だ。しかし余はそうは思わない。自然というものはもっと理路整然とした、言わば美しく【確定的】なものになっているはずなのだ。確率だけの予測。余はそれを物理学と呼びたくはないし、それに神は決してサイコロを振る様な、いい加減な真理を作ったりはしないのだからね」
「神が何をなさるかに注文をつけるべきではないっ!」
ボーア将軍が堪らず怒鳴り声を上げる。彼は国王の発した言葉に対し、憤りを感じてならなかったのだ。
「私とグラム博士は、あなたの言う古典物理学に慣れすぎた【常識】を捨てることで、まったく新しい技術を生み出したんです。いいえ、そもそもミクロの世界では、初めから私達の常識を越えたつながりを持っているんですよ!」
ボーア将軍はそう言い放つと、アルベルト国王の瞳をじっと見つめた。きっと将軍は自分達が生み出した科学理論こそが、未来を祝福する最良の手段だと信じているのだろう。そして本心を言えば、師であるアルベルト国王にもその理論を認めてもらい、共に研究を進めて欲しいのだ。しかしそんなボーア将軍の訴え掛ける眼差しは国王に届かない。その証拠に国王は溜息交じりに告げたのだった。
「余は諸君らが生み出した理論の全てを否定するつもりはない。その理論が自然現象をある程度まで正しく表現しているのは事実だからね。でも君達の理論はきっと完全ではなく、最終的なものでもないのだろう。だから何事につけても曖昧で、確立的なことしか言えないのだ。余にはそのような理論は到底受け入れられぬ」
やはり国王とは分かり合えないのか。グラム博士とボーア将軍は国王との相いれない思考の相違に肩を落とす。そしてそれを嘆く様に、グラム博士は小さく言った。
「ワシは、ワシらの描く【曖昧な自然】こそが、自然の究極な姿だと思うちょる。それが国王ともあろうお方に分かってもらえないとは、残念で仕方ないのう」
アルベルト国王は稀代の天才科学者だ。そんな国王を納得させる為には、莫大な時間と膨大な資料、そしてなにより完全無欠の数学的な証明が必要である。しかしこの状況でそれらを説明するのは不可能だ。そう考えたグラム博士とボーア将軍は、再び肩を落としていた。
そんな二人を見つめる国王の眼差しはどこか冷たい。恐らく国王は意気消沈した二人の姿から、諦めの様な感情を読み取ったのだろう。いや、それでも挑んで来てほしかったと、国王は失望していたのだ。
科学者であるならば、どんなに過酷な状況に追い詰められようとも、果敢にチャレンジする精神を失ってはならない。それが国王の哲学だった。そしてその弟子であったグラム博士とボーア将軍にも、その精神は受け継がれているものと思っていた。しかし目の前にいる二人は肩を落とすばかりで歯向かう姿勢を見せようとはしない。
国王は紅く染まった美しい夕焼けを見つめながらゆっくりと腰を持ち上げる。そして国王は哀愁の感情を込めた声で、独り言のように呟いたのだった。
「曖昧な自然……か。それもまた、時と場合によっては一理あるのかも知れないな。絶対的な力を誇る【神】ですら、時間と言う因果の流れに身を委ね、自然を構築するための一部の存在でしかないのかも知れないしね。しかしそれを受け入れてしまっては、余は自分自身の存在意義を失ってしまう。それどころか今まで行ってきた研究の成果や、これから行う研究の目的を完全に否定することになり兼ねん」
そう告げた国王は、急に頭を押さえながら膝間づいた。顔色は真っ青であり、手足は小刻みに震えている。原因は分からないが、極度に体調が悪化しているのは明らかだ。それでも国王は意地を貫く様に声を張った。
「余の研究、余の理論は正しい。いや、正しくなければならないのだ! そのために余は【神の力】を手に入れたのだから。いつの日か、余は自然がまだ隠している真理を必ず探り当て、きっと全てを明確に証明してみせる。必ず証明してみせるぞっ。グオォォォ!」
アルベルト国王が苦しみに悶える様な唸り声を上げる。しかしそれはとても老齢者が出せる声ではない。いや、そもそも人が絞り出せる声なのか。
グラム博士達は身を竦ませながら身構える。彼らは本能として反射的に防御の姿勢を取ったのだ。国王が発した奇声が、まるで血に飢えた【野獣】の叫びに思えたから。だがそんなグラム博士達の考えは、悪い方向で正解していた。
国王の背中がみるみると膨れ上がる。そしてついには身に着けていた衣服をも突き破り、その背中に巨大な翼を出現させた。
「グオォォォ!」
国王の猛烈な咆哮が恐怖を助長させる。まるで絶望が唸っているかの様だ。国王は瞳を黄金に輝かせ、自身の体を数倍にまで膨れ上がらせる。そして最終的にその姿は【人でないもの】に変化していた。
「こ、国王っ!?」
グラム博士とボーア将軍は突然姿を変貌させた国王に対し言葉を失う。だがそれもそのはず。完全な変形を遂げた国王の姿は、獣神である【黒き獅子】の姿そのものになっていたのだ。
全身を漆黒の毛で覆い、鋭い爪を持つ四本の太い足で大地を力強く踏みしめる。颯爽とした鬣は風に揺れ、金色の瞳は宝石の様に光り輝く。その姿はまさに神話の中に謳われる、燦貴神の一柱である黒き獅子の姿だった。
夕焼けで赤く染まっていたはずの空が、真っ黒な雲で急速に覆われていく。更にはその雲の中より、雷鳴が轟きはじめた。
黒き獅子の出現に呼応する形で天候までもが激変しているのだろうか。今にも目の前に落ちて来そうな雷鳴が猛々しい轟音を響かせる。しかしそんな轟音が耳に入らないのか。グラム博士とボーア将軍は、まったく事態が飲み込めず唖然としていた。
国王の姿が突如変化したかと思えば、それが獣神である黒き獅子の姿となった。その信じ難い現象にグラム博士とボーア将軍は度肝を抜かれ驚いているのだ。でもこれが現実なのである。いや、これこそがグラム博士とボーア将軍に直視してもらいたい事実なのだ。
抜刀したファラデーが素早く駆け出し、グラム博士とボーア将軍を背後に守る構えを取る。きっと彼とて黒き獅子を前にして恐怖に震えた事だろう。それでもファラデーは懸命に声を上げ、博士達に真実を伝えたのだった。
「二人とも、これが真実なんです! アルベルト国王はもう、あなた達の知っている国王ではないのです! 大地の鏡に封印されし黒き獅子にその身を支配され、国王の魂はすでにこの世のものではなくなってしまった。今では国王の心を埋め尽くしていた科学への飽くなき執着だけが一人歩きし、半ば暴走している状態なんです。アイザック総司令はその真実を知ったからこそ、私に国王暗殺を命じた。そしてあなた達に協力を求めたのです!」
ファラデーの必死の叫びで博士と将軍は状況を理解する。天才と呼ばれた二人だけに、彼らは真実を理解する優れた直観力を持ち合わせていたのだ。だがこの時ばかりはさすがの博士と将軍も、あまりにも現実味のない目の前の状況に体がまったく反応しなかった。
そんな二人を黒き獅子は金色に輝く瞳で睨みつけていた。そして黒き獅子は聞き覚えのある声で言い放つ。姿は見る影もないほどに激変しているが、その声は皮肉にもアルベルト国王の声そのものだった。
「諸君は余の想像を超えた素晴らしい科学者だ。そして君達が導き出した理論である【波導量子力学】もまた、素晴らしいものなのだろう。しかしその理論を完璧なものにするには、君達に匹敵する科学者が次々に現れ、さらに数世代にも及ぶ時間を費やして研究を行う必要があるはずだ。それは余が提唱する【光子相対力学】とて同じこと。だが余は自分以外の誰かに、余の研究を託すなど考えられぬ。何より余自身の手で、余の理論を完璧なものとしたい。その為に余は神の力を手に入れた。その為だけに余は人であることをやめたのだ。神の力とは即ち【無限の時間】を手に入れること。余は必ずやり遂げてみせる。光子相対力学を完全無比なものとし、そしてその先にある【時の支配】すら可能にしてみせるぞっ!」
国王が放つ豪胆な気迫に呼び寄せられ、幾つもの落雷が大地に落ちる。だがそんな衝撃に構うことなく、黒き獅子は博士達に向け話し続けた。
「諸君らがいかに常識にとらわれない奇想天外な発想の科学を導き出したとしても、それを誰かに伝えねば、それはただの絵空事にしかならない。そして君達人間には限られた時間しか生きられない寿命がある。それこそがまさに人の、君達の限界なのだよ。限界を迎え、志半ばでその研究を終える。余には到底耐えられるものではない」
「じゃが人は今まで受け継ぎ、受け継がれて今日の発展を成し遂げて来たのじゃ! そしてそれはこれからも変わる事はない。国王よ、確かにあなたが言う様に、人間一人の力は微々たるものじゃ。人は神と違って一人では何も出来んからな。でもじゃからこそ人は協力し合い、また後世に託すことで素晴らしい技術を生み出して行けるのじゃ。大切なことは人を信じる事じゃて。信頼こそ人間が持つ最大の力なのじゃ!」
グラム博士はありったけの力で叫んだ。獣神へと姿を変えた国王に驚愕し、一度は言葉を失ったはずの博士。でも博士はかつて苦楽を共にした【師】に対し、自らの想いを伝えずにはいられなかったのだ。
「同じ科学者として、国王の気持ちは痛いほど分かろうて。自分が始めた研究を、最後まで追求したいと思うのは科学者としては当たり前の事じゃからのう。じゃが人は限られた時間の中でしか生きられん。でもじゃからこそ、その限られた時間の中で精一杯【命】を使い、そして新しい理論を導き出し、新しい技術を開発するのじゃ! 人はいつか来る自らの【終わり】を知っているからこそ、全力でその命を懸けられる。もしあなたが言うように、科学者が皆無限の時間を手に入れたとするなら、この先に科学の未来などあるわけがない。それこそ取るに足らん発明しか生まれんじゃろう――」
「バリバリバリッ!」
突然黒き獅子の体全体に激しい電撃が走り抜ける。いや、黒き獅子の内側から溢れ出したと言うべきか。恐らく黒き獅子はグラム博士の言葉を聞き怒りを感じたのだろう。そしてその高まった感情が電撃となり、空中に飛散したのだ。
こんな電撃が直撃したなら、人間などあっという間に焼け焦げてしまう。そう思ったからなのか。黒き獅子は高まった感情を押し留め、電撃が垂れ流れるのを懸命に堪えていた。まだ話は終わっていないのだ。獣心は少しだけ苦しそうな表情を見せながら、博士達に向かって告げたのだった。
「グラム博士。君なら余の気持ちを理解してくれると思ったが、やはり最後まで意見が合わなかった様だな。まことに残念だ。余は本心から君達ともっと時間をかけて色々な話がしたかったのだが、それは無理らしい」
黒き獅子の金色の目が哀しく光る。
「話の結末がどうであれ、余は君達を生かすつもりでいた。余が認めた諸君だからこそ、その寿命が尽きるまで生かす価値があると考えていたのだ。しかしここで実際に話をしてみて改めて意見の相違を認識し、さらにお互いが歩み寄る余地もまったく無いと理解した。ならばもう、君達と語るのは不要というもの――。ここまで言えば頭の良い君達だ、この先自分らの身に何が起きるのかは、容易に予想が出来ような」
獣神の体から発散される電撃が激しさを増す。黒き獅子となった国王は本気だ。次の瞬間には躊躇いなく博士らを殺すだろう。だがその時、最後の望みに賭けるとばかりにボーア将軍が叫んだのだった。
「アルベルト国王っ! あなたは本当に私達の知る国王ではないのですか! 目を覚まして下さい! 私はあなたをずっと尊敬していた。それは科学者としてだけではなく、人としてとても素晴らしい人物であると心から感じていたから。あなたは誰よりも平和を好み、他者との争いを嫌った心優しいお人だ。強力な軍事兵器を生み出していたのも、紛争の抑止力になればと、あなたは止む無く開発していたのでしょう。そんなあなたがいくら科学の為とはいえ、人として犯してはいけない一線を越えてしまった事が私には信じられない。でもまだ少しでもあなたの人としての【心】が残っているのなら、私達の叫びが国王の胸に届くならば、その身の中の【悪しき神】など跳ね除け、ご自分を取り戻して下さい! そして我々の知る、優しい国王に戻って下さい! 我々は、稀代の科学者と呼ばれたあなたを信じています!」
心から訴えたボーア将軍の目には薄らと涙が浮かんでいた。たとえ目に見える姿が変わったとしても、彼にしてみればそれは親愛なる国王に代わりはないのだ。
戻ってほしい。またかつての様に肩を並べて科学の道を歩みたい。ボーア将軍は痛切にそう思っていた。しかし国王はそんな将軍の必死の叫びに対し冷酷に言い放つ。それは師と弟子を決定的に分かつ無情な言葉だった。
「余は黒き獅子。残念ながらこの身の中に残っているのは国王としての記憶だけで、人としての国王の心など、余の力に支配された瞬間に跡形もなく消滅している。お前達が知るアルベルト国王は、とうの昔に死んでいるのだよ。だからお前達がどれだけ願おうが叫ぼうが、その声は国王に届かない」
黒き獅子の体から尋常でない量の電撃が溢れ出す。そしてその電撃に刺激されたかの様に、ぶ厚い雲からは次々と雷が落ち始めた。
「それでも君達が国王をどれだけ慕っていたか、それは十分に理解出来たよ。だからこれは余からのせめてもの心遣いだ。国王と同じく、余の力で君達を葬ってやろう。それならきっと、死んだアルベルト国王も喜ぶだろうからな。国王は誰よりも孤独で弱い心の持ち主だった。今でも一人、黄泉の世界で泣いているやも知れん。弟子たちの到着を、今か今かと待ちくたびれながらな!」
「貴様っ!」
怒りで奮い立ったボーア将軍がファラデーの背負っていたビーム兵器を奪い取る。そして彼は黒き獅子に向けその引き金を目一杯引き絞った。
「バギューン!」
発射された強力なビームが黒き獅子に直撃する。しかしビームは黒き獅子から発散される電撃に差し止められ、無情にも消え去ってしまった。
「くそっ」
やはり獣神に対して人間が作った武器では歯が立たないのか。ボーア将軍は唇を噛みしめて口惜しむ。するとそんな悔しさを露わにする彼に向かい、獣神は皮肉を込めて吐き捨てた。
「ボーア君。君は先程余に対して『神が何をするかに注文するべきではない』と言ったね。ハハッ、よく理解しているではないか。その通りだよ、それが正解だ。そして君の言う神こそが【余】なのだよ。ならば余が何をしようと、諸君らは口を出すべきではないし、余が【裁き】を下すのならば、それを真摯に受け止めるべきであろう」
獣神は金色に輝く瞳をさらに光らせると、背中に生えた大きな翼を大きく広げる。すると全身から発せられた電撃がさらに唸りを上げ、またそれと同時に嵐の様な突風を吹き荒させた。
もはや立ってはいられない。それどころか何かに掴まっていなければ吹き飛ばされてしまうくらいだ。将軍達は懸命に姿勢を低くして身構えている。しかしそんな彼らに狙いを定めた電撃と落雷が、今まさに容赦なく降り注ごうとしていた。
「さらばだ、友人達よ。今ここで死ね!」
黒き獅子の目が一際眩しく輝く。もうダメだ。将軍達がそう思った時だった。
真っ黒い雷雲を突き抜けて、1本の巨大な【炎の槍】が猛烈な速度で降り落ちる。そしてその槍は強烈な威力を保ったまま黒き獅子に直撃した。
「ズガガーーンン!」
鼓膜が破れるほどの爆音が鳴り響く。また発生した衝撃波は大地にまで波及し、まるで大地震が起きているかの様に大地を震わせた。
一体何が起きたのだ。グラム博士達は突風の吹き荒れる中、懸命に目を凝らす。するとそこでは俄かに信じ難い状況が展開されていた。
黒き獅子は自身の周りに透明なバリアを張り、炎の槍を受け止めていた。だが炎の槍の威力は衰えを知らず、バリアを突き抜けんばかりに炎を巻き上げた。
拮抗する獣神のバリアと炎の槍。だが僅かに炎の槍の威力の方が勝ったのであろう。黒き獅子はバリアを張り続けながらも激しく吹き飛ばされた。
「ドガガンッ!」
黒き獅子の姿が一瞬で視界から消える。炎の槍の凄まじい威力に、獣神は遥か彼方まで吹き飛ばされたのだ。だが反対に炎の槍は遺跡に激突し、その周囲一帯を一瞬で蒸発させた。
「バラバラバラ――」
粉々になった遺跡の破片が突風に巻き上げられ、雨の様に降り注ぐ。また炎の槍の影響により咽返るほどの熱風がプトレマイオス遺跡全体を覆っていた。
そんな荒れる状況の中で将軍達は飛び火する衝撃を少しでも避けようと、必死で遺跡の陰に身を潜める。ただ然程時間を待たずに、周辺は落ち着きを取り戻して行った。
まだ砂埃が舞っているが、それでもかなり状況は沈静化しただろう。そう思った博士達はゆっくりと立ち上がる。だがそこで三人は申し合わせたかの様に、暗雲立ち込める天を見上げた。
博士達は只ならぬ気配を感じ取ったのだろう。彼らが見上げた先。そこにはなんと、全身を銀色に輝かせた【巨大な鷲】が、その姿を現していた。
巨大な翼を広げた銀の鷲が空中を漂う。それは飛んでいるというよりも浮かんでいると表現した方が正しいのかも知れない。そしてそんな新たに出現した獣神の姿を見た博士達の胸は、大きく揺さぶられていた。
銀色に輝く体はまるで生きた宝石の様だ。でもそれでいて熱く滾る魂の鼓動を感じる。黒き獅子からは壮大な厳格さから来る戦慄を覚えたのに、同じ獣神である銀の鷲からは胸を熱くする感動が伝わって来るのだ。
グラム博士とボーア将軍は無意識に心を奪われていた。突然現れた獣神の姿に戸惑いつつも、彼らは心に流れて来る感動に目頭を熱くさせていたのだ。しかし上空に留まる銀の鷲の方は、そんな博士らの存在などにまったく気が付いていない様子だった。
銀の鷲は真っ赤な瞳を輝かせ、遥か彼方に視線を送っている。もちろんそれは黒き獅子が吹き飛んだ方向だ。そしてそんな銀の鷲の姿に博士達は不安を過ぎらせた。
このまま黒き獅子が黙って去るはずもない。きっと黒き獅子は獰猛な牙を剥き出しにして戻って来るはずだ。博士達はそう思い背中を粟立てる。するとその予想は悪い意味で的中した。突如大地が大きく揺れ出し、地割れを引き起こすほどの大地震が発生したのだ。
「ゴゴゴゴゴッ!」
黒き獅子は遺跡から少し離れた山中の地面に深くめり込んでいた。だが黒き獅子はその大地を吹き飛ばし、自らの翼をはためかせ上空に飛び上がったのだ。
その衝撃で大地震が発生したのだろう。いや、それだけでは収まらない。黒き獅子の金色の目が輝く度に、亀裂の入った地面には幾つもの落雷が捻じ込まれた。
猛烈な勢いで上空に舞い上がった黒き獅子。だがその後はスピードを緩め、ゆっくりとしながら暗雲の下を進んだ。そしてついに黒き獅子と銀の鷲が上空で対峙する。その状態はまさに、世界の終わりを予感させる危機迫った局面だった。
「ワシらは夢を見ておるのか? 伝説の獣神が二体も現れるなんて、とても現実とは思えんぞ……」
グラム博士はボーア将軍に訴え掛ける様な視線を向ける。すると将軍もまた、博士と同じ視線を返すだけだった。
誰だってこんな状況が現実だなんて思えるはずがない。映画の撮影をしているのだと言われた方が、遥かに納得出来るだろう。しかし現実は残酷なのだ。上空にいる二体の獣神は紛れも無く存在するのであり、その力は人間にとって、あまりにも規格外過ぎるものであった。
だがそこでグラム博士らは気が付いた。恐らく炎の槍の攻撃でダメージを負ったのであろう。黒き獅子は明らかに苦しそうな表情を浮かべている。そしてそれを決定付ける様に、黒き獅子は息を詰まらせながら銀の鷲に言ったのだった。
「ガハッ、ハァハァ。な、なかなか気の利いた挨拶だったな、【ラヴォアジエ】よ。今のが【甕速火】という炎の槍か。迦具土のバリアを貫き、余の体に直接ダメージを与えるとは、想像を絶した見事な力だ。やはり【火の神】のお前に対し【大地の神】である余では相性が悪い様だな。だが天が味方をするのは本物の神である余の方だ。お前にどれだけの力があろうと、【紛いものの神】であるお前に天は決して味方しない。その証拠に足元を見よ。あそこにはお前にとって【大切な人間】がいる。それを守りながら余を倒すなど、寝ぼけた事は言えまいっ!」
黒き獅子がそう叫ぶのと同時に、上空に巨大な【電撃の塊】が出現した。
「黒き獅子は地上の国々を平定する武力と権威の象徴だ。そしてそんな黒き獅子である余が誇る最大の力【武甕雷】。直撃すれば如何にお前とて、ただでは済むまいぞ」
そう告げた黒き獅子は不敵に微笑む。するとその表情を見たラヴォアジエと呼ばれる銀の鷲はハッとした。電撃の塊の下にはグラム博士達がいたのだ。
ラヴォアジエは全身より炎を噴き上げると、まるでジェット噴射を発したかの様に急降下する。そしてラヴォアジエは武甕雷なる巨大な電撃の塊と博士らの間にその身を留めた。
「フン。それが神の力を手にしながらも、人の心を残しているお前の弱さだ」
そう吐き捨てると同時に、黒き獅子は金色の瞳を光らせる。――とその瞬間、武甕雷は大地に向けて発射された。
「バキュバギャァァーーン!」
ラヴォアジエは身を呈して電撃を受け止めた。それでも武甕雷の威力は凄まじく、ラヴォアジエの体は大地に激しく叩きつけられた。
大地は唸り、森が吹き飛ぶ。そして遺跡は粉々に砕け散った。
「そんな人間などに構うことなく、余に攻撃を加えていれば勝てたかも知れぬというのに。やはり人間の考える事は理解し難いものだな」
空中を漂う黒き獅子は、粉塵で包み込まれた遺跡を見ながら呟いた。そして黒き獅子はもう一つ、武甕雷の電撃の塊を頭上に形成した。黒き獅子は銀の鷲を確実に殺すつもりなのだ。――がその時、
「ボンッ!」
粉塵を突き破り、全身に炎を纏ったラヴォアジエが爆発的なスピードで現れ、そのまま黒き獅子に突進した。
黒き獅子は反射的にバリアを張りラヴォアジエを受け止める。たがその衝撃は凄まじく、勢いを止められぬまま二体の獣神は頭上の電撃に突っ込んだ。
「バリバリバリバリッ!」
激しい放電が空中に散らばり武甕雷が掻き消される。二体の獣神が無理やり突き抜けた為に、塊として形成し得なくなったのだ。だがそんな電撃の塊を突き抜けても尚、獣神は止まらない。黒き獅子と銀の鷲はそのまま上空に突き進むと、天を覆う暗雲の中にその姿を消した。
「バギーン! ガァグァーーン!」
暗雲の中より獣神同士のぶつかり合う激しい轟音が鳴り響く。だが少しすると轟音は止み、辺りは奇妙な静けさで覆われた。
時間が止まっていた。二体の獣神が光速の衝突を繰り返したことで、空間に歪が生じ時間が停止したのだ。
しかしそんな獣神同士の争いは長くは続かない。力の均衡が崩れはじめたのだろう。再び時間は動き出した。
「ドバガガァァーーン!」
一際大きな衝撃音が上空に波及する。すると天を覆っていた暗雲が弾け飛ぶ様に掻き消え、それと同時に一筋の光が遥か彼方に飛んで行った。