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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第一幕 夜余威(やよい)の修羅
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#15 凍解の事実(二)

 ハイゼンベルクの指揮のもと、ボーア軍はアダムズ軍に対して全面降伏を宣言し、速やかな武装解除を実施する。そしてその後ハイゼンベルクとディラックは、ファラデーが言った通りアダムズ軍に拘束され、首都ルヴェリエにある収容所に投獄(とうごく)された。

 ただそこで彼らは少し戸惑っていた。戦犯として(とが)められると覚悟していたのに、収容所で彼らを待ち受けていたのは、なんと軍ではなく王立協会の科学者による尋問(じんもん)だったのだ。

 予想外の展開にハイゼンベルクとディラックは半ば呆れる想いがした。どうしてボーア将軍が戦争を始めたのか。なぜ王族を皆殺しにし、リーゼ姫だけを連れてプトレマイオス遺跡に立て籠もったのか。彼らはその理由を執拗に問い(ただ)されると思っていたのだ。しかし蓋を開ければ的外れな質問ばかりが浴びせられる。そんな状況に彼らはただ、唖然とするしかなかった。

 いたずらに時間だけが過ぎ去って行く。だがそれは仕方のない事なのだろう。なぜならハイゼンベルクらに向けられた尋問の内容は、兵士である二人には聞いた事の無い科学的な内容ばかりであり、彼らは答えようにも意味がさっぱり分からなかったのだ。

 彼らのもとには日々入れ替わり数人の科学者が訪れていた。ただその中でも、【エルステッド】と名乗るメガネをかけた小太りの科学者と【ウォラストン】と名乗る青白い顔をした科学者が特に訪れることが多かった。

 二人の年齢は共に三十歳を少し超えたくらいだろう。科学者としてはまだ若い方だ。それでもエルステッドとウォラストンは王立協会の列記とした会員であった。若いなりにも科学者として、それなりに高い才能があるのだろう。ただし協会内での立ち位置は低く、科学者としてもまだ名を残すほどの実績は上げていない様だった。

 でもどうしてそんな駆け出しの科学者が尋問官としての役目を担っているのか。ハイゼンベルクはそれを疑問に感じたが、さすがにその理由までは分からなかった。でも彼は科学者である二人の尋問内容に、明確な違いがあると直ぐに気付く。王立協会の指示なのだろうか。エルステッドは鏡の力を引き出す【科学理論】について、そしてウォラストンは【鏡】そのものについての尋問を行っていた。


 ボーアの反乱が終結してからどれ程の時間が経過したのだろうか。変わり映えのない尋問生活で、ハイゼンベルクとディラックは完全に時間の感覚を麻痺させていた。

 それでも王立協会の科学者達による詰問は続けられる。するとさすがのハイゼンベルクとディラックも嫌気が差して来たのだろう。疲労の影響もあるのだろうが、彼らは尋問する科学者達に対して威圧的な態度を示す機会が増えていった。

 特にエルステッドと呼ばれる科学者に対しては、その態度は顕著だった。ハイゼンベルクとディラックは、エルステッドが執拗に聞き尋ねる科学理論が何なのか全く知らない。にも(かか)わらず、エルステッドは答えようが無い質問を次から次へと繰り返し彼らに浴びせた。これにはかなりのストレスが発生したはずだ。しかし彼らがエルステッドに苛立(いらだ)ちを感じたのは、それとは別の理由からだった。

 エルステッドは非常に性格の悪い男だったのである。厭味(いやみ)ったらしく底意地が悪い。そしてなによりその態度が横柄(おうへい)でならなかったのだ。

 歳上であるハイゼンベルクとディラックに対して上から目線であるのは当然であり、また何かにつけて理屈っぽい物言いをする。だからもし仮に二人が鏡の力を利用する科学理論を知っていたとしても、彼らはそれを口外しなかっただろう。エルステッドの態度に(いきどお)った二人は、その後も決して尋問に応じはしなかった。

 ただそれとは対照的に、もう一人の科学者であるウォラストンはとても好感の持てる相手だった。物腰(ものごし)(やわ)らかく、話し口調も穏やかである。科学者であるが(ゆえ)に、このような尋問など得意とするわけがなく、王立協会の命令で渋々やっているのだろうという事が、受け手のハイゼンベルクらには手に取るように分かったのだ。

 だがウォラストンの尋問には、エルステッドやその他の科学者には無い核心を突く鋭い質問が含まれていた。鏡について、かなり詳細で具体性のある質問が時折(ときおり)投げ掛けられたのだ。そしてその度に、ハイゼンベルク達はウォラストンの質問に言葉を(にご)らせた。

(こいつ、我らよりも鏡について詳しいな。まるで鏡の全てを知っているかの様だ。見た目には冴えない男だが、しかし他の科学者達とは明らかに毛色が違う。一体何者なんだ?)

 そう感じるハイゼンベルクらに向かい、ウォラストンはいつも微笑みを浮かべている。しかしその笑顔にハイゼンベルク達は、妙な違和感を抱きはじめていた。


 拘留から数か月経って、王立協会はようやく二人に科学的な知識が無い事を認める。すると尋問の回数は(いちじる)しく減少した。

 もう二人の前に訪れる科学者はほとんどいない。ただウォラストンだけは、王立協会の指示がなくても頻繁(ひんぱん)に二人のもとに足を運んでいた。するとそんなウォラストンに対し、ハイゼンベルクは歯痒さ募らせる。そして彼は思わずその不満を吐き出してしまった。

「王立協会の指示も無いのに何故またここに来た? 我にはもう、お前に話す事は何もないのだぞ。それはお前も良く分かっているだろう。ウォラストン、お前は頭が良い。なにより話の流れを上手くコントロールする(すべ)に秀でている。そんなお前に我は話す気のない事までつい話してしまった。鏡について我の知っている知識は全て話したのだ。だからもう、ここに足を運ぶだけ無駄だぞ。それにそんな暇があるなら少しはゆっくり休んだらどうだ? 初めから気になっていたが、お前顔色悪過ぎるぞ」

 まるで厄介事を振り払うかの様にハイゼンベルクは吐き出した。ただそんな彼の態度にウォラストンは声を上げて笑い出す。普段は優しく微笑むだけのウォラストンであったが、この時は珍しく腹を抱えて笑ったのであった。

「アッハハハハ。これはこれは、どうもありがとうございます。まさか私の体を心配してくれるとは思いませんでした。あまりにも予想外なお気遣いだったので、すごく驚きましたよ。でも大丈夫、心配はいりません。顔色の悪さは生まれ付きですからね。ハハハハ」

 ウォラストンは笑いながらそう告げた。ハイゼンベルクの気配りがよほどツボに入ったのだろう。ただ一頻り笑い終えた彼は表情を一変させる。そして真剣な面持ちで静かに続けたのだった。

「どうやら頃合いも良さそうですね。今日は監視カメラの録画もストップさせていますし、大事な話しをするにはもってこいのタイミングだと言えますしね」

「ん? お前は一体何の話しをしているんだ」

「まず初めに誤解を解いておきましょう。王立協会の指示が無いのに私がここに来ていたのは、べつに鏡の話が聞きたかったからではないのです。それにですね、あなた方からは話の流れに上手く乗せて、色々と話を引き出しました。でもね、実際に王立協会に報告したのは、聞き出した情報の半分にも満たない、どうでも良い内容だけなんですよ」

「どういう事だ。まったく意味が分からないぞ?」

 話しの内容が飲み込めないハイゼンベルクは首を傾げている。するとそんな彼に微笑んだウォラストンは、スッと席を立ち上がった。そして彼は入口のドアまで進むと、それを軽くノックする。それが合図だったのだろう。周りを気にする素振りを見せながら、一人のアダムズ軍隊士が素早く部屋に入って来た。

「!」

 ハイゼンベルクは入室して来た隊士の顔を見て目を丸くする。そう、尋問室に入って来た隊士とは、プトレマイオス遺跡で鏡を託した【ファラデー】だったのだ。そしてそんな驚きの表情を見せるハイゼンベルクに、ファラデーは落ち着いた口調で告げたのだった。

「元気そうで何よりです、ハイゼンベルクさん。約束通り、大人しく自重してくれて安心しましたよ。まぁ、他の科学者達に対して威圧的な態度を取り始めたと聞いた時には少し焦りましたけどね」

「ど、どうしてお前がここに居るんだ。説明しろファラデー!」

「シーッ! あまり大声は出さないで下さい。監視カメラを止めているとはいえ、収容所の警備は普通に機能しているんですから。見つかったらヤバい事になってしまいます」

「あ、あぁ。済まなかった。気を付けるよ」

 ハイゼンベルクはそう言いながら、申し訳なさそうに頭を掻いた。どんな非常事態でも平常心を心掛けていた彼にしてみれば、不覚にも声を上げてしまった行為は恥ずべきものだったのだろう。ただファラデーはそんなハイゼンベルクの心情など気には留めず、目的だけを明確に告げたのだった。

「王立協会も軍も、今はもうあなた方に対してほとんど興味を持っていません。なので監視もかなり(ゆる)い状態になっています。ただここを抜け出すのは、もう少しだけ待って下さい。もう少しだけの辛抱です。時が来たら必ず迎えに来ますので、私を信じていて下さい」

 ファラデーはハイゼンベルクの目を見つめ力強く言った。そしてハイゼンベルクもまた、ファラデーに向かい強く(うなず)いた。交わした言葉の数はまだほんの少しである。それでも彼らはお互いを信じ、同じ未来を歩む覚悟を認め合ったのだった。


 実はファラデーとウォラストンは友人だったのである。ファラデーはグラム博士の指示によって謎の行動を取りながらも、それと並行して最も信頼できる友人であり、かつ王立協会の会員でもあった科学者のウォラストンに協力を(あお)いでいたのだ。

 すると偶然にもウォラストンは、拘留されたハイゼンベルクとディラックの尋問担当に任命される。まさに幸運だったと言えるだろう。そしてファラデーはウォラストンから拘留中の二人の状況を頻繁に聞き及ぶことで、詳細で正確な情報を常に把握していた。

 ウォラストンは二人から聞き出した鏡についての話しを報告書として随時まとめる。さすがは日頃から論文等を執筆しているだけに、彼の書いた報告書は読み易いものであった。しかし彼はその報告書を王立協会には提出せず、ファラデーを経由させてグラム博士に届けていた。

 またファラデーはウォラストンから情報を受け取ると同時に、軍の側から内情を探っていた。それからしばらくすると、彼は王立協会やアダムズ軍が、拘留している二人の存在意義をすでに感じていないと確信する。

「あとはタイミングの問題だな」

 そう考えたファラデーは、ウォラストンを頻繁(ひんぱん)にハイゼンベルクとディラックのところに向かわせ、収容所を脱出させる為の頃合いを見計(みはか)らっていたのだった。

 ファラデーがハイゼンベルクの前に姿を現してから数週間後。夏の終わりにその時は訪れる。激しい夕立に見舞(みま)われた軍の収容所は、大雨と落雷に包囲(ほうい)されていた。そして巨大な雷鳴が轟くと同時に、収容所全体が停電となった。

 すると突然訪れた暗闇の中で、ハイゼンベルクは後ろから何者かに口を(ふさ)がれる。幽霊が出たとでもいうのか。ハイゼンベルクは現実味の無い状況に身の毛が弥立ちながらも、背後の人物を振り払おうと反射的に体を(ひね)ろうとした。だがそこで背後の人物が短く言った。

「声を出すな。じっとしていろ、すぐに終わる」

 ハイゼンベルクは驚きながらも黙って(うなず)く。彼はその声に聞き覚えがあったのだ。ただそこでハイゼンベルクは暗いながらも部屋の扉が完全に閉まっているのを確認する。なら口を(ふさ)ぐ人物は、何処から部屋に侵入(しんにゅう)して来たというのだ。彼は不可思議な状況に戸惑うしかなかった。

「俺が良いと言うまで目を閉じていろ」

 背後の人物が押し殺す様に告げる。するとハイゼンベルクは言われた通りきつく目をつぶった。――と次の瞬間、激しく何かが光る。

「カッ」

 一瞬だけ光に包まれた部屋は、再び暗がりに戻る。だがしかし、そこにハイゼンベルクの姿は無くなっていた。


「もう目を開いていいぞ」

 そう言われたハイゼンベルクは、ゆっくりと目を開いてから後方へ振り返る。そして彼は背後から口を塞いでいた人物の姿を目にしたのだった。

 予想通り、声の(ぬし)はファラデーであった。しかし現実を捕えられないハイゼンベルクは、混乱したままファラデーに問い掛けたのだった。

「おいファラデー。お前一体何をした? ここは何処だ!?」

 明らかにここが収容所の部屋でないのは分かる。何らかの手段を利用して移動したのは間違いないらしい。でもどうやって? 自分は一歩たりとも動いていないのに、なぜ移動が出来たのだ。ハイゼンベルクは激しく動揺していた。ただそんな落ち着きのない彼に対し、ファラデーは微笑みながらソファーに腰掛けるよう(うなが)した。

「ちょっと待ってくれませんか。全員が(そろ)ったら話しを始めますから」

 ファラデーはそう言って部屋の隅にあった椅子に座った。そしてハイゼンベルクもファラデーに指示されたソファーに腰掛ける。見たところ、ここが何かの研究室らしき場所であるのは確かだろう。ハイゼンベルクはそう考えた。ただその時、突然激しい閃光が研究室を包み込んだ。

「バッ!」

「くっ」

 突如発光した謎の輝きにハイゼンベルクは目を(くら)ませる。だがそんな彼が再び目を開いた時、そこに映ったのはディラックとウォラストンの姿だった。

「ううっ。なんだ、何が起きたんだ? ここは何処だ……ん!」

 ディラックはそう(つぶや)きながら周囲を見回す。そして彼はソファーに腰掛けるハイゼンベルクの姿を見つけると、さらに驚いた表情を浮かべて言った。

「ふ、副将」

 普段は鋭い目つきをしているはずのディラックが、目を丸くして驚いている。するとそんな彼の表情が滑稽(こっけい)に思えたのだろう。ハイゼンベルクは思わず吹き出してしまった。

「フッハハハハ」

「ちょっと副将。我をからかっているのですか! 笑うのはやめて、何が起きたのか説明して下さい」

 ディラックは必死の形相(ぎょうそう)で問い掛ける。まったく状況が飲み込めない彼にしてみれば、憤りを感じるのは当然であろう。ただそんな彼に対してハイゼンベルクは、手の平を上に向けながら首を横に振ったのだった。

「済まないなディラック。笑ってしまった事は謝るよ。でもな、我にもさっぱりなんだ。だから我に説明を求めるのは勘弁してくれ」

「ならお前が説明しろウォラストン! 科学の力でお前が何かしたのだろう。――ん? そっちにいるのは、もしかしてあの時鏡を渡したアダムズ軍の隊士だった奴か!」

 ディラックは椅子に座るファラデーの存在に気付き声を荒げる。だがその時、彼らの後方より老人のものと思われる声が掛けられたのだった。

「役者は(そろ)ったみたいだのう」

 ハイゼンベルクとディラックは素早く振り返る。するとそこには白い(ひげ)(たくわ)えた小柄(こがら)な老人が立っていた。

「グ、グラム博士」

 ハイゼンベルクは小さく(つぶや)く。しかしその表情は依然として覚束ないものだ。矢継ぎ早に展開される出来事に彼の心が追い付かないのだろう。ただそんな彼に向かい、ファラデーが仕切り直しをする様に話しを始めたのだった。

「ご存じだとは思いますが、一応改めて紹介します。こちらは【グラム博士】。かつて世界最高の鬼才(きさい)と呼ばれた科学者であり、そしてあなた方の上官であったボーア将軍とは親友の間柄であった方です」

 ファラデーからの紹介のあいさつにグラム博士は軽く頭を下げる。ただそんな博士に向かい、ハイゼンベルクは不審さを露わにして言ったのだった。

「お久ぶりです、グラム博士。お元気そうでなによりですね。でも博士、これだけは最初に言っておきます。あなたとボーア将軍が親友であったのは間違いないのでしょうが、我らがあなたを信用しているかと言えば、必ずしもそうではありません」

 ハイゼンベルクの後方に立つディラックもまた、それに同意するよう(うなず)いている。きっと彼らはこの先の未来に不安と迷いを感じているのだ。そしてその原因の一つは博士にある。ハイゼンベルクはそう思ったからこそ、グラム博士に向かってあえて正直に自らの気持ちを伝えたのだった。するとそんな彼らの気持ちを察したのだろう。グラム博士は軽く微笑みながら、同じように(うなず)いたのだった。

「ハイゼンベルク君にディラック君。おぬしらとは面識こそあれど、こうして直接話をするのは初めてじゃったな。じゃがやはりワシの目に狂いは無かったわい。おぬしらとなら腹を割って真実を語り合える。ハイゼンベルク君の意見が正しいだけに、ワシにはそう思わずにはいられんのだよ。これからおぬし達に全てを話す。その話を聞き、その後ワシに協力するか、それとも拒否するか。それはおぬしらが判断すれば良い。ワシはおぬしらが出した結論なら、何も言うつもりは無いからのう」

「は、博士。二人には是が非にでも協力してもらわなければ、今後の計画に支障を来します。拒否するなんて絶対に認められませんよ。危険を(おか)して仕事を引き受けてくれたウォラストンの心情も考えて下さい」

「まぁそう声を荒げるでない、ファラデー。お前が心配する気持ちも分かるが、しかし彼らの気持ちにも配慮せねばならんのだ。彼らはこの世のものとは思えない絶望を味わった者達。そんな彼らの気持ちを尊重せずに、計画なんて進められんよ」

「でも博士!」

「それ以上は言うでない。それにな、心配しなくても大丈夫じゃ。彼らの意志はもう、決まっているのだろうからな。ワシはただ、真実を伝えるのみじゃよ」

 博士はそう言うと、ハイゼンベルクに向き直る。そして彼に真っ直ぐな視線を向けた博士は、強い覚悟の込められた言葉で告げたのだった。

「信頼というものは、言葉なんぞで築けるものではない。しかしな、今のワシには言葉で伝える事しか出来ん。それでもワシには鏡の恐怖を実際に味わった、おぬしらの様な者達の協力が必要なんじゃ。ワシがこれからする話しは、現実としては(にわ)かに信じられん事ばかりじゃろう。じゃがおぬしらはすでに【世の(ことわり)を超越した事実】を身を持って体験しておる。何が真実で何が(いつわ)りか。おぬしらならそれが判断出来るはずだし、きっとワシの言っている事を信じてくれるじゃろ」

 博士はそう言うと、背もたれのある椅子(いす)にゆっくりと腰を落とす。そしてテーブルの上に置かれていたコップの水を一口飲み、(のど)(うるお)した。

 ハイゼンベルクとディラックは、これから始まる博士の話に心の準備を整える。いや、それはファラデーとウォラストンとて同じであろう。そして博士はそんな四人の顔を順に(なが)めると、決して表には出ない()まわしき事実を語り始めたのだった。


「まず、おぬし達をどうやってこの場所に移動させたのか、それを教えるとしようかのう。一言で言ってしまえば、それは【瞬間移動】じゃ。大いに驚いてくれて結構(けっこう)じゃが、その身を持って体験しとるゆえ、(うたが)い様はあるまい。事実おぬし達がいた収容所から、今いるこの部屋まではざっと20kmある。それを文字通り一瞬で移動したのじゃ。それがどれだけ凄いものなのか、科学的知識の無いおぬしらにも分かってもらえるじゃろ。そしてこれがワシとボーアが生み出した、新しい科学理論の【産物の一つ】なんじゃよ」

 平然と告げられた異次元とも呼べる科学技術の高さに、ハイゼンベルクとディラックは驚きの表情を隠せないでいる。ただ博士はそんなものはまだ序の口だとばかりに話しを続けたのだった。

「おぬし達は軍人ゆえ、その技術がどういったものなのか話したところで理解は出来まい。でも覚えておいてほしいのは、ワシらが生み出したのは【光の吸収と蓄積(ちくせき)】を土台とした技術であり、それはミクロ素粒子の特性を使用して光の持つエネルギーを一か所に留め、それを爆発的に利用することで空間に(ひずみ)を生じさせる技術なんじゃよ」

 博士が言うその技術がどういったものなのか、話を聞く二人にはまったく想像が出来ない。と言うよりも、難し過ぎて何を言っているのかさっぱり分からなかった。それでも瞬間移動を実際に体験した二人には、その技術がいかに凄いものなのか漠然(ばくぜん)と理解していた。

「この技術が完成したのはつい最近の事なのじゃが、基本的な理論自体は30年ほど前に構築されとるものじゃ。しかし現在の科学者達の中で、その理論を利用する者はおらぬ。何故だか分かるか?」

 グラム博士はハイゼンベルクらに軽く問い掛ける。ただその質問に彼らは首を横に振るだけだった。

「この技術の基礎理論は、過去にアルベルト国王によって完全に排除(はいじょ)されとるのじゃよ。理由は簡単じゃ。それはワシらの生み出した科学理論が、国王の提唱(ていしょう)する科学理論を真っ向から否定するものじゃったからな。きっと国王は気に入らなかった、許せなかったのじゃろう。そしてワシらが生み出した科学理論は闇に葬られた。それ(ゆえ)に現在おる数多くの科学者達の中でも、その理論を知っている者は一人もおらぬ。悲しくもそれが実状なのじゃよ」

 そう言ってから博士は溜息をつくと、もう一度コップの水を飲む。失意を感じると共に喉の渇きも覚えたのであろう。ただそこで博士はファラデーに意味有りげな視線を向けた。するとその合図にファラデーは黙って頷く。そして彼は博士に代わり、話しの続きを語ったのだった。

「アルベルト国王によって完全否定されたにも(かかわ)らず、それでもグラム博士とボーア将軍はパーシヴァルでその研究を続けていました。それは自らの人生を捧げ、血の(にじ)む思いで生み出した画期的な理論を、そう簡単には捨てられないという強い(こだわ)りがあったからに他ありません。それに博士と将軍は、その科学理論に大きな可能性を感じていました。いいえ、とても豊かで輝かしい未来が手に入れられるものと信じていたのです。だから博士達は極秘で研究を続けた。決してアルベルト国王だけには知られないようにと。しかし【ある人物】より特命を受けた私が、そんな博士達を尋ねた事で風向きは大きく変わってしまったのです」

 ボーアの反乱が開始する二年ほど前、ファラデーは(みずか)らが()け負った密命を実行する為に、パーシヴァルに潜んでいたグラム博士と接触を図った。そして彼は博士と、その研究の後ろ盾をしていたボーア将軍に協力を求める。彼は二人に全てを有りのままに打ち明け、事態の深刻さを真剣に伝えたのだ。

 ただその時のグラム博士とボーア将軍の反応は比較的落ち着いたものであった。いや、話しのスケールが大き過ぎて、現実味を感じなかったのだ。それでもファラデーは懸命に説得を続ける。すると博士と将軍は事の重大さを次第に理解していったのだろう。いつしか彼らは言葉を失っていた。

 ファラデーが二人に()げた特命の内容。それはアルベルト国王の【暗殺】であった。そしてなんと、その密命を下した人物は、アダムズ軍総司令の【アイザック】であるというのだ。

 アイザック総司令はアルベルト国王の最大の理解者であると言われる人物である。そんなアイザックが国王暗殺を下知したと言うのだ。常識的に考えれば、まったく信じられない話である。

 アイザック総司令がアルベルト国王を父の様に(した)っていたのは周知の事実であり、もちろん話を聞くグラム博士とボーア将軍もそれを良く知っていた。国王と総司令の信頼関係は揺るぎないものであり、二人の築く友好関係が、今日のアダムズの発展と平和を生み出している。そう言い切っても決して過言ではない。だからこそ、国王と総司令の間に深い溝が生じていようとは、誰も予想だにしなかったのだ。

 だがファラデーの話は、さらに信じ難い事実を二人に告げた。アルベルト国王は30年ほど前より、伝説とされる【神器(じんぎ)】の収集を内密裏に行っていたと言うのだ。そしてその神器集めこそが、国王と総司令の間を決裂させた原因なのだという。

 ではなぜ国王は神器を集めるのか。残念ながらはっきりとした理由は明らかになってはいない。ただ神器が持つ不思議な【力】に国王が()かれていたのは確かな様であった。

 それはグラム博士も薄々と気になっていた事だった。博士は思い出す。かつて王立協会に属していた当時、アルベルト国王より伝説の神器について調査するよう指示された経緯があった事を。またそれがきっかけとなって、博士自らも神話や神器について非常に(くわ)しくなったのだ。ただ時同じくして博士は自暴自棄(じぼうじき)となり、逃げるようにして協会から去っていた。だから国王の神器についての研究がその後どうなったのか、博士はまったく知らなかった。

 ファラデーの話によれば、その後も国王の神器についての研究は続き、世界各地に散らばっていた伝説の神器も、次々と国王のもとに集められたと言う。そして国王は最終的に、神話に伝わるほとんどの神器をその手中に収めた。

 手に入れた神器の内訳は天照(あまてらす)の鏡が三つ。そして月読(つくよみ)勾玉(まがたま)が四つであった。

 それぞれの神器は、見た者を()きつける不思議な力を宿していたらしい。しかし月読の勾玉の一つである【星の弓を持つ熊】を封印したとされる【紺色(こんいろ)】の勾玉だけは、抜け(がら)のようにその力を失っていたと言う。

 すると国王は配下(はいか)の者に、失われた【力】を再び紺色の勾玉に宿すことを命令する。そしてまだ手中に収めていない残りの神器である【大神剣素盞王だいしんけんすさのおう】、【狼の頭をした修羅(しゅら)】を封印した【赤色】の勾玉、そして神話の闇に語られる【死の鏡】の捜索命令(そうさくめいれい)を下したのだった。

 だがそこで思いもよらない事態が発生する。なんと国王の命令を受けた配下の一人が、【火の鏡】と呼ばれる天照(あまてらす)の鏡と、四つの勾玉(まがたま)を持ち出し逃走したのだ。

 ()()けにされたアルベルト国王は烈火の如き憤慨する。そして国王は直ちに逃走した裏切り者の抹殺(まっさつ)と、神器の回収を命令した。だが逃走者は激しい追撃(ついげき)をなんとか切り抜け、神器と共にその姿を消してしまった。

 しかしそこで博士とボーア将軍は思った。アルベルト国王が科学とは程遠い骨董品集めに執着するなんて、どこか妙だと。でもだからと言って、それが暗殺の理由になるなんて考えられない。むしろ(とが)められるのは、神器を持ち去った配下の者であり、その事に国王が怒っているのであれば、それは至って当然な感情であろう。博士達はそう思ったのだ。ただそんな彼らに向かいファラデーは神妙に告げる。事態はもっと複雑で深刻なのだと、彼は焦燥感を露わに言ったのだった。

「グラム博士とボーア将軍には、その【逃亡者】に会って頂きたいのです。二十年以上にも渡る逃亡生活の中で、【彼】は全てを知ってしまった。あなた達にはそんな彼の話を直接聞いてもらい、事の真相を理解して頂きたいのです」

 あまりにも唐突な話のため、博士と将軍は事態を把握出来ずに悩んだ。それでも古い付き合いであり、また信頼するファラデーがここまで頭を下げるのであればと、グラム博士はその逃亡者に会うことを承諾(しょうだく)した。すると博士一人では行かせられないと、ボーア将軍も渋々と同行を了解したのだった。

 すぐに支度を整えた博士と将軍は、ファラデーの案内のもと、その逃亡者が隠れ潜んでいるという【プトレマイオス遺跡】に向かった。

 プトレマイオス遺跡周辺の山脈地帯は、どういうわけか電波状況が極めて悪く、航空機やヘリ等での空からの移動が出来ない場所である。その為グラム博士らは(けわ)しい山道を自力で登り歩き、やっとの思いで遺跡に辿り着いた。

 疲労困憊の三人は、遺跡に腰掛けて休憩する。特に老齢のグラム博士には、相当に堪えたであろう。しかしそこで彼らは信じられないとばかりに目を疑った。なんと夕暮れ時の遺跡で彼らを待っていたのは、ファラデーの言った逃亡者ではなく、【アルベルト国王】本人だったのだ。

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