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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第一幕 夜余威(やよい)の修羅
14/109

#13 春荒の首都(惨雨の羅城門2)

 ジュールはバトルスーツの能力を6.5倍に引き上げる。そして彼はヤツに向かい全力で踏み込んだ。

 (まばた)きするよりも早くジュールはヤツの(ふところ)に飛び込む。その動きはまさに人間が発揮出来る身体能力限度を(はる)かに超えたものだ。そして彼は勢いを保ったまま、ヤツの腹に強烈な蹴りを()じ込んだ。

「ズドンッ!」

 重くて鈍い衝撃音が響く。またそれと同時にヤツの巨体が激しく吹き飛び、そのまま羅城門の側壁に激突した。

「グフッ」

 ヤツがガックリと膝をつく。ただその表情は苦痛に歪むというよりは驚嘆を隠せないものであった。

 強烈な飛び蹴りの衝撃で尋常でない激痛が全身に波及している。たかが人一人の一撃にこれ程の威力が込められているはずがない。そう考えていたヤツにしてみれば、驚きを隠せないのは当然であろう。しかしそれ以上にヤツが驚いたのは、ジュールが見せた並外れたスピードに対してだった。

 スピードに絶対の自信を持っている羊顔のヤツだからこそ、目で追えないほどの速度で攻撃して来たジュールの動きに目を見張ったのだ。それでもヤツが強靭な肉体を持つ化け物である事に変わりは無い。ジュールの動きに一驚したものの、ヤツは持ち前のタフさで即座に身構え、次の攻撃に(そな)えた。

 そんなヤツに対してジュールは攻撃の手を緩めない。彼は稜威之雄覇走(いつのおはばり)をきつく握りしめると、更に強く床を踏込んでヤツに向かい駆け込んだ。

 (うな)りを上げた稜威之雄覇走(いつのおはばり)が突き出される。だがその一撃が到達するよりも早く、ヤツはありったけの力で真横に飛び、その斬撃を避けた。

「ズバッ!」

 ジュールの繰り出した稜威之雄覇走による猛烈な一撃が羅城門の側壁に突き刺さる。するとその一部が風切音だけを残して消滅し、側壁に大きな穴を開けた。

 稜威之雄覇走は物体を原子レベルで消滅させる恐るべき特殊能力を秘めている。そしてその怖さを目の当たりにしたヤツは肝を冷やした。だがそれで退くヤツではない。いや、むしろヤツは戦意を()き出しにして逆にジュールに向かい踏み込んだ。

 ヤツはジュールに引けを取らない凄まじいスピードでその背後に回り込む。そしてヤツは間髪(かんぱつ)入れずにジュールの頭部目掛けて鋭い手刀を突き出した。

「ザッ」

 ジュールの(ほお)がザックリと切り裂かれる。それでも彼は神掛かった反射神経でその攻撃を(かわ)した。そしてジュールは振り向き様にそのまま長刀を振り抜く。

 しかしその攻撃は当たらない。ヤツもまた、常軌を逸した反射神経で後方にジャンプし斬撃を避けたのだ。ただそんなヤツに向かって今度はジュールが踏み込む。彼は鋭く稜威之雄覇走を構えると、それをヤツに向けて一気に振りかざした。

「スッ」

 ヤツは上体を懸命に逸らして斬撃を(かわ)す。そしてヤツはそのまま柱の陰に身を隠した。ヤツは長刀が有する凄まじい威力に只ならぬ怖さを感じ、ジュールとの間合いを少しだけ広げようとしたのだ。

 だがそんなヤツの考えなどジュールには御見通しである。だから彼は柱ごとヤツを()ぎ払う様に、長刀を強引に振り抜いた。

「ザンッ」

 稜威之雄覇走の一撃で柱が(ちり)となり消滅する。――とその刹那、ジュールは背後に向けて強烈な回し蹴りを繰り出した。

「ガズンッ!」

 ヤツの顔面にジュールの蹴りが捻じ込まれる。彼は斬撃を(かわ)したヤツが、自身の背後に回り込む事を予測していたのだ。そしてその先読みは見事的中し、ヤツの顔面に衝撃が突き抜けた。

「ガクッ」

 ヤツが蹴りの衝撃で(ひざ)を落とす。さすがのヤツもこの衝撃には耐えられない。明らかにヤツの足にはダメージの負荷が現れていた。そしてそれを見たジュールはここぞとばかりに畳み掛ける。彼は(まばた)きする間も無いほどのスピードでヤツに切り掛かった。

 避けられない――。そう感じたヤツは無理な体勢でありつつも、逆にジュールに向かって踏込む。すると一気に間合いがゼロになり、互いの体が激しくぶつかった。

「ドンッ」

 ジュールの体が吹き飛んだ。スピードは互角だとしても、やはりパワーは段違いでヤツの方が上なのだ。大型のトラックに突き飛ばされたかの様な衝撃がジュールに伝わる。そしてそんな彼を追う為に、ヤツは床を強く蹴り飛んだ。

 ヤツの巨体がジュールに(せま)る。また同時にヤツは剛腕を振り上げた。するとジュールは吹き飛んでいる状態でありながらも、長刀を柱に突き立て無理やり体勢を変える。そして彼は(うな)りを上げて襲来するヤツの剛腕を掻い潜り、逆に右拳による渾身のカウンターを叩きつけた。

「ズガッ!」

 鈍い音が響くとともに、ヤツの巨体がそれまでと反対方向に吹き飛ぶ。尋常でない衝撃を浴びたヤツの体は、そのまま羅城門の側壁に激突して止まった。

「ハァハァハァ――」

 ジュールは片膝(かたひざ)を着いた姿勢で息を荒げている。これまでの連続した攻防で体力を根こそぎ削り落としたのだ。それでも彼は少し輝きの(おとろ)えた稜威之雄覇走を握り直す。肩は激しく上下するも、その瞳には強い覚悟が宿ったままだ。そしてそんな彼を注視する羊顔のヤツは、(おどろ)きの表情を再度露わにしていた。


 まさに一瞬の出来事だった。それほどまでにジュールとヤツの戦いは常識を超えた異次元のレベルだったのだ。そしてそんな激しい激闘を目の当たりにしたリュザックは、現実味のない状況に気持ちが追い付かずにいた。

(な、何じゃこりゃ。何もかもが速すぎて、何が起きてんのかさっぱり分からんだき。それにしてもジュールの奴、突然現れたかと思うたら、あの化け物と互角にやりよって。大したモンだきね。けんど――)

 リュザックは息を荒げるジュールの顔を見て言葉に詰まる。(ほお)を切り裂かれ血だらけになるジュールの姿に、彼は身悶えるほどの戦慄を覚えたのだ。ただリュザックがジュールから感じた怖さの真意は他でもない。それは互角(ごかく)の戦いを繰り広げつつも危機的状況に変わりない中で、血に染まったジュールが何故か薄らと笑っていたからなのだ。

 まるで修羅(しゅら)にでも化したかの様だ。リュザックはジュールの姿にそんな違和感を覚え身を(すく)ませる。そして彼は胸の内でこう思った。

(これじゃぁ、どっちが化け物か分からんでよ)

 リュザックの(ひたい)からベタついた汗がだらりと流れる。ただそんな彼を余所(よそ)に、ジュールとヤツの激闘は再開された。

 ジュールとヤツはジリジリと間合(まあ)いを詰めていく。ぶつかり合う殺気の圧力は凄まじく、羅城門全体が揺れているのではと錯覚するほどだ。ただその状況の中で、ヤツは(わず)かな戸惑いを感じていた。人間であるはずのジュールの動きが常識の範囲を遥かに超えている事に、ヤツは少し狼狽(うろた)えていたのだ。そしてその当惑の正体をあぶり出そうとヤツは口走った。

「お前がディラックを倒したというのは本当のようだな。あまりの強さに正直驚いているぞ。だが(にわ)かに信じられんな。如何(いか)にアダムズの科学技術が優れているとは言え、人であるお前の動きは異常過ぎる。我の音速の領域について来れる人間など、存在するはずがない。小僧、お前本当に人間か!」

「へっ、化け物のお前に化け物呼ばわりされたくないぜ。でもまぁ、驚くのも無理はないだろうね。だって俺ですらこんなにも戦えるなんて思ってなかっんだからさ。でも現実を否定するのは止しなよ。これがアダムズの科学時術の進歩ってやつなんだから。少々体には(こた)えるけどね」

「それにしても有りえぬ動きだ。たとえ肉体の持つ力を助長するシステムがあったとしても、これほどの動きをすれば体自体がもたぬはずだぞ」

「なんだお前、科学者なのか? それとも俺の体を心配してくれているのか? でもさ、今は一々細かい事気にしてる状況じゃないだろ。初めから無理を承知でこっちは全開くれてんだ。化け物のクセに、常識だなんだって煩ぇぞ!」

 ジュールは苛立(いらだ)ちを露わに強く吐き捨てる。彼は殺し合いの最中だというのに煮え切らないヤツの姿勢に腹を立てたのだ。するとそんなジュールの言葉に並々ならぬ強い意志を感じたヤツは、自らを(いまし)めながら言った。

「これは済まなかった。どうやら状況に飲み込まれていたのは我の方だったみたいだな。それにまだ若いが流石(さすが)は王国最強のトランザム隊士だけはある。相当の覚悟が定まっているらしい。ならば無謀(むぼう)とも言えるお前のその覚悟に報いるよう、我も惜しむことなく全力で立ち向かうとしよう!」

 そう告げたヤツはまたも激しい威圧感を放ち、城内を殺気で(あふ)れさせる。するとジュールの体は強気の言葉とは裏腹に悲鳴を上げた。

 五重塔での激闘の折り、右目の輝きによる不思議な力でダメージを回復させたジュール。しかしその損傷は完全に回復したわけではない。本来であれば立っているのがやっとといった状態なのだ。そんなどん底の状態で再度スーツの能力を引き上げ戦ったのである。その衝撃は計り知れないものであろう。それでも彼は覚悟を決めてこの戦いに臨んだ。彼の本能がそうさせたのだ。しかしいつまでも体を誤魔化していられるほど、この戦いは甘いものではない。ジュールは全身の筋肉に伝達する激痛に耐えながら、必死に考えを巡らした。

(何とかヤツのスピードについていけるのは、稜威之雄覇走を避ける為にヤツが間合いを広くしているからだ。これを有効に利用して戦えば状況をもっと改善できるはず。でもクソっ、そう長く体がもちそうにない。どうすればヤツの動きを止められるんだ――)

 ジュールに残された時間は少ない。だからこそ彼は必死になって考えを(めぐ)らせたのだ。だが無情にも状況はジュールに味方をしなかった。今度はヤツが瞬きするよりも早く彼の目の前に(せま)ったのである。そして怒涛の攻撃が開始された。


 ヤツは一瞬でジュールとの間合いを詰める。そのスピードは今まで見せたヤツの動きの中でも最速のものだ。それでも高速バトルに目が慣れつつあったジュールはヤツの動きに食い下がる。彼は必死に長刀を振り抜き、ヤツの進撃を防ごうとした。だがそれよりも早くヤツの蹴りが彼の腹に(たた)き込まれた。

「ゲハッ」

 ジュールの体が激しく吹き飛ぶ。そしてその体は数本の柱をなぎ倒し、さらに側壁に激突してやっとその勢いを止めた。

「ゴフッ」

 ジュールは真っ赤な血反吐を流す。それでも彼は素早く立ち上がり長刀を構え直した。

 しかしジュールの足は彼の意志にそれ以上従おうとはしない。先程のヤツの一撃によるダメージが足にきているのだ。またそれにも増して全身に()(がた)い激痛を感じる。

(マズいぞ、このままじゃ確実に(やら)れる)

 そう感じたジュールは今出せる全ての力をつぎ込んで音速で迫るヤツに稜威之雄覇走を向けた。だがヤツはそんなジュールの間合いを完全に把握していた。

 ジュールの繰り出した斬撃をヤツは完璧に見切る。そして数ミリの距離で斬撃を(かわ)したヤツは、そのまま彼の顔面を蹴り上げた。

「ズコッ」

 (あご)を突き上げられたジュールの体はそのまま羅城門の天井に激突する。また強く天井に叩きつけられた彼の体は、まるでピンボールが跳ね返る様に床にへと叩きつけられた。

 青年の体を軽々と打ち上げたヤツの蹴りの衝撃は大砲並みであり、即死に値する衝撃だったのは確実である。にもかかわらず、ジュールはどうにか意識を保っていた。

 彼は長刀を杖代(つえが)わりにし、ふらつきながらも何とか立ち上がる。だがその姿は明らかに満身創痍であり、ましてこれ以上の戦いを望むなど考えられないものであった。するとそんな彼に対し、ヤツは声高らかに言った。

「まだ死なぬとは恐れ入る。しかしそろそろ限界のようだな。お前の人間離れした強さは良く理解出来たが、それでも我を納得させるための何かが足りぬようだ。残念だが、全てを話すには少々値しないらしい」

「ハァハァ、とっとと終わらせてジンギスカンでも食いに行こうと思ったけど、質の悪い牛肉で腹がいっぱいらしく、調子がいまいち上がらないぜ」

「フン、まだその様な減らず口を吐けるとは見上げたものだ。だがそんなに腹が(ふく)れて動けないのなら、腹減らしにダンスでも踊ろうか!」

 そう吠えたヤツから怒涛の覇気が放出される。そしてそれと同時にジュールの視界からヤツの姿が消えた。

「ドガン!」

 次の瞬間、背中を蹴られたジュールが前方に吹き飛ぶ。だがしかし、背中を蹴られたはずのジュールの前にヤツの姿が現れた。

 ヤツは音速で走り、吹き飛ぶジュールの先回りをしたのだ。そして今度は向かい来るジュールの胸に渾身の蹴りを叩き込む。するとジュールの体は反対方向に弾け飛んだ。

 トップスピードにまで加速したヤツの連続攻撃にジュールは成す(すべ)がない。そしてヤツの攻撃が放たれる度に、ジュールの体は前後左右に弾けた。それはまるで、本当にダンスを踊っているかの様であった。そして10発目の蹴りが入いる瞬間に、ヤツは冷たく言い放つ。

「これで終わりだ」

「ズガン!」

 ヤツの渾身の回し蹴りがジュールの脇腹に叩き込まれる。その衝撃でジュールの体は激しく吹き飛び、羅城門中央にある太く大きい支柱に激突した。

「ビシーン!」

 支柱に無数の亀裂が入る。そしてジュールは床に倒れ込む音だけを残して撃沈した。

「ゴクリ」

 そんな支柱の(たもと)にいたリュザックは生唾を飲み込む。彼はジュールが確実に死んだと思ったのだ。反射的に目を背けたリュザックの心情は由々しきものであっただろう。そして城内は彼の胸の内と同じく、一瞬で(こお)りついた様に静まり返っていた。しかしその静寂(せいじゃく)を切り裂く様にヤツが大声で叫ぶ。

「どういうことだ、小僧っ!」

 ヤツは鬼の形相で声を荒げる。するとそんなヤツの声に驚いたリュザックが顔を上げた。

「!」

 ヤツとリュザックが見つめた先。そこには見るに()えないほどボロボロになりながらも、立ち上がったジュールの姿があった。そして驚く事に、その表情からは笑みがこぼれていたのだった。

 生きている事だけでも信じられない。まして立ち上がるなんてもっての他だ。にも(かかわ)らずジュールは笑っていた。それはまるで、絶体絶命の窮地(きゅうち)を楽しんでいるかの様に。するとそんな彼に向かい、ヤツが激しく(まく)し立てた。

「小僧! なぜ貴様は生きている。なぜ生きていられるのだ! 我の攻撃は、その一撃が万死(ばんし)に値するものぞっ!」

 ヤツが怒声で吐き捨てる。それは圧倒的な強さを見せるヤツの方が、満身創痍(まんしんそうい)のジュールよりも明らかに動揺(どうよう)するものであった。ただそんな怒りを露わにするヤツを余所に、ジュールは自分自身の内側から()き上がる不思議な感覚に身を(ゆだ)ねていた。

(体は言うことを聞かないし、ヤツの動きにもまったくついて行けない。後はただ殺られるだけなのに、殺られたほうが楽になれるのに、それなのに何なんだこの気持ちの高ぶりは。ヤツの攻撃を受ければ受けるほど、体に感じる激痛が大きくなればなるほど、気持ちの中で訳の分からない高揚感がどんどんと高まってくる!)

 ジュールは胸の内で震えていた。それはもちろんヤツから受けた深刻なダメージによるものではない。でも確実にそれは心の奥深くから伝わって来る。ジュールはそんな不思議な感覚に心を躍らせた。ただそれを(にら)みつけるヤツの感情は真逆である。ヤツはジュールに向けて憤怒(ふんど)形相(ぎょうそう)で唸りを上げた。

「認めぬぞっ、決して認めぬ!」

 そう吐きすてたヤツは音速でジュールに突っ込む。そして彼の顔面めがけて鋼鉄の様な拳を渾身の力で浴びせた。――がしかし、

「ガンッ!」

 ジュールは大砲の様なヤツの拳を稜威之雄覇走で受け止めた。それも彼の体は微動(びどう)だにしないのだ。すでに大刀の輝きは消えていたが、それでも大砲の様なヤツの一撃を真正面から受け止めるなど到底考えられるわけがない。でもだからこそ、ヤツは(たま)らずに吠えたのだった。

「有りえぬっ、有りえぬぞ小僧! この一撃は我の持ち得る最大の攻撃だっ! 人の身で受け止めることなど到底不可能。まして貴様の様な半死人が受け止めるなど、絶対に有りえぬ事だっ!」

 そう叫んだヤツは奥歯を喰いしばり、更に力を込めて強引に拳を振り抜こうとした。だがそれでもジュールの体は動かない。いや、それどころかむしろ逆に押し返されはじめたのだ。

「バ、バカな!」

「うおおおぉぁぁっ」

 (うな)り声を上げたジュールは、ついに拳ごとヤツの巨体を吹き飛ばす。それにはさすがのヤツも目を丸くするしかない。後方に飛ばされたヤツはすぐに体勢を立て直し身構えるも、ジュールを鋭く睨みつけるだけで動く事が出来なかった

「……」

 ヤツはジュールに対し恐怖に近い感覚を覚えていた。ヤツにとって今のジュールは、まるで生きた鬼を喰らう【修羅(しゅら)】そのものに感じられたのだ。そしてそんなジュールの右目は(まばゆ)いばかりの青白い光を放ち、激しく輝いていた。


 リュザックもまた、ジュールの異変に恐怖を感じ身悶えていた。青白く輝くジュールの右目に只ならぬ不安を感じて憂いたのだ。それでも彼は瀕死の後輩隊士が懸命に戦おうとする姿に何か出来ないかと考える。そしてリュザックはそっとジュールに近づこうとした。だがそんなリュザックを制止させる為、ジュールが手の平を彼に向けた。

「ジュ、ジュール、お前」

「――リュザックさん、もっと離れた場所に隠れていて下さい。もうリュザックさんに出来る事は何もありませんから」

 有無を言わさぬジュールの言葉にリュザックは少しムッとする。しかしジュールから感じる身の毛の弥立つ嫌悪感に背中を押されたのか、リュザックは渋々(しぶしぶ)と城内の(すみ)に移動した。その表情は忸怩(じくじ)たる無念さでいっぱいである。でも今はジュールの言葉に従うしかない。リュザックは先輩隊士としての役目を果たせない至らなさと、ジュールから感じる(おぞ)ましさに気持ちを複雑化させていた。ただそんな彼らの様子を見ていたヤツが、心得たとばかりに告げたのだった。

「なるほど、そういうカラクリか。お前が月読(つくよみ)胤裔(いんえい)だったか。どうりで人間離れしているわけだ。なぜお前の様な小僧に全てを話せとディラックが言ったのか、ようやく理解出来たぞ」

 羊顔のヤツはジュールの右目の輝きを見る事で、その異常な生命力に納得した様子だ。ただジュールから感じる恐怖感は未だ(とど)まらず、むしろ更に高まりを見せている。だからこそ、ヤツは次の行動に出る事が出来ずにいた。すると今度はそんなヤツに向かい、ボロボロのジュールが言ったのだった。

「もういい、話は無しだ。頭が張り裂けるくらい痛くて何も聞きたくない。だからお前を殺し、それで終わりだ」

 ジュールは頭を押さえながら吐き捨てる。激しい頭痛は本当だ。でもそれを遥かに上回る(ゆが)んだ衝動(しょうどう)(おさ)えられない。意味も無く()き上がる本能とも言うべき欲望。そう、彼は目の前の相手を滅茶苦茶にしたくて仕方なかったのだ。ただそんなジュールの迷いのない殺意に対し、ヤツは逆に吹っ切れる思いがした。

「よし、いいだろう。所詮(しょせん)我の寿命はもう(いく)らもない。ならば力の限りを出し尽くし、戦士として貴様と相まみえようぞっ!」

 ヤツから戸惑いが消える。そしてその巨体からは大地が震えるほどの覇気が放出された。

「行くぞっ!」

 そう叫んだヤツは、まさに音速を超えるスピードでジュールに突進した。空気を切り裂く轟音が羅城門の中に響く。だがそんな神掛かった速度で迫るヤツに対し、ジュールは稜威之雄覇走を床に突き刺してから、ヤツの顔面にカウンターの膝蹴りを叩き込んだ。

「ドガンッ!」

 凄まじい衝撃がヤツの脳天を突き抜ける。しかしヤツはその衝撃に耐えしのぶと、ジュールの右足を強引に掴み取って力任せに彼の体を投げ捨てた。

 ジュールの体が側壁に向かって激しく吹き飛ぶ。このまま側壁に激突すれば五体がバラバラになるのは必至だ。だが空中で身をひねり体勢を変えたジュールは、側壁に【着地】してその危機を回避した。

「メキメキメキ」

 それは重力が真横に働いているかの様だった。足の骨を(きし)またジュールは側壁を強く踏みしめる。そしてその瞬間に彼は側壁に小型の玉をこすり付た。

「うおぉぉ!」

 ジュールは全力で側壁を蹴って跳ぶ。もちろんその先にはヤツがいた。膝蹴りのダメージで足元がふらついているのだろう。ヤツはジュールの動きに反応出来ない。そしてその化け物の腹にジュールは矢の様な飛び蹴りを入れた。

「ゴスッ!」

 ジュールの蹴りがヤツの腹の奥にまで喰い込む。その衝撃の強さは象ですら即死させる程の威力だ。だがヤツはその衝撃にまでも耐えた。

 ヤツは大量の血反吐を吐き出すも、ジュールの両足を(つか)み取る。そしてヤツはそのまま彼の体を振りかぶり、思い切り床に叩きつけた。

「グホッ」

 ジュールの体が羅城門の床に深くめり込む。だがヤツはそれでも攻撃の手を緩めない。ヤツはもう一度ジュールの体を振りかぶると、今度はすぐ脇にあった柱に彼の体を叩きつけた。

「ゲハッ!」

 粉々になった柱の残骸と共に、投げ捨てられたジュールの体が床に沈む。想像するに堪えないダメージが彼を襲ったのだ。その証拠にジュールはまったく動けない。だがヤツもまた、ジュールから受けたダメージによって膝をついていた。するとそんなヤツの足元に、小型の【青い】玉が転がる。

「ジュバッ!」

 青玉は音を立てて破裂すると、透明な液体を飛散させた。

「ギャオォォォ!」

 ヤツの絶叫が城内に響く。炸裂した青玉は強力な【濃硫酸弾(のうりゅうさんだん)】であり、猛烈な異臭(いしゅう)を発しながらヤツの体を激しく溶かせた。

 ヤツは尋常でない苦痛に悶える。そして柱をなぎ倒しながらのた打ち回った。その苦しみ様がヤツのダメージの深刻さを物語る。さすがのヤツも体を溶かされる激痛には耐えられないのだ。するとそんなヤツの姿を確認したジュールは、脳震盪(のうしんとう)を起こしている状態にも(かかわ)らず無理やり立ち上がった。

 彼はふらつく足を一歩一歩前に踏み出し、床に突き刺さったままの稜威之雄覇走のもとに歩み寄る。やはりヤツに(とど)めを刺すには封神剣の力が必要なのだ。ただそんなジュールの行動にヤツが吠えた。

「こ、小僧っ!」

 苦しみに表情を(ゆが)ませつつも、ヤツはジュールに向け突進する。だが悲しくもその突進にそれまでのスピードは無い。

 どうにか長刀にたどり着いたジュールは、見る影の無いスピードで向かって来るヤツを確認すると、今度は小型の【灰色】の玉を取り出した。そして彼は刀を床から引き抜くと、手にした灰玉を力いっぱい床に叩きつけた。

「ボンッ」

 灰玉は【煙幕弾(えんまくだん)】であり、それは一瞬で城内を灰色の煙で包み込んだ。だがヤツはそんな視界ゼロの煙の中で、ジュールがいたであろう場所に向かって剛腕を振り抜いた。

「スカッ」

 ヤツの剛腕が(むな)しく空を切る。そこにジュールの姿は無かったのだ。ヤツは悔しさを噛みしめる。ただ何も見えないこの状況にヤツは小さく(つぶや)いた。

「これほど濃い煙幕では、小僧とて何も見えぬはず――!」

 ヤツがそう思った瞬間、凄まじい衝撃がその巨体を襲う。グレネードランチャーから発せられた強力なナパーム弾がヤツの脇腹に直撃したのだ。

「ギャァァ」

 断末魔の叫びと共にヤツの体が激しく燃え上がる。――と次の瞬間、紫色の輝きを放った長刀を振りかぶるジュールが煙の中より現れた。

「!」

 ギョッとしたヤツは瞬時に身を(ひね)り回避する。しかし踏み込んだジュールの一撃はヤツの右腕を肘のあたりで切り落とした。

 ヤツは体勢を大きく崩す。それでもヤツは何とかジュールとの間合いを取ろうと脚に力を込めた。だがそれよりも早くジュールの蹴りがヤツの顔面に叩き込まれる。

「ドガッ!」

 その衝撃で吹き飛んだヤツの巨体は床を転がる。するとヤツの体は吸い込まれるようにして、トラップの爆発で開いた大きな穴に落下した。

「バシャーン!」

 ヤツの落ちた下階は大量の水で溢れていた。上階で発動したスプリンクラーの大量の水が、床に開いた穴より流れ落ち、浅いプールの様に水が()まっていたのだ。そしてそんな水溜りに落ちた事で、ヤツの体を包んでいた炎は瞬く間に鎮火(ちんか)した。

「グハッ、ハッ」

 水溜りから()い上がったヤツは大の字に倒れる。そしてその巨体に馬乗(うまの)りになったジュールは、ヤツの喉元(のどもと)に封神剣の(やいば)を突き付けていた。



「見事だ、月読の胤裔よ。いや、グラム博士の息子殿と呼んだ方が良いか――。どちらにしても、我の完敗だ」

 ヤツは(おだ)やかな声で続けた。

硫酸弾(りゅうさんだん)を使ったのは我にダメージを与えるだけでなく、異臭を発生させる事で視界のない煙幕の中でも我の位置を把握する為であったか。さらに体を炎上させる事で、より対象を正確に把握し攻撃を仕掛ける。見事な戦術だ」

硫酸弾(りゅうさんだん)はあんたの言った通りだけど、でもナパーム弾は床に刺さった刀を引き抜きに行った時に、偶然落ちているのに気が付いただけだよ」

咄嗟(とっさ)の状況判断も大したものだ」

 そう(つぶや)いたヤツにはもう敵意は無かった。そしてそんなヤツの態度に気が付いたジュールは、その巨体よりそっと起き上がった。ただ彼はヤツの切り裂かれた右腕が原子分解し始めている事にハッと気付く。するとジュールは輝きの消えた長刀を振りかぶりながら言った。

「済まないが辛抱(しんぼう)してくれ」

 そう告げたジュールは一気に稜威之雄覇走を振り抜く。

「ズバッ」

 ジュールの一撃がヤツの腕の付け根部分を切り捨てる。ヤツは苦痛に表情を歪ませたが、それが原子分解する腕を切り離す行為なのだという事は理解出来ていた。

「確証は無いけど、たぶんこれで大丈夫なはずだ」

 痛みに(こら)えるヤツにジュールは柔和に声を掛ける。そして彼は封神剣の能力についての推測を語ったのだった。

「ディラックって言ったっけ。あいつはこの剣で切られて死んだんだ。でもその痛ましい死に様を見て分かったんだよ。一度原子の崩壊(ほうかい)が始まってしまえば、その対象が完全に消滅するまで原子分解は止まらないって。だから俺は思ったんだ。原子分解を止める唯一の方法は、恐らくその部分を切り離す事だけだろうってね。だから悪いけどこうさせてもらった。原子分解の原因は稜威之雄覇走が放つ紫色の光のはずだから、光の消えた状態なら単なる斬撃で終わるはずだろ」

 乱暴な対処だが、それがヤツを生存させる唯一の方法なのは間違いない。そしてそれはジュールが今できる最大限の思いやりである事も確かであった。するとその言葉にヤツは完全に観念したのだろう。苦笑いにも似た(わず)かな微笑みを見せる。ただその時、ヤツはジュールの後ろに落ちている【ある物】に気が付き言った。

「お、お前のすぐ後ろに落ちている【それ】を取ってくれないか……」

 ヤツの言葉にジュールは振り返る。するとそこには薄い青緑色をした大きめの鏡が落ちていた。

 ジュールはその鏡を手にする。見た目通りにずっしりと重い。ただそれ以上に彼が印象深く感じたのは、数十匹の【水蛭(ヒル)】を(かたど)った彫刻が、鏡の全周に(ほどこ)されていた事だった。

 異様な彫刻に飾られた不気味な鏡。しかし何故だろう。その鏡はやけに魅力的に見えもする。だからジュールは興味に引き寄せられる様、そっとその鏡を(のぞ)き込んだ。だがしかし、それ自体は白くくすんでいた為、ジュールの顔はおろか何も映し出しはしなかった。

 少しだけ残念そうな表情を浮かべた彼は、手にした鏡をそっとヤツに差し出す。するとその鏡を受け取ったヤツは、緑色の瞳でそれを寂しそうに見つめて言った。

「これは伝説に(うた)われる天照(あまてらす)の鏡の一つであり【死の鏡】と呼ばれる物だ。そして元来この鏡は我が故郷パーシヴァル王国にて古くから受け継がれてきた宝物であるらしい。ただな、この鏡は今日に(いた)る全ての元凶(げんきょう)なんだよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話が唐突(とうとつ)過ぎて良く分からない」

 ジュールはより一層右目を輝かせながらヤツの話に割って入る。するとそんな彼の態度にヤツはヤツなりの要領を得たのだろう。緑色の瞳を優しくジュールに差し向けながら、ヤツは穏やかに告げたのだった。

「どうやらお前は本当に何も知らない様だな。ならば初めに我の素性から伝えよう。我はな、元パーシヴァル軍副将で名を【ハイゼンベルク】と言う。ボーア将軍の部下であり、そしてお前が五重塔で倒したディラックの上官である者だ。これよりお前が望む通り、我の知りえる事は全て話そう。だが元軍人ゆえ政治的な部分や科学的な事は知り得ていない。それは了承してくれ」

 ヤツの話しにジュールは黙って(うなず)く。そしてそれを確認したヤツは一呼吸置くと、軍人らしく目的を明確に話し出した。

「順序が逆になってしまうが、我らの目的を先に言っておこう。我らの目的はアダムズにいる【ある人物】の命を奪うことだ」

「ある人物?」

 そう言ってジュールは唾を飲み込む。一瞬にして只ならぬ緊張感に支配された彼は、震えそうになる手をグッと握りしめた。ただそんな緊迫した表情を浮かべるジュールに対し、ハイゼンベルクと名乗るヤツは躊躇(ちゅうちょ)する事なくその名を口にした。

「我らが命を狙う人物とは、このアダムズ王国の最高権力者である【アルベルト国王】、その人だ」

「な、なにっ!」

 ジュールの背中に今まで()いたことの無い不快な汗がどっと噴き出す。それはまさに、彼の呪われた運命の扉が開いた瞬間であった。

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