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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第一幕 夜余威(やよい)の修羅
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#12 春荒の首都(惨雨の羅城門1)

 嵐の中に浮かぶ羅城門(らじょうもん)は、まさに地獄に(つな)がる巨大な入口そのものに見える。そしてそこから醸し出される不穏な空気は、見る者に強い()まわしさだけを印象付けていた。

 羅城門は首都ルヴェリエを中央に(つらぬ)く大通りに構えられた凱旋門(がいせんもん)である。文字通りそれはルヴェリエ中心部の正門ともいうべき巨大な門であり、アダムズ王国はおろか世界にも名の知れ渡った有名な建造物であった。

 羅城門は数百年前に他国との戦争で勝利した王国が、その勝利を(たた)えるために建設した記念碑的建造物である。そして現在では世界屈指の観光名所として、数えきれない程の観光客を日々招いていた。

 しかし多数の軍隊士と警察部隊によって取り囲まれた雷雨の中の羅城門に、いつもの賑やかな面影(おもかげ)はまったく感じられない。それどころかむしろ物々しい緊迫した雰囲気に息が詰まりそうだ。ただそんな由々しき事態の原因だけははっきりとしていた。そう、すでに羅城門の上層階にて【腐った羊】の顔をもつヤツと、リュザック率いるトランザムが激しい戦闘を開始していたのだ。

 案の定、隊士達の装備する電子兵器は制御不能で使い物にならなかった。また羅城門の構内は蓄電池内臓の非常灯以外、全ての照明が消え失せていた。元々窓の少ない構造の羅城門内部は昼間であっても薄暗い場所である。それが照明の消え、また陽の落ちた時間ともなれば、その視界は極めて劣悪であると諦めるしかない。

 当然の事ながら、その中でトランザムは劣勢(れっせい)余儀(よぎ)なくされていた。いかに彼らが王国最強と(うた)われる軍事部隊であっても、さすがにこの状況ではその強さを発揮するには厳し過ぎたのだ。

 しかし彼らが相対(あいたい)する羊顔のヤツに苦戦する理由はそれだけではなかった。もちろん視界が極めて悪く。また使い慣れた電子兵器が使用出来ない過酷(かこく)な状況がそうさせた原因の一つであるのは確かである。でもたとえその状況が改善されていたとしても、決して戦闘がトランザムに対して有利に働く事はないだろう。そうなのだ。羊顔のヤツの強さは、人の常識を遥かに超えたものだったのだ。

 ヤツは緑色の瞳を不気味に輝かせてトランザムに襲い掛かる。そんなヤツに対してトランザムは機械式の武器だけで反攻した。リュザックの指揮下で組織的に機能したトランザムの攻撃は言わずもがな強力な攻撃力を誇っている。しかし悲しくもそれらはヤツにまったくかすりもしなかった。

 ただでさえヤツと呼ばれる人外の化け物は超人的な身体能力を持っている。だがそれにも増して羊顔のヤツは驚異的に足が速く、トランザムの隊士達はその異常とも言えるスピードにまったく着いていく事が出来なかった。

 トランザムが羅城門に突入した当初、早々に遭遇(そうぐう)したヤツは予想に反して逃げ惑うばかりであり、ヤツの方からはまったく攻撃を仕掛けて来なかった。しかし六時を過ぎた頃にその態度を一転させ、ヤツはトランザムに襲い掛かる。まるで時間稼ぎでもしていたかの様に。

 羅城門の上層階は広いホールの様な空間に、無数の(はしら)が所狭しと立ち並ぶ構造になっている。そしてヤツはその柱を俊敏(しゅんびん)なフットワークですり抜けながら、一人、また一人と確実にトランザムの隊士を蹴散(けち)らした。

 徐々に戦力を()がれていく中、トランザムを指揮するリュザックは苦々しく表情を曇らせる。それでも彼は今何をすべきか、何が出来るのかを懸命に模索(もさく)しつつ、雑音混じりのインカムを通して隊を指揮し、どうにかヤツからの攻撃に耐え忍んでいた。

 まだ戦えるトランザム隊士の数はリュザックを含めわずか4人。それでも彼らは臨機応変な戦術と持ち前のタフネスさで、猛威を振るうヤツをどうにか羅城門内に閉じ込めていた。


 ヤツの動きにまったく着いていけない。それでも戦闘が長引くにつれ、洞察力に優れたリュザックはヤツの特徴をとらえつつあった。そして彼はヤツの目的が羅城門からの脱出であると確信し、それを防ぐべくトランザムに指示を飛ばした。

「ヤツは城内を時計回りに周回しながら脱出のタイミングを(うかが)ってるき。じゃがそれは俺達にしても好都合だがね。出入り口を固めてんのは俺達の方じゃけん、無暗やたらに攻撃を仕掛けんと、ヤツが向かって来た時だけを狙って攻撃すれば何とかなるはずだきよ!」

 リュザックはそう強く吐き捨て、四ヶ所ある出入り口に配置する隊士達に激を飛ばした。

(逃げてたと思ったら突然向かって来やがって。まっこと意味がわからんがよ。でも現時点でヤツが羅城門からの脱出を図っているのは確かなようだが。そんならこっちにだって意地はあるき。ここまでコケにされて、ただで逃がすわけにはいかんだでよ!)

 ヤツがまだトランザムから逃げ惑っていた時、すでにリュザックはヤツの異常なまでの足の速さに気付いていた。そして彼はその常識外れな能力を殺すために、即席(そくせき)のトラップを城内の(いた)る所に仕掛けていたのだ。するとそのトラップが効果的な役割を見事に果たす。特に出入り口付近には強大な威力を発揮するトラップを仕掛けていた事で、それを嫌がったヤツは(いま)だ脱出を図れずにいた。

(どうにか上手くいってるでよ。手榴弾(しゅりゅうだん)にワイヤーを(つな)げただけの簡単なトラップで、ヤツをこんなにも足止めしとけるとは思わなかったき、嬉しい誤算だでな。けんどヤツを足止めするのが精一杯で、その後の一手がまったく打てんで。やられた隊士達もまだ息は有りそうじゃが、救助する事も出来んし。さて、どうしたもんか)

 手持ちの武器でどうにか善戦するも、その後の打開策がまったく考え付かないリュザックは頭を悩ませる。ただそれと同じく、いつしかヤツもその動きを止めていた。

 音速に近いスピードを有するヤツの優位性が勝っているのは否定のしようがない。しかしヤツは(いた)る所に仕掛けられたトラップに嫌気がさし、無暗(むやみ)に動くことを止め暗闇の中にひっそりと身を隠したのだ。

 非常灯の明かりのみという劣悪な視界の状況。その条件はヤツにとっても同じであり、それが(たく)みに仕掛けられたトラップをも見えなくさせていた。いくらヤツが化け物だとはいえ、この状況下でトラップを見抜く事は不可能だったのだ。またそれに加算される形で唸る雷鳴と豪雨の音がヤツの聴覚をも狂わせていた。

 ヤツは巨大な体をこれ以上無い程にまで小さく屈めて息を潜ませる。視覚と聴覚が利かないのならば、他の感覚に意識を集めるだけの事。ヤツはそう考えたのだろう。持ち合わせる人の数倍はあろう身体能力の中で、ヤツは嗅覚(きゅうかく)に神経を集中し始める。そして硝煙(しょうえん)の臭いが籠った城内で、トランザムの隊士達が放つ血と汗の臭いを的確に()ぎ分けようとしていた。

(姿は見えなくても、ヤツの殺気がビンビンに伝わって来るき。このまま手を(こまね)いているだけじゃ、ヤラれるのは時間の問題だきね。なら一か八か、こっちから動いてみるがか――)

 リュザックは手動に切り替えたマシンガンを構えながらゆっくりと腰を上げる。そして各出入り口を固めた隊士達に向かって静かに告げた。

「全員聞こえるか」

 リュザックの声がインカムを通して残る三人の隊士に届く。

「作戦コード【グリーン】で行くき。戦闘隊形は【モスキートン】だで。もしこれが上手く行かんで俺がヤラれたら、お前達は即座(そくざ)に撤退するきよ。恰好(かっこう)付けて無駄死にしたところで、誰も()めてくれんしね」

 そう言ったリュザックは素早くインカムを外すと、腰に着けていた小型のバックの中に手を伸ばす。そして彼はその中より、顔をすっぽり(おお)うマスクを取り出し装着した。

 トラップで仕掛けられたワイヤーは、微小であるが自ら赤外線を発する特殊な繊維(せんい)で出来ている。そしてその赤外線はマスクに取り付けられたレンズを通す事で、暗闇の中でも正確にその位置を把握出来たのだった。

「ダダダッ」

 リュザックは(おもむろ)にホールの中央に向かって全力で駆け出す。彼は(いた)る所に仕掛けられたワイヤーを避けつつも、まるでそれらが存在しないかの様に平然と走った。するとそんなリュザックの動きに釣られたのか、息を(ひそ)めていたヤツが猛然と動き出す。恐らくヤツはトランザムの隊士が絶望的な状況に(しび)れを切らせて飛び出したとでも思ったのだろう。

 リュザックに向かい直線的に駆け込むヤツのスピードは途轍もなく早い。そして更に恐ろしいのは、いくつかのトラップを誘発させつつも、ヤツはその衝撃に構う事なくリュザックに向かって猛然と突進したのである。だがリュザックまであと数メートルという距離まで近づいた時、ヤツは直線的だった動きを止め、彼の後を追う様にその行動を変化させた。


 ギアを落としたヤツはスピードを(ゆる)める。それでもヤツはリュザックの後を正確に追い、その距離を確実に縮めた。

(対応の早い奴だでよ。俺がトラップを避けながら進んでいるのを分かっちょるきね。けんどその落ち着きぶりが仇になるがよな!)

 そう胸の内で叫んだリュザックは、(みずか)らの後方を正確に追うヤツに向かい玉型兵器を放り投げる。すると息を殺して闇に(ひそ)んでいたトランザム隊士の一人が、その玉をマシンガンで正確に打ち抜いた。

「ズガガーン!」

 打ち抜かれた玉は爆弾であり、それはヤツの目の前で激しく爆発した。しかしヤツはその衝撃を素早く背中で受け流すと、何事も無かったかのようにリュザックを追った。

 リュザックの背中にヤツの凄味の利いた殺気が襲い掛かる。ヤツとの間合いは急速に狭まっているのだ。その圧迫感と焦燥感は肝を凍てつかせるに十分であろう。ただそれでもリュザックは冷静に狙いを定め、ヤツに向かって二つ目、三つ目と玉を投げつけた。そして暗闇に潜んだ隊士達がそれらの玉を確実に打ち抜いていく。

「ズガァーン! ボガァァーン!」

 凄まじい爆発が連続で轟音を響かせる。そしてその爆発が起きる度にヤツは少しだけスピードを遅らせた。しかしその程度の衝撃でヤツが諦めるわけがない。いや、むしろヤツは狂気を剥き出しにしてリュザックの後を追った。スピードを加速させたヤツの巨体がリュザックに迫る。もうその距離はあと一歩というところだ。

 ヤツが剛腕を振り上げる。もちろんその剛腕をリュザックの背中に叩きつける為。だがそれよりも一瞬早く、リュザックは左方向にあった柱の足元に頭から滑り込むように飛んだ。彼はヤツから受け取る狂暴な殺気を正確に読み取ったのだ。

「ドガンッ!」

 リュザックの背中すれすれにヤツの剛腕が振り抜かれる。そしてその剛腕はリュザックが身を隠した柱を粉々に破壊した。だが柱の破片が激しく飛び散る中で、ヤツの顔面に向け一つの玉が投げつけられる。

「!」

 その玉を見たヤツは瞬時に反転する。爆発の衝撃を硬い背中で受け流そうとしたのだ。――がしかし、その玉は爆発することなく代わりに振り向いたヤツの正面が激しく光った。

「パッ!」

 ヤツは(たま)らず目を(おさ)えて大きく一歩後退する。暗がりに集中していた状態で視界が突然発光したのだ。ヤツが一瞬気後れしたのは当然な感覚であろう。そしてそんな尻込みするヤツの(すき)を突いて、リュザックはマシンガンの引き金を引いた。

 リュザックはヤツが背中で爆弾の衝撃を受け流すだろうと初めから予測していたのだ。そして一発目の赤玉が爆発した時、ヤツが予想通りの反応を示した事で彼は迷いを捨てた。

 視界の悪いこの状況では、玉の色など判別できるはずもない。だからリュザックは立て続けに赤玉を投げ、ヤツに向け投げられた玉が全て爆弾だと思わせた。

 次にリュザックはヤツの攻撃をギリギリのところで避けると、振り向き様ヤツに向け最後の赤玉を投げる。もちろんヤツは体を反転させて、その衝撃を背中で受け流そうとした。しかし赤玉に対して発砲は無く、代わりにリュザックは素早く短刀を引き抜き足元にあった一本のワイヤーを切断した。

 ワイヤーは閃光弾(せんこうだん)を発光させるトラップであり、ヤツの振り向いた正面を激しく光らせる。まともに光を浴びたヤツは低い(うな)り声を上げながら後退(あとずさ)った。

 この(わず)かな隙をリュザックは狙っていたのだ。彼はマシンガンを連射しながらヤツに向かって駆け込む。そして投げ落ちた最後の赤玉を拾い上げながら、それを叩き込むべく振りかぶった。

 しかしリュザックは振りかぶったその腕を制止させる。なんとヤツは至近距離から発射されたマシンガン攻撃を全て(かわ)したのだ。

「フザけんながっ!」

 リュザックは半ば唖然とする気持ちで一杯だった。それでも攻撃の手を緩めるわけにはいかない。彼は出し惜しみする事なく引き金を絞り続けた。しかし無情にも弾丸はヤツの体に当たらない。

 ヤツは目が(くら)んだ状態でありながらも、持ち前のスピードでマシンガンの攻撃をギリギリのところで避け続ける。一時的とはいえ、視界を(つぶ)されたにもかかわらずヤツの動きには抜群のキレがあった。すると一度は後退し間合いを広げたヤツが、(たく)みなフットワークでマシンガンを(かわ)しながら一気にリュザックに詰め寄った。

「チッ」

 リュザックは素早く柱に身を隠しヤツからの攻撃に身構える。たがそれよりも早くヤツは彼の後ろを取った。ヤツの剛腕が振り上げられる。

「クソっ垂れがっ」

 リュザックはそう吐き捨てるも、振り返る事なく手にしていた玉を後方にいるヤツに向け投げた。するとヤツは軽く目を押さえながら反転する。

「パシュッ」

 暗がりに潜むトランザム隊士の発砲によって、リュザックの投げた玉は小さな音を立てて破裂した。ただその玉は爆発する事なく、代わりに薄い煙を拡散させた。

「グオォォォ!」

 ヤツは立ち込めた煙の中で苦しそうな(うめ)き声を上げる。尋常でない(しび)れが頭部全域に伝わり悶絶しているのだ。するとそんなヤツを横目にしたリュザックは、短刀を握りながら素早く柱の陰に身を隠す。そして彼は足元にあった3本のワイヤーを掴んでからこう言った。

「よう見んからそうなるんじゃき。今のは爆弾でも閃光弾でもない、【緑玉】の催涙弾(さいるいだん)だでよ。もともとお前が暗闇の中で正確に俺達を蹴散(けち)らせたのは、視覚以外の感覚を(するど)く働かせていたからじゃろうて。だから初めからそっちを(つぶ)すのが(ねら)いだったでな」

 呼吸を荒げながら後退(あとず)さるヤツに対し、リュザックはさらに続ける。

「冷静に考えてみるがよ。この至近(しきん)距離で爆弾なんぞ投げたら俺の方まで壊れちゅうに。俺はそれほど自己犠牲する性格じゃあないんでな。それに閃光弾とて、そう何度も連発したところで効果が無いことも分かっちょるきよ。ところでな、お前が今立っちゅう場所じゃが、俺の記憶が当たっちょったなら、そこは羅城門の中で一番危険な場所だでな」

「!」

 リュザックの言葉にヤツは目を大きく見開く。直感としてヤツは極度の危険性を察したのだ。だがリュザックはヤツが動くよりも早く、握っていた3本のワイヤーを一気に切り捨てた。

「ズガガガーーンン!!」

 大爆発が巻き起こる。そして同時にヤツの巨体も激しく吹き飛んだ。


 ヤツが立っていた床には大きな穴が口を開けた。さらに爆発の衝撃で城内のスプリンクラーが稼働を始める。これでは雷雨の激しい外と環境としては然程変わらないだろう。そしてリュザックは天井から激しく降り注ぐシャワーに()れながら、少し離れた場所に倒れているヤツを注意深く監視した。

 うつ伏せに倒れるヤツからは、まったく動く気配が感じられない。ヤツのタフさからして仕留めたとは考え辛いが、でも目を閉じている状態からして気を失っているのは確かな様だ。だがそれでも油断は出来ない。リュザックは背負っていた小型のグレネードランチャーを手に取ると、微動(びどう)だにしないヤツに向け静かに構えた。

 リュザックが装着していたマスクは、暗視機能が備わっているのと同時に防毒マスクにもなっている。だから催涙(さいるい)ガスがまだ立ち込める中でも、彼は冷静に行動する事が出来ていた。

「羅城門は王国の文化的な建造物だきね。被害はなるべく小さくしなくちゃならんき。けんど今はそんな心配してる余裕無いだでな。ましてこがい大きな穴開けちまっちゃあ、もうどうにでもなれって感じだきよ」

 グレネードランチャーには強力なナパーム弾が装填(そうてん)されている。いかにヤツが強靭な体をしていようとも、これが命中すれば一溜りも無いだろう。そう確信するリュザックは狙いを定めながら、引き金に掛ける指先にゆっくりと力を込めた。――がその時、彼はヤツが緑色の眼をカッと見開いていることに気付いた。

 リュザックの背中にどっと冷たい汗が溢れる。ヤツの不気味な緑色の瞳が彼の心に只ならぬ嫌悪感を感じさせたのだ。それでもリュザックは強く奥歯を噛みしめると、引き金を目一杯絞り込んだ。

「バシュー!」

 甲高い発射音を放ったナパーム弾がヤツに向かい猛スピードで飛ぶ。しかしナパーム弾が命中する直前、ヤツはうつ伏せの状態から一気に真上に飛び上がりその攻撃を避けた。


「ボン!」

 城内の一部をメチャクチャに破壊したナパーム弾は、それと同時にその周囲を激しく炎上させる。そして勢い良く燃え上がった炎は、暗闇だった城内を一転にして明るくさせた。

 さらにスプリンクラーから降り注ぐ大量の水は、いつしか室内に充満(じゅうまん)していた催涙ガスを消し流していた。

「まさか、ヤツはこれを狙っちょったのか!」

 顔面を蒼白(そうはく)に変えたリュザックは、炎の明かりを背にして立つヤツを呆然(ぼうぜん)と見つめる。そんなヤツの体には、あれ程の爆発で激しく吹き飛んだはずなのに、(かす)り傷一つ(きざ)まれていなかった。

 リュザックは愕然と戦意を萎えさせる。たとえ殺す事が出来なくとも、それなりのダメージは与えたはずだ。彼はそう信じて疑わなかったのだ。しかし現実として目の前に立つヤツの姿は無傷なのである。リュザックが忸怩(じくじ)たるもガックリと肩を落とすのは無理もあるまい。だがその時だった。三方向からトランザムの隊士達によるマシンガンでの一斉攻撃が始まった。

「ダダダダッ」

 攻撃を仕掛けた彼らとて、ヤツに対してそれまでの攻撃がまったく利いていない事は理解していたはず。だがそれでも彼らは王国最強と呼ばれるトランザムの隊士達なのだ。まったく歯が立たない敵であろうと、それを目の前にして退く事は出来ない。ただそんな彼らに向かいリュザックが必死に声を荒げた。

「何をしちゅうバカ野郎どもが! 作戦は失敗じゃで、全員逃げるでな!」

 リュザックは決死に叫ぶ。しかし隊士達はそれを無視して攻撃を続けた。勝ち目のないヤツとこれ以上戦ったところで意味は無い。それは誰しもが分かりきっているはず。でも彼らには攻撃する事しか出来なかったのだ。

 数百発のマシンガンの銃弾と共に、ヤツに向け何発ものナパーム弾が打ち込まれる。その威力は凄まじいばかりだ。城内はたちまち火の海と化し、まるで地獄の様な姿にへと変化していく。やはりトランザムの集中攻撃は軍最強と呼ばれるに相応(ふさわ)しい戦闘力だ。しかしそんな目を見張るトランザムの攻撃ですら、ヤツはあざ笑うかの様に(かわ)した。

 目で追うことすら困難なスピードでヤツは走り出す。そんなヤツに対してトランザムの隊士達は死に物狂いで攻撃を仕掛け続けた。だがあまりにも早や過ぎるヤツの動きにトランザムの隊士達は(むな)しくもついていけない。攻撃を浴びせるどころか、ヤツの姿を正確に捉えることすら出来ないのだ。そしてそんな隊士達は、手も足も出せないまま次々と蹴散らされ意識を失っていった。

「グロロロォ」

 残るトランザムはリュザック一人だ。そんな彼に向け低い唸り声を上げたヤツは、一息つく事も無く猛然と駆け出した。

 リュザックは気を取り直してマシンガンの引き金を引く。彼は間違いなくアダムズ軍屈指の精鋭なのだ。今がどれだけ追い詰められた最悪の状況であろうと、ここまで来たら(あらが)うしかない。彼にはその責務を遂行する勇気があった。

 リュザックの眼光に鋭さが戻る。するとヤツはそんな彼の姿勢に気迫のある凄味を感じたのだろう。ヤツは一直線に襲い掛かるのを止め、その代わりにリュザックの周囲を猛スピードで周回し始めた。

「ダダダダダッ!」

 リュザックの放つマシンガンは正確にヤツの体に向かい飛ぶ。彼の研ぎ澄まされた集中力は、目で追う事すら困難なヤツのスピードにも対処したのだ。軍人の極みとも呼べる動きを見せるリュザック。だがしかし、そんな彼の放つマシンガンの弾丸をヤツは()(くぐ)り、ついにその背後に(せま)った。そしてリュザックの背後を取ったヤツは、間髪(かんぱつ)入れずに彼に向け剛腕を振り下ろした。

「ズドンッ!」

 鈍い音を立ててヤツが勢い良く床に(たた)きつけられる。なんとリュザックはコマの様に体を回転させ振り下ろされたヤツの腕を(つか)み取り、そのまま強烈な背負い投げを浴びせたのだ。また彼は即座(そくざ)に腰の刀を抜き、倒れているヤツに向けその刀を突き刺した。

「ガッ!」

 短刀が羅城門の床に突き刺さる。ヤツは強引に体を(ひね)って紙一重で突きを避けたのだ。だがその影響でヤツは少しだけ体勢を(くず)して後退する。

 そんなヤツに対してリュザックは攻撃の手を(ゆる)めない。ほんの(わず)かではあるが、すきの生まれたヤツに対してリュザックは最後の赤玉を投げつける。そして素早く構えた小銃をその玉目掛けて発砲した。

「ズッガーン!」

 赤玉は激しく爆発した。しかしその衝撃をヤツはまたしても背中で受け流した。そしてヤツは体勢を立て直し、目にも止まらぬ早さでリュザックの背後に回り込む。

 そんなヤツの動きを先読みしたリュザックは即座に刀を逆手に掴み、振り向き様に切りつけた。

「ガッ」

 リュザックが渾身(こんしん)の力で()り出した(とど)めの一撃に衝撃が伝わる。しかしその手応えは、ヤツが分厚い皮をもつ素手で刀身(とうしん)ごとそれを握り掴んでいたものだった。

「バ、バカ野郎が」

 ビクともしない刀にリュザックは無意識にも苦笑いを浮かべる。だが次の瞬間、ヤツは彼の腹を思い切り蹴り上げた。

「ゲハッ」

 反射的に後方へ飛んだリュザックであったが、衝撃を緩和させるには至らず勢い良く吹き飛んだ。そして彼の体は羅城門を支える最も太い支柱(しちゅう)に直撃し、その勢いを止めた。

 リュザックは大量の血反吐(ちへど)()きながら崩れるように腰を落とす。すると彼は観念したのか、溜息混じりに(つぶや)いたのだった。

「ま、参ったで。あれだけやって、まったくダメージを与えられないっちゅうことは、もう打つ手なしだでよ……」

 マスクを外したリュザックは力なく弱音を漏らす。膝をついて背中を(かが)み込むその姿にはもう戦意は感じられない。するとそんな心の折れたリュザックのもとに、ヤツはゆっくりと近づきはじめた。

「年貢の納め時っちゅうやつかいな――」

 リュザックの(なげ)きは小さな声だった。だがそこで彼が目にしたのは、あまりにも奇妙で不可解なヤツの行動であった。

 ヤツはまるで何かを探す様に、炎上する城内を注意深く観察している。でも何故そんな事をしているのか。反攻の意志の無い自分を殺すなど容易(たやす)いはずなのに、それを後回しにしてまで何を探しているのだろうか。リュザックは心の中でそう不思議に思う。ただ今の彼にはそれ以上にはどうする事も出来なかった。


 ヤツはリュザックまで数メートルの場所まで近づいた時、その足を止めた。ヤツはそこで散乱した瓦礫(がれき)()もれる【何か】を見つけたのだ。そしてヤツは無造作に瓦礫を持ち上げると、その下から薄い青緑色をした何かを取り出した。そして破損箇所の有無を調べる様に、ヤツは手にしたそれを丁寧に眺めた。

 一体何をしているんだ。目の前で展開される不可思議な光景にリュザックは食入っている。ただそこで彼はこう思った。ヤツが拾い上げたそれが、人の頭部ほどの大きさをした【鏡】なのではないのかと。すると彼は危機的状況であるのにもかかわらず、人外の化け物が古めかしい鏡に見入る姿をどことなく滑稽(こっけい)に感じ、無意識にも微笑(えみ)を浮かべた。

 そんな彼の表情に気づいたのであろうか。ヤツは再び歩き出してリュザックの目の前まで来てからその足を止める。するとさすがのリュザックもこの時ばかりは死を覚悟した。幾度(いくど)の死線を潜り抜けて来た彼の直感がそう思わせたのだ。しかしそんなリュザックに対するヤツの対応は意外なものであった。

「確かに、王国最強と言われるだけはある」

 ヤツはリュザックを見下しながら平素に口を開いた。

「我の殺すつもりで繰り出した攻撃を、お前達は機敏(きびん)にも受け流し、致命傷だけは避けた。お前以外の全員が意識を失い倒れているが、恐らく死んだ者は居るまい」

 あまりにも予想外なヤツからの発言にリュザックは目を丸くする。いや、そもそもヤツが口を利くなんて考えてもみなかったのだ。しかし彼はヤツを(にら)み付けながらこう吐き捨てたのだった。

「だったら何ぜよ。生きていようが手も足も出せんことに代わりないがね、俺達の負けだでな。だからほれ、さっさと()るきよ」

 リュザックはヤツの目を直視しながら言った。彼のプライドがヤツの哀れみに満ちた言葉に反発したのだ。ただそんな幕引きを急かすリュザックにヤツは目を見張りながら告げたのだった。

「生き恥を(さら)すより、戦士としての死を選ぶか。見事なものだ。我も元軍人であっただけに、その思いは良く理解できる。だが……」

 そう言うなり、ヤツはリュザックの顔を(のぞ)き込むように低く(かが)む。そして手に抱えていた鏡を彼の前に差し出して言った。

「お前は、これが何だか知っているか?」

 その鏡はかなり古い物なのだろう。百年や二百年ではなく、もっとずっと昔の、遺跡などで発掘された出土品と相違ないほどの古い鏡。そして理由は分からないが、その鏡からは不思議な感覚を察する事が出来る。背中がゾッと泡立ちながらも、どこか視線を背けられない魅力に引き寄せられる程に。しかしリュザックはそんな奇妙な感覚を振り払うかの様に、突然切り出された訳の変わらないヤツの問い掛けに吐き捨てて反発したのだった。

「何じゃそりゃ、化け物が骨董品(こっとうひん)集めか? 変わった趣味(しゅみ)しちょるのう」

「これは【天照(あまてらす)の鏡】だ」

「!?」

 天照(あまてらす)の鏡。それは神話にて女神ヒュパティアが燦貴神(さんきしん)と呼ばれる三体の獣神を封印したとされる、伝説の神器(じんぎ)である。そしてそれはルーゼニア教の信者はもちろん、アダムズ王国に暮らす者であれば大多数の者が知っている鏡であった。ただそれは神話の中で語り継がれるお伽噺(とぎばなし)であり、それが実在する鏡であるなんて信じる者はほとんどいない。もちろんリュザックもそんな突拍子(とっぴょうし)の無いヤツの話を信じるわけがなく、(なか)(あき)れる思いで一杯だった。

「けっ、バカバカしい。天照の鏡なんぞ、空想の神話に出てくる架空の鏡の事だで。アホくさくって聞いてられんき。じゃが仮にそれが本物だとして、お前はそれをここでどうするつもりだったかえ?」

 リュザックは悪態つきながら聞き尋ねる。だがヤツはその問い掛けに対して真面目な回答を告げたのだった。

「【(さく)】の刻、つまり新月の生まれる時刻にこれら神の封印されし【四つ】の天照の鏡を、それぞれ王国のとある場所にて天に(かか)げるのだ。さすれば天より【光の矢】が放たれ、真の悪を打ち抜きその命を消滅させてくれる。その場所の一つが、この羅城門なのだ」

「ハッ、ますます(あき)れるきよ。天照の鏡は燦貴神を封印した【三つ】の鏡だでな。それに光の矢が打ち抜くのは暴走した【神】だきね。それを真の悪を打ち抜くとか訳分からん事言いよって、神話と違ってこの世に【神】などおらんきの。人をおちょくるのは大概にせえよっ!」

 リュザックは語尾を強めて言い放つ。ただヤツはゆっくりと立ち上がると、リュザックの反発を無視しながら平素に続けた。

「この鏡は神話に隠れた【四つ目】の鏡だ。ただ不覚にも暗闇の中に落としてしまってな。捜索の為にどうにか明かりを(とも)そうと、お前達の力を利用させてもらったのだ」

「ずいぶんと乱暴だでな。何発もの爆弾とナパームで、探し物が壊れると思わなかったかえ」

「正直この様な鏡、どうなっても良いのだ。我の故郷であるパーシヴァル王国は、この鏡によって散々な目に()わされたからな。そして今日の【賭け】にも失敗した。でもどうしてかな、放っておくことが出来なかった――」

 そう言ったヤツは(おもむろ)に振り返る。そしてトラップの爆発で大きく口を開けた床の穴に向かって歩き出した。

「ちょっ、どこに行くき。俺はまだ生きてるがよっ!」

 リュザックは(とど)めを刺すことなく離れていくヤツに叫ぶ。しかしどういうわけか、彼が目にしたヤツの背中からは何とも言えぬ切なさが感じられた。そしてその哀しさを表現する様に、ヤツは少し寂しそうな口調で告げたのだった。

「先にも言ったように、我はお前達を殺すべく腕を振るった。だがお前達はそれを実力で避け生き延びた。決して幸運に恵まれただけではなくてな。ならば目くじら立てて死に急ぐ事はあるまい。我の様な者が言うのもおかしなものだが、命は掛け替えの無いものだ。こんな姿ではあるが、我にも愛する家族がいる。もう二度と会うことは無い、いや、こんな姿では会うことは出来ない。それでも生きていれば、生きてさえいられれば、想いは届くと信じている。だからお前達も生きるがいい……」

 そう告げたヤツは穴に向かい歩き出す。そしてリュザックはそんなヤツに何も言うことが出来ず、立ち去って行くその姿をただ茫然と見つめていた。


 ヤツは大きく開いた床の穴に着くと、手にした鏡に向かい小声で語り掛ける。それは失意から来る(なげ)きであり、ヤツの容姿からは考えられないほどの悲観であった。

「済みません、ボーア将軍。全力を尽くして作戦を遂行したつもりでしたが、残念ながら失敗です。そして何もかもが失われた。最後に残ったのは、皮肉にもこの()まわしい鏡だけ。頼みの綱の【博士】もいなくなり、もうこれ以上は何も望めません。後はただ、我も静かに死を待つのみ――――ん?」

 ヤツは何かを察したのか。咄嗟(とっさ)に大きくジャンプして穴から距離を取る。するとボロボロの赤い制服に身を包んだ一人の隊士が、穴の中から長刀を振り抜いて飛び上がって来た。

 ヤツは間一髪(かんいっぱつ)でその隊士の繰り出した斬撃(ざんげき)(かわ)す。完全に気持ちが折れていた状態でありながらも、さすがは超人的な肉体を持つ化け物だ。だがヤツは不覚にも、斬撃を避けた拍子に手中から鏡を穴の中に落としてしまった。

「グロロ」

 ヤツは低い唸り声を発する。そして同時に目つきを狂暴に変化させ、正面で長刀を正眼(せいがん)に構える隊士を(するど)(にら)み付けた。

「まだ動ける者がいたか!」

 ヤツは怒涛の殺気を放ちながら言う。ただそれに対し、紫色に輝き出した長刀を構えるその隊士は、落ち着いた口調で返したのだった。

「五重塔に居たヤツは俺が()った。そして牛顔のヤツは最後に言ったんだ。『羅城門にいるヤツから全てを聞け』ってね。それが牛顔のヤツが俺に残した遺言(ゆいごん)だよ」

「ほう、お前の様な小僧が【ディラック】を倒したというのか。確かにその覚悟を決めた目を見る限り、嘘をついている様には見えん。だが(にわ)かに信じられんな。ならばそれが真実かどうか、お前の力を我に示し、その強さで(まこと)(いな)かを証明してもらおう!」

 羊顔のヤツが猛烈な威圧感を放つ。それはまるで、水の中にいるのではと錯覚してしまうほどに息苦しい圧迫感だ。そして不気味に光るヤツの緑色の瞳が、より一層その怖さを助長させる。するとそんな尋常でないプレッシャーを真正面から受け止めた隊士は、奥歯を強く噛みしめながら長刀を握り直した。

(牛顔のヤツもヤバかったけど、こいつは更に(けた)が違う。体の事なんか考えてられるか、初めから全開だっ!)

 隊士は手首にあるダイヤルを一気に(ひね)り上げると、剣先に集中力を高めた。隊士が握る稜威之雄覇走(いつのおはばり)が次第にその紫色の輝きを増大させていく。

「さぁ来い小僧っ! 話が聞きたいのなら、我を納得させられるだけの強さを見せてみろ!」

「うおぉぉぉ!」

 目一杯に床を踏込(ふみこ)み、ジュールはヤツに向け突進した。

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