#11 春荒の首都(埋み火のラボラトリー)
五重塔でドルトンとヤツが激しい戦闘を開始した頃、同じくアダムズ城を出発したコルベットはアダムズ王立協会の本部である【エクレイデス研究所】に到着していた。
アダムズ城より西方に位置するこの施設は、広大な敷地の中にいくつもの研究施設が建ち並んだ国立の科学機関である。そしてそこではアダムズ王国選りすぐりの科学者達が、日々最新の研究を重ねていた。さらに研究所と名が付いているものの、ここは国の政治を司る国会の機能も兼ね備えている。エクレイデス研究所はまさに王国の中核であり、国を動かす機能すべてがここに集約されている重要な場所でもあった。そんなエクレイデス研究所にて、最も古い施設とされる1号棟が真っ赤な炎に包まれている。
老朽化の進んだ1号棟は危険であった為、現在は使用が禁止されている場所であった。それが幸いし、無人であるその棟の火災が原因で負傷した者はいない。それでもエクレイデス研究所の中心に位置するこの1号棟が燃えている事で、延焼を恐れる科学者達はパニックになり逃げ惑っていた。
普段であれば、たとえ真夜中であろうとこの施設一帯の明かりは決して消えることが無い。しかし現在施設全域は、ヤツの襲撃によって発生した停電により大部分の照明が消えている。そのため1号棟から立ち昇る炎は、周囲をより一層恐ろしい様相に感じさせていた。そんな燃え上がる1号棟の前で、コルベットの隊長であるトウェイン将軍は一人思う。
(確かにこの棟は老朽化による火災の危険性が高い。でもだからこそ施設自体にはそれなりの防炎作用を施してあったはずなんだ。だからこれほどの勢いで燃えるなんて常識的に考えられない。ならばこの火災の原因は、間違いなく【奴】の仕業なのだと考える方が道理。何よりこの【1号棟】を襲撃した事実が、紛れの無い証しなのだから――)
トウェインは一人そう考えている。するとそんな彼のところに血相を変えたエクレイデス研究所の警備兵が複数駆け付けて来た。
警備兵らの表情はどれも恐怖に慄いたものである。恐らく現実として受け入れられない常識外れな難儀に見舞われたのだろう。それでも彼らは職務を全うしようと懸命に告げた。
警備兵らの報告によれば、突如として研究所に現れた二体のヤツは、まず初めに正門に配備された防衛機能の一つであるロケットランチャーを奪い取る。そして自ら手動にてそれを制御し、施設全域に電気を供給する送電塔に向けロケットを強引に発射した。
送電塔は粉々に破壊され、研究所はほぼ全域で停電となる。ただ研究所には多数の自家発電機能があり、自動で再起動した防衛機能は即座にヤツへの激しい排除攻撃を開始した。しかし攻撃開始から間もなく、その全てが停止する。
自動防衛で作動する兵器は全て光学センサーで全自動制御されていたが、どういうわけかその電子制御機能が完全に停止してしまったのだ。その結果、二体のヤツは易々と施設内部に侵入して行った。ただでさえヤツの駆けるスピードは人のそれとは比べ様もないほど早い。いや、それこそ車以上の速度で施設内を駆け抜けて行くのだ。常設された防衛機能無くしてそれらを食い止めるなんて出来るはずもない。それでも駆け付けた警備兵らは、ショットガンや手榴弾などで懸命に対抗した。
だがやはりヤツに対してそんな攻撃が通用するはずもなく、容易に施設の中心部にまで進入を許す。そして猛スピードで広大な施設の中を一直線に駆け抜ける二体のヤツは、1号棟に隣接する21号棟に突入した。
1号棟とは異なり、21号棟は比較的新しく建設された研究棟である。ただ21号棟が他の研究棟と違ったのは、この棟にはエクレイデス研究所で生み出された様々な発明品が厳重に保管されているという事だった。そう、21号棟はエクレイデス研究所の金庫の様な施設だったのである。
当然の事ながら、研究所の中でも特に重要視された施設である21号棟の防衛機能は特別に強化されたものだ。また最新の自家発電設備は如何なる停電の影響も受けず、そのセキュリティ機能は完璧と呼べるに相応しいものである。にもかかわらず、二体のヤツはこの施設内にある巨大な金庫の中から、最も厳重に管理されていたはずの【鏡】を強奪したのだった。
目的を達成したヤツらは即刻に21号棟から抜け出す。だがエクレイデス研究所の警備兵とて、指を加えてそれを見ていただけでない。21号棟の外でヤツを待ち構えていた警備兵達は、迫撃砲を搭載した装甲車と、強力な大砲を備える戦車で応戦を試みた。いかにヤツが強靭な肉体を有していようと、大砲を直撃させれば倒せるはず。警備兵らはそう判断し、ヤツに向け一斉攻撃を仕掛けようとしたのだ。――しかしその時、突如として1号棟が燃え上がった。
灼熱の炎は紅蓮と化し、ヤツを狙い撃とうとする警備兵らの前にそそり立つ。それはまるで警備兵達の攻撃を阻む盾であるかの様だ。するとあまりの熱さに警備兵達は攻撃を諦める。呼吸も儘ならないほどの猛烈な熱風に苦しめられた彼らは、為す術無く二体のヤツの逃亡を許してしまった。
ただ警備兵達はヤツを逃がした悔しさを感じるよりも、激しい炎から身を守れた安堵感の方が強かったはず。彼らは訓練を受けた軍人ではあったものの、そのほとんどが実戦経験のない者達だったのだ。それに通常であれば施設の防衛機能によって侵入者の排除は完了したはずなのである。要は彼らに運がなかった。いや、彼らはそう納得する事で、責任の所在を曖昧なものにしたかったのだ。しかしそんな警備兵らが天を仰ぐよう見上げた先で、異変はその真の姿を現した。
いつからいたのだろうか。激しく燃え上がる1号棟の屋上に、銀色の体をした【巨大な鷲】がいたのだ。それもその鷲は火柱の中で平然とその身を留めている。まるで地獄の炎の中から生まれて来たかの様に。
しかしそれを見る警備兵達の心情は複雑だった。頭では鷲の存在が恐ろしいものだと判断しているのに、心はそれとは真逆に受け入れてしまっていたのだ。化け物と呼ぶには相応しくない、あまりにも美しいその鷲の姿につい見惚れて。背中は酷く泡立っているのに、彼らは銀の鷲から目を逸らす事が出来なかった。
銀の鷲はそんな警備兵達を真っ赤に輝く瞳で見つめていた。ただ少しの間その場に居座っていた鷲は、突然その体を燃え上がる1号棟の炎で包み込むと、いつのまにか消え去っていた。
「21号棟の状況はどうなっている?」
トウェインはヤツに襲撃された棟の現状を警備兵に尋ねた。被害状況の確認は当然の仕事である。ただそんな彼に受け応える警備兵の表情は恐々としたものだった。それもそのはず。警備兵の彼は21号棟の現場を自分の目で確認したのであり、その有り得ない状況に肝が震えていたのだ。
「し、施設に備えられていた防御機能は、ヤツによって壊滅的な打撃を受けています。特に最下層の地下5階にあった厚さ2メートルの鋼鉄製の特殊金庫は、何をどうしたのか扉がドロドロに溶け完全に崩壊している状態です」
「あの扉が破壊されたというのか!」
「は、はい。目を疑うばかりの状態であります。ですがそれでも保管されていた発明品の数々は、奇跡的にもほぼ全てが無傷の状態で残っていました。ただ無くなっている物が一つだけありまして――」
「ヤツが強奪した物か」
「はい。今のところそうとしか考えられません。ただそれは科学的な発明品ではなくて、どうやら古美術品らしいのです」
「古美術品だと? なぜそんな物がこの研究所に保管されていたのだ。ここは博物館ではないのだぞ」
「それを私に聞かれても答え様がありません。ですが金庫内に収められていた物品の保管リストを確認した限り、それが【大地の鏡】と呼ばれる古代の鏡なのだという事は間違いありません。また資料によれば、それは獅子の彫刻で象られた、古めいた漆黒の鏡だという事です」
警備兵はただ真実のみを報告しているのだろう。そしてそれを聞くトウェインは思い悩むように顎を摩っていた。しかしその表情はどこか不適な笑みを浮かべている様にも見える。ただ彼は燃え上がる1号棟に視線を移しながら警備兵に質問を続けたのだった。
「1号棟に現れた【銀色の鷲】は、その後どこかへ飛び去った形跡はあるのか」
「いえ、それがまったくありません。あの鷲が棟の炎に包まれたところまでは多くの兵が確認しているのですが、その後の消息は不明であります」
トウェインはその報告に強く頷く。曖昧さが多大に含まれる報告でありながらも、彼は何かしらの納得を得たのだろう。ただそんなトウェインのすぐ横に控えていたテスラが、素朴に感じた胸の内を呟いたのだった。
「失礼ですが隊長。もしまだこの激しい炎の中にその銀色の鷲がいたとするなら、とっくに丸焦げになってますよ。まさか生きているなんて思えません」
「ふん、その【まさか】さ。奴はこの中にいる。いや正確に言うなら、この炎自体が【奴】なのさ」
「?」
話しを飲み込めないテスラは首を傾げる。ただそんな彼の肩を軽く叩いたトウェインは、些細な事など気にするなとばかりに軽く微笑んで見せた。きっとトウェインには何かしらの考えがあるのだろう。それでも彼は直ぐに表情を引き締め直す。そして有線式の携帯型通信機を使用し、待機するコルベットに対して戦闘士気を鼓舞した。
「私の考えが正しいなら、直にヤツが姿を現すはずだ。それも現れるのは【ラヴォアジエ】に間違いない。諸君らはすでに一度ラヴォアジエと対戦し、その【神の力】の凄まじさを身をもって体感した事だろう。でも決して恐れることは無いぞ。事前に打ち合わせた通りに作戦を遂行すれば、必ず奴を倒せるはずだからな!」
トウェインの覇気の籠った激が飛ぶ。その言葉一つ一つに並々ならぬ闘志が込められていたのは、それを聞く全ての者達が感じ取ったことだろう。ただその激にコルベットの猛者達は緊張を走らせる。敵対する相手がただのヤツでない事は百も承知なのだ。身震いするのは当然であろう。
(そろそろ時間だ。さぁ出て来いラヴォアジエ! 私とテスラの封神剣を直接貴様の本体に叩き込んでやる。そうすれば、いかに貴様がその身に神の力を宿していようとタダでは済むまい。長きに渡る私とお前の【因縁】もここまでだ!)
トウェインは心の中でそう強く決意する。ラヴォアジエの息の根を止めるためならば、多少の犠牲は止む終えまい。いや、自分の命と刺し違えてでも打ち取ってみせる。彼はラヴォアジエに向けた憎悪で心を満たし、その胸の内を黒く塗り潰していく。ただ一点、トウェインは急激に悪化する天候だけが気になっていた。
雨は次第に強まり、落雷は矢継ぎ早にその轟音を響かせはじめる。激しい突風が吹き抜ける度に、そこに待機する者達の体は酷く煽られた。冷たい雨が降り注いでいるはずなのに、目の前で燃え上がる1号棟の激しい熱気により周囲は非常に蒸した環境と化している。体中の水分が汗として出尽くしてしまうんじゃないかと錯覚してしまう程だ。コルベットの隊士達はそんな劣悪な環境の中で堪らずに舌を巻く。――だがその時、延焼する1号棟の中から更にそれを飲み込む程の巨大な火柱が立ち上がった。
「ボガガーン!」
夜空に低く漂う雷雲を突き刺すように、火柱は高々と聳え立っている。まるで目の前で火山が噴火したかの様だ。そんな手に負えない大災害とも呼ぶべき火柱に、それを見るテスラ達は息を飲む事しか出来なかった。ただ彼らの視線の先で、火柱は急激にその形を変化させる。なんと火柱は巨大な鳥の形に変形したのだ。そしてその鳥は降りしきる雨粒を一瞬で蒸気に変え、辺りを濛々とした真っ白い空間で包み上げた。
「熱いっ! これじゃ蒸し焼きになっちゃいますよ隊長!」
あまりの蒸し暑さにテスラは堪らず愚痴を溢す。しかしそんな彼に構うことなく、トウェインは背中の大刀を抜き放ち、空中を舞う炎の鳥の姿を見据えた。
やがてその鳥は1号棟の屋根の上にゆっくりと止まる。すると今度は急激に炎が消えていった。いや、消えたというよりも、その鳥が炎を吸い取ったと表現した方が正しいだろう。そして気が付けば、あれほどの勢いで燃えていたはずの1号棟は完全に鎮火していた。
辺りはまだ水蒸気の煙で立ち込めている。それでもトウェインを筆頭に、コルベットの隊士達はその銀色の体をした姿に鋭い視線を向けていた。炎の消えた1号棟の屋上にそれはいる。間違いない。それは巨大な鷲の獣神である【ラヴォアジエ】だ。
その鷲は真っ赤な瞳で地に立つトウェインらを見つめている。まるでその瞳の中で炎が燃えているかの様だ。そしてその鷲から発せられる圧迫感は尋常ではない。睨まれただけで体が灰になってしまうのではないか。そんな灼熱さがジリジリと周囲に波及しているのだ。ただそんな峭刻たる状況の中で、ただ一人平然と進み出る男がいた。そう、トウェインが真っ赤な瞳をしたその鷲に向かい挑発的に言い放ったのだ。
「どうかしたか【ラヴォアジエ】よ。6時になったら【何か】が起きるはずだったのか?」
ラヴォアジエと呼ばれたその鷲は、トウェインを赤い目で見つめるだけで動こうとはしない。しかしそれでも現実に降臨した獣神の姿は恐ろしいものだ。銀色に輝く体は何よりも美しく見えるはずなのに、やはりその巨大な獣の姿に身の毛が弥立つ程の戦慄が走り抜ける。ただそんな鷲を見るテスラは不思議に思った。
半年前に廃工場で見たヤツと姿が違う。銀色の体と赤い目の色こそ同じだが、でもあの時現れたラヴォアジエは狼の頭をしたヤツ本来の姿をしていたはずだ。でも今回現れたラヴォアジエは、まさに神話で語り継がれている【燦貴神】の鷲と変わらぬ姿をしている。本当にこれが同一のヤツと呼べるものなのだろうか。
テスラは胸の内で覚束ない心情を募らせている。ただそんな彼の訝しい気持ちを置き去りにして、トウェインはラヴォアジエに向かって一方的に話し続けた。
「当てが外れた様で残念だったな。それにしてもいくら今日が【朔】であったとしても、こんな悪天候の時に【あれ】を試みるとは驚いたぞ。どうやらお前達は相当焦っているみたいだな」
激しく降り注ぐ雨により、周囲を覆い尽くしていた水蒸気の白い煙はその大部分を消滅させた。そして次にトウェインが口走った言葉にテスラはハッと息を飲んだ。
「炎の如く【自在に変化】出来る貴様の姿の中で、やはり本来の形であるその【鷲】の姿が一番美しいな。まさに獣神の醸し出す魔の魅力と言ったところか。しかし忍びない。その美しい体を貴様の返り血で染め上げねばならんとは。だがその姿の貴様と決着をつけてこそ、真の意味があるというもの。貴様とは長きに渡る腐れ縁であったが、それも今日で終わりだ。さぁ、覚悟してもらうぞ【元部下】ラヴォアジエよ! 悪いが今ここで死んでもらう」
「バギューン!」
エクレイデス研究所の遥か敷地外より、強力なビーム砲がラヴォアジエに向け発射された。激しい雨とまだ少しだけ周囲を覆う蒸気によって、発射されたビームは拡散し威力を低下させる。それでも十分な威力を残したまま、ビームは鷲の姿のラヴォアジエに直撃した。
体を打ち抜かれたラヴォアジエはバランスを崩す。すると体勢を整えようとしたのだろう。ラヴォアジエは巨大な翼を広げ、上空に飛び立とうとした。だがそこでビーム砲の第2発攻撃が放たれる。
「バギュバギューン!」
今度は先程とは反対の方向よりビーム砲が発射された。そしてそのビームはラヴォアジエの背中を正確に打ち抜いた。
トウェインは研究所内で電子兵器が使用不能になることを予測していたのだ。きっと彼は廃工場での戦いで学んだラヴォアジエの戦術を肝に命じていたのだろう。だから彼は電子制御に不具合を来さない研究所から遠く離れた場所にコルベットの腕利きの狙撃手を配備したのだ。それも別々に離れた二つの場所に。
軍の誇る最新のロングビーム砲は最高の狙撃手のもと、数キロメートル離れた場所から正確にラヴォアジエの体を捕えた。激しく降り注ぐ雨の影響で威力が減少したとはいえ、殺傷能力の十分確保されたビーム攻撃が直撃したのである。ラヴォアジエはその衝撃によって屋上から落下した。
空中で大きな翼を羽ばたき、ラヴォアジエはどうにか地面への激突を回避しようと足掻く。その甲斐もあってか、銀の鷲はギリギリのところで着地に成功した。だがそんなラヴォアジエに対してコルベットの容赦ない攻撃が唸りを上げる。
ビーム砲の発射は作戦開始の合図でもあった。だからラヴォアジエが地に降りた時にはもう、コルベットの四人の隊士がそれを囲んでいたのである。そしてその隊士らの手には、それぞれが人が持つには大き過ぎるほどの大型のガトリング砲が抱えられていた。
「ガガガガガガッ!」
配置に着いた四人の隊士達は容赦なく対象に向けその引き金を引く。一発で象の体を粉々にしてしまうほどの破壊力を持つその銃は、雷鳴を凌ぐほどの轟音を立てながら、降り注ぐ雨に匹敵するほどの数の凶弾をラヴォアジエに浴びせ続けた。
その攻撃の凄まじさたるや尋常ではない。仮に大型の装甲車がその攻撃を受けたならば、それは僅か数秒でボロ布の如く粉々に舞い散った事であろう。しかし攻撃の対象は神の力を持ったラヴォアジエなのである。人の常識はそこに通用しない。
ラヴォアジエは以前の戦いの時と同様に【迦具土】と呼ばれる目に見えない球体状のバリアを形成して身を守っていた。そしてそのバリアは数万発にも及ぶ弾丸を難なく弾き飛ばしている。物理的には俄かに信じ難い光景だ。だがそんなラヴォアジエの神掛かった対応に臆する事なく、トウェインは意気揚々と口走った。
「動きさえ止められれば十分だ!」
トウェインは紫色に激しく光る【天乃尾刃張】を構えながら、真正面よりラヴォアジエに向かって駆け始める。すると彼の動きを見計らった隊士達は、寸前まで攻撃を続けたところで一斉射撃を止めた。そしてそれと同時にトウェインは迦具土のバリアに構うことなくその大刀を振り抜いた。
「バギャーーン!」
反射的に耳を塞ぎたくなるほどの凄まじい高音が響く。だがその爆音に相反して、ラヴォアジエが背にしていた1号棟の一部分が音も無く消し飛んだ。天乃尾刃張の特殊能力で1号棟が原子崩壊し塵と化した。
するとそんなトウェインの一撃で弾けたのか、複数の大きな火の玉が空中に散乱した。その光景はまるで燃え上がる噴石が飛び散っているかの様だ。そしてその中で一番大きかったものが、倒壊する1号棟から少し離れた場所に放物線を描いて落下した。
その火の玉は勢い良く地面に落ちると、鈍い音を発して炎を消し飛ばす。するとそこに姿を現したのはラヴォアジエだった。だが再び現れたその姿は、美しい銀色の体を真っ赤な血で染めている。そしてその表情は酷く歪んだものであり、耐え難い激痛に苦しんでいるのは疑い様がなかった。
これぞ絶好のチャンスだ。トウェインはここぞとばかりに合図する。彼はこの時の為に入念な計画と準備を整えていたのだ。だからこれ程まで的確で素早い指示が出せるのである。そしてそんなトウェインの合図に遅れる事無く、無反動ロケット砲を抱えた隊士二名がラヴォアジエに向かって駆け寄った。
「第一弾、打ち込めっ!」
隊長の号令に反応した一人の隊士がロケット弾を発射する。すると堪らずラヴォアジエは傷ついた翼を羽ばたき、懸命にその攻撃を避けようとした。そして銀の鷲は間一髪のところでロケット弾を躱す。深刻なダメージを受けているのは確かなはずなのに、それでもラヴォアジエは目を疑うほど素早く飛び上がったのだ。
銀の鷲に躱されたロケット弾は、そのまま近隣の施設に直撃する。するとロケット弾は建物を破壊すると共に、一瞬でその周囲を凍らせた。足元に凍てつく冷気が伝わって来る。ただそこでトウェインが叫んだ。一発目はラヴォアジエの状態を正確に掴むための布石であり、初めから当てるつもりなどなかったのだ。だが彼は明らかにその動きに精彩を欠いているラヴォアジエを見て瞬時に告げた。
「今だ、第二弾放てっ!」
二発目のLN2搭載のロケット弾が発射される。一発目を躱した瞬間こそ、ラヴォアジエは目を見張るスピードで飛び上がっていた。しかし今は空中をフラフラと漂うだけで、まったくキレが感じられない。そしてそんな銀の鷲にロケット弾が冷酷に襲い掛かる。
「ボアッ」
ラヴォアジエは突如として全身から炎を吐き出す。もうすでに誰もが把握している事だが、恐らく銀の鷲は炎を自在に操れるのだろう。そしてロケット弾を避けられないと判断した銀の鷲は、少しでもその衝撃から身を守ろうと炎を噴き出して防御したのだ。しかしそんなラヴォアジエの炎を突き破り、ロケット弾はその本体に直撃する。
「グギヤャァァ」
断末魔とも言うべき悲鳴が周囲に響く。それがラヴォアジエの発した叫びなのは間違いなく、その巨大な体は激しい衝撃と共に大地に転がった。
地に落ちたラヴォアジエの体は真っ白に氷結している。もちろんその身を包んでいた炎は一片も残されてはいない。ロケット攻撃が確実に銀の鷲へ効果を利かせたのだろう。
ロケットには大量の液体窒素が搭載されていた。そしてその液体窒素は攻撃対象を急速冷凍すると共に周囲の熱を遮断し、さらに窒素を急激に気体化させる事で酸素濃度を低下させ、燃え盛る炎をかき消したのだ。ラヴォアジエはもがき苦しむ姿で蹲っている。するとそんな銀の鷲に向けて容赦のないトウェインの指示が飛んだ。
「今だテスラ! 止めを刺せ!」
すでにテスラの構えた【蛇之麁正】は電磁波の嵐を巻き起こしている。それもその激しさは城で鉄球を叩き割った時の倍はあろうかという程の猛烈さだ。そんな封神剣の能力を遺憾なく引き出す彼の姿を見ながらトウェインは続ける。
「奴自身が【炎】である以上、LN2は気休め程度にしかならん。それでもテスラの一撃を加える一瞬の隙を作れた成果は上出来だ。行けテスラ、最高の一撃を奴にぶち込め!」
トウェインがそう言い放つと同時にテスラは力強く踏み出す。とても一振りの刀が発生させているとは思えない強烈な磁気嵐を携えながら。しかしそんな彼の攻撃をラヴォアジエが黙って待ち受けるはずもない。銀の鷲は嵐と共に向かって来るテスラを赤い瞳で見据えながら、凍てつく体を自身の熱で急速に溶かしはじめた。
真っ白に氷結していたラヴォアジエの体が急速に銀色の体へ戻って行く。そして氷の溶けきった部分からは、再び炎が噴き出し始めた。そして不完全ながらもラヴォアジエの周囲に迦具土のバリアが形成される。またそれと同時に銀の鷲は一気に飛び立とうと大きな翼を広げた。だがそれよりも僅かに早く、テスラの渾身の一撃がその体目掛けて打ち込まれる。
「ズガガガーーン!」
雷鳴同等の轟音を響かせて振り抜かれたテスラの刀は、ラヴォアジエの体を吹き飛ばした。だがテスラの攻撃はそれで止まらない。
「もう一撃!」
不完全ながらも形成された迦具土のバリアの影響なのだろう。これだけではまだ倒せない。そう手応えを感じたテスラは、一度解放した電磁波の嵐を瞬時に形成し直し、吹き飛ぶラヴォアジエの体目掛けて更に踏み込んだ。
激しく閃光が輝くと同時に雷鳴同等の轟音がまたも響く。それは紛れも無く、テスラの放った二発目の攻撃がラヴォアジエに直撃した証しであった。そしてその攻撃は、一発目を遥かに凌ぐ破壊力で確実にラヴォアジエの体を貫く。またそれでも尚攻撃は収まる事無く、隣接する施設をも激しく崩壊させ、更にはトウェインほかその他の隊士達までもを吹き飛ばした。
土砂降りの雨に打たれたテスラが大地に両膝をつき蹲っている。その表情は酷く苦しむものであり、彼は背中を丸めた体勢で右手首をきつく抑えていた。
常人であれば封神剣の能力を発揮させること自体が困難な行為のはずである。にもかかわらず、天才がゆえにテスラは連続で二度もその最大能力を発揮させた。それも二度目の攻撃は一撃目の反動を利用し、その倍近い衝撃を打ち込むという離れ業をやってのけたのだ。その剣技がどれほど神掛かった技術であったのか、それは説明がいるまい。しかしその代償として、テスラは全身の神経と筋肉に耐え難い激痛を抱く事となる。特に刀を握っていた右手の手首は、雨が当たるだけで槍に突き刺されているのではと錯覚するほどの激痛に見舞われていた。
もともとテスラは体力に自信がある方ではない。ジュールに比べれば遥かにひ弱とも言えよう。それでも彼は天武の技を駆使し、決してタフとは言えないその肉体を十分に補っていたのだ。だがさすがに今回ばかりはそんなテスラも相当に堪えた。泥水をすするよう額を地に押し付けながら、彼は尋常でない激痛に耐え忍ぶしかなかったのだ。
「テスラのやつ、まさかここまで封神剣の力を引き出すとは。ある意味、あいつも化け物と呼べるのかも知れないな。だがこのタイミングでテスラが蛇之麁正を手に入れていたのは幸運だった。やはり【本物の神】は私に味方してくれるのだな」
トウェインは頭部から垂れ流れた血を拭いながら、瓦礫と化した周囲の研究施設を見て言った。そして彼はその瓦礫に埋もれながらも、必死に起き上がろうともがく瀕死のラヴォアジエの姿を見つけた。
あれ程の攻撃を受けながら、よくも生きていられるものだ。トウェインはそう思いながら天乃尾刃張を握り直す。もちろん彼はラヴォアジエに止めを刺すつもりである。そしてそれは自分の役目であり、他者に譲る事の出来ない責務なのだと心に誓っていた。雷と雨が更に激しさを増す中で、覚悟を決めたトウェインはラヴォアジエの元に向かい進む。
体の所々から弱々しい炎を上げ、ラヴォアジエはその傷ついた体を再生させようとしていた。しかしテスラの放った攻撃は容易にそれを許そうとはしない。その証拠に彼の一撃はラヴォアジエの胸に深く大きな傷を刻み込み、その驚異的な再生力が間に合わないほどの重傷を与えていたのだ。そしてそんなボロボロに傷ついた鷲の姿を見つめながらトウェインは吐き捨てた。
「さすがのお前も辛い様だな。まぁ私の一撃も含め、信じ難いほどの封神剣の攻撃を連続で三度も受けたのだ。仕方あるまい」
足掻くラヴォアジエを見下すように、トウェインは瓦礫の山の上からその姿を眺めて言う。その眼差しは憎悪に満ち足りており、蔑む感情が剥き出しになっていた。ただそんな彼の発したその言葉を耳にしたラヴォアジエは、苦しみに耐えながらも初めて口を開いたのだった。
「――将軍。どうしてあなたほどの人が、我々をここまで追い詰めるのですか。あなたには本当の【悪】が誰なのか、それが分かっているはずなのに……。あなたの言う通り、わたし達に残された時間は残り少ない。だから確証の持てぬまま、今日のこの時間に賭けるしかなかった。きっとそれを察していたあなたは、研究所にあった【大地の鏡】を偽物に置き換えるよう、事前に王立協会に対して指示していたのでしょう。こんな事が出来るのは、あなた以外にはいないはずですからね」
激しい雷雨の中でもラヴォアジエが発した透き通る声はトウェインの耳によく届く。しかしそれに対するトウェインの反応は厳しいものであった。
「正義や悪などというものは、その立ち位置でいくらでも変化するものだ。そして今の私にとっての正義とは、お前の様な国家に盾突くおぞましい化け物を確実に始末するという事の他にない。なればその為に使えるものは手段を選ばず何でも利用するに決まっているだろう」
トウェインはそう告げながら激しく輝く大刀を上段に構える。そしてまだ動けずにいるラヴォアジエを見定めた。
高熱を帯びているのだろうか、ラヴォアジエの体からは白い湯気が湧き上がっている。しかしこの状況でラヴォアジエに抵抗出来る余地は残されていない。それが分かっているからこそ、トウェインは心を落ち着かせて言い放ったのだった。
「最後に言っておこう。お前がまだ【人間】だった頃から、私はお前の事が嫌いで仕方なかった。だからお前がその姿になり、私にその抹殺命令が下った時には喜びを感じ震えたよ。でもいざこうしてお前に止めを刺すとなると、どういう訳か少し寂しい気もするな。行方の知れぬお前を探し求め、雲を掴む様な情報を頼りに国中を捜索した日々が懐かしく思えるからなのか。だがそれもここまで。せめてもの手向けだ。我が天乃尾刃張の最高の一撃で、苦しむこと無くその命、無に変えてやろう!」
彼が上段に掲げた大刀は、今までにないほどの凄まじい輝きを発する。間違いなくその一撃はラヴォアジエを無にする力を秘めているはずだ。そしてトウェインは冷たい視線を銀の鷲に向けながら最後に告げた。
「さらば【友】よ!」
足元の瓦礫を力強く踏み込み、トウェインはラヴォアジエに向かって跳ぶ。そして渾身の一撃を銀の鷲目掛けて振り抜いた。
「ッバギャーーン!」
爆音とともに、辺りは激しい閃光で包まれた。
ラヴォアジエに止めを刺す為に跳んだはずのトウェインは、それよりも十数メートル離れた場所に倒れ込んでいる。そして全身を黒く焦げ付かせた彼は、尋常でない激痛を全身に感じ蹲るしかなかった。
「く、くそっ。こんな、バカな事が――」
最後の一撃をラヴォアジエに向けた瞬間に、不運にも本物の落雷が彼の持つ天乃尾刃張に落ちていたのだ。そして彼はそんな予想外の災いによって自らに生じた状況を把握出来ずにいた。しかし全身で感じる麻痺と激痛は、拒む彼の心を無理やり現実に引き戻す。
「ボッ」
トウェインは背後で何かに火が付く音を聞く。そして彼は硬直する体に鞭を打ち、まだ定まらない焦点をその場所へと向けた。
「!」
彼は霞んで見える視界の中で、それでも体を燃え上がらせるラヴォアジエの姿を確認する。胸に刻まれた傷からは未だに大量の出血を伴っているが、急速に勢いを増す炎はラヴォアジエの精気を確実に甦らせていた。
「ど、どうやら天は、まだわたしを楽にさせてくれないらしい。落雷の熱を火種として、消えかかっていたわたしの炎は不完全ながらも復活した。しかしこれ以上生きてこの先わたしに何をしろと言うのか。まったく理解に苦しむが、それでも足掻くことが天より課せられたわたしへの使命であるのならば仕方ない。残り少ないこの命、尽き果てるまで業火に身を委ねる事としよう。【火の神】と同化したわたしの宿命を恨みながら……」
そう告げたラヴォアジエは夜空を埋め尽くす雷雲を見上げ、激しく燃え上がっている大きな翼を広げた。するとその姿を見たトウェインは顔色を真っ青に変化させる。そして彼は大刀を杖代わりにして無理やり立ち上がり、コルベットに対して絶叫するよう大声で命令した。
「奴はもう虫の息だ、全員で総攻撃をかけろっ! 絶対に奴を空に飛ばせるな!」
その声を聞いた隊士達は即座に各々の武器を構え直しラヴォアジエに照準を合わせる。だが彼らがその攻撃を開始するよりも早く、炎に身を包んだラヴォアジエは夜空に舞い上がった。そして炎の塊へと姿を変えたラヴォアジエは雷雲の中に消える。するとそれを目にしていたトウェインは、尋常でない戦慄を背中に感じながら戸惑いを露わにした。
「くそっ、やられた。【火之夜藝】の力を使いながら天高く舞うという事は、次は間違いなく【八十禍津火】が来るはず。これはまずいぞ」
トウェインの額にどっと冷たい汗が吹き出す。彼は肝から震える恐怖に身を強張らせるしか出来ない。それでもトウェインは懸命に力を絞り出し、雷雲に向け攻撃をし続けるコルベットの隊士達に向けて指示を飛ばした。
「全員退避! すぐにこの場から離れるんだ! 上空からラヴォアジエの無差別攻撃が降り注ぐぞ。避ける以外に奴の攻撃から身を守る方法は無い。集中力を極限まで高め、退避しながらも空からの攻撃に備えるんだ!」
その叫びが終わらないうちに一本の巨大な炎の矢が雷雲の中より飛び出し、目にも止まらぬ速さで地面に激突する。そしてその一撃は爆音と共に落下した周囲を一瞬で蒸発させた。その破壊力の異常さに、さすがの王国最高の戦士達も身を強張らせる。だがそんな彼らを更に絶望の淵に突き落とすよう、雷雲からは第二、第三の炎の矢が大地に降り注いだ。
一瞬で全てを蒸発させる高熱で迫り来る矢から、現場にいるコルベットや研究所の警備兵たちは必死の思いで逃げはじめる。しかし降り注ぐ炎の矢は止まる事を知らず、まるで【炎の雨】が降っているかの様にその数を増加させた。
雷雲の下、炎の矢に打たれる研究施設は次々と蒸発していく。そして逃げ遅れた科学者諸共その姿を掻き消した。そして80本目の矢が雷雲より放たれると、ようやくその炎の雨は降りしきる事を止めた。
ラヴォアジエが発した八十禍津火の攻撃は、王国の英知が結集したエクレイデス研究所を地獄絵図に変えた。特に1号棟があった場所から直径百メートルの範囲は、ほぼ全ての建造物が消滅し、まるで野戦場の様な荒れ果てた大地の姿へと変貌している。もはや焦土と化したその場所に、かつての研究施設の面影は何一つ残ってはいない。そんな場景の激変した一帯を見下ろしながら、雷雲の中よりラヴォアジエがゆっくりと舞い降りて来た。
夜空を舞うラヴォアジエの姿は明らかに疲弊している。八十禍津火の攻撃は、銀の鷲にしてみても相当な負担となったのだろう。それでもラヴォアジエは壊滅したエクレイデス研究所の姿を確認すると、最後の力を振り絞りながら羽ばたいた。そして損傷した体に苦しみながらも、南方へと向きを変え飛び立って行った。
「南に進路を取ったという事は、羅城門にいるヤツが持つ【鏡】は本物か――。それにしても何たる有様。クソっ、ラヴォアジエめ。何もかもを消し去りおって。この責任をどう取れというのだ」
そう告げたトウェインは、飛び去るラヴォアジエの姿を見ながら悔しさで唇を噛みしめる。なんとか八十禍津火の攻撃を躱しきったものの、結果としてラヴォアジエを仕留められなかった憤りは高まるばかりだ。それに計り知れない被害と犠牲を出しながらも、銀の鷲をみすみす逃がした結果に彼は忸怩たる無念さを隠しきれなかった。
数多くの者達が炎に焼かれ命を落とした。それでもコルベットの隊士らだけは、持ち前の集中力と身体能力の高さでラヴォアジエの攻撃を掻い潜り、全員無事生き残ることに成功した。しかし彼らは悪夢のような惨劇から生き延びた事だけに安堵するばかりで、事態の深刻さまでは考えていない。でもそれは仕方のない事だろう。彼らの蓄積した疲労は極限にまで達していたのだから。ただそんな隊士達の中で、一人飛び去ったラヴォアジエを追いかける者がいた。そしてトウェインは右手首を抑えながら走り行くその隊士の姿を見つけると、彼に向かい大声で叫んだのだった。
「行けテスラ! そして全てを切り捨てて来い!」
南方から吹き荒れていた風は、いつの間にか逆方向の北方からにその向きを変えていた。そして生き物の様に流れ動く雷雲は、南の空の天候をさらに悪化させているようにも感じられた。
止むことを知らない落雷と豪雨は強く降り続ける。それはまるで宿命の扉を強引に抉じ開けられた天が、悲鳴を上げ泣いているかの様であった。