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月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第五幕 寒乱(さみだれ)の修羅
107/109

#106 佐保姫の泣血(半影の城4)

 壁や柱が次々に(ちり)と化して行く。リュザックが振るう稜威之雄覇走(いつのおはばり)の破壊力は驚異的であり、紫色の輝きを放ったそれは切り裂いた対象を問答無用に消滅させた。

 まさに異次元の力である。切り裂いた対象を原子分解させるのだ。身の毛も弥立つ恐ろしさとはこの事なのだろう。それに刀を振るうリュザックの剣技も目を見張るものがある。本来の持ち主であるトランザム隊長のドルトンには劣るものの、それでも彼はアダムズ軍きっての精鋭隊士なのだ。その剣先のキレは十分達人のものだった。

 だがしかし、その刃は豹顔のヤツに届かない。一見するとヤツは負傷している様に見える。いや、これまでに幾度か見て来たヤツの動きからすれば、明らかに精彩を欠いた状態だ。それなのに紙一重のところでリュザックの斬撃は(かわ)され空を切った。豹顔のヤツの戦闘センスがズバ抜けているのだろう。そしてヤツは出し抜けに言う。リュザックの気持ちを(はや)し立てるつもりなのか、それは余裕すら感じられる口調だった。

「怖ぇモンもってんな。それが封神剣の力ってやつか。こいつはヤバそうだ。ちびりそうだぜ」

 そう告げた豹顔のヤツは不敵に口元を緩めた。まるでリュザックを相手にしていないかの様子だ。ただそんなヤツに向かいリュザックは攻撃を仕掛け続ける。

 アニェージを殺したコイツだけは許さない。まして殺しても尚、彼女を(もてあそ)ぼうとしているのだ。こんな鬼畜野郎を生かしておくわけにはいかないだろ!

 リュザックの怒りは頂点に達していた。そして次第に彼の剣先も鋭さを増していく。大刀である稜威之雄覇走(いつのおはばり)の扱いにも慣れて来たのだ。高速で降り抜かれる封神剣が邪魔な障害物を消滅させる。気が付けばリュザックとヤツが戦うその空間は、ただの広いホールに変貌していた。

 (わず)かだが、でも確実にヤツの余裕が消えていく。やはりヤツの方も体力を消耗しているのだ。天体観測所で猪顔のヤツであるラウラと戦い、それに鯱顔のヤツとなったソーニャから手痛い超音波の衝撃を受けた。そして地下工場では猫顔のヤツとなったアニェージと、九死に一生の激戦を繰り広げてきたのである。むしろまだこれだけ動ける事の方が信じられないと言えよう。するとヤツは表情を苦いものに変えて吐き捨てる。戦闘センスが極めて高いヤツだけに、この辺が勝負どころだと読み取ったのだ。

「テメェ、思ったよりも強ぇな。舐めてて悪かったよ。でもここらで終わりにしようじゃねぇか。いい加減、俺ァ疲れたぜ」

「だったら早く死ぬきね! おめぇが死ねばそれで終わりでよ」

「チッ。手に負えねぇ野郎だな。それともテメェ、この女に惚れてたのか? 仇討のつもりかよ、カッコ悪ィな」

 豹顔のヤツはそう言い放つと、左手に掴んでいたアニェージの首をリュザックの前に差し出した。

「どうした、返してほしいか! でも残念だな。この女にはこれ以上ないくらい痛い思いさせられたからよ。この顔がボロボロになるまで遊んでやらなきゃ気が済まないんだ」

「下衆が」

 リュザックの顔色が真っ赤に染まる。烈火の怒りとはまさにこの事だ。唸りを上げた封神剣がヤツに向かい振り抜かれる。ただヤツはその斬撃をギリギリのところで(かわ)しながら吐き捨てた。

「そもそもこの城に戻って来たのは戦う為じゃねぇんだ。俺は用事を済ませておさらばしてぇだけなんだよ。いい加減に終わりにしてくんないかな」

「だったら早く死ぬきね! おめぇが死ねばそれで終わりだって、さっきから言ってるでよ!」

「うるせぇな。死ぬのはテメェの方だろが!」

 稜威之雄覇走(いつのおはばり)を振りかぶったリュザックの懐にヤツが飛び込む。驚異的な瞬発力だ。それにいくら扱いに慣れて来たとはいえ、これでは大刀である稜威之雄覇走(いつのおはばり)を打ち込めない。リュザックは表情を強張らせる。だがヤツはそんな彼に構う事なく、鋭い手刀を突き立てた。


「ズドンッ!」

 重く鈍い音と振動が響く。突き出された手刀を掴み取り、リュザックがヤツに背負い投げを浴びせたのだ。(ほお)をざっくりと切り裂かれながらもリュザックは怯まない。そして彼は床に叩きつけたヤツの胸を串刺しにする為、稜威之雄覇走(いつのおはばり)を目一杯に突き出した。

 しかしその一撃をヤツは驚異的な反射神経で(かわ)す。身を(ひるがえ)して封神剣を避けたヤツはそのまま一歩後退した。

 ただそんなヤツをリュザックは逃がさない。まだ体勢が整っていないヤツに向かい、彼は踏み込んで大刀を真横に振り抜いた。

「ま、待て」

「死ぬきね!」

 確実に息の根を止めてやる。コイツだけは、コイツだけは! リュザックはそう強く思い封神剣を振り抜いた。そしてこの状況を目にした者が他にいたなら、誰しもがヤツの死を疑わなかっただろう。

 だがリュザックの剣先にほんの(わず)かな躊躇(ちゅうちょ)があった。なぜならヤツが往生際に、アニェージの首を彼に差し出したのだ。コンマ数秒であるが、彼女の死顔を見たリュザックの体が硬直する。それでも振り抜かれた封神剣は止まらない。そして次の瞬間、周囲は真っ赤な血煙で覆われた。

「ズバッ」

 視界が真っ赤に変化した事にリュザックは戸惑う。いや、そうではない。振り抜いたはずの剣先に手ごたえが感じられないのだ。それどころか右腕に妙な違和感を感じる。そう思ったリュザックは自分の右腕を見てゾッとした。

 なんと彼の右腕は根元から千切り飛ばされていたのである。反射的に見上げると、ゆっくりと宙を舞う封神剣を握ったままの右腕がそこにあった。

「バカな」

 リュザックは全力で後退しようとする。軍人としての彼の勘がそうさせたのだ。だが血煙を突き破り、豹顔のヤツが彼を襲った。ヤツは右手に力を溜める格好でリュザックに迫る。そしてヤツはその右手の掌底をリュザックに向け突き出した。

「ボガン」

 またしても血飛沫が舞う。こんなのまるで大砲じゃないか。掌底をガードしたリュザックの左腕は原型を残さずに吹き飛んでいた。

 両腕を失ったリュザックの体勢が大きく崩れる。だがそこで何を思ったのか、彼はヤツに向かい無謀にも突進した。それもヤツが掴むアニェージの首目掛けて。

「未練がましいな。そんなにこの女が好きだったのか。でもこの首は渡さねぇぜ」

 ヤツはそう言うと、アニェージの首を掴む腕を高々と掲げた。その姿は勝利をも掲げたかの様である。リュザックはつんのめりながらヤツの横に倒れ込む。体を支える腕も無く、彼は激しく顔面を床に擦り付けた。

 終わった。これ以上は何も出来ない。この男は失意のどん底に落ちただろう。豹顔のヤツはそう確信して倒れ込んだリュザックを見る。だが意外にも視界に映った男の表情は微笑んでいた。

「どういう事だ。なぜ笑う?」

 ヤツがそう思った時だった。ヤツの目の前に稜威之雄覇走(いつのおはばり)が落ちて来る。間一髪接触だけは免れたが、それでもヤツはギョッとして右腕に視線を向けた。

「テ、テメェ。まさかこれを狙っていたのか」

 地面に突き刺さった稜威之雄覇走(いつのおはばり)は、まだ微かに紫色の光を放出している。でもその光は原子を崩壊させる力。たとえ風前の灯であったとしても、その光を放った刃によって切られたものは消滅せざるを得ないのである。そしてその封神剣は、アニェージの首を確実に(かす)めていた。

 急速にアニェージの首が消滅して行いく。するとヤツは反射的にその首を放り出した。原子分解が自分の身にまで及ぶと思ったのだろう。だがそこでヤツに油断が生まれた。

「テメェ、ふざけんなよ!」

 ヤツが動揺しながら叫ぶ。その視線に映ったのは、口でくわえた稜威之雄覇走(いつのおはばり)を振りかぶるリュザックの姿だった。

 完全に出足が遅れたヤツは(かわ)せないと悟る。そしてヤツは両腕をクロスさせガードした。ただそのガードを嘲笑うかの様に、リュザックがくわえた封神剣は真下から突き上げられた。

「グザッ」

 稜威之雄覇走(いつのおはばり)がヤツの体に切り込まれる。それもその場所は股間であった。あまりの衝撃にヤツは悶絶する。惜しくもすでに紫色の光が消えていたため原子分解は発生しないが、それでも男であるヤツが受けた衝撃は凄まじく、惨めな姿を晒した。

「テ、テメェ。な、なんて事してくれやがる」

「ザ、ザマァないでよ。ク、クソ野郎らしく、小便垂れ流してればいいきね。オカマ野郎……」

 リュザックはそう告げながら倒れ込む。全ての力を使い果たしたのだろう。そして彼はゆっくりと目を閉じた。両腕の傷口から流れ出る大量の血が、彼の命を急速に失わせたのだった。

 ただ死に行くリュザックは勝ち誇った表情を浮かべていた。ヤツと対峙した瞬間から死なんて覚悟していたのだ。命が尽きる事などに、怖さなど今更感じはしないのだろう。むしろこれ以上の辱めからアニェージを救えた。最後の最後でヤツが最も苦しむ一撃を加えられた。その事に彼は十分な満足感を抱いたのだ。

 穏やかに微笑むリュザック。いい加減な性格が不真面目に感じられるも、トランザム随一の洞察力を有した彼の戦果は大きかった。恐らく彼が仲間に加わらなければ、ジュール達の戦いはもっと厳しいものになっていただろう。そしてそれはこの先まだ続くジュールの戦いに、深刻な影響を与える事も意味している。

 それでもリュザックは使命を果たした。彼は自分が出来る全てを費やし、最も効果的で実質的な結果をもたらしたのである。それがアニェージの仇を討ち、ヤツに深手を与えた事実だ。

「後は託したでな、ジュール」

 彼が最後にそう口にしたかは分からない。しかし彼の表情はジュールを信じ、正しい未来を託したものに違いなかったはずである。だからこそ、彼は微笑んで逝ったのだ。

 だがそんな穏やかな死顔をしたリュザックの横に立つ豹顔のヤツのそれは対照的だった。ヤツは怒りで身も心も焼き尽くし、激しい憎悪に呑み込まれている。そしてヤツは床に落ちていた稜威之雄覇走(いつのおはばり)を掴み取ると、尋常でない怒りを爆発させた。

「ふざけやがって、どうしてくれんだよ! これじゃ二度と女を抱けねぇじゃねえか!」

 稜威之雄覇走(いつのおはばり)から猛烈な紫色の光が放たれる。ヤツはその刀を振りかぶると、リュザック目掛けて打ち下ろした。

 ヤツは何度も何度もリュザックの亡骸を切り裂き続ける。まさに滅多切りの状態だ。リュザックの体が原子分解するよりも早く粉々になっていく。そしてついに、リュザックの体はこの世から消滅してしまった。

 それでもヤツの怒りは収まらない。八つ当たりするよう城の壁や床をボロボロに切り裂き続けていく。そしてヤツは最後の怒りを吐き出すよう、怒りに満ちた雄叫びを上げた。

「グオォォォォォ!」



「ほぅ。神である余にも、まだまだ理解し得ぬ事があるのか。何故にお前は生きている、月読の胤裔よ?」

 玉座に駆け付けたジュールと対峙するアルベルト国王は明らかに驚いた様子だ。確実に死に追いやったはずのジュールが生きていた。国王にはその事実が俄かに信じられないのだろう。ただそんな国王の胸の内などジュールには関係ない。いやむしろ彼の国王に対する敵意は半端なく、無駄な話しをしている余裕などなかった。

 ヘルツやトランザムの犠牲から沸き起こる憤怒。そして愛するアメリアを救おうと駆り立てる闘志。彼は今、それらの感情を恐ろしいほど静かに燃え上がらせている。絶対に許さない。ジュールが発する微熱を帯びた覇気は、否応なく国王に伝わった。

「やれやれ。さすがは女神を守る護貴神(ごきしん)と言ったところか。その視線、熱くて敵わんよ。しかし解せんな。護貴神(ごきしん)とは、女神を守る為なら不死身にもなれるのか? 余は間違いなく、お前の心臓を砕いたはずだぞ」

「早くアメリアをこっちに渡せ。俺と話しがしたいなら、まずはそれからだ」

「月読の胤裔ごときが立場を弁えろ。誰に口を利いていると思っているのだ。余は黒き獅子。お前の上位神である燦貴神(さんきしん)だぞ」

「うるさい。アメリアを返せ」

「質問しているのは余の方だ!」

 ジュールとアルベルト国王の視線がぶつかり合う。お互いに一歩も退かぬ凄んだ姿勢だ。恐らく普通の人間がこの二人の間にいたとしたなら、失神せずにはいられないだろう。それ程までに二人から放たれる威圧感は驚異的なものだった。そして国王が腰掛ける玉座の横では、ジュールの姿に目を奪われたテスラが驚きを露わにしていた。

 彼もまた国王と同じく、ジュールが生きていた事を受け入れられないのだ。ただテスラは奥歯をぐっと噛みしめる。そして腰に下げた蛇之麁正(おろちのあらまさ)を力強く握り締めた。

「ジュール」

 テスラの隣でアメリアが小さく(つぶや)く。彼女は黒き獅子による見えない力で体の自由が制限されていたが、ジュールの存在を目にして嬉しそうに微笑んだ。やっぱりジュールが死ぬはずない。そう信じて止まなかったアメリアである。あまりの嬉しさに彼女の頬に涙が伝った。するとそんな彼女の姿を見てジュールがより一層意気込みを高める。ずっと探していた。やっと会えた。もう手が届く場所に彼女がいるんだ。

「早くアメリアを返せ。こっちに渡せ!」

「悪いがその要求は却下だ。この娘にはしばらく眠ってもらわねばならん。それに一年後、大切な【生贄(いけにえ)】として死んでもらわねばならぬからな」

「ふざけるなっ!」

「世界を【祝福】する為だ。いや、か弱き人間達の悲願を成就する為と言った方が正しいか。仕方ないのだよ。これは宿命なのだから」

「訳の分からない事言いやがって。テメェの都合はどうだっていいんだよ。俺はアメリアを救う。それだけだ!」

「お前が怒るのはある意味当然。だから余はその想いを汲んでやろうと言っているのだ。お前は安心して先に地獄で待っていればいい。心配しなくとも、一年後に娘はお前を追いかけるよ」

 国王の頭上に瞬時にして巨大な雷の塊が発生する。それもかなり密度が濃い状態だ。闇の様に黒光りする雷撃の塊。山をも消滅させるパワーが込められていると言っても過言ではないエネルギーの集合体。

 これまでの激闘で疲弊しきった黒き獅子は、恐らく力の制御が上手く出来ないのだろう。ただ中途半端な攻撃で討ち漏らしだけは避けねばならない。その気持ちが極度に集約された雷のエネルギーとして具現化したのだ。そして黒き獅子は躊躇(ちゅうちょ)せずにその雷撃をジュールに向ける。それはまさに、国王が誇る最強の一撃だった。


「ビギィーン、ズガガガガーン!」

 強烈な破壊音が響き空間に衝撃が走る。全てが一瞬で蒸発する高温が波及したのだ。そのインパクトは想像を絶するものだった。当然ながら城の壁は崩壊し、また周囲はこれ以上ない程散乱した状態である。とても生命が存在していられるとは思えない。ただそこで国王は唖然とした。ううん、誰よりもジュールの無事を願っていたアメリアでさえ、目の前の光景に声を詰まらせるばかりだった。

 ジュールは生きている。いや、それがジュールと呼べるのか。そこにいたのは【狼の顔をした銀色の修羅】であり、それは両手を前に差し出して炎を(まと)った盾を形成していた。もちろんその盾で電撃を防いだのは言うまでもない。

「【久那止(くなと)の盾】だと!? どうして護貴神(ごきしん)であるお前が銀の鷲の力を使うのだ? ふざけたマネをするでないぞ!」

 そう叫んだ黒き獅子はまたしても雷の塊を形成する。そして間髪入れずにそれを修羅に向けて発射した。ただその雷撃は再び炎の盾によって受け流される。だが今回の衝撃で炎の盾は消し飛んでしまった。

 銀の鷲の力とされる久那止(くなと)の盾が消えた。でもそこで初めて黒き獅子の雷撃を受け流した真相が露わになる。なんと修羅は久那止(くなと)の盾が消滅しても尚、光に輝いた逆三角形の盾を構えていたのだ。するとそれを見た国王が口惜しみながら(つぶや)く。そこには忸怩(じくじ)たる無念の感情が込められていた。

「ちっ、忘れておったわ。護貴神(ごきしん)にはそれぞれ役割があり、その役割に見合った武具を持っていたのだったな。そして修羅は絶対防御の【鍾馗(しょうき)の盾】を持つ守護神。しかし余の武甕雷(たけみかづち)ですら、掠り傷一つつけられぬとは……」

 そう言った国王はがっくりと肩を落とす。力の消耗した今の状態で、これ以上の雷撃はかなり厳しい。それも絶対防御の鍾馗(しょうき)の盾を打ち砕く攻撃など出来るわけがないのだ。さすがに分が悪いと感じた国王は状況を嘆くしかなかった。

 だがしかし、満身創痍なのは修羅とて同じだった。全身の力が抜けたかの様に修羅は(ひざ)をつく。と同時に輝きに満ちていた鍾馗(しょうき)の盾も光の粒子となって消え去ってしまった。修羅の体がぐんぐんと縮んでいく。するとそこに残ったのは、人であるジュールの姿だった。

「ハァハァハァ――」

 ジュールは荒い呼吸を吐き出している。相当苦しい状態なのは見るまでもない。すでに限界を超えているのは明らかだ。そしてそんな彼の姿を国王は憐れんだ瞳で見つめながら言った。

「ラヴォアジエめ、無駄な悪足掻きをしおって。最後の力を修羅に託し、余を欺く算段としたのか。鍾馗(しょうき)の盾は完全無欠の盾。しかしそれを使い熟すには完璧な覚醒が必要となるはず。当然不完全な状態の修羅にその盾は使えない。でも久那止(くなと)の盾をあえて呼び水とし、鍾馗(しょうき)の盾を引き出す発端とさせた。喰えぬ奴よ、さすがの余もこれまでかと思ったぞ」

「ジュール逃げて!」

 アメリアが泣きながら叫ぶ。だがそれに被せるようにして国王が冷たく言い放った。

「これで最後だ。もうお前にこれを防ぐ手立てはない。ここまで良く頑張ったな、修羅よ」

 国王は右手を伸ばしてそれをジュールに向けると、そこに黒い雷の塊を形成した。これまでに放った二発に比べると、その威力は少し落ちている様にも見える。だが今のジュールを殺すのに十分過ぎる威力を有しているのは確かだ。絶邸絶命の窮地がジュールに迫る。でもそこでジュールは立ち上がった。ふらついた足は彼の限界を物語っている。それでも彼は諦めないと、アメリアを見つめながら強く言った。

「アメリア。今助けるぞ」

「ジュール、ジュール」

 アメリアは涙を流す事しか出来ない。どう見ても今のジュールに何か出来るとは思えないからだ。それでも彼は止まらないだろう。そう思うからこそ、彼女は涙を流し続けた。そして国王もそんなジュールの足掻(あが)く姿を見て思う。これが愛するという事なのかと。国王の胸の内に複雑な感情が走り抜ける。それでも国王は首を左右に振って迷いを断ち切ると、真っ直ぐにジュールを見つめて言った。

「余も女神を愛する者の一人。お前の気持ちは分からんではない。だがこれで本当に終わりだ。真に【月読の(かなで)】を感じて覚醒していれば、あるいは余に勝てたかも知れん。しかし現実としてお前は余に勝てなかった。それこそが運命(さだめ)なのだよ。諦めて観念するがいい」

「だ、黙れ! 俺は俺、アメリアはアメリアだ。それ以外の何者でもない」

「良き勉強になったぞ。やはり油断は大敵だな。たとえ護貴神(ごきしん)と言えども、舐めて掛かると思わぬしっぺ返しを食う羽目になる。神にも傲慢はあり得ないな」

「アメリア、今行くぞ」

「さぁ、終わりだ。余の渾身の武甕雷(たけみかづち)。塵も残さぬ!」

「ジュール!」

 アメリアが大きく叫ぶ。ただその時、乾いた鉄の音が鳴り響く。

「キン」

 まるで時間が止まったかの様な瞬間だった。でもそこにいる誰もが理解する。テスラが蛇之麁正(おろちのあらまさ)で国王の右腕を切断したのだ。

「ボト」

 国王の右腕は落ちる。するとそれを合図にしたかのよう、時間が動き出した。急激に電磁波の嵐が吹き荒れ出す。テスラが居合の姿勢で電磁波を溜めているのだ。そしてその狙いは国王で間違いない。

「や、やめろテスラ!」

 国王はそう叫ぶと、空中に形成していた黒い雷の塊を反射的にテスラに向けた。だがそれよりも一瞬早くテスラが刀を抜き放つ。するとそこから放たれた電磁波の斬撃は黒い雷の塊を真っ二つに切り裂き、そのまま国王の体に叩き込まれた。

「ビギァァーンッ! ビギャギャギャギャーン!」

 凄まじい衝撃が城中に伝わる。まるで電撃の津波が押し寄せたかのかと錯覚するほどだ。城の天井が大きく崩壊し、その衝撃で城中の壁にいくつもの亀裂が刻み込まれていく。また巻き起こった衝撃波でアメリアの体は吹き飛ばされた。

 アダムズ城は見るも無残な姿となった。玉座より上部にあった全てが吹き飛んでしまったのだ。そしてその玉座では、斬撃で負傷したアルベルト国王が鋭くテスラを睨んでいた。

「貴様っ、テスラ! この期に及んで裏切るか!」

 獣神の怒りは凄まじい。この世の全てを焦げ付かせんばかりに(たぎ)っている。だが悲しくも力を使い果たした国王は動けない。するとそんな国王をテスラは黙って見下し、憐れんだ瞳を差し向けていた。


「しっかりしろ、アメリア!」

 ジュールが倒れ込んだアメリアに駆け寄り声を掛ける。激しい爆風で吹き飛ばされた時は無事では済まないと気を揉んだ。でも大したケガはしていない。気を失っているだけだ。ジュールは優しくアメリアの体を抱き起しながら呼び掛ける。するとその声に反応したのか。アメリアがゆっくりと目を開いた。

「よかった。もう大丈夫だよ、アメリア」

「ジュール。生きてて良かった」

 二人は強く抱きしめ合う。やっと会えたのだ。もう放しはしない。もう離れない。ジュールとアメリアはお互いの温もりを絡めながら必死にそう願った。

 どれだけの障害が二人を分け隔てたのだろうか。ここに来るまでにどれだけの犠牲が積み重なってしまったのか。それを思い浮かべただけで気持ちが酷く萎えそうになる。でも今はそれを憂いていられない。状況はまったく改善などしていないのだから。

「立てるな、アメリア。もうひと踏ん張りだ」

「うん、大丈夫。ジュールと一緒なら頑張れるよ」

 二人はお互いを支えながら立ち上がる。ただそこでジュールがふらつき倒れそうになった。やはり彼はもう限界なのだ。

「ジュール。私の為にごめんね」

「全然平気さ。さぁ、早くここを脱出しよう」

 それが強がりだというのは分かり切っている。それでもジュールは懸命に立ち上がった。こんな所でグズグズしていられない。彼はアメリアの手を引いて歩き出そうとする。ただその時だった。

「キラッ」

 アメリアの胸に光る金属の切っ先が見えた。ジュールにはそれが何なのか分からず表情を強張らせる。いや、分からないのではない。理解したくないと脳が判断を拒絶したのだ。だってそこにあったのが、アメリアの胸部を貫通した一振りの刀だったのだから。

「しっかりしろ、アメリア! おい、返事をするんだ、アメリア!」

 ジュールは倒れ込むアメリアを抱きしめながら叫ぶ。どうしてこんな事になるんだ。アメリアを抱きしめた腕に伝わる感触。それは紛れもない、彼女の胸から流れ出る血の感触だった。

「お前は、何て事してくれてんだ、テスラ!」

 ジュールは怒りをブチ撒けるように激しく怒鳴る。抜身の蛇之麁正(おろちのあらまさ)を携えて立つテスラに向かって。

 アメリアに刀を突き立てたのはテスラだった。ジュールは混乱する。でもどうしてこんな事をするんだ。こんな事に何の意味があるっていうんだ。これじゃアメリアが死んじまうじゃないか!

 ジュールは傷口を圧迫しながらアメリアを強く抱きしめる。テスラの刀は完全にアメリアの胸を貫通していた。それもテスラの腕だ。急所を外すなんて考えられない。このままじゃアメリアは――。

 ジュールの背中に愕然とした焦燥感が駆け抜けて行く。どうにも出来ない状況が彼に絶望感を抱かせたのだ。ただそんな彼の頬にアメリアが手を添えて言う。意外にもその表情は、とても穏やかなものだった。

「あ、あの時と一緒だね。北の教会で、ジュールは私を抱きしめて、名前を呼んでくれたよね。あ、ありがとう。あの時は、嬉しかったよ……」

「バカ、何言ってんだ。すぐに病院に運んでやるから、気をしっかり持て。頑張るんだ!」

「お、お母さんから渡された、大切な写真を……、き、北の教会に置き忘れちゃった、みたい……。ごめんね。迷惑ばっかり、掛けちゃって」

「意味分かんねぇ話しするんじゃねぇよ。忘れ物があるなら一緒に取りに行けばいいじゃないか。なぁ、アメリア。諦めるなよ」

 ジュールは涙を浮かべながら嘆願する。こんな終わり方が受け入れられるわけない。やっと掴まえられたのに、こんな別れ方あるはずないじゃないか。

 もっと温もりを感じていたい。もっと唇を重ねたい。ずっと寄り添って歩み続けて行きたい。ううん、俺達にはそんな未来が約束されていたはずなんだ。それなのにどうして――。

 ジュールの目から零れた涙が頬に添えられたアメリアの手にふれる。するとその涙から彼の気持ち全部を感じ取ったのだろう。アメリアは微笑を浮かべて最後に告げた。

「ありがとう、ジュール。私、あなたと出会えて、本当に幸せだった。大好きだよ、ジュール……」

 アメリアの体から力が抜け、頬に添えられていた手が垂れる。ぐっと重みを増したアメリアの体を抱きかかえたジュールは、そこから急速に消えていく温もりに狼狽(うろた)えるしかなかった。

「嘘だろ、おい、冗談だろ。目を開けろよ、アメリア。俺の名前を呼んでくれよ、なぁ、アメリアー!」

 絶望に打ちひしがれるジュール。唐突なアメリアの死に感情がまったくついて行かない。何が起きたって言うんだ。どうしてアメリアが冷たくなっていくんだ。まったく理解出来ない現状に、ジュールは大声でアメリアの名前を呼び続ける事しか出来なかった。ただそんな彼に向かってテスラは言う。その表情は少しばかりの悲しみの色を浮かべていたが、口調は至って冷静なものであった。

「君達の為だよ。もうこれ以上、苦しみたくないだろ」

「ふ、ふざけるなよ、テスラ。お前、アメリアに何をしたか分かってんのか。取り返しのつかない事しやがって。アメリアを殺す理由が何処にあるってんだよ、なぁ、テスラ!」

「分かってるよ。全部理解している。理解してるからこそ、僕はアメリアを手に掛けたんだ」

「何を理解してるってんだ! 何を理解すればアメリアを殺さなくちゃいけないんだよ! いい加減な事言ってんじゃねぇぞ、テスラ!」

「全てを終わらせる為さ。その為に僕はアメリアを殺したんだよ。そしてジュール、君にも死んでもらう」

 テスラはそう言うと、蛇之麁正(おろちのあらまさ)を上段に構えた。狙っているのはジュールの首。一刀にして切り落とすつもりだ。するとそんな彼らの姿を遠巻きに見つめる国王が、状況を悲嘆するよう小さく(つぶや)いた。

「テスラの奴、早まりおって……」

 切り落とされた腕に耐え難い痛みを感じているのだろうか。国王の表情は苦しさで歪んでいる。しかしそれ以上に国王はテスラの予想外の行動に落胆する様子であった。

「許さない。絶対に許さないぞ、テスラ! お前だけは絶対に許さない!」

 ジュールはアメリアの体を抱きしめながら怒りに震えた声を吐き出す。だがその強い言葉に反し、彼の体はまったく動こうとしなかった。消えゆくアメリアの温もりを最後まで感じ取ろうとしているのだろうか。

 テスラは冷ややかな視線をジュールに向けている。動かないなら、それはそれで都合がいい。ひと思いに討ち果たすまでだ。たとえそれがどれだけ呆気(あっけ)なかったとしても。

 こんな終わり方を望んでいたのか。ううん、こんな終わり方を望んでいたんだ。テスラは心の中で決意を固める。そして彼はジュールに向けて、その白刃を打ち下ろそうとした。――がその時である。

「ピカッ」

 突如としてアメリアの体から猛烈な光が溢れ出す。それは【七色】に輝いた強烈な光の集合体だった。

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