#103 佐保姫の泣血(半影の城1)
トランザムの待機所前のホールでリュザックは不意に出くわした科学者らしき男を見て思う。この男は【何か】に怯えているのだと。
城の中はもぬけの殻であり、どう考えても普通じゃない。そしてその原因はまったく見当もつかない状況だ。ただそこに唯一姿を見せたこの男なら、その原因について何か知っているはず。きっと怯えているのもそこから来ているのだろう。そう判断したリュザックは、目の前にいるメガネをかけた小太りの科学者に問い掛けた。
「見たところお前、王立協会の科学者だでな。ここで何しとったきね? 何で城の中に誰もおらんぜよ?」
体型から察するに、仮にこの科学者が敵であったとしても然程脅威にはならないだろう。どう見ても動きは鈍そうだし、顔つきも頼りない。だがもしこいつ以外にも仲間がいて、それらが【アカデメイア】だったら厄介な事になるかも知れない。そう考えたリュザックは万が一に備えて身構える。しかしそんな彼の表立った警戒心がまったく目に留まらないのか、科学者の男は半ば取り乱しながら言い放った。
「あ、あんたの方こそ何してんだよ。い、いや、それよりあんた、どうやってこの城に入ったんだ? ここには普通の人間じゃ入れないはずだぞ!」
「俺達はアダムズ軍のトランザムだで。城にはいつでも入れるがよな」
「そういう意味じゃない。ここはあんたの知ってる世界じゃないんだぞ!」
「はぁ? 何言うちょるきよ。お前が何に怖気づいちょるのか知らんけんど、もうちっと落ち着いて話してくれんがか?」
「くそっ、もうちょっとだと思ったのに! ――どうする。引き上げ時を見誤ると取り返しがつかなくなるぞ」
「おいおい、一人で何をごちゃごちゃ言っちょるきね。何か知っちょるなら教えてくれんがか」
「それよりあんた、さっき【俺達】って言ったよな。あんたの他にも誰かここにいるのか?」
「俺を含めて7人、いんや、一人増えて8人だきか。みんな装備を整えるために、すぐそこの待機所にいるでよ。全員トランザムじゃけ、腕利き揃いだで。まぁでもそんなこたぁいい。それよりこっちの質問に答えんがか。お前こそ何モンなんだで。こんな奇怪な状況で科学者が一人でウロウロしてるなんて気持ちが悪いきよ。まさかアカデメイアじゃないがきか? 返答次第によっちゃあタダじゃ済まんぜよ」
そう言ったリュザックの眼差しには殺気が籠められている。この状況が極めて危険なものだと彼は感じ取っているのだ。それもこれまでに経験したどの戦場よりも深刻な状況であるのだと。すると科学者の男の方もさすがにその凄む殺気に勘づいたのだろう。男は必死になって動揺を抑え込もうと一呼吸置く。そして男は平常心を僅かに取り戻すと、冷静な口調でリュザックに問い掛けた。
「あんた、どこまで知ってる?」
「知りたくなかった事まで色々知っとるき。もう後には退けんでよ」
「アルベルト国王が何者なのかもか?」
「ケッ、簡単な質問すぎて答えるのも面倒だきよ。国王の正体は【黒き獅子】だがって言えばいいんかえ。今更感が強くて笑えて来るでな」
「……」
科学者の男はリュザックの返答を聞いて息を飲む。驚いているのは明らかだ。やはりこいつは何かしらの情報を持っているのだろう。ただそこでリュザックは少し妙な気になった。何故なら自分の返答を聞いた男から受ける印象が少し変化したように感じられたからだ。
それまで何かに怯えていた様な感覚が僅かばかり影を潜め、その代わりに肝の据わった覚悟の様な感覚が伝わって来る。こいつは敵じゃない。いや、断定は出来ないが、少なくとも敵である可能性は低いだろう。直感としてそう思ったリュザックは再度男に問い掛けた。
「お前、何か重要な事を知っとるんだろ、教えてくれんきか? 俺は訳あって獣神と敵対しとるモンだきね。そんでお前も俺と一緒で、黒き獅子を相手にしちょる。なぁ、そうんなんだろ?」
あれほど凄味を利かせた殺気はもうリュザックからは感じられない。彼は男の協力が必要だと心から思ったのだ。するとそんなリュザックの想いが伝わったのだろう。科学者の男は少し間を置いてから全てを話し出した。
「――――、よし。あんたなら俺の話が信じれるはずだ。時間が無いから細かく説明してられないけど良く聞いてくれ。今この空間はあんたが暮らしていた現実世界じゃない。神と呼ばれる存在が生きる【虚数軸の世界】なんだ。だからここには誰もいないんだよ」
「!? さっぱり分からんで」
「分からなくて当然さ。でも実感はしてるだろ。ここが普通じゃないって。簡略的に言えば、ここは普段俺達が生活している現実世界に【直交】した、別の時間軸世界なんだよ」
「知識のない俺を騙してるわけじゃないがよな」
「ここであんたを騙して何の得があるって言うんだよ。むしろ俺はリスクを背負って話しているんだから、話しの腰を折らないでくれ」
「済まんき。続きを聞かせてくれだが」
リュザックは舌を出しながら頭を下げる。やっと話しをしてくれたのだ。たとえその内容が意味不明でも、ここは黙って聞くに徹するとしよう。いや、そもそも獣神などという異次元の存在を相手にしているのだ。今更意味不明な話しをされたところでどうって事はない。彼はそう判断して男に続きを促す。するとそれに対して科学者の男もリュザックの姿勢を受け入れたのだろう。男は軽く頷いてから続きを話し始めた。
「本来この世界に足を踏み入れるには凄まじい難問の数式を解き、かつ絶対のタイミングで【時空の扉】を開く必要があるんだよ。それも黒き獅子がこの城を離れた状態の時にね。そして絶好の瞬間は今ここに現れたんだ。わざわざ城から人を全員退去させた甲斐もあったよ」
「ん!? もしかしてリーゼ姫が拉致されたとか、無線で情報を流していたのはお前の仕業だきか!」
「誰にも邪魔されたくなかったからね。一人でも無関係な人が城に残っていたら、どんな障害になるか分かったモンじゃない。仕事を完璧に遂行する為の準備ってやつさ。それなのにあんたは何も知らないでこの世界に足を踏み入れている。決して偶然なんかで来れる場所じゃないここにね。正直勘弁してほしいよ」
「じゃあ何で俺達はここにいるきね?」
「俺に分かるかよ、そんなの。だけど今重要なのはそこじゃない。現実に今この場所にいるって事を考えるんだ。この【神の住む世界】でしか出来ない事を。俺はその為にここに危険を承知で来たんだから」
「神が住む、この世界で――」
リュザックは考えを巡らせる。ここが獣神の暮す場所であるならば、もしかしてそれを倒す手立てがあるんじゃないのかと。極端に限られた情報の中で彼は洞察力を目一杯に働かせる。そしてリュザックは男が何故この場所にいるのか、その目的を聞き尋ねた。
「もしかしてお前、黒き獅子を倒そうとしているのかえ?」
その言葉を聞いた男の体がピクリと反応する。やはりそうなのか。でも頼りなさそうな男が一人でどうやって黒き獅子を倒そうっていうんだ。リュザックは男の様子を伺いながら、その返答を待ち受ける。だが科学者の男の口から発せられたのは、少し意味合いの異なるものだった。
「……お、俺は自分の命惜しさに裏切りを繰り返した。とても尊敬していた人まで欺いちまったんだ。きっとそのせいで何人もの命が奪われてしまったんだろう。でももう嫌なんだよ。俺のせいでどんどん人が消えていくのが耐えられないんだ!」
「それでお前は一人で黒き獅子を倒そうと、この変な世界に来たってわけなんかえ」
「俺の力じゃとても神には歯向かえない。それでも、俺は神に一泡吹かせたいって考えたんだ。俺にしか出来ない方法でさ」
「どうする気だで。どうすれば黒き獅子を倒せるきね」
リュザックは真剣な表情で問い掛ける。ここがまさに重要なポイントなのだ。そして科学者の男もそれを十分理解した上で告げる。男は真っ直ぐにリュザックの目を見ながら力強く告げた。
「国王の正体が獣神であるのを知っているなら、その命の源が何であるかも知っているだろ。黒き獅子の命の源、それはかつて燦貴神を封印したとされる【大地の鏡】。奴の留守の間にそいつを強奪し、破壊するのが俺の目的さ」
大地の鏡。それは羅城門で耳にした鏡の名であり、羊顔のヤツがジュールに語っていた話の中に登場した神器の一つだ。確かエクレイデス研究所から羊顔のヤツが強奪したけど、結果的にそれは偽物で、天光の矢の発動に失敗したとか言ってたな。――ん、待てよ。確かその話の中で裏切り者の科学者がいたな。もしかしてコイツがその科学者なのか。
リュザックの洞察力が結論に向かい動き出していく。そして彼は気になる問題点の中から最重要な項目だけを絞って質問した。
「大地の鏡を破壊すれば、黒き獅子は死ぬんだでか?」
こんな貧弱な男が絶対的な存在であるはずの黒き獅子を倒す。その方法が本当に存在するとするならば、これ以外には考えられない。リュザックはそう確信した。そしてそれに対して男は黙って頷く。真正面からあの獣神と戦わなくても打倒する方法が存在したのか。
「鏡は何処にあるき? お前みたいなオタク野郎だけじゃ、奪える物も奪えんぞ!」
リュザックは興奮を抑えられずに男へ詰め寄る。思い掛けなく手に入れた最善の情報に気持ちが沸き立ったのだ。ただそんな彼とは対照的に、男は少し気落ちした様子でリュザックの後方を指差した。
リュザックは直感で察する。自分の後方に何があるのかを。それは改めて確認するまでもない。初めから違和感があったんだ。でもまさかその違和感の正体が、大地の鏡の隠し場所であったなんて考えもしなかった。
リュザックはゆっくりと振り返る。しかしそれを目にした瞬間、彼の背中は激しく粟立った。
無機質で異様な存在。口には出さずとも誰もが気味悪く、邪魔だと感じていたはずだろう。でもそれはずっと前からそこに有り続けていた。そう、それはホール中央に展示された【鋼鉄製の巨大な球体】のオブジェだった。
ここに来て不気味なほど存在感を露わにする真っ黒な鉄球。でも言われてみれば、その大きさからして大地の鏡を隠すのには丁度良い大きさだ。ううん、もうリュザックにはこの中に鏡があるとしか考えられない。だがそこで大きな問題に直面する。彼は額から滴り落ちる汗を拭いながら男に問うた。
「この中に鏡があるんじゃろ。でもどうやって取り出すんだきよ? どこにも開きそうな所はないし、そもそも継ぎ目すら無いがよな」
「俺だって分からないよ。ただ取り出す場所が分からないってんなら、いっそ壊せば早いだろ。その為にこうして爆弾を持って来たんだ」
そう言って男は背負っていたリュックを指差して見せる。しかしそんな男にリュザックは落胆しながら告げたのだった。
「その程度の爆弾じゃ、表面に小さい傷がつくくらいだき。とても破壊なんかできんぜよ」
「そ、そんなのやってみなきゃ分からないじゃないかよ」
「お前な、科学者のくせにこの鉄球を壊す為のエネルギーがどれだけ必要か分からんだきか? ミサイルを持って来たってんならまだしも、そんなちっぽけなリュックにしまってある爆弾ごときじゃ、この鉄球はビクともせんぜよ」
「じゃ、じゃぁどうすればいいんだよ! ここまで来ていながら、指を咥えて帰れっていうのか!」
男は明らかに狼狽え混乱している。鉄球の質量からして、準備した爆弾では破壊できないと悟ったのだ。それも頭の悪そうな軍人に気付かされる形で。
もうすぐそこに鏡があるはずなのに、何も手立てもないのか。憤りを感じた男は不満をぶつける様に鉄球を叩く。だがその手は逆に弾き返され、ただ腕を痛めただけだった。そしてそんな男の姿を見ながらリュザックも肩を落とす。せめて迫撃砲くらいの破壊力を有した武器が必要だ。でもそんなものが用意できるはずもない。――いや待てよ。あるじゃないか、鉄球を破壊する為の取って置きの武器が!
「お前、ちょっとそこで待ってろ。最終兵器を持って来るき。ここがトランザムの待機所の前で良かっただでな!」
「最終兵器? な、何だよそれは。こんな所にそんな凄い武器があるのか?」
「あるに決まっとるだろ。何度も言っちゅうが、俺達はトランザムだで。その鬼の隊長ことドルトンが愛用しちゅう国宝の刀を知らんだきか!」
「ま、まさか。ラジアン博士が開発した十拳封神剣か!」
「そうだが。隊長の稜威之雄覇走は、切り付けた対象を原子分解させるまっこと恐ろしい剣だで。こんなチンケな鉄球なんぞ、あっつう間に塵になるきよ」
「そりゃ凄い。早く持って来てくれ!」
科学者の男は目を輝かせてリュザックにせがむ。王立協会の科学者だけに、十拳封神剣の超絶な破壊力を知っているのだろう。そしてリュザックの方も得意げに頷いてみせる。彼もまた、我ながら良案が思いついたと嬉しくなったのだ。
リュザックは目と鼻の先にあるトランザムの待機所に向かおうと振り返る。隊長みたく手足の様に稜威之雄覇走を扱うのは難しい。でも今回は単純に鉄球を切り付けるだけなのだ。これなら自分でも十分対応できるはず。そう考えた彼は軽く鉄球を小突いてから駆け出した。すぐに粉々にしてやるから待っていろ。そんな意味合いが込められていたのだろう。しかし彼は鉄球を小突いた腕を強く掴まれ急停止してしまった。
「痛っー! なんだきよ、そんな馬鹿力で掴まれたら痛いだろが!」
リュザックは怒りを前面に出して吐き捨てる。予想外の衝撃で腕が千切れるほどに痛い。クソっ、コイツは何が楽しくて俺の腕を掴んだんだきよ。彼は鋭い視線で科学者の男を睨み付けた。――が、そこでリュザックは目を丸くする。なぜなら彼の腕を掴んだのは科学者の男ではなかったのだ。
「どうなってるぜよ、こいつはよ」
リュザックはパニックに陥る寸前だ。それに彼を見ている男の方も極度に混乱している。でもそれは仕方ないだろう。なぜならリュザックの腕を掴んでいたのは【黒い鉄球】だったのだ。
右の手首がすっぽりと鉄球に埋まっている。掴まれたというよりは、飲み込まれたと言った表現の方が正しいか。あまりの驚愕ぶりにリュザック反射的に右腕を引き抜こうとする。しかし彼の腕はビクともせず、まったく引き戻せなかった。
「チッ、どうなってんだきか、こいつは!?」
「あ、あんた、何したんだよ!」
隣で男が慌ただしい声を上げる。状況が飲み込めない男は取り乱すばかりだ。ただそんな男とは対照的にリュザックは少し冷静さを取り戻す。なぜなら彼にはこの不思議な現象に思い当たる節があったのだ。
「この感触は墓石から論文を取り出した感触と一緒だでや。」
そう、これはグラム博士が隠したとされる【六月の論文】を探し当てた時と感触が似ているのだ。ならばあの時と同じように、このまま鉄球の中に隠されている鏡が取り出せるかも知れないぞ。
直感としてそう思ったリュザックは、引き抜こうとしていた腕を逆に鉄球の中へ押し込むよう力を入れる。すると彼の腕はぐんぐんと鉄球の中に押し入り、あっという間に二の腕まで埋まってしまった。
「おいおい、そんなに腕を押し込んで大丈夫なのか?」
「ちょっと前に同じような事をしたき。そん時は無事に探しモンを見つけられたでな」
「ちょっと前って、あんたここに来る前に何をしてたんだよ? ――ん!」
そこまで言って科学者の男は眉間にシワを寄せる。彼はリュザックの体に付着した微量なピンク色の粉の存在に気付いたのだ。
「ちょ、ちょっとあんた。どうしてあんたの体にその粉が付いてんだよ。それはトランザムだからって手に入る代物じゃないぞ!」
「ん、何を言うちょるき? あ、あぁ、これか。これは多分、瞬間移動した時に付いたんだろうでな」
「しゅ、瞬間移動だって!」
男は更に驚いてみせる。瞬間移動が信じられないのではない。リュザックが瞬間移動した当事者だと受け止めたからこそ、男は驚きを隠せなかったのだ。
ピンク色の粉が瞬間移動に欠かせないアイテムだと男は知っていたのだろう。そして目の前にいるこの軍人は、何らかの目的を遂行する手段として瞬間移動を行った。男はそう考えをまとめると、リュザックに向かって徐に問い掛けた。
「い、いや、もしかしてだけどさ。あんたが黒き獅子と敵対しているのって、【グラム博士】が関係してるんじゃないのか?」
「グラム博士? あぁ、そうだきよ。直接の面識はないけんど、俺はその博士が隠した宝探しにつき合わされちょるでな。そんで獣神を倒すのを最終的な目的としとるきね。でもお前の方こそ、なんで博士の事を知っちょるきよ?」
「お、俺は、博士を心から尊敬していたから。で、でも……」
男はそこまで言って押し黙る。まるで憔悴するかの様に。恐らくこの男とグラム博士には何らかの関係があったのだろう。黒き獅子や大地の鏡について知っているのもそれが理由のはずだ。でもそこには複雑な事情も含まれているのも分かる。リュザックは急に落ち込む素振りを見せた男を見てそう感じた。ただその時である。彼は指先に何かが触れるのを感じて声を漏らした。
「やっぱり何かあるでよ。それも大きいがや」
すでにリュザックの腕は肩まで埋まっている。鉄球に片腕が丸々埋まっている姿はとても異様な光景だ。でもそんな些細な事を気にしている暇はない。リュザックは指先で触れた何かをガッチリと掴むと、それを力一杯に引き抜き始めた。
「くっ……、重い」
「が、頑張れ。きっと大地の鏡だぞ!」
「言われなくったって頑張ってるき。くそっ、力仕事は俺の役目じゃないってのに、まっことシンドイで」
リュザックは不満を愚痴りながらも懸命に腕を引き抜く。するとゆっくりではあるが、彼の腕は確実に鉄球から抜け出て来た。
「ぐおぉぉぉ」
「も、もう少しだ、頑張れ」
肘が出て来たところでリュザックは鉄球に足を掛ける。力を込めて一気に腕を引き抜くつもりなのだ。ぐんぐんと彼の腕が鉄球から抜けて来る。そして手首がもう少しで見えるくらいになった時、突然リュザックの体が後方に吹き飛んだ。
「ドザッ」
リュザックは勢いよく倒れ込む。でもそれは何かの衝撃を受けたわけではない。腕を引き抜く抵抗が急に無くなった為に、勢い余って自分で飛び下がってしまったのだ。だがそこで彼は改めて驚いて見せる。予想通りではあったが、そこに姿を現した【大地の鏡】にリュザックは息を飲んだのだった。
彼が鉄球の中から掴み引き上げたのは、人の頭部ほどの大きさをした【獅子の彫刻】が施された鏡であり、それが大地の鏡であるのは疑い様がなかった。それ程までにその鏡からは、高圧的な存在感が感じられたのである。
「こ、これが大地の鏡なんかえ」
「本物だ。美術館で見た【海の鏡】と同じ圧力が感じられるぞ!」
科学者の男は目を輝かせて鏡を見つめている。待望の品が姿を現したのだから当然か。いや、男だけではない。リュザックもまた、男と同様に胸を震わせていた。ただその時、彼は良く知った声で呼び掛けられる。それは装備を整え終えたトランザムの隊士達からであり、彼らはホールでの騒ぎを聞きつけて急ぎ駆け付けたのだった。
「おいリュザック、どうかしたのか? ん、お前は誰だ、どこから来た!」
トランザムの隊士の一人が科学者の男に向かいマシンガンの銃口を向ける。リュザックが襲われていると思ったのだろう。だがそんな隊士を制止させたのはリュザックだった。
「待つきね、こいつは敵じゃないでよ。それより緊急事態じゃけ。予想外のお宝を見つけちまったぜよ」
「予想外のお宝?」
「そこに転がっとる鏡を見るき。そいつは黒き獅子を倒す切り札になるモンだでな」
リュザックに促されたトランザムの隊士達が獅子の鏡に視線を向ける。すると彼らもその特殊な存在感を感じ取ったのだろう。ただの骨董の鏡とは思えない異様な雰囲気にトランザムの隊士らは身震いしていた。しかしその中で一人、ヘルツが首を傾げながら問い掛ける。彼はまだ状況を理解できていないのだ。
「その鏡がとても重要な物なんだってのは、なんとなく分かります。でもそれをどうするんですか? 古過ぎて何も映らないから、鏡としては使えないですよね?」
「そりゃそうぜよ。こいつは鏡っつっても道具じゃないき。獣神を封印しとった器なんぜよ。だからこいつを……、どうすれば獣神を倒せるんじゃ!」
リュザックはそこまで言って科学者の男に詰め寄る。単純に破壊すればいいのか。それとも何か鏡を使って特殊な手法を行う必要があるのか。肝心な部分が分からない。ただそんな彼の質問に対し、男からの返答は曖昧なものだった。
「もちろん破壊すればいい。大地の鏡は黒き獅子の命そのものだからね。でも問題なのはどうやって破壊するかなんだ。恐らくその鏡は十拳封神剣でも壊せやしないだろう」
「どういうこっちゃ?」
「その鏡は俺達が今いる【虚数軸の世界】に存在するものなんだ。だから俺達が現実世界で作り出した武器による物理的な衝撃での破壊は不可能なんだよ」
「はぁ? さっぱり分からんがね」
「要は現時点でここにいる俺達にその鏡を破壊する手段が無いって事さ。だから今はとりあえずその鏡を持って、早くこの城から出るんだよ。城門をくくれば現実世界に戻れるからね」
そう言ってから男は床に転がっている鏡に近づく。鏡を担ぎ上げるつもりなのだろう。ただそんな男を横目にしながら、トランザムの隊士の一人が半信半疑に言葉を漏らした。
「ちょっと待てよ。本当に俺達の武器でその鏡は壊せないのか? やってみなきゃ分からないだろ、なぁリュザック」
そう告げた隊士はリュザックに向かって一振りの長刀を手渡す。それは紛れもない十拳封神剣である稜威之雄覇走であった。
「どうして、これを俺に渡すき?」
「体型が近かったから、お前の装備をヘルツに貸したんだよ。もともと最新の装備は人数分しか常備されてないからな。だからせめてこれくらいはお前が持っていろよ。ドルトン隊長がいない状況じゃ、お前が隊長代理なんだからさ」
「い、いいんだきか?」
「そんなに気にする必要もないだろ。ここにいる誰も反対しやしないさ。それにお前、剣の腕前だってなかなかもモンだろ。最近はジュールに負けてたけどな」
「あいつは特別だきね。――ふぅ、まぁそういう事なら仕方ないぜよ。この刀、使わせてもらうでな」
「なら一発試してみろよ。本当にその大地の鏡とやらが壊れないかどうかを」
リュザックは稜威之雄覇走を握り締めて鏡の前に立つ。試し切りをするには聊か気が引けるが、でも鏡が本当に破壊出来ないか確認するのは大切な行為であるはずだ。彼はそう覚悟を決めて鏡の前に身構えた。そしてその姿を科学者の男も黙って見守っている。彼もまた、鏡が本当に壊せないのか確かめたいのだ。
自分の考えが正しいなら鏡は破壊されないだろう。だが黒き獅子を倒すという目的を考えれば、破壊出来た方が良いに決まっている。ううん、むしろ木端微塵になってほしい。男は心の底からそう心に望んだ。――がしかし、そこで最悪の事態が訪れる。
「コソ泥どもが、ここで何をしている。まさか生きて帰れると思ってはいまいよな!」
強烈に響く怒声に一同は驚愕を余儀なくされる。伝わって来る殺気は凄まじく、それだけで気を失いそうになるほどなのだ。背中に伝わる絶望的な恐怖感は半端ではない。でもそれは仕方ないだろう。なぜならそこに現れたのは、この城の主である【アルベルト国王】だったのだ。
身につけた衣服はボロボロであり、当然ながら体も傷だらけの状態である。明らかに満身創痍といった感じだし、常識的に見てとても無事な状態とは思えない。それでもアルベルト国王から放たれる気迫は悍ましいものであった。
リュザックら一同は足先から震え上がり身動きが取れない。やはり国王の正体が獣神なのは本当なのだ。下手に動けば瞬殺されてしまい兼ねないぞ。彼らは本能としてそう感じたからこそ、肝が凍りつく感覚に苛まれたのだ。だがそんな怖気づく隊士らなど眼中にないのか。国王は科学者の男ただ一人のみを睨み付け、その怒りを口にした。
「寄生虫のごとく、コソコソと余の周りをを嗅ぎまわりおって。協会と教団を手玉に取ったつもりか? だが調子に乗るのもここまでだぞ、【エルステッド】よ。どうやったかは知らぬが、大地の鏡を探り出した以上生かしてはおけん」
「お、お待ち下さい国王。こ、これには深い訳が」
「黙れこの蛆虫が! 口を開いていいと余は許可しておらんぞ!」
国王は更にきつくエルステッドを睨み付ける。ただその瞳は金色に輝いており、とても人のものとは思えない。やはり国王は人ではないのだ。そしてその殺気立った気迫にゾッとしたエルステッドは縮みあがり動けないでいる。いや、それどころかそのまま気絶してしまいそうなほど顔色は真っ青だ。だがそこで予想外にも膝をがくりと折れ曲がらせたのは国王の方だった。
「!?」
リュザックらは意外な展開に目を丸くする。ただ彼らは直ぐに察した。国王は見た目通りに疲労困憊なのだと。
銀の鷲との戦いをキャッツ号から見ていたリュザックにしてみれば尚更である。あれだけの戦いをしていたのだ。相当な体力を消耗しているのは当然だろう。リュザックらトランザムの隊士達に冷静な判断力が戻って来る。彼らは素早く身構えると、次の行動を起こすべく得意な隊形を整え始めた。
さすがは熟練の部隊である。たとえ体力が恐ろしく削られていようとも、獣神を相手にするなんて普通の軍人なら考えられやしない。むしろ逃げ出す事だけを考えるはず。でもトランザムの隊士達はあえて獣神に挑む姿勢を取った。
勝てる見込みがあるとも思えない。でも背を向ければ確実に殺される。だったら一矢報い、あわよくば獣神を倒してしまおうじゃないか。そう考え、無駄のない動きで隊形を整えるトランザムの勇士は見事だ。だがその中から一人の隊士が血相を変えて飛び出して来る。それはヘルツであり、彼は国王のすぐ後ろに控えていたテスラとアメリアを見つけたのだった。
「アメリアさん! それにテスラさんも。ジュールさんは、ジュールさんはどうしたんですか!」
ヘルツはそう叫びながら駆け出そうとする。しかしその腕をリュザックが素早く掴み制止させた。ジュールの彼女は何かで後ろ手に縛られ身動き取れないでいるし、そもそもそんな彼女を警固しているのはテスラなのだ。ならばテスラは国王に与していると考えるのが自然だろう。
状況は極めて悪い。満身創痍の国王だけでも手一杯なのに、アダムズ軍屈指の手練れであるテスラまで相手にしなければならなくなったのだ。それにジュールの彼女が人質に取られている。いくらトランザムが最強の精鋭集団だからといって、人質を無事に救出し、かつ敵を出し抜くなんて出来るわけがないぞ。
リュザックは迷う。だがどうすればこの状況を切り抜けられるか簡単に思いつくはずもない。苦悩の色が彼の表情を覆っていく。ただそんな彼の悩みを気にする事なく、ヘルツは真っ直ぐに叫び続けた。
「アメリアさん、ジュールさんはどこです! ジュールさんはどうしたんですか!」
「ヘルツ君、ジュールが、ジュールが」
アメリアはヘルツの叫びに必死に返そうするも上手く返事が出来ない。目に見えない力で体を押えつけられているからなのか。ただそれを感じ取ったヘルツは、少しだけ身構えてから言った。
「アメリアさん。すぐに助けますからじっとしてて下さい。そんな状態じゃ落ち着いて話しなんか出来ないっスもんね」
ヘルツはやる気だ。軍人としての覇気が鋭く放出されるのが伝わって来る。するとその漲る気迫を真正面で受け止めたからなのだろうか。アメリアのすぐ隣に立つテスラが口を開いた。
「久しぶりだね、ヘルツ。元気そうでなによりだよ。でもどうして君がここにいるんだい?」
「質問してるのは俺の方ですよ、テスラさん。ジュールさんはどこに居るんですか? それにあんた、どうしてアメリアさんを苦しめてんだよ」
「アメリアを肉体的に縛り付けているのは国王の力によるものさ。でも国王は見ての通りボロボロだからね。繊細な力のコントロールが出来ていないんだよ」
「テスラよ。余計な事は申すな」
「これは失礼。でもアメリアが痛がっているのは本当ですよ。もう少し手加減されてはいかがですか」
「なに訳の分からない話ししてんだよ。けど分かった事もある。テスラさん、あんたは俺にとって敵になった。それでいいんだろ? アメリアさんを助け、ジュールさんの所に届ける。それが俺の役目だ。邪魔するなら容赦はしない」
「さすがだね、ヘルツ。やっぱり君の強さは本物だよ。一緒に戦場を駆けていた時からそう思っていたんだ。だからどうだい、ジュールじゃなくて、僕の方に味方しないか? 僕ならきっと君の価値を分かってあげられると思うんだけどな」
「うるさい、黙れ。誰が裏切り者のあんたなんかと手を組むか。俺が付いて行くのはジュールさんだけだ」
「そうかい、それは残念だよ。せっかく安全な南方支部に送ってあげたのに、あえて自分から死地に赴くなんて、僕には考えられない愚かさだね。でも君のその馬鹿げた忠義と勇気を讃えて一つだけ良い事を教えてあげるよ。君はジュールの居場所を知りたいんだろ?」
「知ってるならもったいぶらずに教えろよ!」
「フフッ。あぁ、もちろん知ってるよ。ジュールはね、そこにいる国王の手で殺されたんだよ。ジュールはもう【死んだ】のさ!」
「なっ、なに言ってんだ、あんた。こんな時に冗談なんかよせよ!」
「僕がこれまでに冗談を言った事があったかい? そんなに信じられないならアメリアにも聞いてごらんよ。まぁ、彼女の態度を見れば、聞くまでもないと思うけどね」
「そ、そんな。嘘だろ――」
ヘルツはアメリアの悲しげな瞳を見て思う。テスラが告げたのは事実なんだと。アメリアさんが苦しそうにしているのは獣神の力で体を締め上げられているだけが原因じゃない。ジュールさんの死を目の当たりにしたからこそ、悶え苦しんでいるんだ。そう思ったヘルツは悔しさを露わにして憤る。
尊敬して止まないジュールさんが殺された。正直それを素直に受け入れられるほど冷静でいられやしない。そもそもジュールさんは殺しても只では死なない人間離れしたタフさを持っているんだ。いくら相手が獣神だからって、それも愛するアメリアさんの目の前で死ぬはずがないだろ。
ヘルツは完全に混乱していた。ジュールが死ぬなんて有り得ない。でもアメリアの表情を見ればそれが叶わない望みなんだと受け入れざるを得ない。彼はそんな相反する胸の内に戸惑うしかなかったのである。だがそんなヘルツに更なる窮地が訪れる。テスラとアメリアの後方より、黒いスーツに身を包んだ三つの人影が姿を現したのだ。
一人は銀髪が印象的なつり目の女。もう一人は身長2メートルはあろう大男。そして最後の一人は目の下に濃い隈がくっきりと浮かび上がる猫背の男。こいつらはヤバい奴らだ。ヘルツは本能でそれを察し背中を粟立たせる。するとそんな彼の焦燥感を煽るよう、国王が不敵に口元を緩めながら言った。
「グラム博士の息子が死んだのは、中途半端に神の力を持って生まれて来てしまった結果だ。こればかりはどうしたって避けられはせんよ。それが宿命なのだからな。彼を思うと余もまことに哀れで胸が痛む。だが安心するがいい。すぐにお前達もグラム博士の息子のところへ送ってやる。お前達は彼の事が大好きなんだろ? ハハハッ」
国王は声高らかに笑った。でもその笑い声は明らかに悪意に満ちたものであった。その証拠に国王は続ける。それはとても冷酷であり、残酷な指令であった。
「余は玉座に戻る。テスラ、お前は女神の巫裔を連れ余と共に参れ。【シャトーレ】達は、まずそこにいるコソ泥どもを全員始末しろ。それが済んだら鏡を持って余のところへ来るのだ。良いな」
「ハッ」
国王の命令に銀髪の女が深く頭を下げる。その姿勢からして国王に絶対服従しているのは間違いない。ただそんな女に向かいリュザックが身を乗り出して問い質した。
「おい、シャトーレ。もしかしてお前らコルベットは初めから国王が獣神だったって知ってたんかえ。なぁ、どうなんだきよ!」
「愚問だね。今更それを私に言わせるのか。つまらない質問だな」
「チッ、どうりでコルベットとは馬が合わんはずだでな」
「フン、お互い気に喰わないのは本能から来るものさ、リュザック。国王が獣神だからとかは関係ないよ。ただ今回の国王の命令は嬉しいね。お墨付きを貰ってお前らトランザムを潰せるんだからさ!」
「女狐が、調子に乗るんじゃないきよ。たった三人で俺達トランザムに勝てると思うちょるがか? それもデカぶつ【ローレンツ】はさておき、そっちの気持ち悪い猫背の男は誰ぜよ。どこの馬の骨か分からんけんどな、軽い怪我じゃ済まんでよな!」
「調子に乗ってるのはお前達の方だろ、リュザック。少しくらい腕が立つからって、所詮お前らはただの人間なんだ。私達の相手をするには役不足なんだよ!」
銀髪のシャトーレが意気揚々と声を上げる。するとそれを合図にしたのだろう。彼女を含む三人の体が一気に膨れ上がった。
「じょ、冗談だろ、おい。お前ら、人間やめたんか――」
リュザックは愕然と肩を落とす。犬猿の仲であったが、それでもコルベットの隊士達には同じ王国の最強部隊として彼は一目置いていたのだ。でもそれは同じ人間であるというのが大前提であり、まさかこいつらが人外の存在だったなんて考えた事もなかった。ただそんな唖然とするリュザックらの目の前で現実は残酷なまでに絶望を突き付ける。トランザムの隊士らに対し、三体のヤツが獰猛な牙を剥き出しにしたのだ。
腐った兎の顔をしたヤツ。同じく腐った犀の顔をしたヤツ。そして腐った狸の顔をしたヤツ。その禍々しい姿は悍ましく、トランザムの隊士ら全員の背中に冷たい汗が溢れ出す。
一体でも手に負えないのに、それが三体も現れたのだ。かつて羊顔のヤツと羅城門で戦った経験のあるトランザムの隊士らにとってみれば、それは絶望以外のなにものでもないだろう。身が竦むのも当然だ。ただそんな彼らを突き放す様に、国王が立ち去り際に小さく吐き捨てる。それは無情にもヤツ達に向けた死刑執行開始の命令だった。
「殺せ」