表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月読の奏  作者: 南爪縮也
第一章 第一幕 夜余威(やよい)の修羅
10/109

#09 春荒の首都(疾雷の塔1)

 金鳳花五重塔きんぽうげごじゅうのとうはその名の通り、金鳳花(きんぽうげ)の花びらに似た形状の屋根を五枚もつ、浅黄色(あさぎいろ)をした五階建ての塔である。そして始めにジュールとドルトンが進入した五重塔の一階部分は、広い礼拝堂(れいはいどう)になっていた。

 ただどういう訳か塔の中は薄暗い。あちこちで火花が散っている状況より、その原因が天井に設置された照明類の破損によるものなのだという事は把握出来る。しかしなぜ照明機器が破損したのか、現状でそれを判断するのは不可能だ。それでも非常用バッテリーを搭載した照明が所どころ点灯しているため、必要最低限の視界は保たれている。そんな薄暗い礼拝堂を注意深く観察したジュールは、周囲に気を配りながらドルトンに小さく言った。

「ヤツの気配をまったく感じません。もっと上の階にいるのは間違いないでしょう」

「外にいた一般の隊士の報告だと、ヤツは屋上で【何か】をしていたらしい。その後ヤツの姿を見失ったが、それでも塔から抜け出した形跡は無いということだ。ヤツは必ずこの塔の中にいる、用心しろ」

 ドルトンはそう告げながら手にした最新のマシンガンの機能を確かめる。彼は五重塔に着いてから妙な違和感を覚えていた。そしてドルトンはその違和感の正体を見極める為に、マシンガンの機能を改めて確認したのだった。

「ふむ。外の隊士からの報告は本当の様だな。どうやら電子兵器が機能しないらしい」

「どういう事ですか?」

 胸の中では不安に感じつつも、ジュールはそれを表に出さぬようドルトンに聞き尋ねる。きっと彼もドルトン同様に違和感を覚え、その不可思議な感覚に戸惑っているのだろう。ただそんなジュールに対してドルトンは一度だけ(うなず)くと、淡々と状況を説明したのだった。

「外の隊士の話によれば、ヤツと交戦中にそれまで使用していた武器が突然機能停止したらしい。だから確認してみたんだよ。このマシンガンも電子兵器の一種だからね。お前も知っての通り、こいつはレーダーで自動的に対象に向け照準を合わせる機能を持っている。しかし今はその機能が完全に無効化しているんだ。原因はさっぱり分からないが、恐らく銃に組み込まれた制御回路に何かしらの不具合が生じているのだろう」

「そう言えば以前に俺達がヤツと戦った時も最新の電子兵器が機能しなくなりました。それでもあの時はファラデー隊長の機転でメカ式の武器で応戦し、なんとかヤツを倒した。ただ電子兵器が使えないっていうのは、俺達にとって不利な状況に代わりありません。やはりこの現象はヤツの仕業なんでしょうか?」

 その時ふとジュールは思い出す。別れ間際にヘルツより告げられたラヴォアジエと呼ばれるヤツの事を。ラヴォアジエはコルベットと交戦中に【小さな玉】を地面に押し付け、それによって衝撃波を発生させた。するとどういう訳か、コルベットが使用する全ての電子兵器の機能がストップしてしまったというのだ。

 ジュールは無意識に不安を表情に映し出す。ヤツと対峙するだけでも緊迫感はハンパないというのに、それにも増して武器が使用不可となれば状況は絶望的と言える。怖さを感じない方が、むしろおかしいはずなのだ。ただそんな怖気(おじけ)づくジュールに向かい、ドルトンは落ち着いた口調で語った。

「確かにヤツの行動については不明な点が多過ぎる。でも分からない事に俺達がどれだけ頭を悩ませたとて、解決出来る見込みもないだろ。なら今はヤツが何をしたか詮索(せんさく)するよりも、現状を正確に把握する方が優先だ」

 ドルトンはそう言うなり、天井に向けて構えたマシンガンの引き金を引いた。

「ダン!」

 マシンガンから銃弾が一発放たれる。そしてそれを確認したドルトンはジュールに対して明確に指示を下した。

「オート機能をキャンセルすれば、銃自体は問題なく発射出来るみたいだ。こいつはビーム砲と違い、全てが電子部品で造られているわけじゃないからな。お前が言った様に、メカ式に切り替えれば使えるって事さ。だからお前の銃も手動に切り替えておけよ。それからもし他に電子兵器を持っているならここに置いておけ。使えないなら余計な荷物になるだけだからな」

 冷静に状況を分析するドルトンは、ジュールに向かって作戦を丁寧に伝え続ける。

「非常用の電源のみが稼働している状況より、エレベーターは使えないはず。もちろん塔の中央にあるメインエレベーターも動かないだろう。となると、上の階に行くには必然的に塔の東西にある階段で向かうほか無い。だからこれより二手に分かれて上階に向かう。俺は東、お前は西側の階段から移動だ。まずインカムを装着しろ。ノイズが(ひど)いがどうにか使える。連絡を取り合いながら同時に上の階へと進むんだ。さっきの一発でもまったく反応が感じられない事から、少なくともヤツはこの一階にいないだろう。だが油断はするなよ。ヤツは俺達の常識が通用する相手じゃないんだからな」

 ジュールはドルトンの指示に従いインカムを装着し始める。若いなりにも戦闘経験豊富な彼の手際(てぎわ)は慣れたものだ。瞬く間にジュールは準備を終える。するとそんなジュールの姿にドルトンは僅かに口元を緩めた。そして彼はヤツを撃退する具体的な方法を告げたのだった。

「ヤツを発見、または交戦を開始した場合は即座に知らせろ。ヤツには俺の刀【稜威之雄覇走(いつのおはばり)】を打ち込み倒す。驚異的な回復力を持つヤツを通常攻撃だけで倒すには時間が掛かる上に、こちらの頭数も足りん。そこでこの刀の出番だ。この稜威之雄覇走(いつのおはばり)は切り裂いた対象を【原子レベル】で破壊する能力を備えている。だからヤツがいかに強靭(きょうじん)な肉体を有していようと、この刀を叩き込みさえすれば、その身は塵と化すのみなんだ。ただ城でテスラが放った一撃の様に、剣の能力を最大限発揮するためには少しの()めが必要になる。そこでジュール、お前の出番だ。リスクはかなり高いが、俺が力を溜めている間、お前はヤツをどうにか食い止めその時間を稼いでくれ」

 ドルトンは真っ直ぐにジュールの目を見つめる。この作戦のカギを握るのはお前だと言わんばかりの強い眼差しだ。ただそんなドルトンの期待にジュールは不安と緊張を覚えずにはいられなかった。

「お、俺に出来るでしょうか。もし俺がヤツを食い止められなければ、隊長の身にも危険が及ぶ事になります。そんな重要な任務を俺一人が引き受けて、本当に大丈夫でしょうか……」

 決戦を前に弱気を見せるジュール。でもこの状況で逆に不安を感じない方がむしろおかしいはず。それが分かっているからこそ、ドルトンはあえて少し強い口調で言ったのだった。

「戦力の足りない中、お前なら出来ると信じてここに連れて来たんだ。出来ない奴には最初から言わんぞ!」

 そう告げたドルトンはジュールの肩に手を添えて(うなず)いて見せた。その手からな何とも言えない頼もしさが伝わって来る。そしてジュールは思う。こんな作戦、冗談なんかで決行出来るはずがない。隊長は本心から俺を信頼しているんだ――と。ジュールは少し乾いた(のど)に無理やり(つば)を押し込み、ドルトンの背負う稜威之雄覇走に視線を向ける。そして彼は作戦の了解を合図するように頷いた。

 危険な賭けとも呼ぶべき作戦。それでもドルトンはジュールの能力を強く信頼しているからこそ、この無謀とも思える指示を出したのだ。そしてそんなドルトンの気持ちを理解したジュールは、それに応える決意を固めたのだった。


 薄暗い礼拝堂の中を二人は別れて進む。ただ程なくして二人はそれぞれが目指す東西の階段に到着した。予想通りとは言え、ヤツと遭遇しなかった安堵感にジュールは大きく息を吐く。だが直ぐに気合を入れ直し、彼は二階へと通じる階段を上り始めた。

 静まり返った塔の中、聞こえて来るのはインカムからの邪魔なノイズ音と、それに紛れたお互いの(かす)かな呼吸音だけだ。ただどこからか低く(うな)る様な音が聞こえる気がする。獰猛な野獣が獲物を狙う様に、ヤツが喉を鳴らしているとでもいうのだろうか。そんな胸騒ぎを覚えながらもジュールは二階にへと到着する。そして彼は細心の注意を払いながら歩みを進めた。

 一階の礼拝堂ほどではないが、二階も比較的広いホールになっているらしい。その中で薄暗さにもだいぶ目が慣れて来たジュールは、思いのほか落ち着いた足取りで進み続ける。いや、一階と同じで危険な臭いが感じられないのが、その要因なのだろう。ただ壁伝いに進むジュールは、一瞬何かが光った事に気付き歩みを止めた。

「ゴロロロ……」

 五重塔の外側より光が差し込んだはずだ。そう認識したジュールは周囲を警戒しながらも窓の外を(のぞ)いてみる。するとそこで彼が目にしたのは、青白い光と共に低い雷鳴を轟かせる、分厚い雲に覆われた真っ暗な空であった。

「外はだいぶ荒れて来たな。それにしても雷の音にビクついてたなんて、俺もまだまだ腰抜けだな」

 一人苦笑いを浮かべるジュール。それでも彼は慎重にホールを巡回した。一階の礼拝堂に比べ、二階ホールは更に照明が少なく見通しは良くない。それでも暗闇に目が慣れた事と、時折(ときおり)窓の外から差し込む雷の光によって、何とかホールの全貌を見渡す事が出来た。

 ジュールはホールの北側を壁伝いに進む。すると彼はちょうどホールの中央付近に、身の丈ほどの大きさをした時計が置かれているのに気付いた。

 ジュールは(いぶか)しい目つきでその時計を見つめる。何の意味があるのかは分からない。でも不自然極まりなく、その時計の上には巨大な【バッタの像】が置かれていた。それにもう一つ。時計の針が5時40分を指している事に不審さは感じられないものの、絶え間なく振り子を揺り動かしているその時計からは、どういうわけか動作音がまったく聞こえないのだ。その時計はただ正確な時刻のみを示すのみなのである。そんな時計に意味の分からない違和感を覚えたジュールの背中が酷く泡立つ。――とその時、インカムを通してドルトンからの呼びかけが聞こえてきた。

「ザザザッ、ジュール聞こえるか」

「は、はい。大丈夫。聞こえてます」

 インカムからノイズ越しに聞こえて来たドルトンの呼びかけにジュールは答える。するとそんな彼に対し、ドルトンより次の指示が示された。

「俺は南側の壁伝いに進んでいる。このまま西側の階段に向かい三階を目指すから、お前は東側の階段から上がれ」

 ジュールは了解の返答を告げると、ドルトンが居るであろう南側の壁を見た。でもさすがに隊長の姿までは確認出来ない。しかしその頼もしさだけは確実に伝わって来るのが分かる。隊長の指示に従っていれば絶対に負けないはずだ。ジュールはそう思いながら再度気を引き締め直し、指示された東側の階段を目指し始めた。ただちょうどその時、窓から差し込んだ比較的強い雷光が南側の壁を照らす。するとそこでジュールが目にしたのは、壁一面に描かれた巨大な壁画(へきが)であった。

 壁画には女神ヒュパティアが大神剣(だいしんけん)素盞王(すさのおう)(かか)げ、想起神(きそうしん)プレイトンに挑む姿が描かれていた。そして女神を取り囲むように、燦貴神(さんきしん)護貴神(ごきしん)の姿も描かれていたのだ。

 かつてグラム博士が話した様に、神と呼ぶにはあまりにも相応(ふさわ)しくない化け物じみた姿で描かれる燦貴神と護貴神。そんな獣神達の姿に、気が付けばジュールは目を(うば)われていた。

「あれが神話に出てくる神々なのか……」

 返り血を浴びながらプレイトンと三人の巨神に挑む獣神たちの姿に、ジュールは何故か胸が締め付けられる思いがした。そしてその気持ちに連動するよう、右目の奥に重く鈍い痛みを感じた。

「くそ、こんな時にまたこの痛みか」

 そう苦言を吐き捨てたジュールは、右目を軽く押さえながら三階へ通じる階段へと足を向けた。


「ズガガーーン!」

 ジュールが三階に着いたのと同時に激しい落雷の轟音(ごうおん)が響き渡る。どうやら天候はどんどんと悪化しているらしい。塔の外では激しい豪雨が窓を強く叩きつけ、大地を揺るがすほどの雷鳴が立て続けに鳴り響いている。

 三階はそれまでのフロアとは違い、中小の部屋が幾つも並んでいた。経理室や総務室などと名付けられた扉を見る限り、それらはルーゼニア教の運営団体が、それぞれの仕事を行う場所なのだろう。ジュールはそんな幾つにも並ぶ部屋を、(はし)から順に確かめては進んだ。しかし彼は矢継(やつ)ぎ早に轟音を響かせはじめた落雷に嫌気がさし、堪らず苦言を吐き捨てた。

「こう連続で雷が鳴り続けると、耳がおかしくなっちまうぜ」

 しかし愚痴(ぐち)をこぼすジュールをあざ笑うかの様に、再び落雷が轟音を響かせる。

「ドガンッ!」

 落雷と同時にドルトンの体が激しく吹き飛ぶ。ジュールとは別の三階の通路を進んでいた彼は、猛烈な衝撃を受けてその体を壁に激突させた。

「ぐはっ」

 左の脇腹に耐え難い激痛を感じたドルトンの意識は一瞬遠のく。それでも彼は懸命に歯を喰いしばり即座に体勢を整えた。そしてドルトンは自分が元いた場所に視線を向ける。

「チッ。部下に油断するなと言っておきながら、俺の方がこんなザマじゃ示しがつかないな」

 額に噴き出す汗の量がドルトンのダメージの大きさを感じさせる。でもそれ以上に彼の背中には、今まで感じた事が無いほどの戦慄が駆け抜けていた。

 間合いを広げるように少し後退するドルトン。そんな彼の直視する場所に姿を現したのは他でもない。巨体全てを真っ黒い体毛で覆う【ヤツ】が、その姿を現したのだ。

 それは【腐った牛】の様な顔をしている。またその巨体は廃工場に出現した豚顔のヤツよりも一回りは大きい。まるで(いか)った闘牛が仁王立ちしているかの様だ。それにヤツから放たれる威圧感は恐るべき凄まじさである。ただそれにも増して不気味なのが、牛顔のヤツが光らせる緑色の瞳であった。

 そんなヤツを前にしたドルトンは苦々しく表情を歪めている。たえず聞こえるインカムからのノイズと、鼓膜(こまく)に突き刺さるような雷鳴、なにより非常灯の僅かな明り頼みという状況の悪さで、ヤツからの不意な攻撃に対処しきれなかった。でもそれは言い訳に過ぎない。ここは戦場であり、ヤツの待ち伏せは分かり切っていたはずなのだ。ドルトンはそんな自らの不甲斐なさに憤りを覚えているのだろう。

 それでも現実として彼はヤツからの攻撃を受ける瞬間に、半身を(ひね)り致命傷を避けていた。他の者であれば間違いなく即死していたその攻撃を、彼は神がかり的な反射神経で(しの)いだのだ。幾度(いくど)の死線を乗り越えてきた彼だからこそ、体が瞬時に反応し最悪の事態を避ける事が出来たのだろう。それは驚嘆に値する対応であり、その凄さが理解出来たからこそ、牛顔のヤツはドルトンに対し敵意を剥き出しにしながらも次の一撃を放つ事が出来ずにいたのだ。だが激しく吹き飛ばされた衝撃で、ドルトンの装備していたインカムとマシンガンは暗闇の中へ消えていた。


「グオオオォ!」

 雷鳴と同時にヤツは(おぞ)ましい雄叫(おたけ)びを上げる。まるでヤツが嵐を呼び起こしているかの様だ。ヤツから放たれる圧迫感は更に高まって行く。ただそんなヤツの猛威を受け流す様にドルトンは口走った。

「その牛の様な顔。ファラデーを殺った豚顔のヤツと同じ時期に、一度ルヴェリエに現れたヤツだな。なら羅城門(らじょうもん)にいるもう一体も貴様と同じく、一度消息を絶っていたヤツか。お前らは一体何をしようとしているんだ!」

 そう言いながらドルトンは、雷の光に映し出されるヤツの顔を(にら)み付ける。そして同時に背中の稜威之雄覇走(いつのおはばり)に手を伸ばした。だがそれよりも早くヤツが動く。

「ダン!」

 床を力強く踏み込んだヤツが一瞬でドルトンの目の前に押し迫る。そしてヤツはそのままの勢いで、鋭い爪を持つ太い腕をドルトンの顔面目掛けて猛烈に突き出した。

 為す術無く首が吹き飛ぶ。きっとドルトン以外の者であったならば、それは間違いなく当然の結果となった事だろう。しかしそこにいるのは王国の英雄である。(うな)りを上げた突きを繰り出すヤツの体は、彼の首に触れる事無く前方に転がった。そしてその巨体はドアを突き破り、小部屋の壁に激突して止まる。

 ドルトンはヤツに強烈な背負い投げを浴びせていた。彼は突き出されたヤツの腕を掴み取ると、竜巻の様に自身の体を回転させ、そのまま反動を利用しヤツを投げ飛ばしたのだ。

 まさに目にも止まらぬ一撃。恐らく牛顔のヤツは自分が何をされたのか理解出来ていないだろう。ただそれ以上にドルトンは戦場のエキスパートなのだ。倒せる時に確実に打ち取る。瞬時にそう判断した彼は素早(すばや)く刀に手を掛けた。だがそれよりも(わず)かに早く、ヤツが猛烈な勢いで(せま)り来る。そしてヤツが剛腕を振りかざすことで、ドルトンはまたしても刀を抜くタイミングを損なってしまった。

(まさかコイツ、俺に刀を抜かせない気か!)

 直感としてそう感じたドルトンは少しだけ戸惑う。それでもやはり彼は英雄と呼ばれる実力者であった。ドルトンはヤツの猛烈な攻撃を()(くぐ)ると、その腹にカウンターの肘鉄(ひじてつ)()じ込んだ。強烈な衝撃がヤツの体を突き抜ける。ただその腹は生き物とは思えぬほどの硬く、攻撃を加えたドルトンの肘にも衝撃が伝わった。

「なんて体してやがる。だが貴様とて、やはり生き物である事に変わりあるまい!」

 ヤツが数歩後退する。攻撃は間違いなく利いているのだ。それを見流さないドルトンはすかさず肘を入れたヤツの腹目掛け橙色(だいだいいろ)の玉を投げつける。そして相手の体を貫く(やり)のような前蹴(まえげ)りで、その玉ごとヤツの腹を蹴り上げた。

「ビギャー!!」

 激しい電撃と蹴りの衝撃でヤツが悲鳴を上げる。相当なダメージがヤツを襲ったのだろう。ただ耐電仕様のブーツを履いていたドルトンの体にも電撃が走っていた。その為にヤツほどではないにしろ、彼の体にもそれ相応の電撃が伝わったはず。しかし彼はそんな衝撃に構う事なく、再度ヤツの腹に橙色の玉を投げつけては、そのまま蹴りを浴びせたのだった。

 ヤツの体が小部屋の壁を突き破って吹き飛ぶ。その巨体を吹き飛ばすだけでなく、壁すら突き破らせるドルトンの蹴りの威力は尋常でない。それでも彼は更に畳み掛けるよう攻撃を続けた。

 ヤツがこの程度で倒れるわけがない。そう思ったドルトンは、両腕に装備している黒色の篭手(こて)を勢いよくクロスさせ(こす)りつける。そして歩幅を大きく広げ腰を屈めた。

「ギィィィー!」

 口を開けた壁の穴から、奇声を発したヤツが襲い掛かる。そしてヤツはドルトンに向け剛腕(ごうわん)を振りかざした。だがまたしてもヤツは投げ技を食らい吹き飛んだ。

「ドガン!」

 ヤツの巨体が壁に激突する。それと同時にドルトンが目にも止まらぬ速さでヤツの目前に身構えた。そして()め込んでいた力を一気に解放する様に、彼はその両腕をヤツの腹目掛けて思い切り捻じ込んだ。

「ギィヤァァァー」

 泣き叫ぶヤツの悲鳴が響き渡る。またそれと共に焼け焦げる肉の嫌な(にお)いが周囲を(ただよ)った。

 ドルトンの装備している篭手は特殊な炭素合金で出来ており、熱を加えると無煙燃焼(むえんねんしょう)を引き起こす特性を備えていた。(わず)かな時間ではあるが、篭手は一時的に千度にも達する熱を()びる。その篭手を付けた拳をヤツの腹に捻じ込んだのだ。焼けただれたヤツの腹が異臭を放つのは無理がない。

 (もだ)えるヤツは、それでも腕を突き出しドルトンを振り払おうとする。ただそんな闇雲な攻撃がドルトンに通じるはずもなく、彼は素早く拳を引き抜きその攻撃を(かわ)した。そしてドルトンはヤツとの十分な間合いを確保すると共に、ヤツの反撃がないかその姿勢を注視する。そしてヤツに動きがない事を確認すると、彼は背にした(さや)から一気に【稜威之雄覇走(いつのおはばり)】を引き抜いた。


 十拳封神剣(とつかふうじんけん)の一つである稜威之雄覇走は、コルベットの隊長であるトウェイン将軍が持っている【天乃尾刃張(あまのおはばり)】の姉妹刀だ。それらは共に切り裂いた対象を原子レベルで破壊する、超次元の特殊能力を有している。ただし天乃尾刃張が太陽光を浴びることで能力を高められるのに対し、稜威之雄覇走は月の光を吸収することで破壊力を増大させるという特徴の違いがあった。

 夜にその力を発揮するはずの稜威之雄覇走。しかし今夜の様な月の明りの(さえぎ)られた天気では、さすがにその威力を最大に生かすことは無理であった。それでもヤツに対して稜威之雄覇走が極めて有効な武器である事に代わりはない。ドルトンは(あわ)い紫色の光を放つその大刀を中段に構えた。

 ふらつきながらもヤツが立ち上がる。ドルトンはそんな手負いのヤツを威圧しながら、ゆっくりと部屋の片隅(かたすみ)に追い詰めていく。彼はヤツを逃げ場のない状況に追い詰め、確実に(とど)めを差すつもりなのだ。その証拠にドルトンが握る長刀がその輝きを強めていく。だがその時、ドルトンはその耳を疑った。なんとヤツがドルトンに対し低い声ではあものの、はっきりとした言葉を発したのだ。

「――強いな。さすがはアダムズ王国の英雄と呼ばれるだけはある」

 予想だにしないヤツの発言にドルトンは一驚した。まさかヤツが言葉を話せるなんて思っていなかったのだ。そして彼はその一瞬に僅かばかりの集中力を欠いてしまう。するとヤツがその隙に付け入り、ドルトンに向け部屋の隅にあった木の机を無造作に投げつけた。

 唸りを上げて机が飛ぶ。それはまるで加速度をつけた大きな落石が迫り来るかの様だ。常人であれば足が(すく)み上がり、打つ手なしに押し潰されるだけだろう。しかし今ヤツと対峙するのは英雄ドルトンなのである。彼は瞬時に集中力を高めると、冷静に向か来る机を真っ二つに両断した。そしてそのまま彼は踏込み、ヤツに向け刀を突き付ける。だがそれよりも早く飛び上がったヤツは、天井を突き破り上階へと姿を消した。

「くっ」

 ドルトンは脇腹を(おさ)えガックリと(ひざ)をつく。微塵にも表情に出しはしなかったが、やはり彼は最初に受けたヤツから攻撃にダメージを負っていたのだ。それもそのダメージは時間の経過とともに深刻な状態になりつつある。でもだからこそ彼は長期戦が不利だと判断し、短期で決着をつけるべく全力でヤツを倒しにいったのだ。だが無情にもその目論見(もくろみ)(かな)わなかった。むしろその代償として、彼は視界がかすむ程の激痛に奥歯を噛みしめていた。

 ドルトンの(ひたい)から大量の脂汗が流れ落ちる。それでも彼は部屋の片隅に落ちているマシンガンとインカムを発見した。そして彼はインカムでジュールを呼ぼうと試みる。だがインカムは床に落ちた衝撃で破損したのだろう。ノイズばかりが(ひど)く、それは使い物にならなかった。

「行くしかないか……」

 ドルトンは痛む体に鞭を打ち、ヤツを追う為大きく口を開けた天井の穴から四階に向かった。


 四階フロアも三階同様に複数の小部屋で構成されていた。もちろん証明は灯っていない。そんな通路を左手にマシンガンを構えたドルトンがゆっくりと進む。彼にはヤツが逃げ込んだであろう部屋の場所が分かっていた。なぜならヤツの腹の焼け焦げた残り香が、まるでヤツの潜む場所を案内するかの様に漂っていたのだ。

 ドルトンは右手に握る稜威之雄覇走の淡い光で暗く(せま)い通路を照らす。間違いなくヤツが逃げ込んだのはあの部屋のはずだ。彼は鼻を摘みたくなる悪臭に気を留める事なく、慎重にその部屋の扉を目指した。――がその時だ。

「ズガンッ!」

 扉までもう少しという距離までドルトンが進んだ時、その部屋の壁が突然内側より破壊された。ドルトンの追撃に対し、ヤツが強引に壁を突き破って反撃に出たのだ。そしてヤツはそのままドルトンの胴体を鷲掴(わしづか)み、通路の反対側の壁に押し付ける。

「ゴホッ」

 ドルトンが(おびただ)しい血反吐(ちへど)を吐く。交通事故の様な激しい衝撃が彼を襲ったのだ。もちろん痛めた脇腹にも甚大なダメージが上乗せされたことだろう。そしてそんなドルトンの体を片手で(つか)んだまま、ヤツはもう片方の腕を振り上げた。

 ヤツは身動きを封じたドルトンをこのまま殴り殺すつもりだ。ヤツの剛腕に力が籠められる。だがそれをみすみすとドルトンが受け入れるはずもない。彼はヤツの焼け(ただ)れた腹に向け、マシンガンの引き金を引いた。

「ダダダダッ」

 複数の弾丸をその腹に喰らったヤツは一瞬動きを止める。ヤツの腹部もこれ以上無いほどに損傷しているのだ。しかしそれでもヤツはダメージに構う事なく、振り上げた剛腕をドルトンに向けた。

「ガズン!」

 ドルトンはマシンガンを投げ捨て、両手で刀を支えながらヤツの大砲の様な攻撃を正面から受け止めた。彼は咄嗟の判断で致命傷を防ごうとしたのだ。しかしヤツの攻撃力は凄まじく、ドルトンの体は押し付けられていた壁を突き破り、更にその奥にある小部屋の中を吹き飛ぶと、窓際の壁に激突してようやく体を止めた。

 ドルトンは尋常でない激痛に顔を(ゆが)ませる。それでも彼はふらつく足を無理やり立たせた。容赦(ようしゃ)なく襲い来るヤツに身構える為に。

 だがヤツは自らドルトンに襲い掛からず別な行動に出る。ここまでの戦闘で彼の強さがよく理解出来ているのだろう。強引なまでに攻めるだけでは勝つことが出来ない。ヤツはそう判断したのだ。

 ヤツは通路にあった等身大の女神像のオブジェを持ち上げる。するとその像を腰のあたりで二つに叩き折った。そしてヤツはその片方をドルトンに向け全力で投げつける。

 女神像はロケット砲の様にドルトン向け飛んだ。豪速で発射されたそれはもう像とは呼べない。だがそんな像にドルトンは踏み込んで刀を振り抜いた。

「ズパッ」

 女神像は空中で粉々に分解され(ちり)となる。そして振り抜かれた大刀からは、淡い紫色の光が怪しげに輝いていた。

「!」

 ヤツはそんな目の前の現象に目を見張る。しかし躊躇(ちゅうちょ)する事なく、ヤツは分断したもう片方の女神像をドルトンに向け投げつけた。そして更に自らもドルトンに向け全力で突進する。

「チッ」

 ドルトンは再び女神像を刀で()ぎ払った。もちろんその像は先程と同じで塵となり消える。しかし次に迫るヤツ本体に返す刀が間に合わない。直感でそう思ったドルトンは、素早く腰に手を伸ばして赤玉を掴み取る。そして迫りくるヤツ目掛けてその赤玉を勢い良く投げつけた。

 赤玉は爆弾だ。いくらヤツとてまともにそれを受ければタダでは済むまい。その隙に体勢を整えて大刀を打ち込むんだ。しかしそんなドルトンの考えに反し、ヤツはそのスピードを緩める事なく突進した。ただヤツは突進しながらもくるりとその身を反転させ、赤玉を背中で受ける。

「ズガガーーン!」

 大爆発が巻き起こる。だが爆弾が直撃したはずのヤツは噴煙(ふんえん)を突き抜け、そのまま背中でドルトンを窓際の壁に押し付けた。

「ガハッ」

 ヤツの背中は鉄の様に硬かった。その為に赤玉の衝撃はその体にダメージを与えられなかったのだ。そして勢いの止まらないヤツの突進の衝撃にドルトンの体は壁を突き破る。

「グッ」

 穴の開いた壁から外に投げ出されそうになったドルトンは、必死に崩れた壁の端に掴まった。ここは塔の四階なのだ。転落すれば無事では済まない。だが彼は奥歯を喰いしばって悔しさを滲ませる。無情にも放物線を描きながら地面へと落ちて行く稜威之雄覇走の姿を彼は確認したのだ。

「グロロロ――」

 唸り声にハッとしたドルトンは視線を上に向ける。そこには彼を見下すヤツの姿があった。ドルトンは土砂降(どしゃぶ)りの雨に濡れながら、雷光に照らされるヤツの顔を(にら)む。そして彼は憤りを露わにこう告げたのだった。

「はじめから狙いは刀か。貴様、戦いの素人ではないな。一体何者なんだ!」

 忸怩たる思いにドルトンは吐き捨てる。するとそんなドルトンの言葉に対しヤツは低い声で答えた。

「さすがは英雄ドルトン、その強さは(うわさ)以上だ。初めの一撃のダメージが無ければ、あの刀無くしても我を倒せたかもしれぬ。しかし運が無かったな。重症を負い、頼みの刀さえ失ってはもう、お前に我を倒す術は無い」

 そう告げたヤツの緑色の眼が不気味に光る。そしてヤツは穴の開いた壁から飛び出す鉄筋を掴み、それを無理やり引き抜きドルトンに向け振りかぶった。ヤツはドルトンの息の根を止めるつもりだ。しかしこの状態でヤツの一撃を(かわ)せるわけがない。ドルトンは壁に掛ける手に力を込めるも、為す術無い状況に唇を噛みしめる。だがその時、

「ドギャンッ!」

 轟音とともに凄まじい閃光を上げた落雷が発生した。するとその光に目が(くら)んだヤツが一瞬動きを止める。

「ガバッ!」

 ドルトンは(あきら)めていなかった。彼は最後の力を振り絞り、一気に壁をよじ登ったのだ。そしてまだ熱の冷め切っていない篭手をヤツの(あご)に叩きつける。更に彼は(ふところ)より引き抜いた短刀を逆手に握ると、ヤツの右目にそれを突き立てた。

「ギィヤァァー!」

 ヤツは断末魔とも言うべき悲鳴を上げた。しかしその攻撃はヤツに致命的な傷を負わせるまでには至らない。壮絶な痛みに(もだ)えながらも、ヤツは猛烈な()りをドルトンに浴びせ掛かった。

「ドガンッ」

 ドルトンは蹴りの威力を緩和させようと、反射的に自らも後方に飛ぶ。しかし怒りにまかせて放たれたヤツの蹴りの衝撃は凄まじく、激しく吹き飛んだ彼の体は二つの部屋の壁を突き破った。

「ガハッ」

 どうにか意識は(つな)ぎ止めているが、もはや彼にはヤツに対抗するだけの力は残っていない。それでもドルトンは必死に立ち上がろうと足掻(あが)いた。

「クソっ垂れが――」

 ドルトンは歯を食いしばり、何とかして立ち上がろうと体に力を入れる。だが悲しくも彼の体は言うことを聞かない。そんなドルトンを前に、ヤツは右目に刺さった短刀を引き抜いた。そして残った左目でドルトンを激しく睨み付ける。

「く、来るなら来い!」

 腰が立たない体勢でありながらもドルトンは虚勢を張る。もうどうする事も出来ないのは分かり切っているが、それでも彼は軍人としての使命を果たそうと気張ったのだ。ただそんな彼に向けてヤツは容赦なく駆け寄る。止めを刺す為に力を溜めたその剛腕を、一気に突き出そうとヤツは踏み込んだ。――がその瞬間、

「ダダダダダッ!」

 暗闇の通路からヤツに向け(おびただ)しい数の弾丸が放たれる。そしてその直後、マシンガンを構えながら走るジュールの姿が現れた。

 ヤツは数発の弾丸をその身に受けて退く。さすがのヤツも満身創痍なのだ。それゆえにジュールが放った攻撃に構うことなく、ドルトンに留めを刺せなかったのだろう。ヤツはマシンガンの攻撃を嫌うよう強く飛び上がり天井を突き抜ける。そしてまたしても上階へと姿を消した。

「隊長!」

 叫びながらジュールはドルトンに駆け寄る。

「済みません隊長。落雷の轟音と震動で戦闘が開始されている事に気付きませんでした。後は俺が引き受けますから、隊長はここで休んでいてください」

「ま、待てジュール。ヤ、ヤツは強い、お前一人では……無理だ」

 ドルトンは懸命にジュールを制止させる。だがジュールはそれを無視して天井に開いた穴に飛びついた。そして彼はその穴をよじ登り五階へと向かう。

 悪天候の影響で戦闘が開始された事にまったく気づかなかったジュールは、赤玉の爆発音を耳にしようやく現場に駆け付けた。そして彼は一人でヤツに挑みボロボロになったドルトンの姿を見て感じたのだ。ヤツへの激しい怒りと苛立ちを。

 ジュールの心は黒く染められていく。実際にヤツの姿を見たからなのかも知れないが、彼は怒りに満ちたその衝動を抑える事が出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ