ひざをかかえて茜色
ひざをかかえて茜色
街が朱に染まる。
燃えるような、全てを塗りつぶしてしまうような赤い夕日が街を、丘を、そして俺達を照らしている。
小高い丘の頂上でひざをかかえている彼女を見て、ふと思う。
――まるであの時の焼き増しのようだ。
放課後の誰もいないはずの教室、いや、一人、いるはずの教室に俺は向かっていた。
ポケットに入れていた手紙を引っ張り出す。
そこにはまるっこい字で、ただ一言と名前だけが書いてあった。
『放課後、三階の空き教室に来てください 卯月 茜』
もらったことがないのでが判断つかないが、文面から察するにおそらく告白の呼び出しだろう。これが卯月の名前を使ったイタズラじゃなければの話だが。
はたして、彼女はそこにいた。
燃えるような夕日に照らされた教室の中、椅子の上でひざをかかえている女子生徒が一人。
卯月 茜だ。
卯月は身長145センチと小柄で、身長180センチちょっとの俺と並べば余計に小さく見える。
明るく、小動物チックな動きをするクラスのマスコット的な少女だ。
だが、目の前にいる彼女はそんな普段のイメージとまったく違っていた。
ただただ不安そうに体を縮めている。
夕日に照らされたその横顔には、普段はない陰が浮かんでいるように見えた。
一瞬どきりとしたが、それを抑え込んで彼女に声をかけた。
「悪い、待たせたか?」
「……あ、う、ううん、全然、気にしないで」
卯月は慌てたように椅子から立ち上がり、こちらに近づき、ある程度の距離まで来たところで止まった。
「来てくれてありがとう。えと、あの、聞いてこほしいことがあるの」
「うん」
「ぇえと、あの……」
しばらくもじもじとしていた彼女だが、やがて意を決したのか深呼吸をし、口を開いた。
「私、藍野君のことが好きです。私とつ、つきあってください!」
「……」
「あの……ダメ、かな?」
「悪い、しばらく考えてさせてくれないか?」
卯月のことは嫌いではないが、好きかどうかもわからない。
そんなあやふやな状態で付き合いたくないし、卯月にも失礼だろう。
そう思っていることを素直に伝えると、彼女は納得を示してくれ、その日はその場で別れた。
そしてその翌日から、卯月は俺に少しでもアピールしようと、よく俺と行動し、多くのことを話した。
どんな食べ物が好きか、最近何がおもしろかった、あそこの丘は夕日が綺麗でお気に入りの場所だ、俺の好みのタイプはどんなだ。
とりとめのない内容から穿ったことまで、それこそ何でもだった。
告白されてからしばらく経ったある日、俺は交通事故にあった。
ハデな事故だったが、幸いなことに腕を骨折する程度ですんだ。
処置が終わり、病院のベッドで眠っていた俺は、ギシ、という何かが軋む音で目が覚めた。
キシリ、キシリと小さな音が聞こえてくる方を見ると、パイプ椅子の上で卯月がひざをかかえ、小さく体を揺らしていた。
「……あ」
「よう」
「よかった、私、藍野君が事故にあったって聞いて、いてもたってもいられなくて、それで……」
ぽろぽろと涙を流しながら言葉を発する卯月を見て、ひどく罪悪感を覚えた。
「悪い、心配かけたな。無傷じゃないけど、幸いなことに生きてる」
「ぇっく、しんぱい、したんだから……」
ひとしきり泣いてようやく落ち着いてきた卯月に、場の空気を変えようと、ふと思ったことを訊ねた。
「なあ、卯月って時々今みたいにひざをかかえてことがあるけど、癖か何かか?」
「あ、うん。小さい頃から不安なこととか、悲しいことがあるとこうしてじっとしてたの」
「そうなんだ、俺はてっきり……」
「てっきり……なに?」
「いや、やっぱり辞めとく」
「ええ!? ちょ、最後まで言ってよ~!」
そして俺が退院するまで卯月は毎日見舞いに来てくれて、時には同室の患者さんから恋人かとからかわれたりもした。
悪い気は、しなかった。
退院してからそれなりに日が経ち、ようやくギプスも取れるというころから、卯月はひざをかかえていることが多くなった。
理由を聞いてもはぐらかされ、ただ曖昧な笑顔で誤魔化そうとする卯月だったが、その雰囲気は今にも泣き出しそうなほど弱々しいものだった。
そして、ある日、卯月は学校に現れなかった。
メールをしても返事は無く、電話も繋がらなかった。
風邪かとも思ったが、担任の教師が連絡が無いと言っていたことに加え、ここ数日の卯月が頭から離れない。
卯月と仲のいい女子も連絡がつかないらしく、とうとう昼休みを迎えた。
俺はいてもたってもいられなくなって、早退すると言い残して学校を出た。
立ち止まって荒い呼吸を落ち着ける。
思い付く限りの場所を探し、気付けば夕暮れ時、俺は携帯を握りしめてそこに立っていた。
『いつか教えた丘で待ってます』
携帯にはただ一言だけ、卯月からのメールの文字が表示されていた。
そしてたどり着いた丘の頂上に彼女はいた。
場所が違うだけで、それ以外はまるで彼女に告白された時の焼き増しのようだった。
燃えるような夕日が、卯月を赤く染めていた。
夕日に照らされながらひざをかかえる彼女のすぐ側まで近づいた時、卯月がポツリと呟いた。
「……私ね、転校することになったの」
ひどく弱々しい声で卯月は語った。
親の転勤で隣の県に引っ越すことになったらしいが、引っ越し先から今の学校に通うのは非常に難しく、転校することになったらしい。
嗚咽混じりの彼女の言葉を聞き、
「やだよぉ……藍野君と、離れたくないよぉ……!」
俺は卯月の泣き顔を見たくないと強く思った。
ああ、認めよう。俺は卯月が、いや、茜のことが好きだ。
気付けば俺は、茜を後ろから抱きしめていた。
絶対に顔が赤くなってる。
かまうものか、夕日が誤魔化してくれる。
「なあ、茜。あの時の告白の返事、まだ受け付けてくれるか?」
「……え?あか、ねって、名前、え、返事?」
「いいか?」
耳許でささやくようにもう一度訊ねる。
いきなり抱きしめられたことよりも名前で呼ばれたことに戸惑っているようだったが、やがて落ち着き、おずおずと返事をしてくれた。
「えと……どうぞ」
「茜のことが好きだ。俺と付き合ってくれ」
「ぁぅ……あの、本当に?」
「ああ」
「遠距離恋愛になっちゃうよ?」
「そう言っても隣の県だろ?毎週でも会いに行くさ」
「私、チビだし、スタイル良くないし……」
「こうやって腕の中に収めたらピッタリだし、俺はスタイルとか気にしない。茜は十分魅力的だと思う」
「ええと、ええっと……ほ、本当、に?」
「ああ、本当だ。それとも、こんなに長いこと返事を待たせた優柔不断な男は嫌か?」
「嫌じゃない! えっと、ふ、ふつつかものですがよろしくお願いします! ……これからはうれしい時もひざをかかえちゃうかも」
最後の一言もしっかりと聞こえていたが、その言葉には何も返さず、ただ茜を抱きしめる腕に力を込めた。
空は朱から茜に変わっていた。
ひとつに重なったふたつの影は、消えるまでそのままだった。
自分の書く短編としてはかなり長い文章になったな~、と思ったものの、蓋を開ければ結局三千文字ほど。
一万文字前後とか書ける人を心底尊敬した瞬間でした。
あと、茜色は少し暗い赤だそうです。