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「あんたは確かに多くの物を失ったよ。その点は同情する。しかしハルからそれに負けない程多くの物も受け取ったはずだ。中にはあんたにしか受け取れない物もあったはずだ。本当ならあんたはそれを生かせるはずだ。さらにはそれを次の奴にも受け継いで行けるはずだった。なのに何故、あんたはそれをしないんだ? 俺なら、俺にそういう才覚があれば、ハルの遺志を次の奴につないでやる事が出来たのに」
「ハルさんは私に人を斬らない事を教えてくれました」
「人を斬るだけが刀の使い道じゃない!」アツシが怒鳴った。
「あいつは自分が刀を振るう意味を考えていた。組を守る最良の方法を考えていた。あいつの一振りは相手の刃を跳ね返すためだけに存在していた。決して人を斬るための物じゃなかった。お前には解っていたはずだ。一番解っていたお前が、何故、ハルの生き方を否定するような真似をしているんだ!」
怒鳴りながらもアツシの目は悲しい色をたたえていた。軽く息が切れている。
「否定している訳じゃありません」土間が答える。
「だったら、何故、刀を握ろうとしない」
そう問われて、土間は遠い目をした。
「私は、ハルさんのようには成れないから」
そう言って、土間はアツシの目をしっかりと見据えた。
「昔、私はハルさんに憧れました。初めは刀の腕と腕っ節に。そのうち、優しさと器の大きさに憧れました。ついには嫉妬に苦しむほどでした。でも、いつかは自分もハルさんの様になれたら、と、いつも思っていました。ハルさんは自分が刀を握る意味をいつも考えていたと言いましたよね。悲しい事に私にはそれが出来ないのです」
「出来ない?」アツシは唖然として聞き返した。
「私は刀との相性の良さがあだとなって、握ると先に身体が反応します。考えている間がないのです。これがあなたの言う才覚と言うのなら、私はそれを呪いますよ。この、刀との相性に私はどれほど苦しんだか」
土間は自分の手に視線を落とす。
「この相性のために、私は人や、自分の身を何度も危険にさらしました。あの頃はハルさんさえも、私に刀を持つなと言いました。それで私が荒れた事はあなたもご存じでしょう? それでもハルさんは私に冷静さを取り戻せる所まで、引っ張り上げてくれました。でもそれは自分と人の身を守るためであり、恐怖心に打ち勝つための物でした」
そして、視線をアツシに戻した。
「私の刀はハルさんのそれにはまるで及ばないものなんです。おまけに私の心は弱い。いつも楽な方へと流される。それは今でも大して変わっていません。それでも私が人を斬らずに済んだのは、ハルさんが、お前に人は斬れないと言い続けてくれたからなんです。まるで呪文のようにね」
「呪文……」アツシがつぶやいた。
「そんな人間が、いったい何をつなごうっていうんです? ハルさんの心は、ハルさんにしか伝えられないんですよ。私もあなたもハルさんからたくさんの物を受けっとった。それは伝えられる物もあれば、伝えられない物もある。伝えられる物は私も伝えたいと思っています。けれどそれは不完全な刀の腕なんかじゃないんです。私はハルさんの呪文を大切にして生きていくしかないんですよ」
「ハルの心は、ハルにしか伝えられない……」
「そうですよ。だから人の命は重いんだわ」
話しながらも土間は、ハルの失われた命の重さを想う。
「それに私なんかより、アツシさんの方が、よっぽどハルさんの事を伝えられます」
アツシはしばらく考え込んでいた。
「いや、俺にもやっぱり伝えられない。さっき俺はハルの刀は相手を跳ね返すためにあると言ったが、きっとそれだけじゃ無かったんだろう。だから組長に呪文がかけられたんだ。斬られそうになる相手の心を伝える、何かがあったんだろう」
「それはハルさんにしか伝えられませんでした」
「そうだな……あいつは大きな奴だった」アツシは大きくかぶりを振った。
「いや、すいませんでした。興奮して。俺は組長に嫉妬してましたから。みっともないもんですね、大の男の嫉妬ってもんは」
「いいえ、私も気持ちは解ります。私は女になってしまいましたけど。ハルさんが最後に呼んだ人の名前、誰だと思いますか?」
「さあ。その場にいらしたんですよね? 組長じゃ無かったんですか?」
土間は首を振った。
「カズヒロさんですよ。カズヒロにあえるかなと。あの時私の名前を呼んでもらえず、余計私は無謀な気持ちになったんでしょうね。私もカズヒロさんには嫉妬していますよ。もしかしたら私はカズヒロさんの代わりだったんじゃないかってね。富士子はそれを知っていて、最後に真っ先に私の名前を呼んでくれました」
「組長……」
「ハルさん、最後にカズヒロさんのお姉さんの事を想い浮かべたのかも知れませんね」
アツシはハルの悲しい恋を知っている。それは土間の知らないハルの姿だ。