つながらない運命
急げ、急げ。
風の声に耳を澄ませ、地を蹴り、高く飛びながら。
何者にも負けないように、走り続ける。
青空に追いつけるように。
君に再びめぐり合えるように。
・*・*・*・
ねえ、大祐。
私が、あなたの前から姿を消すのは、もう、これで2回目なんだよね。
1回目は、2年前。私たちがまだ大学生だったとき。
そして、2回目が今。
もう、24歳で、すっかり大人になった女が、家出するみたいにあなたの元を離れていくのは、なんだか、猫が家をこっそりと出て行く気持ちに似ています。
すごく、気が咎めて、罪悪感があって、それなのに、あなたの元を体は勝手に離れていく。
ごめんね、大祐。
あなたは優しい、とても優しい。
いくらでも甘えてくれていいって、あなたが言ってくれたときは、本当にうれしかった。
2年前、雨の中で私を追いかけてくれたね。
行かないでくれって、言ってくれたね。
大好きなんだって、私が必要なんだって、言ってくれたね。
はずかしがり屋のあなたが、そんな情熱的な言葉を、人目もはばからずに、何度も、何度も。
私のことを、痛いぐらい強く抱きしめて、言ってくれたね。
なのに、私は、またあなたを裏切る。
きっと、あなたを傷つける。すごく。
ねえ、大祐。
・・・・・・・・・。
・*・*・*・
「はあ・・・。」
長い手紙を書き終えた私は、小さなため息をついて、窓の外を見た。
駅に近いこの高層マンションは、とてもきれいで、はじめてきたときは、田舎育ちの私は、本当にお姫様になった気分だった。
彼にそう告げると、
『お気に召しましたか?姫・・・。』
ふざけて、だけど、ドキッとするくらい真剣に、私の前にかしずき、左手を差し出してきた。
やだ、やめてよ、恥ずかしいじゃない。
私がそう言って、すぐにそのごっこ遊びは終了してしまったのだけれど。
ずっとここにいれば、いつまでも、彼にかしずかれて、宝物みたいに大切にされて、幸せに暮らせていたのかもしれない。
そんな風に思いながら、しかし私は、荷物を持って、部屋を出た。
鍵を閉めて、ポストにそれを入れる。
これで、私は、もうここを家とは呼べない。
そうしてしまうと、私は、心のそこからほっとした。
改めて扉を見上げる。
『AOYAMA DAISUKE』
綺麗なプレート。
そこには恋人の名前がおしゃれな英字で書かれている。
『結婚したらマリナの名前もここに載せような。』
大祐は、私にそう言ってくれたけれど・・・。
彼一人の名前しかないそのプレートを見て、私は自分に言い聞かせる。
そう、ここは彼の家。
彼だけのものであって、自分のものなんかじゃない。ここは、私の帰る場所じゃなかったのだ、と。
「さよなら・・・。」
その声は、いやに静かに、神聖なもののように、廊下に響いた。
・*・*・*・
私の名前は、朝比奈マリナ(あさひな まりな)という。ハーフなので名前はカタカナである。
『へえ、おもしろいね。その名前、なんか似合ってるし、いいよ。』
大祐は、初めてあったとき、私にそう言った。
大祐は小柄だ。私より背は高いけれど、平均男性の身長よりは低い。
だからなのだろうか、彼はよくこう口にしていた。
『マリナは、ちっちゃくて可愛い。』
優しい言葉だった。
私は、背が低いことをずっと気にしていたから、うれしかった。
とろとろな生活だったと思う。
とろとろ。
なんだか切なくて、けれど、いとしい言葉。
けれど、耐えられなくなった。
おしとやかにしているのは、もともと苦手だった。
『僕は、マリナのことを、ちゃんとわかっているつもりだ。』
ううん、大祐。
わかってないよ、全然。
私は、全然お上品じゃないし、本なんて大嫌い。
今までは猫かぶってたんだよ。
帰ってきたら後ろで上着を受け止めたり、それを何も言わずにハンガーにかけたりするの、苦痛だったって、理解してた?
お料理、作るの苦手で、ものすごくご飯に時間がかかってたって、理解してた?
昨日、久しぶりにベッドで抱き合って、これが最後だって思って脱いだこと、大祐はきちんと理解してた?
ごめんね、大祐。
私やっぱり、大祐には合わないみたい。
・*・*・*・
電車に乗って、何度も乗りかえをして、私は故郷に帰ってきた。
もう6年だ、ここに帰ってこなくなって。
6年。なんて長い時間だったのだろう。
私の人生の4分の1はこの土地を離れていたことになる。
そんなに長い時間が経過しても、この町はまったく変わっていない。
眩しいような緑。
建物なんかほとんどない。地平線が見える。
鞄を下ろして深呼吸をした。
東京のそれとはまったく違う空気。
人の匂いがしない空気。
それを思いっきり吸い込む。6年間吸い続けてきた東京の空気を追い払うように。
・*・*・*・
気がつけば走り出していた。
土の上を走るのでさえ久しぶりで、私は何度もあしをとられそうになった。滑って転んでしまいそうになる。長いスカートは走るのには邪魔以外の何者でもない。
私は大祐への手紙の最後の部分を思い出す。
ねえ、大祐。
こんな会話をしたことを覚えている?
『運命の人って、ほんとにいるのかなあ。』
『いるよ、きっと。僕にとっては、マリナがそうだよ。』
『じゃあ、もし私の運命の人が大祐じゃなかったら?』
『難しいことを聞くなあ。うーん、そうだね。僕は、マリナが一番大切なんだ。君がもし、ほかにそばにいたい人がいるのなら、僕はおとなしく身を引くよ。』
大祐は運命を私にくれたのに、私は、あなたにそれを返すことができなかった。少しも。
だけど、私は・・・。
『私は、恋をし続けるぞーっ!!』
そう、元気に、叫ぶ。
走ろう、どこまでも。
私の運命の人に出会えるまで。