診療所にて 一
何度も呻き、痛みに喚いた気がする。
熱が出ている、と薄弱な意識の中ルークは思った。眠りと覚醒を繰り返し、浮上した意識はすぐに熱と痛みに沈んでいく。
何度繰り返しただろう。ルークはふと、自分の意識をはっきりと感じた。目を開けると、布団に寝かされている。見知らぬ低い天井は、剥き出しになった材木が黒く煤けている。首を回して周囲を見る。
最初に目についたのはすぐ側にある囲炉裏だった。その向こうで灰色の髪を背中で結った、初老の女が鍋に火をかけている。板の間はそれなりに広く、奥の壁には書棚と、小さな引き出しで構成された薬棚があった。首を回して反対側を見ると土間で、炊事場と泥のついた農具がある。どこかの農村の家だろうか。
「あら。気が付きましたか」
女はルークの側へ寄ると、手際良く熱を計り、舌を出させ、瞼を捲って脈を計った。最後ににこりと笑って言う。
「もう大丈夫ですね。お粥がちょうどできたところなんですよ。薬が利いているうちに食べてしまいなさいね。カヤルさんはね、さっき、いえ少し前、出て行ってしまってね、もう戻ってくると思いますよ。起き上がれます?」
ルークは右手を突いて体を起こした。体の重さに呻く。右足と左肩はがっちりと固定されていて動かず、それを置いても力が入らない。怪我をしていない右腕が、動かそうとすると小さく震えていた。右手で左耳を触って、耳環を確かめる。
「ありがとう、ございます」
ルークが言うと、女は首を傾げた。その反応に戸惑って、ルークは続ける。
「逃げてきた俺らをかくまって、傷の手当てをしてくれたんですよね。ありがとうございます」
「あら。私は何もしてませんよ」
女はふふと笑った。
「お産の助けに二つ隣の村から帰ってきたら、家で子供が二人、片方は気絶してて片方はもう片方の傷の処置を完璧に終えてて、使った薬品や食料の分は自分が採ってくるから相方が治るまでここに居させてほしいと、そりゃあ丁寧に頼むものだから、私びっくりして。ふふ」
女は嬉しそうに話しながら、粥を椀へ注いでルークへ手渡す。
「まずは食べなさいな。力が出ませんから」
女はノマと名乗った。
ここは山の麓にある小さな農村の端にある家で、診療所を兼ねているという。
カヤルはルークの容態が落ち着いてからは、薪割りや、罠の見回り、畑仕事などをして過ごしているそうだ。今も山菜を取りに出掛けているという。
粥を啜りながら、ルークはノマの話を聞いていた。と、家の裏で水音がした。何かを洗うような音がする。
カヤルが山菜の入った籠を手に入ってくる。ちらりとルークに視線をやると籠を炉端に置き、ルークの側で膝を突く。熱を計り、舌を出させ、瞼を捲って脈を計った。ノマとよく似た手つきだった。
「気分は?」
ぶっきらぼうにカヤルが訊く。
「うん。痛みはあるけど、だいぶいい」
ルークは答える。ここ数日で最高の気分だった。
「そうか」
カヤルは言って、籠の中の葉物野菜をいくつか手で千切り、鍋へ放り込んだ。少し煮て、ノマが椀によそい、カヤルへ手渡す。
心地よい焚き火の音。煙と薬の、どこか懐かしい匂い。湯気の昇る温かい粥の、優しい味。ノマのにこにことした表情と、傍らのカヤルの、ゆっくりとした、落ち着いた声。
三人で囲炉裏を囲み、ゆるく談笑しながら、ルークは張っていた気が抜け、温もりが染み込んでいくのを感じていた。
春になるまでここにいて、とノマは言った。山は見事に色付き、空はどこまでも高い、秋の盛りのことだった。
「ルークさんの怪我は治るのにいく月かかかるし、治ったら冬の最中でしょう。雪の中病み上がりと旅をするなんて正気じゃないわ。春になるまでここにいてちょうだい」
カヤルは了承した。ルークには不服を唱えられるはずもなかった。
「嬉しいわぁ。これで今年の冬は暖かく過ごせるもの」
先の数日間が嘘に思えるほど、穏やかな日々が始まった。ルークは日がな一日、下手な縫い物や、編み物をして過ごす。肩は固定されているが手先は動かせる。できる仕事がそれくらいしかないのだが、そもそもじっと集中することも細かな作業も苦手な性分であるルークは、誰もいないときによく「走りたい!」と叫んだ。元々着古された上に破られてボロボロのカヤルの着物を繕ったが、繕う前より不恰好になった気がする。
患者用の着替えを着たカヤルは夜明け前に起き、外で仕事をして、顔を合わせる時間はほとんど食事のときと、雨の日、一日の終わりだけだった。
ノマはだいたい家にいて、薬品や食品の加工や、籠や傘を編んだり、写本の仕事をしている。二人が乗ってきた馬を売った金があり、山仕事をカヤルが代わってくれるので、暮らしは一人のときより楽だとノマは言った。
時折、訪問者が戸を叩く。うちの子がまた熱を出したとか、咳が止まらないと言って診療所にくる村人だった。村の外からも薬を求める者が訪れる。
ノマは決まって、少し固い表情でルークに寝ているふりをするように言い、微かに緊張の滲んだ声で応対する。
ノマはいつも、ルーク達に親切に、にこやかに楽しそうな様子で接してくれる。それだけに、彼女が村人達と接する様は、違和感を覚えずにはいられなかった。
「無理もないよ」
夜。ノマの昼間の様子を、彼女が居ぬ間に話すと、カヤルは読んでいた本から目を反らさずにそう言った。
「ノマさんは俺寄りだ。人の村で暮らすのは、しんどいときもあるだろうさ。俺らみたいな余所者がいたら尚更」
「……カヤルは、村で暮らすのがしんどいのか?」
注意深くカヤルの様子を見ながら訊くと、カヤルは本から視線を上げ、ふっと疲れたように笑った。