荷馬車と逃走 三
作戦はこうだ。
二日後、川沿いにある組織の隠れ家で子供達に食事が振る舞われる。その食事には眠り薬が入っていて、眠っている間に子供達は検品され、船で川を下り、海を渡り西の大陸へ密輸出される。最初に出される粥には口をつけず、枷を解き、見張りの目を掻い潜り、耳環を取り返し、馬を奪って逃げる。
「色々と無理があるだろ……」
「問題ない。お前が俺を信用するなら簡単だ。それが一番難しいだろうけどな」
「何がだよ……意味わかんねぇ」
「出ろ」
二日後。両手の縄を解かれたあと、足の枷はそのままに、荷馬車の中の子供達全員が山小屋のようなところに入らされた。中は意外に広く、道中増えた十八人になる子供が全員座れる囲炉裏に、十八人分の粥と野菜が置かれている。
見張りに男が二人、戸口に立って言った。
「粥は一人一皿ちゃんとあるからな、慌てず食えや」
子供達は一斉に粥を口へ運ぶ。ルークは粥を見下ろし、匙を手に取り、盛大に腹を鳴らした。
(くっそ……食いてぇ……)
匙で食べるふりをする。代わりに大皿に盛られた芋を齧る。
「食べないの?」
隣に座る年下の少年が囁いた。
「あげるよ」
ちらと反対側のカヤル見ると、野菜をいくつか懐へ入れていた。視線を合わせ、一つ頷く。ルークも頷き返した。
カヤルがその場で腹を抱えて蹲った。
「あの……! 来てくれ! この子が、腹が痛いって……粥も食べられないみたいなんだ!」
ルークが男達に呼びかける。 男の一人が舌打ちしてカヤルに近付いた。
「急に食ったからか? めんどくせぇな」
男が膝を屈め、その手がカヤルに伸ばされ、頭に触れる──。
弾かれたようにカヤルは顔を上げ、立ち上がりざま男の顎に掌底を叩き込み、振り上げた拳をこめかみに向け横に薙いだ。横面を張り倒された男はそのまま声もなく倒れる。
「な、てめえ」
男の体が倒れたときには既にカヤルはもう一人の男との距離を詰めていた。男は困惑しながらもカヤルに持っていた棒を振り落ろす。カヤルはそれを危なげなくかわし、半回転した勢いのまま男の顔に強烈な回し蹴りを決めた。
ルークは思わずぽかんとして、流れるように大の男二人を伸したカヤルを見ていた。
(……凄い)
「ボサッとすんな!」
男の懐を漁っていたカヤルはルークに駆け寄ると低く一喝し、足元に屈み、石の錠に触れ、低く呟いた。
「解き放て」
がしゃん、と音を立てて枷が解かれる。同時に、周囲で子供達が意識を失い、ばたばたと倒れ始めた。
ルークはカヤルに手を引かれて厩に駆け込んだ。厩ではあったが、なぜか馬のいない空いたコの字型の空間に走り込み、カヤルは先程男から奪った小刀を抜いく。それを躊躇いなく自分の手首へと振り抜いた。
「何を……!」
「黙ってろ」
そのまま小刀を捨て、右手の人差し指と中指で流れる血を掬うと、四方の柱に文字のようなものを書いた。ルークには読めない文字だ。
「隠せ。我ら、ここから出るまで」
カヤルは大きく息を吐くと、崩れるようにその場へ胡座をかく。
「……もういいぞ、喋って」
「何を悠長にしてる、早く耳環を取り戻して逃げないと……!」
「夜だぞ、今。馬の目が利かない。明るくなるまでここで待つ」
「そんな……! こんないつ見つかるかわからない場所で!」
せめてもっと隠れられる場所でと言い募ろうとして、ルークははっとして口を手で覆う。二人が逃げたことが騒ぎになり、追手が来る声が聞こえたのだ。すぐそばだ。
灯りが近付いてくる。相手は松明を持っている。足音すら聞こえる。ルーク達がいる場所は照らされるだろう。隠れられる場所もない──。
ルークは歯を食いしばって呼吸を殺し、追手に見つかる瞬間に備えた。傍らのカヤルに手首を捕まれ、心臓が飛び出そうになる。振り返ると、カヤルは場に似つかわしくない眠そうな声で言った。
「じっとしてろよ」
そのときルークの脳裏に浮かんだのは、あの不思議な夢でのカヤルとの会話だった。
──“問題ない。お前が俺を信用するなら簡単だ”──。
酷くゆっくりと感じる数秒間で、松明を持った男は通り過ぎていった。確実にルーク達がいる方を見たのにその目には何も映らなかったかのようだ。ルークは男の行く先を凝視する。耳をそばだてていると、男達の怒声が聞こえてくる。
「こっちにはいないぞ!」
「探せ! まだ遠くへは行ってないはずだ!」
「目玉商品だ、必ず探し出せ!」
暗闇が戻り、静寂が戻り、馬の息遣いと虫の声しか聞こえなくなってもまだ、ルークは考えを巡らせていた。
「ありがとよ、信用してくれて」
沈黙を破ったのはカヤルのほうだった。ルークは大きく息を吐き、胡座をかいく。
「……目眩ましのようなものか?」
「正解。結界なんて言い方もある。声も届かないから普通に喋っていいよ。俺達のほうから出たら効果は切れるから、それだけは気をつけて」
ルークは手で顔を覆い呻くように言った。
「……本当に存在するんだな……」
呪術師、魔術師、妖術使い、呪い屋。呼び名は何が正しいのかは知らないが、要はそういう者だ。……お伽噺だと思っていた。
思い返せば不思議な術は既に夢で何度も体験している。なぜこんなにも衝撃を受けているのだろう。現実感がきちんとあるからだろうか。
「王子のくせに術者の存在を疑ってたのか。建国伝説にも出てくるだろうが」
「伝説だと思ってたんだよ……今まで会ったことも、実際会ったって人の話を聞いたこともなかった」
「……まあ、そんなもんかもな」
カヤルは疲れたような表情でぼそりと呟くと、やおら小刀を拾い上げ手首を切った。ルークの頬が引きつる。
見ていると、カヤルはまた見慣れぬ文字を、今度は床に書き始めた。その血文字は長く、文章のようだった。
「どなたか、手伝ってはもらえませんか?」
突然の第三者への呼びかけに、ルークはぎょっとして辺りを見回すが、誰もいない。この少年には幽霊でも見えているのだろうか?
しかし、幽霊に呼びかけたのではなかったようだ。暫くすると、初めに馬が落ち着きなく蹄を鳴らし、次第に小さな影が空間の入り口に集まり始めたのだ。ルークは暗闇の中目を凝らす。それは、鼠や栗鼠、鼬、狐、狸──被食者も捕食者もないまぜになった、小型動物の群れだった。
「君にお願いします。他の子は喧嘩せず戻るように」
カヤルは一匹の栗鼠を指差し、丁寧に言った。栗鼠が空間に入ってくる。残った動物達は散り散りにその場を去っていった。
栗鼠はきょろきょろと辺りを見回しながらカヤルに駆け寄り、お辞儀のように首をすくめた。カヤルはお辞儀を返すと、懐から野菜をいくつか取り出し、栗鼠の前に置く。一つをルークに放って寄越した。
「お前も食っとけ」
栗鼠は芋を食べている。カヤルは栗鼠のために小刀で野菜を小さく切っている。ルークは困惑して訊ねた。
「何を……してるんだ?」
「この子が代わりにお前の耳環を取り返しに行ってくれる。今はその前の腹ごしらえだ」
「それは……えっと……俺からもよろしくお願いします」
ルークは栗鼠に言った。思わず口にしていた言葉だったが、カヤルは怪訝な顔をする。
「なん、だよ」
その、栗鼠に話しかけるなんて正気かとでもいうような顔に、ルークはたじろいで問いかける。
「……いや」
カヤルは呟いて一、二度顔を振り、結っていた髪を解くと一本抜き、栗鼠の体にくくりつけ、血のついた指先で栗鼠の小さな頭を撫でた。それから思い出したように髪を結っていた布を拾って割き、手首の傷を適当に縛り、元通り結い直す。
「少し、集中するから……話しかけないでくれ」
既に集中した声色でカヤルは言った。