荷馬車と逃走 二
「条件って?」
少年は隣に腰を降ろすと片膝を立て、指を二本立てた。
「一つは、人身売買を違法とした今の王様にこの現状を伝え、何かしら策を講じること。もう一つは、脱走するにあたり、必ず俺の指示に従うこと」
「脱走、できるのか? 全員でか?」
聞き返すと、少年は露骨に顔をしかめた。
「馬鹿か。二人だけでギリギリだ」
「それは……残された皆が、どうなるか……」
「お優しいことだな。下の者を守るという志は立派だが、今この荷馬車に民を守れる権力者がいるのか? 今のお前一人で何ができる?」
ぎり、と奥歯が鳴った。それはずっと思っていたことだ。ここ数日、己の無力さは嫌というほど痛感した。
「どうやって逃げるつもりだ? 策はあるのか?」
「策はある。二人でなら逃げられる。考える時間も半日やる。起きても騒ぐなよ」
「は?」
「は?」
気付くと喧騒、振動、匂い、五感すべてが戻ってきていた。下からの揺れで危うく舌を噛みそうになる。
傍らには夢と同じ少年が、夢と同じ格好で目を瞑っている。
(今のは……ただの夢か……?)
「おい……」
「黙ってろ」
肩を揺すると低い声で一蹴された。
「で?どうする」
音も揺れもない馬車の中。昨日と同じ無音の薄暗い、だが昨日と違い二人だけの荷馬車の中で、少年が言った。ルークは何も言わず、何度か手を開き、握りしめ、立ち上がって体を動かす。昨日と違い、手も足も解放されている。戸に手を伸ばすと触れる前にゆっくりと開いたが、しかし、外には何もなかった。
正確には、外が無かった。夜闇とは比べものにならない静寂と暗闇だけがそこにはあった。
「夢、なんだな」
自分の掌を見ながらルークは呟く。そのまま爪を立てて頬をつねってみた。
「っ痛…」
「早くしろ。あんまり繋げてられないんだよ」
「夢をか?」
「ああ。正確には、お前の意識と俺の夢の一部を、だな。お前の思考を読めるわけじゃないからそれは安心しろ」
その言葉の意味を考える。昼間考えていたことを、一つ一つ言葉にする。
「いくつか、教えてくれ。返答はそれからだ……一つ目、お前は、あー……呪術師とか、妖術使いとか、そういうものなのか?」
「是。常人には知り得ない世界を知る術と真実を知っている」
「二つ目。耳環の意味って? どこまで知ってる?」
「王位継承者の証。流行の黒瑪瑙や色硝子の装身具じゃない、水に沈め、月光をあてると月の色に輝く色変わりの宝玉でできてる。建国伝説に由来する王家の秘宝だろ」
ごくり、と喉が鳴った。ルークは驚愕する。話の後半は、王族と一部の貴族しか知らない話だ。
「なんで、そこまで知ってる」
「術者には興味深い石なんだよ。銀や鈴や桃の木が魔除けになるのを知ってんのと同じ理由だ。他には?」
「……逃走の計画を、教えてくれ」
「お前に俺と逃げる気があるんならな。その気がないのに説明しても無駄だろ。時間もない。ただ、お前が約束するなら、命に変えてもお前が信頼できる大人の所まで連れてってやるよ」
「命って……」
少年に睨まれて言葉が尻すぼみになる。冗談も誇張も一欠片も入らない、真剣な、鋭い瞳。
「こっちも条件がある。二つ」
「言ってみろ」
「耳環を取り戻したい」
「妥当だな。俺も取り返したい物があるし、いいよ。それから?」
「名前、教えろよ。俺は教えただろ」
少年は軽く目を瞠って何か形容し難い表情を浮かべた後、一言呟いた。
「カヤル」