【ナオ】
私は確信を持ちたかった。
けれど私の仮説が正しくて全てに納得してしまうと私に訪れるのは絶望であるということも分かっているので、確信を持てなくてもいいとさえ思ってしまう自分に嫌気が差して仕方ない。
探るタイミングは何度もあったのに行動に起こそうとする度に無意識に二の足を踏んでしまっている日々が続いてしまっていた。
今日も午前中に一本のみ取材を受け、その後は行ったり来たりする心を押さえつけるようにベッドの中で丸くなりながら過ごしていると部屋がノックされてお母様がやってきた。
「……あなたはまた眠っているのね」
「すみません。なにかご用でしたか? 」
「いえ、あなたにはなにも。ただちょっと遠くに出てくるから帰りが普段より遅くなるということを一応伝えておこうと思って」
お母様が出掛けて帰りが日付を跨ぐ直前になるなんてことはざらにあるのでさして驚きもせずに「そうですか」と一言だけを放って起こした身体を再び横にしようとすると、お母様が珍しく柔らかい笑顔を浮かべた気がしてその表情を凝視してしまった。
「……なにかしら」
「いえ、なにも」
「そうやって、一日中怠そうに横になっている姿を見るとやっぱりあなたはあなただと確信できるわ」
その言葉だけを機嫌良さそうに残して閉められた自室のドア。離れて行く足音に少しの沈黙。そうして外に繋がる家の大きなドアが開けられてすぐに閉まる音、カチャカチャと鍵が掛けられる音が順に響いた後に長い静寂が訪れた。
常にベッドの横になっているのが私らしい……?
今はまだ外出した際の周囲の反応が怖いので家にいることしかできないだけで、こんなことがなければ私は買い物にだって出て行きたいし、予定が無くとも季節それぞれが持つ風の違いを感じながら街を歩くのが好きなはずなのに。そうではないと?
……そろそろ逃げてばかりもいられない。
私は満を持して勢いよくベッドから起き上がり床に足を付けると、真っ先に玄関に向かい、ドアノブに触れてロックを掛けた。
私の部屋には手掛かりになりそうなものは何もない。洋服や必要最低限の生活必需品とヒイラギさんの音楽、それを聞くことができるもののみ。きっとほとんどをどこかに移したのだと思う。だからこそロックの掛かったタンスの一番下の引き出しにお母様は気が付かない。この部屋に重要なものはないから、お母様も立ち入る必要がないのだ。
私がよく行く場所にはきっと何もない。でもできれば気の悪い思いはしたくない。そんな気持ちから念の為リビングや浴室、お手洗いなんかの細かい部分も確認したけれどやはり何も見つかりはしなかった。
……腹を括るしかない。すでに疑惑のドアの前に立ち尽くして数十分は経過していて、何度も腹を括ることに失敗している。
こんなことをしても私自身にはなんの利益もない。ただ、こんなことをしない日々を過ごすことに良心が痛みを訴えてきて。布団の中で丸くなりながらそれに耐える日々に嫌気が差してきた。
もう諦めよう、私。
疑惑のドアのノブに手を掛けゆっくりと瞼を閉じ、アンロック。鍵穴からカチャンと振動を感じ、ノブを回すとお母様の部屋のドアが静かに開いた。
……視線の先の開けた空間は意外にも殺風景だった。普段から来ているお洋服の煌びやかさやカップやティーポットにもこだわりを見せるくらい華やかなリビングからは想像もつかないほど。
黒で統一された洒落っ気のない簡単なベッド。電灯が一つだけ置かれた引き出しすらない机。そしてその横にある棚には隠す気なんてさらさらないといった堂々とした様子でファイルがずらりと並んでいる。
それもそうか。部屋には鍵をかけてその鍵をいつも持ち歩いているのだから、誰も入ることができないであろう空間でわざわざ隠す必要なんてないもの。
申し訳なさを少々抱きながら一歩踏み入れるといつもお母様から香るバラの残り香が私を迎え入れた。
ゆっくりと、それでいて真っ直ぐに棚へと向かい、緊張で少し冷えて震えた手でちょうど棚の真ん中辺りにあったファイルを抜き取る。なんとなく目に付いて、適当に手にしたそれ。表紙には「XX年〇月~△月」と書かれていて、恐る恐る捲ってみるとそこには履歴書のような、カルテのようなものが何枚も収められていた。
形式はすべて同じものだ。お母様が作ったものでしょうか。
依頼人の名前、住所、連絡先。
依頼の動機。
対象者の名前。
依頼人との関係。
享年。
降霊させたい年齢。
降霊希望時間。
そして一番下の欄にはそれぞれ違った金額が赤い文字で書かれている。希望時間が短いと金額は安くなるようなのだけど、一番安いものでも相当な大金。
……予想のほとんどが確信に変わってしまった。
お母様の以前の口振りから考えるにナオの才が降霊で、お母様がそれをビジネスにしていたのでしょう。
この用紙一枚一枚に込められた死者ともう一度会話をしたいという切なる想いがあまりに重く、数枚捲ったところで私は表紙を閉じて棚の元に合った位置へと戻してしまった。すらりと並ぶファイル。ナオはこの重さに何件対峙したのだろう。
よくよく棚を見ると並んでいるのはファイルだけではなかった。一番下の段には数冊のノートがひっそりと。
一番端のノートに手を掛けるとぎっしりと詰め込まれていたことで簡単には出てこないそれに意思を感じたけれど私が勝ってなんとか引っ張り出すことに成功し、何も書かれていない表紙を捲ると、そこに並んでいたのは私の文字。
〇月△日。
今日の依頼は五件。身体が引き千切れそうに怠い。
一番の原因は四件目の男性の降霊。久し振りにあんな感情的になって暴走し出す魂に会った。
なんとかこっちに引っ張ることができたけど、あれ以上に怒りが強かったらきっと眠らせることなんてできずに依頼主を傷付けていたと思う。
もっとどこかに私を置いておきたいけど、依頼主は完璧な降霊を求めているよね。名前の認識を私のままにしておいたりできたら、もっと暴走を止めやすい気がするんだけど。
私自身も段々眠れなくなってきている。そもそも一日に五回も眠るなんて、普通はできないよね?
でも眠らないと降霊ができないから、最近はママから睡眠のお薬をもらっているけど、お薬って一日にこんなに飲んでもいいものなの?
依頼なんてもう受けたくない。
こんな家に居たくない。
眠ったまま、目覚めなければいいのに。
誰か、私の代わりにナオになってくれないかな。