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【ナオ】


今日はこの部屋に三組のお客様がいらっしゃった。


朝早くに叩き起こされて、支度を促され、初めて見る顔の人たちからいつもと同じような質問を受ける。


気晴らしに家の外へ出たいとお母様にお話ししてみたけれど今の私が家から出るのは危険なのだそうで、もっと言うと部屋からも極力出てもらいたくないと険しい表情で諭された。自分自身にすら理解できない部分がある上に見つかる心配はほとんどないとはいえ自室にはヒイラギさんとの約束が眠っているので、別に今はそれに強く反抗しようとも思わないけれど。


……私がナオであるとされて連日報道が続く世の中に少々嫌気が差してきた。


お母様が残していたこの容姿だけが同じで三年間毎日中身が違ったことを裏付ける映像。そして私は私で十六年を生きてきた記憶だけを有していて、別人格が云々なんて記憶を持たないと話す。


これってそんなに面白いことなのでしょうか。確かに珍しいことではあるかもしれないけれど、何度も触れたくなるような話なのかしら。きっとこの部屋の外の人たちは私がパンダやライオンに見えているのでしょう。動物園には何度でも行きたくなるのと同じ感覚で報道に触れている。


倒れるようにベッドに横になり左手の甲で瞼全体を覆うとカメラのフラッシュがまだ瞳の奥に残っていて、たった一人の暗闇の中でもまた私を照らす。そんな煩わしい点滅から逃げるように手を目から浮かせて甲から平へと裏返すと、手の平のちょうど腹の部分に控えめに書かれた文字。




私がナオならクローゼットの中、白いタンスの一番下の引き出しを開けて




今日も無意味だったな、と思いながら文字を右手の人差し指で何度もなぞって薄れさせた。そうしてまた今日を終える前に新たに書き直すのだ。


あの真っ白なタンスの引き出しの中に本物のナオはいるのだろうか。骨ばった血色の悪い手の甲に透ける青い血管を見つめながら、タンスの中の私には宛てられていないCDを聞いてしまいたい衝動を私が一番好きなヒイラギさんの曲を口ずさむことで押さえた。






「他のナオさんの映像を見たとき、ナオさんご本人は何を思いましたか? 」


記者からの質問にその後ろに控えるお母様の眉がピクリと動いた。その映像を私には頑なに見せないのだ。


「私は拝見しておりませんが、貴方はどう思われましたか? 」


余計なことは言うなという圧を普段以上に感じるけれど静止されるまでは私に向けてだけフラッシュの焚かれた時間だ。


私からの質問に記者は椅子から一旦腰を浮かせて浅く座り直し、前のめりになりながら口を開く。


「純粋にすごいと思いましたね。あれが演技だとしたら天才の域を越えているくらい。まるで他人が憑依しているような、外見が同じなだけの別人でした。得も言われぬ違和感に感動したのは初めてです」


とてつもない熱量で語る記者に少し驚いてしまって、彼が言い切った後に私の部屋が重量のある沈黙で満ちた。すみませんと重みを察して小さく放った記者の罪を軽減するべく私はわかりやすく笑って見せる。


「いえ、ありがとうございます。でも私はもう、つまらないただの一人です。もしこれが演技なのだとしたら私はこんな檻に籠らずに広い世界で女優を目指していたでしょう。ねえ、お母様」


記者とその横のカメラを構えた方が振り返って少し後ろに立っていたお母様に視線を向けると、お母様は鬼のような形相を瞬時に柔らかく変えてみせた。カメラを向けられてスイッチが入るなんて、貴方こそさながら女優。


お母様は手で口元を隠しながらお上品にクスクスと笑うのみで、振られた話題に何かを答えることはなかった。


三年間別人で在り続けたナオへの取材に満足した記者が私に丁寧なお礼を言いながら椅子から立ち、カメラの方と共に部屋のドアへと向かう。お母様がドアノブを捻って先に二人を部屋から出し、こちらに少しも顔を向けることなく二人に続いて部屋から出ると、部屋に誰も存在しないかのようにドアは閉められた。


パタンという無慈悲な音が私と世界を遮断した。








……そんなことがあるはずがない!


だってあのタンスの一番下の引き出しを開けられるのは私だけのはずなんだから!


取っ手に触れて勢いよく引くと中のCDたちが少しバランスを崩す。それを整えて(かさ)を確認して、念のために枚数を数えてもみたけれど一枚も減った様子がない。


では一体、何故……?


ヒイラギさんが今日、四年振りになる新曲をいきなり世に出した。


その曲名は、ナオ。


壮大で気高いバラードだった。約四分間、聴き終えた頃には映画館で一本の映画を見終えたような、長編大作の小説を読み終えた後のような感覚で自然と涙が零れていたくらいの名作。


過去のヒイラギさんの作品と比べても一番私の嗜好に刺さり切った曲だったので、聞いてしまったことを少し後悔した。


私の曲ができた時、ヒイラギさんは一番最初に私に聞かせてくれると言っていた。したがってこの様な形で多くの人の耳に届くように彼が世に出した曲は私の曲ではないのだ。


そうするとこの曲は他のナオの曲。こんなに素晴らしい曲にしてもらえるなんて、羨ましすぎる。


そんな私の個人的感情の話は、今は問題ではない。ナオというタイトルの曲が世に出ている理由を探らなければ。私が何もしでかしていないことを願いながら部屋を出て、リビングへと向かう。


「お母様」


ソファに腰掛け優雅に紅茶を啜っていたお母様に声をかける。点けられていたテレビからはさっきまで聞いていたヒイラギさんの曲が流れ、それに対する報道が映し出されている。


~なんでも、連日話題となっている例の少女もヒイラギさんの曲が好きだったとか


~そうなんです! 最近新たに明らかになった情報なのですが三年間別人だったその全員がヒイラギさんの曲が好きだったという共通点があったんです!


~そんな少女の存在が世間を賑わせているこのタイミングで四年ぶりの新曲、しかもタイトルがその少女の名前だなんて! ドラマチックだなぁー


……ヒイラギさんはこんなお昼のワイドショーで下世話に扱われていい方ではないのに。


苛立ちを腹の底で沸々と煮えさせながらテレビに近付き主電源を落とすとお母様は怒るわけでも笑うわけでもなく少し風が吹いただけといったような何食わぬ顔で紅茶に角砂糖を一つ落としてスプーンを回した。


「なんの用かしら? 」


「ヒイラギさんとお会いしてお伝えしたいことがあるのです」


「どのような? 私が代わりにお伝えしておくわよ」


「私が直接、やり取りをしたいんです! 」


急に声を荒げた私にお母様はくすくすと余裕そうに笑う。


「仕方ないから住所を教えてあげる。ただ、あなたは知っているかしら。今この家を取り囲むようにあなたの姿をカメラに収めようとしている人たちがいることを。そして連日の報道であなたに興味を持った野次馬も沢山生まれているということも。一歩でも外に出るとあなた、怖い目にあってしまうかもね」


そう言いながらお母様はメモ用紙にサラサラとペンを走らせ、一枚切り取ると私に手渡した。ここからは電車を乗り継いで更にバスにも乗る必要のある町の住所が書かれている。


あのCDの数と同じだけ、ヒイラギさんは少し遠いここまで来てくださっていたんだ。


確かに私は思うより非力。そしてたまにドアの外を覗いたときに見える人の数が普通でないこともわかっているのでまだ世が騒がしい内に私が一人で外に出るのは得策ではない。でも私とヒイラギさんを繋ぐのはこの住所が書かれたメモのみ。


もしくはヒイラギさんがこの家に来てくださるのが理想だけれど、それがちょうど今日から難しいものになってしまった。新しい曲か浮かばず世間が存在を忘れかけていた時期とは訳が違う。


私とヒイラギさんは今、渦中と渦中なのだ。私たちが出会う前に二つの渦がぶつかって大事故を起こしかねない。


こんな困難な状況、お母様も手放しでは喜べないような中途半端な親切しかくださらない、それでも、今はどうしようもできなくてもいつかは時が来て私たちをまた繋いでくれるはず。この唯一の希望の光がスポットライトとなって私に昔読んだ敵対する貴族同士の恋愛小説を思い出させる。


それはこれまでの取材で受けたフラッシュよりも断然心地良い光だった。





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